【灰色の砂時計】2
「王宮の礼拝堂の管理を任されております、レジナルドと申します。呪術部に相談があって参りました。来るのは初めてなんですが、ここですよね?」
ひとをまっすぐに見る、美しく澄んだ青い瞳。普段なら「ここではないですね」とすっとぼけて誤誘導するヘレンでさえ軽口を控えてしまうほど、レジナルドのまとう空気は清浄なものだった。
この国では国民の大多数が折々の行事で神殿に通い、祀られている神に祈りを捧げている。
もっとも身近な行事は週に一回、決められた時間に神殿の礼拝に通うことだが、王族がそのタイミングでいつも王宮を空にするというのはリスクがある。そのため、王宮内に王族や王宮勤めの者のために私的な礼拝堂が設けられているのだ。
レジナルドは神殿からその「王宮出張所」に派遣されている聖職者であり、常駐している一部の聖女や聖騎士を統括する役割がある。見た目は三十歳に手が届くかどうかという若さであったが、責任が重く政治力の問われる立場だ。
緊張が場に走る中、呪術師のひとりがすらっと言った。
「司祭さまが呪術部に何の用ですか? 魔物でも出たなら、得意の聖魔法で祓えますよね。聖騎士とか聖女とか、神殿には荒事専門のひとがたくさんいるわけですし」
レジナルドは「ははっ」と軽やかに品良く笑ってから「その通りなんですが」とそのぶしつけな発言をとがめることもなく流して、用件を切り出してきた。
「近々、王宮の蔵出し品や貴族の皆様からの寄付でチャリティーオークションを開催する予定だったんですが、出品予定の品の中に『呪われた品』が紛れ込んでいたようなんです」
厄介事の始まりそうな気配を感じたヘレンは、レジナルドに背を向け、さりげなく隣室へと立ち去ろうとする。
その背に視線を定めた上で、レジナルドは厳かな声で告げた。
「魔術師ナイゼルの砂時計」
ぴたりと、ヘレンは足を止めた。
フードを被ったまま、肩越しに振り返る。
レジナルドは、ヘレンに視線を定めたまま、流れるように話しだした。
「王国の北部に広がる大森林。かつてそこには、一夜にして滅びた伝説上の王国があったと言われています。滅ぼしたのは、長い眠りから目を覚ました偉大なる魔術師ナイゼル。かのひとの逸話は世界中に残っていますので、彼に由来すると銘打たれた数々の品物の中には、贋物も多いのですが……」
「蔵出し品の中に、ナイゼルのものが?」
慎重な声で、ヘレンが問いかけた。
レジナルドはじっとヘレンを見つめたまま「はい」と答える。
「『砂が落ち切ったとき、災いが起こるだろう』と但し書きのあった砂時計です。箱には横に倒した状態で入っていました。それを、誰かが立ててしまったんですよ」
「倒せば?」
「倒れないんです。誰が試しても、見えない何かに阻まれます。このままだと砂が落ちきってしまって、何かとんでもないことが起きるかもしれません。最悪の場合、王国滅亡クラスのナイゼルの魔術が発動、とか。とても困っているので、お知恵を貸していただけませんか?」
辺りが、静まり返った。
沈黙を破ったのはヘレンで「あのさ」と呻くように言った。
「あなた、すごく落ち着いた雰囲気で言っているけど、残り時間どのくらいある……?」
「砂時計が立っていることに気づいてから、どうにか戻そうと試みて、騒ぎを聞きつけたひとたちが集まり、何をしてもだめだとわかるまで一時間経過。残りの砂を見る限り、あまり時間は残っていないと思います。せいぜい一時間弱」
「なに? 最悪の場合、あと一時間弱でナイゼルの魔術が発動してこの国が滅びるって言っている?」
レジナルドは、聖職者というその職業からまさに連想されるような慈愛に満ちた微笑みを浮かべて、穏やかに頷いた。
「そうなります」
横で話を聞いていた呪術師が「国外脱出もままならないですね。こうなった以上、いたずらに外部に情報をもらさないほうがいいと思いますけど。ま、パニックが起きても、騒動になる前に滅亡がくるからべつにいいのかな」と情報を整理する。何も良くない。
ヘレンは地団駄を踏んで「だ! か! ら!」と叫んだ。
「どうして切羽詰まってから持ち込むんだって! 本当にナイゼルの魔術ならいまの時代に対応できる人間なんかいないよっ」
騒ぎながら、レジナルドのもとに駆け寄る。
「どこ? どこに行けばいい?」
「触ることもできないので、礼拝堂に置いてあります。行きましょう」
即座に答えて、レジナルドは身を翻し、ドアへと向かう。その横に並び、走り出しながらヘレンが言った。
「急いで! 時間がないんですよね!?」
ばさっとフードが外れたが、直しもせずにヘレン廊下を急いだ。
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