【灰色の砂時計】1
「呪いらしき件で、確認したいことがある」
宰相補佐官であるフランシス・キーソン侯爵が、ヘレンに直接依頼をもちかけてきた。
ヘレンは「嫌です」と、そっけなく断る。
「宰相補佐官なんですから、正式な手続きを踏んでまわりくどく依頼してくださいよ。議案が関係部署で送り回されているうちに行方不明になって呪術部まで届かないのが理想ですよ」
「闇に消そうとするな。それくらいならデルガト侯爵に直接依頼する。カイルのときのように」
逃げようとするヘレン、逃がすまいと距離を詰めるフランシス。
二人がやりとりをする横で、ヘレンに奴隷紋を刻まれたことで「奴隷」となりヘレンと鎖で繋がっている王弟カイルは、機嫌良さそうに本を読んでいた。
「正式にしろ略式にしろ、部長を通さなければいけないというのはわかっているんですよね? 一度出直してくださいってば!」
「そんな面倒くさいことするか! 急ぎなんだよ! だいたい、お前ら暇だろう」
「なんですって……!?」
ヘレンの声色が変わる。フードをかぶって顔を隠しているが、怒髪天を衝いたというのがありありと感じられる状態だった。
逃げから一転、足音も高く、フランシスの元へと歩み寄る。早い動きに沿ってフードが外れ、鮮やかな赤毛があらわになった。ヘレンは、俯いて顔を隠し、素早くフードを被り直す。
今にもぶつかりそうな勢いのまま、胸元に迫るまで距離を詰めて、フランシスの真正面に立ち、強い口調で抗議をした。
「『あなたがたはいつもそう』なんですよね。ご自分のことは忙しいと思っているし、他人は自分より時間があると無邪気に信じている。相手にしわ寄せがいっても、どうにかしてくれると思っているのでしょう!?」
恐ろしく、実感のこもった力強いセリフであった。
ヘレンの気迫に圧されて、フランシスは弱った表情になる。おそらく、そこまで反発されるとは考えていなかったのだろう。まさに「無邪気」なのだった。
そこで手を緩めるヘレンではなく「いいですか」と怒気の滲んだ声で続けた。
「手遅れになって初めて、あなたがたは呪術部のことを思い出しますよね? 思い出さなかった理由を、自分の落ち度とは考えず『普段見かけないからだ。つまりあいつらは日頃碌な仕事をしていないから、常に暇なのだ』勝手にそう結論付けて、いきなり急ぎの仕事を持ち込みますよね? アホですか? こちらだって、時間さえあればもっとましな仕事ができた件、今までだってたくさんあったんです! それがどっかの部署で時間切れになったものをギリギリのタイミングで『急を要する』なんて投げ込んでくるから、場当たり的な対処に終始することになるんです! するとどうなると思いますか!?」
フランシスは、目を逸らすこともできないようで「うん。どう、なるかな?」とあまり意味をなさない相槌を打った。
激昂した様子のヘレンは「どうもこうもありませんですよ?」と冷え切った声で言う。
「場当たり的な対処な上に、失敗は許されないという状況から、絶対失敗しない人間を投入せざるを得なくなるんです。つまり私。わかりますか? こんなことをしていたら、人員の育成だってままならないでしょう? 事例研究、作戦立案 役割分担。本来ならひとつの案件に取り組むにあたり、当然あって然るべき会議の類が何もできない! もし私が倒れたら? 不慮の事故で死んだら? 呪術部の戦力はガタ落ちなわけですよ。あなたがた管理職はそういうこと、もっと真剣に考えるべきではないですか?」
聴衆として耳を傾けていた聖女フィリスが「ヘレンがまともなことを言っていますわ!」と、感心した様子で小さく拍手した。
すかさず、ヘレンがそちらへ顔を向けて「まともといったらヘレン、ヘレンといったらまともだよ!」と言い切る。
横から、ひとりの呪術師が口出しをした。
「ヘレンがまともだと思ったことはあまりないんですが、今日に限って言えば一理あることを言っていると思います。実際、呪術部の存在が忘れられ過ぎていて、正式な手順で依頼が来ることってないんですよね。検討の第一段階から外されていて、事案がまわってくる頃には状況が悪化しまくっているっていう。どうにかした方がいいと思いますよ。わかりますよね、兄さん」
水を向けられたのは、当然フランシスである。
フィリスは目をぱちぱちと瞬き、呟いた。「やっぱり、兄弟なの?」と。呪術師はそれを黙殺し、フランシスも直接答えることなく話を続けた。
「ま……まあ、言っていることは一部認めないこともない。だがな、そこまで言うなら、お前らだって日頃からもっと存在感を出せ! 王宮に呪術部ありと主張しろ!」
「なにそれ。見世物にでもなれと?」
ふん、とヘレンは小馬鹿にしたように鼻で笑う。
取り付く島のない態度であったが、助け舟を出したのはフィリスであった。
「見世物って言い方はよくないけど、神殿組織は日頃から奉仕活動で『仕事してますアピール』をして存在感発揮しているわよ? 慰問とかバザーとか炊き出しとか。それで困ったときは神殿を頼ればいいみたいな空気感を出しつつ、こんな良いことしているんだから寄付とかお布施は弾んでくれますよね! って富裕層にも働きかけているわ。実際『昔助けられたから』という理由で、成功してから神殿推しになっている実業家もいるし」
目に見えて「仕事やっている感」を出すのって大切よねえ……としみじみとしめくくる。
助け舟として受け取ったのはフランシスで、俄然元気になった様子で「そうだぞ」と言い始めた。
「呪術部に足りないのは、奉仕の精神だ。少し、目立て。良いことをしろ」
「うわっ……言うに事欠いて責任転嫁ですか? こっちが悪いみたいなその言い方、最悪」
言い返したものの、目に見えてヘレンは勢いを削がれている。正論をぶちまかしたら、正論が横から殴り込んできたといった状態なので、どうにもやりにくいのだ。
そのとき、呪術部の詰め所のドアをノックする音が響き「お邪魔します」という涼やかな声が響いた。
ドアが開くより先に、フィリスがさっとしゃがみこんで長テーブルの影に隠れる。
姿を見せたのは、美しい金髪を背に流した清楚な美貌の青年だった。
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