【閑話 呪われし王国へ、手向けの花を】4
「もう目を開けて良いよ。下を見て。これが君の育った国。今から俺たちは遠くへ行く。誰か別れを告げたい相手はいる?」
優しい声に促され、ルシエルは目を開けた。煌々と輝く月光を浴びて、空に浮かんでいることを知った。そのまま、そうっと足元へと目を向ける。
眼下には、月夜に照らされた城や、森が広がっていた。
ルシエルはじっとその光景を見つめ、ゆるく首を振った。
「母が亡くなっているので、私の会いたいひとは誰もいません。兄弟に挨拶をしても、私は……生贄の仕事に戻れと言われるだけでしょうから。このままあなたとどこまでも行きます」
「そう? 俺はおじさんだから勘違いしないけど、そういうことは無闇と男に対して言わないようにしよう? おじさんと約束して」
ルシエルが成長するまで見守ると言ってしまった手前、ナイゼルは父親気取りでそう忠告した。しかしルシエルはナイゼルの腕の中で顔を上げ、きっぱりと言い切った。
「ナイゼル以外には言いません。私の一生はすでに、あなたに捧げています。私は……、初めて会ったときからあなたを」
「ちょっと待って。そんな美談は信用ならない。俺は初めて会ったとき骸骨だったし、恩義を感じられることがあるとすれば、お菓子をあげたときからだと思っている。君が俺についてくる気になったのは俺がお菓子おじさんだからだ。それは本来、非常に危険な考えだ。君にはまず、世の中ってものを教えなければ」
ぶつぶつと言うナイゼルを見上げて、ルシエルは無言となり、ナイゼルの体に自分のやせ細った腕を巻き付け、胸には頬を押し付けた。
「私はもう何も失うものがありません。だからそばにいるあなたに頼りたくなるんだと思います」
「おっと、ド正論きた」
「だけどもしこの先ずっとあなたと一緒にいて、いろんな人に出会い、いろんなものを見ても、やっぱりあなたが良いって思ったら、そのときは」
「お姫様。古くからあることわざに、『来年のことを言うと悪魔が笑う』っていうのがある。お姫様が言っているのは来年どころか、ずーっと、ずーっと先の未来のことだ。こんな口約束は、きっと小さな子どもの君の方が忘れてしまうさ。賭けても良い」
憎まれ口を叩くナイゼルであったが、ルシエルのまっすぐな瞳に見つめられると、不意に自信がなくなる。
いつの日か遠い未来に、ルシエルはこの日のことを掘り起こして、「ナイゼル、約束」などと言い出すのではないだろうか。
(そのときどうするかは……そのときが来たら考えるとして)
この国は、姫君であるルシエルをして未練もないと言わしめるほど、彼女に優しくはなかったに違いない。
だけどもしこの先、旅立ちのこの日を思い出すことがあったら、その思い出が少しでも美しいものであるように。
ナイゼルは片腕でルシエルを抱き直すと、そっと右手を虚空にかざした。
その掌から、真っ白な花びらがとめどなく溢れ出す。
それは夜風に乗って、はらはらと深い闇に沈んだ王国へと、降り注いだ。
◆◆◆◆◆
ぱたん、と本を閉ざすと、カイルはひっくり返して表紙をじっと見つめた。
やがて、本を持って立ち上がった。
★「閑話」これにて終了です。
以前書いた「呪われし王国へ、手向けの花を」を加筆修正した内容です。
ブクマ&★★★★★&リアクションたくさんありがとうございます!