行きつけの店とダンジョンボス
仁久レイジは行きつけの店へ向かう。
喫茶店のような外観をしているが、看板は出ていない。そして、ダンジョンが発生した事で起きた副作用らしく、ハンターにしか開くことが出来ない扉になってしまった、店への入口を開けると、視界の先にはいつもの店主。
「あ、レイジさん。いらっしゃーい」
肉兄さんという呼び名から、名前呼びに昇格(?)したし、店主のことも名前で呼ばせてもらっている。少しは仲良くなれた気がするレイジ。
「ああ。アリカに土産だ」
――俺の馬鹿、もっとこう気の利いた挨拶が出来ないのか……!
つい、緊張から短めの言葉しか出ない自分を心の中で叱りつつ、貢ぎ物を真っ先に差し出す。
「わっ、すごい塊肉!! ありがとうございます! ではでは、早速……」
「あ、もし良ければ、スキルコールのあと、パブリックにしてもらっていいか?」
「いいですよー。鑑定も行けちゃうんですね?」
「ああ。一般人にも鑑定結果を見てもらう場面があるからな」
「なるほどー。『食材鑑定 パブリック』」
アリカは肉に手をかざして、スキルコールをしたのちに、公開モードの指定をすると、レイジにも見えるウィンドウが現れる。
◇◆――――――――――
ナイトマトンの肉
ナイトマトンの外側同様、肉も黒いが食べられる。
一口大に切って、焼き鳥ならぬ焼き羊串にすると、腕力と体力がアップ
1週間熟成させたのち
ハンバーグ(焼)にすると魔力アップ
ハンバーグ(煮込み)にすると、魔法持続力アップ
――――――――――◆◇
「へー」
「ほう」
ナイトマトン(肉)を初めて見たアリカはふむふむと頷き、料理人の鑑定ウインドウを初めて見たレイジはこんなふうに見えるのかと感心する。
「このオススメとは、違うものを作ったらどうなるんだ?」
「オススメじゃないやつだと、ステータスの上がり幅が半分になりますね。あと、オススメ品で作った方が、私の経験値が上がりやすいです」
「そんな違いもあるのか……」
「レイジさんのギルドにも、料理人いるんですよね。その人に聞けばいいのにー」
興味深く真剣に眺めるレイジに、アリカは笑いながら言葉を渡すと、レイジはポツリと呟く。
「いや、鑑定スキルを持っていなかった。ステータスも全部1桁のままだったし……。あまりにも色々あって、解雇となった」
「ありゃりゃ」
排水口フローラルお弁当の話を、飯屋でする訳にもいかないだろうと、詳細については口を噤むレイジ。
「あ、今日は何食べます?」
「今日はダンジョンにはいかないから、特に何かステータスアップ目的ではない……。アリカのオススメがあれば……」
「あ、それじゃさっきダンジョンで採ってきたやつで、海鮮丼にしちゃいましょう!」
ちょっと時間かかるからと、アリカはコーヒーとシフォンケーキを出して、待っている間のおやつタイムをしてもらう。
「もちろん、お代は頂かないので、安心してお召し上がりください」
「ありがたく頂こう」
せっかく名前で呼び合うようになり、少しは仲良くなれたであろう相手に、遠慮を申し出るのもよくない気がしたので、レイジはアリカの厚意をしっかりと受け取った。
ゆっくりコーヒーをフーフーしながら飲むレイジ。
シュワッと口の中で溶けるようなシフォンケーキ。紅茶の香りが鼻に抜けていく。優雅な気分になるのは紅茶の香りのおかげだろうかと、ほんのりひたっているが、その耳にはものすごい音が届いている。
ガンッ ガンッ バキン!
チラリと視線を向けると、アリカの右手にはハンマーが握られていた。
それを思いっきり振り下ろしている。
貝殻の先端を壊して隙間を作ると、アリカはそこへ指を突っ込んで、貝をこじ開ける。
「んぎぎぎっ……、うっりゃあ!」
力技で開くタイプの貝。これは鑑定とレシピスキルで、ちゃんと確認して行なっている正しい開け方である。
「あ、アリカ……! 力仕事なら手伝うぞ」
かなり顔を真っ赤にして貝をこじ開けていたので、レイジが慌てて手伝いを申し出ると、流石にアリカもしんどかったのか甘える事にして、お願いしますと力なく笑ってしまう。
カウンターの中に入り、レイジはシンクで手を洗い、貝のこじ開け作業に入る。
貝をレイジに任せたアリカは、魚を捌く方に移る。
慣れた手つきで淀みなく包丁が踊るように流れている様に、レイジはほうと息を飲んだ。
「魚はそうやって捌いていくのか……」
「えぇ。元々小さい頃から料理好きで、この店やる前も飲食店で働いていまして、それなりにできるつもりです」
「それなり、ではなく間違いなくプロだろう。俺は料理が一切合切できないから……下手なことは言えないが……」
貝の先端を指で潰して壊し、そこから簡単にメキッと音を立てながら貝を開いていくレイジ。
お互いがお互いの手先に驚きながら、海鮮がどんどん集まる。
酢飯を作る前に、アリカは甘めと酸味強めどちらが好みかなど訊いて、レイジ好みの酢飯を作り上げた。
――と、特別製!
飲食店というのは、大抵書いてあるメニュー内からの注文である。
こんな風に(わずかなものだが)好みに合わせてくれるなんてと思ってしまい、にやけそうになる口元を引き締めるレイジ。
「お待たせしました、ってか思いっきり手伝ってもらいましたね。ありがとうございます」
「いや、気にしないでくれ。料理の光景を見る機会はあまりないので、とても刺激的だった」
五感に毒のような刺激なら、自分の所属するギルドにて少し前に受けてきたが、目の前の光り輝いているような海鮮丼は、その記憶をかき消すほど、美味しそうに見えてレイジは喉を鳴らす。
海鮮丼は、寿司屋で出前を取ったら入ってくるような円柱型の寿司桶に盛られていて、ビジュアルからして美味しそうである。
色とりどりの魚たちの真ん中に、細切りの大葉が盛られているし、錦糸卵も添えられていて、きちんと見映えも整えられている。
「いただきまーす!」
「いただきます」
アリカと向かい合って着席し、2人とも手を合わせて食前の挨拶をする。
アリカはおろし金で、ニンジンのようなものをすりおろし始める。
「それは?」
レイジのご飯が載っている盆にも、ミニおろし金と小さな人参らしきものがセットされてある。
「ダンジョンで採れたわさびです。オレンジ色ですけど」
そう言って、アリカはレイジの盆に載っているわさびに向けて鑑定(パブリック付き)を唱え、詳細はウィンドウで状態にする。
◇◆――――――――――
橙山葵
すりおろすと、わさびのようなツンとした刺激と香りが広がる可食植物。
すりおろした場合、眠気予防+1
すりおろさずそのまま食べると、何故か無味無臭。
その場合、体力+0.1〜0.3
――――――――――◇◆
「アリカはよく自宅ダンジョンの物を食べているのか?」
「食べますねー、鑑定で食べられるって出たら試しちゃいます。美味しいものが多いんで」
家にあるダンジョンは、食材が自生している倉庫と考えると、アリカにとっては宝箱であるはずだ。
ニコニコしながら話してくれるアリカに、レイジも頬が緩む。
「なんでも採れる気がしてくるな……」
「そんな気はしますが、残念ながら無理だったものがありまして……」
「うん?」
「湖に大きな魚が居たんで、釣ってみようとしたんですけど、あまりに大きく、釣具店で売っていたいちばん安い竿しか持っていない私には無理でした……」
「……大きな魚は、しなやかで丈夫な竿や糸だけでなく、リールとかタモとか色々揃えた方がいいからな」
釣りの道具が竿1本は、やはりダメだったか、とアリカは肩を落とす。
「ゲームの、無くならない採取道具みたいなの欲しいです……折れちゃったから買ってこなきゃ」
「どのくらいの大きさの魚だ?」
「レイジさんの2倍くらい」
「……タモにも入らん。諦めた方がいいと思う」
「……やっぱり?」
4メートル近い魚は、重量も間違いなくあるはずで、いくら料理で鍛えられたとしても、アリカの細腕で吊り上げるのは困難だとレイジは述べるとアリカは口をへの字にしてしまう。
「ずんぐりしてて美味しそうでした……」
「……釣具店近いが行くか?」
ずんぐりした魚よりも、アリカのしょんぼりした顔がレイジの心を撃ち抜いてしまった。
すぐさま言葉が出てしまうも、もっと慰めの言葉とか色々喋れよ、自分へ心の中でツッコミを送る。
「でも、私には無理な、大きなお魚ですし……」
「俺がいるだろう。アリカより肉体的な身体数値は高い」
以前見せてもらったステータスで、レイジの腕力は87となっていた。
単純数値でアリカの約4倍である。
アリカに重たいと感じるものでも、レイジならば軽々と釣り上げることもできるかも知れない。
アリカがキラキラした目でレイジを見つめ、お願いしますと、彼の右手を両手で取り、懇願する。
「釣り上げられるかはわからんけど、やってみよう」
「おねがいしまっす!!」
アリカの店から5分ほど歩くと、雑居ビルがあり、その地下へ足を進める。
階段に灯りはなく、外からの光でしか採光を得ていないようだが、レイジは迷いなく進み、その先の扉を開ける。
「らっしゃい」
ぽつりとこぼされるコール。白髪混じりの無精髭が生えた男性が、カウンターの中にいた。
「なんかすごく丈夫な竿、あります?」
「すげぇ雑な注文だな」
「4メートルくらいある、ダンジョンの魚を釣ろうと思って」
「すげぇモン釣る気でいるんだな……」
レイジと男性がポンポン会話をしている時、アリカは店内を見まわし観察していた。
釣具屋というより、素材屋のような……おそらく魔物の牙や骨と思われる物がゴロゴロ転がっている。
「あぁ、アリカ。紹介しよう。うちのギルドで懇意にさせてもらっている加工屋の職人さんだ」
「棚辺ゴンゾウだ」
「あ、藺草アリカです。よろしくお願いいたします」
お互いぺこりと頭を下げ合う。
そして、なんか丈夫そうな竿を作ってもらい店を後にして、アリカの家にあるダンジョンに入る。
「あ、そういえば、餌など買ってなかったが……」
「大丈夫です、その辺の芋で釣れますから」
芋で魚を釣るという、一瞬理解できないワードが飛ぶも、アリカは木箱の中にあるじゃがいもを取り出し、ナイフでカットする。
そして釣り針の先に刺すと、準備オーケーというので、レイジは竿を振った。
アリカは空っぽの木箱と座布団を持ってきて、レイジに渡す。自分の分も持ってきているので、そこへ腰掛けてじっくり待つようだ。
アリカも普通の竿を魔物素材で作ってもらい、一緒に釣りをする。
「ホントに芋で釣れてるな……」
「そうなんですよ。こないだ、どんぐりでも釣れました」
氷の入ったクーラーボックスに、釣った魚を入れていくが、ぽんぽん入っていく。
「んぐっ!!」
いきなりレイジの竿が強く引っ張られ、彼は立ち上がり踏ん張った。
そして、戦闘職ハンターの持つパワー(物理)を駆使して、持っていかれないよう踏ん張り、時に糸を緩め、引き込みと、格闘する事15分ほどしたあたりで、レイジの体から赤い湯気がブワッと出た。
「ぬぉぉっ、りゃあぁぁ!!!」
人体から赤い湯気が出るという事態に遭遇したことのないアリカは、声も出せず驚いて固まってしまう。
そして次の瞬間、湖から大きな影が飛び出した。
ドォォォン、と鈍い音が鳴り、湖から引っ張り上げられた魚が地面に落とされた。
「……でっ……かぁい」
「確かに、デカいな」
「すごいですね、こんなの引っ張り上げられるなんて……」
「流石にスキルなしでは無理だった……」
「あの湯気、スキルだったんですね」
4メートルくらいだと思われた魚は、5メートルはある巨大魚で、ビチビチではなくビッタンバッタンと跳ねている。
跳ねる音もデカくて少し怖いながらも、アリカはグッと1歩前に出て、手をかざす。
「『食材鑑定! パブリック』」
レイジにも見せたいので、公開鑑定をしたら、ウインドウが出てきた。
◇◆――――――――――――――
ダンジョンボス:白身巨大魚
白身魚だが、雑味しかなく食材に適さない。
ダンジョン内で捌くとダンジョンボス討伐扱いになり、ダンジョンとボスが消えるので、ダンジョンから出て捌こう。
――――――――――――――◆◇
「ダンジョンボス……! いたの?!」
「そのようだ、な……」
10秒弱ほど沈黙が流れ、レイジが先に口を開いた。
「アリカ……ダンジョン、閉じたいか?」
「……いいえ。食材庫として重宝してるので、出来れば残しておきたいです。料理人としてハンターさんたちの役にも立ちそうだし……」
レイジはサッと釣り針を外して、スキルを使い魚を持ち上げて、湖に戻した。
「……よかったんですか? ギルドのハンターさんならダンジョン閉じた方がいいと思いますが……」
「俺は何も見ていない。今日の釣果はボウズだ」
ハンターとして、良くはない行動であるし、アリカの家が事故物件として、この家と近隣の地価を軒並み下落させているけれど、アリカがダンジョンを残したいと言ったなら、その希望に応えたかったレイジ。
「ありがとうございます」
本来なら忌避されるダンジョンは、どうにかして閉じて欲しいのが世間共通の願いだ。
それに応えるのがハンターである風潮な現代であるが、必ずしもそうしなければならないという法律は今は出来ておらず、レイジのしたことは、ただのキャッチアンドリリースだ。
「俺は、アリカ……の飯が、す、好きだし、その、アリカがこのダンジョンを気に入り、楽しんでいるのを知っているから、閉じることはしたくない」
アリカの想いを汲んでくれたことに、彼女は深々と頭を下げた。が、すぐレイジに押し戻されてしまう。
ダンジョンボスがいた事に驚きつつも、ダンジョンを閉じないというハンターとしてあるまじき行動を取った2人は、へにゃりと笑い合った。
「絶対に誰にも言わないし、ギルドに報告もしないから安心してくれ」
レイジはアリカの家のダンジョンが、自分の所属するギルドが持つ仕事である『ダンジョン監査』の対象・担当であるが、組織よりアリカを優先してくれた。
アリカは一瞬唇をキュッと噛んで、レイジを見つめ口を開く。
「ありがとうございます。でも流石に、私のわがままでこうなってるのも申し訳ないので、何かお礼をさせてください……!」
ただ、甘えるだけなんてのは性に合わないアリカが、自分にできそうなお礼はないか必死に考えていると、レイジはポンと拳を手のひらに乗せ、閃いた顔をする。
「そうだ、それなら、今度ダンジョンに潜る前に、弁当のテイクアウトを頼んでいいか?」
「え、全然いいんですけど、作ったご飯って作ってから半日くらい経つと、そこからどんどん効果落ちますよ? 何日も煮込んだりするシチューとかカレー以外、出来立てから半日程度が、ステータスアップ最大って感じなんですよ」
テイクアウト自体は、アリカの店は飲食店として、もともと保健所の許可を得て開業しているため、何も問題はないが、許可よりも効果の方で問題ありな可能性がある事を告げる。
「アリカはストレージャーというハンター職を知っているか?」
「すとれーじゃー?」
収納者という職業について説明するレイジ。ギルドには必要な人であり、機密情報ではないため教えてくれた。
自分の組織のストレージャーが、2週間ほど食品を劣化させず保管する能力を得た事、アリカの作るステータスアップのご飯でも、劣化なしという事が適用されるのか気になる事をレイジは述べる。
「あー、それなら試してみたい気持ちになりますよね。生き物以外はしまえるし、お肉の鮮度も保存期限内は保たれるなら」
「あぁ。もちろん、ダンジョンに行く前というのは、緊急時以外は、事前に会議などが開かれ、計画を立てて行くので、その日に急な弁当を発注納品なんて事もないから、予約という形を取らせてもらえれば……」
「わかりました! そんなの全然オッケーです!」
会話をしながら、ダンジョンからアリカの家に戻り、その後アリカは釣った魚を使い、軽食をレイジに振舞った。
「体力やスキル使って消耗した分は、取り戻していってください。おやつ程度のものですけど」
「気にするな、と言いたいところだが、ありがたく頂戴する。とても食欲をそそる匂いを前に、遠慮ができない」
「ふふふ、それでいいんですよぉ」
イタズラっぽく笑うアリカが差し出したのは、フィッシュフライのハンバーガーだ。
卵と玉ねぎをたっぷり使った、どちらかというと卵サンドの具のようなボリュームの自家製タルタルソースを挟んでいる。
釣った魚は白身魚で、フライが美味しくなると鑑定に出ていたので、サッと作る。
バンズはパン屋さんで買ってきたものだが、今日はダンジョンに潜る訳でもないため、レイジも気にせず出された物をありがたく頂く。
「あぁ……美味い。こんな美味いフィッシュバーガー初めてだ」
「大袈裟ですよー。でも、そう言ってもらえて嬉しいです」
料理を褒めてもらうのは、料理人として嬉しい事で、笑顔になってもらえると尚嬉しいものだ。
料理人として満たされ、硬い表情のレイジが破顔するこの瞬間が、アリカにとってご褒美のような時間である。
「それじゃ、また。弁当が必要な時は事前に連絡する。前の調査票に書かれていた番号で、問題ないだろうか」
「はい、大丈夫です。その際、ステータスアップで欲しいものがあったら、それに合わせた物作るので、一緒に伝えてくれるか、トークアプリで注文お願いします」
「あぁ、わかった。弁当の代金は正規のもので。うちのギルド支払いだから」
「承りました! 毎度ありっ」
笑い合って、話はまとまり、レイジは帰っていった。
「うち、テイクアウトやってないけど……これはその、ダンジョンを残してくれたお礼であって……って事だよね……!」
レイジを特別扱いする大義名分を得た言い訳を、アリカは誰も聞いてないものだが、自分に言い聞かせてしまう。特別扱いしようと、誰も咎めるものはいないはずだが。