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第1章 第1話

 王子という身分を隠し、ボロ布を着て部屋を抜け出す。

まだ夜も明けきらぬ早朝の通用門付近は、王城から出入りしようとする多くの者で混雑していた。

俺は明るい白金の髪を黒く染め、獲れた獲物を売りに来る流しの狩人のような格好をしている。

頭に巻いたターバンと所々破れた指のない手袋は、従者ニコラが用意したものだ。

彼も同じような格好をして、背に弓と矢筒を背負い身をやつしている。


「ランデルさま。こちらです」


 およそ王城に出入り出来るような身分の二人には見えないが、下働きの男女が最も多く行き交う時間帯であれば、多少怪しげではあっても、ここから外に出て行こうという人物に気をかける者などいない。


「急ごう」


 残された時間は少ない。

俺は頭に巻いたボロ布で口元まで覆うと、ひっそりと雑踏の中へ踏み出した。

息をひそめ足を忍ばせるその視界の隅に、ふとアッシュブロンドの波打つ髪が映り込む。


「! まさか……」


 深い緑の頭巾を被った彼女の横顔に、俺の目は急速に吸い寄せられた。

急がなければならないと分かっているのに、どうしても目が離せない。

その横顔に髪に背に、全ての意識が奪われてしまっている。

頭では否定していても、気持ちに嘘はつけない。

そんな奇跡が、起こるはずもないのに……。


「ランデルさま。どうなさいましたか?」

「いや……。何でもない」


 遠い記憶が蘇る。

何度も諦め、幾度割り切って忘れたフリをしたか分からない。

もう決して手に入ることもなく、取り戻すことも出来ないと思っていた夢の欠片が、いままさにこの目の前でフェンザーク城の厨房へと消えた。


「リアンネ」


 思わずそう呟いた俺に、ニコラはムッと眉間にしわを寄せた。


「ランデルさま? お急ぎください。約束の時刻に間に合いません」


 思わぬ再会に、心臓が激しく脈打つ。

まさか、そんなことが本当に? 

……。いや、あるわけがない。

他人のそら似だと信じて疑わない理性と、それでも信じたい願望に混乱した頭で、彼女の消えた王城の食事を支える厨房入り口をじっと見つめる。

ピタリと閉じられた分厚い木の扉は当然のように固く閉ざされ、何も語ってはくれない。

今すぐにでもそこへ駆け込み、確かめたい衝動と戦いながら、隣で待つニコラを振り返る。


「すまない。行こう」


 今はまだ早い。

もう少し、あともう少しの我慢だ。

儚い夢と消えるはずだった現実が、こんな近くに潜んでいたとは。

だがそのためには、まだ必要な準備が足りない。

俺はもう一度ターバンを深くかぶり顔を隠すと、城の外へと抜けだした。






 私は間借りしているパン屋から抜け出すと、早朝の街へ出た。

レンガの敷き詰められた道を急ぐ。

この通りは、日中はいつも多くの人で混雑しているが、こんな早い時間となれば人影もまばらだ。

昼間はもう十分温かくなってはきていたが、朝はまだ冷える。

私は寒さに震えながら自分の持っている唯一の防寒着といっていい、深い緑色のスカーフを頭から被った。

これは以前働いていた宿屋の女将から、仕事を追われる際、手切れ金代わりにもらったものだ。

毎日のように朝から晩まで働き続ける手は、すっかりひび割れ爪も割れてしまっている。


「マノン。知り合いに頼まれた仕事があってね。三ヶ月程度の間だけなんだけど、うちより給金がいいっていうんだ。やってみないかい?」


 そうやってパン屋の女将から声をかけられたのが、もう一ヶ月ほど前のこと。

私は「はい。分かりました」と素直に返事を返す。

そうやって、ここより給金がいいと別の仕事を紹介されるときは、決まって追い出される前兆なのだと知っている。

人手の足りない雑用から雑用係へと、いろんな土地を幾度も渡り歩いてきた。

紹介される「次の仕事」が、その時働いていた給金よりよかったことはほとんどない。

人手の足りない、忙しく辛い仕事にばかりに回されてきた私にとって、流れ着いたフェンザーク城厨房の雑用係は、屋根のある部屋の中での仕事なぶん、いくらかマシな方だった。


「フェンザーク城か……」


 石を積み上げて出来た歴史ある城は、長い戦争の歴史に耐え今も強固にそびえている。

まもなく先の内戦で勝利した国王の、正式な後継者を任命する儀式が控えていた。

そのお披露目のために盛大なパレードが行われ、各国の王侯貴族を集めた大規模な宴会も予定されている。

私はその手伝いのために、王城の厨房へかり出された。

つまり、王太子の任命式と、それに関連するパーティーが終わってしまえば、用なし。

職を失う。

そうやって解雇された時には、都合よくパン屋も追い出されてるってこと。

今はまだこうしてパン屋から通っているが、間もなく部屋の大掃除をするとかで、引き上げるよう言われている。

そうなったら、どこで寝泊まりをすればいいのだろう。

厨房脇に隣接されているリネン室かな?


 城の生活を支えるバックヤードといえるこの場所から、灰色にそびえ立つ城を見上げる。

本当は、こんな所になんて来たくなかった。

私が一番恐れ憎む場所。

だけど、生きていくためには仕方がない。

期間が三ヶ月と決められているのなら、その間は大人しく目立たず息をひそめていれば、きっとやり過ごせる。

そもそも貴族がこんな下っ端の下男下女と顔を合わすこともなければ、言葉を交わすこともない。

まとまったお金が手に入れば、今度こそこの国を出よう。


 城内へと入る裏門へ回った。

ここは朝早い時間から、中で働く使用人たちの出入りでごった返している。

同じ城で働く人間であっても、最下級クラスの下働きが使う門だ。

出入りする貴族たちの目には、決して入らないようになっている。

分厚い壁で仕切られ、城内の他の場所への立ち入りは厳しく制限されていた。

ここから見上げる城は、漆喰で塗り固められた、高い壁だ。

窓もなければ、派手な装飾もない。

見上げる青い空の一部を覆い隠す、ただの巨大な壁でしかなかった。

私は重い木の扉を開け、厨房の中に入る。

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