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「人はパンのみにて生きるにあらず」

 息をのんだ己斐西に、歌うように安斎は続ける。


「だってそうでしょ? 自殺っていろいろ手段があるけれど、電車に飛び込むのはみんなに迷惑がかかるし、入水はつらい上に見つかるリスクがあるし、首つりなんて未遂に終わったときの後遺症が恐ろしくてとても選べない。だけどここは高いから、頭から落ちれば即死でしょう。下の道路も硬いアスファルトだし、人通りが少ないから通行人にぶつかって迷惑をかけることはない。このビルだってほぼ廃ビルみたいなものだから、事故物件になって困る人は少ない……」

「何言ってんのあんた!」


 再び肩を掴む。今度は柵から引き離すように体を引っ張って。

 しかし頭を揺さぶられても、安斎の口調もテンションも変わらない。


「さっきも言いましたけれど、あなたが何か気に病む必要はないんですよ。わたしね、よく自殺について考えるんです。ああ誤解しないでほしいんですけれど、決してこれってネガティブなことなんかじゃなくて、むしろポジティブな、いたって健全な、人生を良くするための模索なんです」


 いやに穏やかな顔だった。


「人はパンのみにて生きるにあらず、って言葉ありますよね。前にもお話ししたけれど、わたし、自我っていうものがよくわからないんです。例えばゲームならクエストに終わりが、小説なら章やページに区切りがあるじゃないですか。でも人生はそうじゃない。特に生きる動機や生きがいというものがないから、わたしにとって人生は、先の見えない手探りの暗い縦穴みたいなものなんです。それを終わらせる唯一の方法が死というものなら、自殺はそれをコントロールできる、人生を美しく飾り立てる、ラッピングの最後のリボン。それを結ぶのは今この瞬間でも構わないだろうと、この場所に来るたびにいつも思っているんです」

「……冗談、きついな。なんかそれって、思春期JKのこじらせポエムって感じじゃん……」


 もう、無理に茶化して笑うしかなかった。安斎の言葉を正面から受け止めたくはなかった。


「法で裁くなんて意味のないことです。わたしのこれまで犯した罪が、これから犯すだろう罪が、もしバレてしまうくらいなら、いっそ死んで全て清算しようと思ってるんです。わたしは別にいつ死んでも未練なんてありませんから。ほら、これって生きる目標のあるあなたはすべきじゃない、まさに空っぽのわたしにぴったりの役じゃないですか。だからあなたは何も心配することはないんですよ、唯恋さん。あなたはあの事件に無関係だし、あなたの秘密は暴かれる前にわたしが抱えてお墓まで持って行くでしょうから、口封じの手間もかかりません」


 さも合理的な発明のように語る安斎の明るい声は、まるでこちらの気持ちを汲んでいない。だんだんと腹が立ってきて、


「あんたってほんと、人の気持ちが分かんないんだね……」


 肩を掴んでいた両手を上げ、小さな顔の両頬を挟み、至近距離から向き合った。


「んなことされてウチが喜ぶと思う? 自分のやった卑怯な稼ぎ方のせいで友だちが罪被って自殺なんかしてっ、ウチがその後、わーい面倒事が消えたって、手放しで喜べると思うのッ!?」


 以前なら、こんな至近距離で見つめ合うことなど、安斎からしか仕掛けてこなかった。同級生とこんな距離で会話をするなど、例え同性であっても恥ずかしいに決まっている。

 それでも己斐西はこのとき、恥ずかしさなど微塵も感じなかった。

 ただ分かってほしいだけだった。親友を裏切るくらいなら、罪を自白して償いたいという本心を。


 しかし、伝わらない。

 安斎小蓮のその、穏やかにも見える無表情を崩すことなど、できはしなかった。


「……できますよ、あなたなら。現にやろうとしてたでしょ? あの夜、ちゃんと目を逸らして、上手く逃げられたじゃないですか」


 それが己斐西の心を正面から突き刺す言葉だと分かっているのだろうか――それとも無自覚なのだろうか――。

 もう何も分からない。

 安斎小蓮という人物が、己斐西には何も分からなくなってしまった。


 ただ声をなくす己斐西の両手を自分の顔からそっと剥がし、一足先に安斎は背を向けた。


「まあ、今のはほんの一案です。多分この事件はうやむやになっておしまいでしょうから、あなたが余計な心配をする必要はないんじゃないですか? あはは」


 後ろ手に両手を組み、今度は打って変わって冗談話でもするように、気軽な口調で言い置いて彼女は去った。

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