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「……あんた、何でそんな冷静なの……」

 喫茶店を出て少し歩いたところにある雑居ビルの中には、もう入居者やテナントのいない廃ビルも多くあった。

 その中の一つの建物にズカズカと入り込み、安斎に着いて埃まみれの階段を上る。

 五階――屋上に出た。砂埃と、どこからか飛んできたゴミが散らばる屋上を歩いて端まで進むと、柵の向こうにこじんまりとした街並みが一望できた。


「いい景色……」


 思わず呟く。

 安斎が隣に来て、己斐西とは真逆の方を向いて柵にもたれかかり、振り返るようにこちらを見て言った。


「この前、唯恋さんが何も見ずに帰った後……本当は彼、まだ生きていたんですよ」


 己斐西は何も言えなかった。


「きっとあの場で通報していれば助かったんじゃないかな。だけどあなたは行ってしまったし、わたしは通報しなかった。どうしようかな、って迷っていたら、彼、這いながらその辺に落ちていた紐で首をドアノブに吊ったんです。わたしのことなんてもう眼中にないようでした。……いえ、ケガもしていたし、ああいう状況だと視界狭窄で本当に見えていなかったのかも。まあとにかく、自殺、したんです。そりゃあパパ活に失敗して暴行を働こうとして……そもそも殺人鬼だったそうじゃないですか。ご家族もいらっしゃるなら、諸々がバレる前に世を儚むのも無理はないかもしれませんね」


 おぞましいはずの体験を淡々と告げた後に、安斎はこう結んだ。


「こういうのを過失致死、っていうらしいです。わたしはもちろん、あなたもこれに当てはまるでしょう。共犯ってやつです」


 共犯。

 初めて秘密を打ち明けあった日――ハーブティーを振舞われたあの日と同じ言葉を、全く同じ声色で安斎は語る。


「あなたが逃げた理由を考えて、ピンと来て彼のスーツのポケットからスマホを取り出してみたんです。それで匿名性のマッチングアプリを見つけて、彼があなたのお客さんだったことを知りました。せっかく唯恋さんがわたしを振り払って逃げたのだから、その覚悟を無駄にしては申し訳ないと思って、その場でスマホの中からSIMカードを取り出してへし折って、そのまま回収してきました。多分あなたと彼のやり取りが見つかる心配はないと思います。彼の端末のGPS信号もその場で切れているから、追跡は難しいでしょうね……」


 己斐西は言われたことを時間をかけて整理し、痛いほどに柵を握りしめて俯き、やっとの思いでため息とともに口を開いた。


「……あんた、何でそんな冷静なの……」

「我ながら取り乱すことが少ないんですよ。何が起きてもあまりびっくりしないっていうか。だから人が計画してくれたドッキリやサプライズにも上手く反応できないことが多くって……」


 震える手に、そっと冷たい手が重ねられた。


「別に、唯恋さんが気に病むことはありませんよ。結局あなたがあの場にいたことはわたししか知らないのだから、罪に問われるとしてもわたしだけです。わたしは他言するつもりがないから、あなたには何の疑いもかかりません」

「そういうことじゃなくて……」

「ああ、パパ活の方ですか? それも多分バレないんじゃないかな。スマホ自体がもう見つからないのだし、当然わたしは他言するつもりはないし」

「そうじゃなくって!」


 勢いよく振り返り、華奢なその両肩を掴んでまくし立てる。


「なんで……あんたどうしてここまでやったの? あのとき、あのまま通報して正当防衛を主張してりゃあんたは何も背負うことはなかった。だってあんたは、イカれた殺人鬼に襲われかけたから抵抗しただけじゃん。その流れでクラスメイトのバカ女の所業がバレることになっても、そんなの、あんたが一人で背負うものに比べりゃ全然軽いもので済んだのに……あのときあんたを見捨てたウチのことなんて、気にする必要なかったでしょ!」

「バカ女、だなんて言わないで。重たく感じるかもしれないけれど、わたしはせっかくできたお友だちを守りたかっただけなんです」


 自分の気持ちにも他人の気持ちにも疎いというこの子が、他でもない己斐西唯恋を特別扱いしてくれているという喜びと、その健気さで犯罪になり得る隠ぺい工作を行ったという事実。

 それらを同時に突きつけられ、罪悪感が膨れ上がった。

 真っ青な顔で瞬きも忘れる己斐西の顔を見て、わけがわからないと言いたげに小首をかしげ、安斎は横向きに首を手すりに預けた。


 頭だけ、宙に乗り出したかたちだ。


 そして目だけを動かして、流し目で街並みを見下ろし静かに告げる。


「良い眺めでしょ。よくここに来るんです。死ぬならこういうところがいいなって」


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