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「これはおれ、おれ俺の本能だよっ……」

 遠くで、ヒイ、と情けない声を上げて喜屋武が両手で目を覆いながら、指の隙間からちらちらとその暴力を見て青ざめている。

 一方の玖珠はガッツポーズではやし立てた。


「よっしゃ、やったれ石橋君! そいつが生きてりゃ全部正当防衛だッ!」

「ななな何を言ってるの玖珠さん、早く止めなきゃ、あんな野蛮な……」

「え何、野蛮? 喜屋武さん人のこと言えないよね?」


 喜屋武が論破されるやりとりも耳から遠い。

 石橋がこのとき感じていたのは、人を殴打する自分の拳に生じる痛みと、もう片方の手で掴んだ胸倉から感じる河合の体温の熱さと、それから――。


「おい…………冗談だろ……」


 そこで、振り上げた拳を思わず止めてしまった。

 見下ろした先で、ぼこぼこに腫れた顔で河合がこちらを見て、うつろな瞳を細めて笑っていた。

 その顔の下、さらにその腹の下。……股間の確かな屹立があった。こんなところは殴っていないから腫れるわけがない。


 それに――単なる腫れだけじゃない、河合の紅潮した頬。


 石橋は心から戦慄した。


「最悪に気持ち悪い…………」


 思わず顔を歪めて、胸倉をつかむ手を離してしまった。それがいけなかった。瞬間、どこにそんな力があったのか、河合が横たえていたはずの手を伸ばして石橋の二の腕を掴んだ。それも激しい力で。痛い。痛みを感じる。

 一度はアドバンテージを取ったにも関わらず、河合から与えられる痛みに石橋の頭がわずかに動揺した。

 これだけ殴ったはずなのに、やはり自分はこいつに触れられるとダメなのだ。おぞましい。息が詰まる。


「っ……は……な、なぁ磐眞……やっとわかった……俺がお前の弱さをあい、あいするのはな……」

「黙れ気色わる――」


 奴自身の血のついた石橋の拳を指でなぞり、その血を自分で舐めとって、河合はニヤニヤと語りだした。


「お前に見下されるとヤバイからだよ……人としてマズいんだ……なあわかるか、これはおれ、おれ俺の本能だよっ……人が強すぎる娯楽を本能的に避けようとするようにっ、人が道徳的な心で麻薬や快楽を常習化しまいと自分を理性で制するようにッ、俺はッ! お前に見下されまいとしていたんだッ!! 分かるんだ理性を持つ俺が知性と品性を持つ俺がお前を石橋磐眞をどんなにッ――」

「もうやめろよ河合君」


 本格的に震え出した石橋の肩をそっと後ろに引いて、喜屋武が言った。

 いつの間にか喜屋武が隣に来ていたことを、そして自分が息をできていなかったことを、石橋は今初めて自覚した。

 石橋とは少し違う怯え方をしながら、青ざめた顔で喜屋武が言う。


「あな、あなたは……いつか私を自分と同じだと言ったよね、河合君。確かにそう、なりかけていたと思う。あなたに言われるままにわがままを通そうとしたら、きっと私は今の河合君みたいになってたんだ……」

「ァんだよ邪魔すんなよブス……」

「だけど違うんだ、同じじゃいけない。私は玖珠さんを好きだけど、決して今の石橋君のようになってほしいと思わない。あなたは確かに私だ。だけど私のなりたくない私だ。ある意味で私はあなたに感謝しないといけないのかもしれない。これは反面教師だ。私は決して河合君のようにはならないし、なってはいけないんだ……」


 石橋か喜屋武か――どちらに向かって伸ばしたか分からない手を、くたっと廊下のリノリウムに投げ出し、河合は心底馬鹿にしたように鼻を鳴らして笑った。


「ああ――なれないだろうな、お前には。俺のように立派には」


 そう呟いて、血の混じった喜屋武の頬に唾を吐きかけた。


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