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「本当のことをお話ししましょうか」

 照明のない暗い美術室で、扉の向こうから河合の足音が響くのを聞く。

 後ろから抱きすくめられるように安斎に口をふさがれ、石橋と安斎は二人で身を寄せ合いながらその足音と声を聴いた。


「クソッ――クソッ磐眞ふざけんなッ――俺がどんなに苦労してお前に目をかけてやったと思ってやがるッ――!」


 甲高く裏返った声で絶叫する、怨嗟の怒号。

 だすだすと近づいてきた足音はすぐ近くで止まり、やがて、キュ、と何かの擦れる高い音が聞こえた。上靴を方向転換させて美術室へ向かってくるのか――と思わず戦慄したが、やがてそれが杞憂だったことを悟る。

 次いで水音が響いたからだ。水道だ。

 河合は蛇口を捻って水を出している。おそらく顔面の催涙スプレーを洗い流しているのだろう。


「ふう…………っふ……くふっ……ははは……」


 押し殺すような笑い声が次第に大きくなっていく。

 水を止めるための蛇口を捻る音が、今度は先ほどよりも大きく響いた。


「待ってろよ磐眞ァ……今お前を、最高に可愛く調理してやっからよォ……!」


 恐ろしい言葉を残して、河合の足音が去っていった。階段を下りて行くのが聞こえ、やがて何も聞こえなくなってから、石橋はふう、と鼻から息を吐いた。

 同じように息を吐いた安斎が、石橋の口から手を放して言いかける。


「恐ろしい人ですね、河合君。わたしびっくりしちゃい――」 


 離れようとしたその手を握って石橋は振り返る。


「さすがにもう“偶然”は効かないよ。都合が良すぎるんだよ、安斎さんは。倉庫の玖珠さんに駆けつけたときも、今も、ラブレターのタイミングも全部。一体何が目的で僕に近づくんだ?」


 いつか玖珠に安斎のことを話したときは、確かに河合の話題を遠ざけたい一心で彼女を怪しいと疑った。

 しかし今は違うし、当時の自分の発言があながち間違いだったとも思えない。

 この最悪のタイミングで現れて石橋の窮地を救った安斎には、得体のしれない目的のようなものを感じるのだ。


 石橋からの言葉に、驚きと言うにはぼんやりと静かすぎる目をただ丸くしたまま、安斎は穏やかに口角だけで笑った。


「そうですね。本当のことをお話ししましょうか。――だけど石橋君、あなたとお友だちになりたいというのは嘘じゃありません。他人に対してこんな風に思ったのは、本当に初めてなんです。これは真実」


 言って、安斎は石橋の腰に手を這わせた。女子から体に触れられているという、本来ありがたいはずのシチュエーションが、この時の石橋にはただひたすらにおぞましく感じるだけだった。

 自分の腰のベルトをなぞる細い指も、真っすぐ自分の目から外れない瞳も、まるで急所に凶器を突き付けられている気がしてならなかったからだ。

 するりと滑らかな動きで石橋のポケットのふくらみに気づき、安斎は満足げに目を細めて一本のペンを取り出した。護身用のタクティカルペンだ。

 彼女は迷わずにペン先のあるキャップ部分ではなく、ライフル弾のように尖った、持ち手側の先を石橋に突きつけて見せる。


「知ってますよ、これって車の窓も破れるっていう凶器でしょう? メーカーは、ああこれ――リボルバーなんかで有名なところ。ねえ石橋君。とても、いじめられっ子がいじめっ子にやり返すために持ち歩くにしては、殺意が高すぎますね?」

「……いじめっ子? 意味がよく、分からないけど……」

「ふふ、だめです、ごまかさないで。実はわたし、F市南中学の校区にギリギリ入らない場所に住んでいたから、F市東中学に通っていたんです。つまりあなたとご近所さんというやつだったんですね。だからあなたの旧姓も、あなたにまつわる凄惨な事件も、河合君と同じ場所にほくろを持つその首謀者の生徒も……全部、知ってるんです。まさか同じ高校に入学するとは思わなかったけれど」


 ――今朝、なぜ玖珠が簡単に河合の正体までたどり着いたのか。

 ――昨日、倉庫にいた玖珠と二人きりで、彼女を介抱する際に安斎がどんな会話をしたのか……。


「……玖珠さんにヒントを与えたのは君か」


 石橋は腑に落ちて、静かにそう問いかけた。

 安斎はにっこりと笑った。それは肯定の意味に違いない。


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