「さすがに二度目はないですよ」
三日後、湿気の多い夜だった。
白木るりあとして桜庭と出会ったときのように、安斎はウィッグをつけて黒いTシャツとショートパンツ姿で出かけた。
すでに見知ったアパートの前につき、電話をかける。呼び出し音の間に鼻をつまんでぎゅっと捻る。鼻の奥が少し痛くなった。
さほど時間がかからずに通話が繋がったので、用意しておいた鼻声で安斎は言った。
「……すみません、約束は明日なんだけど、なんかちょっとどーしてもっていうか、会いたくなっちゃって……」
電話の向こうで桜庭の慌てる声が聞こえる。
「え、大丈夫? 泣いてる?」
「泣いてないです……」
「いや明らか鼻声じゃねえの。今どこ? 会える場所にいる?」
「じ、実はあの……来ちゃった、ってやつを……やりたくて……」
「はあ!? まさか……」
上から激しい物音がした。玄関を飛び出してきた桜庭が階段を駆け下りてくる。
そっと街灯にあたらない死角に入り、走って来た桜庭の足にタイミングよく自分の足を突き出した。上手く引っかかってくれた桜庭が前方につんのめるので、背中をとん、と突き飛ばす。
桜庭が突き飛ばされたのは地面ではなく、あらかじめ駐車された軽トラックの荷台の上だった。
ビニールシートの敷かれた荷台の上で、倒れこんだ桜庭が身を起こそうとする前に、安斎は手際よく握っていた金属バットを振りかざす。荷台に乗り上げ、後頭部を強打され昏倒した桜庭の首筋に、念のために注射を一本打ち込んだ。
そのまま彼女が動かないのを確認し、荷台の上からビニールシートをかけゴムバンドで固定した。
ここへやって来た時のように、再び周りに誰もいないのを確認して、安斎は軽トラックの運転席に乗り込んだ。
ラジオ局を調整して、デスボイスの轟くヘヴィメタルをかけながら夜の道を走り抜ける。人通りのない道を選び、山道へ向かう頃には後続車もなかった。バックミラー越しに荷台の様子を確認し、一人穏やかに安斎は語りかける。
「もうすぐですよ。お利口に待っててくださいね」
結局山道では後続車も対向車も数えるほどしか遭遇しなかった。
山を割るように作られた道路を脇道にそれ、ほとんど道路か山かも分からないような道をさらに奥へと進み、そこで停車した。
時刻は十二時二十二分。
このあたりはほとんど人や車が通らないのを安斎は知っていた。
ウィッグを外し、自毛を簡単にポニーテールにまとめる。
運転席を降りて荷台に回り込み、そこにかけていたシートを取り払い、荷台に乗り込む。横たわる桜庭の傍に乗せてあったスクールバックを開いた。
中から注射器、ナイフ、縄、ペンチ……その他一式の道具を取り出して並べる。その数と種類を指差し確認した後、ペンチを手に取って安斎は桜庭に馬乗りになった。
「起きて、起きてください桜庭さん。さすがに二度目はないですよ」
頬を二回、優しくたたいて反応が見られなかったので、三回目の後に鼻と口をふさいだ。
しばらくして「ぶー」と無様な声を上げて桜庭が目を開けた。鼻からは手をずらしたが、口はふさいだままにして言い聞かせる。
「あまり騒いじゃいけませんよ、もう夜ですからね。今、体に力が入らないのはわたしがあなたにそういう注射をしたからなので、何もおかしなことではありません。あなたがここにいる理由は、わたしがあなたに会いたがったから。こんな山奥にいるのは、この時間のここには物好きな僚友会の人が気まぐれでしか訪れなくて、その気まぐれが今夜は起こらないからです。狩猟期間でもありませんしね。……もう分からないことはありませんよね、不安に思うことはなくなったでしょ? なら落ち着いて、黙って深呼吸をして」
そこまで言って手を離すと、桜庭は驚いて目を見開いていた。その瞳に宿るのは怯えだ。これを見ると、いつも緊張より興奮がわずかに勝るから、余計に注意して自制し、失敗を防がなければならない。最も気を遣う瞬間だ。