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「あなたは私の目標になり、憧れになり、希望になった」

 やはり第三者にいてもらった方が安全だったと玖珠は言いたいのだろう。しかし石橋にとってはこれ以上、河合と同じ空気を吸うことの方が危険だった。

 あの軽薄でテリトリー意識の薄いクソ野郎が一緒だと、どんどん冷静ではいられなくなる気がする。

 名残惜しそうに帰る河合と安斎の後ろ姿を見送り、玖珠が気まずそうにこちらを見上げる。


「石橋君、あのさ――」

「石橋ッ! ――……玖珠、さん……」


 玖珠の声に被せるようにして飛び込んできた喜屋武が、石橋の隣に玖珠の姿を見ていきなり声量を落とした。まるで怒られる前の子どものような顔をして、弓を握りとぼとぼと歩いて来た。

 何とも言えない沈黙の中で、一番に口を開いたのは玖珠だった。


「喜屋武さん、あたし結構怒ってるんだよ。あたしの話をまともに聞いてくれなかったことと、あたしの友人に暴力を振るったことに対してだ」

「話って言うなら、玖珠さんだって全然聞いてくれないじゃない!」


 いきなり喜屋武が泣きだした。

 え、と当惑する玖珠を置き去りに、喜屋武はその場に崩れ落ちてさめざめと涙を流しながら語った。


「私はッ、あなたが本当に好きなだけ。あのとき馬鹿な私を助けてくれたことはあくまできっかけ。それまでは私の方が、あなたをどこにでもいるその辺の地味な子だと思い込んでたんだから……。でもあれがきっかけで、あなたへの見方が変わった。玖珠さんはいつも興味ないフリしてたけど、周りのことよく見てて、先回りして人に気遣いできる人だって気づいて、あなたは私の目標になり、憧れになり、希望になった。私の人生の軸だった。綺麗なことも汚いことも全部照らし出してくれた。それなのにあなたは自分をあんな風に卑下して、こんな下衆野郎に騙されて誑かされて……。私の大好きな玖珠さんを玖珠さん自身の口で、否定なんて、してほしくなかった……」


 鼻をすすりながら悲しそう喜屋武はそう言った。先ほどまでの勢いはなく、ただの不安定な思春期女子の姿しかそこにはなかった。


 石橋は玖珠に耳打ちで訊ねる。


「ちょっと玖珠さん何言ったの?」

「ええ? いや、石橋君との話し合いの前に誤解を解いておこうと思ってさ。だましたままでいるのも気分悪いから、あなたが好きになった玖珠璃瑠葉は残念ながらイカレたスリル狂いで人のためになんて動いてない、極めて利己主義の陰湿な眼鏡だって白状したんだけど」

「それはひどいね。正直なのはいいことだけど人の夢をぶち壊す必要はないだろ」

「石橋君は誰の味方なの!?」


 うんざりとする玖珠をその場に置いて、石橋は猛獣に近寄るようにそっと喜屋武の傍によって膝を折った。


「だから、言い方ってもんがあるだろ。ね、喜屋武さん。玖珠さんたら酷いね?」

「石橋お前、何強気になってんだ……ふざけんな……」

「だってさすがに玖珠さんの前で人殺しだなんてはしたないところを見られたくないでしょ? なら僕ってば今すごく安全じゃん。そりゃ気も大きくなるよ。――ねえ喜屋武さん、話を聞いて。僕は一年の頃から君の倒錯的な趣味を知ってたけど、この通り誰にも他言しなかったし、こうなるまで喜屋武さんと話そうとすらしなかった。僕は最初から喜屋武さんの弱みに付け込む気なんてなかったんだよ」


 そう言って喜屋武に差し出したハンカチは、勢いよく叩き落とされた。


「じゃあ何で己斐西さんの弱みまで握ったんだ! 知ってるぞ、お前みたいな変態のクソ野郎はその辺にゴロゴロ転がってるって。この覗き魔め! 結局男なんてのはみんなそうだ! どんなに取り繕ったって、頭の中は下品で失礼で女性の服の内側のことしか考えてないサル以下の畜生ばっかりなんだ! この前だってこいつが、クラスの男子と私のことをダシに下品な話を――」

「喜屋武さん」


 静かな声で玖珠が呼ぶ。

 いつのまにか彼女の正面まで来ていた玖珠は、驚くほど落ち着き払った顔をしてそっと手を伸ばした。

 細い腕がネクタイの外れた喜屋武のシャツに伸び、次の瞬間――胸倉をつかんで引き寄せ、玖珠はその顔を容赦なく拳で殴った。


「っ……? ……ッ!?」


 何が起こったのか分からない、という顔をしていたのは喜屋武も石橋も同じだ。

 鼻血を滲ませる喜屋武を見下ろし、胸倉を掴んだまま馬乗りに玖珠が怒鳴った。


「勝手な妄想で人に迷惑かけてんじゃねえぞ喜屋武照沙ッ! あたしは正義と紙一重のスリルが好きなんだ。決して今のあんたのような、思い込みであたしやあたしの友人に暴力を振るう面倒なクソメンヘラ女は好きじゃない! ――あんたの言うこの前ってのは六月三日の昼休みのことだろ? 彼の前の席で弁当食ってた飯田と米倉が石橋君に、喜屋武照沙を彼女にしたいって話してたアレだ。あたしも聞いてたよ。だが石橋君は彼等の話題には乗っからなかったし、なんならあんたのことを性の対象から外そうとする発言もあった。ちゃんと聞いてたのか? それとも、ちゃんと聞いてて、尚! お前のボールペンのバネみてえに無能な耳穴が、歪んだ聴覚情報をバカ脳みそに送っちまったのかッ!?」


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