メシマズ嫁
コロナ禍で、人々の生活様式に一番大きな影響を与えたのはたぶん「ステイホーム」というやつだろう。
コロナ以前、外で過ごす時間がほとんどで、家には寝るために戻るだけ、なんていう生活が当たり前だった人はそれほど珍しくなかったはずだ。
それが、出社もしなくていい、業務管理はオンラインで、会議もリモートで、とにかく家にいろ、外出するな、なんて時代が突然始まったのである。
この三年あまり、カップ麺コンビニ飯だけで耐え忍んだという猛者もいるだろうが、まあ普通の人は、それなりに自炊やら家人の作る家庭料理で食いつなぐこととなったはずだ。
それがようやく終焉を迎える。
一つの試練が去ることを素直に喜びたい。
この試練は個々人に様々な新しい体験をもたらしたはずだ。
すなわちステイホームは家人との接触時間が劇的に増えたことも意味し、ポジティブに考えれば家族の絆が深まったというケースが増えたはず、ということがある一方、今まで気がつかなかった、あるいは知らなくて良かったことがあからさまになって、絆にキズが入ったというケースも少なからずあったはずである。
報道では、一部に家庭内暴力や児童虐待が増えているというニュースは紹介されていたが、私が密かに気にしていたホームステイと離婚の増加の間に因果関係の存在を裏付けるようなデータはまだ発見されていないようだ。
実はとある作品を書いた時、ふと気に掛かって「メシマズ嫁」というのをいろいろと調べたことがある。
なぜこんなものに興味が湧いたかというと、男女が共同生活する場合の、定番的なお約束が「食の共有」だと思ったからである。
なろうでの定番小説、異世界転生ファンタジーでも食事に登場する料理は異世界から来た主人公を現地で際立たせるためのなくてはならないアイテムと扱われていることからも、キャラの魅力を形作る一構成要素として、食はかかせないということはおわかり頂けるだろう。
余計な平等論とか性格差とかを無視すれば、料理の腕は女性の主要スペックと認識されているから、ヒーローの場合は、コンビニ飯とかが異世界で受けるとか、なんか異世界住人が雑な扱いをされた感じの演出となることもあるが、ヒロインともなれば、それなりに調理へのこだわりが詰まったウンチクが展開されるのがテンプレのようだ。
まあ、要するに女性の魅力の一要素として料理の腕はそれなりに公的存在なのである。
なんで、その期待を裏切っている「メシマズ嫁」という、間違い無くこの現実に存在している人達は、社会的通念に対する重大な裏切りを働いている者たちということになり、これを世の中がどう捌いているのかというのは小説のネタとして無視し得ない視点と思ったのである。
某巨大掲示板においては、この「メシマズ嫁」というのは、それなりに歴史と伝統のある著名なスレと認識されているようだ。
書き込みを見ていくと笑って済ませられそうなレベルから、それこそ命の危険が発生し離婚につながるものに至るまで、この世には多種多様なメシマズ嫁が生息していることがよく分かるスレである。
未婚の時、女性が男性を、男性が女性を、さまざまな尺度でランキングするのは、どこにでもある普遍的な現象だ。
ランキングの尺度となるものは多様だし、それこそ人の数だけ種類もあるのだろうが、情報化社会の欠点で、メディアに乗りやすい客観的指標が重視される傾向がある。
早い話が、三高なんていう、高収入、高学歴、高身長なんてものは、それこそ客観指標で分かりやすくはずれがない、どんなアホでも理解できる尺度となるわけで、頭の弱い女性がこれにこだわったとしてもそれは無理からぬことだろうと納得するのである。
一方女性に適用されるツラとグラマラスボディ、胸の大きさへのこだわりも似たようなものだ。
数値化もある程度ならできるし、画像データでもあれば説得力はもう無敵である。
要は男女ともに、こういうハードデータに弱いのである。
こういうハードデータでは読み切れないところに生息しているのがメシマズ嫁である。
初めてスマホを買う時はスペックやら料金やらを入念に比べて最初の機種を購入するものである。
しかし買い換えとなるとそんな面倒くさいことはしない。
前の機種の使用経験がモノを言う。
もはや単純にハードデータには踊らされないのである。
男女関係も同じだ。
初めての相手ではハードデータを重視するが、二番目以降は前の経験がものを言うからハードデータに左右されなくなるのである。
経験だけがその重要さを伝えられること、こういうデータのことをエクスペリエンスデータと呼んでおこう。
エクスペリエンスデータがランキング尺度に取り入れにくいのは、個人差がまず大きいということがある上に、そもそも自分自身がそれなりにその分野に詳しくないと評価自体もできないという問題があるからである。
要するに初心者ではそのデータとしての重要さを理解することは無理、ということなのだ。
しかし比較対照用データとして理解できなくても相手のエクスペリエンスデータそのものを理解することはできる。
従って現状のパートナーをハードデータではなく、エクスペリエンスデータ的項目で選んだと自分で確信できるのなら、その相手に裏切られる危険は少ないと言えるはずだ。
逆にあからさまに相手をハードデータで選んだのなら、目隠しをして地雷原を歩いている状態にも等しいわけである。
ステイホームによって同居時間が増えたことで危機が高まるとしたら、ハードデータで結びついたカップルなんだろうな、と私の仮説は物語っているわけだ。
エクスペリエンスデータとしか言いようのないSMプレイ好きでお互いに気に入って結婚しました、なんて夫婦はそりゃ絆は強いだろうし、逆にハードデータの代表格、外見と年収いくらで結びついたカップルは、いろいろと脆そうだというのは直感的にも理解しやすい。
問題はメシマズ嫁のポジションである。
料理の問題は実はハードデータとエクスペリエンスデータの双方にかかわっているからである。
つまり自他共に認める料理上手となると明らかにハードデータに入るが、「料理できない/調理知識技術が無い/味オンチ」スペックは明らかにエクスペリエンスデータに分類されるからだ。
これらは本質的に他人には知らされない情報になるからである。
こういう情報に接触可能な人間は、親密な関わりを持つことのできた人間だけなのだ。
その領域に余人の想像をはるかに超えるような爆弾が隠されているとすれば、共同生活の継続はかなり難しくなるはずである。
ただメシマズ嫁を問題とする場合、夫の立ち位置も結構重要だ。
現象としてはメシマズ嫁であるとしても、そこに至る過程では、親や本人同様、夫の立ち位置も少なからず影響を与えていると考えられるからだ。
極端な例を言えば、そもそも夫の舌がバカ舌ということもありえるし、さらに、
夫が料理に無関心というだけでもメシマズ嫁が育つ環境にはなる。
夫が家事参加し、夫の料理の腕が妻の腕を凌駕したら、ほとんどのケースで問題は消滅すると思うからだ。
活き締めした魚を三枚に下ろし、刺身で出せる新婦さんなんて絶滅危惧種だろうが、それができる新郎もまた絶滅危惧種だとしたら、ここでメシマズ嫁を非難するとすれば、無能同志が責任のなすりつけをやっているだけということになる。
なので真の問題は、おいしい料理が食べたいと思っているにも関わらず、自分でそれを解決しようとしないこと自体に責任があるとも思うのである。
もっとも現実のスレに上げられた事例を見ていくと、メシマズという料理の問題とは呼べないものがかなりある。
料理の基本的な部分、つまり何故食材を調理する必要があるのか、を理解していないケースが多いのである。
つまりそのまま食べたら危険だから、無毒化したり、消毒したり、消化できるものに変えるために調理するのであり、またそのままではまずくて食べられないから食べられるものにするために調理する、という根源的な理解が皆無という場合がかなりあるのだ。
今は義務教育の家庭科でいったい何を教えているのだろう。
もしかしてコンビニでカップ麺や弁当の買い方を教えて終わりにしているのだろうか。
こういう危険な家庭料理を生み出す夫婦の場合は、その男女それぞれが大人になるまでに関わってきた大人全員に責任があるんだろうな、きっと。
そりゃ少子化も進展するはずだよ。
こどもの命が危険である。