050 最終話
それからリリーは、ミラー家の従者に頼んでダニエルの看病をさせてもらった。丁度一年前のあの時のように、リリーはダニエルが横になっているベッドの傍で彼の様子を見ていた。
お医者様の話によると、血を流し過ぎてしまって貧血になり意識を失ったのだろうと言われた。応急処置が的確だったから、命に別状はないから安心しなさいと言うことだった。
リリーが救出されてから、丸一日が経っていた。ダニエルの屋敷では、どの使用人も主がいなくともきっちり仕事をこなしていた。
リリーたち三人のことも、ダニエルから指示されていたのか大切な客としてもてなしてくれている。この屋敷に来てまだたった一日だけだけれど、ダニエルがどんなにいい主人なのかがわかる。
屋敷のみなが、主人の無事を心から祈っているのだ。本当だったら、ケガの原因になった女性に看病をさせるのも気が進まないはずなのに……。
だけど、何も言わずにリリーの願いを聞いてくれた。
リリーたちを迎えに来たダニエルの従者は、クリフといいブルーノの息子だった。お互い自己紹介をすると、クリフにやっと会えましたと喜ばれる。
話ではずっとリリーのことは聞いていたのだそう。ダニエルが、口説き中の女性とはどんな人なのだろうと気になっていたと言われた。
リリーは、いつの間にかダニエルの周りの人たちからは二人のことは公認になっている事実を知り、恥ずかしいやら驚くやらなんとも言えない気分だった。
そんなクリフだったから、リリーがダニエルを看病することも許可をくれたのだと思う。リリーは、ダニエルの部屋でベッドの脇に腰かけて彼の顔をじっと見ていた。
この一年のことを、リリーは思い出していた。グレンに突然、アレンを取り上げられ自分が信じていたものが崩れ去った時、もう自分は誰も愛することはないと思ったはずだった。
それなのに意図せず、ダニエルに導かれて彼から感じたことのない温かな想いを受けた。リリーは初めてだった。何の見返りも求めない好意の気持ちを与えられるのを。
でもよく考えたら、それはリリーがグレンに与えていた想いだった。グレンと一緒にいた時、同じ思いをグレンからも受け取っていると思っていた。
でもそれはリリーの勘違いで、そうあって欲しいという自分の願いだったのかもしれない。
夢から覚めたリリーには、グレンの言う「愛してる」の言葉には恐怖しかなかった。そんな愛情しか、自分には向けてもらえないのだと知って辛かったし悔しかった。
でも、ダニエルは違った。リリーと同じ愛し方を、自分に向けてくれていたのだ。
あの地下室での一週間、ずっと考えていたのはダニエルのことだった。自分に自信がつくまでは、返事なんてできないと思っていたけれど……。
こうなって見て、その考えが自分の傲慢さなのではないかと思った。気持ちは決まっているのに、自分の都合で返事を待たせるなんていつから自分はそんなに偉くなったのだろう。
バーバラの言うように、ダニエルはリリーに対して本気の愛情を向けてくれていた。それなのに、グレンを重ねて同じ思いはしたくないとリリーは意固地になっていたのだ。
真摯で誠実な思いには、それと同じだけの気持ちを正面から返さなくてはと今では思う。それが最初からリリーが持っていた愛し方なのだ。
忘れてしまっていた自分の愛し方を、こんどは素直に伝えてもいいのだと色々な人に教えてもらった。
ダニエルが、目を覚ましたら恐れずに向き合おう。
陽が傾き始め、窓の外が段々と涼しくなり始めていた時だった。優しい風がスーッと室内に吹き、空気が変わったと肌で感じた。
すると、ゆっくりとダニエルの目が開いた。その瞳がリリーの顔を捉えると、ニコリといつもの爽やかな笑顔を溢す。
「目が覚めて、リリーがいるなんてまだ夢かな?」
ダニエルは、掠れた声で呟いた。
「ダニエル様、やっと目を覚ましたかと思ったら冗談ですか?」
リリーは、いつものダニエルだと愛しさが胸に込み上げる。
(この人は、いつも私を安心させようとする)
「あはは、ごめん」
笑った瞬間、ダニエルの顔が引きつる。きっと、脇腹の傷を刺激したのだ。
「大丈夫ですか?」
リリーは、ダニエルの顔を見て焦る。
「大丈夫。ちょっと傷が引きつっただけ。お水を貰っていいかな?」
ダニエルは、リリーを心配させまいと微笑む。リリーは、ベッド脇のテーブルにある水差しからコップに水を注いだ。
一度、ダニエルの上半身をベッドに起こす。イーストリー学園で、患者の動かし方も学んだのでリリーはごく当たり前に動く。
「ダニエル様、お水です。持てますか?」
リリーは、ダニエルの手にコップを渡してあげた。
「ありがとう。大丈夫だ」
ダニエルは、自分でしっかりとコップを持って水を飲む。ほぼ、二日間寝たままだったので、体が水分を欲していたのか一気に全部飲んでしまう。
「ダニエル様、お医者様を呼んで来ます」
リリーは、ダニエルからコップを受け取るとそう言って扉の方に歩き出そうとした。しかしダニエルに、リリーの腕を取って抱き寄せられた。
「君が無事で良かった」
ダニエルが、心底安心したように呟いた。リリーは、ダニエルの温かなぬくもりを感じて胸が一杯になる。
これがダニエルからのリリーへの愛情なんだって受け入れたら、尋常じゃないほど心臓がバクバク音を立てる。
どうして今まで、こんなダニエルを目の当たりにして平常心でいられたのか不思議でしょうがない。
でも、さっきリリーは決めたのだ。同じだけの気持ちを返すのだと。ゆっくりとリリーは、ダニエルの背に自分の腕を回した。そしてギュっと力を入れた。
「リリー?」
その行動に驚いたダニエルが、リリーの名を呼ぶ。
「ダニエル様、今までずっとありがとう。私、こんな風に愛してもらったことがなくて……わからなかったの。私……アレンのことはもう離せないし、一緒にいて何か利点があるわけでもない。問題だらけで、ダニエル様のご家族に許して貰えるかもわからないけれど……。でも、ダニエル様と一緒にいたい。そう言ってもいいでしょうか……」
リリーは、段々自信がなくなって最後は小さな声になってしまった。自分でも情けない。もっと堂々と言うべきだったのに……。
「それって……。もちろんだよ! アレンのことも家族のことも大丈夫だ! 誰にも何も文句は言わせない」
ダニエルは、抱きしめていた手を解いてリリーの顔を見た。目があったダニエルの表情は、喜びに満ちていた。
こんなに喜んでくれると思っていなかったリリーは、目をしばたたかせる。ダニエルの方がリリーよりも年上なのに、たまにアレンのような反応をする。
そんなところも、愛おしい。
「私、ダニエル様に恋してしまいました。だから私も全力です」
リリーは、もう一度ダニエルに抱き着き耳元で囁く。
「ダニエル様を、愛してます」
ダニエルの顔が真っ赤になり、驚きの余り自分の耳を塞いでいる。
「何だよ。リリーずるいぞ!」
ダニエルに、リリーは腕を取られる。そして、手のひらにチュッと口づけを一つ落とされた。リリーを上目遣いに見やる。色気を孕んだ瞳は、もう絶対に離さないと告げている。
「愛してるよ、リリー」
窓の外は、陽が落ちてきて地平線をほんのり赤く染めている。赤いグラディーションが青い空に溶け込んでいた。あと数分もすれば辺りは暗闇に包まれる。
今しか見られない景色と、今やっと通じ合った気持ち。どちらも特別な瞬間。時間は誰の間にも等しく巡っている。
リリーは確かに間違いを犯した。だけど、自分で気が付いてやり直したいと奮起したし、間違えたからこそ手にしたものだってあった。人生は長くて、道は平坦ばかりじゃない。
幸せになりたいと努力した人には、いつか許される時が巡ってくると信じたい。だって人生は長いのだから。
完
最後までお読み頂きありがとうございました。
これで完結となります。
最後まで完走できたのは、読んでくれた貴方がいたからです。本当にありがとう(*´˘`*)♡
作者の10作品目の作品です。いかがだったでしょうか?
面白かったと感じて頂けたら☆☆☆☆☆の評価をよろしくお願いします(*・ω・)*_ _)ペコリ
完結率100%です。他作品もよろしければどうぞ!