048 脱出 sideダニエル
「おいっ、何だお前は? もう仕事は終わったから、上に成功報酬を貰いに行け!」
グレンが、男に向かってぶっきらぼうに言った。男が、リリーとアレンを守るように立ち二人だけに聞こえる声で囁く。
「リリー、三人でここから逃げよう。合図を出すから階段まで走るんだ」
リリーは、アレンを守るように抱きしめて立っていた。突然、聞こえた声に衝撃を受ける。久しぶりに聞くダニエルの声だったのだ。
リリーは、咄嗟に声を出してしまいそうな衝動をグッと堪えた。アレンを見ると、分かっていたようでリリーと同じように驚いてはいなかった。
三人の心が一つになり、改めてグレンを見据える。グレンは、まだ何も気づいていないようだ。
「ほら、さっさと行け。聞こえないのか?」
グレンが、痺れを切らしイライラし始める。ダニエルは、グレンの方にゆっくりと歩みを進めた。わざとグレンとリリーたちの間に立って、二人を視界から外したのだ。
その隙に、リリーとアレンに指で合図を送る。
リリーは、アレンとアイコンタクトを取り鍵の開いた鉄柵を抜けて階段へと走った。
「リリー! なぜ逃げる! おいお前、二人を捕まえろ!」
グレンは、慌てふためきリリーとアレンを追いかけようとした。それを、ダニエルが彼の腕を取り止める。
「リリー先に行って。外に、うちの馬車がそろそろ迎えに来るはずだから」
ダニエルは、腕を振り払おうともがくグレンをよそにリリーに向かって叫ぶ。
「お前ら! グルなのか!」
ダニエルの正体に気づいたグレンが、怒り狂う。グレンが、ダニエルに捕まれていない腕を上着の胸ポケットに差し込む。
次の瞬間には、手にはナイフを握りしめ躊躇なくダニエルの脇腹に向かって刃を突き刺した。
「くっ! なぜ、ナイフなんか……」
ダニエルは、グレンがナイフなど持っていると思っていなかったので完全に油断していた。
「はっ、顔が綺麗だと色々あるんだよ」
グレンは、痛みに悶えるダニエルを尻目に階段へと走る。
「行かせる訳ないだろうが!」
ダニエルは、自分の脇腹からナイフを抜き床に投げるとグレンを追いかけて体ごとぶつかっていった。二人は、階段手前で床に転がりもみ合う。
「リリーは、僕のものだ! どけ!」
グレンが、ダニエルから必死に逃げようと負傷している部分を足で狙う。
「お前のような男が、リリーと一緒にいるなんて許せる訳がないだろう!」
ダニエルは、グレンの攻撃をかわして拳を振り上げる。
――――ガンッ!
グレンの頬にダニエルの拳がもろに入る。グレンは、床に蹲る。
「大事にしたくなかったのに……。お前が悪い。もうリリーのことは忘れろ!」
ダニエルは、痛みで動けなくなっているグレンを背に階段を駆け上がる。すると、玄関の扉の前で、リリーとアレンが心配そうにこちらを見ていた。
上の階にいたはずの従者は、ダニエルがあげた高級ワインで眠っているのか物音がしない。
耳を澄ますと、外から馬車がこちらに走って来ている音がした。ダニエルは、お腹の痛みを我慢して二人の元に走る。
「リリー、アレン、もう大丈夫だから。馬車が来たみたいだ。行こう」
ダニエルは、リリーとアレンを外に促す。丁度、馬車が屋敷の前で止まる。
「ダニエル様、早く乗って下さい。さっさと離れましょう」
御者台の上から、従者がダニエルに声をかけた。ダニエルは、リリーとアレンの後ろを歩き、馬車前まで来ると扉を開けて二人を先に乗せる。
ダニエルは、最後に屋敷を振り返る。
(もう絶対に、二度とここには来ない)
鋭い視線を屋敷から馬車に戻し、ダニエルも乗り込み扉を閉めた。それと同時に、馬車が動き出す。ダニエルは、二人の向かいに腰を降ろしフッと力を抜いて笑顔を溢した。
「良かった。二人が無事で」
リリーは、アレンをギュっと抱きしめたままで馬車の座席に座っていた。少し震えているようだったが、アレンを守る強い母の目をしていた。
「ダニエル様、本当にありがとうございました」
リリーは、ダニエルに頭を下げる。アレンも、母親の真似をして一緒に頭を下げていた。
「いや、助けるのが遅くなって悪かった」
ダニエルは、苦笑いを浮かべる。少しホッとしからか、脇腹の痛みが強くなる。じんわりと、脂汗が額に浮かぶ。
「いえ、遅いだなんてそんな……」
リリーが顔を上げて、ダニエルの顔を見て異変に気付く。
「ダニエル様? もしかして、どこかお怪我を……」
リリーは、言葉が言い終わらない内にダニエルの傷に気づく。座席から立ち上がり、ダニエルの足元に膝を付く。
「ダニエル様! 血が出てるじゃないですか! ちょっと失礼します」
リリーは、ダニエルの血で赤黒くなっているシャツをめくる。腹部の傷を見て顔が青ざめる。
「どうしてこんな……」
リリーは、涙目になりながらポケットから自分のハンカチを出す。
「ちょっと、油断しちゃって。でも大丈夫だから」
ダニエルは、リリーに心配させないように笑ったつもりだった。それなのにリリーは、ポロポロと瞳から涙を零している。手は、ハンカチを傷に当てて止血しようとしていた。
「アレンもハンカチ持ってる? 持ってるなら出して」
リリーは、後ろを振り返りアレンに声を掛ける。
「僕、持ってる」
そう言うと、アレンもポケットからハンカチを出してリリーに渡した。リリーは、自分のハンカチの上にそれを重ねる。
「ダニエル様、少し自分で抑えられますか?」
リリーは、顔を上げてダニエルと目を合わせた。その瞳は、さっきとは違い怒っているようだった。
「リリー、怒っているのかい?」
ダニエルは、リリーに言われたように傷をハンカチで抑える。するとリリーが、自分のスカートの裾をビリビリと破き始めた。
「ダニエル様に怒っている訳では無くて、自分にです。こんな風にケガをさせる原因をつくる自分が許せなくて……。本当にごめんなさい」
リリーは、目を赤くして唇を噛みしめていた。悔しそうな表情のまま、スカートで太くて長い切れ端を何本も作る。
そして、それをダニエルの腹部に巻き先ほどのハンカチの上から力一杯縛る。ダニエルは、縛る前に抑えていた手を抜いた。
昔のリリーとは違い、手当の手際がいい。
「本当は、ちゃんと傷を洗ってしっかりと横になった状態で縛った方がいいのですが……」
リリーは、申し訳なさそうな顔をする。
「いや、助かったよ。ありがとう」
ダニエルは、ニコリと笑顔を溢す。リリーは、立ち上がって座席に戻る。
「私のせいで、本当にごめんなさい」
リリーは、自分の手を握りしめ辛そうな顔でダニエルを見ていた。
「リリー、俺は約束をしただろう? 君が無くしたものを全部取り戻すって。君には、笑っていて欲しいんだ」
ダニエルは、どこまでも優しかった。
「ど……どうして、そんなに優しいんですか……」
リリーは、ダニエルの優しさに涙が溢れてくる。自分は、そんな風に言ってもらえるような人間じゃないのに……。
「リリーが好きなんだ。俺は、好きな人には笑顔でいて欲しい。できれば、ずっと俺の隣にいて幸せにしたい。こんな愛を、俺はリリーに知って欲しいんだ……」
ダニエルの意識が段々遠のいていく――――。少し無理をしすぎたかもな……。遠くでリリーが俺の名を呼ぶ声が聞こえた気がした。




