046 最悪な再会
リリーは暫くの間、呆然と床に座り込んでいた。
(グレン様が、ここまですると思わなかった……)
リリーは、ゆっくりと立ち上がって灯りを探す。部屋の中央に丸いテーブルがあり、その上にランプらしき物が置いてある。
テーブルまで近づくとマッチも一緒に置いてあるのがわかった。
リリーは、マッチを擦ってランプに火を灯した。すると、暗かった部屋に明かりが入ったので、部屋の中を見回した。
グレンの従者に言われたように、生活に必要な物は全て揃っているみたいだ。部屋の奥に、扉が二つある。きっとお風呂とトイレなのだろう。
リリーは、憔悴しきったままテーブルの椅子に腰かける。
一生懸命、何かを考えようとするが頭が全く働かない。従者は、グレンを呼びに行くと言っていた。待っていればグレンが来るのだろうか……。
リリーは、そこで初めてグレンの顔が頭に浮かぶ。その瞬間、忘れていた恐怖がじわじわと胸に広がる。
グレンとこの部屋で二人きりになって、平静を保てるのか自信がない。顔を思い浮かべただけで、こんなに怖さを感じるのだ。
アレンが心配でここまで来てしまったが……。自分は、グレンと顔を合わせて普通に話ができるのだろうか。
リリーは、自分を自分で抱きしめて震える気持ちを宥める。グレンに会っても、ここに居た時のように言いなりになる訳にはいかない。
怖くても自分の意見を言えなければ、この一年変わろうと頑張って来たことが無駄になる。
まずは、アレンとバーバラの所在を確認する。そして彼らが無事であると分かれば、グレンとも正面から話し合うしかない。
黙って勝手に逃げ出したリリーにも、少なからず非はある。まずはそれを謝って、それからこんなことは止めて欲しいと真剣に話をする。
リリーは、恐怖を感じながらも必死で考えた。
やがて、一人シーンとした地下室の部屋にいると、賑やかだったマーティン家を思い出した。この一年、とても楽しい時間を過ごしたのだと改めて感じる。
アレンやバーバラとの手紙のやり取りができるようになってからは、リリーの心の重しも少しだけ軽くなっていた。
全く無くなったとは言わないが、グレンといるようになってから感じていた後ろめたさが薄まっていた。
イーストリー学園に通うようになってからは、初めて人生の楽しさを知った気がしていた。
この一年を思い出すと、真っ先に思い浮かぶのはダニエルの溌剌とした笑顔。そしてどんな時も、リリーに寄り添ってくれたダニエルの温かさだった。
(こんなことになってしまって……。もうダニエル様には、会えないかもしれないな……)
リリーの心の中にいるのは、もうグレンではなくダニエルだった。それを認めるは、彼に甘えているだけな気がして目を逸らしていたけれど……。
今、会いたいと思えるのはダニエルしかいない。こんなにも、自分の中で大切な存在になっていたのだと自分でも驚く。
リリーは、何をする訳でもなくぼんやりと椅子に座ってその時を待っていた。
この屋敷に戻って来てから、どれくらい時間が経ったのだろうか……。この部屋には、時計が置かれていないので時間の感覚がわからない。
でも今、リリーはこの部屋の上で物音を聞いた。グレンが、戻って来たのかもしれないと緊張が走る。
やがて、階段を降りてくる音が聞こえる。リリーは、怖くて怖くて心臓がバクバク早鐘を打つ。何かに縋るように、自分のワンピースの裾を握りしめた。
リリーは、階段の方をずっと見ていた。すると階段を照らす灯りが、段々と降りて来るのがわかる。その灯りと共に人影が姿を現したと思ったら、グレンが階段の踊り場に姿を現した。
「リリー、やっと会えた。どんなに僕が探していたか君にはわからないだろう?」
鉄柵の向こう側で、グレンが喜びの顔の奥に、静かな怒りをたずさえているのがわかった。
昔のリリーは、このグレンの醸す空気が嫌で何でも言うことを聞いてしまっていた。だけど今は、恐怖こそ感じるがどこか他人事だ。
グレンを見ても、もう何も感じないのだ。一年前までは、愛しくてこの人を救えるのは自分だけだと驕っていたのに。今は、何を言われてもリリーの心に響かなかった。
「どうして何も言わないんだい? リリーが、僕に言わなければならないことがあるはずだよ?」
グレンの口調は、一見優しそうだが目が全く笑っていない。
「グレン様、勝手に出て行ってしまったことは謝ります。申し訳ありませんでした」
リリーは、謝罪するために頭を下げた。でも、すぐに頭を上げると言葉を続けた。
「アレンはどうしていますか?」
できるだけ毅然とした声で言った。
「どうしてアレンなんだい? リリー、君はいつも僕を気にかけて癒してくれていたじゃないか。いつものリリーでいてくれないと駄目だよ」
グレンの言葉は、リリーを縛る。グレンといた五年間は、いつもこれらの言葉に知らず知らずの内に嵌っていたのだ。
グレンの期待に応えようと、リリーは彼の言葉に従っていた。それが自分の幸せなのだと言い聞かせて。
「グレン様、もう私はここに居た頃の私ではありません。グレン様を癒してあげることはできません。どうか、もう私のことは忘れて下さい」
リリーは、座っていた椅子から立ち上がって最後に頭を下げてお願いした。
――――ガンッ
グレンが鉄柵を殴った為、大きな音がしてリリーはビクッと体を揺らした。
「わかった。アレンを連れて行ったのが許せなかったんだね。最初に、言ってくれないと困るよ。でも、リリーが我儘言うのも珍しいから、そのお願いを聞いてあげる。僕は、リリーを愛しているから特別だよ? アレンはリリーに返してあげるよ。その代わり、また元のリリーに戻ってね」
グレンは、全く見当違いなことを話す。グレンの「愛している」という言葉に、リリーは不快感を覚えて後ずさる。好意を伝える言葉のはずなのに、言う人でここまで違うのか……。
それに、そうじゃないんだと同時に憤りを覚えた。全く自分の話を聞こうとしないで、リリーをグレンの思い通りにしたいのだとわかる。
「グレン様、どうしてわかってくれないんですか! 私はもう、グレン様を愛することはでき」
「言うな!! それ以上、しゃべるな!」
グレンが、大声でリリーの言葉を遮る。今まで見たことが無い形相でリリーを見ていた。
「リリーは、僕の為だけに生きるんだよ。僕がこんなに愛しているんだから、わかるだろ? すぐに連れてくるから待っていなさい」
グレンは、言うだけ言うと踵を返して階段を上へと上って行く。振り返ることもせず、足音に怒りが滲み出ているのがわかるほどだった。




