032 買い物
結局、クリスタルとの買い物は次の日に行くことになった。流石に、今日の今日はいきなり過ぎるとダニエルが説得した。
そのためクリスタルは、一晩実家のマーティン邸に泊ることに。マーティン家の人々も、王太子妃が一晩泊まることになり大慌てをしていた。
基本的に、クリスタル付の護衛騎士の二名がずっと護衛に当たっている。本当ならお泊りなど許される筈がないのだが……。実家だということで無理を通したらしい。
リリーは、使用人の仕事に戻りその日はクリスタルとは顔を合わせることはなかった。
翌日、急遽リリーの仕事は一日お休みとなった。こんな特別待遇のような扱いを受けるのは気が進まなかったが、王太子妃であるクリスタルの要望なので跳ね除けることもできない。
他の使用人たちに悪いと思ったが、みな意外にも好意的に受け止めてくれていた。
カティなど、クリスタルのファンらしく大はしゃぎだ。お嫁に行ってからは、殆ど実家に帰って来ることがないらしく、クリスタルを目にするのも久しぶりなのだそう。
「リリー、クリスタル様が何を買ったのか、帰って来たら詳しく教えてね」
カティが、目を輝かせてリリーにそう言う。折角だから、いつもお世話になっているカティに何かお土産を買って来たいとリリーは思った。
そんな悠長なことを考えていられたのは、カティと顔を合わせた朝だけだった。朝食を済ませると、クリスタルの部屋にリリーは呼ばれる。
買い物に行く前に何か注意事項でもあるのかと思ったら、なんとクリスタルのお古のドレスを着させられた。
まだ結婚する前の、若い頃のドレスだからリリーが着ても大丈夫だと押し切られる。リリーは、何が大丈夫なのかさっぱりわからなかった。
クリスタルと、リリーでは何もかもが違う。リリーは、田舎暮らしが長く全くお洒落のセンスがない。容姿も華やかさとは無縁の、地味で素朴な女性だ。
そんな自分が、存在感に圧倒される煌びやかな令嬢のドレスが似合う訳ない。そもそも、自分は使用人としてここにいるのに……。
そんなリリーの不安をよそに、クリスタルは自分のドレスルームで楽しそうにドレスを探している。
「あのっ。クリスタル様、私にこのような貴族令嬢の格好は無理です。メイドのお付きとしてご一緒させて頂ければ充分です」
リリーは、勇気を出してクリスタルにそう言った。すると、彼女はドレスを選ぶ手を止めてリリーの方を向く。
「私、わかるわよ。リリー、あなた貴族の娘でしょ? どうして今は、使用人として働いているのか知らないけど。それはそれでいいじゃない。今日は、私の妹役ってことなんだから。私、こういうの憧れていたのー」
クリスタルは、昨日の迫力のある雰囲気とは違い今日は少女に戻ったようにウキウキしている。
(何て言うか……。凄く、自分の気持ちに正直で真っすぐな方だ……)
ころころ変わる、表情や雰囲気がとても人を惹きつける。
「あっ、これなんかいいかもしれない。ちょっといつもと違う、上品で可愛らしい感じのドレスが欲しくて買ったのよ。でも、私には似合わなかったやつ」
クリスタルが、一着のドレスをハンガーラックから取る。リリーに見せてくれたドレスは、とても落ち着いたピンク色でアクセントに紫が使われている。
大人の可愛さとリリーの優しい雰囲気によく合っていた。リリーは、そのドレスを見て素直に凄く可愛いと目を輝かせる。
「ねっ。可愛いでしょ? 気に入ったみたいだから着てみて」
クリスタルにそう言われて、完全にドレスに釘付けになっていたリリーはもう断ることなんてできなかった。昨日からずっとこんな感じで、リリーももう諦める。
せっかくクリスタル様がこう言ってくれているのだから、素直に喜ぼう。
「はい。では、着させて頂きます」
リリーは、開き直ってクリスタルからドレスを受け取る。着替えができる個室に入ると、マーティン家のメイドたちがリリーに着させてくれた。
こんな風に、誰かに着させてもらうのが久しぶり過ぎて不思議な気持ちだった。ドレスを着てみると、胸周りがぶかぶかなのと丈が長い。
リリーは、姿見の前に立って自分の姿をみて愕然とする。恥ずかし過ぎる……。
「どうー? 着られた?」
クリスタルが個室の外から、待ちきれずに声をかける。リリーは、もう無の境地でカーテンを開けた。
「あの……、ちょっとサイズが……」
リリーは、俯いたまま弱弱しい声で呟いた。
「ん-、胸は何か詰めればいいしー。丈は、仮縫いでいいから、大至急なんとかならない?」
クリスタルが、メイドたちに無理を言う。聞いていたリリーの方が、流石に無理でしょ……と青ざめる。
「かしこまりました。少しお待ち下さいませ」
メイドたちが、クリスタルに返事をする。
「あっ、ついでにリリーのメイクと髪のセットもお願いねー。ドレス自体はとっても似合っているから。可愛くしちゃって!」
クリスタルは、もはや言いたい放題だ。しかし、メイドたちは特に動揺することなく淡々と対応している。
リリーは、すぐに鏡台の前に座らされて髪とメイクを施される。それとは別に、複数人のメイド達によってドレスの裾が縫われていく。
なんだか、お姫様になったようでリリーは呆気に取られていた。
リリーが、呆けている間にすっかり準備が整う。最終チェックの為に、もう一度姿見の前に立ったリリーはとても驚いた。
自分のために作られたドレスなのかと思う程、リリーから見てもとても可愛く仕上がっていた。
「思っていたよりも可愛いじゃない。流石、私が鍛えたメイドたち。素敵」
クリスタルも手を叩いて喜んでいる。リリーも、自分の実家のメイドたちとは全然違うと感動していた。
「さあ、じゃあ行きましょう」
クリスタルは、リリーの腕に自分の腕を絡めて歩き出す。何だか、本当の姉と一緒に過ごしているようで懐かしさを覚える。
姉たちと一緒にいられた時間は短かったけれど、でもこんな風によく一緒にお出掛けしたものだ。
二人は、クリスタルが王宮から乗って来た馬車に乗って街にでかけた。王太子妃専用の馬車は、装飾から座る座席全てのものが一級品で、リリーはおっかなびっくり乗車する。
馬車が走り出して暫くすると、クリスタルが落ち着いたトーンで話し出した。
「ねーリリー。ダニエルのこと、本当にありがとうね。あの子、この一年間本当に馬鹿みたいに働いていて……。見ていられないほどだったのよ。私から言わせたら、ふった女が馬鹿なんだけど! 私が言うのも何だけど、ダニエルは良い男なのよ」
クリスタルは、扇子を握りしめて力説する。それは、リリーも良く知っていた。森で暮らした三週間、嫌だと思うところは特になかった。
いつも笑顔で感謝を口にしてくれて、あの屋敷を明るくしてくれていた。
「はい。それは、私も知っています」
リリーも、深く頷く。
「でしょ? リリーもそう思うでしょ? 元婚約者のやつ、ダニエルは優しいお兄ちゃんになっちゃって恋愛のドキドキがないって言ったらしいのよ。会うとドキドキして、四六時中考えてしまう男性がいるのだけどどうしたらいい? って相談されたのだって。それでダニエルのやつ、そいつに橋渡ししっちゃったんだと。馬鹿よねー」
クリスタルが、呆れたように呟く。リリーは、またしてもダニエルの聞いてはいけない話を聞いてしまい気まずい。
「ダニエル様って……良い人過ぎますね……」
ついついリリーの本音が漏れてしまう。
「でしょー。でも、ダニエルはちゃんと好きだったから傷ついちゃって、やり場のない怒りを仕事にぶつけていたのよ」
クリスタルは、やれやれと呆れているようだった。でも、姉としてとても心配していたのだろうと伺える。素敵な兄妹だ。
「でも、ダニエル様ならきっとすぐに新しい方がみつかりますよ」
リリーは、自信を持ってそう言い切る。家柄も容姿も性格も申し分ないのだ。きっと、縁談だってひっきりなしに来ているはずだ。
「リリーは? リリーはダニエルじゃダメなの?」
クリスタルは、直球で遠慮なしに聞いてくる。リリーは、考えてもいないことを尋ねられて面食らう。
「私ですか? そんなこと考えたこともないですよ。私では駄目です。それに私は、一人で自立した女性にならないと駄目なんです」
リリーは、自分に言い聞かせているみたいだった。言葉にして改めてそう思う。私は、自分の足で立って生活しなくちゃ駄目なのだ。
「ふーん。そう。またダニエルは、ふられるのかしら?」
クリスタルは、面白そうな顔でリリーを見る。リリーは動揺してしまう。何てことを言うのだと。
「そんなことないです。ダニエル様が私を好きだなんて……。ダニエル様に悪いですよ」
リリーは、そんなことあり得ないと思う。だってダニエルに会った時は、自分には子供がいたのだ。子持ちの訳ありな女なんて、恋愛感情を持てる訳がない。
リリーは、段々と気持ちが沈んでいく。アレンのことを思い出してしまったから……。
「わかったわ。色々あるんだものね。この話はおしまい。今日は、本当に私からのお礼だから楽しみましょう」
クリスタルは、ぱあっとバラが咲いたような笑顔を浮かべる。馬車の中の雰囲気を明るく染め上げる。この人は、本当に場の雰囲気を作るのがうまい。
持って生まれた才能なのだろうが、憧れずにはいられない。リリーは、この短い時間ですっかりクリスタルの虜になってしまった。




