023 マーティン家に到着
リリーは、門をくぐり使用人用の出入り口の呼び鈴を鳴らした。暫くすると扉が開き、年配の執事らしき男性が姿を現す。
「マーティン伯爵邸に何か御用ですか?」
男性は、リリーは見て訝しんでいる。何の約束もなく突然やってきたのだから、それも当たり前だ。
「あのっ。リリーと申します。突然お伺いして申し訳ありません。こちらで働いている、ダニエルさんを頼ってやって来ました。会わせて頂くことはできますか?」
リリーは、緊張に震えていた。こんなに大きなお屋敷で、見当違いだったらどうしようと不安になっていたのだ。
「……ダニエルですか……? どういったご関係でしょう?」
男性は、リリーをまじまじと見て一層不思議そうな顔をしている。リリーは、通行証を鞄から出して男性に見せた。
「これを、ダニエルさんから頂いたんです。何かあった時は、これを使ってマーティン伯爵の屋敷に来るようにと言われました」
リリーは、自信が無くなって段々声も小さくなっていく。正確には、言われたのはバーバラで本当にここの屋敷でいいのか自信がない。
男性は、リリーの手から通行証を受け取り目を通している。
「これは……。間違いなく、坊ちゃんが持っていったものですね……」
男性は、何やら考えているようでもう一度リリーを見る。しかし、何も思い当たることがないようで疑問は解決したように見えない。
「お嬢さん、申し訳ないがこの通行証を少し預かってもいいかな?」
男性は、通行証を折りたたむとリリーに訊ねた。
「は、っはい」
リリーは、疚しいことがある訳でもないので頷くしかない。
「では、確認してくるので少しここで待っていてもらえるかな?」
男性は、申し訳なさそうにそう言った。
「わかりました。宜しくお願いします」
リリーが、そう頭を下げると男性は通行証を持って屋敷の中に戻って行った。扉が閉まった後に、リリーの緊張の糸が緩む。
有無を言わさずに追い返されることも覚悟していたが、とりあえずは話を聞いてもらえた。良かったと息を吐く。
ダニエルさんは、この屋敷の何者なのだろうか? さっき男性は、坊ちゃんと言っていた。坊ちゃんと言うからには、このお屋敷の子供と言うことになる。
でも、リリーが知っているダニエルは貴族らしからぬ恰好で言葉遣いも貴族からかけ離れていた。一体どういうことなのか、リリーには意味がわからなかった。
遠くからバタバタと何やらこちらへ向かってくる音が聞こえる。先程の男性が戻って来たのだろうか? と頭を傾げていると、バタンと勢いよく扉が開いた。
「リリー!!」
勢いよく飛び出て来たのは、二本の杖を付いて歩くダニエルだった。
「ダニエルさん?!」
リリーは、ダニエルの姿を見て驚く。あの森で一緒にいた時のダニエルとかけ離れていたから。
髪は、癖っ毛でボサボサだったのに短く切ってしっかりとセットをしていた。服装も、半袖のシャツにズボンと言った軽装だったのにしっかりと貴族のスーツを纏っている。
(これが本当にダニエルさんなの?)
リリーは、あまりの変わりように一歩後ずさってしまう。
「坊ちゃま! まだ足が完治していないのに、走らないで下さい!」
さっきの男性が後ろから追付き、ダニエルを叱り飛ばしている。
「うるさい! リリーをこんな所に待たせるなんて! 応接室くらいに、なんで案内しないんだ!」
ダニエルは、男性にそう吐き捨てると改めてリリーを見て言った。
「リリーよく来たな。ん? アレンやバーバラはどうした?」
ダニエルが、リリーの周りをキョロキョロして二人の姿を探している。リリーは、肩を落として俯いてしまった。何て言ったらいいのかわからなかったのだ。
「私、一人だけです……」
リリーは、絞り出すようにそういった。その姿を見てダニエルは、何かを悟ったのかそれ以上は何も聞かなかった。
「わかった。とにかく、中に入って。疲れただろ?」
ダニエルは、リリーを屋敷の中に促す。だけどリリーは、ダニエルが貴族だと知り怖気づく。平民だと装っている自分が、どう接すればいいのか分からない。
「あの……、でも私……」
リリーが躊躇していると、ダニエルが温かな顔で微笑む。
「大丈夫だ。俺の命の恩人なんだ。誰も悪く言わせない。ブルーノ、リリーを応接室に案内してくれ」
ブルーノは、先ほどとは変わってリリーを大切な客として丁寧に扱う。リリーが握りしめていた鞄を、代わりに持ってくれて扉の中に促された。
屋敷の中に入ったリリーは、自分の場違いさにどんどん恐縮していく。使用人用の出入り口から入ったので、入った直後はそこまで違和感は感じなかった。
しかし、この屋敷の住居スベースに足を踏み入れた途端、驚く程の豪華さだったのだ。リリーは、自分の実家の屋敷しか知らない。王都に来てからも友人がいる訳でもなく、誰かの屋敷に遊びに行ったことがない。
夜会で、色々なお屋敷に行ったりはしたがダンスホールしか入っていなかった。伯爵家ともなると、住居スペースでもこんなに豪華なのだとびっくりする。
廊下は、お洒落なふかふかの絨毯が敷き詰められていてリリーの汚れた靴で歩いていていいのか不安になる。
壁には、とても細かい装飾が施されていて目を奪われた。二階に続く階段の前を通ったのだが、綺麗な曲線を描いた階段が右と左に配置されていた。階段部分には、真っ赤な絨毯が敷かれ惚れ惚れするほど綺麗だ。
ブルーノが案内してくれた応接室は、リリーが入るには躊躇してしまうほどだった。こんな、汚れたワンピ―ス一枚で化粧も何もしていない。
それなのに、自分がこんな部屋にいるなんておこがましく恥ずかしかった。
「さっ、リリー様、好きな場所に腰かけて下さい」
ブルーノは、いくつも置かれたソファーを指さした。リリーは、とてもじゃないがこんな格好であんなに高価そうなソファーに座ることなんてできない。
「わっ、私、ソファーを汚してしまいます」
リリーは、怖くて手を胸元で握りしめて立ち尽くす。
「リリー、何も気にしなくて大丈夫だから。あっ、でも女性は、先にお風呂とかに入って綺麗にした方が良かったか? 長旅で疲れているか? 気が利かなくてすまない」
ダニエルが、シュンと肩を落として落ち込んでいる。
「いえ。そんな……。大丈夫です。すみません。座らせて頂きます」
リリーは、お風呂と聞いてとんでもないとかぶりを振る。そんなことになったらもっと大変だと、大人しく座らせてもらった。
するといつの間にか、部屋から出ていたブルーノがお茶の準備をして持って来てくれた。リリーの前に、お茶とお菓子を置いてくれる。
ダニエルも、リリーの正面に座った。付いていた杖はブルーノが横に立てかけている。リリーは、色々なことにびっくりしてダニエルをよく見ていなかったのだが……。
ケガをした足は、白い包帯でぐるぐる巻きにされていた。ダニエルと別れてから、まだ一週間ほどしか経っていない。
無理に、森の家から出してしまって悪化したりしていないか心配になった。
「ダニエルさん、あっ、ダニエル様。私、とても失礼なことを……。申し訳ありませんでした」
リリーは、身分の高い貴族なのだと知って呼び方を変えた。今まで、なんて失礼なことをしてしまったのだろうと頭を抱える。
「いや、謝ることなんてないよ。リリーは何も知らなかったんだし。俺も、わざと貴族らしくなく振舞っていたから」
ダニエルは、全く問題ないとリリーに言って聞かせた。
「それに、無理に森の家から追い出すようなことをして……。足の方は、大丈夫ですか? 悪化したりしていませんか?」
リリーは、心配していた足のことを聞いた。
「ああ、大袈裟に包帯を巻いているけど大丈夫だよ。初期の措置が的確だったから、順調に治っているそうだ」
ダニエルは、自分の足を見た後にリリーに視線を戻し無邪気な顔で笑った。その笑顔を見たリリーは、森で一緒に暮らしたダニエルで間違いないと確信する。
本当にちょっと前の出来事のはずなのに、もう何年も前のことだったように感じる。リリーは、フッと肩の力を抜き笑顔を溢した。
「……リリー、それでどうしたんだ?」
ダニエルは、眉を寄せて聞きづらそうにして聞いた。




