019 リリー街に着く
馬車の轍伝いに歩くこと半日。やっと森の終わりが見え、王都の街に辿り着いた。流石のリリーも、そんなに歩いたことがないのでもう足がパンパンだった。どこかで休憩できないだろうかと様子を窺う。
森の入口と接している街は、王都の端っ子で平民たちが生活している区画だった。リリーの格好が浮くことも無く、寧ろ馴染んでいて安堵する。
しかし、誰かにベンチがある場所でも聞きたかったが、もう夕方で道行く人は忙しそうだ。リリーは、どうしたらいいのかオロオロしていた。
ここまで、勢いだけで出てきてしまったが、基本的にリリーは貴族のお嬢様なのだ。見知らぬ人に話しかけるのは勇気がいる。もし、危険な人に話しかけてしまったらという恐怖もあった。
やっと街まで歩いて来たのに、リリーは途方に暮れていた。
「おい、ねーちゃん、どーした? 困っているなら手を貸すぞ?」
後ろから声をかけられてリリーは、優しい人が声をかけてくれたと喜び勇んで振り返る。声をかけてくれた人を見て一瞬で喜びが沈む。
ガタイのいい男性が、にやにやしながらリリーに近づいてきた。見るからに危険な香りがする。流石のリリーもこれは危ないと察する。
「いえっ。大丈夫です」
リリーは、頭を下げてその男性から遠ざかろうとしたが腕を取られた。
「おいおい、親切で声をかけてやってんのに、その態度はないだろー」
男は、顔をリリーに近づけて脅してくる。リリーは、恐ろしくて手を振り払うが男性の力が強くて振り払えない。どうしたら――――。
「あんたまた、女の子に絡んでるのかい! いい加減にしな!」
二人の前に仁王立ちで立ち、険しい顔で男を叱り飛ばす女性が現れる。
「うるせーな。ばばあには、関係ないだろ!」
男も負けじと女性に言い返す。
「お嬢ちゃんが嫌がってるだろ。そんなんだから、女の子が寄り付かないんだよ!」
買い言葉に売り言葉で、女性は一歩も譲らない。
「おい、いい加減にしろよ!」
男性がいよいよ頭にきたようで、リリーの腕を離すと女性に殴りかかろうとする。
「騎士様、こっち」
誰かが、街の治安を守る騎士を呼んでくれた。
「ああ、ったくむかつくなー!」
男は、不味いと思ったのか悔しさを滲ませながらも走り去っていった。リリーは、恐怖から心臓がバクバク音を立てていた。男が去って心底ホッとする。
(良かった。本当に怖かった……)
リリーが、助けてくれた女性を見ると男が走り去って行った方向を見ていた。そして先ほど、騎士を呼んでくれた声のした方向を見た。
すると見知った人がいたのか、手を振ってお礼を言っている。向こうの人も、それに気づき手を振り返してそのまま行ってしまった。
「全く、困った男だよ」
女性は、一息つき溜息交じりに言葉を溢す。それを聞いたリリーは、勢いよく頭を下げた。
「助けて頂き、ありがとうございました」
女性は、リリーを見る。
「怖かっただろ? 何もなくて良かったよ」
リリーが顔を上げると、先ほどとはうって変わってニコリと優しそうな笑顔を向けてくれた。良い人そうで、リリーも安心する。
「手を離してくれなくて……。どうしたらいいのかわからなくて、本当に助かりました」
リリーは、お礼の言葉を重ねる。女性もそれを聞いて首を縦に振って頷いている。
「あんた、ここいらをずっとウロウロしてただろ? 大丈夫かなってちょっと気にしてたんだよ」
女性が、最初からリリーを気にかけていたことを聞いて恥ずかしくなる。そこまで目立っていた自覚はなかったのだが……。
一人で生きていくと決めたのに、最初からこれで自分の決断に段々と自信がなくなる。
「何か、困っているのかい? 私で良かったら話を聞くよ?」
何も言えずに固まっているリリーを見かねて、優しい言葉をかけてくれた。リリーは、これも何かの縁なのだと開き直って訊ねる。
「あの、貴金属を売れるところを探していて……。それと、今日泊まれる場所を……。あと……」
「待った、待った、待った。わかった、ちょっと私に付いて来な」
リリーが、聞きたいことを遠慮なく話し出したので女性は待ったをかけた。そして、リリーの腕をとって歩きだす。
リリーは、この人を信じるしかないと大人しく付いていった。
連れて行かれた場所は、平民たちが暮らす集合住宅の一室だった。どうやらこの女性の家らしく、中に入るとこざっぱりとした洒落っ気の無い部屋だった。
ダイニングに案内されて椅子に腰を降ろす。やっと座れたことで、リリーは脱力してしまう。もう、立ち上がって歩く元気がない……。
「はい。あんた、相当疲れているみたいだけど……」
女性が、透明のグラスにお茶を淹れて持って来てくれた。リリーは、一気にお茶を飲み干す。ずっと飲まず食わずで歩いて来たので、喉が渇いていたのだ。
「すみません……。何から話せばいいのか……」
リリーは、何をどう話せばいいのか戸惑ってしまう。最初は、質屋の場所を教えてもらえれば充分だったのだが……。何だが、自分のこれまでの話を聞いて欲しくなっていた。
こんな見ず知らずの人間を助けてくれて、怖そうな男性を追っ払ってしまう肝の据わった女性だ。
自分にもこんな強さがあればと尊敬の念が沸く。
「いいよ。聞いたげるよ。人生ってもんは、色々あるもんだよ」
言葉に詰まるリリーに何かを感じたのか、女性は豪快に笑う。今のリリーには、この笑顔に救われる。
「あの、名前を言っていませんでした……。リリーと言います」
リリーは、まず初めに名を名のる。貴族でいることは伏せた。話が大事になってしまったら、この女性にも迷惑をかける。
「リリーか、可愛い名前だね。私は、ジーナだよ」
ジーナは、そう言うと立ち上がってキッチンに向かった。リリーは話を始めようと思ったのだが……。
「長くなりそうだから、夕飯を作りながら聞くよ。リリーは、そこで座って話して」
ジーナは、テキパキと動き出す。野菜や鍋を出し料理を始める。呆気にとられるリリーだったが、深刻な雰囲気で話すよりはいいかもしれないとポツリと話し出した。
「実は、私……住んでいたところから逃げてきたんです……」
リリーがそう言葉にしても、ジーナは口を挟まずにひたすら手を動かしている。
「聞いているよ。続けて」
リリーが、口を閉ざしてしまったのでジーナが促してくれる。リリーは、体を椅子ごとジーナに向けて手を膝の上でぎゅっと握って言った。
「私……愛人だったんです――――」
自分のことを、そうやって言葉にするのは初めてだった。一度、言葉にしてしまうと堰を切ったように言葉が続く。
十六歳だったリリーが、田舎から出て来て初めて優しくしてくれた男性が目を奪われるような美男子だったこと。
誰からも相手にされなかったのに、そんな男性から声をかけられて舞い上がった。王子様みたいな男性に優しくされて、他は何も見えなくなってしまった。
そればかりか両親の反対も、大切な人の反対も聞かずに家を出て男性の元に行ってしまった。子供ができてからは、森にあるログハウスでずっと慎ましく暮らしていた。
今日、突然子供を取り上げられ、ずっと信じていた「愛している」という言葉が、突然薄っぺらいものになってしまう。
もう一緒にいることはできないと、身一つで住んでいたところから出てきたのだと全て話した。
リリーは、自分が愛人になってからの出来事を初めて人に話した。こんな風に誰かに話すことも、自分を振り返ることもしたことがなかったので複雑な気持ちだ。
ジーナが、できた料理を皿にのせて持ってきてくれた。
「ほら、できたよ」
キッチンから、次々に大皿が運ばれてくる。皿の上には、湯気の立つ美味しそうな料理が綺麗にもられている。
(ああ、美味しそう)
喋り切ったリリーは、なんとも言えない感情に支配されていた。最初から順序立てて話をすると、自分のことのはずなのに何だがどこにも幸せな要素がなかった。
グレンに愛されていると感じていた時は、自分は幸せなのだと心が満たされていたはずなのに……。
「さあ、食べな。お腹が空いていたら何もできないだろ」
ジーナは、取り皿をリリーの前に置いた。そして、自分の取り皿にどんどん料理をとっていく。やがて、パクパクと口にいれて美味しそうに食べ始めた。
リリーも、ジーナのその姿を見て同じように小皿に料理をとり食べ進める。
「話は、全部ちゃんと聞いていたよ。愛人か……。よくある話と言えばよくあるね」
ジーナは、何でもないことのようにサラッと言う。リリーは、びっくりして料理を喉に詰まらせる。
「っヴ……」
「ほら、水水」
ジーナが、リリーに水と飲ませる。リリーは、お水を飲んで何とか流し込む。
「よっ、よくあるんですか?!」
リリーは、目を見開いて驚く。
「愛人の話なんてよく聞くだろ? いつの時代も愛人がいなくなるって話はないよ」
ジーンは、あっけらかんとそう言った。そう言われてしまうと、確かにそうだと言うしかない……。
特に、貴族なんてものはその手の話が多い。リリーだって、純真無垢だったといえ愛人が何たるかは知っていた。
「ただ、誰しも自分が当事者になるなんて思わないだけだろ」
ジーンは、食べきって小皿が空になったのでまた追加で料理をよそっている。
「はい……。成り行きで、そうなってしまいました……」
リリーは、ジーンの言う通りだと顔を俯ける。
「王子様か……。格好良い男だったのかい?」
ジーンは、可笑しそうに訊ねる。リリーは、グレンの顔を思い出して大きく首を縦に振った。
「はい。それは、とんでもなく格好良かったです」
リリーは、真剣な顔で正直にそういった。それだけは、否定できない。
「あっはっはっは。そんな真剣な顔で。じゃー仕方ないんじゃないかい?」
ジーンが、笑いながらそう言った。




