018 お別れの時
リリーは、最後の昼食をアレンと楽しく食べることができた。自分の作った料理を、美味しそうに食べてくれるアレンの姿を目に焼き付ける。
もうきっと、こんな姿を見ることは叶わない。親の都合で、こんなにも突然別れなければならないことが本当に申し訳ない。
きっと寂しい思いをさせてしまう。何もしてあげることができない自分に怒りが沸く。
本当だったら、アレンとバーバラと三人で逃げてしまいたい。だけど、そんなことをしたらアレンをきちんと育ててあげられない。
貴族としてきちんと育ててもらう為には、悔しいけれどグレンに託すしかない。それに、なんの保障もない自分ではアレンを育てる資格もない。
こんなことになるまで、自分の立場がとても危ういものだと気が付かなかった……。
やがて、三人との別れの時間がやってきた。リリーは、一人屋敷の前に立っている。今日は、空は晴れ渡り視界に映る色がどこまでいっても青だった。
照りつける太陽の日差しが熱く、立っているだけでジワリと汗をかく陽気。だけど、夏の終わりもすぐ側まで来ている。まるでそれは、リリーとアレンの終わりと重なるみたいだった。
グレン、アレン、バーバラは、馬車を背にリリーの向かいに立った。アレンは、父親としっかり手を繋いでいる。
まだきっと、この別れがどういうものなのかわかっていないのだろう。アレンが、泣きもせずに笑ってくれているのが救いだった。
「では、リリー行って来るよ。アレンが、ピーターソン家の屋敷に慣れたら戻ってくるから」
グレンは、リリーの手を握ってチュッとキスを落とす。リリーは、もうぎこちない笑顔を浮かべることしかできない。
アレンを見ると、リリーからの言葉を待っているみたいだ。
「アレン、バーバラとお父様の言うことをよく聞いて。沢山ご飯を食べて、沢山眠って、元気に過ごすのよ」
リリーは、アレンに精一杯の笑顔でそう言った。アレンも、ニコリと笑顔を見せる。
「うん。僕、良い子にするよ。だから早く会いに来てね」
リリーは、しゃがんでアレンを強く抱きしめる。元気で幸せに暮らしていくことを祈る。それしか、リリーにはしてあげられない。涙が零れそうだが、ぎゅっと目を瞑りやり過ごす。
「アレン、大好きよ」
アレンも、リリーに抱き着き顔をリリーの胸に摺り寄せる。
「僕もお母様が大好き」
リリーは、離れたくなかったがゆっくりとアレンを離す。顔を上げて、バーバラを見た。バーバラは、涙をハンカチで拭ってやるせない顔で二人を見ていた。
「バーバラ、アレンのことよろしくね。色々、本当にありがとう」
リリーは、バーバラに頭を下げた。バーバラがいるから、アレンをグレンに託すことができる。感謝してもしきれない。
「お嬢様、頭を上げて下さい。私は、私の仕事をするだけです。アレン様のことは、任せてくれて大丈夫です」
バーバラが、リリーに力強くそう言った。二人は、目と目を合わせて頷き合う。リリーには、それが「お嬢様もしっかり生きて下さい」と言われているように感じた。
「じゃあ、そろそろ行くよ」
グレンが、馬車に乗り込む。アレンをグレンが抱っこして馬車に乗せた。その後ろから、最後にバーバラが乗り込んだ。
リリーが見える窓際にアレンが座ったのか、ずっと手を振ってくれている。
リリーも、アレンに手を振ってニコリと笑ってみせる。次に会うのがいつになるかわからない。母親の笑顔を覚えておいて欲しかった。
グレンが合図を送ったのか、従者が手綱を打った。ガタンッと馬車が動きだす。馬車が、リリーの目の前をゆっくりと通って森の中に消えていく。
アレンは、リリーが見えなくなるまでずっと手を振っていた。リリーも同じように、ずっと手を振った。
馬車が、いよいよリリーの前から見えなくなる――。
馬車に向かって振っていた手をゆっくりと降ろす。リリーはしばらくの間、見えなくなった馬車の方角を見ていた。
気が付くとリリーの瞳から、ポタリポタリと雫が落ちた。やがて、とめどなく涙が流れる。リリーは、拭うこともせず呆然と立ち尽くす。
リリーの胸には、後悔の渦が吹き荒れていた。グレンと過ごした五年間は、一体何だったのか。昨日までは、幸せだったはずなのだ。
だけど、子供までリリーから奪い取ってしまうグレンを許すことなんてできなかった。グレンに出会った頃のリリーは、子供だった。何も考えていない浅はかな子供だった。
誰にも相手にされないからと、優しい言葉を囁く男性に舞い上がってしまうなんて馬鹿だったのだ。
田舎貴族の令嬢らしく、自分に合った男性を探すべきだった。両親の言う通り、バーバラの言う通り、引き返していればこんなことにはならなかった。
自分の無知が招いたこと。自業自得過ぎて、怒りの感情も、後悔も、悲しさも、悔しさも、全部受け入れるしかない。
流れ落ちる涙が止まらない。リリーは、空を仰ぎ見た。どこまでいっても青い空。悲しくて悲しくて、声を出して泣いた――――。
屋敷の中に戻ったリリーは、バーバラがこっそりまとめてくれた荷物を手に持つ。自分の部屋に入り宝石箱を手にした。
ここにある金目の物は、グレンからもらったアクセサリー位しかない。服装も、ここでドレスなんて着る訳にもいかないから価値のあるようなものはない。
だからって、アクセサリーもそれほど多い訳でもなかった。
今思えば、グレンはリリーに必要最低限の物しか与えていない。年に一度のリリーの誕生日の日にだけ、少し高価なアクセサリ―をくれた。
子爵家のリリーにしてみたら、充分高価な品だったが金銭的に余裕のあるグレンが選ぶには些か安物のように思う。
でも、もうそんなことも今更だ。ここを出て行くリリーには、お金がいる。まして国を出ていくつもりなのだ。売れそうな物は、全部持っていくつもりだった。
唯一、母親から貰ったアメシストのネックレスだけは自分の物として持って行こう。
以前住んでいたグレンの隠れ家から、何も持って来られなかったので純粋なリリーの私物はこれくらいしかないのだ。
宝石箱を、鞄の奥にしまう。つばの広い白い帽子を被り、鞄を手に持って部屋を出た。今から出れば、グレンたちが乗って行った馬車の轍が残っているはず。それをたどれば王都の街に出られる。
街にさえ出てしまえば、後は人に聞くなりしてこの国を出て行く方法もわかるだろう。
バーバラからもらった、マーティン伯爵の紋章が入った通行証もしっかりと鞄に入れた。階段を下りて屋敷の玄関を出る。少し歩いた後に、屋敷を振り返ってみた。
ここには、アレンとバーバラと過ごした四年間がある。慎ましやかだったけれど、たった三人だけの生活だったけれど、それでも楽しい四年間だった。
それだけは本物でリリーの宝物。その記憶だけは胸に残して、後は全てここに置いていく。
「私の全てだったグレン様……。夢の時間は終わったようです。さようなら」
リリーは、真っすぐ前を見て歩き出す。これからは、アレンにまた会うことだけを心の支えに生きていく――。
ここで一区切りとなります。
長いシリアス展開だったにも関わらず、ずっと追いかけて頂き、只々感謝です。
明日からは、外の世界を生きていくリリーを描いて行きます。引き続き、よろしくお願いします。




