014 グレンの帰宅
本日、長いです……。
ダニエルにグレンが帰ってくると伝えてから三日後の朝、彼はリリーたちが住む屋敷を出て行った。ダニエルは、森で彼の背丈に丁度良い枝を見つけて杖を作った。
その杖を付きながら、ゆっくりと歩いてこの森を出て行った。とりあえず、一旦ヴォリック国の王都にある自分の家に戻ると言っていた。
ダニエルがケガをしてから約三週間が経っていて、腕の傷は瘡蓋が残るだけ。足の方も添え木の固定を外さなければ痛みもなく、歩けるほどに回復していた。
それでも、普通に歩けるほどには遠くまだゆっくりとしか歩けない。本当なら、王都の街まで馬か馬車を手配してあげるべきなのだろう……。
リリーにはそれをしてあげることができずに、申し訳ない気持ちで一杯だった。
ダニエルは、ここまで良くして貰っただけで充分だと笑っていた。リリーに迷惑をかける訳にはいかないから、気にするのは辞めてくれとも言われる。
だけどリリーは、けが人を無理やり屋敷から追い出してしまうようで心が痛んだ。どうして自分の思った通りにできないのだと、この屋敷に来てから初めて感じたもどかしさだった。
それにダニエルから、王都の自分の家に着いたら是非お礼をさせて欲しいと言われたが丁重にお断りをした。グレンに知られる訳にいかないから……。
本当は、これで縁が切れてしまうのは少し寂しい。だって、ここ数年で久しぶりにグレン以外の人間と話ができて楽しかったのだ。
ダニエルのことが好きになったとかではなくて、純粋に人とのコミュニケーションが楽しかった。本来のリリーは、フローレス家の領地で身分に関係なく、色んな人と話をするのが好きだった。そのことを久しぶりに思い出して、昔が懐かしくなってしまった。
だけど、グレンに知られてしまうのが怖い。グレンと出会って、一緒に生活するようになってリリーの中心は彼だった。
グレンがどう思うのか、何が嬉しいのか、どうしたら癒してあげられるのか、今頃は何をしているのか、そんなことばかり考えていた。
だけど、ダニエルという全くの他人がリリーの生活に入ってきたことによって、この三週間だけは久しぶりにグレンのことを忘れていた。
グレンに会う前のリリーを、少しだけ取り戻したようなそんな感覚だった。
ダニエルが出て行った朝、アレンはとても寂しそうな顔をしていた。そんなアレンに、リリーは言わなければいけないことがあった。
「アレン、お母様とお約束をして欲しいの」
リリーは、アレンの目の高さまでしゃがみ彼の瞳をじっと覗き込んだ。
「お約束ってなーに?」
アレンは、不思議そうな顔をしている。
「あのね……。ダニエルお兄ちゃんのことは、お父様には秘密にして欲しいの」
リリーは、真剣な瞳で語り掛ける。こんな幼い子供がどこまで理解できるがわからないが、冗談でも何でもなく真剣なんだとアピールする。
「どうして? 僕、お父様が帰ってきたら一番にお話ししたかったのに」
アレンは、不服そうな顔でむくれている。
「お父様は、アレンのことが大好きだから他の男の人の話を聞いたら嫉妬してしまうかもしれないでしょ? アレンだって、お父様が他の子供の話を楽しそうにされたら嫌だと思うの」
リリーは、四歳の子がこんなこと言われて納得するとは思えなかった。だけど、他の言い方が思いつかない。アレンを見ると何やら考えている。
「僕、わかった。お約束する」
アレンが、リリーの目を見て力強くそう言ってくれた。本当にわかったのか怪しいけれど、アレンを信じるしかない。
「ありがとう。じゃあ、ダニエルお兄ちゃんのことはお母様とバーバラとアレンの三人だけの秘密よ」
リリーは、アレンに言い聞かせる。アレンは、コクコク首を縦に振っていた。そして、リリーも楽しかった三週間の生活に蓋をする。また、グレンが中心の生活に戻るのだ。
リリーは、バーバラと二人で念入りに掃除をしてダニエルがいた形跡を消した。
そして、ダニエルが去った二日後にグレンがリリーたちの元に帰って来た――。
「リリー、アレン、会いたかったよ。ただいま」
グレンは、輝くような笑顔でそう言いリリーとアレンを順番に抱きしめた。久しぶりの、グレンのぬくもりにリリーも喜びを感じる。
グレンに会えて、嬉しいという気持ちが沸き上がる。アレンも、余程嬉しいのかずっとグレンから離れない。
「おかえりなさい。少し、痩せたかしら? 体調が悪い訳ではないの?」
リリーは、グレンの顔を改めて見てびっくりした。明らかに一カ月前よりも頬がこけている。そして、いつもよりもだいぶん疲れ切った顔をしていた。
「ああ……。今年は、色々あってね……。実は、今日はすぐに戻らなければいけないんだ……」
グレンの輝くような笑顔が一転、暗く落ち込んでしまった。リリーは、一体どうしたのだろうと不安になる。
夏の一カ月間が終わって帰ってくると、疲れてはいるがこんなに憔悴したような顔は初めてだった。とにかく、グレンをリビングに通してソファーに座って貰った。すると、バーバラがキッチンから出て来てお茶を持って来た。
「グレン様、おかえりなさいませ」
バーバラは、いつもの通り挨拶をする。
「ああ、ただいま。今回も長い間、三人きりにさせて申し訳なかったね。変わりはなかったかな?」
グレンが、いつものように聞く。
「……はい。何も変わらずに三人で楽しく暮らしておりました」
バーバラも、いつもと同じように答える。その返答に、グレンは安心したようだった。そして、グレンはいつもと違う言葉を落とす。
「良かった。バーバラ、リリーと大切な話があるんだ。ちょっとアレンと二人で二階に行って待っていてもらえないかな?」
お願いというよりは、命令と言った方が正しいような硬い表情だった。いつもと違う展開に、リリーもバーバラも嫌な予感が込み上げる。
でも、それを表現する訳にはいかない。バーバラは、黙ってアレンの手を引いて二階へと姿を消した。それを確認したグレンは、リリーを自分が座るソファーの隣に座らせた。
暫く、部屋の中に沈黙が流れた。その異様な空気にリリーは、とてつもない怖さを感じていた。
「リリー。落ち着いて聞いて欲しい。ライラが、子供が欲しいと言うんだ……」
グレンの口から、全く予想だにしない言葉が零れた。リリーの頭の中は疑問符で一杯だ。
(ライラ様が子供が欲しいことを、なぜ自分に話をするのだろう……)
リリーは、何も言葉にできなかった。その先の話を聞いてしまったら、自分は正気でいられない気がした。
「……。ライラは、アレンの存在を知っていた……」
リリーは、驚きと衝撃を持ってグレンの顔を見た。グレンは、打ちのめされたような情けない顔で俯いていた。リリーの顔を見ていない。きっと、見られないが正しいのだろう。
「それは……どういう……」
リリーは、やっとのことで言葉にした。グレンの言っている意味がわからなかった。部屋の中は、重苦しい雰囲気が漂っている。ほんの数分前までは、笑顔に溢れて楽しい時間を過ごしていたと言うのに。
「ライラの年齢を考えると、もう子供は難しい。僕は、これでやっと諦めてくれると思っていたんだ。だけど、ライラはどうやって知ったのかリリーとアレンの存在を知っていた。アレンを、屋敷に連れて来たらリリーのことは目を瞑ってやると言われたんだ――」
グレンは、リリーの顔を見ることなくそう言った。膝の上で手を握りしめ辛そうに表情を歪めている。リリーは、何を言われているのかわからなかった。恐らく、心が拒否をしていたのだと思う。
「言っている意味がわかりません」
リリーは、感情の削げ落ちた顔で小さな声で呟いた。リリーの手を、グレンがぎゅっと握りしめる。
「リリー。僕だって辛い。だけど、僕はリリーを失う訳にはいかないんだ。君は、僕の唯一なんだ。リリーを愛しているから、わかって欲しい……」
グレンは、鬼気迫った必死の表情でリリーに懇願する。リリーの頭の中では、「リリーを愛している」という言葉だけがリフレインする。
愛している。愛している。愛している――。
リリーの心を覆っていたぬくもりが、パラパラと剥がれ落ちてくる。リリーは、腰かけていたソファーから音もなくスッと立ち上がった。
「アレンは、私の全てなのに! アレンまで、私から奪っていくの?!」
リリーは、初めてグレンに意見した。大きな声を出したのも初めてだった。グレンは、リリーの声に驚いた顔をする。だが、すぐに険しい表情に変わる。
「僕たちが一緒にいるためには、仕方がないことなんだ! 子供ならまた作ればいいじゃないか! リリーはまだ若いから大丈夫だよ」
グレンが、とても良いことを思いついたように言う。口が弧を描き、目が狂気をはらんでいるようだった。リリーには、稲妻に打たれたような衝撃だった。また作ればいいと言った……。
リリーにとって、そんなに簡単に済ませられることじゃない。それに、アレンの替えなんていないのだ。
「グレン様……。突然のこと過ぎて、少しだけ時間を下さい。今日、この後すぐにアレンを連れて戻るということですか?」
リリーは、もう駄目なのだと悟る。表情のない顔で訊ねた。グレンは、首を垂れたまま口にした。
「すまない……」
それを聞いたリリーは、二階へと思考を向けた。
「三人で話をしてきます」
それだけ言い残して、リリーはアレンとバーバラの待つ二階に上がった。




