012 ダニエルの心情(前編)sideダニエル
ケガした自分を、リリーに見つけて貰えたのは本当に幸運だったと思う。ケガした原因は、ダニエルの驕りが招いた結果だった。
寝不足気味だったダニエルが、馬の操縦を誤り振り落とされ足と腕にケガを負った。この時のダニエルは、これくらい自分なら余裕だろうと完全に驕りがあった。
仕事中心の生活を送ってきたダニエルは、自分を顧みることなく投げやりな生活を送っていた。馬から投げ出された瞬間、これは助からないかもしれないと落ちていく頭で考えた。
それくらい、受け身を取る余裕もなく地面に叩きつけられてしまったのだ。落ちた場所は、大きな石が転がっているような足場の悪い場所で腕と足に激痛が走る。
何とか意識はあったものの、ケガした足の負傷が大きく上手く呼吸ができない。
(俺は、こんなところで死ぬのか……)
何も成し遂げることもできない自分が情けない。こんな時に会いたいと思える人の顔も浮かばず、自分は今まで何をやってきたのだろうと悲しくなった。
暫く動くこともできずに倒れたままでいたが、意識は保ったままだった。どうやら、死ぬほどのケガではないらしくホッとする。
何とか体を起こし仰向けになって地面に横になる。地面から見上げた空は、面白いくらいに良く晴れた青だった。
夏の空は、色が濃くて高く感じる。ぼんやりと何も考えることもなく、ただ綺麗な空に見惚れていた。空をこんなに長いこと見上げているのは、いつ振りだろうか?
自然を感じる時間が、今まであっただろうか? そんなことが頭を過ぎる。暫くそうやっていると、段々と日が暮れてきた。
流石に、このまま地面に横になっている訳にもいかないとゆっくりと上体を起こし、何とか自分の足で立つ。
右足を少しでも動かすと激痛が走るので、恐らく折れているだろうとあたりを付ける。周りをキョロキョロと見回して、どこか一夜を明かせるところはないだろうかと探す。
すると、一際大きな木が見える。何となく、あの木の下ならば落ち着けるような気がしてゆっくりと片足を動かした。
木の下まで来ると、樫の木だとわかった。大きな樫の木は、葉を遠くまで茂らせて心地の良い日陰を作っていた。その木の根元に腰を降ろす。
足の痛みを逃す為に、ふーっと大きく息を吐いた。これからどうしたものか? ここは街から離れた森の中だ。人が住んでいるとは考え難い。
この足で、街まで歩けるだろうかと考えるが現実的ではなかった。このまま屋敷に帰らなければ、自分の部下が探しにくるだろうがそれはきっとまだ先の話だ。
早く自国に帰りたかったダニエルは、ヴォリック国での仕事を予定よりも早く済ませていた。早く帰ることも特に連絡していない。それが仇になるなんて考えにも及ばなかった。
色々考えてみるが、全くなんの案も浮かばない。段々と辺りは暗くなって、陽が沈んでしまった。運の悪いことに、段々と寒くなってきたと思ったらポツポツと雨が降り出した。
ダニエルは、真っ暗になった空を見上げ苦笑を漏らす。ついてない時は、とことんついてないものだ……。
雨脚は段々と強くなり、木の葉では凌げない程になっていく。地面には、雨の雫が黒いしみとなって広がっていく。やがて自分自身もびしょびしょになっていった。
日中は温かくて汗が噴き出る陽気だったというのに、気温もかなり落ちている。ダニエルは、眠気に勝てずにその場で眠り込んでいった。
何度も起きたり眠ったりを繰り返しているうちに、段々と自分の体調の変化に気づく。体が重くなってきて熱っぽくなってくる。荷物は、馬に括り付けていたため身一つで投げ出されてしまい何も持っていない。
いつしか雨もやみ、朝が来て日が昇ってからも起きたり眠ったりを繰り返していた。
何度目か重い瞼を開くと、小さな男の子が自分の顔を覗き込んでいてびっくりした。それに、男の子の横には女性もいて心配そうな顔を自分に向けていた。
自分がどこにいるのか一瞬わからなくなってしまったが、頭がはっきりすると森の中で座っていることを思い出す。
男の子は、とても心配そうな顔して声をかけてくれた。その子をよく見ると、とても可愛らしい男の子だった。こんな森で暮らしているのは不釣合いだ。
一体誰なのだろう? と疑問が口から出ていた。女性の方も、ダニエルがなぜこんなところにいるのか不思議がっていて逆に質問されてしまう。
困ったなとダニエルは思った。他国から来たことはあまり話したくなかったのだが……。こんな場所にいる手前、本当のことを言う他言い訳が思いつかなった。
ダニエルは、体勢を起こして女性を正面から見た。飛びぬけて可愛いという訳ではなかったが、一緒にいるとホッとするような穏やかな印象の女性だった。動けない自分に、手当をすると言ってくれた。
途方に暮れていたダニエルにとって、女神のように映ったとしても大袈裟ではなかった。
ダニエルは、起き上がろうとするが足の痛みでスムーズに立ち上がることができなかった。こんな見ず知らずの男の手助けを、してくれるだろうか? と心配しつつ助けて欲しいと頼む。女性は、嫌がるどころか積極的に手を貸してくれた。
自分よりも若い女性の手を借りるなんて、面目付かなかったがこの時は本当に追い込まれていたのだ。
立った瞬間、足に痛みが走り情けない声を上げる。女性から、彼女の雰囲気とはかけ離れた厳しい声をかけられ自分を奮い立たせた。
これ以上、情けないところを見せる訳にはいかない。心配そうに見守る子供の目も、自分を奮い立たせる源元になっていた。
彼女たちが暮らす家だと連れて来られた場所は、森の中にポツンと建っていた。なぜ、こんなところで暮らしているのか不思議だった。家の中に入ってさらに驚く。
女性には子供がいるのに、その旦那の気配が全くないのだ。彼女たちの世話をしているのだろう中年の女性に、手当をしてもらいやっと一息つけた。
足を固定して貰えたことでだいぶ楽になる。こんな森の中で、女性と子供だけで暮らしているなんて不用心だ。ダニエルが心配するのも可笑しな話なのだが……。
それから、その家で暫くお世話になっていると彼女たちが平民ではないだろうということに気づく。リリーの所作や、しゃべり方が平民のそれではないからだ。
平民のような恰好で、炊事や洗濯をこなす彼女だがどこか品がある。アレンと楽しそうに笑う姿はとても可愛らしい。
それにアレンと会話をしていると、とても賢い。様々なことに興味を持って、色んな質問を自分にぶつけてきた。一つ一つ丁寧に答えてやると、瞳を輝かせて喜んでいた。
自分の子供がこんなだったら、それは可愛くてしょうがないだろうと思うほど。そして、そんな二人を見守るバーバラは、時折寂しげな顔をしている。
楽しそうにしている姿を見る程に、辛そうな表情を浮かべる。そんなバーバラに、リリーは気づいていないフリをしているのかいつも背を向けていた。
時間が経てば経つほどに、この家の違和感を拭うことができない。初めに、やはり何かあるのだと知ったのは世話になってから三日目の朝だった。
リリーが、とても申し訳なさそうにダニエルの部屋に来て言ったのだ。
「ダニエルさん……。あの……、実はこれから人が訊ねて来る予定なんです。私たち家族以外がこの家にいると知られてしまうのは、都合が悪くて……。馬車の音が聞こえたら、できるだけ息をひそめてもらってもいいですか?」
ダニエルは、リリーの言いづらそうな辛そうな物言いに否定的な言葉は口にできなかった。
「わかった。隠れた方かいいだろうか?」
ダニエルは、自分のことでリリーに不利益になりはしないかと心配になる。見つからないように、できるだけのことはしたかった。
「二階には上がって来ることはないので大丈夫だと思います。ただ、三日に一度の訪れがあるので、その都度お願いしたいのですが……。変なこと頼んで申し訳ないです」
リリーが、頭を下げて謝る。
「リリーが謝ることなんてない。私が無理に世話になっているのだから」
ダニエルは、リリーに頭を下げさせてしまいやるせない。
「無理だなんて……。アレンも楽しそうにしていますし。私も、アレンやバーバラ以外の人と話せて新鮮なんですよ」
そう言ってリリーが、嬉しそうに笑った。その笑顔が、自分が見慣れている貴族令嬢の作り笑いとは違い、自然な笑みで妙に惹かれるものがあった。
こうなって来ると、どうしてリリーの旦那らしき人物の影がないのか、なんで貴族令嬢に見える彼女がこんな森で暮らしているのか気になって仕方がない。
だが、余りにプライベートなことで聞いていいことなのか踏み込むことができなかった。
タイミングを見計らっていたダニエルに、その瞬間は訪れる。いつものようにバーバラが、足と腕の包帯を変えに来てくれたのだが周囲にリリーもアレンもいなかったのだ。
「こちら着替えも持って来たので、着替えて下さいね。今更ですが、服のサイズは大丈夫でしたか?」
バーバラは、ふと気になったのかそんな風に訊ねてきた。ダニエルは、自分が着ている服を見て考える。
「ちょっときついかな? と思うぐらいだから特に問題ないよ。いつもありがとう」
ダニエルは、思ったことをそのまま言った。多分、バーバラから見てちょっと窮屈そうに見えたのかもしれない。
「そうですか……。グレン様は、背丈はダニエルさんと同じですがほっそりした方だからでしょうかね」
バーバラが、初めて耳にする名前を口にした。ダニエルとの生活も慣れて来て気が緩んだのだろう。ダニエルは、すかさずバーバラに訊ねた。
「その、グレン様って人はリリーの旦那さんかい?」
バーバラは、しまったと言った顔をすると手で口を覆った。だけど、少しの沈黙の後にしゃべり出す。
「お嬢様には黙っていて欲しいのですが……。ダニエルさんの言う通りです」
バーバラは、悲しそうな顔をしていた。なぜ、リリーの旦那の話でこんなに悲しそうな顔をするのだろう?
「どこか、出稼ぎにでも行っているのかい?」
ダニエルは、少しオブラートに包んで訊ねてみる。バーバラは、どう出るか興味が沸いた。
「ダニエルさん、きっと気づいてらっしゃいますよね? お嬢様が貴族だと」
バーバラは、苦笑いでそう言った。ダニエルは、何も言うことなくただ首を縦に振る。それを見たバーバラは、はぁーと息を吐いた。
「私も、実は限界なんです。少し話を聞いてもらえますか?」
バーバラは、誰にも今まで話を聞いてもらうことができずに精神的にきつかったのだ。誰にも愚痴を零せず、ただひたすら自分の大事なお嬢様の世話をするだけの日々。
グレンに溜まったうっぷんをどこかに出さないと、リリーに当たってしまいそうになる自分がいた。