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英雄の巻き込まれ建国譚  作者: 信礼智義
16/23

第8話の1 苦戦そして反撃の始まり

毎日午後6時に投稿しています。お読みいただければありがたいです。先に投稿した「英雄の冒険旅行譚」「英雄の人生探訪旅行譚」も一緒にお読みいただければありがたいです。

日本にて

 鈴木少尉達は日本に着くと精力的に事を進め始めた。


 シャオイエ王夫妻とターイエ王妃には王族のコネを利用して、日本の要人たちと会合を持ってもらい、ユエ王国への援助を依頼する活動を行ってもらい、鈴木少尉は、彼の元の仲間が設立に参加していた政邦大学にいって、協力を仰いだ。大学は全面的に協力することを約束してくれた。


  マスコミ各社を使って、援助を訴えかけた。

 「私は元陸軍少尉鈴木昭男であります。太平洋戦争で、満州にてソ連の捕虜となり、脱走して今のユエ国に逃げ込みました。ソ連崩壊まで46年待ち、更に今に至るまで、私は日本政府に見捨てられ続けました。連絡すれども何の返答もありませんでした。そして第2の故郷であるユエ国が今外国からの侵略により、危機に瀕しているこの時、日本は何をしているのでしょうか。ユエ国には私のように見捨てられた日本人の子孫が多くいます。それらを切り捨てるのでしようか。老人の最後の願いです。私の故郷、ユエ国を助けていただきたい。伏してお願いいたします」という趣旨の演説を行い、SNSにアップするほか、大学のコネを使い、テレビ局地上波でも放映した。


 更にSNSを通じて義勇兵の募集も行った。勝利の暁には、ユエ王国の国籍とユエ国内の進学、就職をあっせんすることを条件にしていた。この義勇兵の募集に対して、日本政府から苦情が来たが、言葉を尽くして対応して、取り下げなかった。


 スラーシャ達5人のヒデオの妻たちはユエ国救援キャンペーンのマスコットガールとして、SNSを活用するとともに、各地に出向いて講演を行い、ユエ王国の救援を訴えた。


 美少女ぞろいの5人は、たちまち話題になり、求められて歌ったユエの民族歌は、ユエ民族は労働の合間や祭りのときなど歌を歌う習慣もあることから歌いなれていたため、聞く人を魅了し、SNSの再生数もうなぎ上りとなった。


 いくつかの芸能事務所から本格デビューのオファーがあった。当然断ったが、彼女たちの人気はかなりのもので、日本国民の支持を多く取り付け、また多くの若者が義勇兵に志願した。


 鈴木少尉らの活躍により、日本国民の世論はユエ国支援に傾いていった。与党内の保守派を中心として、国民の世論を背景に「ユエ王国救援特別法」が国会に提出された。

 野党の一部は憲法第9条違反、日本が戦争に再び巻き込まれると言って反対したが、過半数の賛成をもって法案は可決された。

 この結果、航空自衛隊の派遣と、義勇兵の公認、無償、有償併せて5兆円分の武器や補給物資の援助が決定した。


ユエ国にて

 戦争の始まった11月、ユエ軍は苦戦を強いられていた。


 CIAを通したアメリカとの交渉の結果、アメリカから対戦車、対空砲が供給され、これらを使用してチムル軍に打撃を与えていった。しかし、チムル軍の侵攻はとどまるところを知らず、旧シャオイエの首都シーロンはチムル軍第2軍によって陥落した。そして、チムル軍は臨時首都ルーシャンに迫っていた。


 一方、ターイエに侵攻したチムル軍第1軍はゲリラ戦での抵抗で、かなりの消耗を強いられながら旧ターイエ首都タードゥに迫っていた。

 しかし、12月に入り、本格的な冬が来たことで、チムル軍の動きが鈍ってきていた。雪が降ってきたことで、軍の行動が思うようにいかなくなり、また、土地勘のあるシャオイエ軍の激しい抵抗の結果、チムル軍第2軍はやむなくシーロンに撤収し、春になるのを待つこととした。


 その間に九頭勇士は持ち前の知識を生かし、チムルに対するサイバー攻撃を行っていた。ネット世界で同志を募り、次々とチムルのネットワークに攻撃をかけていた。チムルの情報セキュリティは非常に脆弱で官庁や国営企業のほか、軍にまで攻撃をかけ、次々ネットワークをダウンさせていった。

そのため、チムル共和国ではネットワークの利用を諦め、昔ながらの書類による伝達を行うなどで対応することとなり、情報の伝達速度や正確さなどでユエ国が優位となった。


 そして九頭聖は持ち前の絵の技術を用いてユエ国の存在や立場、支持を依頼するアニメーションを作り、世界に配信した。兄の妻たちからインスピレーションを得て、彼女たちが登場するアニメを描いたところ、世界的にヒットし、ユエ国の存在と立場が世界に知られるようになり、国際的支持が集まるようになった。


ユエ国の反攻

 ターイエではジュール中将率いる第1軍が首都タードゥに迫っていた。

 苦戦しているイエ王国軍だが、アメリカから対戦車兵器や銃火器の供給を受け、ゲリラ戦で抵抗を行い、タードゥへの侵攻を食い止めていた。寒さと雪はイエ王国軍の味方をし、チムル軍はタードゥを攻めあぐんでいた。


 12月に日本において「ユエ王国救援特別法」が成立し、日本からの援助が本格的に行われるようになった。チムル軍とユエ軍の本格的な衝突は空から始まった。


 チムル軍はMiG29が20機、SU-27が17機保有しているほか、MiG21を40機配備していた。反対にユエ軍はシャオイエ空軍が保有していたMiG21が10機ほどしかなく、勝負にならなかったが、日本からF-4戦闘機が100機供給された。搭乗員の訓練も促成で行われ、すぐに実戦に配備された。さらに日本経由で各国にて退役したF-4戦闘機が集められ、ユエ王国に供与された。


 また、鈴木少尉の対外工作もあり、アメリカだけでなく、欧米諸国からも兵器や弾薬の供与がなされるようになった。

 九頭英雄から「搭乗員の命を極力守るように」との命令もあり、日本から供与を受けたヘリを用いて墜落した戦闘機の搭乗員救助部隊も編成された。

 F-4戦闘機はすでにアメリカやその他の国でも退役しつつある機種なので、廃棄寸前のものを急遽レストアされたものがユエ国に供与された。


 さらに航空自衛隊が派遣され、F-15も戦闘に参加した。


 F-4は次々撃ち落とされた。しかし、少なからずチムル空軍に被害を与え、更にF-15の参戦は戦局を大きく変えた。チムル空軍の戦闘力は徐々に失っていった。

 チムルの大統領カドチェコフはロシアに戦闘機や銃火器の供与を依頼し、ロシア側もしぶしぶこれに応じた。MiG29やMiG31 、SU-27が供与されたが、それを上回る戦闘機がユエ王国に供与され、航空戦は完全に消耗戦となった。


 チムルはさらなる供与を依頼したが、無償にこだわるうえ、供与して当然という態度にロシアも態度を硬化させ、MiG21を10機ほど供与してそれ以上は有償であることを伝えた。


 チムルの搭乗員の消耗も激しかった。撃墜された搭乗員は自力でチムル軍の施設に戻るほかなく、そのほとんどが死亡するかユエ軍の捕虜となった。そのため、搭乗員の質もどんどん低下し、せっかくの戦闘機がすぐに撃ち落とされることとなった。


 2月にはユエ空軍がチムル中部から南部にかけての地域で制空権を掌握した。

お読みいただきありがとうございました。もし少しでも気になりましたら、星かブックマークをいただけますと作者のやる気が高まります。どうぞよろしくお願いいたします。

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