或る可哀想な男と悪魔の話
その男は、とても貧しい生活を送っていました。
一日に一個の固いパンを食べられれば良い方という毎日でした。
その男は、とても寂しい人でした。
家族も友達もいないし、新たに友達を作る事もできないのです。
ただ、その男には他の人よりも少しだけ優れた想像力がありました。
毎日ベッドに入った後眠りにつく間に、明日こんなことが起きたら良いな。その時はどうしようかなといろんな空想を巡らしました。
翌朝、空想は空想でしかないと現実を知る毎日でした。
ある日、彼は不思議な本を拾いました。
それには悪魔を喚び出す方法が書いてありました。
男は喜びました。いつの夜か、そんな想像をしたこともあったのです。
さっそく本に従って悪魔を喚び出します。
◇◆◇◆◇◆
『我を喚び出したのはお主か。お主の魂と引き換えに3つの願いを叶えてやろう』
その悪魔は世にも恐ろしい見た目をしていました。
黒光りした皮膚に蝙蝠のような翼。長い尻尾を持ち、赤い口は尖った耳まで裂けそうで目は金色に妖しく光っています。
「その前に聞きたいんだけど。この本に書いてあるとおり、僕の願いを3つ叶えるまでは、他の人の願いは叶えられないんだよね?」
『む、その答えが一つ目の願いか。ならば……』
「ちょっと!」
男は悪魔の前に手をビシッと出します。
「"その前に聞きたいんだけど"ってこっちは前置きしたぞ。こんなの願いを叶える前に聞いてるに決まってるだろ。
しかもこっちは本の取扱説明書的な所が事実か確認してるだけなのに、それで一つ目の願いとするなんて器が小さすぎるだろ。
もしかして僕、随分格の低い悪魔を喚んじゃったってこと?」
『何! 人間の分際で我を愚弄するか! しかもベラベラと減らず口を叩きおって』
「屁理屈こねて一つ目の願いを使わせようとする奴に言われたくないね」
『ムムム……可愛げの無い。さてはお主、友達一人も居ないであろう』
「いっませ~ん! さ、他人の願いは叶えられないか答えろ。もちろんこの質問は願いとはカウントされない」
『なんという腹の立つ顔だ!』
悪魔はギリギリと歯軋りをしましたが、このままではラチがあかないと気づき、答えることにしました。
それにこういった一見して慎重な男に限って、欲望の最大限を詰めこんだ願いを申し出て、あっという間に破滅するケースも有ります。
『……そうだ。お主の願いを3つ叶えるか、お主の寿命が尽きるまでは我は魔界に戻れず、他の奴の願いも叶えられぬ』
それを聞いた男は指を一本立てて言います。
「了解。満足した。これから願いを一つ言う」
悪魔はなんだか嫌な感じがしました。
とても強大な闇の力を一瞬感じたのです。
しかしすぐにそれは感じなくなりましたし、何より人間にはそんな事はできない筈です。
(気のせいだな。こいつの魂の闇は人間としてはかなりのものだ。それで勘違いでもしたのだろう)
「これから悪魔は、僕の行動に逆らえない」
男の願いを聞いて、あまりにも愚かだと思った悪魔はやはり勘違いだったと確信しました。
『ハハハ。それは無理だな。おおかた願いを何度も叶えさせようと言うのだろうが、願いの回数を増やす願いは無効だ』
「ああ、そういうのじゃないんだ。願いとは全く関係ない。悪魔の力には頼らずに、僕はこれからとても酷いことをする」
『ム? 酷いこと……とな?』
「それがあんまり酷いので、悪魔が嫌がって止めるかもしれない」
『酷いことを止めるわけが無いだろう。我は悪魔ぞ』
「いや、あんまりに人の道から外れてるので流石に止めると思うな。でも僕はそれをやりたいんだ。だから、これから僕がやることを悪魔は邪魔できないようにしておきたい」
『フフフ……面白いな。その人の道から外れたこととやらを是非見せてもらおう。契約成立だ』
悪魔の全身に赤いマグマのような色をした文字が浮かび上がり、すぐにそれは真っ黒に焼け焦げ消えてなくなりました。
悪魔の身体に契約の魔法がかかったのです。
その途端、男は麻袋を持ってそれっと悪魔に飛びかかります。
『な、何をする!!』
「ちょっとじっとしててもらうだけ。何もしなくていいから僕にまかせて」
『何?』
男は素早く悪魔の身体を麻袋で包み拘束します。首から上だけ袋から出され、マヌケな姿の悪魔。
勿論抵抗は試みますが、今しがた交わした契約がそれを防ぐらしく悪魔の首や顔に赤い文字が浮かんでは消えています。麻袋から出ることは叶いません。
『このような屈辱は初めてだ……お主、覚えておけ。お主の願いを叶えた後その魂を八つ裂きにして喰ってやるからな』
「元からそのつもりだろう? 望むところだ」
男は笑いますが、その目の奥に暗い暗い絶望が淀んでいるのを悪魔は知っていました。
(むう……ここは引いてやろう。絶望とは、それだけ強い欲望との合わせ鏡。これほどの魂を喰らえば我は大悪魔になれるに違いない……って、おわっ!?)
男は悪魔の入った麻袋を持ち上げ部屋を出て、荷車へ運びます。
『ちょっと待て何をするつもりだ』
「大丈夫大丈夫。痛くしないから」
『ハッ! 人間ふぜいが我を傷付けるなど、はなから無理だがな!』
「良いねぇその態度。今日一日はずっとそのままの姿だからくじけないでね」
『なん……だと?』
◇◆◇◆◇◆
翌日。
昼食を取る男のところに悪魔が現れます。
「あ、自力で戻ってきたんだ。迎えに行くつもりだったのに」
『お主……許さんぞ! 我を、我を見せ物小屋に売るとは!!!』
「売ってないよ。一日銀貨一枚でレンタルしただけ」
悪魔は唖然とします。
『我を……たったの銀貨一枚!?!?』
「お陰で僕は、向こう一週間はご馳走だ!見てよ」
男はいつもの固いパンに、チーズがひと切れ乗っただけの昼食を自慢気に悪魔に見せます。
『たった…これだけの貧相な食い物の為に……。おい! 我は一晩中檻に入れられていたのだぞ!』
「悪魔の一生は長いって聞いたよ。君ぐらいの悪魔にとって、1年は人間の感覚なら2時間半にも満たないそうじゃないか。一晩中って言ったって僕の10秒くらいでしょ。あ、僕も10秒だけ檻に入ろうか?」
『ヌヌヌ……! お主には罪悪感や、人の心はないのか!!』
「うーん、僕、残念ながらそういうのが無いらしくてさ。それで家族に捨てられたんだよ」
『ム!?』
「僕を"可哀想だ"と同情してくれた人も居たんだけど、僕の考えを知ると皆恐ろしがって逃げられてさ。僕の周りには誰もいないんだ」
『……。』
(こやつの魂の闇はその為か。……しかしこれはひょっとすると物凄い可能性を秘めているやもしれん)
悪魔は、願いを叶えた人間の魂を喰らい、悪魔としての格や魔力を高めます。
それ以外にも悪魔と契約した人間が周りを巻き込み、多くの人間を殺したり破滅させれば、それらの魂も契約元の悪魔が喰らうことができるのです。
男の罪悪感の無さ、心に棲む絶望、そして先ほど1年から一晩辺りの時間をすぐに計算してみせた頭の回転の速さを考えれば、世界中を恐怖に陥れるような大悪党になる可能性があります。
悪魔はその図を想像してニヤニヤ笑いを抑えることが出来ませんでした。
『……こほん。そんなに"可哀想な"お主に免じて、昨日の事は水に流してやろう』
「え、今日も行って貰うけど」
『な!?』
そう言うがはやいか、男は麻袋を悪魔に被せてしまいました。悪魔は男に担がれながら泣き言を言います。
『せめて、せめて一日金貨一枚……いや! 銀貨10枚にしてくれ!我の矜持が……』
「んー、でも悪魔の首から上を見せるだけだからなぁ。そんなに価値無いんじゃない?」
『~~~~ッ! ヒドイ! 鬼! 悪魔! 魔界の王!!』
「だから最初に言ったじゃん。悪魔の力には頼らずに酷いことをするって。僕が頼ってるのは君のその恐ろしい見た目だけだからね」
『この屁理屈野郎、お前なんか屁だ! ウンカスだ~~~~~!!』
「なんか口調変わってるけどキャラ崩壊するの早くない?」
◇◆◇◆◇◆
悪魔はそれから毎日、麻袋に詰められて貸し出されるという目に遭いました。
何度も懇願した結果、レンタル料は一日辺り銀貨5枚には上がりましたが。
しかし2ヶ月程で見せ物小屋も飽きられてしまいます。
やっとお役御免だと内心胸を撫で下ろす悪魔に、男はこう言いました。
「じゃあ明日からはお化け屋敷に連れて行くから宜しくね。今まで通り、麻袋に入って一日じっとしてるだけで良いから」
『!!!』
お化け屋敷は大好評でしたが、それも半年ほど経てば飽きられます。
すると男は、悪魔の絵を描きたい画家、演劇や大道芸の背景役、姑をビックリさせて心臓麻痺を起こさせたい鬼嫁など、いろんな貸し出し先を探してくるのでした。
そうして男と悪魔が契約をしてから1年ほど経ったある日。
「もう流石に悪魔を借りたいと言う所も無くなったな」
『フフフ……では二つ目の願いを』
「じゃあ別の町で商売しよう」
『!!!~~~~ヒドイ!!!』
男は1年でまとまった金を手に入れたので、それを使って遠方の町に移住しました。
「残ったお金はパーッと使っちゃおう。悪魔にもちょっと還元したいし」
『ム? それは良い考えだな』
男と悪魔は新しい町でご馳走、酒、綺麗な娘を用意させて宴を開きました。
悪魔は大いに楽しみました。特に、男が特別に用意させたヤギの血も滴る生肝臓が大変気に入りました。
満足そうな悪魔を見て、男も娘の酌を受けながらニコニコと酒を飲みます。
悪魔はほくそ笑みます。今まで男はパンにチーズ、たまに野菜という質素な生活をずっと送ってきていたのです。
これで贅沢を覚えれば一日銀貨5枚では足りず、すぐに二つ目の願いを言うに違いありません。
たとえ男が大悪党にならずとも、3つの願いを叶えれば男の魂は悪魔のものになり、それだけで悪魔は大きな力を獲ることでしょう。
◇◆◇◆◇◆
翌日。
悪魔はガックリと項垂れます。
そこにはいつも通りの固いパンとチーズを食べる男。
「やっぱり贅沢な食い物は胃が受け付けないな。これが一番美味い」
『……女は!? わざわざ若く美しい娘を選んでいたではないか!?』
「あぁ、あれね。一番お喋りな子を選んだだけだよ。なんでも家の借金で、金持ちの汚いオヤジの所に身売りされる寸前だったって。借金分くらいのお金をチップとしてあげたら大喜びして、今日からの見せ物小屋の宣伝を町中にしてくれるってさ」
『……酒は? 我と浴びるように飲んだではないか!?』
「うん。あれはとても楽しかったなぁ。悪魔も楽しかったろ?」
『勿論だ! お主も毎晩でも飲みたくなったのではないか?』
「ううん、ああいうのはたまにだから良いのさ。僕は半年に一度で充分かな」
『は、半年……?』
「悪魔にとっては一時間ちょっとだろ。またすぐさ」
◇◆◇◆◇◆
こうして男と悪魔は一つの町に1年ほど暮らしながら、恐ろしい悪魔の見た目を一日銀貨5枚で貸し出す、という商売を繰り返しました。
その内、悪魔はたまに男と舌論を交わすのも、半年に一度宴を開くのも悪くないなと思うようになりました。
しかし20番目の町に住んでいた時、病魔が男を襲いました。
『お主、そろそろ二つ目の願いくらい言わぬか』
「ううん。何も要らないよ。悪魔のお陰でとても充実した人生だった。今までありがとう」
ベッドに横たわる男の目には、もう昔のような暗い影は有りません。
『……そうだ! 寿命を延ばしてやろう。まだ三つ目の願いを言わなければ、これからもずっと我とお主で旅を続けられるぞ』
「ごめんね。実は僕、悪魔に一つだけ、ずっと嘘をついていたんだ。もう二つ目の願いは叶ってる」
『何!?』
驚く悪魔を見て、男は力無く微笑みます。
「実はね。あの頃の僕は人生に絶望していた」
『……ああ、知っていた』
「僕はずっと貧しくてひとりぼっちだった。もしも毎日食べるものに困らなくて、誰かと屁理屈を捏ねあったり、たまぁに酒を酌み交わしてバカ騒ぎしたり、そういう生活ができたら良いなぁって、ずっとずっと空想の中で求めていたんだ。」
『……。』
「そんな時に、悪魔を喚び出す方法が書かれた本を見つけたんだ。僕が試したら……」
『我が喚び出された』
「……ううん、魔界の王を喚んじゃったんだ」
『何!?!?……ま、魔王様……だと!?』
悪魔は20年ぶりに呆気に取られました。
「うん。魔王が言うには、僕はそのくらい心の闇が大きかったんだって。僕なら世界中を恐怖に陥れることも、世界一の金持ちになることも、世界中の美女を集めてハーレムを作ることもできる! とかって、いちいちスケールがデカイことしか言わなくてさ……」
『……確かに魔王様と昔のお主なら可能だったな』
「でも僕が求めたものはそんなんじゃない。だから一つ目の願いとして、僕が気に入るような、もっと格下の悪魔への交代を頼んだんだ」
悪魔は、最初の男の言葉を思い出しました。
"了解。満足した。これから願いを一つ言う"
あれは、魔王様へ一つ目の願いが叶ったと伝えると同時に、二つ目の願いを申し出た言葉だったのです。
『……そんな面倒なことをせずとも、人間の親友でも、恋人でも、家族でも願えば良かったではないか!!』
「いくら僕が罪悪感のない人間だからってそれは無いよ。他人の一生を束縛するのは面倒だし、それも悪魔の力で言いなりにさせてるなんて空しくなるだけさ。でも君ぐらいのレベルの悪魔なら、20年はたったの2日の扱いなんだろう?」
"悪魔の一生は長いって聞いたよ。君ぐらいの悪魔にとって―――"
(てっきり悪魔を喚び出す方法の本に書いてあったのかと思っていたが、魔王様に聞いていたのか……)
悪魔が呆然とする横で、男が咳き込み、その口から鮮血が赤い花のように飛び散ります。
『……お前! 大丈夫か!? 今医者を!!』
「ははは、またキャラ崩壊してる。……もう、間に合わないよ。……なあ、悪魔」
『なんだ!?』
「ごめんね。僕の魂、変わっちゃったよね。寿命も使いきって、きっと食べても美味しく無いよね」
『バカなことを言うな!! お前はまだ喰わない!!……ひっ、人の道から外れたことをするんだろ! それをやり遂げて真っ黒な魂になるんだ!!』
「ふふっ、悪魔と面白おかしく20年一緒に暮らしたら、もう人の道は外れてるよ……あぁ、もう逝く直前だけど、三つ目の願いを思い付いた。言っても良いかな」
『…………なんだ……』
「これから先、悪魔が美味しい生レバーを定期的に食べられますように」
『……………ぐっ……………承知した。契約成立だ』
◇◆◇◆◇◆
悪魔は、男の魂を魔界に持ち帰りました。
それは細く小さく、キラキラと透明に光る魂でした。
他の悪魔たちは、その獲物の小ささと、悪魔の顔を見て嗤い、囃し立てました。
『お前、悪魔の癖に人間に傷でも付けられたのか? そんなに泣くほど辛かったのか?』
悪魔は答えます。その魂を大事に大事に掌で包みながら。
『……ああ、とんでもなくヒドイ人間だったよ。我……俺、一生残るぐらい傷ついたんだ』
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
前日譚も書きましたので、もしよろしければそちらもどうぞ。
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