プロポーズ、そして。
短編「姉に突き落とされて記憶喪失になった私が幸せになるまで」の番外編です。
先にそちらを読んでいただくと、わかりやすいかと思います。
「メアリ。今日は気持ちのいい天気だから、ガゼボで休みたいんだ。お茶の用意をしてもらえるか?」
「承知しました、アーニー殿下! 本当にいいお天気ですよね。空気も爽やかですし、外でお茶を飲むにはぴったりですわ。すぐにご用意いたしますね」
ベアトリスはいそいそと準備を始めた。ダークチェリーのタルトもついさっき、とびきり上手に出来たところだから、早速アーニーに食べてもらおうとワクワクしていた。
ワゴンを押しながら中庭を歩き、ガゼボへ向かう。アーニーは先に到着しており、長い脚を組み、頬杖をついて物思いに耽っているようだった。
(アーニー、疲れているようね。眉間にシワを寄せて、物憂げな様子も素敵……って、いけない、いけない! 見惚れている場合ではないわ。せめて美味しいお茶とお菓子で、ほんのひとときでも癒してあげたい)
小鳥のさえずり以外聞こえない静かな中庭で、ベアトリスが丁寧にカップに注ぐお茶の音が響いていた。
「アーニー殿下、どうぞお召し上がりくださいませ。タルトも自信作なんですよ」
「ほう、これは美味そうだ。メアリ、君も座って一緒に食べよう」
「えっ、でも仕事中ですし……」
「これは王太子命令だ。さあ、座って」
命令と言ってはいるが、顔は穏やかに微笑んでいる。ベアトリスも嬉しくなって微笑み、
「では失礼いたします」
と席についた。
「どうですか? アーニー殿下、お味は?」
「うん、美味い。甘さが丁度良いな」
「ふふっ、やっと殿下の好みで作れるようになりました」
ベアトリスは元々お菓子作りも得意としていたが、王宮のパティシエにアーニーの好みを教えてもらって練習していたのだ。
アーニーはタルトを食べる手をふと止め、ベアトリスをじっと見つめた。
「アーニー殿下……? 」
(わわわっ、真っ直ぐに見つめられたら目のやり場が! お顔が綺麗過ぎて見つめ返すことが出来ません!)
「メアリ」
「は、はいっ!」
「落ち着いて聞いてくれ。実は……」
ふいに、涼しい風がサーッと吹き渡った。
「……では、私を崖から突き落としたのは、私の実の姉とその恋人、ということなのですね」
「ああ。辛いと思うが事実だ。その時、馬車を御していた男がハッキリと証言した」
「そして、母も殺したのかもしれないと……」
「それに関しては証拠が無い。今の時点では怪しいだけだ。自供すれば別だが」
ベアトリスはしばらく黙ってテーブルの上の紅茶を見つめていた。
「メアリ……大丈夫か?」
「あっ、すみません、アーニー殿下。考え事をしてしまっていました」
「無理するな。ショックだったろう」
「それが、よくわからないんです」
ベアトリスは首をかしげた。
「実の姉に殺されそうになったなんて本当に辛くて悲しいことだと思うし、母親も死んでしまっているなら尚更辛いと思います。でも、私はまだ二人の顔も名前も思い出せていない。全然、自分の家族っていう実感が湧かなくて、そのせいか悲しみもあまり感じないんです」
「そうか……」
「ただ、ひとつ悲しい事があります。それは……せっかく自分が誰であるかわかったのに、エルニアンに帰っても快く迎えてくれる家族は誰もいないんだってことです」
「メアリ、エルニアンに帰る気があるのか?」
「いいえ、帰ったとしても私は死亡届も出されています。亡霊のような存在でしかありません。でもここでは、とても良い人々に恵まれ、楽しくお仕事出来ていますわ。もし、良かったらですが……このまま、このガードナーでメアリとして暮らしていきたいです」
ベアトリスは、ガードナー王国で住み込みのメイドの仕事を得て生活していけたら、と告げた。
今はアーニーの推薦もあって見習いとして働かせてもらっているが、隣国の、しかも既に死んだことになっている伯爵令嬢を王宮で正規採用などしてもらえないだろう。
だから下位貴族、または裕福な平民の家などに雇ってもらおうと思っている、と。
アーニーは優しい笑みを浮かべた。
「メアリ。良い働き口があるんだが紹介しようか?」
「まあ、アーニー殿下! 早速紹介して下さるんですか? ありがとうございます。どちらのお屋敷でしょうか」
するとアーニーは立ち上がり、ベアトリスの側まで来ると、手を取って立ち上がらせた。
(あら、何かしら)
そしておもむろに跪くと、ベアトリスの指先にチュッとキスをした。
「あ、アーニー殿下、何を……?」
ベアトリスは指先から稲妻が走ったような感覚だった。その稲妻は全身を貫き、急に体温が上がった気がした。恐らく、顔は真っ赤になっている筈だ。
「メアリ、君が我がガードナー王国で生きていくと決めたのなら、どうか私の願いを叶えて欲しい。私の妻となり、私を支え、国の為にその身を捧げて欲しい」
「えっ? アーニー殿下、それはどういう……?」
ベアトリスは心臓があまりにも強く早く動いて、息が止まりそうだ。
「君を大切に思っているんだ。愛している。こんなにも君に焦がれている哀れな男の願いを、どうか聞き入れてくれないか」
「わ、私……王太子様に相応しい身分ではありませんわ」
「そんなものはどうにでもなる。それよりも、君の気持ちを知りたい」
跪いたまま、真っ直ぐに見つめてくるアーニーの視線をベアトリスは外すことは出来なかった。
「アーニー殿下。私もお慕いしておりました。叶わぬ想いだと、決して口に出すつもりはありませんでしたが……川で助けていただいたあの日から、ずっと」
それを聞いたアーニーは嬉しそうに微笑み、今度は手の甲に優しく口づけた。そして立ち上がり、
「ありがとう」
と言うとベアトリスを腕の中に包み込み、抱き締めた。
(これ、現実かしら? メイド服のまま抱き締められるとか、夢なの? 夢でも幸せ過ぎる。覚めちゃったらどうしよう)
もし夢なら覚めてしまう前にと、ベアトリスはおずおずとアーニーの背中に手を回し、キュッと抱きついた。
するとアーニーは右手でベアトリスの顎をそっと摘んで上を向かせ、キスをした。
(……! もうダメです、幸せ過ぎて、なんだか上手く呼吸が出来ない……わ……)
「ん? メアリ? 大丈夫か? メアリ!」
目を回してしまったベアトリスは、その後アーニーに抱き上げられて部屋に運ばれたことは全く記憶になかった。
ハッ! と目を覚ますと、自分のベッドに寝ていた。
「あら、気がついた、メアリちゃん」
メイドの先輩としていつも指導してくれる優しいエミリーが声を掛けてくれた。
「あなたが目を覚ましたら知らせるようにって、アーネスト殿下に言われているのよ。ちょっと、行ってくるわね」
「あ、あのっ、エミリーさん! 私、いったい……」
エミリーは満面の笑みを浮かべた。
「アーネスト殿下にプロポーズされて目を回しちゃったのよ〜。まあ無理もないわよね。あの麗しいアーネスト殿下にプロポーズされたんですもの。私なら心臓止まっちゃうわ」
(ということは、あれは夢ではないってこと?)
「おめでとう、メアリちゃん! いずれこうなるとは思っていたけれど、意外と早かったわあ」
「こうなると思ってたんですか?!」
「ええ、みんな思ってたわ。アーネスト殿下があなたには気を許しているし、本当に愛しいと思っているのが伝わってきていたもの」
「そ、そうなんですか」
ベアトリスはまた顔が真っ赤になっていくのを感じた。
「あら大変。また目を回しちゃう前に殿下をお呼びしなきゃ」
エミリーは笑いながらパタパタと部屋を出て行った。
「メアリ、大丈夫か?」
アーニーがすぐに部屋にやって来た。
「はい、すみませんでした、アーニー殿下。私ったらあまりにも嬉し過ぎて目が回っちゃって……」
「良かった。じゃあ、私のプロポーズは覚えているんだな?」
「はい。しっかりと」
「では改めて言おう。メアリ、私の妻になってくれるか」
「はい、アーニー殿下。喜んでお受けいたします」
アーニーはパッと顔を輝かせると、ベアトリスを抱き締めた。
「おっと、いかん、抱き締め過ぎたらまた気を失ってしまう」
「違いますわ、きつく締め過ぎたせいじゃありません。さっきはあまりに幸せで私、息の仕方を忘れてしまって」
二人は顔を見合わせて微笑みあった。
「ところで、これから早速結婚に向けて準備をしようと思っている。まずは、メアリにはイーサンの妹になってもらう」
「はい?」
イーサンの妹とは。どういうことだろう。
「それは私からご説明を」
いつの間にか部屋にいたイーサンが咳払いを一つした後に話し始めた。
「我がペンブルック公爵家は、代々王族に仕える由緒正しき家柄です。私の父、ペンブルック公爵は現在宰相を務めております。私も将来はアーネスト殿下の片腕として政務を担うべく日々精進しております」
アーニーはうんうんと頷きながら聞いていた。
「まずはメアリ様を養子として我が公爵家に引き取らせて頂きます。公爵家令嬢であれば家柄に不足はございません。息子ばかりで娘のいなかったことを残念に思っていた父は大層喜んでおりまして、最高の嫁入り道具を揃えると張り切っております」
ベアトリスは急な展開についていけずポカンとしていた。
「国王陛下もお喜びで、『アーネストの選んだ娘なら間違いない』と仰っています。王妃様も早速妃殿下教育を始めると教師陣の選定をお始めになりました」
「あ、あの、アーニー殿下。ではさっき仰っていた良い働き口というのは……」
ニコッと笑ってアーニーは答えた。
「私への永久就職だ。言っておくが、メイドよりも大変だぞ。公務は沢山あるし、覚えることも山ほどある。だがメアリなら大丈夫と思っているんだ。よろしく頼むぞ」
(確かに、責任も大きいし大変だわ。でも。アーニーのためなら頑張れる。公務で疲れているアーニーを少しでも支えてあげたい)
「はい! 至らぬ点は多々あると思いますが一生懸命頑張ります。よろしくお願いいたします」
こうして、ベアトリスの忙しい日々が始まった。結婚式は一年後と決まり、それに向けてお妃教育が始まった。
忙しい中でも、時々は二人であの森の小屋へ行った。二人きりで自然の中で過ごし、リフレッシュしてまた公務に戻る。そんな日常だった。
二か月ほど過ぎ、メアリ・ペンブルックとして生活することに慣れ始めた頃、エルニアン国王の誕生日パーティーが開かれることがわかった。
国王の名代として出席することになったアーニーは、ベアトリスをメアリとして連れて行くことを決意した。
「メアリ。今度のエルニアンでのパーティーで君をお披露目したいと思う。そこにはきっと君の姉も来ているだろう。それでも、ついて来てくれるか?」
「ええ、もちろんよ、アーニー。私はあなたの婚約者、メアリ・ペンブルックですもの」
「その時、姉が君を殺そうとしたことの証人を連れて行き、正当な罰を彼らに与えようと思っているが、構わないだろうか」
「はい。爵位の為に家族を殺そうとする人間を野放しにしていてはいけないと思います。犯した罪の罰は受けなければ」
「わかった。もしかしたら顔を見たら記憶が戻るかもしれないが、私が必ず側にいるから。必ず君を守る」
「ありがとう、アーニー。大丈夫、何も怖くないわ。あなたがいてくれるなら」
アーニーはベアトリスの頬に手を当て、そっとキスをした。
そしてパーティー当日。エルニアン王族の後、賓客として入場したベアトリスは観衆の中にいた女性に目が止まった。
(あれは……! 茶色い巻毛、右目の泣きぼくろ。あの女性は)
アーニーの腕に掛けた手に力が入った。
「大丈夫か、メアリ。思い出したのか」
「ええ、アーニー。間違いないわ。姉のデボラとドナルドだわ。ああそしてお母様。お母様の顔も思い出したの。お母様の最期にお会い出来なかったこと、悔しい……」
もちろん、観衆に気取られないよう、にこやかに笑いながら二人は小声で話している。
「先程エルニアン王宮軍に話はつけておいた。パーティーが終わり人々が帰って行く前に軍が動くだろう。最後に、姉と話しておくか?」
「そうね。私が生きていることを、私が生き証人として存在していることを教えておきますわ」
「わかった。気をしっかり持つんだぞ」
「大丈夫。あなたと一緒だもの」
そして、この日限りベアトリスという存在はなくなった。記憶を取り戻したベアトリスは、メアリとして生きることを選択したのだ。
ベアトリスの死亡届はそのままにされ、アランソン伯爵位は遠縁の男性に引き継がれた。
デボラとドナルドはそれぞれ収監された。刑期を終えた後、彼らがどうなったのか知る人はいない。