よく知る人とよく知らない人に会いにゆく(2)【天正16年5月下旬】
茶々姫様に与えられた一角は、あまり広くなかった。
通った廊下もちらりと覗いたお部屋も、そこはかとないしょぼさが漂っている。
背伸びをしているよう、といえばいいか。
調度や屏風、水差しや絵などのインテリアが、どうにも半端なのだ。
絶妙に安っぽい物から古臭い物まで、とにかく集めたって雰囲気だ。
一応、趣向としてはゴージャスを目指しているのだろう。
でも色の主張が激しくて、すごくうっとおしいんだよね。
赤を推しまくっていて、視界がうるさい。
どう考えても、のんびりリラックスできそうな空間じゃないわ。
よくこんなとこに住めるな、茶々姫さまたち。
帰っていいかなーと思っていたら、ようやく取次の若い女房が現れた。
「これは、粧の、姫君様」
女房のブラウンレッドで艶めく唇が、私の候名を強調して呼んだ。
物言いがわざとらしい上に、出てくるのが遅い。
これで城奥の女房とは、と内心あきれてしまうなってなさだ。
そっと軽蔑を胸にしまって、お仕事用の笑みを浮かべる。
「ごきげんよう、あいにくのお天気ですね」
「左様にござりますねえ、
して、いかなる御用でしょうか?」
軽い挨拶をさらっと流された。
思わず東様と顔を見合わせる。
この女房、どうして改めて用件を聞いてくるのだろう。
昨日のうちに、今日のアポイントメントは取ってたはずだ。
文面で誤解が生じないよう、東様に手紙のチェックをしてもらったから大丈夫だったはずだ。
報連相が上手くいってなかったのかな。
手間だけれど、しかたない。答えてあげるか。
「昨日知らせましたとおり、
浅井の一の姫様のご機嫌をうかがいにまいりましたの」
「それはそれは、お心遣いかたじけなく存じます」
「一の姫様とお会いできますか?」
女房の口元が、形ばかりゆるむ。
「姫様は伏せっておられますので、お引き取りを」
伏せっているねえ。
ずっと伏せっていて大変そうですねえ。
でもだからって、引き下がってはやれないんですが。
東様と丿貫おじさんに目配せをする。
すました二人の顔に、面白がる気配が一瞬よぎった。
それじゃ、ごねさせてもらうとしよう。
「ちょうどいいわ、
本日は医師を連れてまいりましたのよ」
「……医者?」
「こちらは遠藤道貫様、
曲直瀬道三様の直弟子で、玄朔様の義兄でらっしゃいます。
玄朔様よりご紹介いただいた、腕の確かな医師ですわ」
丿貫おじさんが、おっとりと会釈をした。
物静かで鷹揚そうな老医師、といういかにもらしい雰囲気が出ている。
おじさんたら、演技できたんだな。
勢いに乗っかって、私は言葉に詰まった女房を畳み掛けにかかった。
「ちょうど一の姫様がご不調ならば、
お脈を取らせてみてはいかが?」
「ぜひそうなさいまし。
遠藤様は、実に良き医師でらっしゃいますことよ」
東様が、おだやかな声で言い添えてくれる。
「ああ、そうそう、
お得意の一つは、産科でしたわね」
「経験が多いだけでございますよ」
「あらあら、山内家に数度子宝を授けられたのに、
ずいぶんと謙遜なさること」
わざとらしくない程度に、東様と丿貫おじさんが笑い合う。
女房の無表情が、ぴくりと動いた。
産科、子宝。どちらも茶々姫様の周りのものなら、気にかかるところだろう。
茶々姫様が秀吉様の子の一人でも産めば、一発逆転できるからね。
日夜袖殿たちが、茶々姫様懐妊に向けての作戦を練っている、という噂は私の耳にも入っていた。
どうやら、その噂は事実だったっぽい。
皮膚科だけでなく、産科も得意分野の丿貫おじさんは魅力的なことだろう。
なんたっておじさんは、母様のかかりつけ医として、松菊丸と先月生まれた妹を二人も取り上げている。
私を産んでから五年以上も次子に恵まれなかった母様が、丿貫おじさんを側に置いて、たった二年で二人も産んだのだ。
茶々姫様にも、同じく懐妊チャンスを与えてくれそうな気がしてくるよね。ねえ?
優しげな表情を変えずに、女房の顔を覗き込む。
「案内、してくださるかしら?」
「……こちらへ、どうぞ」
女房が打掛を翻して、廊下の先へ歩き出した。
やったぜ。その後ろで、東様たちとにやりとし合う。
あとは診察と称して茶々姫様を引っ張り出して、白黒つけたら任務完了。
思ったより楽な仕事だ、と思ったんだけれども。
「何事ですか」
いくらも行かないうちに、袖殿が出現した。
派手な打掛を捌いて、女房や侍女を連れての登場だ。
テリトリーだからか、いつもよりいっそう偉そうに見える。
女房の後ろに私たちを見つけて、細い目をさらに細くした。
「東殿に粧殿、いきなりのお越しですね」
「ごきげんよう、袖殿。
いきなりでなくてよ、昨日文は出しましたよ」
声の棘を意にも介さないような東様に、袖殿の表情が無くなる。
「文だけは、まいりましたね」
「でしたらわたしどもの来訪も、
わかっておられましたでしょう?」
「ええ、でもお受けするかは別の話です」
「一の姫様がご不調だとか。
おりよく医師を連れて参ったので、
姫様の脈を取らせたらいかがかしらと思ったのよ」
「なるほど。そのような屁理屈を捏ねて、
女房をそそのかして入り込まれた、と?」
鼻を膨らませて、袖殿が東様を睨む。
「お引き取りくださいまし」
「引き取りませぬ」
「北政所様の女房殿らしく傲慢ですわね」
「袖殿ほどではございませんことよ」
東様と袖殿が、同時に口元を袖で隠して哂う。
お互い逸らさない目には、冷たい感情が揺れている。
怖 す ぎ る。
袖殿の嫌味ったらしさが、いつもの五割り増しだ。
それよりも東様だよ。品の良さはそのままに、平然と放つ嫌味が冴えまくりだ。
渦巻く氷柱のような空気が、肌をぐさぐさと刺してる。
その場の大半が、半ば息を止めて二人の舌戦を観戦するような状態になる。
にこにこを崩さない丿貫おじさんの陰に隠れて、私も息を殺す。
止めようにも止められないんだもの。
不用意な発言で、東様の背中を撃ってもまずいから黙って震えておくしかない。
「帰りなさい、
山内の縁者など信じられませぬ」
「まあ、粧姫が信用できぬということ?」
「当たり前でしょう!
織田家と姫様を愚弄するような者ですよ?
姫様に対面させてなるものですか!!」
「一の姫はそうお思いかしら」
「言われずとも、
我らは姫様の御心わかっておりますっ!」
ギャンギャン袖殿が吠える。
東様に噛みつく勢いで、目を縦になりそうなほど吊り上げてだ。
あーもー、いつもながらヒステリー。
大丈夫? 血管切れちゃわない?
青筋がすごいことなって……え?
「お前たちの顔を見て、姫様の気鬱が増」
「ちょっといいですかっ?」
違和感を覚えたのと、口が開いてしまったのは同時だった。
口論に無理やり割り込んで、丿貫おじさんの後ろから飛び出す。
突然の行動に、東様も袖殿も一瞬止まる。
チャンスだ。急いで袖殿たちの顔を確認していく。
「じっ、じろじろ見るとは無礼なっ」
真っ先に我に返ったらしい袖殿が、怒鳴りつけてくる。
その甲高い声を出す唇には、赤みよりのベージュリップ。
跳ね上げられた目尻には、はっきりしたローズブラウン。
肌には白すぎるが、それでも地肌に近い色味のファンデが塗られている。
わずかな、経験と技術の足りなさは滲んでる。
でも、それでも。間違いない。
これは、このメイクは。
「そのお化粧! 誰にやらせたのですか!?」
城奥で令和風メイクを操れるのは、私と私の侍女たちだけのはずなんですけど!!!
やばい、意味わからない。どういうこと。
見慣れすぎたメイクで気付くのが遅れた分、余計な衝撃が私に襲いかかってくる。
茶々姫様の元へは、行幸の一件以来誰も派遣していない。
寧々様が許さないし、私もやる気がなかった。
侍女たちだって茶々姫様だけは、と嫌がる雰囲気があった。
行幸前に派遣していた侍女の阿古が、ずいぶんといじめられたせいだ。
あちらからの依頼もなかったから、ほったらかしにしていた。
だから、城奥で茶々姫様とその周辺は、もっとも流行から遅れている。
そのはずなのに、一体どういうことなのだろう。
「ああ、この化粧?」
袖殿が、つんと顎先を跳ね上げる。
「先日、化粧の上手い侍女を雇い入れましたの」
「……どういうことですか」
「粧殿の代わりがいる、ということですわ」
嘘でしょ……?
だって私の持つ技術は、まだそれほど広まっていない。
特別なもの、という付加価値を失わせないためだ。
羽柴の貴婦人たちのみ思いのまま楽しめる、天下人の栄華を象徴する最新文化。
そのため令和仕込みの美容を嗜める人を、やんわりと制限するようになってまできている。
ゆえに私に近い水準のメイクを施せる人は、城奥の外には存在しないはず。
そのはずなのに、一体どうして。
「信じられないというお顔ね?」
「はい、にわかには」
「ふふ、杏、おいでなさい」
袖殿の後ろから、小さな影がするりと現れた。
私より少し年上くらいの、女の子だった。
侍女のお仕着せ、赤みのあるブラウンヘアのポニーテール。
長身ではないけれど背筋は伸び、くっきりとした顔立ちは日本人離れをしている。
そして私を、まっすぐ睨んでくる、その瞳の色。
「あなた、は」
声を失って、見つめてしまう。
背後の東様や丿貫おじさんからも、少なからず驚愕の気配がした。
「この子は、杏と申します」
織田家の用意してくれた化粧係ですわ、と袖殿が自慢げに言う。
「杏の腕が知れ渡れば、
粧殿のとりえなどすぐ意味を無しましょうなあ」
袖殿も、彼女に従う者たちも、驚きに染まった私を嗤う。
さざなみのような、不気味な嘲笑が雨の廊下に染みていく。
けれども、私にはそれらが遠かった。
静かな表情の杏の、青い瞳に揺らぐ敵意から────目が、逸らせなかった。
ここでライバル的な存在、登場。
ちなみに転生者とかではない。
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