家族のはなしをしようか【天正16年3月末】
苗植えを始めて、かれこれどのくらいだろう。
農作業の過酷さの一端を、私は絶賛体感中だ。
めっっっっっちゃ暑い……。
首の後ろがじりじりする……。
しゃがんで作業し続けたせいで、腰痛い……。
下を向きっぱなしで首も痛い……。
農家さんすごいわ。
こんなこと一年中続けていたら、そりゃ老化も早まろうというものだ。
父様に作ってもらった、長浜の農園の人たちを思い浮かべる。
あそこは私専用だ。スキンケア用品やコスメに使う植物を、たくさん育ててもらっている。
椿とか、クロモジとか。ノイバラやダイダイ、ハトムギや薄荷なんかもたくさん。
みんなこんな過酷な作業を一年中続けて、私が存分に趣味に走れるように、がんばってくれているんだな。
一度長浜に帰って、お礼を言いに言った方が良いな……これ……。
「おーい」
長浜に想いを馳せていたら、大政所様の声が飛んできた。
苗を植える手を止めて、立ち上がる。
ずっと屈んでいたせいか、ちょっとくらっときた。
畑の向こう側にある縁側で、大政所様が口元を手で囲って叫んでいた。
「そろそろ終わりにしよーかー」
か、神の声っ……!
肩に掛けた手拭いで汗を拭いて、はい、と叫び返して、大政所様の元へ駆け出す。
さっきまでのしんみりは、あっという間に吹っ飛んだ。
ちょうど畝一列分、ローズマリーを植え終えたところだ。
キリもばっちり良い。休憩だー!!
手と足を洗ってもらって、消毒用アルコールで拭いて。
お待ちかねのお昼ご飯の時間です。
旭様と私は縁側に並んで、焼きおにぎりをいただく。
味噌を付けて焼かれたおにぎりは、大政所様のお手製だ。
麦や粟が混ぜてあって食感が楽しい。
お味噌の味も甘じょっぱくて、焼かれているから香ばしい。
そして、何より焼きたてなのよ。
目の前で大政所様が、七輪もどきの火鉢を使って焼いてくれてるの。
もう最高。めっちゃくちゃ美味しい。
聚楽第で暮らしてるとさ、なかなかできたてのご飯を食べられないんだよね。
特に私は大名の姫であり、寧々様の女房だからかな。
当然のごとく、毎食ごと、おやつごとに毒見があるのだ。
しかも台所自体、私の居住スペースから離れている。
運んできて、毒見を済ませて、それから配膳されて。
私が箸を付ける頃には、だいたいのご飯は冷めている。
炭団と火鉢のセットを導入してからは、ちょっとだけ改善されたけれどね。
できたてアツアツは、何にも勝るご馳走と化しているのだ。
「温かいご飯、最高ぉ……!」
「……そうね」
庭の木陰で休憩している侍女や下女たちと、おにぎりを配ってあげている大政所様。
和やかな農村みたいな風景を眺めて、旭様がしみじみと呟く。
「……昔は、当たり前だったのにね」
「ですよね、実家が懐かしいです」
「……山内家の食事は、温かかったの?」
「はい、父様がご飯は温かくなきゃって人で」
山内家は食にこだわるタイプだ。
贅沢な食事を望むって意味ではなくて、できたてほかほかを好む人が多い。
たぶん、私を除く家族の全員に、食事にすら困る生活をした経験があるせいだ。
台所の真横に食堂が設置されていて、食器に食べ物がよそわれた瞬間から毒見がスタートする。
温かいご飯のために、常識など投げ捨てるスタイルなのが山内家だ。
あと、できるかぎり家族全員で食事をするという習慣もある。
他の大名家では、全員ばらばらで食べるらしい。
だがうちは基本的に父様と母様と私、康豊叔父様とお祖母様と丿貫おじさんが揃って食卓を囲む。
まあ、当たり前に父様の席は上座だけど、ほとんど一緒のご飯を、みんなで食べている。
前に聞いたけれど、家族と意見交換をする場として食事は絶好の場なんだって。
それに、一人のご飯は美味しくないからねって。
こういう理由で、山内家は庶民的な食事スタイルで通しているのである。
「……珍しい家ね」
「珍しくて良い家ですよ」
「……羨ましいわ」
そうでしょう、そうでしょうとも。
山内家は良い家だぞぉ?
ご飯は美味しいし、みんなおおらかだし。
明らかに常識からはみ出した私を、普通の子供扱いしてくれる。
よそのお家よりも、ずっと風通しが良いと思う。
「旭様だって大政所様が良い母上で、
よろしいじゃないですか」
「……おかか様は、そうね」
麦湯をすすって、旭様がため息をこぼす。
「……でも、出世しすぎた兄さんがいるから」
「あ……」
「……あんなのがいると、
良いことばかりじゃないの」
おにぎりを齧る旭様の横顔が、険しい。
憎しみなのか、ただの呆れなのか。
横顔にこもっている感情は複雑で、難しい。
「……昔は、よかった。
藤吉郎の兄さんが織田家で出世して、
ワタクシたちは良い暮らしができて。
とても感謝していたわ」
食べながら、旭様が話を続ける。
「……藤吉郎の兄さんが出世したから、
ワタクシは甚兵衛さんに嫁げたのよ」
知っている? と問われて頷く。
甚兵衛さんというのは、旭様の前の旦那様だ。
岐阜の時代に旭様と結婚して、一昨年に離婚させられたんだよね。
今は確か、尾張に隠棲されているはずだ。
「……お武家さんなのに、穏やかな人でね。
元百姓のワタクシを丁重に扱ってくれたの」
「できたお方ですね」
「……そうよ。子ができなくても、
ワタクシがいれば良いって言ってくれる人だった」
思い出しているのだろうか。
旭様の声が優しくて、かすかな恋しさに震えている。
今もまだ、前の旦那様は好きなままなんだ。
何も言えないよ、こんなの。
相槌なんて下手に打てない。
聞かなかったことにもできない。
じっと聞くしか、できない。
「……ただ毎日を穏やかに過ごしていたの。
おかか様や姉さんや義姉上と、
藤吉郎の兄さんをおだてたり、
浮気のお仕置きをしたりして。
小一郎の兄さんと甚兵衛さんになだめられて、
みんなで、一緒になって笑いあって」
「駿河御前様」
「……それで、それで終わっていれば」
よかったのに。
細い声が消えていく。
旭様は、私に一切目をくれない。
その瞳はまっすぐ、畑を目に映している。
見えているのは、本当に畑なのだろうか。
そう思えるほどきつい眼差しだ。
先ほどの甘やかな思慕はもう、浮かんでいない。
すべて、焼き尽くされてしまっている。
「……つまらない話を聞かせたわ」
「いえ……その……」
上手い返事が浮かばない。
こういう時って、何を言われても慰めにならないもの。
だから、私は旭様の手に手を重ねた。
黙ったまま、手のひらの温度を移す。
一人じゃないですよって、言ってあげる代わりに。
「……あなたの家族は、
今のままだと、良いわね」
ゆっくりと、旭様の言葉に頷く。
父様と母様は、一国一城の主を目指している。
そしてそれを成し遂げることを、私は知っている。
いつか二人は、土佐という国を手に入れる。
山内家の統治に抵抗する人たちをねじ伏せるため、とても血生臭いことに手を染める。
その時までに、父様たちは、変わってしまうのだろうか。
今の善性を捨てて、血で国主の座を購える人たちになってしまうのだろうか。
わからないけれど、これだけは言える。
旭様は、ありえるかもしれない、私の未来の一つだ。
「……ワタクシのようにならないで、
寝覚が悪いから」
「……はい」
そうならないことを、祈りたい。
家族を憎むように、できるかぎりなりたくない。
旭様がぎこちない手つきで、私の頭を撫でる。
切なくなりながら、私は手鏡を懐から取り出した。
「……どうかした?」
「あ、いえ、ちょっと」
雲一つない空を見上げて、太陽の位置を確認する。
中天にあと少しで届く太陽は、ちょうど私の手元に陽射しを放っていた。
うん、ちょうど良い塩梅だ。
手鏡の角度を調整して、陽光を反射させてみる。
私たちの正面にある塀の下の方に、弾かれた陽光が白く映る。
寧々様にもらった、スペイン製の鏡だけはあるね。
良い反射具合だ、白さが眩しい。
「……急に、何を遊び出しているの」
「遊んでませんよぉ」
不審げな旭様に笑いかけて、私は手鏡の角度を変える。
白い反射光が塀を駆け上がって、青葉の茂る庭木の陰に当たった。
「ぐぁっ!?」
「と、殿ぉぉぉぉぉ!?」
「出会え! 出会え!!
曲者ぞっ!!」
庭木の葉陰から上がる野太い悲鳴と墜落音に、負けないくらいの大声を被せる。
男性の従者や護衛の侍たちが、弾かれるように塀を乗り越え出す。
曲者というワードに侍女や下女が悲鳴を上げ、塀の向こうから護衛や従者の声が飛び交う。
うららかな家庭菜園が、一瞬で騒然となった。
「……あ、あなた」
「覗き見野郎に慈悲はありませんよ」
呆然とした旭様に、親指を立ててドヤる。
鏡の反射を利用した目潰しは危険な行為だけど、犯罪者に慈悲はねえ。
だが旭様の顔が強張ったままだ。
どしたの、驚きすぎだ?
「お、大政所様っ、大政所様っっ」
塀の向こうから、護衛の侍が戻ってくる。
泡を食うと呼ぶに相応しい勢いで、着地に失敗しながら転がるように大政所様の元へ駆け寄った。
「どないした」
「あ、あの、急ぎ塀の向こうへ、どうかっ」
「なんやの、もう」
慌てすぎて、護衛はあうあう説明すら不能状態だ。
どっこらせ、と呆れ顔の大政所様が腰を上げた。
すたすた勝手口へと歩いていくその後ろを、旭様が弾かれたように追う。
私も行った方がいいかな?
走って追いかけて、一緒に勝手口へ向かう。
開かれた扉を潜ると、庭木の側に人集りがあった。
木陰に尻餅をついた知らないおじさんが一人。
その側で怒り狂っている青年が一人。
護衛や従者がおろおろしたり、青年に謝り倒したりしている。
なんだなんだ。なんで暫定・不審者コンビを捕まえないの?
「あっ、あの子、井伊殿やにゃーか?」
大政所様が、口元を手で覆って青年をガン見する。
その側から、真っ青な旭様が不審者コンビ───その、おじさんの方へ走り出した。
「殿っ! 大事ございませぬか!?」
えっ? 殿……?
旭様の殿って……?
えっと、今は……あ。
あ、あああああああ!!!!!
あかんやらかしたぁぁぁぁぁああああ!!!!!!!!
与祢、家康を撃墜。
鏡で太陽を反射させて人に当てる行為は危険すぎるので、真似をしないでください。
マジで下手すると失明とかありえますから。
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