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北政所様の御化粧係〜戦国の世だって美容オタクは趣味に生きたいのです〜  作者: 笹倉のり
2章 聚楽第の御化粧係【天正15年9月〜天正17年1月】
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大政所様【天正16年1月中旬】




「「「ヒッ」」」



 私とおこや様と萩乃様の悲鳴がハモる。

 同時に回廊の奥から、般若が走り出した。

 夕陽で赤黒く染まった髪を振り乱し、皺深い顔に怒りを満たして。

 老婆と思えない速度で、こちらに突進してくる。

 こわいこわいこわいこわい。

 めちゃくちゃ怖いんですがっ!?

 慌てて三人そろって、沓脱ぎの側から飛び退く。

 タッチの差で老婆の般若が沓脱ぎに到達した。

 そのまま上段から、庭へと飛び降りる。

 胡桃染の打掛が、翼のように宙に広がる。

 地に舞い降りる般若の姿が、スローモーションで目に映る。

 からげた小袖の裾から伸びる、しわしわの足が力強く着地した。

 砂を素足で踏みしめる音に、寧々様たちがやっと振り向く。

 みるみる全員の顔が、驚愕に染まる。

 特に、秀吉様。顔色が青を通り越して白に変わった。

 開いた口を鯉のようにして、シバリングのように震え始める。



「ぁっ、おっ、おかっ、お、っ」



 喉から声は出るけれど、形は口から出た途端に崩壊している。

 そんな状態の秀吉様を、般若は怒りで沸る双眸で睨み据えた。



「とぉぉぉぉきぃちろぉぉぉおお……」



 地獄の釜の蓋を引きずったら、こういう音がするんじゃないか。

 皺の深い口元から零れる低い声に呼ばれて、秀吉様はとうとう完全停止した。

 般若が歩き出す。素足で冷たい地面を踏みしめる。

 憎しみをぶつけるように、力強く。

 一歩、一歩と縛られた秀吉様の元へ近づいていく。

 道を開けた寧々様の横を通り過ぎて、秀吉様の前へ至る。



「……この」



 荒い吐息に掠れる声とともに、萎んだような肌に覆われた手が伸びる。

 綺麗に揃えた爪の並ぶ指が、むんずと秀吉様の肉の薄い頬を抓った。



「くそたわけがぁぁあ!!!!」


「ぃぎゃぁっ! お゛っがぁ!? い゛だぁぁぁっっ!!」


「また寧々さを泣かせおってっ! 何度目やぁっ!」



 般若、もとい秀吉様のお母様である大政所様は、息子に加減しない。

 本気で痛がられても、もっと泣き喚けと言わんばかりに秀吉様の頬を捻る。

 お仕置き第二ラウンドの開始だ。

 秀吉様の汚い悲鳴が、夕暮れに響き渡る。



「ちあっ、ちあうんあ、ひゃひゃがなふから!」


「なぁにが違う!? 女に泣かれたくらいで勝手するんやないが!!」


「ひぇもほっか」


「うるさいっ! 寧々さに謝れぇっっっ!!」



 食い下がる秀吉様の頬を、大政所様がしばく。

 寧々様が最初にビンタ入れたとこだ。

 年季を積んだ良い音の一発を入れてから、大政所様が地に膝をついて顔を覆った。



「おみゃあが情けにゃーでよ、おらぁよぉ……」


「お義母様……」


「すまんなぁ、おらぁが藤吉郎を、

 適当に育ててしもうたばっかりに……っ」



 肩を支える寧々様に縋って、大政所様が涙を零す。

 竜子様も駆け寄って大政所様の側に跪き、懐紙を差し出した。


「大政所様、どうぞこちらを」


「竜子さもすまんなぁ……」


「いえ、慣れましたゆえ」


「慣れたらあかんよぉ、こんなん」



 受け取った懐紙で、大政所様が鼻を噛む。

 丸めた懐紙をぐったりする秀吉様に投げつけて、真っ赤になった鼻を鳴らした。



「ぜぇんぶ佐吉に聞いたでな、藤吉郎」


「なっ」


「縁談まとまる寸前の娘さんに手ェ付けてからにっ!

 恥を知れっ恥をッ!」


「そんなことまで、あ、あの阿呆っ」



 白青い顔色の秀吉様が、ここにいない石田様を罵倒する。

 生徒のやらかしを逐一保護者に報告する先生みたいだな。

 めちゃくちゃグッジョブだ、石田様。

 大政所様が恨み言を言う秀吉様の頭に、また使用済み懐紙を丸めてぶつける。



「アホはおみゃあじゃ! 底抜けの女狂いがっ!」


「それは悪いと思うておるがなぁ! おっかぁ!

 あいつなんで勝手におっかぁに会っとるのや!?」



 城奥に入れとんのか!? と秀吉様が言い返す。

 矛先を石田様に逸らして誤魔化す作戦かな。なかなか姑息だ。

 大政所様だけでなく、寧々様や竜子様の目までさらに冷たくなってくる。

 けしからんだのなんだの言っている秀吉様の頬を、もう一度大政所様が抓った。



「イ゛っ!?」


「中奥で会うたんや。佐吉に相談があってな」


「は? なんでわしに先にせんのや」


「おみゃあに話したら止めるやろ思うてな」


「はぁぁぁ!?」



 秀吉様がいらっとした顔になる。

 片眉を上げて、頬の端をぴくぴくさせて大政所様を睨んだ。

 しかし大政所様はこれしきの息子の剣幕で怯む人ではない。

 うるさいと重ねられる文句を切り捨てて、赤いまなこを吊り上げた。



「自分の娘のことや! 好きにさせぇ!」


「娘? 姉さんになんかあったか?」


「旭の方や!」



 落ちていた折れた扇を、秀吉様に投げつけて大政所様が吠える。

 肩でぜぇはぁと息をして、血圧上がりまくりって感じだ。

 やばい。落ち着かないと血管切れるぞ。

 私たちがはらはら見守る中、大政所様が寧々様と竜子様にすがって立ち上がった。



「ええか、藤吉郎」



 ぎろりとぼろぼろの秀吉様を見下ろして、大きく息を吐く。





「おらぁは今日から、しばらく病になるでな」












◇◇◇◇◇◇










「お義母様、それでどうなさったのです?」



 私が用意させた生姜と柚子の蜂蜜漬けのホットドリンクを飲んで、寧々様が切り出す。


 私たちは、さきほど場所を御殿の中に移した。

 夕暮れの寒さが大政所様には堪えるからって、ことでね。

 あのままだと話が錯綜して、わけがわからないことになりそうだったのだ。

 寧々様が呼び出した石田様に秀吉様を引き取らせ、茶々姫の問題は後日に回すと宣言した。

 どさくさで見逃す気はさらさらないらしい。

 興奮しきった大政所様を抱えて温かい室内に入り、人払いを念入りに行った。

 今座敷にいるのは、寧々様と大政所様。

 部屋の隅には孝蔵主様と東様、お茶出し係の私が控えている。

 おこや様は控えの間で待機していて、竜子様と萩乃様は帰っていった。どっちもちゃっかり生姜と柚子蜂蜜ドリンクを確保して。


 そうして、今に至るのであるが。



「病になられるなんて、急にどうされたのですか」


「ああ、ええとね、

 それは旭に出す手紙の方便でねえ」


「旭殿に? どうしてそのようなお手紙を?」


「それが……ねぇ……」



 大政所様が、言い淀む。

 湯呑みを両手で包んで、視線をうろうろと彷徨わせてだ。

 迷っていると態度ではっきり物語る大政所様を、寧々様はじっと待つ。



「もしあたくしでよろしければ、

 お力になりますよ?」


「ううん、ええのよ、実はもうね、

 佐吉と助作に段取りを頼んでしもうて」


「まあ、お義母様が?」



 寧々様の目が丸くなる。

 お仕事用の澄まし顔をしている私も、内心驚いた。

 大政所様は賢いおばあさんだ。

 基本的に、オフィシャルなことに関しては絶対に出しゃばらない。

 これは大政所様が、きちんと自分の政治能力などを把握しているからだ。

 政治が爪の先ほどくらいでも関わることなら、全部息子夫婦に完全に従う方針を取っている。

 例外は福祉系や仏事系のことくらいかな。

 貧困層や病気の人たちへの施しや、お寺の建立の要望を秀吉様に出す程度だ。

 そういう大政所様が、独自で奉行衆に面会して、何事かの段取りを指示した。

 しかも、政略結婚で他家に嫁いだ娘に関することでだ。

 滅多にない、というかほとんど初めての政治が絡む行動ある。

 誰もが驚かないわけがない。



「すまんねえ、勝手してもうて」



 唖然とする寧々様のお顔をうかがいながら、大政所様は肩をすぼめて謝った。

 後ろめたい気持ちを抱えているせいか、いつものはつらつとした背中が小さく見える。



「いいえ、お気になさらず。

 お義母様が珍しく佐吉たちに頼み事されたなら、

 きっとよっぽどのことでしたのでしょうし」



 我に返った寧々様が、大政所様の細い肩を抱く。

 慰めるようにさすりながら、ゆっくりとした口調で質問を重ねた。



「でもいったいどうして、そのようなことを思い立たれましたの?」


「……あんねぇ」



 大政所様が湯呑みを茶托に置いて、懐に手を入れた。

 ごそごそと探って、白い紙を引っ張り出す。

 手紙だろうか。ずいぶんとしわくちゃな紙の裏から、何か文字が透けて見えている。

 ためらいがちに、大政所様が手紙を寧々様に差し出した。

 受け取った寧々様が断って、手紙の皺を伸ばしながら開く。

 さっと文面に視線を走らせる。

 鳶色の色の目が、みるみると点のようになっていく。

 手紙の内容は一体どんなものだったのだろう。

 あまり長そうな手紙ではないのに、寧々様は書面を凝視したまま動かない。



「寧々様、如何なさいました」



 沈黙を、孝蔵主様が破った。

 ゆっくりと寧々様が私たちの方へ振り向く。

 押し黙ったまま、手紙を孝蔵主様へ渡した。

 孝蔵主様が「失礼をば」と断って、手紙を広げる。

 左右の東様と私も、首を伸ばして覗き込む。


 短い手紙だった。

 力強い男性の筆跡なのに、使われている文字はすべてひらがな。

 文章も、かなり簡単なレベルで綴られている。

 大政所様の識字能力に合わせた気遣いが滲む、優しい手紙だ。

 そんな柔らかさとは裏腹に、内容は切迫感に溢れていた。

 季節の挨拶もそこそこに、本題に入っている。

 駿府にいる秀吉様の妹の旭様が体調を崩していること。

 里帰り療養を勧められても、ずっと断っていること。

 どうしようもなくなったから、大政所様の助力を願いたいこと。

 追伸でどうかどうかお願いします、と念押しまでしている。 

 そんな手紙の、差出人の名。

 短く添えられた文字に、私たちの目が吸い寄せられる。






 …………いえやすって、書いてあった。






 思考が、停止した。









更新空いてすみません。

調べ物していたら遅くなりました。

今日から麒麟呼んだ人とその継室になった秀吉様の妹編スタートです。


執筆の励みになりますので、評価やブクマや感想をいただけると嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
[一言] あーっはっはっは……おなかいたいぃ
[良い点] 学がないお年寄りでも読みやすいように考えた手紙というところで、細やかな気遣いのできる苦労人と言われてる家康っぽさがでていてうまい描写だと思いました。
[良い点] いつも面白いです。 時代劇において仲が悪いことに定評のある嫁、姑も寧々様、なか様は仲が良さそうで何よりです。 なお夫で息子は…… [気になる点] 助作…… 片桐且元ですね 鐘を作らな…
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