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北政所様の御化粧係〜戦国の世だって美容オタクは趣味に生きたいのです〜  作者: 笹倉のり
2章 聚楽第の御化粧係【天正15年9月〜天正17年1月】
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病は癒えて、そして(2)【天正16年1月中旬】



「妾はな、殿下と北政所様のお二人に惚れておるのよ」


「はい?」



 秀吉様だけじゃなくて、寧々様にも惚れてる?

 えっ、竜子様ってバイなの?? 夫婦揃って好みで両手に花的な???



「言うておくが、単なる色恋ではないぞ」



 他人の思考を読むって上流階級の女性の必須スキルか何かなのか。

 うっかり顔を引きつらせてしまったら、くつくつと笑われた。



「妾にとって、お二人は恩人であるのだよ」


「恩人と申しますと」


「妾の最初の夫が何故死んだか知っておるか?」



 ええと、確か本能寺の変の折に明智光秀に味方しちゃったんだったな。

 旧領回復を狙ってのことだったけど、全力で賭けた明智光秀は速攻で秀吉様に沈められた。

 焦った竜子様の元旦那は秀吉様に頭を下げようとしたが、許されるわけがなくて討たれた。

 そして残された竜子様は子供ごと捕縛され、秀吉様の前に引きずり出されたそうだ。

 


「何故こんな目に、と亡夫を恨んだものさ」


「でしょうねえ」


「子らの命を危うくしおってからに、

 地獄まで追いかけて殺し直してやろうと思ったな」



 茶器を持つ竜子様の手の甲に、青筋が立つ。

 不動産投資で全財産を溶かした上に、巨額の借金まで作りやがったみたいなやらかしだ。

 ブチギレて当然だよ。やらかした奴に制裁を加えた上で縁を切っていいレベルだと思う。

 制裁を加えたい元旦那にさっさと死なれて、竜子様はさぞ怒りのやり場を失ったことだろう。

 実際、捕縛直前までキレ散らかしていたらしい。

 それでも現実は止まってくれないわけで、捕まったあたりで竜子様は腹をくくった。

 母親の自覚で冷静を取り戻したに近いかもしれないそうだ。

 子供の命を救うことに専念しなきゃ、と奮起して竜子様は秀吉様に談判した。


 できたら子供たちを助命してほしい。

 もし無理なら母子一緒に殺してくれ。

 不甲斐ない夫を殴りに地獄へ行きます、と。


 そんな主張が、秀吉様にウケた。

 思い切りが良すぎる言動と、覚悟のガンギマリっぷり。

 実に寧々様っぽいと気に入られて、食事に誘われた。

 そこで酒を出されて、うっかり竜子様は溜め込んだ愚痴を吐かされた。

 実家の兄が頼りなくて心配だとか、死んだ夫がプライドばっか高くて参っていたとか。

 名家だからと色眼鏡で見られたり、体面を保ったりで疲れてるとか。

 子供や周りの者のために我慢していたが、実は全部面倒くせぇ! つまらねぇぇぇ!! と思っていたとか。

 秀吉様の話術で誘い出されるようにして、竜子様は全部ぶちまけてしまった。

 それらを秀吉様はうんうん聞いてくれたらしい。

 時に一緒に怒り、時に慰めてくれ、ただの女の竜子様に寄り添ってくれた。

 こんな男性は、竜子様にとって初めてだった。

 成り上がりと蔑まれる秀吉様だが、身分ばかり高い男よりずっと話ができる。

 会話はウィットに富んでいて、軽い話も重い話もできる。

 しかも、女だからと適当に対応してこない。

 女だからと竜子様をぞんざいに扱うところがあった夫より、ずっと素晴らしいと思った。

 秀吉様が下手にイケメンじゃないのもよかった。

 愛嬌たっぷりな風貌で親しみやすく、気負わず一緒にいられた。


 だから、コロッと竜子様は秀吉様に落ちた。


 まだまだ髪を下ろす歳じゃないでしょ?

 俺と一緒にもうちょっと人生楽しまない?

 そんなふうに口説かれて、そうですね! と乗っかっちゃったらしい。

 竜子様の人生において未だかつてない大胆な行動だったが、それで得た結果は最高だった。

 竜子様の子供たちは、あっさり助命された。

 適切な家に預けてちゃんと育てるという確約付きでだ。

 やっぱり見込んだとおりの男だったと、竜子様は秀吉様を選んだ自分に喝采を送るほど喜んだ。

 そんな竜子様のるんるん気分は、寧々様の元へ連れてこられて一回砕けた。

 紹介された席で、寧々様がぽかんとして呟いたのだ。

 「聞いてない……」と。

 竜子様は、一気に青ざめた。

 側室に上がる件が、正室の寧々様に通っていない。

 これは竜子様にとって、かなりやばい状況だった。

 意外だけれど、天正の世では正室の許可が無しに側室を作れない。

 事後承認を求めるなんて、横紙破りもいいところだ。

 正室が側室候補を拒否って、奥に通さないならまだ良い方。

 最悪、流血沙汰すら発生しえる。正室が側室候補をぶちのめす、という方向でだ。



「心底焦ったものさ、自分の命一つで済むかとな」


「お子様のこともありますもんね」


「ああ、だが妾が何かする前に、寧々様が動かれた」



 え、寧々様は何したんだろう。

 不安げな私に、竜子様がくつくつ笑う。

 思い出し笑いだろうか。懐かしげに遠くを見つめて、竜子様は話を続けた。



「殿下の顔面にな、拳を一発入れられたのだよ」



 寧々様にとって、秀吉様の女絡みの暴走は当たり前だ。

 お仕置きはしても、そこまで怒らない。

 だが竜子様の時は、段違いにキレた。

 捕まえた立場の弱い未亡人に、子供の助命と引き換えで手を出した。

 親や本人の意思で売り込んできた娘をもらったとか、色っぽい街の女を口説いて連れ帰ったとかじゃない。

 選択肢が無い女性をうまうまゲットした行為だと認定して、寧々様はブチギレた。

 鬼だとか畜生だとか罵って、柱に秀吉様を縛りつけたそうだ。

 そして恐れおののく竜子様に、手をついて謝った。

 女の敵の鬼畜生を野放しにしていたばかりに、酷い目に遭わせてしまって申し訳ない、と。

 竜子様は困惑した。こういう事態は想定していなかった。

 すぐに家に帰すと言われても、実家は絶賛秀吉様に反抗中だった。

 帰る家がないから、いさせてくれと竜子様がお願いした。

 事情を聞いた寧々様はならば、と快く羽柴に竜子様を置いてくれた。

 そればかりか、何くれとなく気に掛けてくれた。

 新しい家だから伝統なんてない、と好きなことを好きにさせてもくれた。

 弓を射れば凛々しいと褒めてくれ、たくさん食べてと美味しいものをくれる。

 竜子様をまるまる受け入れてくれる寧々様には、すぐ親しめるようになった。


 秀吉様は以降も変わらず、竜子様に良くしてくれる。

 夫や主人というより頼れる伯父のようで、一緒にいて楽しくて安心できる。

 その妻の寧々様は、竜子様を可愛がってくれる。

 おおらかな歳の離れた姉のように、何くれとなく気にかけてもらえてくすぐったい。

 その二人の作った家は、明るくて賑やかで、とても温かい。

 いつしか羽柴家は、竜子様にとって呼吸がしやすい場所になっていた。



「あのお二人が、妾に居場所を作ってくださった」



 喉をハーブティーで潤して、竜子様が唇をたわめる。



「ゆえに妾は、お二人ごとお慕いしておるのよ」



 本気でそう思っているお顔だな、これ。

 そりゃ揉めないわ。竜子様は秀吉様と寧々様という夫婦を慕っているのだもの。

 色恋ではなくて、たぶん家族愛に近い。

 夫妻+愛人という属性が付いているだけで、この人たちは家族なのだ。



「子もな、絶対に産みたい」



 私の顔を覗き込んで、竜子様は宣言する。



「この腹からお二人の子を産む。これ以上ない恩返しになる」



 そうだろう? と問われても困る。

 私はそういう特殊な状況を経験したことがないのだ。無茶言うなや。

 でも悪いことだとは思わない。

 竜子様たち三人が納得しているならば、一つの幸せの形だ。

 幸せに定型はないのだからね。



「でも、そうなら」



 だからこそ、疑問が湧いてくる。



「なんだ」


「どうして竜子様は、体を損ねるほど食事を細くなさったのですか?」



 心身を削って、生理を狂わせてしまうほどに。

 子を望む以前に、秀吉様や寧々様が悲しむことをしてしまうなんておかしい。

 ありのままの竜子様を、二人は受けれていた。

 痩せてほしいなんて、思いもしてなかっただろう。

 それがわからなかったなんて、ありえない。



「そのことか……」



 竜子様が深く息を吐く。

 私はじっとお返事を待つ。萩乃様たちもじっと聞く姿勢に入っている。

 このことは、みんな気になっていたことだ。

 よっぽどのことなのだとは思うが、わからないからこそすごく心配したんだ。

 そろそろ話してくれても良いんじゃないだろうか。

 茶器に唇を当てながら、竜子様が目を彷徨わせる。

 睫毛の陰がかかった目元に、何か重たいものが漂う。



「そろそろ、話しておかねばなるまいか」



 たっぷりと時間を置いてから、竜子様が呟く。

 ひたりと私に視線が戻される。

 弓と向き合う時のような目だった。

 しゃんと背筋を伸ばして、居住まいをただす。

 竜子様の口元が、ゆっくりと開いた。



「竜子様! 竜子様っ!」



 息を切らした侍女が、庭に駆け込んできたのは同時だった。

 全力の早足で来たのだろう。

 冬にもかかわらず汗をかいて、顔を真っ赤にした侍女は、滑り込むように竜子様の側に平伏した。

 息切れて今にも倒れそうな彼女に、竜子様のまなじりが上がる。



「いかがした、何があった」



 息も絶え絶えな背に手を当てて、竜子様が侍女を起こす。

 侍女は口を戦慄かせるが、うまく喋れそうにない。

 落ち着かせないとまずいな。水分必要そうか?

 急いで予備の茶器に注いだハーブティーを渡してあげると、侍女はそれを一気飲みした。

 侍女がふはっと大きな息を吐き出す。



「落ち着いたか?」



 竜子様に問われて、こくこくと侍女が頷く。

 先ほどよりも息がましになっている様子だ。



「焦らんでよい。ゆっくり申せ、何があった」


「は、はい」



 竜子様に背中を摩られながら、侍女がふたたび口を開く。



「あ、あ、浅井の、一の姫様が、参られました」



 侍女の言葉が、庭の空気を一変させた。

 全員の表情が硬くなる。誰もが動きすら止めた。

 えっ、ちょっと何これ。急にどうした?

 戸惑う私をよそに、竜子様が舌を打った。



「……あの娘か」


「取次の者が対応しておりましたが、その、振り切られまして」


「ここへ来るのだな」



 今朝私が整えた眉の頭を寄せて、ぐっと唇を噛む。

 どう見ても良い感情があると思えない態度だ。

 一の姫という人が、相当嫌いか何かなのかな。

 あからさますぎるほど歪んだお顔を呆然と見上げていると、竜子様が立ち上がった。



「萩乃」


「はいっ」


「お与祢を隠せ」



 えっ? なんで?

 きょとんとしていると、萩乃様が私の手を引いた。



「姫君、こちらへ」


「え、ええ?」


「はやくっ」



 ぐいぐい引っ張られて、庭に面した座敷の中へ引きずり込まれる。

 お夏が追いかけてこようとしたが、竜子様が何か言って止めた。

 その間に、萩乃様が更にその奥の襖をすぱんと開く。

 襖の向こうに女房の控えの間によく似た、少し狭い部屋があった。

 そこへ萩乃様は私を放り込んだ。



「声をお出しになられませんよう」


「あの、お夏たちは!?」


「姫君の侍女のことは、萩乃にお任せを」



 いつになく硬い声で、部屋から出ていく萩乃様が言う。

 真剣みというか、凄みみたいな萩乃様に似合わない強さだ。

 押し負けて、ぎこちなく頷く。

 萩乃様は少しだけ安心したように頬を緩めて、襖に手を掛けた。

 


「良いと竜子様が申されるまで、じっとしていてくださいね」



 では、という言葉とともに襖が閉ざされる。

 静まり返った部屋に、ぽつんと私だけが取り残された。




 な、何が起きてんの……?




 座り込んだ私の耳に、微かな衣擦れが届いたのはしばらくしてからだった。








次は竜子様閑話。例のあの人が来ちゃう…。


執筆の励みになりますので、評価やブクマ、感想をいただけると嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 笹倉先生の描く天下人夫妻のノリが大好きです! [気になる点] 史実ではスーパー(含み)ママ茶々さん……どんな方でしょうか……⁉︎
2023/05/13 23:48 久方のどか
[良い点] いつも楽しく読んでます [一言] 竜子様については勉強不足で知りませんが、秀吉は死を前にして傾く人を厚遇しますよね 例えば賎ヶ岳の敗因を作った佐久間某さんには死装束をそろえてやったり。 …
[一言] 次読むのが毎回楽しみになっています!
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