その病、なかなかに払いがたきにつき(5)【天正15年10月末日】
明日で月が十一月に替わる。
竜子様の食事量は、相変わらずあまり増えていない。
おかゆを半分食べきれるようになったかならないか程度だ。
まだまだ栄養を満たすには足りない量で、萩乃様はめそめそ泣いている。
報告を上げるたびに、寧々様のお顔も曇る。
とうとう昨日、寧々様伝いに秀吉様からがんばってね的なメッセージまで飛んできた。
なかなか、ストレスがヤバイことなっている。
夜眠る前に、「明日竜子様が突然食欲取り戻してねーかな」と現実逃避するくらいにはしんどい。
周りの目も心無しか痛い気がしていて、ハゲそうな気持ちを毎日味わっている。
でも、それも今日まで。
ついに私は、竜子様への特効薬を完成させたのだ。
ひらめいたあの日から三日。
私はフル回転でがんばって動き回った。
大急ぎで寧々様に頼み込んで、材料を調達してもらって。
東様に頭を下げまくって、台所を使わせてもらって。
短期間でかなり苦戦したけど、そこそこ会心の出来のブツが出来上がったのだ。
これさえあればってわけじゃないが、解決の糸口になる可能性が高い。
最後の手段に近いこれに、私は賭ける。
たぶん大丈夫。きっと大丈夫。
「山内の姫君、こなたへどうぞ」
竜子様の侍女に呼ばれて、控えの間から出る。
後ろでは、毒見を終えて包みなおした菓子箱を抱えたお夏が続く。
ちらりと視線を交わす。いける。毒見役が役目を忘れて、美味って言ったもの。
だからいける。竜子様だって女の子だ。
甘いものの効果は、絶大だって信じてる!
◇◇◇◇◇◇
綺麗な塗りの高杯に、薄い紙の掻敷を敷く。
色は薄い薄い青。金箔が刷り込んであって映える紙だ。
「美しいな」
向かいの席でくつろぐ竜子様が呟く。
最初にお会いした頃よりはいくらか元気そうだが、まだまだ体の調子はよろしくなさそうだ。
脇息に体を預けて、ちょっとばかりだるそうにしている。
それでも切長の目には生気があって、興味深げに掻敷を見ていた。
気に入ってくれたようでなによりだよ。
与四郎おじさんからもらった、とっておきを持ってきた甲斐があったというものです。
「今群青で染め付けたんだそうですよ。
先日、千宗易様に譲っていただいたものなのです」
「なるほど、これがかの青い金とやらの青なのだな」
「綺麗ですね、竜子様」
隣に控えた萩乃様がきゃあきゃあはしゃぐ。
竜子様もやわらかな雰囲気で、うんうんと頷いてあげている。
乳兄弟だからだろうけど、本当に仲がよろしいことだ。
竜子様の分まで萩乃様が感情を出している感じが可愛い。
微笑ましく思いながら、持ってきた菓子箱を出す。
「お持ちしたお菓子が映えるんですよ、この紙」
「菓子か」
「はい、今日は南蛮菓子をお持ちしましたの」
「カステラかえ?」
お、竜子様ったらご名答。匂いでわかったのかな。
あと、萩乃様は明るい顔でぴくっと反応しない。
孝蔵主様に見られたら、手の甲を指でピンッと弾かれるぞ。
「カステラもありますが、他にもいろいろと」
にっこりと笑って、私は菓子箱の蓋を開ける。
甘い、私にとっては少し懐かしい匂いがふんわり広がる。
竜子様のお顔から、悪くない意味で表情が抜けた。
長い睫毛をぱちぱち瞬かせながら、菓子箱の中を覗き込んでいる。
嫌そうな雰囲気はない。気になってしかたないって雰囲気だ。
良い滑り出しかも。嬉しくなってくる。
弾んだ気分で、るんるんとセットにしてあるお箸でお菓子を並べていく。
全三種類を綺麗に並べて、高杯を竜子様の前にお出しした。
「どうぞ、本日の午前のお菓子でございます」
ほう、と竜子様がため息ともなんともつかない吐息をこぼす。
視線は高坏の上に釘付けだ。
いいぞぉ、もっと興味を持ってくださいな。
「まず、京極の方様から見て右端がカステラでございます」
「カステラ、なのか? 色が緑で、何か入っているが?」
「ええ、抹茶と小豆の甘煮を混ぜましたから」
小豆入りの抹茶カステラってやつですよ。
令和のころじゃ珍しくはないメニューだが、こっちにはなかったので作ってもらった。
竜子様に、小豆を食べてもらいたかったからね。
豆類の中でも、小豆は優秀な豆なのだ。
食物繊維とビタミンB、それからカリウムや鉄分にポリフェノールだったかな。
女性に嬉しい栄養素たっぷりで、しかも美味しい。
砂糖控えめにしてあるけど、試食したら十分美味しかったのでおすすめよ。
「カステラの隣の、茶色いものは?」
「こちらは胡桃入りの南蛮風の蘇ですね」
「蘇、といえば牛の乳だな」
おお、蘇にピンと来るってことは食べたことあるのかな?
「左様です。砂糖と煮詰めて胡桃と和えました。
かりかりとして美味しゅうございますよ」
南蛮風の蘇で押し通すけど、キャラメルだ。
ナッツ多めでキャラメルナッツよりだけどね。
新鮮な牛乳って手に入りにくいんだよ。
砂糖もえらく高いから、これで精いっぱいでした。
まあ、多少なりとも牛乳は摂れるからよしとしよう。
なぜ牛乳かって? カルシウムとタンパク質が手軽に摂取できるからだよ。
健やかな体に牛乳はばっちりな栄養食品だ。乳糖不耐性やアレルギーがないかぎりは、できれば摂取した方がいい。
キャラメルに入れた胡桃も良い食べ物だよ。
ミネラルやビタミンBがいっぱいなので、綺麗な肌や髪の維持に効果抜群だ。
何より胡桃はね、トリプトファンってのを持っている。
これが睡眠や幸福感に関わるホルモンのセロトニンの分泌を促進するから、今の竜子様にぴったり。
固くて咀嚼回数が上がるから、食べてるって満足感は高まるはずだ。
「そして一番左が、ビスカウトでございます」
「ビスカウトか」
あれ、さっきより反応が普通?
もしかして竜子様はこれ、ビスケットを知ってるのかな。
「ご存知でしたか?」
「以前、殿下にいただいたからな」
はっきりとわかるほど竜子様が微笑んだ。
プレゼントされた時のことでも思い出したのだろうか。
嬉しそう、とはまた違うな。愛おしむって表現した方が近いかも?
ビスケットを映す瞳に、あまやかな幸せさが漂っている。
妙に胸がドキドキしてきた。
月下美人が咲くところに居合わせたみたいだ。
微笑んでいるだけの竜子様がとんでもなく色っぽくて、目のやり場に困る。
秀吉様、いったいこの人に何をしたの……。
「あのっ、続きの説明をさせていただきますね!」
耐えきれなくなって、視線をもぎ取る。見惚れていては仕事にならない。
私は必死で意識をそらしながら、持ってきていた小さい壷を開けた。
ふわっと甘酸っぱい芳香が溢れる。竜子様たちが、きょとんとする。
壷の中身を匙を使って、私はビスケットの隣に添えた小皿にそれを盛った。
「こちらは桑の実の甘煮です」
「季節ではないものをよう用意したな」
「砂糖で煮ると長く取っておけるのですわ」
夏に作っておいてよかった、桑の実のジャム。
マルベリーとも呼ばれる桑の実は、甘酸っぱくて美味しいフルーツだ。
ビタミンCとミネラルが豊富で、美容と健康に抜群の効果を誇る。
特に注目したいのは鉄分。
鉄分は女性の体にとっても重要な栄養素だ。
女性には、毎月生理がある。
何もしていなくても、毎月かなりの出血を起こしながら生きている。
必然的に鉄分が不足するので、一生懸命鉄分を摂取する必要がある。
そんな鉄分を多く含む桑の実は、食べておきたい食品の一つなのだ。
「萩乃様、味見なさいますか?」
「いいのですか!」
「もちろんですよ」
微かに喉を鳴らしていた萩乃様に、ジャムをスプーンで掬ってあげる。
ただの試食って意味もあるが、最終的な毒見代わりだ。
一番身近な萩乃様が食べたら、竜子様も安心して食べられるからね。
いそいそと寄ってきた萩乃様に、スプーンを渡す。
むしゃっといくがいい、萩乃様。
「で、では、失礼いたしまして」
ふっくらした唇が開いて、スプーンを咥える。
そのまま萩乃様は、静かになった。
「萩乃?」
固まった萩乃様に、竜子様が声をかける。
萩乃様は動かない。
「これ、萩乃。いかがした?」
白くて細すぎる竜子様の手が、萩乃様の肩に触れる。
軽く揺すられるのと、ほとんど一緒だった。
「竜子様っ!」
ぐりんっと萩乃様が振り向く。
勢いの良さに引いた竜子様に、ずいっと顔を寄せる。
綺麗になったスプーンを握りしめて、ジャムみたいな甘い声を上げた。
「これっ! 美味ですよっっ!!」
「び、美味とな」
「はいっ、甘くって酸っぱくって!
桑の実の味なのに、もっと甘いんですっ!!」
「あ、ああ、そうか、よかったな」
砂糖の暴力にテンションがバグった萩乃様の肩を、竜子様がぎこちなく撫でる。
雪でテンションぶち上げの柴犬をなだめる飼い主のようだ。
落ち着け、筆頭女房代行。あんたが我を見失ってどうする。
放っておけないので竜子様と二人がかりで、なんとか萩乃様を落ち着かせる。
我に返ってしょんもりする萩乃様を生暖かく見ながら、さっきの説明の続きを行う。
「桑の甘煮はビスカウトに付けてお召し上がりください」
「萩乃のように、そのまま舐めても良いのか?」
「甘すぎるかもしれませんが、それでもよろしければ」
萩乃様の様子を見て気になったんだろうが、おすすめはしない。
喉が乾くよ、ジャムをそのまま食べまくると。
竜子様がくすりと笑う。私も微笑み返して、ハーブティーの用意に移る。
今日は桑の実ジャム繋がりで、鉄分たっぷりな乾かした桑の葉のハーブティーを持ってきた。
飲み物で手軽に鉄分が摂取できるので、寧々様にも最近よく飲んでいただいている品だ。
胃腸の働きを整える橙の皮とブレンドしてあるから、食欲不振にもよく効く。
オレンジの香りにはリラックス効果を期待できるから、まったりティータイムを楽しんでほしい。
「お待たせいたしました、竜子様。
どうぞ、お召し上がりください」
毒見はもう済ませてある。萩乃様も一応食べた。
味は揃って美味しいと言ったので、きっと悪くないはずだ。
だから、ねえ。安心して食べてほしいな。
竜子様のほっそりとした指が、長めの楊枝を取る。
目配せを受けた萩乃様が、高坏から抹茶カステラを取り分けた。
カステラを乗せた取り皿が、丁寧に竜子様の前に置かれる。
一つ呼吸を置いてから、その皿に細い手が伸ばされた。
そろそろと取り上げた皿に、竜子様は視線を落とす。
一切れのカステラを、じっと、見つめる。
綺麗な緑の真ん中に、僅かに震える楊枝の先が添えられた。
◇◇◇◇◇◇◇
───半刻後。
空の高坏が、竜子様の前から下げられていく。
「食べた、な……」
ハーブティーを飲み干しながら、竜子様が呟く。
一緒に零れた吐息には、どこか満足感が漂っている。
食べ過ぎて苦しい、というふうでもなくてほっとする。
持ち込んだお菓子の量はほんのちょっと。カステラが一切れにキャラメルナッツ三欠片、小さなビスケットが二つだった。
でも竜子様にとっては、久しぶりにきちんと食べたと言える量だったはずだ。
食べたなという実感も湧いて当然だろう。
「このくらいの量でしたら、また召し上がれますか?」
お代わりのハーブティーを渡しながらたずねる。
竜子様は少し考えるふうを見せてから、首を縦に振ってくれた。
口元を手で覆って涙ぐむ萩乃様を眺めつつ、自信を持ってというふうに。
「美味であったしな」
「ようございました。
では、同じ量の食事を午にもお出しするようにいたします」
「午にもか?」
竜子様がこころもち、目を丸くする。
食べられないってのに食事を増やされるとは、思ってもみなかったんだろうな。
驚いている竜子様に、計画をお伝えする。
「はい。今後は一日五度に分けて、
お食事やお菓子を召し上がっていただきます。
量は今召し上がったくらいですね」
竜子様の胃は、小さくなってしまっている。
一度に入る容量が減って、普通の食事がきつい状態だ。
だから普通の回数、今だと朝夕二回の食事では、体に必要な分だけ食べられない。
で、あれば。
一食当たりの量を減らせばいいのだ。
そうすれば、食事の完食が可能になる。
食事を残してしまうことへの心理的負担も、うんと軽くなる。
この食事の回数を増やせば、トータルの食事量は確保できる。
本人の達成感にも繋がって、食欲も増すはずだ。
「食べられぬかもしれぬぞ?」
「構いません。それならば一度の量をもっと減らして、
食事の回数を増やせばようございますので」
私の説明を半分疑っているような竜子様に、にっこり笑って返す。
別に食べきれなくても、それはそれでいい。
一日の中で帳尻を合わせていけば、今のところOK。
竜子様は一回一回、気楽に食べればいいのである。
せっかく飽食可能な上流階級に所属しているのだ。身分をフル活用していこうよ。
なんたって、秀吉様という日本最強のスポンサーが付いているのだ。
栄養価が高い美味しいものなら、だいたいを用意させられるぞ。
「なんでもいいんですよ、召し上がることができたら。
それになんだか可愛らしい食べ方でありだと思いませんか」
「少しずつ、食べることがか?」
竜子様が、じっと私を見つめてきた。
急にどうした。どぎまぎするけど、はいと頷いて見せる。
「ええ、小鳥みたいで可愛い食べ方かと」
手のひらサイズの小洒落たお弁当みたいなものだ。
彩り豊かで、綺麗に盛ってあったら可愛い。
主食もおかずも、一口終わるなって量で揃えると、なお可愛い。
可愛いを食べている自分も、超可愛いという錯覚を覚えられる。
足りなきゃその日の夕飯で、ラーメンでも焼肉でもがっつり食べればいいのだ。
存分に可愛い自分に酔った後で、私ならそうする。
そんなことを天正風に言い換えて、私は竜子様にぶっちゃけた。
ぶりっこしても、しかたないからね。する意味もないし、私子供だから。
それに女同士なのだ。生々しい本音をぶっちゃけたって、あんまり恥ずかしくない。
私の身も蓋もない本音を聞き終えた竜子様が、飲み干した茶器を卓に戻した。
茶器の縁に指先を這わして、細い息を吐く。
「そうか……そうだな……」
ひとりごちる声音は、落ち着いていて柔らかい。
なんだかわからないが、ご納得いただけたのかな?
「そういうものですよ」
とりあえず、笑っとこ。
この日を境に、竜子様の食事量は増え始めた。
一度の量は少ないけれど、回数を増やしたのがよかったみたいだ。
小さく可愛い雰囲気の食事を、一日に何度かに分けて楽しそうに食べていらっしゃる。
それにともなって、体の肉付きもゆっくり良くなってきている。
なんとか、私はぎりぎりぎみの賭けに勝ったらしい。
頭痛と雪で更新遅れてごめんなさい。
もうちょっと竜子様編は続きます。
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