その病、なかなかに払いがたきにつき(4)【天正15年10月下旬】
「あははは! そりゃ災難だったね!」
竜子様の御殿からの帰り道。
お迎えに来てくれたおこや様が、からからと元気よく笑った。
「笑わないでくださいよ、大変だったんですから」
心配げに聞いてくれるからさっきの騒動のことを話したのに、笑うなんてひどすぎる。
怒りを込めて繋いだ手を強めに握って、おこや様に制裁を加える。
でも八歳児の握力なんて知れたものだ。おこや様はやっぱり笑ったままだった。
「ごめんごめん、萩乃殿が面白くって。
あの子にそんな可愛げがあったのね」
「可愛げで済まないですよ。
私、潰されるかと思ったんですから」
「ははは、お疲れ様」
ぽんぽんと撫でてくるおこや様の手の下で、私は盛大なため息を吐いた。
竜子様のダイエット決行の理由はわからずじまいに終わった。
あの後、号泣する萩乃様を落ち着かせるので忙しくなったのだ。
お夏どころか竜子様付きの女房や侍女まで集まって、全員で萩乃様をあやしまくった。
かなり無理してるなって、みんな思っていたらしい。
あんたはよくやってるって口々に慰めて、涙を拭いたり飲み物を飲ませたり。
萩乃様が泣き疲れて寝落ちるまで、かなりかかったけど根気良く全員で付き合った。
頼りない萩乃様だけど、周りに慕われてはいるようだ。
がんばって今の難局を乗り切れば、あの人は代行が取れた筆頭女房になれるんじゃないかな。
「それにしても困ったわね、京極の方様のお食事」
「ほんとに、ご飯を召し上がらなくなった理由ってなんでしょうね」
「そこが不思議なのよね」
おこや様が顎先に指を当てる。
「京極の方様って、元々少食でいらしたご様子でもないのよ」
「そうなんですか!?」
なにそれ初耳。少食はデフォルトなのかと思ってた。
びっくりしておこや様を見上げると、彼女はちょっとおおげさな身ぶりで肩をすくめた。
「先の春に寧々様が催された花見の会の折にはね、
美味しそうにお茶請けのお菓子を召し上がっていたわ」
「……どのくらい召し上がっていらしました?」
「寧々様と同じくらい」
「ということは、お代わりしてますね」
元の竜子様って、本当に健康そのものだったんだな。
寧々様は健啖家だ。体調が悪くないかぎり、毎食ご飯はお代わりをする。
お昼のティータイムはほとんんど欠かさないし、なんならお昼ご飯を食べる日も珍しくない。
それに準じるくらい食べられたのなら、竜子様の胃は元から小さいわけではないだろう。
「ということは、京極の方様ってふくよかでいらしたとか?」
「今よりはね? でも太りすぎってわけでもなかったかな」
「食べるのにですか」
「京極の方様もわりと動く方だったのよ、寧々様みたいに」
「ああー……」
寧々様レベルの食生活は、普通ならデブ一直線だ。
が、寧々様にかぎっては食べる分だけ動くので太る心配はない。
基本的に毎日中奥や城表にお出ましになったり、城奥の中をあちこち見て回ったりと忙しく働いている。
それにプラスで、朝夕にお庭を散歩する日課まであるのだ。高貴な女性にしては、かなりの運動量を誇っている。
竜子様は、そんな寧々様と似たようなものだったそうだ。
春ごろまでは、しょっちゅう城奥の庭を散歩されていて、寧々様と鉢合わせることも多かった。
しかも伝え聞くところによると、自分の御殿では時折弓もたしなまれていたようだ。
「弓って、それほんとですか?」
「ほんとよ。京極の方様の御殿の近くで、的を射抜く音を聞いたことあるわよ」
「えええ、なんでまた弓なんて」
「武家の姫だから武芸の一つくらいは、ってことかしらね」
あらまあ、ガチな武闘派でらっしゃる。
竜子様、ただの高貴な血筋の深窓のお姫様じゃなかったんだ。
武家のお姫様は、武芸に親しむものではあるよ。
私の教育内容の中にも、きちんと武芸が入っている。
女性向け武芸のセオリーである薙刀と、個人的な希望で小具足というのだ。
小具足とは、平たく言うと短刀を使った護身術。敵に捕まった時や捕まりそうな時、歩いている時や室内で襲われた時に対処しやすくなる。
紀之介様との手紙のやり取りでそれを聞いて、興味を持ったから教育課程に入れてもらったのだ。
そんな感じで、武家の女はだいたい武芸をやる。
でも、竜子様レベルのお姫様は、熱心にはやらないと思っていた。
上級武家のお姫様は、ほっとんど公家のお姫様と変わらんしな。
自分から弓を取るなんて、かなりレアな趣味をしているんじゃなかろうか。
「だから不思議でしかたないわ。
痩せる必要なんて、あの京極の方様にはなかったんだもの」
確かにね。動くことに慣れているってことは、太りすぎを気にするほどの体型ではなかったはずだ。
ふっくら系が好まれるのだから、なおのこと。
万が一それでも竜子様が痩せたいと思ったとしても、一番に絶食を選ぶかって疑問も出てくる。
かつての竜子様みたいなタイプなら、動けば体が締まることを経験則で知っているはずだ。
だから弓のお稽古を増やしたり、散歩の時間を長くしたりしようって発想に至りそうな気がする。
なのに、竜子様は絶食を選んだ。
御殿に閉じこもって、体を動かすことさえしなくなった。
大飯の局を封じ込めるためとはいえ、弓くらい御殿で引けたはずなのに、だ。
一体、何が原因で動くことや食べることをやめてしまったのやら。
「謎が深まっちゃった……」
まったくわけがわからなくて、ため息が出てくる。
それでも私は竜子様の食事量を増やすため、がんばらなくちゃならない。
運動量が増えたら食事量も増えると思うが、今の竜子様にどこまで運動をさせていいものやら。
ラジオ体操を一緒にやってみようか。
効果はあるけど、弱った体でやったら目眩を起こしちゃうかな?
ああもう、頭を掻きむしりたくなってきた。
糖分を脳みそに回したい気分だよ。
帰ったら手習いの前に、おやつ食べちゃおう。そうしよう。
昨日佐助が持ってきてくれた実家からの仕送りに、なんか美味しいものがあったはずだ。
「お与祢ちゃん、今食べ物のこと考えてたでしょ」
にんまり笑ったおこや様が、顔を覗き込んでくる。
うそ、なんでわかったの。
びっくりして見つめ返すと、ほっぺを突かれた。
「にや〜って顔になってるよ。
孝蔵主様に見つかったらうるさいから気をつけて」
まずい、顔に出てたか。
おこや様が気づいてくれてよかった。
孝蔵主様いわく、身分重き者は人目のある場所において感情を顔に出してはならない、らしい。
だから宮中の女官や女房ともなれば、毛ほども表情を動かさないんだって。
羽柴は武家でもあるからそこまで求めないが、デフォルトでお澄まししておきなさいって常々言われている。
それに基づいたら、食べ物に想いを馳せてにやにやするなんて言語道断のことだ。
見つかったら、またちくっとお小言をくらうところだった。
「じゃあ、帰ったら中食にしよっか」
にっとおこや様が笑う。
足取りがちょっと軽やかになった。
一緒とは言わなかったが、一緒に私の仕送りを食べるつもりだな。
この人ったら、すっかりうちから送られてくる食べ物は美味しいと学習してやがる。
さっきとは別の意味でため息が出そうだ。
「構いませんけど、いいんですか?」
「なにが?」
「東様に中食を控えなさいって言われてたでしょ」
ぎくり、と松葉色の打掛の肩が揺れる。
なんのことやら、というふうに浮かべた笑みが硬い。
ふふ、動揺してる。知ってるんだよ、私はさあ。
ふっくらするにも限度があるって、おこや様が東様に注意されていたのをさ。
「少しだけ、少しならいいよね?」
「私に聞かれましても」
すがりつかれても、知らんがな。
自分の体に聞いておくれ、おこや様。
私はまだまだ成長期で、仕事に勉学に茶の湯などのお稽古にと動き回る生活だ。
それに対しておこや様は、成長期はだいぶ過ぎていて、お仕事は城奥や中奥の倉庫管理者。
基本デスクワークで動かない。運動好きというわけでもない。
私と一緒の食生活をしてたら、結果は、ねえ?
東様の注意は、ガチでマジな忠告だよ。
ちゃんと聞いておいた方がいいと思うよ。
美容的にではなくて、健康的な意味で。
「くっ……痩せるより太るほうが容易いのは何故なの……っ」
それなー。それには同意するよ。
痩せるのは難しいくせして、太る時は一瞬。
実に自然の摂理は理不尽だ。そう決めた神様の髪を毟ってやりたいくらいの理不尽だ。
悔しげにおこや様が顔を歪めて、もうっ、と唸る。
「ちょっとお菓子を摘まむ日を増やせば一気って、
人の体はどうなっているのかしらねっ!」
「あっ」
あっっっ!!!
おこやさんはぽっちゃり系。
次回はグルメ回。
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