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北政所様の御化粧係〜戦国の世だって美容オタクは趣味に生きたいのです〜  作者: 笹倉のり
1章 私が御化粧係になるまで【天正13年11月〜天正15年8月】
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引っ越し【天正13年12月下旬】

 見つめる先には、きらきら輝く湖面が広がる。

 朝日を受けて金色に輝く光景は、この世のものとは思えないほど美しい。

 うっとりとしたため息が、年の瀬の冷たい空気を白く染めた。

 真珠色のそれもまた綺麗で、ついつい食い入るように見つめてしまう。



「お与祢、そんなに乗り出したら落ちちゃうわ」



 隣にいる母様から注意されて、慌てて船縁から体を引く。

 危ない。うっかり自分がお子さまであることを忘れていた。不安定な体勢だと、ちょっと大きな揺れひとつでぽーんと放り出されかねない。

 私の慌てぶりが可笑しかったらしい。母様はくすくす笑って、私を抱えてくれた。



「気持ちはわかるけどね。気を付けて眺めなさい」


「はぁい」



 ちょんと鼻をつつかれる。照れくさいけれど、悪くない。

 にっと笑いあって、私たちはまた輝く湖面へ目を向けた。



 私たちは今、京都へ向かう旅の途中だ。

 父様に勧められて母様と私が京都行きに同意してから、まだ二週間と少々である。

 あの後、父様はすぐさま私たちの引っ越し準備に取りかかった。

 ぱぱっと在京の親戚や家臣に手紙を出し、了承を得ると同時に私たちの旅支度をささっと整えた。

 そしてすぐさま琵琶湖を渡る船を用立てると、私たちを京へ送り出す算段をつけて大坂へ帰ってしまった。

 所要時間、たったの一週間。驚きの早業だが、母様や家臣たちは当たり前のような顔をしていた。想像していたよりも、父様は如才のない人らしい。ちょっと驚いたが安心した。

 おかげで私はのほほんとお姫様をしながら、京都での新生活をあれこれ考えて過ごす余裕が持てている。

 これから向かう京都は、与祢にとっては未知の街だが、"私"にとっては懐かしい街だ。

 私は大学と大学院の六年間を、京都で過ごした。あちこちに昔の香りを遺す、知的好奇心を満たしてくれる街だった。

 だからまたあの街で過ごせると思うと、嬉しさで心が浮き立つ。

 いや、嬉しさだけじゃない。今この胸には期待も膨らんでいる。

 現在、京都は日本の首都。私の知る古都ではなく、現役バリバリの花の都だ。

 つまり日本で一、二を争う大都会。南蛮貿易を行う国際都市大坂に近いから、きっとあらゆる人、物、知識がそこそこ豊富に揃っているはずだ。



 ならば────美容趣味が再開できるかもしれない。



 私には、生き甲斐になっている趣味があった。

 それは美容。自分をより美しく健康に整える技術と知識の収集、実践だ。

 二十一世紀の私は、敏感肌だった。それでスキンケアを学ぶうちに、気づけば美容オタクの道へはまり込んでいた。

 医学、薬学、栄養学。スポーツ科学に心理学、おまけでアロマテラピー。

 うら若き中学生から、あしかけ二〇年近く。時間を注ぎ込み、お金を注ぎ込み、美容へ全力投球をし続けた。集めた知識の活用も積極的にやって、進路も就職先も美容系研究者一直線だった。

 そしてアラサーを迎える頃には、「お前はどこへ向かうんだ?」と友人たちから言われる美容オタクにすっかりなり果てていた。

 オタク化したことに後悔はない。

 美容趣味のおかげで弱かった体や肌の調子が良くなり、お洒落が楽しめるようになり、自分への自信が付けられた。

 なにより、はっきり目で確かめられる成果は蜜の味だ。長年続けるうちに、生きるモチベーションへもがっつりと繋がった。


 そんな趣味なのだ。一度死んでも止められるはずが、あるわけなかった。


 だが、悲しいことに今世は戦国時代。

 長浜では手に入らない品が多すぎ、満足に趣味を再開できそうになくて悩ましかった。

 そんな時に出た、京都行きの話だ。まさにベストタイミング。渡りに船だった。呼んでくれた秀吉や父様には、感謝しかない。

 一応人質という物騒なお役目はあるが、今のところ山内家に豊臣から離反するフラグは立っていない。特に身の安全を心配する必要はないはずだ。

 本当に山内家の姫になってよかったよ。



「お方様、姫様」



 干菓子を楽しみつつ湖を眺める私たちへ、声がかかる。

 母様が顔を向けた方に、青年が一人跪いていた。私たちの護衛である、三雲佐助だ。



「下船のお支度を。まもなく船が大津の湊に入ります」


「あら、もう?」


「はい。あちらをご覧ください」



 佐助が船の舳先を指差す。頂を白く雪化粧をした比良山脈と、いくつもの船の帆が宿る湊が小さく見えた。



「思ったより早かったね、母様」


「そうねえ、今日は風が良かったのかしら?」


「左様でございます。ほらほら、おふたりとも菓子はまた宿で」



 侍女から受け取った市女笠を差し出し、佐助が私たちに促した。

 佐助は二十歳前後の青年で、最近山内家に仕官してきた。手槍の腕が立って目端が利き、性格も当たりが柔らかい。新参者だが信用できると父様が判断し、都行きの護衛に任じたのだ。



「今日は大津で泊まって、明日に山科へ行くんだっけ?」



 干菓子の箱を佐助に渡して、市女笠を被りながら訊ねる。

 飄々とした彼とは、会った時から妙に気が合って馴染んだ。今では姫と従者の節度は保ちつつ、気安い間柄になっている。



「はい。今からご親戚の山科の御屋敷まで行くと、夜中になりますからね。それにお方様が三井寺詣でを望んでおられますでしょ?」



 そういえばそうだった。ついでにお寺参りがしたいと、母様が新調した数珠を荷物にいそいそ入れていた。避難なのか旅行なのかわからないなあ、と思った覚えがある。



「そっか。明日はいつ山科へ着ける?」


「だいたい夕刻くらいでしょう」


「結構かかるんだ」


「今回の旅は女人が多いんでね。昼前に大津を発つならこんなもんです」



 大津から親戚が住んでいる山科まで、徒歩だと半日近く必要なのか。

 この時代の移動は、やっぱり時間が掛かるらしい。ついつい、遠い目をしてしまう。



「休み休みで行きますから、そこまでしんどくはないですよ」



 佐助がそう言って、杖を差し出してくれた。私がうんざりしていると思って、慰めてくれたらしい。

 あんたは気がつく男だよ、佐助。うちの家臣団では珍しいタイプだ。

 ありがとう、と彼に微笑み返して杖を受け取る。



 大津の湊は、もうすぐそこまで迫っていた。




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