その病、なかなかに払いがたきにつき(3)【天正15年10月下旬】
ここ半月ばかり、朝の仕事が増えた。
寧々様の朝のスキンケアとメイクと朝ご飯を済ませたら、自室に戻らずにまっすぐ竜子様の御殿へGO。
竜子様のお食事の進み具合をチェックするのだ。
食事で一番重要なのは、個人的に朝だと思う。
朝を食べないと一日活動するエネルギーが足りなくなる。
思考力や集中力は下がって、仕事どころかいろんな活動に不都合が出やすくなる。
なので朝だけでもしっかり食べてくださいと、竜子様にはお願いをしているのだが。
「萩乃様、今朝はどうでした?」
挨拶もそこそこに、萩乃様にお聞きする。
すぅ、と萩乃様の後ろの襖が開いた。
しょんぼりした感じの侍女が、無言で黒塗りの膳を運んでくる。
私の前に膳が置かれた。覗き込んで、私は真顔になる。
「たくさん、残ってますねー……」
「これでも……懸命に召し上がったんですよ……?」
はっきりわかるほど震える声で、萩乃様がうつむく。
泣かないで、萩乃様。私はあんたを泣かせるために毎朝来てるんじゃない。
でもなあ、泣きたくなる気持ちもすごくわかるんだよね。
私だって、ちょっと泣きたい。
私たちの間に置かれた膳は、竜子様が今朝食べたものだ。
お茶碗のお粥は三分の二、汁物は具が全部残っている。
お豆腐の田楽や菜の和え物といった様々なおかずは、ほぼ完全な形を保っていた。
うふふふ。竜子様ったらもー、今朝も食べてないね。
笑いごとじゃないが、いっそ笑えてくるレベルの小食だ。
おそらく食事制限で胃が縮んだかしたのだろう。
竜子様が一食ごとにお腹へ入れられる量は、ごらんのとおりかなり少ない。
たくさん食べられなくて、本人も苦労しているというのは想像できる。
でも、食べられなさすぎだ。ちょっとやばい。
「お休みは取れるようになったんでしたよね」
「ええ、しっかりと毎晩眠っておられます。
夜更けにお目が醒めることも減りましたわ」
萩乃様が少し表情を緩めて言った。
そこだけが唯一の救いだよね、本当に。
竜子様の睡眠不足は、わりと早いことどうにかなった。
秀吉様が昼にしか来なくなったからだ。
夜間の御渡りを、秀吉様がしばらく控えてくれているのだ。
今の竜子様は、秀吉様の御渡りに付き合って夜更かししていい体じゃない。
夜遅くに食事をする習慣ができているのも、健康上よろしくない。
消化活動で睡眠が浅くなってしまうから、食事は就寝時間の二時間前までに済ませることが推奨される。
竜子様の体調を考えるなら、秀吉様には昼間に来て一緒に食事をしてもらった方がいい。
そのへんを私が御典医さんたちとわかりやすいよう整理して、寧々様から秀吉様に説明してもらったのだ。
女好きだし、仕事があるから難しいかもなーと思ったけど、秀吉様はあっさり了承してくれた。
実は最近の御渡りは、竜子様にご飯を食べさせる目的がメインで、夜の生活はしていなかったらしい。
弱った女人に無理強いはしない主義か。なんで秀吉様がわりとモテるのかわかった気がした。
そういうわけで、秀吉様は竜子様の元へは夕方より早い時間帯にしか来ない。
早めの夕食を一緒に摂って、お茶を飲んで談笑する程度に留めてくれている。
ほぼ毎日来るそうだから、竜子様をとても気にかけているんだね。まめで優しいな、秀吉様。
その足でほぼ毎晩寧々様のところへも行くのは、ちょっとどうかと思うがな。
とにかくこれで、竜子様の夜は自由になった。
寝るまでに入浴を済ませたり、私を呼んで肌のお手入れをしたりというナイトルーティンができている。
睡眠については、速攻で医者に頼った。
丿貫おじさんに紹介された御典医の若い方、曲直瀬玄朔先生に漢方を処方してもらった。
深刻な不調を患った時は、基本医者を頼るべきだ。
軽い症状ならともかく、重い症状には素人の小手先のテクニックでは太刀打ちできない。
本格的な治療は専門家に任せて、私は寝付きを良くする環境作りに努めた。
例えば足湯を試してもらって、生姜湯を飲んでもらうとか。
体を温めると、副交感神経が優位になって寝付きやすくなるからね。
竜子様は冷え性もあったから、手袋と靴下も作って使ってもらった。
クリームを塗ってから着けて寝ると、冷え対策だけじゃなくて乾燥対策にもなるので一石二鳥だ。
そうそう、リラックス効果のあるアロマも寝室で使ってもらった。
精油を二、三滴ほど垂らした布を、枕元に置く。
これだけで香りの効果を得られるのだ。
安眠に効くアロマはいろいろあるけど、シトラス系の柚子とプチグレインをチョイスした。
竜子様に試していただいた時、一番表情が柔らかくなったのがこの組み合わせだったのだ。
このおやすみアロマはお気に召したようだったので、何種類かの精油を竜子様に差し上げた。
最近はご自分の気分に合わせて、色んな香りの組み合わせを楽しんでらっしゃるそうだ。
とまあ、そうした色々なことの結果、竜子様の睡眠はめきめきと改善した。
今では昼に軽くお昼寝しても、夜もぐっすり眠れるそうだ。
半分以上は玄朔先生の薬のおかげだが、あっさり治ってよかった。
私も萩乃様たち竜子様付きの女房も、これすぐ治るんじゃね? と期待したほどだ。
現実はすぐに食事量って壁に激突して、攻略に苦労してるんですが。
「どうにかなりませんか、姫君」
「どうにかって言われましても」
子猫みたいな丸い目を、溢れちゃいそうなくらい潤ませて、萩乃様が私を見つめてくる。
小動物系で可愛いが、そこに和み要素はない。
切迫した危機感しかない。
「京極の方様が好きなものばかり出してみるというのは」
「先日すでにやりました。そして、ダメでした」
「全部汁物やお豆腐とか、噛まなくて良い食べ物にしてみるとか」
「水腹になって辛いと……」
「だめかぁ」
私も萩乃様も、顔を見合わせてからがくりと項垂れる。
竜子様、マジで全然食べられないんだな。
思いつくかぎりはもうやりきった感があるよ。
こんな最低限の栄養状態が続けば、命の危険度が更に上がる。
早いとこどうにかしたいんだけど、もうお手上げに近い。
令和の頃なら話は簡単に済むんだけどなあ。
強制的に病院へ担ぎ込んで、栄養剤なりを点滴で流してもらえばいいんだもの。
しかし天正の世には点滴なんてない。地道に経口で栄養摂取してもらうしかないのだ。
「……そういえば、萩乃様」
「なんでしょうか?」
「京極の方様は、どうしてお食事を控えられるようになったんでしょうか?」
抱えた頭によぎった疑問を、萩乃様にぶつける。
食べられない以前に、なんで竜子様は食べないことを選んだんだ?
今のトレンドはちょいぽちゃだ。
令和のころと違って、ふくよかさが推奨されている。
太るようなものを食べて、かつ体を動かさないで生きていける人が希少な時代だからね。
ちょいぽちゃさんは、セレブ美人の象徴なのだ。
しかし、竜子様は逆に瘦せようとした。
命の危険が及ぶレベルの、食事制限をかけてまで。
そんな根本的な謎が、明かされていないのだ。
もしかしたら、その謎に解決の糸口があるんじゃないの?
じっと期待をこめて萩乃様を見つめる。
少し太めの萩乃様の眉尻が、へにゃりと下がった。
「わかりません……いくらお聞きしても話してくださらぬのです……」
「えぇ?」
「話したくないと……っ、萩乃にも話せぬとっ、おっしゃるのですぅぅぅ……っ!」
「萩乃様っ!?」
ぼろりと萩乃様の目の縁から、とうとう涙がこぼれだした。
慌てて持っていた懐紙で涙を拭ってあげるが、萩乃様は泣き止まない。
ますます泣き声と涙の勢いが増していく。
頭を抱えたくなったが、しかたない。
萩乃様の現状を思えば、泣きもして当然だ。
ヒスおばさんこと大飯の局を追い出してから、竜子様の周りはドタバタとしていた。
なにせ筆頭女房が消えたのだ。
司令塔の消失で、あやうく機能麻痺を起こしかけた。
大慌てで京極家が新たな筆頭女房を見繕っているが、いまだに人選が難航しているらしい。
だから緊急措置として、萩乃様が筆頭女房代行に任じられた。
萩乃様は竜子様の乳母子で、条件自体は適任なのだ。
だが、萩乃様は若すぎた。
まだ二十歳なのだ。経験値がまったく足りていない。
なんとか他の女房と協力して、竜子様の身辺を切り回しているが、いっぱいいっぱいのご様子だった。
ここにきてそうした日頃のストレスが、萩乃様の感情のリミッターを振り切っちゃったんだな。
涙腺崩壊を絵に描いたような泣きっぷりだ。
「萩乃様、落ち着きましょ?
ね? おめめが溶けちゃいますよ?」
「たつ、たつこさま、はなしてくれなくてっ、でも、っ、
わたく、わたくし、どうにかしてさしあげ、たくてぇ」
「そうですか、がんばったんですね。
でもどうにもならないのって、しんどいですよね。
萩乃様、とってもがんばりましたね」
「うぅぅー! やまうちのひめぎみぃぃ~っ!!」
しがみついてくる萩乃様を必死で支えながら、頭を撫でてなだめる。
落ち着いて離してくれと願うけど、萩乃様は離れない。
半端に優しくしてしまったせいか。それとも共感してあげたせいか。
わんわん泣きながら、私にしがみつく腕を強くしてくる。
だめだこの人。完全に我を失ってる!
人間ストレスを限界までかかえるもんじゃねーな!?
お夏ー! お夏ぅー! 助けてぇーっ!!
竜子様のダイエットの理由はもうすぐ明かします。
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