その病、なかなかに払いがたきにつき(2)【天正15年10月上旬】
竜子様のメイクは中止になった。
あんなことになったのだ。そりゃ当たり前か。
とりあえず、最低限のスキンケアだけさせていただいた。
冬に向かいつつある季節だから、乾燥による肌の荒れが怖い。
そして後はまた後日にとお約束をして、私は寧々様に連れられて竜子様の御殿から下がったのだった。
「考えていた以上だったわね……」
寧々様が、うぐいす餅を摘みながらぼやいた。
今は御殿に帰ってきて、昼下がりのティータイムだ。
天正の世では、お昼ご飯はあったりなかったりする。
肉体労働をする人は日常化しているようだが、私たちのような働かないのが仕事の階級は基本食べない。
カロリーの消費量が段違いに低いからね。
お昼を抜いても、お腹が空かないので食べない。
小腹が空いたら、軽くお菓子なんかを摘んで適当に誤魔化すスタイルだ。
今日は午前のあれこれで疲れたからと、寧々様が帰って即座にティータイムを宣言した。
お相伴を許された私もお茶をいただきながら、一緒に密談もどき中だ。
「京極の方様のお具合、ご存知だったんですね」
「うちの人から聞いて、少々ね。
竜子殿がろくに食べていないようだって、あの人が案じていたのよ」
ああ、秀吉様経由か。
側室の話を正室に打ち明けられるって、秀吉様すごいな。
うわぁと思っていると、寧々様がにっこり笑う。
「すべての奥の女の管理は、正室の務めよ」
「は、はあ……」
「うちだけじゃなくて、よそも同じよ。
貴女もゆくゆくは他家に正室として嫁ぐのだから、心得ておきなさい」
大名の正室って、面倒な上に変なストレスが多い仕事なのか。
まだ縁談のえの字も聞かない身だが、ちょっと憂鬱になってきた。
寧々様が面白そうにこっちを見ている。困っている私で楽しまないでくださいー!
「そ、それより今は、京極の方様のこと、話しましょ!」
「うふふ、話が逸れてごめんなさい。
そうね、あたくしがあの人に聞いたところによるのだけれど」
秀吉様が竜子様の変化に気付いたのは二ヶ月くらい前のこと。
夜を共にしたら、妙に痩せていると感じたそうだ。
それ、正妻の寧々様にぶっちゃける? と思うけどまあ、とにかく痩せたことに気づいた。
顔色も以前より悪いし、体調も思わしくなさそう。
懐妊をした様子もないのに、生理を理由に夜のお断りされることが無くなった。
これはおかしい。懐妊していない若い女に月のものが無いのは尋常ではない。
案じた秀吉様がよくよく観察すると、竜子様が何かしら食べ物を食べる回数が激減していた。
食べないという行為が体に悪いことを、秀吉様は嫌ってくらい知っている。
高貴な者だって、庶民だって人間だから同じなはずだ。
竜子様の不調の理由はそれだと断定して、秀吉様は自分と一緒にご飯を食べさせる作戦に出た。
しかし、竜子様はガンガン痩せていく。
息のかかった侍女に調べさせたら、なんと秀吉様のお相伴以外で食事を摂っていなかった。
直接食べるように諭しても、ろくに食べてくれない。
食べさせるように女房に指示をしても、なかなか指示通りにならない。
どうも先ほどヒスったおばさん女房が妨害しているっぽいが、証拠らしいものはない。
手の出しようがなくなった秀吉様は、そこで城奥の最高権力者な寧々様に相談したそうだ。
「あたくしにとっても渡りに船だったのよね」
「渡りに船、ですか?」
「あの大飯の局ね、あたくしも疎ましかったのよ」
さらりと寧々様が言った言葉に、私は目を剥く。
城奥の最高権力者に嫌われるとか、あのおばさん何やったんだ。
「大飯の局は、竜子殿の前の嫁ぎ先の縁者なの。
その家のことはお与祢も知っていて?」
「ええと、若狭武田家でしたっけ。
確か竜子様のご実家である京極家と、良い勝負の名家でしたよね」
「そうよ。だからあの者は、家柄を鼻に掛けることがはなはだしくってねえ」
以前からあのおばさんは周囲へ挑戦的に振る舞うことも多く、トラブルもよくあった。
どうやら、御家再興を竜子様に託そうとしていたらしい。
竜子様に秀吉様の子を産ませて、その子に武田家を継がせようって。
そのためには周りの女が邪魔だからと、おばさんは全方位にガンガン攻撃していた。
相手が公家の出でも、織田家の血縁でも関係なしにだ。
止める竜子様を時に無視して、時に隠してまでやりまくった。
注意した寧々様相手にすら、慇懃無礼に振る舞うことがあったらしい。
それでもう、進退きわまった竜子様は、最終手段に出た。
自分が御殿から出ないことで、どうにかおばさんを御殿に封じ込めたのだ。
寧々様もそれに気付いていたから、どうにかしよう思っていたところに秀吉様の相談がきた。
……と、そういういうわけである。
聞けば聞くほどおばさんがクソで、乾いた笑いが出てくる。
なんてモンスターが城奥に紛れ込んでたんだよ。
排除したいって寧々様が思うのも、これじゃ当然だわ。
ドン引きの私をよそに、寧々様はゆったりとお茶で喉を湿らせる。
うぐいす餅を楊枝で切り分けて食べてから、ふぅ、と息を吐いた。
「まあ、これで大飯の局をうちから追い出せるわ。
ひとまず、よしとしましょう」
「京極の方様を殴っちゃいましたもんね」
「ええ、二度とうちの敷居は跨がせてやらない」
寧々様の笑顔が怖い。
これはもう、追放だけで済むと思えないな。
命を取られるくらいは、あるんじゃないだろうか。
おばさんに同情はしないが、喧嘩を売る相手を間違えたな。
「では、これで京極の方様の治療は私の自由ですか」
気を取り直して、寧々様に訊ねる。
私は、知ってしまったのだ。
もうメイクと肌のケア程度で済ませられない。
済ませるつもりなんて、さらさらないけどね。
まっすぐ見上げる私に、寧々様は満足げに頷く。
「もちろんよ。だから貴女を竜子殿に引き合わせたのですから」
やっぱり最初からそのつもりだったか。
それならそうだって、前もって言ってくれたらよかったのに。
うちのご主人様のこういうところ、ちょっと困ったものだ。
「お与祢、あらためて命じます」
寧々様の言葉に、居住まいを正す。
綺麗に座り直した私に微笑みかけて、寧々様は楽しげに続けた。
「竜子殿をうちの人の子を望める体に治してちょうだい」
「承知いたしました、必ずや」
◇◇◇◇◇◇
承知しましたって寧々様に言ったはいいものの、どうしようかな。
寧々様の居室を退出して、自室に戻りつつ頭を捻る。
竜子様の状態を一言であらわすと、過剰な間違ったダイエットで体がズタボロになりました、だ。
令和の頃の女性にも、わりと多かった。
無理なダイエットから栄養失調になって、生理不順やらなんやらの問題を抱える人ってね。
体型ってわりと気になるんだよ。
足が太いとか腕が太いとか、顔が丸いとかお尻が大きいとか。
BMIが適正でも、なんとなくシルエット太くね? やばくない? と感じてしまいがちだ。
年齢とか関係なく、みんな大なり小なり悩む。
別に太っていてもいいんだよ。健康を害するほど太ってなければ、だけど。
でも大勢の人は、太っているよりは見映えがする体型でありたいと思うもの。
だから人は、ダイエットに手を出す。
そしてそのダイエットが曲者なのだ。
一番良いのは正統派のダイエット。運動量を増やして、バランスの良い食事を摂ることだ。
だが、このダイエットは時間がかかって手間だし、痩せるまでの時間もかかる。
ゆえに世間では、手っ取り早く痩せられるダイエットが持て囃される。
その際たる例が、食事制限ダイエットだ。
栄養管理は大切だから、過剰なところを削るくらいはいい。
毎日食べていたケーキやポテチを我慢して、週一にするとかね。
でも極端にやるとやばい。
糖質制限をガチガチにやるとか、朝食以外は液体以外口にしないとかね。
これをやると必要なものまで削れるので、栄養失調一直線だ。
痩せはしても体を壊す。下手しなくても、痩せなかったりもする。
竜子様は、そういう状態なのだ。
月経不順を起こしていて、モデル体型に片足以上突っ込んでいる。
肌のコンディションも最悪で、睡眠障害も出てきている様子。
栄養失調からくる不調の役満だ。
スプーンネイルという反った爪になっていたから、特に鉄分不足が深刻だと思う。
これでは妊娠を希望しても無理だろう。それ以前に、命が危うい。
いつ頃からダイエットを始めたのかはまだ知らないが、かなりやばい体調だと思う。
おそらく、秀吉様と一緒に食べるご飯でギリギリ保っていた感じだ。
死んでたな、秀吉様がいなかったら。
「とりあえず、竜子様の健康管理の計画を練るかぁ……」
自室に戻って小袖を着替えさせてもらいながら、ひとりごちる。
なんにせよ、竜子様を適正な体重に戻さなければ話は始まらない。
きちんと食べて、きちんと寝て、適度にストレスを発散する。
基本的にこれができていれば、人間そこそこ健康でいられる。
弱っている竜子様にも、できるところからやってもらおう。
差し当たっては食事と睡眠だ。
胃腸が弱ってそうだから、食べさせるなら消化しやすいけど栄養価が高い物が良い。
寝られるだけ寝る生活もしてもらおう。
日中も夜も、食事以外は寝続けてもらう。要は食っちゃ寝だ。
ある程度の栄養不足と睡眠不足が改善した後は、適度な体型管理でいいかな。
竜子様のご希望を聞きつつ、健康的に望む体型になっていただく感じで。
幸い、お金に糸目はつけなくていいと、寧々様の許しを得ている。
必要なものを、小判で殴って用意する戦法が使えるのはありがたい。
世の中お金があれば、だいたいなんとかなる。
「お夏、紙と墨と筆の用意を」
着替えを終えて、お夏に書き物の準備を頼む。
私にできることは、基本的なことだけだ。
食事にしても、医療面にしても、専門家の協力が必要になる。
竜子様の周りの人たちも、協力してもらわなければね。
手紙を書いて面会を求めるべき人だらけだが、億劫さはない。
むしろ、ちょっと楽しくなってきている自分がいる。
寧々様に任された仕事をするのだ。成功させたら、寧々様が喜んでくれる。
そう思えば、楽しみになってくるというものです。
お夏に呼ばれて、用意された文机につく。
お気に入りの墨に筆先を浸して、広げた料紙にそれを滑らせる。
さて、お仕事に励むとしましょうか!
ダイエットは諸刃の剣なので気をつけたいところ。
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