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北政所様の御化粧係〜戦国の世だって美容オタクは趣味に生きたいのです〜  作者: 笹倉のり
2章 聚楽第の御化粧係【天正15年9月〜天正17年1月】
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その病、なかなかに払いがたきにつき(1)【天正15年10月上旬】



 座敷の空気が瞬間冷凍される。

 やっぱりこうなった。でも止まれない。

 ご懐妊を望むなら、無視して良い問題じゃない。

 それとなく、この場の面々の様子をうかがう。

 竜子様本人も、寧々様や東様、竜子様の女房たちも全員フリーズしていた。

 都合が良いと捉えておこう。今なら止められる心配はない。



「京極の方様、質問を変えます。

 近頃、意識して食事を細くするなど、なさっているのではありませんか」



 次弾を口から発射する。

 これなら少しは答えやすいだろ。

 竜子様の視線が、斜めに下がった。

 都合の悪いことを指摘された子供みたいな仕草だ。

 あらま、図星か。

 もうわかっちゃいたけど、やっちまってるな。

 ハンドマッサージで触った手の爪も、そういえばスプーンネイルだった。

 これは、間違いないかもだ。

 深く息を吐いて、予想をきちんと確定させるために質問を続ける。



「もしや、夜に眠りにくい日が多いのではないでしょうか」


「……」


「今のようにゆったりとしていても、とても疲れていらっしゃいますね」


「……それは」


「少し歩いたら息が切れることも、よくあるのでしょう?」



 私の重ねた問いに、竜子様の瞳が揺れる。

 唇を淡く開いては閉じ、浅い息を零す。

 そうして酷くためらいながらも、やっとというふうに口を開いた。



「……なぜ其の方は、」


「控えよ! 痴れ者が!!」



 竜子様の小さな声に、激しく鋭い声が覆い被さった。

 心臓が跳ねる。声の方へ振り向く。

 竜子様の女房たちの中の一人が、立ち上がっていた。

 老婆までは行かないが十分に年嵩の女房が、私をまっすぐ睨んでいる。



「竜子様に対して、なんっと不躾な物言いか。

 北政所様の女童とはいえ、戯言にも限度があるぞよ!」



 ヒステリックな怒声がガンガン放たれる。

 わぁお、めちゃくちゃ興奮してらっしゃる。

 かつて役所の窓口やスーパーのレジで見かけた、クレーマーそっくりだ。

 おばさん、落ち着け。あと私は女童じゃなくて女房だ。

 いや、無理か。それも理解できないくらい、感情に支配されてるって感じだもんな。

 こういう時にこっちも感情を見せると、更にヒートアップするタイプと見た。

 勢いにビビったら相手の思う壺だ。落ち着いて対処しなくちゃ。

 深呼吸をして、荒れるおばさんに軽く頭を下げる。



「急にたくさんおたずねをしてしまい、申し訳ございませんでした。

 ですが、どうしても確かめねばならぬ、急を要する大事なことでして」


「大事ならば無礼も許されると!?

 其の方はそう申すか!」


「そう聞こえたなら申し訳ございません。言葉が至りませんでしたが、

 決してそういった意図はございません」



 接遇研修で叩き込まれた対クレーマー対応を思い出して、丁寧に淡々と返事をする。

 ここまで興奮した相手になら、一周回って冷静に対応できるもんだな。

 そんな私の態度に、おばさんは頬を引くつかせる。



「お、大飯の局様っ。そこまで、そこまでで……!」


「ええい離せ! 萩乃っ!」


「落ち着いてくださいましたら離します。

 ですのでどうか……っ」



 硬直が解けた萩乃様が、おばさんの袖を掴む。

 ちらちらと上座の寧々様たちに視線を送りつつ、なんとか収めようと必死だ。

 寧々様と東様、動かないんですが。

 扇や袖で口元を隠して、黙って事態を見守っている。

 他のお側に控える方は間に入りたそうだが、寧々様と東様がそれだから出るに出られない様子だ。

 寧々様と視線が合う。すっと、目を細められた。

 自分で捌いてみせなさいってこと?

 難しいことを、と思うがしかたない。

 これからも似たようなこと、いっぱいありそうだもんな。

 実地でちょっとずつ慣れるしかないか。

 寧々様の御化粧係でいるためには、このくらいできなくてどうするのって話だもの。



「ほうけた顔を竜子様にお見せするなっ」


「大変失礼いたしました」



 飛んできたおばさんの叱責に、深々と頭を下げる。

 おばさん、本気でムカついているんだろう。

 あるいは私に舐められてると思ったかも。

 目尻の皺が深いまなじりが、縦なる勢いで吊り上がっていく。

 おばさん大丈夫か? 頭の血管が心配だから、ちょっと落ち着いてくれ。

 心配になって頭を上げつつ顔色をうかがうと、おばさんが一歩踏み出してきた。

 ばさりと打掛を捌く音とともに、萩乃様を蹴り飛ばす。

 その勢いのまま、まっすぐこちらへ突進してくる。



 怖っ! こっっっわ!! おばさんめっちゃこわ!?



 迫り来る白塗りババァはホラーがすぎる。まだ昼なんですけど。

 軽くのけぞった私と竜子様の間に、突撃してきたおばさんが割り込む。

 近いっておばさん。恰幅がいいので圧迫感たっぷりの壁みたいだ。

 お夏が私の腕を引いて、背中に避難させてくれる。

 距離ができても安心できない。

 おばさんの極太の氷柱みたいな視線が、ガスガス私に突き刺さっている。



「ではどういう意図か、言うてみい」


「京極の方様のお体を案じてのことです」



 威圧的な声に怯んだ自分を隠して、できるかぎりゆっくり返事をする。

 感情をあまり込めずに、落ち着いて淡々とした感じで。

 相手の感情に呑まれないよう心掛けて、言葉を繋ぐ。



「お方様の肌やお顔色の様子を拝見して、早急に対処すべきと判断しました。

 ゆえに、急いておたずねしてしまいました」


「竜子様を無作法の言い訳するでないっ!」


「言い訳に聞こえましたら、申し訳ございません」



 お夏の後ろで、もう一度頭を下げる。

 しんどいけど相手がヒートダウンするまで、こうし続けるしかない。

 クレーマー対応ってのはそういうものだ。

 ま、適当なところで止まらなきゃ、上司の強権ってカードを切るんですけど。



「ですが、お方様はとても危険な病やもしれぬのです。

 もしそうならば、ご懐妊どころかお命に障りますから」


「竜子様が病だと!? 戯けた嘘を重ねるな!!」



 おばさんの表情がますます歪んで、ダンッと強く畳を踏み込んだ。

 お夏の真横に、おばさんが進む。

 私へと、更におばさんが迫る。



「お局様、おやめください!」



 萌黄の小袖の腕が、おばさんと私の間に伸びる。

 感情を抑えながらも鋭いお夏の制止に、おばさんの怒りが頂点に達した。

 ふくよかな腹に結ばれた帯から、豪華な扇が引き抜かれる。



「このっ! 慮外者の地下人がっ!」



 振りかざされた扇が、風を切る。

 毅然とおばさんを見据える、お夏に向かって。

 鬼気迫るおばさんに声が出ない。

 怒らせすぎた。そう思ってももう遅い。

 お夏を逃さなきゃ。突き飛ばそうにも間に合わない。

 

 黒い髪が、ふわりと私とお夏の視界を遮った。





「やめよッ」





 扇を肌へ強かに叩きつける、耳にも痛い音が響く。


 


 

「あ……」



 間抜けたおばさんの声とともに、その手の扇が零れ落ちた。

 ぽとりと畳に落ちた扇を、白すぎる手が取り上げる。



「やめよ、大飯」



 打たせた腕を庇いながら、膝立ちの竜子様がおばさんを見据えて言う。

 その声は、嘘のように強い。

 張りは今一つだけれど、帯を引き締めるように周りの気持ちを引き締める強さがある。

 つい、と竜子様の手にした扇が、立ち尽くすおばさんに突きつけられる。



「慮外者は貴様だ、たわけ」


「た、たつ、」


「妾を担いでに尊大に振る舞うな。

 いささか以上に度が過ぎておるぞ」



 静かな口調だが、端々に怒りが滲んでいる。

 この人、ちゃんと感情があったのか。

 驚いている私とお夏に、竜子様が振り向く。

 病んでも美しい横顔は、やはり無に近い。

 でも、きちんと私たちに心を配っているふうが見てとれた。



「大事はないか」


「は、はいっ、ですが、京極の方様、腕が」


「案ずるな、かすり傷よ。折れはしておらんだろう」



 ……発言が、男前すぎません?

 豹変っぷりに唖然としている私たちを置いて、竜子様が上座へと体を向けて座った。



「北政所様、我が老女がお見苦しいところをお見せいたしました。

 平に、平にご容赦を」



 キレの良い所作で、竜子様は寧々様に平伏する。

 畳に額をぴったり当てるほど深いそれに、おばさんは金切声を上げた。



「おやめくださいっ! 何をなさっておられるのですかっ!?



 竜子様の腕を掴んで、おばさんは平伏を解かせようとする。

 でも竜子様は平伏を解かない。地に縫い付けられたように、寧々様に頭を垂れ続ける。

 ぎゃあぎゃあと一層騒ぎ立てられても、意にも解していない。

 息を上げたおばさんの顔に、青筋が立つ。

 おいおい、主に向けて良い顔じゃねえよそれ。



「高貴な貴方様がなぜかように謙られるかっ。

 矜持は無いのですか! 大飯はかなしゅうござ」


「黙りゃ」



 竜子様が、ぎろりとおばさんを睨む。

 ひ、と喉を鳴らして黙ったおばさんに憐れむような一瞥をくれて、竜子様はもう一度寧々様に平伏した。



「お騒がせいたしました」


「いいのよ、気になさらず」



 おっとりと寧々様が微笑む。

 あ、目が笑っていない。遠目にもわかる。

 怒ってる、わけじゃない。ぎらりと一瞬光ったから。

 獲物が罠に掛かったって顔だ、あれ。



「でも竜子殿のお側には、少々不相応な者かしらねえ」



 その者。

 いつもと同じ明るい調子の声で、寧々様が言う。



「お恥ずかしいかぎりにございます」


「ふふふ、いいのよ。

 ちゃぁんとあたくしも気づけて、むしろよかったわ……東」



 呼ばれた東様がにこにこと進み出る。

 するする上座から降りてきて、私たちの元へやってきた。

 おばさんが、一歩いざる。東様は福々しい笑みを浮かべたまま、距離を詰める。

 銀鼠の打掛から伸びた腕が、するりとおばさんの腕に絡んだ。



「大飯の局殿、別室へ」


「さ、触るなっ、このっ」


「別室へ、参りましょうね」



 優しいお顔が、ひきつるおばさんに寄せられる。



「北政所様の、お言葉ですよ」



 柔らかく諭しているふうなのに、奥に冷たく硬い芯が潜んでいる。

 東様の一言に、おばさんががくんと崩れ落ちかけた。

 でも東様が許さない。腕を掴んだまま離さず、ずるずると引きずっていく。

 慌てて駆け寄った萩乃様が東様を手伝うが、東様は戸口のあたりまでしか許さなかった。

 もう大丈夫というふうに微笑んで、二、三ほど囁きかける。

 おばさんを引きずってさっていく後ろ姿に、萩乃様が一礼する。

 そうして表情を引き締めた萩乃様が、竜子様のお側に舞い戻った。



「竜子様、腕のお具合は」


「……折れてはおらぬ」


「けれど、痛みましょう」



 萩乃様に重ねられ、竜子様が目を伏せた。

 痛みを堪えていると、はっきりわかる。

 呆れたように息を吐き、萩乃様は寧々様に頭を垂れた。



「山内の姫君のお化粧の前に、

 主の腕の手当てをさせていただけましょうか」


「ええ、そうね。玄朔殿を呼びましょう」



 寧々様が脇息にもたれて言う。

 お側の女房の一人が席を立って、退室していく。

 今日は中奥に伺候している、御典医の若先生の方を呼びに行くのだろう。

 だったら診察を受ける前に、応急処置でもしておくか。

 縮こまっていた侍女の一人に声を掛けて、冷たい水を頼む。

 すぐに水で満たした手桶が運び込まれる。すぐそこに井戸があったらしい。

 よかった、と思いながら清潔な手拭いを水に浸す。

 硬く絞って、萩乃様に渡した。



「お手当てまで、冷やして差し上げてください」


「ありがとうございます、姫君」



 萩乃様が竜子様の袖を捲って、扇を受けた腕を晒す。

 ほっそりとした二の腕の中ほどが、じわりと熱を持った赤になっていた。

 一目で痛そうとわかる状態に、つい顔を顰めてしまう。

 あんな怪我になるほどの力で、あのおばさんはお夏を打とうとしたのか。

 剥き出されていた敵意の激しさに、思いを馳せてゾッとする。

 たびたびこういうことが今後もあるなら、嫌なことだ。



「お与祢」



 腕を冷やされながら、竜子様が私を呼んだ。



「先ほどの問いのことだが、今答えてよいか」


「それは、腕が落ち着かれてからにしませんか?」


「急を要すると、そなた申したであろう」



 確かに言いましたけどね。

 やばい痣になりそうな怪我とだったら、怪我の方が優先だと思う。

 そう言おうとしたが、視線に制されえる。

 真剣な、腹を括った眼差しだ。

 切長の竜子様の目元が、研ぎ澄まされたように鋭くなっている。



「北政所様もおられる、ここで答えるのがよかろう」


「はい、左様にございます」



 私が顎を軽く引くと、竜子様は満足げに頷き返した。

 気遣わしげな萩乃様の手に、自分の手をそっと添える。


 そうして、改めて私をひたりと見据えた。



「すべて、昰だ」


「では、やはり」


「故あってな、食事を細くしておったのだ。

 そうしたら、このようになってしまってな」



 答える竜子様の口調は、微かに硬い。 



「月のものはな、もう三月(みつき)は絶えておるよ」



 表情のなかったお顔が、ひくりと動く。

 ひさしぶりに試して、盛大に失敗したような笑みが口の端に浮かんだ。






「───もう妾に、懐妊は難しかろう」









※老女……ろうじょ。おばあさんという意味ではない。

     高貴な女性の側に付く使用人の筆頭格という意味。

     決してBBAと罵ったわけではない。

     ちょっとは竜子様もそう思ってるが。


お察しの方も多いでしょうが、次が病の正体が判明。


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