その白粉の下に潜んでいたもの【天正15年10月上旬】
お湯を張った角盥に、蒸し手拭いをたくさん。
手拭いは保温したままにできるように、蒸し器と釜を掛けた風炉とセットだ。
最近はこの一式のおかげで、メイクに使うお湯や蒸し手拭いの用意がとっても楽になってきている。
携帯可能な炭団が、やっと実用化できた成果だ。
今の時代、炭というのは高い燃料だ。
なんとか手頃な価格で安定的に使えないかって考えて、思い出したのが炭団。
砕けた炭の粉や規格外の炭を砕いた粉を、海藻の粉を繋ぎにして丸めて成型した固形燃料だ。
火力は弱いけれど火持ちは良いので、ちょっとした調理や火鉢に向く。
小さく作れば持ち運びもしやすく、売れない炭の良い使い道にもなるんじゃないか。
そう思って、昨年の冬に与四郎おじさんへ提案しておいてよかった。
携帯IHヒーターの代わりに、令和の頃のお茶席で見た風炉の構造を思い出して、それっぽいものを作ってもらった。
デザインに凝ったら、お茶席で使うと映えるんじゃない? ってプレゼンしたら、与四郎おじさんが思いっきり食いついて面白かったわ。
ほんと、がんばってくれた職人の皆さんありがとう。
マジで助かってます。
「お与祢、用意はできたかしら?」
上座でくつろぐ寧々様が、私に声を掛けてくる。
側に竜子様と東様を控えさせて、目はキラキラだ。
寧々様、わりと人がメイクされているところを見るの好きだね。
初めて会った時に、私がまつ様のメイクをするところを見て、はしゃいでいらしたことを思い出す。
「それでは京極の方様、こちらの褥へお横になってくださいませ」
うやうやしく竜子様に一礼する。
竜子様は汚れ対策のため、シンプルな寝間小袖に着替えていた。
さきほどの黒地に赤い紅葉柄の打掛姿より、ほっそりした印象が強くなっている。
思った以上にスリムなんだな、竜子様。
あんまり動かない上流階級の貴婦人にしては、珍しいくらいの細さだ。
今のトレンドは普通よりややぽちゃなんだが、太りにくい体質とかそういうのなんだろうか。
そんなふうに思っていると、竜子様がことんと首を傾げた。
「なにゆえに?」
褥と私をちらりと見比べて、少し不思議そうにおっしゃる。
メイクするのに横になれって言われて意味わかんないって感じか。
説明しないと不審がらせるだけだし、これは一から話さなきゃだめな感じか。
メイクオフとパックの用意をお夏にまかせ、私は腰を上げて竜子様の前に進み出る。
安心していただけるよう微笑みかけて、口を開いた。
「これから、竜子様のお化粧を落とさせていただきたいのです」
「化粧を落とす……?」
「はい、こちらをご覧ください」
持ってきた香合を開ける。
中には白くてどろりとした、モクロウとあんず油のクレンジングバームが入っている。
最近作った自信作だ。あんず油ってね、最強のフェイシャル&ヘアケアオイルの一つなんだよ。
皮膚を軟化させる優れた効能を持っていて、新陳代謝を高めてくれる効果まである。
その上、皮膚の再生に向くから傷やできものにまで効く。
まさに最強。これをフェイシャルケアに使わなくてどうするんだって話。
与四郎おじさんに炭団と風炉のセットと引き換えに作ってもらえてよかった。
後は安定供給が叶えば、言うことないんだけどな。
そんな逸品を、竜子様の前に差し出す。
しげしげと眺める彼女の表情は、相変わらずほとんど変化がない。
大丈夫かと思いつつも、気を取り直して私は説明を続けた。
「これはモクロウと杏の種から取った油の軟膏です。
肌を痛めずにお化粧を綺麗に浮かせながら、
肌を柔らかくして潤いを与える効能がございます」
お手を、とお願いして、手を出してもらう。
おそるおそると差し出された手に、木匙にひとすくいバームを落とす。
冷たかったのか、竜子様の肩が僅かに跳ねる。
でも私が両手で手を包んであげると、ふっと力を抜いてくれた。
そのまま軽くハンドマッサージを施す。
このバーム、ハンドクリームとしても優秀なのだ。
仕事柄、しょっちゅう手をアルコールで消毒する私やお夏たちも常用している。
使い続けると手がかっさかさになるんだよ、消毒用アルコールのやつ。
必要なこととはいえ、美容の専門家の私たちの手がかっさかさなのはいただけない。
だからハンドクリームでハンドマッサージをするのは、日常だからこそのお手の物。
丁寧に指の一本一本までバームを塗り込めるころには、竜子様の無表情も心無しか柔らかくなっていた。
「お手が柔らかく、しっとりしておりますでしょう?」
「……さようだな」
「今のような按摩を、軟膏を使ってお顔にも施すのです。
そのおりに竜子様にお横になっていただけると、
お手入れをさせていただきやすくなるのでございます」
よろしいでしょうか、とうかがうと、竜子様は小さく頷いた。
すぅっと立ち上がって、褥に向かってくれる。
竜子様もわりと高身長だな。女性にしては背の高い寧々様と、あんまり変わらない。
秀吉様、身長高い女性が好みなのか?
後を追って、褥の側に戻る。
横になってくれた竜子様の衿をくつろげさせていただき、手拭いで衿を覆う。
「それでは始めさせていただきます。
お目を閉じて、お体を安楽にしてくださいませ」
声を掛けて、バームをたっぷりめに取る。
手の温度をしっかり移してから、竜子様のお顔に伸ばしていく。
メイク濃いなあ。しかも使っている白粉が鉛白粉なのかな。
触っている感じ、ちょっと乾燥が酷い。
絶対に今後使うファンデは、酸化亜鉛製にチェンジしてもらわなきゃな。
このままだと、竜子様の寿命が縮む危険がある。
子供を望むなら、子供にも悪影響だ。
だってね、母親や乳母の使っていた鉛白粉のせいで、幼児が深刻な鉛中毒にかかる例はね。
歴史的に、いっぱいあるんだよ……。
江戸時代の将軍家の子なんかは、その際たる例。
コスメの歴史を学んで知ったが、当時の高貴な人の乳母は胸まで鉛白粉を塗っていたらしい。
そんな胸で授乳されたら、赤ちゃんは思いっきり鉛を経口摂取してしまう。
脆弱な赤ちゃんにとって、致命的にもほどがあるわ。
この天正の世でも、江戸時代に近いがっつり白粉を塗りたくるメイクがまだ主流だ。
首尾よく子供が産まれてきても、この城奥では危険しかない。
竜子様が授乳しないとしても、乳母が鉛白粉を塗って授乳したらアウトだ。
私の使命には、そういった危険の排除も含まれている。
あとで竜子様や竜子様のお側にいる人たちへ、しっかりじっくり酸化亜鉛のファンデのメリットと安全性について語って聞かせねばだ。
そして鉛白粉も水銀白粉も竜子様の側から消えやがれ。
もっと言えば、羽柴の城奥から確実に消え去りやがれ。
いまだに市場から駆逐できない毒白粉に敵愾心を募らせつつ、クレンジングとフェイシャルマッサージに励む。
そうしてやっと、竜子様の地肌が徐々に私の目の前にあらわれる。
ん? なんか、白すぎ?
……っていうか、青白い?
「与祢姫様?」
手を止めた私に、お夏が小声で話しかけてくる。
いけない。今はクレンジングを落とすことに専念しなきゃ。
「なんでもないわ、蒸し手拭いもう一枚ちょうだい」
気を取り直して汚れたバームを拭っていく。
肌の調子を確かめるには、全部落とすしかない。
おでこ、頬。お鼻に口元から、首筋とデコルテ。
真っ白に塗られていた竜子様の肌を、どんどん拭っていく。
そして、全貌がはっきりした竜子様のお顔に、私は絶句した。
「姫様? 姫様、いかがされましたか?」
再度フリーズした私に、お夏が不安げに声を掛けてくる。
気づけば寧々様や東様、萩乃様たち竜子様の女房たちも私に目を向けていた。
まずい。露骨な驚きが顔に出たりでもしてたか。
でも取り繕える余裕がちょっとない。
「……いかがした?」
横になっていた竜子様が、静かに声を発した。
私を見上げてくる顔は、白い。
白いなんてもんじゃない。青白いのだ。
頬どころか唇まで真っ白の、恐ろしいほどの青白さだ。
少し頬も痩けてる気がする。そういえばデコルテ、鎖骨が浮きすぎてたな。
目元のくまも酷い。こんなはっきり青黒いくまなんて、そうそうお目にかからないぞ。
青白さと相まって、なんというか病的だ。
いや、病気だろ。女性特有でもないけど、罹患率の高いやつ。
私もよく知ってる、令和の頃の女性にもわんさかいたあの疾患の可能性が高い。
……聞いてみようかな。
いやでも、かなりデリケートなことだ。
ついさっき会ったばかりの私にぶっ込まれたら、竜子様は気分を害するかも。
後で寧々様から訊いてもらうって手もあるけど、後回しにしてもいいものか。
手を打つ前に竜子様に何か無いとも限らないし……うう……。
時間にして、どのくらい迷っただろう。
五秒も無かったかもしれないが、散々迷った末に私は表情を引き締めた。
「京極の方様、おたずねいたしてもよろしゅうございましょうか?」
手を付いて、竜子様のお顔を覗き込む。
メイクを落としたらさらに若々しく、なのに弱々しくなってしまったお顔を、じっと見つめる。
「よい、何か」
ややあって、竜子様は許してくれた。
その許しに、私はそっと息を吸い込む。
覚悟は決めた。竜子様、怒らないでくださいね?
怒られたら、小心な私が泣くかもしれんし。
「月のもの、毎月きちんと来ていらっしゃいますか?」
座敷の空気が、凍てついた。
メイクより先にやることが発生しました。
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