厄介事と書いて、ファースト・ミッションと読め【天正15年10月上旬】
本日2話目
「貴女にうちの人の子をもたらしてくれる、瑞兆よ」
寧々様の言い放つセリフに、意識が若干遠くなる。
茶碗のデザイン以上の無茶振りきっちゃったよ、おい。
そっち方面の期待をされていて、多少お力添えをできたらがんばろうとは思っていた。
でも確定で子供を授けてくれる、便利アイテムみたいに語るのはやめてほしい。
無理だから、本当に。
私にあるスキルは、美容分野の知識と経験のみだ。
スキンケアやメイクで竜子様を美しくできても、ご懐妊に導く能力は無い。
期待されて叶わなかったら、やばいよね?
控えめに言わなくても恨まれたりとかなんとかしちゃうよね!?
「寧々様」
「なにかしら」
「恐れながら、私を買い被りなさらないでくださいまし。
身の縮む思いがいたしますわ」
頼むからもうやめて。気持ちを込めて、表面だけ微笑んでお願いする。
寧々様は、あらあら、と扇の陰で笑い飛ばした。
「謙遜せずとも良いではないの。
貴女の手入れや助言を受けて、あたくしは最近とても健やかになったのよ。
幾つも若返ったようだって、うちの人も言ってくれているわ」
「もったいないお言葉でございます。
ですが、その、子宝に関しましては」
「貴女の母君、また懐妊したのですってね」
「……お耳が早うございますね」
「うふふ、千代から直接文で聞いたのよ。
貴女の助言で、また懐妊できましたって」
うっ、と言葉に詰まる。
そうだ。私が城奥入りした直後、母様の懐妊が判明した。
前回の出産から一年足らずの妊娠だ。ちょっと早くて驚いた。
丿貫おじさんの見立てでは、出産後の回復が早かったからではないか、ということらしい。
母様の肥立ちが良くなるよう、色々私が口出ししたせいだ。たぶん。
前世の姉が妊娠で体調崩して里帰りした際に、妊婦さんの美容や健康に関する勉強をしてたんだよね。
妊娠線ケアとか、栄養管理とか運動方法とか。
産後もどうしたら早く元気になれるか調べて、できる範囲でサポートしていた。
それをそのまま、母様にも様子を確かめながら、可能な程度で実践したのだ。
だから母様は、あれだけ大きな松菊丸を産んでもわりと元気だった。
回復も順調に進んで、わりと短期間で元の母様になった気がする。
でも、それと妊娠はちょっとしか関わりないんじゃないかな!?
「薄くても関わりがあるのなら、あたくしは賭けますよ」
私の心の声に応えるように、寧々様が言う。
賭けられても困りますって。そう言えたらどんなによかったか。
皮一枚下で震え上がる私をよそに、寧々様が竜子様に視線を移す。
「そういうことです。
これからしばらく、毎日貴女の元にお与祢を連れて行くわね」
いいかしら、と寧々様に言われて、竜子様はしずしずと頭を垂れた。
了承、なさったのかな。あっさり言うこと聞いたな、竜子様。
寧々様との間の上下を、思った以上に弁えていらっしゃる。
あまり、血筋や出自を鼻にかけない方なのかな。
「お与祢、と言ったか」
お顔を上げた竜子様が、話しかけてくる。
抑えめの声だが、不思議とはっきり耳に届く。
お返事をすると、竜子様の口の端が微かに動いた。
「よしなに頼む」
わ、笑った?
これは笑ってらっしゃる、ってことかな?
一応は好意的に受け入れてくださった……と解釈していいのだろうか。
とても判断に困るが、都合よく受け取らせていただこう。
ネガティブに考え始めたら、胃がもたない。
礼を失しない程度に深呼吸をして、畳に指をつく。
「はっ、京極の方様のために力を尽くさせていただきます」
垂れた私の頭の上に、満足げな寧々様の笑い声が降り注いだ。
◇◇◇◇◇◇
お茶会はその後、寧々様の宣言ですぐに終了した。
さっそく竜子様の御殿に行って、まずはスキンケアやメイクから試していきましょうってことらしい。
行動があまりにも早すぎる。表情の変わらない竜子様すら、微かに困惑のような気配を滲ませていたほどだ。
寧々様の夢はよくわかっているつもりだが、めちゃくちゃ急いていらっしゃる。
そんなに秀吉様の子供が欲しいのか。
竜子様の手を引いて、心なしかうきうきと寧々様が退出した後、私は与四郎おじさんから新規入荷を受け取った。
中身はコスメやスキンケア用品と、それから化粧筆やビューラーなどの道具。
良いものがたくさん仕入れられたから、すぐに竜子様へ使えそうだ。
とりあえず、令和風メイクを試していただこっかな。
寧々様に似た人だから、きっとますます秀吉様が気に入るように仕上げられるだろうし。
子供が欲しかったら、お渡りを増やさなくっちゃ始まらないもんね。
与四郎おじさんと別れて、そのまま必要なものを抱えて城奥へ戻る。
目的地は竜子様の御殿だ。
迎えに来てくれたお夏たちを引き連れて、一直線に向かう。
途中で竜子様のところの女房が待っているから、そこまではそうしろって寧々様が言っていた。
嫌な視線に晒されて気分が悪いから、できるかぎりの早足で廊下を歩く。
待ち合わせ場所と教えられていた、薮椿が植わる庭近くにたどり着く。
廊下の端に、竜子様と同い年くらいの若い女房がいた。
薄いベージュの打掛の彼女は、私を見つけるとほっとしたように駆け寄ってくる。
「山内の姫君ですね」
「さようでございます。あなたが京極の方様の?」
「はい、萩乃と申します。
京極の方様に申しつけられてまかりこしました。
こちらへどうぞ、ご案内します」
ほっとして頷いて、萩乃様の後に続く。
道中ちょっと話したら、彼女も私と合流するまで変なやつに絡まれないか不安だったらしい。
寵姫の女房だから、結構よその女房とかに絡まれやすいそうだ。
竜子様が正室じゃない分、寧々様付きの私たちより遠慮無しに嫌がらせを喰らうらしい。
こっっっわ。上には上の苦労をしている人がここにいたわ。
お互い苦労しますね……と乾いた笑みを浮かべ合って歩く。
萩乃様とも、ちょっと仲良くなれそうだ。
もうすぐで竜子様の御殿に着ける。
そう萩乃様が教えてくれた時に、ふと視線を感じた。
「……?」
ただ、見ているといった感じの視線だ。
肌を抉るような悪意の棘も、子供を愛でる暖かさもない。
風景をほんやり眺めるような、見るという行為をしているだけ。
そうとしか言いようがない視線が、私に向いている。
誰だろうか。気になり始めると落ち着かない。
萩乃様に相槌を打ちながら、視線の元を探す。
廊下の前や後ろ、通り過ぎていく部屋の中にはいない様子だ。
と、なれば庭か。
つい、と横目を庭へやる。
苔むした広い庭には、庭木と庭石がぽつぽつと配されている。
その合間に、リンドウが淡い紫の花を揺らしていた。
花畑と呼ぶには少し寂しい、秋の庭。
その奥へと続く踏み石の道から、視線の気配がする。
踏み石の中ほど。大きな庭石の傍らに、人がいた。
うら若い、美女だった。
陽の光を透かすような白い肌。光の加減で亜麻色に見える髪。
木漏れ日を受ける面立ちは、ただただ可愛らしい。
すぅ、と高い鼻筋はまっすぐで、まだ剃っていない眉は優雅な曲線を描いている。
ふっくらした唇はほんのり開いていて、はっとするほど朱い。
体つきはすらりと背丈が高く、遠目にもほっそりとしている。
羽織っている淡いグリーンの打掛を相まって、まるで雪柳の精ようだ。
そんな妖精のような彼女が、私を眺めている。
溢れるような淡い色の瞳が、私を映している。
─────ぞくりと、した。
「山内の姫君、いかがされました?」
萩乃様の声で、我に返る。
肩を跳ねさせて、萩乃様を見上げる。
ことんと首を傾げる彼女の表情は、きょとんとしている。
庭の存在に、気づいていない顔だ。
嘘でしょ、あんなに見られているのに。
慌ててちらりと、庭へ目を戻す。
淡いグリーンの打掛の背中が、音もなく遠ざかっていくところだった。
今なら、萩乃様に聞けば、あれが誰だかわかるかも。
「なんでもありませんわ」
口を開こうか迷ったが、結局やめる。
なんとなく、藪蛇な気がした。触らぬ神に祟りなしともいうし、正体を探るのはやめておこう。
「リンドウが綺麗だなと、見惚れていたんです」
「まあ、姫君もそう思われます?
わたくしもこの庭の竜胆が好もしく思っておりますの!」
そらした話題に、萩乃様が食いつく。
調子を合わせながら、先ほどの誰かを頭から追い払う。
竜子様の居室に着くまでに、忘れてしまいたい。
そう、強く強く意識しながら。
長くなったので、続きは明日に。
ちなみに竜胆の花言葉は「悲しんでいるあなたが好き」
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