福松丸という男の子【天正17年8月初旬】
約束していたお昼ご飯の最後の、デザートを摘まみながらのひととき。
茶器の白湯で唇を湿らせ、福松丸様は話し続ける。
「気になって少し沢べり歩くと、開けた場所に出まして。……何があったと思われますか?」
「なにかしら? 山なら珍しやかな鳥……あ、お花かしら?」
「当たりですっ、山躑躅が咲いていたんですよ! それも、沢に面した崖いっぱいに!」
言いながら、福松丸様がわっと両腕を広げた。
春の側を通り抜け、夏に向かって咲き誇る花の勢いを示すように。
たったそれだけなのに、彼の見た光景が目に浮かぶ。
「素敵、絶景ですわね」
「はいっ、燃え立つような一面の赤がとっても見事で。兵部が追いついてくるまで、ずっと見惚れておりました」
耳を赤くして語るくらい、その景色が美しく目に映ったのだろう。
福松丸様の純真さが、何とも言えず微笑ましい。
聞いているだけで、こちらも自然と笑みがこぼれてしまう。
そうして、あらためて思った。
福松丸様は、とにかくすごく良い子だ。
まず、見た目が良い。私が好きなタイプの美少年だ。
流れる水ようにきらめく黒髪に、軽く日焼けしたなめらかな肌。
くりくりとして大きな黒い双眸に、すっと通った形の良い鼻。
それらが血色の良い唇と一緒に、卵型の輪郭の中で品良く納まっている。
体型はすらりとして健康的な細身だが、背丈は私よりわずかに低い。
でも手足が長く、骨が太そうなので、伸びしろはあると思われる。
裕福なお家で健やかに育ったスポーツ少年、と言えばイメージしやすいかな。
活発そうだが粗野ではなく、賢くて言葉使いも所作も整っている。
性格はびっくりするほど素直で、男の子にありがちな小生意気さがない。
褒められれば嬉しげにはにかみ、困れば濡れた子犬のような顔をする。
御曹司然としているが、どこまでもナチュラルに純朴で善良。
そういうところが、容姿と同じく徳川様によく似ている。
天然物の良い子は、やっぱりいいね。
普通に接しているだけで、とても癒される。
心に染みつく世間の薄汚さが、優しく洗い流されていく。
どうりで私の疲れに効くわけだ……。
「……急ににやけて、どうしたの」
飛んできたいぶかしげな声で、我に返る。
向かいの福松丸様の隣に座る旭様が、呆れたように私を見ていた。
まずい。考えていることが顔に出たか。
慌てて梨の入った瑠璃色のガラス器を膳に戻し、居住まいを正す。
「いえ、なんでもございません」
「隠さなくていいのよ。どうせ梨が美味だったからでしょう?」
ちょっと違うが、それもある。
見抜かれてぎくりとした私に、旭様はため息を吐いた。
「まったく、あいかわらずね」
「……失礼いたしました」
「悪いとは申していないわよ?」
唇を尖らせる私を鼻で笑って、旭様がちょいちょいと手招きをした。
膳を脇によけて膝を寄せる。それに合わせたかのように、梨の入った器を押し付けられた。
「お食べなさい」
「え?」
「……菜の物に、箸が進んでいなかったでしょう」
息を飲む私に楊枝を持たせて、旭様は続ける。
「だいたいのことは聞いているわ。色々あった、とね」
「御前様……」
「食べられるものだけでも、食べなさい」
ほら、と急かされるまま、私は梨を口に含んだ。
おいしい。素直じゃない優しさが、梨の味のようにじわりと私に染みわたる。
すべて知っていて、でも以前と変わらない態度で、さりげなく気遣ってくれる。
ただ優しさに浸して癒そうとしてくれる周りとは違うそれが、今の私には心地良い。
(ほんと、旭様には敵わないな)
降参して、もう一口、梨をかじった。
みずみずしい甘さが、軽やかな歯触りとともに口に広がる。
やっぱり、おいしい。
「義母上、あの」
福松丸様が、おずおずと旭様の袖を引いた。
「与祢姫はお具合がよろしくないのですか? 深窓の姫ゆえ少食だというわけでなく?」
「ふふ、心配なさらず。この子は特に不調ではなくてよ」
ねえ、と旭様に振られ、慌てて頷く。
「少し疲れているだけですわ。この夏は暑さが厳しゅうございますから」
「暑気あたりですか?」
「ええ、おそらく」
そういう感じもあるから、そういうことにしておこう。
困ったような笑顔を作って私が答えると、一応は納得してくれたらしい。
福松丸様の顔に浮かぶ心配が、ちょっと和らいだ。
「ならば、僕の梨もどうぞ」
ほっとする私に、福松丸様が自分の梨の器を差し出した。
「梨は体のほてりを冷ます良い水菓子だ、と、父が申しておりました」
「若君様?」
「姫の暑気あたりにもよく効きましょう。どうか、召し上がってください」
福松丸様の手が、私の手を取る。
優しく瑠璃色の器を持たせてくれた手は、まだほっそりとして柔らかい。
けれども、ほどよい温かさがあって、私を妙に落ち着かなくさせる。
「お気持ちはありがたいのですが、貴方様の分までいただくのは申し訳ないですわ」
内心慌てながら、とりあえず断る。
お客様のデザートを奪うような真似は、なけなしの姫としての品格が疑われてしまう。
すると福松丸様は、不思議そうに私の顔を覗き込んできた。
「どうして?」
「御前様の分をもう、いただいておりますし……」
「そのようなことはお気になさらず。必要な方に食べていただければ、梨も僕も本望です」
言い切る声音は澄んでいて、深い真心がこめられている。
頼りがいが、頼りがいがすごい。溢れる優しさが押し寄せてくる。
なすすべもなく飲み込まれて、促されるまま器の梨を食べてしまう。
「たくさん召し上がって、元気になってくださいね」
にこにこと笑って、福松丸様が言った。
さすが、家康の息子。この頼りがいは父譲りか。
口を動かしながら、旭様の方を見る。目が合うと、柔らかく目を細められた。
どこに出しても恥ずかしくない、自慢の息子ってことね。
どうだと言わんばかりの旭様の表情に、納得する。
この福松丸様の性格を見せるのも、旭様の意図だったみたいだ。
気楽な立場であろう四男で、これだけの将来有望さはすごいよ。
今のやり取りで、これでもかと思い知らされた気分だ。
お世継ぎの三男の若君にも、かなり期待できるのでは?
福松丸様と同腹という話だし、性質も近い男の子な気がする。
だとしたら、江姫様の不安も杞憂に終わるかもしれない。
福松丸様のような優しさと頼りがいを備えた人なら、きっと江姫様に寄り添ってくれるはずだ。
「姫?」
小首を傾げた福松丸様に、誤魔化すような微笑みを返す。
「すみません、見つめてしまって。若君様のお優しさに感じ入ってしまいましたの」
「!」
一瞬にして、福松丸様が耳まで赤くなる。
ほんっと可愛いな、この子。
なんて思いながら、私はご満悦で梨を噛みしめる。
そして呆れたような旭様の視線は、まるっと無視をしたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇
思いのほか楽しい昼食会は、あっという間におひらきの時間を迎えた。
次は午後に向けて、江姫様のおめかしのお手伝いだ。
「奥向きとの境までお送り申し上げても、よろしいですか?」
旭様にそう伝えて席を立とうとしたら、突然福松丸様が申し出てきた。
思わぬことで、きょとんと福松丸様を見つめてしまう。
頬を染めた彼はちょっと目を伏せ、落ち着かないそぶりで続けて言った。
「あの、もう少し。もう少しだけ、姫と、お話ししたくて……っ」
「まぁ」
え、可愛い。何なの、この子。可愛いかよ。
ちらりと旭様の方を見る。
「よくてよ、城中ならば滅多なこともないでしょうし」
口元を扇子で隠し、旭様は目を細めた。
身分の高い男の子を連れまわすのは、と思ったけどならいいか。
「では、お言葉に甘えてお願いいたしますわ」
緊張した面持ちの福松丸様に向き直り、私は軽く頭を下げた。
「せっかくですから、私の好きなお庭の近くを通ってまいりましょうか」
「先ほどのお話しなさっていた、百日紅の?」
「はい、今は他のお花も見頃ですから。いかがですか」
「行きますっ、姫のお庭を見たいですっ」
私の誘いに、福松丸様は勢い込んで何度も首を縦に振る。
微笑ましい子だなあ、もう。口元が緩みっぱなしになってしまうじゃないか。
福松丸様はいそいそと立ち上がり、私の側にやってくる。
子犬のような様子に内心にやけつつ、私は旭様の方へ振り返った。
「それでは御前様、いったん失礼いたします」
「ええ、またあとで。福松殿、楽しんでいらっしゃいね」
「はい、義母上様」
参りましょう、と福松丸様に促される。
まだ節の高くない、柔らかさを残した左手が差し出される。
私は気負うことなくその手に右手をまかせて、連れだって座敷を後にしたのだった。
百日紅の庭には、すぐ着いた。
思ったよりも近かったから、まだ少し時間に余裕がある。
せっかくだからと、私と福松丸様はお花見しつつお喋りと洒落込むことにした。
福松丸様との会話は、やっぱり楽しい。
聞き上手で、同時に話し上手だからだろう。
会話が一方的にならず、きちんとキャッチボールができて気持ちいい。
話題の幅も歳にしては広いし、私の話にも興味を持って関連付けた会話をしてくれる。
同年代の金吾様や熊ちゃんと違って、無理に大人っぽく尊大に振る舞うこともなく、わざと子どもっぽい愛らしさを押し出すこともない。
おかげで私の方も気負うことなく、自然体で会話を楽しめる。
親しいクラスメイト、いや、異性の友達くらいの距離感、かな?
かつての学生時代をちょっと思い出して、懐かしくなる。
天正で生きてもうそろそろ、四年近く。
同性の友達は何人もできたけれど、お姫様であるゆえに異性の友達はほとんどいない。
自由に令和という時代を生きた記憶がある私にとっては、これが少々不満だった。
男友達としか楽しめないこととか、男性視点の意見がほしい時とかあるじゃない?
だから令和に生きた時のように、歳の近い男友達がほしいなーと思っていた。
そこへきての、この福松丸様との出会いですよ。
間違いなく、男友達をゲットする絶好の機会だと思う。
福松丸様は徳川家のご令息で、私は寧々様に仕える小大名の姫だ。
身分的にも、立場的にも、遊び相手とするには問題ない。
距離感を考えた付き合い方をすれば、寧々様や両親もダメとは言わないはずだ。
徳川家の許しも必要だけど、そこも大丈夫だろう。
だって、福松丸様と私を引き合わせたのは旭様なのだ。
彼の正室ではなくお友達の座を狙うだけなら、大目に見てくれると思う。たぶん。
「ときに、若君様」
頭の中の計算を終えて、並んで濡れ縁に腰を下ろしている福松丸様に話しかける。
「なんでしょう」
「実はですね、お願いしたいことがありますの」
「お願いですか? 僕に?」
福松丸様が、きょとんとして小さく首を傾げた。
昔飼っていた柴犬みたいで、つい笑みを誘われる。
にこにこ笑って、そうです、と頷いてみせた。
「若君様にしかお頼みできないことなのです、よろしいですか?」
「いいですよ! 僕でお役に立てることがあるなら、なんでもどうぞ!」
ぱっと明るい笑顔で、福松丸様は頷き返してくれた。
うん、ちょっと心配になるほど素直な良いお返事だ。
嬉しい半分、心配半分な気持ちを隠して、私は福松丸様の耳元に手を当てた。
「では、若君様。よろしければ、私と────」
「与祢姫?」
うるさいほどの蝉時雨が、一瞬遠くなる。
そぅっと背に触れた声に、私の体がぴたりと止まる。
うそ、まさか。なぜここに、と全身から血の気が引いていく。
けれどすぐ、ここが大坂城の中奥だったことを思い出す。
あの人がいても、不思議ではない場所なのだ。
「与祢姫っ」
もう一度、名前を呼ばれる。
テンポの乱れた早足の音が、それに続いて近づいてくる。
一瞬迷ったが、すぐ逃げられないと諦めた。
どくどくと跳ねる心臓を抑えて、声の方へと首をめぐらせる。
「与祢姫…………?」
会いたくて、会いたくて。
でもまだ、会うための心の準備ができていない大切な人。
────紀之介様が、廊下の先で立ち尽くしていた。
大谷さん→浮気現場を押さえた気分の人
与祢 →浮気現場を押さえられた気分の人
福ちゃん→修羅場に巻き込まれた罪のない子
2回目の「与祢姫」の大谷さんの声はだいぶ弾んでた。ウキウキ。
次回、修羅場。
・兵部
井伊さんの通称。井伊兵部。
人斬りをくっつけた『人斬り兵部』とかいう物騒なあだなもある。
旭様のパシ……福ちゃんの傅役として上洛なう。
更新遅くなってすみません…。次はもうちょい早くしたい。
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