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北政所様の御化粧係〜戦国の世だって美容オタクは趣味に生きたいのです〜  作者: 笹倉のり
1章 私が御化粧係になるまで【天正13年11月〜天正15年8月】
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閑話 鴛鴦の元に生まれた鸞【山内夫妻・天正14年6月上旬の夜】

予定変更して早めに更新します。

タイトルは「えんおうのもとにうまれたらん」と読みます。

 千代が客間に辿り着くと、控えていた侍女が襖を開けてくれた。

 薄暗い廊下に、ふんわりとろうそくの灯りがこぼれる。



「失礼いたします」



 声をかけると、中でくつろぐ千代の夫が振り返った。



「千代か、遅かったな」



 夫──一豊が、にっこり微笑む。

 どうやら月を肴に晩酌の最中らしい。手には酒杯をしっかり握っている。



「与祢がなかなか寝付いてくれなかったのですよ」


「ああ、昼にずいぶんとはしゃいでおったからか?」


「そのせいで目が冴えてしかたない様子でしたわ」



 あてがわれた寝所にいる一人娘を思い出して、千代はつい苦笑する。

 昼から夜までずっと興奮が醒めなかった与祢は、しとねに入れてもなかなかおしゃべりを止めなかったのだ。

 明日の洗顔には今日作った橙の葉の露を使いたいだの、採れた香油で試したいことがあるだの。小雀のようにはしゃいで賑やかにしていた。

 微笑ましいやら、困ったやら。近頃ずいぶんと大人びた娘にしては、子供っぽいことだった。



「与祢の気持ち、わからんでもないな」


「さようですか?」


「水と(だいだい)の葉で採れる油という珍しきものを見たのだぞ。あれには儂も仰天したわ」



 酒杯を舐めながら、一豊は目をきらめかせて言った。

 確かに、と千代も夫に同意する。昼間に行われた、南蛮渡来のらんびきとやらを使った香油──与祢は精油と呼んでいる──の採取は、実に胸がわくわくとする試みだった。

 出来上がったかぐわしい香油と芳香蒸留水なる露には、千代さえ年甲斐もなくはしゃいでしまったくらいだ。

 幼い与祢が眠れなくなるのも、当たり前なのかもしれない。



「与祢は、ほんに不思議なことを知っておりますわね」



 感嘆をにじませて、千代が呟く。



「橙の効能も、湯気から採れる油のことも、わたくしは存じませんでした」


「儂も千代と同じさ。あの子はどこで斯様な知識を身に付けたものやら」



 誰が教えたわけでもないのに、不思議なことだ。

 千代も一豊も、与祢を大切に可愛がってはきた。でも、特別な育て方などはしてない。

 しいていえば本人の希望で手習いと茶の湯はさせているが、それだってままごとに毛が生えた程度だ。

 あのような突飛な知識を身に付けさせる機会など、用意した覚えがなかった。



「都へ移ってから、あの子に何か変わったことはあったか?」


「そうですわねえ……丿貫おじさんと仲良くなったことくらいかしら」


「叔父殿か。そういえば、来客が多いそうだな」


「ええ、以前文に書きましたとおりに。

 利休殿をはじめとした名のある町衆、公家や武家の方、幾度か南蛮人も見かけましたわ」


「顔が広いなあ、あの方は。

 ならば与祢は、そのあたりからなにがしか教わったのかのう?」



 可能性としては、大いにありうる。

 山科に仮住まいを始めてからの与祢は、日がな丿貫にべったりだ。丿貫も孫のように与祢を可愛がり、側に置いていることが多い。もちろん、来客中もだ。

 そして、与祢が変わった行動や物珍しい知識を見せるようなったのも、同じ頃からだった。

 おそらく与祢は丿貫に伴われてさまざまな種類の人間に出会い、彼らとの会話でその叡知を吸収したのだろう。

 夫婦どちらともなく、ため息ともつかない吐息が口からこぼれた。

 門前の小僧、習わぬ経を読む。

 そんな故事のようなことが、まさか我が子の身に起きるとは夢にも思わなかった。



「対馬様、千代殿」



 からりと明るい声が、千代たちの背にかかる。

 ふたりが振り向くと、開け放たれた襖の向こうに、利休と丿貫がいた。



「あら、利休様に丿貫おじさん」


「こんな時分にどうなされた?」


「今宵はええ月でおざりますさかい、まかりこしました」



 月見酒でもどないでっしゃろ、と利休が微笑む。



「さっきまで会うとった伴天連(バテレン)さんにな、葡萄酒をもろうたのや」



 隣で肩を並べる丿貫が楽しげに、片手に下げた玻璃の瓶を掲げて見せる。

 途端に一豊のくりくりした目が、くわりと見開かれた。



「なんと! 葡萄酒ですか!」


「上物やそうやでぇ。さっきちぃと飲ましてもろたけどな、えらい美味やったわぁ」


「それはそれは! さっ、お二方ともこちらへまいられよ! さっ!!」



 一豊はいそいそと腰を浮かせて、老人二人を招き入れる。

 嬉しさを隠そうともしない夫に、千代はさきほどとは違う種類のため息を吐いた。

 まったくこの人には困ったものだ。さして強くないくせに、強い酒が好きですぐ潰れるのだから。

 せめて酒杯が進みすぎないよう、よくよく見張っておかなくては。



「どなたにお会いかと思ったら、伴天連でしたのね」



 持ち込まれた玻璃の杯に葡萄酒を注ぎながら、千代は丿貫に話しかけた。



「わしと利休殿の相識(しりあい)でな、オルガンチノ殿と申す伴天連の偉いさんが来てくれはってん」


「オルガンチノ殿といえば、たしか以前安土におられた方では?」



 その名は、千代にも心当たりがあった。ありし日の安土の南蛮寺で見かけた、人の良さそうな伴天連がそんな名だったはずだ。



「せや、そのオルガンチノ殿や。今は高槻におられてな、たまぁにわてのとこに来てくださいますのや」


「なんとまあ大した御仁と相識でいらっしゃるのですな」


「まあ、商いの関係ですよって」


「わしは昔に、あやつの腫れもんを治したった時以来やなあ」



 何でもないふうに話す利休たちに、一豊は驚いた顔をする。

 オルガンチノは、何人もいる伴天連の中でもなかなか位の高い者なのだ。民草に気安いと評判の人物だが、そうそう会えるものでもない。

 そんな者とさらりと親交を持つなんて、さすがは堺の豪商と元都指折りの名医である。ただの好好爺に見えて、侮れない老人たちだ。



「そんな方と今宵はどうしてお会いに?」



 四人全員に酒杯が行き渡ったところで、千代が水を向ける。

 急な来客で丿貫たちと夕食を共にできなかったことを、与祢がずいぶん惜しんでいたのだ。



「先日、オルガンチノ殿に文を送っての。二、三とおたずねしておったんよ」



 今日はその返事がてらのお越しや、と丿貫がのんびりとした口調で答えた。



「何をたずねられたのですか?」


「蘭引を使って香油を採るということは、南蛮ではよくあることなのか、とかな」



 はっと千代と一豊が顔を合わせる。



「結論からいえば、あるそうや」


「まことですか!」


薔薇(そうび)の花を蒸留して、香油と(つゆ)を採取しとるんやて」



 丿貫たちがオルガンチノに聞いた話によると、薔薇の香油と露のどちらも伴天連にとって必要なものだそうだ。なんでも、大切な神事に使用するらしい。

 またオルガンチノは、蘭引のことも香油の採取に必要な器具ゆえに知っていたそうだ。



「つまり与祢はどなたかにそれを聞いて、香油の取り方を知ったのでしょうか?」



 一豊が丿貫と利休を見比べる。

 オルガンチノの話に従えば、そう考えるとしっくりくるように彼には思えた。



「当たらずともとおからじ、や」


「当たらずとも、とはどういうことですか?」


「千代、わしの元に幾度か南蛮人が来てはったのは存じとるな?」



 丿貫から水を向けられた千代が慌てたように頷く。



「え、ええ。おじさんに文を持っていらっしゃる伴天連の方がいますわね」


「どうやらお与祢はその御仁、オルガンチノ殿のお弟子なんやが、に訊ねたらしい。

 キリシタンが儀式に使う薔薇の露や香油はどう用意しているのかとな」


「やはりですか、あの子は物怖じせんのだなあ」



 南蛮人は日の本の人間と容姿が異なる。天を突くように上背があり、顔立ちが濃くてきつく目に映りがちだ。

 そのために、大人であっても構えてしまう者は珍しくない。子供になると、怯えて泣いてしまうことが多いほどだ。



「問題はそこやないねん」


「まだ何かあるのですか」


「お与祢はな、その御仁の帰りしなを追いかけてな……」



 一瞬、丿貫が言いよどむ。難しげに眉を寄せたまま、利休に視線を向けた。

 続きを促すように、利休が頷く。それでようやく、丿貫は意を決したように口を開いた。



「驚かんといてや、伊右衛門殿、千代。あの子は、イスパニア語で話しかけたのやそうや」


「は?」


「い、イスパニアの言葉、ですか?」



 予告されたにも関わらず、一豊と千代は一瞬言葉を失いかけた。

 幼子が学んだはずのない異国語を話したなんて、にわかに信じられない話だ。



「話しかけられた御仁が驚くほど流暢(りゅうちょう)に喋っとったそうや。

 舌っ足らずというか、多少はなまってはおったそうやが」


「あの、イスパニア語はそんなにたやすく操れるものなのですか?」


「簡単な挨拶や礼くらいやったらでけます。

 やけど、流暢や自在と呼べるほどの域に至るのはむつかしゅうおざりますよ」



 南蛮人と喋る機会が多い堺の通詞であってもな、と利休が渋い顔で告げた。

 今度こそ、一豊も千代も呆然としてしまった。話が途方もなさすぎて、理解が追い付いてくれない。



「わても丿貫殿も、にわかに信じられんかった。

 でも、確かにお与祢ちゃんはイスパニア語を喋ったとオルガンチノ殿のお弟子は言うとるそうですわ。

 神に誓って、真実やと」


「伴天連が神に誓うと……ならば、信じがたいが事実なのでしょうな……」


「いったいあの子はどこでイスパニア語なんて覚えたのかしら」



 南蛮の言葉に慣れ親しんで自然と覚えてしまうような環境は、与祢に与えていなかったはずだ。

 山内家にはキリシタンとの縁がない。領地の長浜には南蛮人の往来が多少はあるが、特に山内家と親しく交わってはいなかった。

 南蛮人を港や丿貫の屋敷で見かけることくらいはあっても、直接話す機会なんてなかった。



「オルガンチノ殿はな、お与祢はイスパニア語を二、三度聞いただけで覚えたのではないかとおっしゃっとった」



 低い声で、丿貫が言う。



「たまに、おるんやて。聞いただけで異国語を自在に操る、

 聞いただけですべてを知る──神仏の寵児のような童がな」



 与祢もそれだ、と付け加える口許が僅かに強ばっている。

 一豊も、千代も、笑えなかった。素直に与祢の非凡な才を喜べるほど、彼らは単純な人間ではなかった。



「お与祢を、尼にした方がええと勧められたで」


「尼ですと? なぜまた、尼などにせよと?」


女性(にょしょう)の身で大きすぎる才を持ったまま俗世におっては、お与祢が身を滅ぼすかもしれへん。

 せやから、尼にして俗世と切り離して、寺の中で守るんがええそうや。

 南蛮の公卿や大名の姫にも、そうして寺に入る者がときたまおるらしいわ」


「いや、お待ちくだされ、あの子は当家の総領姫(そうりょうひめ)ですぞ!?」



 泡を噛むような勢いで、一豊が叫ぶ。

 与祢は一豊唯一の子、家督を背負う総領姫だ。

 将来はしかるべき婿を迎え、婿とともに山内家を継ぐという責務がある。

 そんな与祢を家を次代に繋ぐ前に出家などさせたら、山内家が立ちゆかなくなってしまう。

 一豊は山内家当主としてそれだけは選べない。



「与祢を尼などもってのほかだ、のう千代!」



 一豊は顔を赤くさせ、かたわらの妻に同意を求める。



「……伊右衛門様、お伝えしたい儀がございます」



 しかし、返ってきた千代の声は、小さく震えていた。



「千代?」


「近々、与祢は山内家唯一の子ではなくなります」



 そう言って、千代は腹に手を添える。笑おうにも笑えない。そんな表情で、千代は一豊を見上げた。



「子が、できました」


「……なんだと?」



 妻の告白に、一豊はこぼれ落ちそうなほど目を見開いた。

 そしてそのまま、軋みをあげそうなほどぎこちなく丿貫の方を見る。



「わしの診たところ、千代の腹の子は三月のようや。

 伊右衛門殿、そなた春に千代たちの様子見に来て、わしの屋敷に三日ほど滞在していったやろ」



 その時にできたのだ、という丿貫の診断に、一豊の顔が歪んだ。

 確かに一豊は春に山科へ行った。ひさしぶりに千代とやることをやった覚えもある。

 だが、たったそれだけで実を結んでしまうとは。なかなか次の子ができぬと悩んだ日々はなんだったのだろう。

 喜びと、困惑と、それから悩ましさと。複雑な感情がないまぜになった目元を、一豊はごつごつとした手のひらで覆った。



「このようなこと、千代の前では言いたくないが」



 ややあって、目を覆ったままの一豊が呟く。



「あの子は、与祢は……なぜ、男児に生まれなかったのであろう……」


「伊右衛門様……」



 夫の苦悩に、千代には何も言えなかった。

 与祢が男にさえ生まれていれば、非常な才気は武器になっていた。千代たちも将来有望な世継ぎに恵まれたと、ただ喜ぶだけでよかった。

 でも、与祢は女だ。富を生む才が欲に駆られた者たちを惑わせ、与祢に害を及ぼす可能性が出てくる。

 せめて総領姫であるなら山内の名で守ってやれるが、千代の腹の子が男児であればそれも難しくなってくる。

 もしも、力ずくでかどわかされてしまったら。

 もしも、山内より高い身分の者に目を付けられたら。

 もしも、もしも。悪い可能性ばかりが脳裏をよぎってしまうのを止められない。



「……悩んだとて、仕方があるまい」



 重い沈黙を、静かな声が破る。一豊が目元を覆った手を下ろした。

 あらわになった彼のまなじりには、ぐっと強い力が入れられていた。



「与祢は与祢だ。神仏の寵児であっても、儂と千代の可愛い姫だ。守ってやらねば」


「ほなら、お与祢ちゃんを寺へお入れになりますか?」



 利休の問いに、一豊は首を横に振った。



「あの子に抹香の匂いは似合いませぬ」



 穏やかな声で、きっぱりと言い切る。



「玉柱紅、香油、芳香露……あの子の手になるものは、どれも美しく、かぐわしいものです。

 どう見ても俗世にて輝く才でしょう?」



 一豊と視線を交わして、千代は微笑む。



「伊右衛門様のおっしゃるとおり。新しいことをしている与祢はとっても楽しそうなのですもの。

 お寺にやって止めさせるなんてしたくありませんわ」



 異彩を放っているくらいがなんだというのだ。

 生き生きとしている娘が、一豊たちには一番可愛くて尊い。守る必要があるなら、いくらでも、誰が相手でも、守ってみせる。

 ふたりは与祢の親なのだから、そのくらい当たり前だ。



「ようござりました」



 きつく結ばれていた利休の眉が、ゆっくりとほどける。



「わても対馬様とおんなじように思てましてん。お与祢ちゃんを寺でじっとさしとくのはもったいないて」


「無理やろぉ、与四郎殿」



 すかさず丿貫がつっこむ。その声もまた、平素の柔らかさを取り戻していた。



「お与祢は寺でおとなしゅうできる姫さんやないて。

 ぜぇったい入った寺を乗っ取って好き勝手するか、そうそうに逃げ出すかするわ」


「あ~わかるわ、あり得んことではないやろなあ」



 けらけらと老人たちが笑う。実に楽しげであるのは、それだけ与祢に目を掛けているからだろう。

 千代はひっそりと安堵した。与祢を老人たちの側へ近づけておいたのは正解だったようだ。

 人脈と財力に長けた彼らの庇護があれば、山内家の力が及ばない場合でもなんとかなる。

 ついでに与祢にとって都合の良い婿も探してもらえれば万々歳だ。

 妻の才を嫉妬せず愛でられる、一豊並みの器量持ちがどこかにいればいいのだが。



「佐助、聞いておったか」


「はい」



 唐突に一豊が庭の暗がりへ呼び掛けた。呼応するように、庭木の陰がぬうっと動く。

 陰の中から姿をあらわしたのは、山科で千代たちの護衛に就いている三雲佐助だった。

 いつの間にそこにいたのかと驚く妻をよそに、一豊は庭の方へ体を傾ける。



「今後はしばらく、其の方を与祢専用の護衛とする。よいな?」


「承知いたしました」


「それから其の方、郷里との繋がりは結び直したか」



 佐助が垂れたこうべをさらに深く下げた。

 重畳だ、と一豊は目を細める。付いていけない千代が、あの、と声を上げた。



「伊右衛門様、佐助の郷里が如何しました?」


「ああ、こやつは三雲家の出でな」


「なるほど。三雲のもんやったんか、どおりで器用なわけや」



 側で聞いていた丿貫が、感心した顔で顎を撫でた。

 わけがわからない千代に、利休がおっとりと説明をしてくれる。



「千代殿、これなる佐助は甲賀者(こうかもの)

 つまり忍びでおざります。三雲姓やから、上忍五十三家の縁者やな?」


「傍系ですけどね」



 へらりと笑う佐助に、千代は目を見張る。

 まさか身辺に忍びが居たとは思いもよらなかった。



「して、佐助よ。男が立ち入れぬ内向きで与祢を守る者も必要だ。

 心当たりがあれば申せ、千代の目に適えば雇い入れよう」


「は。乳母と侍女、どちらがよろしいでしょうか」


「千代、どちらにする」



 一豊から意見を聞かれて、千代は少し考える。

 与祢の今後を考えるなら、乳母より侍女の方が良いかもしれない。年若い少女ならば、長く側に置けるはずだ。



「侍女を探してちょうだい。できれば十一、二の娘が望ましいわ」


「承りました。至急郷里(さと)から見繕ってまいります」



 下がれと一豊に命じられて、佐助が庭の暗がりへ消えていく。

 


「ずいぶんと大胆なことをなさっていたのですね」



 ほう、と息を吐いて千代は一豊を見上げた。

 確か甲賀の上忍の大部分は、秀吉近辺に雇われているはずだ。

 傍系とはいえその関係者を家臣に引き込んでしまえば、山内家の内情が直接秀吉の耳に届く危険がある。



「別に当家に後ろ暗いことなど無いだろう?」


「さようですが、与祢のことがありましょう」



 与祢の話が妙なかたちで秀吉の耳に入ったら困る。

 かの関白殿下は並外れた女好きだ。しかも前田家の姫を十三かそこらで側室にした実績がある。与祢に食指を動かさないとは言い切れない。



「大事ない。殿下のお耳に入る前に、手を打てば良いだけだ」


「手、ですか」


「明後日あたり、ひさしぶりに大坂へ北政所様のご機嫌うかがいにまいらぬか?」


「!」



 葡萄酒の杯を傾けて、一豊がわざとらしく片頬を持ち上げた。



「適切な婿が決まるまで、北政所様のお側に与祢を置いていただこう」


「あの子を寧々(ねね)様の女房にするのですか」


「もう少し大きくなってからだがな。

 今のうちにお願いしておけば、世間の目からも、殿下の食指からも、守っていただけるさ」



 なるほど、一豊も考えるものだ。

 北政所──寧々はこの世で一番信用できる女性権力者だ。彼女の庇護を受けられたなら、与祢の安全は保障される。



「ならばわてらも動いておこか、丿貫殿」


「せやな。ひとまず、玉柱紅や香油の考案者は千代ということにしてかまへんな?」


「もちろんですわ。七つの子が考案したとするより目立ちませんものね」


「さようでおざります。丿貫殿が堺におる間、そこらじゅうの茶会で噂を流しておきますよって、ご承知置きを」



 利休と丿貫に念を押され、千代は頷く。直接聞きに来る人間はそういないだろうが、与祢の作るものの知識は頭に入れておこうと心にも決めた。



「おじさんたちは、与祢を本当に可愛がってくださっているのね。ありがたいことだわ」


「当たり前やないか。あんな面白い変わったおひぃさん、そうそうおらんもの」



 なあ、と丿貫が利休に振る。利休もきらりと目を光らせ、おうとも、と頷いた。



「お与祢ちゃんはさしずめ、鴛鴦(えんおう)のもとに生まれた(らん)でおざりますからなあ」


「あの子が鳳凰(ほうおう)の雛ですか」



 一豊がまんざらでもなさそうに苦笑した。千代も少し照れてしまう。

 与祢は自慢の子ではあるが、こうも褒めあげられると面映ゆい。



「いやいや、謙遜なさいますな。おひぃさんには鸞が似つかわしゅうおざりますよ。

 あでやかで、美しくて、福を招く。お与祢ちゃんは瑞兆と呼んで差し支えない御子や」



 今後も与祢のもたらす吉瑞にあやかりたいものだと語る利休に、丿貫が意地悪そうに目を細めて混ぜっ返した。

 


「またまたかっこつけてぇ、商売の種の玉手箱の間違いやろ?」


「やかましわ! それもほんまやけど!」



 うははは、と楽しげに老人たちが笑い合う。つられて千代と一豊も笑みを浮かべた。

 思惑はいくつも絡むけれど、その場の誰もが与祢を大事に思っている。

 だから速やかに、けれども綿密に。千代たちは与祢を守る計画を練る。

 ひそやかな談合は、夜が更けるまで続いたのだった。


【千代】

山内一豊の妻にして与祢の母。

旦那を勝ち馬に乗せて一国一城の大名へと押し上げた賢妻として有名な人。

残された逸話から読み解くに、かなりの管財能力・情報収集能力・コミュ力を備えた援護射撃特化の賢妻と思われる。

当作でもそのへんの能力を備えていて頭がよく回る、いつまでも天真爛漫な愛嬌を持つ奥様。

与祢が死亡回避したのでとっても元気いっぱいに、一人娘として可愛がっている。

一豊のことも当然大好き。腹黒さごと愛しているので、一豊の腹黒が発動するとキラキラ笑顔で乗っかるタイプ。



【現時点における保護者たちの与祢への印象】


・一豊&千代→どんな人間でも最愛の娘


・丿貫→俗世にまた関わろうと思うきっかけになった可愛い孫のような子


・利休→お気に入りの可愛い弟子と書いて幸運の青い鳥と読む

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[一言] 秀吉は確かに女好きで知られるけど、逆に言うと戦国武将としては極めて珍しく衆道(男色)に全く興味を示さなかった人でもあるんですね。衆道は武将の嗜みとすらされていた時代なのでそういう意味で変人で…
[一言] 与祢ちゃん、この両親(と、保護者枠の変わり者のじい様達)でなければ、お寺で尼さんだったやも? まあ、あの(功名が辻)夫婦に第二子が誕生するやも?な、歴史も変わっている様ですし、楽しみでござい…
[一言] 上司が並外れた女好きなら、娘を持つ親は苦労しますね。
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