譲れない気持ち
焼きもろこしを食べ終えた四人が雑談に花を咲かせていると、午後五時半を告げるチャイムが鳴りだす。
このチャイムは市町村の防災行政無線が、名目上試験放送として流す時報である。
ちなみに、花村達の住まう市では童謡の『赤とんぼ』を採用していた。
「…っと、このままだべっていたい所だが、俺はそろそろ行くぜ」
「そういえば、歩は今日バイトの日か」
「ああ…。全くもってしんどいぜ…」
花村は体をほぐすように伸びをしつつ、本当にしんどそうに答える。
肉体労働は得意な方なのだが、仕事だと常に人と接する事となるため、精神的な疲労を強く感じるのである。
「あ、もしかして柔道のですか?」
それを見た彼方が、思いついたとばかりに反応する。
しかしその反応に対し、花村は訝しげな表情になる。
「あれ、俺が柔道やってるって話したっけ?」
「っ!? そ、それはアレです! 先輩の耳が、その…」
「ああ、『柔道耳』ね。それ見て推理するとは中々やるな」
「あはは…、丁度読んでる漫画で出て来たので…」
『柔道耳』とは、柔道などの寝技が多い格闘技でなりやすい耳の形状変化で、正式名称を『耳介血腫』という。
原因は寝技などで耳が擦れ、内出血や軟骨の髄液が出たものが固まってしまう事にある。
見た目が餃子だったりカリフラワーなどに例えられるように、緩く膨れた状態となるので、中々に痛々しい印象を与える。
定期的に病院で液を抜いて貰うと症状は緩和されるが、大抵の場合抜ききれずに固定化されてしまうのであった。
「成程な。しかし、やっぱ目立つよなコレ…。どうしたもんか…」
「今なら手術で治るんだろう?」
昔とは違い、『柔道耳』は完全に固定化されても手術で治すことが出来る。
格闘家であれば勲章のようなものだと言われる事もあるが、本気で力を入れているワケでもない花村にとってはどうでも良い事であった。ただ、今後も柔道自体は続けるつもりであるため、治してもまた同じ事になりそうという理由で踏み切れないでいるのである。
「…ま、柔道やめたら考えるよ。って、このまま喋ってたらマジで遅れちまう。じゃあ、またな!」
そう言って話を切り上げ、花村は小走りで去って行く。
残された三人も、なんとなくお開き的な雰囲気となったため、それぞれ帰る支度を始めた。
「さて、俺はこれからゲーセンへ向かうが、小町達はどうする?」
「私は帰る」
「私も帰ります」
「そうか。まだ明るいが、一応気を付けて帰れよ」
夏場である為、外はまだ明るい。
二人とも家は近所である為、トラブルに巻き込まれる可能性は低いだろう。
「はいはい。じゃ、また明日ね」
「鈴村先輩、また明日~」
二人に見送られ、鈴村はデパートなどのあるやや都会な方面へと向かうのであった。
「それじゃあ、私達も帰りましょうか」
「はい。小町先輩はどの辺りにお住まいなんですか?」
「私は東小の近くよ」
「じゃあ、歩先輩達と同じ方向ですね」
「…そうね」
小町はそれだけ返すと、その後何も話さずスタスタと歩いていってしまう。
花村達は彼方の歩幅に合わせてくれていたが、小町がそういった気遣いをする様子は無かった。
「…ねぇ、彼方ちゃん」
「わぷ」
離されないよう早歩きで追っていた彼方は、小町が急に立ち止まった事で顔から背中にぶつかってしまった。
「す、すいません…」
「…いや、急に立ち止まった私が悪いから」
そう言って、バツの悪そうな顔で目を逸らす小町。
覚悟を決めて話を切り出そうとした矢先に彼方が可愛い声をあげるものだから、毒気を抜かれてしまったのだ。
「…それで、なんでしょうか?」
彼方から尋ね返してくれた為、小町にとっては助け舟を出されたかたちになる。
もう一度覚悟を決め直した小町は、表情を引き締め、真剣な表情で彼方の事を見据える。
「…彼方ちゃんは、アイツの事を…、歩の事をどう思ってるの?」
わざわざ言い直したのは、彼方に対する牽制の意味でもあった。
つまり、既にある程度の確信を持って、彼方に尋ねているのである。
「………………好き、ですよ」
やはりと思いつつ、カッとなりかけた自分を小町は必死で抑え込む。
ここで大きな声を出せば、ただのヒステリーになってしまうからだ。
「…なんでなの? 彼方ちゃんは、昨日初めて歩と会ったんだよね?」
「いいえ。歩先輩は気付いていませんが、私はもっと前に、歩先輩と会った事があります」
その言葉に、小町が驚く事は無かった。
勘でしかなかったが、何となく予想していたからである。
「…歩が柔道をやっているのを知ってたのも、その関係?」
「…はい。さっきは失敗しました。歩先輩は気付かなかったみたいですが、やっぱりちょっと不自然でしたよね」
そう言って苦笑いを浮かべる彼方。
小町も最初は彼方の事を幼いと感じていたが、今の表情を見ると随分と大人びた印象に思えるから不思議であった。
「猫を被っていたの?」
「いえ、そんなつもりはありませんよ。まあ、皆さんと一緒だと本当に楽しいので、いつも以上に素直に笑えてはいましたけど。でも、さっきまでの私も今の私も、どちらもちゃんと私ですよ」
彼方の憂いを帯びた表情は、同性である小町すらもドキリとさせる程の儚げな色気を感じさせた。
艶のあるキレイな黒髪と、幼さを感じさせるのに妙に大人びた表情が、日本人形のような独特な美しさと怖さが同居した雰囲気を放っている。
「…小町先輩が、歩先輩の事を好きなのはわかっています。でも、歩先輩だけは…、譲るつもりありませんよ」
その言葉に、小町はついに自分を抑えきれなくなり感情をあらわにする。
「私だって…、私だって! 譲るつもりなんか…」
感情のまま言葉を吐き出そうとした小町を、彼方は手を制して止める。
「待ってください! 私は確かに譲るつもりはありませんけど、小町先輩から奪い取るような事をするつもりは決してありません!」
「……え? 奪い…、はい…?」
彼方の言葉が理解出来ず、激昂しかけた感情を霧散してしまう。
「私が見た所、歩先輩は間違いなく小町先輩を意識しています。だから現状では、小町先輩の方が圧倒的にリードしているのは間違いないでしょう」
その言葉に小町は完全停止してしまったが、やがてその意味が理解できたのか急速に顔を赤らめる。
「か、彼方ちゃん、何を言って…?」
「私は歩先輩の事が好きです。でも、小町先輩の事も好きになってしまいました。だから、結果としてお二人が結ばれたとしても、私は祝福できると思います。…まあ、物凄く泣くとは思いますけど」
そう言った彼方は、既に泣きそうな表情をしていた。
先程までの大人びた表情とは違い、今度は完全に子供の顔である。
「でも、お二人が結ばれていないうちは、私にも十分チャンスがあると思っています。だから、最後まで手は緩めません! それまではお互い頑張りましょう! それじゃあ私はこっちなんで、また明日!」
そう言って彼方は、小町の家とは逆方向の道へと走り去ってしまう。
嵐の去った後のような静けさの中、小町はその場で暫しぼーっと立ち尽くすのであった。