真夏のプールにて、少年は少女と出会う(後)
少女に引っ張られ、花村は再び長蛇の列の最後尾に並ぶ。
並んでいる人数は先程と変わった様子が無い為、恐らくまた30分コースであることは間違いないだろう。
「それにしても、水に浸かっていないとやっぱり暑いですよね~」
「全くだ。しかも俺は二周目だしな」
たった一分やそこらの爽快感の為に30分も並ぶと考えると、やはり非常に時間を無駄にしている感は否めない。
しかもそれが二周目ともなると、待ち時間は合計で1時間となる為、より一層無駄感が増す。もし花村があのまま二周目に突入していたら、途中で心が折れていた可能性は十分にあった。
「こんな列に二回も並ぶなんて、お兄さんは忍耐力がありますね~」
「それをお前が言うか! ……しかし、まあ、正直助かったな」
「……? 何がですか?」
「いやだって、会話する相手も無しにこの列に並ぶのは流石に苦痛だろ?」
ほぼ一方通行だったとはいえ、つい先程までは鈴村という話し相手が存在した。例えあまり喋らずとも、やはりツレがいるのといないのでは精神的に大分違うものである。
「それは確かに。私だったら一回でも無理かも……。お兄さんはやっぱり忍耐力あるってことですね!」
「いや、さっきまではツレがいたんだよ……」
「……え? でも、さっきは一人で滑ってましたよね? …………あ! もしかして!」
少女は何か閃いたような素振りをしてから、目を逸らして口に手を当てる。
「フラれちゃった、とか?」
「違うわ!」
少女の勘違いに、花村は思わず大声で反論してしまう。
その声の大きさに、少女はビクリとして体を縮こまらせてしまった。
「っと……」
少女の反応と周囲の視線に気づき、花村は慌てて声量を調整する。
「悪い……。つい大きな声出しちまった」
「い、いえ、私こそ、迂闊に変なことを言ってしまって、すいませんでした……」
少女は、本当に悪いことをしてしまったような顔をして頭を下げてくる。
その真摯な謝罪に、花村は何とも居た堪れないものを感じて頭をかく。
「いや、マジで気にしないでくれ。俺が違うって言ったのはそういうことじゃなくて……、ツレって男なんだよ」
「っ! ああ、そういうことですか~」
少女は心底安心したようにホッと息を吐く。デリケートな案件に迂闊に触れてしまったと、本当に焦っていたのだ。
「ああ。だから、変に気にしなくていいからな?」
「はい。でも良かった~。私、完全にやらかしちゃったと思いましたよ……」
「まあ、そう聞こえてもおかしくない言い方だったしな」
花村としては別に意識していたワケではないのだが、ツレという単語は聞き手により意味合いが変わるケースがある。言葉の意味合いとしては恋人や奥さんといったパートナーのイメージが強いが、関西圏では友達に対して使われることが多かったりと、結構曖昧な単語なのであった。
「ははは……、まあ私の早とちりには違いないですけどね~。でも、なんでそのお連れさんは一緒に滑らなかったんですか?」
「なんか、眼鏡を外すのが嫌らしくてな……」
「……それはまた、凄い理由ですね」
よくよく考えれば、この手のアトラクションで眼鏡を外すのは当然と言えるだろう。しかし、鈴村にとってソレはどうしても譲れない部分であったらしい。
「それにしてもお兄さん達って、もしかして男二人だけで来たんですか?」
「……悪いか?」
「いえいえ、別に悪くないですけどね。私だって女一人で来てますし」
悪くないなら最初から聞くんじゃねぇ! と花村は思ったが、また大声になりそうだったので無理やり飲み込む。
「でも、そういう意味では私達、ラッキーでしたね」
「はい? なんでラッキーなんだ?」
「だって、今なら男女のペアですよ? カップルに見えて自然じゃないですか」
そう言ってはにかむ少女に、花村は思わずドキリとさせられる。
(待て待て俺! 相手は小学生だぞ!?)
花村は断じてロリコンではない。漫画やゲームでそういったキャラを好きになることは時々あるが、三次元においては完全に守備範囲外であった。
「ば、馬鹿言え! どう見ても兄妹にしか見えないだろ!?」
「えーっ! 私確かに背は低いですけど、こう見えてもう15歳ですよ!?」
「お前のような15歳がいるか! 年齢を盛るなら、もう少し現実的な数字にしろ!」
少女の身長はギリギリ130cmを満たしていない程度である。どう見積もっても小学生高学年が良い所だろう。
「いるんです! 遺伝なんだから仕方ないじゃないですか!」
「む……」
そう言われると、花村としても黙らざるを得ない。確かに、世の中には家族性低身長症といった遺伝性の症例もあるので、完全には否定できないからだ。
仮に少女が嘘を吐いていたとしても、低身長症について詳しくない花村に見破るすべはなかった。
「……まあ、実年齢はともかくとして、妹にしか見えない事実は変わらないだろう」
「それは……」
不服そうに唸る少女の頭を、花村はポンポンと叩く。
「まあいいだろ。ここには家族連れも多いんだし、自然に見えることに変わりないしな」
花村がそう言っても少女は不服そうにしていたが、何故かいきなり腕を組んできた。
「お、おい! いきなり何を!」
「いいじゃないですかー。仲の良い兄妹くらいにしか見えないんでしょ?」
そうは言っても実際は全くの他人である。いくら小学生でも、流石にこれは少し大胆過ぎるだろう。花村は少し焦りつつもなんとか引き剥がそうとするが、思いのほか少女の力が強く、腕を外すことが出来なかった。
「っくそ……、やけに力強くないか?」
「ふふん、筋トレしてますからね!」
花村は、もしかして、その筋トレのせいで背が伸びて無いんじゃ? と思ったが口にはしなかった。
代わりに、少女が密着したことで気づいたことを口にする。
「……サンオイルか何か付けてるのか?」
「そりゃ一応女の子ですからね~。当然の嗜みです」
周囲には女性も多くいる為、ココナッツのような香りがアチコチからしている。しかし、花村が気づいたのはそれ以外の匂いについてだった。
「……世の中には、香ばしい匂いのサンオイルもあるんだな」
「っ!?」
花村がそう言うと、少女は慌てたように手を口に当ててスンスンと匂いを嗅ぎ始める。
「あ、あははー、これはですね、ちょっと外で焼きもろこしが売ってまして……」
「成程。つまり、これは焼きもろこしの匂いというワケか……」
実の所そんなことだろうとは思っていたのだが、花村が知っている限りでは施設内にそんな物が売っている場所は無かった為、一応聞いてみたのである。
「いいなーソレ。俺も食いたい。まだ売ってるかな?」
「いつも夜までやってるから、多分平気ですよ」
「よっし、それじゃ帰りに食うかな……って、ん? いつもってことは、もしかして近所に住んでいるのか?」
「そうですよ? 私も地元民ですし、デパートのクジでタダ券当たったから来たんですよ」
そう聞いて、ようやく花村は納得がいったような気がした。地元民であれば、小学生が一人で遊びに行くのを親が許すのも、ギリギリ理解出来る範囲であった。……それでもやはり、あまり良くはないと思ったが。
「成程……って、ちょっと待て、何で私も、なんだ?」
「え、だってお兄さんも地元民ですよね?」
「そうだが、なんでわかったんだ?」
「それは、この辺りでお兄さんのことを何回か見かけたことあったからですね。だから地元民なんだろうなぁ、と」
どうやら、花村はこの少女に何回か目撃されていたらしい。この場所は通学路の途中でもあるので、少女がこの近所に住んでいるのであれば目撃されていた可能性は十分にある。
「マジかー。ってことは、もしかして東小通ってる?」
「通ってた、ですけどね」
そこは譲れないようだが、どうやら同じ小学校に通っている後輩だったようだ。
「……世の中は狭いな」
「ですね~」
そこからは二人で地元トークに花を咲かせ、待ち時間はあっという間に過ぎていった。
そして、いよいよ二人の番が目前に迫る。
「私が前に乗るんで、お兄さんは後ろに乗ってくださいね」
「待て待て、そこは譲らんぞ」
「えー! 普通男が後ろじゃないですか!」
「いや、そんな決まりはないだろう」
花村としては、より爽快感が味わえる為、出来れば前に乗りたかったのである。
「でも、女の子が後ろだと、ほら、接触とかが……」
「自分から腕に絡みついて来た奴が何を言うか! それに、気にする程のモノじゃないだろうに……」
残念ながら、先程少女が腕に抱き着いてきた際に感じた感触は、男と大差ないものであった。そうでなければ、花村はもっと激しく動揺していた筈である。
「お兄さん……、さっきから小さいとか、香ばしいとか、平らだとか……、よくデリカシーが無いって言われませんか?」
「うぐ……」
確かに花村は、妹からよく兄さんはデリカシーが無いと言われているのであった。
しかし、はっきりと口にしたのは香ばしいだけである為、何となく理不尽さを感じる。
「じゃあ、こうしましょう! 最初は私が前に乗ります。で、その次はお兄さんが前に乗ってください。これでいいでしょう?」
「……もう一回乗ることが確定のように聞こえるんだが」
「乗らないんですか?」
「……乗るなら乗るけど」
「じゃあ、それでいきましょう!」
少女が見せる無邪気な笑顔に、またもドキリとしてしまう花村。
――結局、二人はこの後3周も滑ることになったのであった……
次話で一区切りとなります。
短編で構成していた時のラスト部分になりますが、長編としてみると三話全体でプロローグといった感じです。