真夏のプールにて、少年は少女と出会う(前)
「あっちぃ…………」
燦々と輝く太陽。
やかましい程に鳴り響くセミの声。
そして何よりも、この不快感極まる熱気!
そう、今は夏真っ盛りである。
「あっちぃよ…………」
「……気持ちはわかるが、そう何度も暑い暑い言わないでくれるか? 余計に暑くなってくるだろう」
「そうは言っても、口に出さずにはいられねぇぜ……」
まあ、流石に一人のときには口にしないけど……と、青年――花村 歩は内心で呟く。
人はどうにも、五感を著しく刺激する環境にいると、思わず他者にその気持ちを口にしてしまうものである。
例えば、暑い寒いだの、臭いうるさい眩しいだの、そんな言葉を人前で漏らした経験は、誰にでもあるのではないだろうか。
ほとんど反射的に出てしまうものなので、実のところ意識的に止めるのは中々に難しかったりする。
「喋らなければいい」
「いやいや、無口系キャラのお前はそれでいいかもしれねぇけど、俺は嫌だぞ? なんでプールに来てまでむっつり黙ってなきゃいけねぇんだよ…………」
「……そう思うなら、最初から俺を誘わなければ良かっただろう」
「そりゃそうだけどよ…………」
花村だって、本当であれば高校生の男子と二人きりでプールなど来たくはなかった。
しかし、残念ながら彼には他に誘うアテなどなかったのである。
じゃあそもそも、プールになんか来なければ良かったのでは……と思うかもしれないが、それはそれで嫌という気持ちが強かった。
何故ならば、このプールの入場券はタダで貰ったものであり、無駄にするのがもったいなかったからである。
……要するに花村は貧乏性なのだ。
「まあ、お前に友達がいないことも、女っ気がないことも知ってはいるが……」
「いや! ちげぇし! 友達はいるから! 単にみんな忙しかっただけだから!」
女っ気がないことは否定しなかったが、確かに花村には少数ながら友達と呼べる存在はいる。
しかし、ペアでプールに誘ってホイホイ付いてくるナイズガイは流石に存在しなかった。
……そういう意味では、この男――鈴村 誠は貴重な存在だと言えるのかもしれない。
「……あれ? でも待てよ? なんでお前は誘いに乗ってくれたんだ? …………っ!? ひょっとしてお前……、ホモなのか!?」
「……失礼なヤツだとは思っていたが、流石に今の台詞は許容できないぞ?」
普段表情の乏しい鈴村が、珍しく不快感を顕わにしている。
今のは流石に冗談が過ぎたらしい。
「じょ、冗談だって! そう怒るなよ!」
「……全く、誘って来たのはそっちからだと言うのに。そっくりそのまま台詞を返したいところだぞ。まあ、肯定されても困るが」
「いやいやいやいや! もちろん俺は女が好きだよ!? ……全くモテないけどな!」
自分で言ってて悲しくなった花村だが、流石にホモ疑惑をかけられるよりはマシだと判断した。
最初に自分がホモ疑惑をかけておいてアレだが、そこだけは否定しておかなければならないと思ったのだ。
「……ならばせめて、ナンパでもしたらどうだ? 男二人でウォータースライダーなぞに乗るより余程マシだろう?」
花村と鈴村は現在、プールの目玉でもあるウォータースライダー『ビッグフォールG』を滑る為、列に並んでいる最中である。
先程から花村が暑い暑いとうるさいのは、プールにも入らず長々と待ち続けているせいでもあった。
「あのなぁ! 俺だって、お前が協力してくれたらナンパくらいしてたよ?」
実のところ、鈴村は中々の美男子なのである。
スラっと背が高く、それなり引き締まった体つきをしており、顔も悪くはない。
視力が悪いためやや目つきは悪いのだが、常に着用している細めの眼鏡が理知的に見えるらしく、一部の女子の間ではそれなりに人気が高いのだ。
……あえて欠点を挙げるとすれば、やや不健康に見える白めの肌であろうか……
「ふん……、最初からそんな度胸はないだろう」
「あるし!」
花村は強がって見せたものの、残念ながらそれは図星であった。
鈴村が初めから乗り気でないことを計算に入れ、度胸がないことを隠す体のいい隠れ蓑にしたのである。
だからこそ、「そこまで言うなら付き合えよ」とは言い返さないのであった。
「……それはともかくとして、俺はこのウォータースライダーを滑りたかったんだよ! お前だって興味くらいはあるだろ!?」
このプールの目玉でもあるウォータースライダー『ビッグフォールG』は、つい最近新設されたものであり、CMなどでも宣伝されている人気アトラクションである。故に、そこには長蛇の列が出来ており、花村たちはもう三十分以上も待たされている状態だった。
「全く無いな。この暑い中、プールにも入らず敢えて長蛇の列に並ぶなど、どう考えてもリスクしかないだろう。平気で何度も並ぶ者の気が知れないぞ」
それでも並んでおきながらソレを言うのはどうかと思う花村であったが、無理やり誘ったのは自分であるため、あまり強く言い返すことはできない。ただ、前後のカップルが嫌そうな顔をしているので、少しは音量を下げて欲しかった。
「いやいや、メリットはあるだろ? 話題のアトラクションを楽しめるワケだし、爽快感も味わえるんだからさ」
「……たかだか一分やそこら爽快感が得られたところで、何になると言うんだ? やはり俺には理解できん」
確かにその通りではあるのだが、その意見は他の全てのアトラクションをも否定することになる。
刹那の楽しみを否定することを、花村は肯定する気になれなかった。
「お前だって、格ゲーで超難度コンボ完走した時は最高に気持ちいいって言ってたじゃん? 一瞬……!!だけど……閃光のように!! じゃないけど、そういう良さは理解できるだろ?」
「……少し違う気もするが、そう言われると確かにその通りだな。すまん、大いに理解できる話だった」
「おうおう、わかってくれれば良いってことよ!」
鈴村は寡黙で頑固そうだが、自分に非があると認めれば素直に謝れる男だ。
花村は、鈴村のこういったところが気に入っている。
「……しかし、随分長いこと並んだ甲斐もあって、そろそろのようだな」
鈴村が言うように、二人の前にはあと五組程しか残っていないようであった。
スライダーのスタート口は二つあるので、次の次くらいには乗れるだろう。
「お~、本当だ。ちょっとワクワクしてきたな!」
「俺はそうでもないが、この長蛇の列から解放されるのは助かる」
鈴村は嘘偽りない気持ちでそう言ったのだが、花村は「またまたぁ~」と信じていない様子であった。
わざわざ強く否定することでもないので、鈴村は何も返さず無言を決め込む。
「それじゃあ、次の方こちらへ~……っと、お兄さんお兄さん」
「む……?」
前のペアがペアボートに乗り、スタンバイしているところ、鈴村がスタッフに声をかけられる。
「何でしょうか?」
「お兄さん、申し訳ないんだけど、安全のために眼鏡は外してもらうことになってるんですよ~」
「っ!? なん……、だと……」
何か恐ろしいモノでも見たかのような反応をする鈴村。
実際、彼にとってその情報は、そう反応するに値する程恐ろしいモノであった。
「……すまないな、歩。どうやら俺は、ここまでのようだ」
「なっ!? ちょ、待てよ!」
クイッと眼鏡の位置を正し、そのまま階段を引き返そうとする鈴村を、花村は慌てて止める。
「お前、ここまで来て引き返すとか、流石にないだろ!?」
「ある。恨むなら、俺から眼鏡を奪おうとするここのシステムを恨め」
言っていることは明らかに非常識なのだが、鈴村は本気でそう思っていた。
鈴村にとって眼鏡は体の一部であり、それを外してこんな危険なモノに乗るなど、あり得なかったからだ。
「お兄さん! あとがつっかえちゃうんで、乗るなら早くお願いします! もう一人のお兄さんが乗らないなら、一人用のボートもありますので!」
そうこうしている間に、自分達の番が回ってきてしまう。
花村としてはここまで来て引き返すのはあり得ないため、鈴村を引き留めるのは断念せざるを得なかった。
「クソ……、あとで覚えておけよぉ……」
「ああ」
それだけ返して、鈴村は本当に降りていってしまう。
花村はそれを恨めしく睨みながらも、スタッフの指示に従い一人用のボートに座り込んだのであった。
………………………………………
…………………………
………………
ウォータースライダーを滑り終えた花村は、直前で裏切ってくれた鈴村のことなど完全に忘れ去っていた。
(す、すげぇ楽しかった……。こりゃ話題になるだけあるぜ……)
このプールの目玉である『ビッグフォールG』は、高さ約20メートル、全長100メートル超えというかなり大規模なウォータースライダーである。去年までここは大した売りのない平凡なレジャー施設のプールに過ぎなかったのだが、今年はこの『ビッグフォールG』が出来たことで近隣の県からも客が集まり、大盛況を博していた。
(こんなに簡単にデイリーパスを配ったりして正気かと思ったが、それだけガチってことだったんだろうな……)
花村がこのプールのデイリーパスを手に入れたのは、同じく市内にあるデパートの抽選で当たりを引いたからだ。
デパート内で一定金額以上お買い上げのお客様に配られる抽選券――、それを集めてクジを一回引いたところ、なんと一回でここのデイリーパスを引き当てたのである。花村にとって、こういったクジで当たりを引くのは人生でも初めてのことであり、それはもう小躍りするほどに喜んだのだが、実のところこれには裏があったのである。
というのも、等級自体は三等と高位の賞であることは間違いないのだが、実はそれなりの本数が用意されていたらしく、花村以外にも当籤している者が結構いたようなのだ。実際、花村の通っている高校でも同じように三等を引き当てた生徒が何人かいたらしく、花村が自慢げに語ると「そういえばアイツも~」といった感じで、愉悦感にしっかりと水を差されてしまった。
まあ要するに、ウチの市やこのプールが、本気で力を入れてるからこその大盤振る舞いだったワケだ。
恐らくリピーターやSNSの宣伝などで、十分な収益を得られる見込みだったのだろう。
実際に体験した花村も、その狙い通りリピーターになりそうである。
「あの~」
鈴村の事は一旦放置することにし、もう一周しようとしていた花村の後ろから声がかかる。
花村は振り返って後ろを確認したが、視界には誰の姿も捉えることができなかった。
「あの!」
気のせいかと思い歩き出そうとすると、今度はさっきよりも強く声が発せられた。
その声量のお陰か、花村は声の発生源が下方にあると気づく。
「……なんでしょうか?」
視線を落とすと、そこには背の低い少女が立っていた。
短い黒髪に、少し幼さの残る顔つき、そしてスポーティなビキニに身を包むその姿は、どう見ても小学生である。
その小学生らしき少女は、花村が気づくのに遅れたせいか、やや不満そうな表情で花村を睨んでいた。
それに少し怯んだゆえに、思わず敬語で返してしまったのである。
「頑張って声かけたのに……、なんで無視するんですか!?」
「いや、そう言われても……、マジで気づかなかったんだよ……」
確かに花村は振り返って背後を確認したのだが、この少女の姿は全く視界に入らなかった。
理由は簡単だ。花村と少女の身長差が、およそ40cm程もあるからである。
至近距離でそれだけ身長差があれば、視界に入らないのも無理はない。
「むぅ……、まあいいですよ……。それより! お兄さん今、このウォータースライダーを一人で滑って来ましたよね!?」
少女は、自分の身長が低いこと自体は承知しているらしく、花村の言い分を素直に聞き入れたようであった。
それは良かったのだが、続く質問が花村の精神に少なくないダメージを与えてくる。
「あ、ああ、それが何か? 別に、一人で滑っちゃいけないルールなんてないハズだぞ?」
少女は別にそんな意図で尋ねたのではだが、『一人で』というワードが花村のデリケートな部分に刺さったのである。
見渡す限り家族連れかカップルしかいないこの状況において、『一人で』という単語は中々に破壊力が高い。
花村は意識しないことで現実から逃避していたのだが、それを少女の言葉が引き戻したのであった。
「そうですよね! わざわざ家族と一緒とか、恋人が一緒じゃなきゃダメなんてルールありませんよね!」
少女に悪気はないのだろうが、その言葉は花村のデリケートな部分に更なるダメージを与えた。
このままでは心が折れて、もう一周どころの話ではなくなりそうである。
「ハ、ハハハ……、そ、それで? 君はそれが聞きたかっただけなのかな? ……お兄さん、もう泣きそうなんだけど」
小学生相手にそんな泣き言を言い出す程度に、花村は深いダメージを負っていた。
「え、ええっ!? って、いや、違う違う! そんなつもりで言ったんじゃないよ!?」
花村の反応に少女は驚いたようだが、すぐに理由を察せる程度には理解力があるようであった。
「じゃあ一体、なんだって言うんだよ……」
(ウォータースライダーを一人で滑って来た男を捕まえて、「今一人で滑って来たよね!?」って、もしかしてアレか? NDKなのか? ねぇねぇ今どんな気持ち? ってヤツなのか? もし、そうだとしたら、今時の小学生こえぇよ…………)
花村はそんなことを想像し、思わず身震いする。
そんな反応を見て、少女は慌てたように両手を胸の前で横に振った。
「誤解だよ誤解! 私はただ、また一人で滑るんだったら一緒に乗せてもらおうと思っただけで!」
「……一緒に? なんで?」
どうやらNDKではないようだが、少女が声をかけてきた理由を聞いても花村には違和感しかなかった。
わざわざ自分と一緒に乗ろうとする理由が、全く思いつかなかったからである。
「……実は、その、私一人だと、駄目だって言われて」
「なんで? ……もしかして、保護者同伴じゃなきゃ駄目とか?」
「違うよ! 身長が足りなかったの!」
「………………ああ! 成程ね!」
花村は一瞬、コイツは何を言ってるんだ? と思ったが、改めて少女の背丈を確認して納得する。
確かに、この少女の背は低い。
花村の身長が170cm以上あるのに対し、40cm程の身長差があるということは、130cmに達していない可能性が高い。
そして、残念ながら『ビッグフォールG』には、身長制限130cm以上という制限が設けられているのであった。
「ちょ、ちょっと! あんまりジロジロ見ないでよ!」
花村が上から下まで嘗め回すように見たため、少女が若干身を引く。
花村としては小学生の体になど興味は無いのでスルーしたいところだったが、不躾だったのは確かなので素直に謝ることにした。
「すまんすまん、悪かったよ。でも、なんで俺なんかに頼むんだ? それこそ普通に親御さんと一緒に乗ればいいんじゃ?」
『ビッグフォールG』には身長制限があるが、ペアであればその制限は免除される。その理由は、身長と言うよりも体重の方に問題点があるからだ。
ウォータースライダーは生身で水を滑るという性質上、安全装置などは取り付けられない。そのため、勢いが付き過ぎて吹き飛んだりすれば、危険な事故に繋がりかねないのだ。
そういった事故の発生を防ぐために制限を課すのは、当然の措置と言える。
しかし、体重の制限を設ける場合、それを計測する機器の導入も必要になるうえ、スタッフはそれを数値で確認する必要が出てくる。
これには多くの人々――特に女性が非難を示すことになる。
そのため、身長からある程度の体重を割り出すことで、制限に引っかかっていないかの指標とするのだ。
「親と一緒に来てたら、最初からお兄さんに頼んでなんかいないよ……」
「そりゃそうだ……って、ん? じゃあ君は、一人で来てるってことか?」
「……悪い?」
そう言われると、悪いと断言することはできないかもしれない。
しかし、そもそも小学生の女子を一人でこんな所に来させるとか、親としてどうなのだろうか、と花村は思った。
「俺的には良くないと思うけどなぁ……。それに、もし俺が悪い男だったらどうするつもりだよ?」
「悪い男だったら、自分からそんなこと言わないでしょ?」
「そうかもしれんが……」
たとえそうだとしても、花村としてはあまり楽観的な考え方は良くないんじゃと感じる。
今の世の中、言葉巧みに人心を掴む詐欺師などいくらでもいるからだ。
「とにかく! 私はこの『ビッグフォールG』を滑ってみたいの! コレのためにわざわざ一人で来たのに、滑れないなんてありえないもん! ね!? お願い!」
そう言って、少女は深々と頭を下げてくる。
花村は、まさか頭まで下げられるとは思っていなかったので、少々焦りを感じてしまう。
というのも、男子高校生が小学生相手に頭を下げさせるというのは、中々に悪目立ちする絵面であるからだ。
「お、おい! わかった! 一緒に滑るから! 頭上げろって!」
「本当!?」
目を輝かせてこちらを見上げる少女に対し、花村は思わず苦笑いを浮かべる。
(……ひょっとしてこの子、ワザとやったんじゃないだろうな?)
そう勘ぐってしまう程、少女の変わり身は早かった。
最初から花村が断るとは、微塵も思ってなかったのではと感じさせるほどに。
「あ、ああ……。まあ、俺も一人よりは気が楽だしな」
「あぁ~、それは確かに! アレに一人で並ぶのはちょっと嫌ですよねぇ……」
『ビッグフォールG』には、依然として家族連れやカップルばかりが並んでいる状態だ。
話し相手もなしに一人であの列に並ぶのは、普通の人間であれば抵抗を感じるのではないだろうか。
せめてスマホがあれば少しは違ったかもしれないが、ここがプールである以上持ち込むのは流石に厳しい。
「まあ、いいじゃないですか! お互いの利害も一致していることですし、早速並びましょう!」
そう言って少女は花村の腕を掴み、グイグイと引っ張る。
花村は、今時の小学生は難しい言葉を使うんだなぁと思いつつ、少女に引かれるまま列へと向かうのであった。




