ペットのケージは毎日掃除すべし!
魔王子ポオの最近の趣味。
就寝時に怪談朗読を聞くこと。
牢とは一般的には罪人を閉じ込めておく施設であり、主に法を犯し、社会を乱した者が収容される。しかし、わが自宅にある牢は、むしろ反逆者や戦争捕虜などの、犯罪者とは異なる連中を閉じ込めておくための牢獄だった。
ナロウの王城には、牢と呼ばれるものが二種類ある。
一つは王族の居住区に比較的近い位置にあり、特別待遇房と呼ばれる。これは地下にあって、その名の通り特別な囚人を入れておく独居房が三つ並んでいる。中は拷問を想定した造りとなっていて、ある意味、設備の充実したスウィートルームといえた。
こちらは奥の一つをセイヴィニアに使用しており、残りの二房は空だ。
もう一つの牢獄は、城の外れにある西塔に隣接する平屋の建物であった。それは石造りの重厚なもので、前魔王が穏健主義者だったこともあり、現在のところ大した収容人数はいない。
しかし、モーブとの戦争や魔王位継承などが片付く頃には溢れるほどぶち込むことになるのかもしれない。そう思うと俺は嫌な気持になった。
イスファル・ザ・アイアンマスクはこの牢獄の中でも最奥の警備厳重な独房に入居してもらっている。雑居房では何があるかわからないためだ。単身赴任のOLへ一人部屋を提供する心遣い。これを紳士的な配慮と言わずして何と言う。
その牢獄へ向かうべく俺が城の外に出ると、風が吹いており肌寒かった。城壁の内側とはいえ敷地の外れにあるため、建物までそれなりの距離がある。
目印である西塔は夕焼け色に染まってよく見え、そこへ向かって城壁沿いに細い歩廊が伸びている。俺は体が冷え切る前にと足早に歩いた。
塔に着くと、やけに顔の腫れた守衛が出迎えてくれた。緑色の肌をしたグリーン=ゴブリン族だ。名は体を表すを地でいく種族である。
ゴブリン族はオークやエルフと同じ亜人門妖精属だが、その二種族に比べて器用さに乏しく、知能は普通程度。魔力は皆無で強い肉体も持たないと、さほど特徴はない。ただし粘り強く耐えることには秀でている。故に番人のような忍耐力を必要とする仕事に携わることが多い。
俺は鷹揚に頷いて案内をさせる。松明を掲げるゴブリンに続いて牢獄の棟に入ると、中はカビ臭く、くしゃみが出た。ついでに鼻水も。へくちっ!
目的の独房に近づくとその守衛は鼻をつまんだ。
最初はこいつも鼻づまりかと思ったのだが、違っていた。そして、俺は自分の鼻水に感謝することとなった。というのも、鼻のひん曲がりそうな悪臭が漂ってきたからだ。
「こ、この臭いはいったい何なんですか!?」
「ハッ、殿下の囚人の放つ悪臭であります!」
ゴブリン族の守衛は鼻をつまんだまま、いちいち畏まって返事をした。
「ちゃんと世話係をおいておいたはずですが」
「ハッ、世話係は悪臭に鼻と目をやられて傷病休暇をとっております!」
「だから、どうして臭いのかを訊いているのです」
「ハッ、殿下の囚人がどうしても鎧を脱ごうとしないため、あまり無理強いしないようにとのご命令に従って、自由にさせてあります」
おい、それはホッタラカシというのだよ。監視も兼ねているというのに不用心じゃないか。こいつらにはキッツいお仕置きが必要だな。
その前に気になっていたことを尋ねた。
「誰か私の囚人を訪ねてきた者はおりませんでしたか?」
「いいえ! おりません!」
「そうですか。なら、この牢獄に普段寄りつかないくせに珍しく来訪した人物は?」
「ポオ殿下です!」
嫌味か。牢番の分際で。
「私以外で」
「昨日ザックスリー子爵がいらっしゃいました」
思わず気色ばむ俺。
「彼は何かしましたか!?」
「はい! すぐに走り出てきて、臭いと言って私の頭を何度も叩かれました!」
さてはヒラルドの野郎、こっちにも来たけど、あまりの臭さに逃げ出したな。まあ、怪我の功名というやつか。
俺は改めて罰を与えようと緑色の肌をしたゴブリンを見た。鍋のような兜と薄汚れた革の鎧が、実直さに哀愁の花を添えている。顔もかわいそうなぐらい腫れてるし。
何だか叱る気が失せたな。
「わかりました。案内はここまででかまいません。あなたは元の仕事に戻ってください。ああ、それと……これからも真面目に勤めなさい」
「ハッ、殿下とナロウにとこしえの幸あれ!」
守衛は最敬礼の後、急いで持ち場へと帰った。ゴブリン族は小柄なので、あのカッコつけナイトメアに殴られて、相当こたえただろう。
弱者をいたぶっても楽しいことはない。むしろ弱者とは俺の代名詞だ。誰か俺に優しくしてくれないかなあ……。
俺はむなしい妄想から抜け出し、鉄仮面の閉じ込められている独房の前に立った。鼻をつまんで。
さて、覚悟ができたところで、そろそろ開けるとするか。
受け取った鍵で蝶番を外すと、鉄板で補強されたドアに手をかけ、開けた。
「グハッ!」
腐敗物と糞尿が渾然一体となって驚異のスメルを放出しており、俺は大きくのけぞった。だが、我慢した。とっても我慢して、独房に足を踏み入れた。鼻がもげる!
高い窓から柔らかな夕明かりが入る房内。鎖によって四肢の自由を奪われた姿が目に飛び込んできた。全身甲冑のまま腕を引っ張られた状態でぐったりと横たわり、イスファルは俺が入室しても何の反応も示さなかった。床には回収されないまま積み上げられた食事が腐臭を放ち、見覚えのある全身甲冑は隙間から洩れ出す汚物にまみれていた。
き、汚なすぐるぅ……。もう、帰りたいよう。
しかし、万が一にも彼女が死亡していると面倒なので、生存確認だけはすることにした。
これっぽっちも触りたくないのだが、留め金を外して歪んだ仮面を脱がせ、せめて呼吸が楽にできるようにはしてやろう。この不潔な鎧の内側にいては悪臭によって息が詰まって死亡しないとも限らない。
俺は二十五年の人生で最大の行動力を発揮して、ハンカチ越しに兜と胴鎧との継ぎ目の留め具を外す。二つ目を外したところで、甲冑の腕が弱々しく動いた。
とっさに避ける俺。このときのスピードは、ボタン押下速度に換算すれば、おそらく一秒間に百連打できるほどの速度があったはずだ。
鉄仮面は首を震わせて頭を上げたが、すぐに床に落ち、ピクリともしなくなった。
「ふう、脅かしやがって」
俺の呟きにかぶせてかすれた声が聞こえた。
「ひ、き……つ……れる……」
警戒して待ったが、それ以上の言葉は出てこなかった。彼女はよくその台詞をのたまうが、いったい何がそんなにひきつれるというのか。腹の皮……はよじれるだったな。
腐敗した囚人食の皿から食事も断固拒否だったらしいとわかる。おかげで衰弱しきっているようだ。俺は用心しつつ作業を再開し、兜を脱がせることに成功した。
そして、俺は脱がせたことを激しく後悔することとなった。
兜に隠されていた顔は実に無惨なものだった。無惨というのは、顔中をひどく痛めつけられており、ほとんどが傷痕や火傷の痕で埋め尽くされていたからだ。むろん毛髪などはない。それどころか、そこに人相と呼べるものすら残されていなかった。
誰の仕業か知らないが、まともな感性では考えられないほど顔を潰してあった。魔力の依り代となる角までも切り落とされ、雑な切断面だけが残っていた。
憎しみですら、ここまでやる原動力にはなり得ない。これは楽しんで喜びのうちに行われたに違いない。
俺は吐き気を催した。しかし、それは彼女の造作ではなく、その所業に対してのものだ。これをやった奴は狂ってる。
息を止めたまま動けずにいると、彼女の頬が光るのがわかった。小窓からはわずかな光しか届かないが、彼女の半開きとなったままの両目から涙が溢れたのだ。
俺はそっと兜をかぶせ、元に戻した。
独房を出ると、壁に手をついて深く溜め息をついた。このとき、もう臭気はそこまで俺を悩ませなくなっていた。
このまま見なかったことにするのも優しさだ。しかし、このまま放置するわけにもいかない。あまりにも不衛生で疫病の発生源にならないとも限らない。
「……それはマズイな」
彼女は泣いていた。もし、それが素顔を見られたことに対する悔し涙であるのなら、もう一線を越えてしまったと考えればいいのかもしれない。
それに、この放置プレイを見過ごしてはゴブリン守衛のことをとやかく言う資格はない。
クッソー! やることやって仕切り直す!
遺憾なく鈍感力を発揮することを決断した俺は守衛室に赴き、ゴブリンに大量の湯とタオルを準備するよう命じた。それらが独房に運び込まれ、俺は呼ぶまでこの独房に誰も近づかせないよう指示を出した。
上着を脱ぐと、隣の房に投げ入れ、魔力偏向器をホルダーごとその上に置いた。
さあ、口で息をすることにも慣れてきたぞ。刺激的な空気には何とか耐えられる。シャツの袖をまくってから数秒目を閉じて覚悟を決めた。沁みる目を開き、大声で吠えた。
「うおおお! やってやるぞ、鉄仮面め! 覚悟しろよおおお!」
雄叫びとともにお湯が全身甲冑に降り注ぐ。驚いた捕虜は動かない体でわななくように身じろぎをした。彼女にできたのはそこまでだった。
俺はモップで甲冑をゴシゴシこする。汚水が床の溝を伝わり、隅の排水溝へと流れていった。表面の汚れはみるみるうちに消え去った。続いて甲冑の中だ。
甲冑を脱がせると、全身のどこをとっても顔と同じように修復不可能な傷を追わされていた。どれも古傷で傷のない部分がほとんどない。乳房は裂かれた状態で治癒しており、見ているだけでこちらが痛くなる。いかに治っているとはいえ、俺ならこんな体になったら戦う気などこれっぽっちも起きないだろう。
そんな全身に垢や排泄物がこびりついている。見た目で種族が判別できないほど痛々しく、そして怪物のようにおぞましかった。
いや、こいつは尊大な魔皇女が気遣いを見せる相手なのだ。主人から信頼を勝ち得る献身を示してきたに違いない。その思うと、何故かマリーのことがダブって見えた。
俺はブンブンと頭を振り、余計な想像を頭から追い出すと、自分の汗を拭ってから次の作業に移った。
柔らかいスポンジと石鹸で彼女の体をきれいに洗ったあと、湯をふんだんに使い洗い上げた。ふかふかのタオルで丁寧に水気を拭き取ると、充分清潔になった。
その過程で俺の衣服も汚物と湯でぐしゃぐしゃになったが、彼女の全身を覆うあまりにも悲惨な傷痕に比べれば、大したことではなかった。
きれいになったイスファルが動かないのを幸いと、非力な俺の全力で隣の独房に彼女を移した。清潔なタオルを何枚も敷いて、そこに寝かせる。そして、魔定輪を手足にはめてから、その上にシーツをかけて極力その外見が見えないようにした。
「手枷よーし、足枷よーし、独房の施錠よーし」
俺は指差し確認をしてから、独房を後にした。守衛には、あの汚ない独房を掃除して燻蒸消毒するよう指示しておこう。
終わった……。
自分に肉体労働は向いてないとつくづく思う。一時間程度の労働なのに両腕と両腿の筋肉がピクピクと痙攣しているぐらいだ。
でも、その甲斐はあったと思う。清潔な状態になったわけだし、守衛にも改めてプライバシーを配慮する指示を出しておこう。
それでも感謝されるかはわからない。今は捕虜本人がどう思うかは関係ない。とにかく、俺の中では振り出しに戻せたわけだ。
あの姿を見た今の俺には彼女をこのまま牢獄の最奥に閉じ込めておくことに気の咎めを覚えた。だからといって、彼女に対して優しく接するつもりもない。
つまり、話は簡単だ。肉体的に過酷な囚人ライフを精神的に過酷なものに変えてやればよいのだ。
これから彼女の待遇を大きく変えてやろうではないか。奴の主人を遥かに凌ぐ安楽な囚人生活を送らせることで、鉄仮面はいたたまれなくなって少しは素直になるかもしれない。
それを知ったセイヴィニアが嫉妬で身悶えして、どれほど胸が揺れるかが楽しみだ。いやあ、それぐらいの楽しみは許されるはず。
さあ、疲れたから、我が部屋に戻ろう。
ゴブリン守衛は俺の行動に面喰らっていたようだが、同時に感銘を受けたらしい。帰り際、何も言わない俺に恭しくタオルを差し出してくれた。俺も無言のまま受け取った。ま、愚かだが悪い奴じゃないな。
俺は自分の汗を拭くと、風呂上りによくやるように首に巻いた。魔力偏向器のホルダーを金具でベルトに接続し、上着を肩に引っかけてボチボチ歩き始めた。
牢獄の外に出ると日はとっぷりと暮れ、夜空に多数の星が瞬いていた。
東面する城の背後に塔があり、その二つは多数ある連絡通路の一つによって結ばれている。城壁際の通路のところどころには松明が灯され、それをたどるように俺は進んだ。慣れない身体疲労によって歩みは遅く、この歩廊を通る人が他にいないことが、一層の寂しさを漂わせた。
途中に灯りの途切れるところがあった。春先にしては湿った風が吹き、真っ暗で不気味なことこの上ない。
ピュ~っとつむじ風が走った。
イヤ~な雰囲気ィ~と振り返ると、なんと、拳大の火の玉が浮かんでふわりふわりと近づいてきたではないか。
プギャーと叫びそうになりつつも、俺は何とかこらえた。ネットのオカルト掲示板で見た人魂とはこれのことに違いない。この炎のような塊は死者の魂で、生前晴らせなかった恨みを晴らすために現れるらしい。
これは誰だ。誰の人魂なんだ? バフか、それとも塵と化したモーブの上級将校か? それとも鉄仮面の恨みの生霊か!?
うわー、ヤバイ、俺、鳥肌立ってる!
確か、幽霊を倒すには、人間界のお札か、お守りか、聖水がいると聞いた。今の所持品にお札はなく、護符もなければ、聖水も俺様のものしか出せない。
そうだ! 呪文だ!
怯えに支配された俺の頭はスーパーコンピューター並にフル稼動した。記憶の彼方から例のオカ板で目にした魔除けの呪文を思い出す。
そのトピ主の話によると、廃病院で魔道士と魔女が合コンをしたとき幽霊に襲われ、たまたま通りかかった旅の修験者がこれを唱えて助けてくれたらしい。
俺はその『半猫心経』を必死になって唱えた。
「ハンニャンハンチャンミータージー㍉㌔㌢㍗㌘㌧㌃㌶……」
低く押さえた声が流れ始めるや、炎が大きく揺れた。お、効いてるぞ!
俺はかさにかかって呪文をまくしたてる。
「シキソクゼクウクウソウカガク㍊㍑㍗㌍㌦㌣㌫㍊㌻……」
「ひ……」
人魂が喋った!
「ひえぇ、殿下、殺さないでください! お助けください!」
人魂の正体は牢獄の守衛が捧げ持つ松明の灯火だった。な、な、なんだ、テメーか。脅かしやがって!
「守衛が守るべき場所を離れて何しに来たんですか!?」
ゴブリン守衛は緑の肌を土気色に染めて松明を持ち上げた。泣きそうな顔が頑張ってこらえている。
「ハッ、城内へ続く道の途中に暗いところがあるため、殿下に灯りをお持ちしました! お願いですから、殿下の必殺魔術はご勘弁ください!」
いや、悪魔祓いの呪文であって、殺人呪文じゃないから。つーか、魔族は人間界の悪魔にあたるのかな。だったら、効かないとは言い切れない。
とは言うものの、魔族も命ある生き物だから、ブツブツと唱えたところでただの独り言にしからならんと思うが。
俺は気を取り直すと、守衛から松明を受け取り、霊を、いや礼を述べる。
ゴブリン守衛は進んで俺の役に立ったことが大変な名誉だと思ったらしく、意気揚々と帰っていた。
おい、こういうとき、普通はお部屋までお送りしますぐらい申し出るもんだろ。せめて見送るだけでもいい。なぜ、先に帰る。
夜道に一人残されると怖いじゃないか!
恥ずかしくてそれを言い出せなかった俺は諦めて元の方向へ振り返り、歩みを再開した。
すると、数歩進んだところでゆらめく炎に照らされて二人の人物が立っていることに気づいた。どちらも戦士の装いだった。
一人は筋肉ムキムキの大柄なミノタウロス族の娘。もう一人は細身で、見たところ夢魔目のようだが、ナイトメアではなくサキュバスっぽい。
長い金髪のミノタウロスは短い鋭杭角が額正面の左右に二本生えており、細身で色白のサキュバスは渦でねじれたような乱渦角だ。その角の類型から、前者は魔力は弱いが肉体が強靭で、後者はその逆を意味している。
娘といいつつもおそらく俺より年上のお姉様で、両人ともなかなか色っぽい美人だった。が、まったく見たことのない二人だ。
それぞれ独特なデザインセンスの鎧を身につけ、武器のグレードも兵卒のありふれた量産品とは異なる。ミノタウロスは体格に見合った大剣を、サキュバスはそれ以上に巨大な大斧をそれぞれ背負っていた。細身のサキュバスに超弩級の大戦斧はさすがに重そうだ。
俺が下々の顔を覚えないのはいつものことだが、さすがに城の衛兵なら何となく見覚えがある。それに装備も系統だって統一されているから、外見で所属ぐらいはわかる。
しかし、記憶にあるデザインは目の前の二人には当てはまらず、もしかして城内警備のためにドライデンがおいていった星辰騎士団の連中ではなかろうかと推察する。
俺が道を開けろと顎を振ると、ミノタウロス娘が俺を指差して相棒に訊いた。
「こいつか?」
「髪の毛に埋もれるほど哀れな短小の角。そこにかかる螺旋角に似せた見栄っ張りなカバー。そして、美少女みたいな優男。こいつだね」
そう言ったサキュバス娘の大きな瞳が笑みを形作る。だが、口がまったく笑っておらず、むしろ気味の悪い表情を形作った。
二人とも道をあける気配はなく、とうせんぼうをしている状態だ。いじめっ娘にロックオンされた気分だよな。
俺はこれ見よがしに溜め息をついてやった。
近頃では俺様も巷ではちょっとした英雄として扱われている。そのおかげで尊敬の眼差しを受けることがあるのだが、中にはこんな感じで敵対的な視線を投げ掛ける輩もいる。こいつを泣かしたら自分の名が売れるんじゃないか、といった感じだ。
おう、テメーら、後悔するなよ。ドライデンにチクってやるからな。俺の名前と一緒に服従という単語を覚えとけ。
「俺は魔王子のポオだ。わかるか。ポオ殿下だ。わかったら、そこをどけ」
俺は松明を掲げ自分を照らすと、立てた親指で自分を指し、ことさら言い聞かせるように言葉を続けた。
「おまえらの主人であり、モーブの魔皇女を倒したポオ殿下様だ」
「イヤ~ン、大当たりィ~」
サキュバスは身悶えしながら、両手を組み合わせ頬に当てた。口角が上がって笑みの邪悪さが加速した。
次の瞬間、大柄なミノタウロスの体が消えた。
えっ、と思ったのも束の間、頭を低く下げた体勢で俺と密着するばかりのところにいた。
「違うね!」
否定の言葉が耳朶を打つと同時に俺の腹部に衝撃が走る。視界が急速に大地から離れ、高く舞い上がってから地面に叩きつけられた。
その間、約五秒。けっこうな高さからの重力加速度は俺の身体のみならず、頭を激しく揺らして意識を数瞬混濁させてくれた。
すかさず図体の大きなミノタウロスがマントの上から背中を踏みつけてくる。お、重いィィィ。
「おまえは、我が主セイヴィニア殿下を背後から襲った卑怯者だ」
ここに至って、俺はようやく理解した。
こいつらは敵だ。モーブ軍だ。バッツが警告してくれた『霊血の同胞』というセイヴィニアの親衛隊に違いない。
ミノタウロス娘は類友感のある脳筋ちゃんだが、サキュバス娘はちょっと違うタイプのようだ。充分に用心しないと。
それにしても王国の王城のこんなところまで易々と侵入されるなんて、どんだけ緩いんだ、王城の警備は。……いや、俺が王城警備員だったな。
俺は足の下から這い出ようともがくがズシリと踏み込まれて、手足をバタバタと動かす程度のことしかできなかった。腹は痺れたように無感覚になり、血流が止まっているせいか、痛みも鈍い。大丈夫かよ、俺の内臓。
俺はかすれる声で訊く。
「こ……殺す気か?」
「当然だろ。おまえによってつけられた殿下の不名誉は、我らがその間抜けな首を落とすことで返上する」
「バァ~カですか、ジェジェ~。私も気持は同じだけど、そいつはとっ捕まえて、殿下の居場所を吐かせないと」
「おおっと、そうだった」
相槌と同時に俺の体は蹴られて仰向けに転がされた。けっこうな重量を伴って長靴が腹を圧迫する。ミノタウロス娘は偉大なバストの持ち主で、俺からは彼女の顔の下半分が見えなかった。
「おい、さっさとセイヴィニア殿下とイスファルを閉じ込めている場所を吐くんだ。そうすれば痛い目を見ないですむ」
「吐かないと、ひど~いことしちゃうよォ~」
どうせ吐いても道案内に連行されて、ひどいことされるんだ。チクショウ。こんなことになるなら、自室まで送るよう命令すればよかった。やっぱり、あのゴブリン守衛はお仕置きだな。
俺は下から大きな山の向こう側へ問いかけた。
「おまえたちが、あのシ、シ、シ……シリョウのハラワタか?」
腹の上の重量がメガトン級に跳ね上がった。その上、ぐりぐりと踏みにじられる。
「レ、イ、ケ、ツ、の、ハ、ラ、カ、ラ。読みはシストレンだ。覚えとけ! あたしは無神経に他人を馬鹿にする奴が嫌いでね。苦しいのは自業自得だ」
グ、グオォォォ……。し、死ぬ……。マ、マリー、もうじき俺もそっちに行くよ~。
「ジェジェ~、息の根を止めるなら、吐かせてからにシテェ」
サキュバスの話し方が妙なペースで、語尾がやけに色っぽい。おかげで、気持ちがそちらへ向いてしまうが、今はそんな場合ではない。このままでは、居場所より先にマジ内臓が出るぅ。さすがに何とかしなければ。
俺は苦しい中、右手に魔力を集め、親指の先にそのすべてを込めた。
これは魔球ではなく、魔力の弾丸。モーブ軍の本陣でセイヴィニア相手に放った奇襲技がベースだが、魔術教本を参考に安定化と効率化を図り、制式魔術化したのだ。
制式名称は魔弾! と言っても命名規則はないけど。
その完成度を高めた魔弾を俺は小石を弾く要領で飛ばそうと、右手をそろそろと動かして狙いを定めた。親指の爪に描いた魔法陣がかすかに発光し、俺の目は敵への射線を想定する。
が、地響きが響いて、俺の右手首は大地に押さえつけられた。まったく動かせない。サキュバスが無造作に投げ出した大戦斧の、クソみたいな重さが手首に載っているからだ。折れたかのような痛みに俺はジタバタともがいた。
サキュバスは俺の頭の近くで屈むと、額がつくぐらいのそばに楽しそうな顔を寄せた。なかなかの美形だが、俺の超絶美貌に比べれば、数段落ちるな。
彼女は笑っているように見えない唇で笑っているように喋った。
「早く吐こうよ。そしたら、このきれいなお姉さんが介抱してあげるからさァ」
と自分のあまり豊かではない胸元を押さえる。
「か、介抱?」
「そうそう抱っこして、添い寝して、ご飯もア~ンって食べさせてあげる」
喋り方のそぐわない彼女の清楚な顔立ちを見ていると、それはとても魅力的な申し出に思えた。
ひどい痛みのせいか早くも頭がクラクラしてきている。が、そんな中にも気持ちよさが生じ始めた。痛みのあまり脳内麻薬が分泌されたか。
俺は朦朧とした意識で尋ねた。
「マジで?」
「マジよォ」
霞む視界ではっきりしないが、黒髪から覗く乱渦角がかすかに光っている。
気がつくと、俺はスレンダーボディーのサキュバス娘に膝枕をしてもらっていた。細めの体型ながらもそれなりに肉がつき、ほどよい高さで心地よい弾力もある。少しひんやりする手が俺の首筋を優しくマッサージしていた。
わーい。気ッ持ちいい~。ねえねえ、こめかみを揉んでよお。
『ええ、いいわよ』
ゲームのやり過ぎで、眼精疲労がパないんだ。おかげで頭痛までする。
『あら、それはいけないわネェ。しっかり揉んで気持ちよくしてあげる』
肩もこってるし、背中と腰も痛いんだよお。筋肉痛で。
『もう、仕方ないわネェ。全身をくまなくモミモミしましょう』
ぜ、全身?
『そうよ。全身よォ』
ま、まさか、股間も?
『全身って言ったじゃないの。隅々まで手を入れて探ってあげるわァ』
エヘ、エヘ、エヘへへ……。じゃあ、早速お願い。
…………。
……あれ?
早くしてよ。待ってるんだけど、俺。
ねえ、まだー?
『ウ……クッ……』
クッ? 何? どしたの~?
『この売女がッ! あたしのお兄様に汚い手で触れないでくれる。あなたのクズがうつったらどうしてくれるの?』
なんと!? おまえは最愛の我が妹ではないか! こ、こんなとこで何してるんだ?
『もちろんお兄様にたかるウジ虫をプチッと潰しに来たのです』
『な、何なんだ、おまえは!?』
『お兄様の最高に素敵な妹です! あなたみたいな小汚い下等生物が指一本でもお兄様に触るということは、この世のすべての善きものを汚すも同然です』
け、喧嘩はいけないよ。特に俺の頭の中じゃあ。ん……頭の中?
『もう! こいつが目を覚ましちゃうじゃない~! せめて居場所だけでもォ……』
ぐッ……あ、頭が! 痛い! わ、割れる! 頭が割れるぅぅぅ……。
『このクズがぁ! ゴミ溜めで自然発生した黴みたいな奴が、お兄様の中で好き勝手するなんて、絶対に、絶対に、絶対にぃ許せないィィィ!』
うぎゃあぁぁぁぁぁ!
「……ぎゃあぁぁぁぁぁ!」
俺は悲鳴とともに目を開いた。すると、眼前に白目を剥いたサキュバスがいて、俺の額に自分のそれを押し当てて痙攣していた。
「モリル!」
ミノタウロス娘は名を呼ぶや相棒を抱えて俺から引き剥がした。その格好のまま用心するように数歩下がる。
「おまえ、何をしたんだ?」
いや、むしろ何かしたのはそっちだろう。俺は激しい頭痛に襲われ、目の前がチカチカして答えるどころではなかった。
しかし、ここは守りではなく、攻めどころ。俺は何とか大戦斧の下から腕を引き抜くと気力を振り絞って立ち上がる。
「き、貴様の相棒は、我が心の妹によって討伐された。姑息な催眠術などぉ……ヌウゥゥン、効かぬわ!」
と両腕を広げて肩を怒らせる。さらにダメ押しの決め台詞。
「我は大魔王、貴様ごときに雑兵に我が覇道は止められぬぅ!」
俺の自信過剰な笑みは無言をもって受け止められた。やった、ビビってる。
と思っていられたのはコンマ五秒。そのさらにコンマ二秒後には大きな手によって俺の頭はつかまれ、軽々と吊り上げられてしまった。
「ナロウの魔王子、遊びは終わりだ。頭を割られる前に殿下の居場所をさっさと吐きな」
こめかみや耳の裏あたりを中心に痛みが走り、関節もないのに頭蓋骨がギシギシと軋んだ。その感触が鼓膜の奥を刺激する。頭を締め付ける握力は尋常ではなく、もし本気で握れば俺の頭などリンゴより脆く砕かれてしまうに違いない。
「い、痛いよう。やめてよう!」
俺はミノタウロスの手を引き剥がそうとするが、彼女の指はこれっぽっちも動かない。わかってはいたが、筋力では太刀打ちできない。しかし、魔力に長じていないミノタウロスが相手なら、魔力で何とかできるかもしれない。
ここは手っ取り早く心霊手術だ!
この距離ならその巨大な胸に手が届く。奴には自分の主人と同じ目に遭ってもらおう。腰の魔術書に魔力を送り、魔術を引き出す。俺の右手が事象転写魔法陣を宿して光った。
「おっと、その手は食わない」
ミノタウロスは俺の手首を万力のような力でつかんだ。そして、強く揺さぶった。やめろ! そっちは痛いんだから!
「ルスター副軍団長からどんな卑怯な手でセイヴィニア様を襲ったかを聞いている。させないよ!」
言葉が終わる前に手首がへし折られる。もちろん婉曲表現ではなく、ガチ骨折だ。
「ぎゃあッ!」
苦鳴が夜の空に響き渡った。城壁の内側とはいえ広大な敷地の外れにはひと気がなく、この騒ぎにも関わらず誰も現れなかった。
「あ~あ、油断したわ」
サキュバスが頭を振り振り立ち上がった。その声には驚きと怒気が満ちていた。
ひんやりとする刃が首筋に押し当てられる。おそらく例の身の丈に合わない大戦斧であろう。俺はぞくりと寒気を覚えた。
「もういい。首を切断して、脳から直接情報を引き抜いて、ア、ゲ、ル」
絶体絶命。逆転は難しい状況だ。首を切られても、絶命するまでに接いでしまえば生きていられるだろうか。いや、そんな器用なことができるわけない。
それより、俺はここまでよく頑張ったんじゃないか? 敵陣の中心部までたった三人で乗り込んで、敵の大将をとっ捕まえてきたんだ。ニートの俺がいきなりそんなことまでやってのけたんだ。少しは褒められてもいい気がする。
いや……。それは、マリーという犠牲がなかったら、だな。
俺は観念して目を閉じた。
思ったより死そのものへの恐怖はなく、死ぬときの痛みのほうが怖かった。死んでもマリーが迎えてくれるだけのことだ。そう思うと気が楽になった。
「思ったより、潔いね」
首から刃の感触が遠のいた。おそらく振り上げたのだろう。背後からかけられる台詞は、妙な話し方のせいで嫌味なのか思いやりなのかわからない。
「一息に断ち切ってあげるから、痛くないわよォ」
俺はゴクリと唾を飲み込んでつむる瞼に力を入れた。
「殿下!」
聞いたことのある声が耳に届くなり、俺の体は宙を舞った。驚いて目を開くと頭上に大地があり、平衡感覚が上下逆転していることを伝えてくる。ざっと十メートルほども放り投げられていた。耳には瞬時に数合を斬り結ぶ音が聞こえる。
地上で銀光が一閃した。その光はミノタウロス娘の大柄な体を駆け上がり、俺の体を抱きとめる。
銀光は着地と同時にさらに前に跳躍し、俺を両腕で抱えたまま霊血の同胞から距離をとる。近衛兵姿も勇ましく、俺を抱えているのはシルバーメリーだった。
痛いことも忘れてしがみつく俺。
「メリーさん!?」
初めての『さん』付けに面喰らった様子だったが、シルバーメリーはホッとした顔を見せた。美形な銀毛のコボルトであり、妹と重なる優しげな面差しは間違いない。
「殿下、ご無事ですか?」
「おまえには暇をやったはずだ。村に帰ったんじゃなかったのか?」
「えっ、あれは本当に厄介払いだったのですか?」
ショックを受けてメリーの顔が曇った。俺は慌てて否定する。
「い、いや、それは違う! けど、どうして戻ったんだ。これからますます危険になるってのに」
「だからこそです!」
と彼女は俺を地面に投げ出しざま、背後に斬りつける。
ガキィンと音が響いてミノタウロスが大剣で受け止めた。踏み込んだ出鼻を挫かれたように少しのけ反り気味の体勢だ。それでも相手には余裕がある。
「ほう、コボルトのくせにやるじゃないか」
「それより、そちらは見る目がない。特技が『引きこもり』の殿下を二人がかりで襲撃するとは。半人でも多いくらいなのに」
ミノタウロス娘は言葉ではなく大剣で応えた。メリーは斬撃をかわすと、突き返しつつ相手の反撃を誘った。
そして、二人は激しく切り結びながら、少しずつ俺から離れていった。
突然のメリー登場に俺は胸を撫で下ろしたが、同時に右手首の痛みがぶり返した。いやいや、まだ安心はできない。敵はもう一人いる。モリルと呼ばれたサキュバスだ。
俺は慌てて彼女のいたところへ目を向けた。すると、そこにはさらにもう一人サキュバスがいて、なんとサキュバス同士で対峙していた。……ちょっと面倒だな。表現的に。
モーブのサキュバスは言う。
「武芸十八般に通じ、魔力にも秀でたサキュバス族の剣光位騎士がいるって噂を聞いたよ。気流を操り、『音速騎士』とか呼ばれているらしいじゃない?」
実に厨ニ病的なネーミングじゃないか。そいつのことは厨ニ病騎士と呼んでやろう。
で、その厨二病騎士は穏やかに応じた。
「そんなあだ名に意味はない」
「ふ~ん。ホントにそうか、試してみようか?」
「その台詞を二度言えた奴はいないぞ」
と抜いた二本の長剣をからかうようにゆらゆらと揺らす。
よく見ると、その厨ニ病騎士は剣光騎士アマリアだった。構えて低くした頭から見事な長環角が突き出し、威嚇するようにボウッと光っていた。
唐突に敵が襲いかかってきた。それに対してかち上げるような突きで迎え撃つアマリア。その突きは突風を伴い、敵を回避行動以上によろめかせる。
「大気の魔力だね」
モーブのサキュバスの言い当てた大気の魔力は気体に運動を与える力であり、簡単に言えば風を起こせる。魔力が強ければ、それだけ広範囲に影響を及ぼせるが、広ければ広いほど思った通りには動かせない。また、急激に動かすことも難しく、あまり戦闘向きの力とは言えなかった。
アマリアは双剣を威嚇するように軽く打ち鳴らす。
「そちらは魔力が得意なのでしょう? 出し惜しみしていると本気を出す前にやられるぞ」
「さあ、それはそちらの願望でしょ。大気で熱閃は防げないわよ。それに私の熱閃は魔力防御で無効化できるレベルじゃないからネ」
サキュバス娘の言った熱閃の魔力は熱量を加える力だ。攻撃に利用するなら、致死レベルの熱を敵に与えるなどの手段がとれる。
ただし、効果は自分の魔力から発生するものであり、何もないところにいきなり発生させることはできない。そのため、それを体外へ伝える媒体が必要となる。
つまり、直接触れていない相手を加熱することはできず、戦闘で利用するなら、熱閃は熱源から放たれる放射熱で焼き焦がす、といった按配となる。
目だけが笑っているサキュバスは得物を重そうに担いだ。ふらりと体がよろめく。本当に自分の武器なのかと問いたくなる様だが、アマリアは油断せずに相手の動きを見つめた。
持つ手に光の魔法陣が現れ、大戦斧の刃が赤い光を帯びた。ゲームにたとえるなら炎系のエンチャントがなされた状態だ。危険な熱が放出され、俺の濡れそぼった衣服が乾き始めた。
それはたちまち高温となり、単なるエンチャントどころか石畳や周囲の草木を焦がす。ところが、奴自身には何の影響も現れていない。このような器用な使い方は真核魔力ならではのものだ。
「アチッ!」
熱気が俺の顔を襲い、毛先が縮れる。驚いた俺は口走る程度だったが、自分より前にいるアマリアはもっと高い熱にさらされているはず。しかし、彼女は熱そうに顔をしかめてこそいるが、耐えていた。代わりに髪の毛が激しい強風を受けたように逆立った。
なるほど、と俺は納得する。彼女は魔力で防御するだけではなく、その周囲で強い上昇気流を起こし、熱い空気をどんどん逃がして空冷効果を生んでいたのだ。
それは、熱を防ぐのではなく、あくまで熱くなったものを冷ましているにすぎない。つまり、稼げる時間はほんのわずか、ということだ。しかし、それで充分だった。
背中を圧されたようにサキュバス娘が前によろけた。上に流れた空気の後を埋めるように突風が背に当たったのだ。それは激しい気流となってサキュバスをさらに押し進める。
踏みとどまれないことを悟ったサキュバス娘は逆に超重量級の大戦斧を叩き付けんと跳躍した。あの強烈な乱気流の中でジャンプすればどこかへ吹き飛ばされるだろうと思ったが、大戦斧の重さのおかげで俺の予想は外れた。
一方、熱ダメージが増しているはずのアマリアはかわす素振りすら見せず、自分の長剣をさっと振り上げる。
途端に上昇気流が竜巻に変じ、そのあまりにも強い勢いによってさすがにサキュバス自身は空中で体勢を崩す。そのまま後方に投げ出され、背中を地面でしたたかに打った。
赤く熱を帯びた大戦斧が手前に落ち、地面の焼ける音がした。
アマリアがそちらへ突くような動作を見せると、離れたところにあるにも関わらず斧が弾き飛ばされる。城壁に当たってやかましい音を立てた。まるで剣の先端から見えない力が飛んで出たかのようだった。
拍子抜けするぐらい実力に差があるように見えた。
アマリアはゆっくり前進すると仰向けに倒れた相手の喉元に切っ先を向ける。
「さあ、これで熱閃の魔力を媒介させる武器がなくなったな」
サキュバス娘は表情を変えずにごくりと喉を鳴らす。
「今のは、大気と衝撃の併用ね」
「当たりだ。そちらも、その立派な角の魔力特性がまさか一つだけということはないのでしょう?」
「こっちは、あんたみたく強くはないのヨォ」
と霊血の同胞は眉根に皺を寄せて肩をすくめる。
「なら、試すことにしよう」
アマリアは部下に稽古をつけてやるかのように剣を振り上げた。そこでサキュバス娘の口が初めてニヤリと笑った。
唐突に剣光騎士の動作が止まり、微動だにしなくなった。まるで凍りついたかのようだ。
何が起きたのかさっぱりわからず俺が呆気にとられていると、サキュバス娘は気だるげに歩いて飛ばされた斧の元まで移動した。彼女の乱渦角は光っており、魔力を使っているのは一目瞭然だ。
サキュバス娘の体から強力な魔力が噴出した。すると細腕があの大戦斧を軽々と拾い上げた。まるで小枝のようにポンポンと掌を叩いて感触を確かめる。すると、瞬時に大戦斧は柄まで灼熱の赤色に染まり、再び周囲に耐えがたい熱気を放ち始めた。
ミノタウロス娘が文句を言っているが、相棒は笑い声を上げてますます温度を上げていった。
「アマリア!」
叫ぶ俺の眼前で奴はアマリアに近づいていった。よく見るとアマリアは悪夢を見ているように顔を歪め、閉じた目の下では眼球が激しく動いている。
サキュバス娘の歩く先で地面が焦げた。一歩ごとに角が放つ光は強さを増し、彼女の体は非常に高密度の魔力に包まれた。それは戦場で見た鉄仮面の魔力以上に膨大で壁というよりは領域。俺は恐ろしさに息を呑んだ。あれほど強固な魔力の壁は生半可な力では影響を与えることができないだろう。
鉄仮面といい、霊血のナンチャラはナロウ魔貴族でも最上位クラスの魔力をその身に秘めているらしい。それほどの奴が魔力特性を一つしか持たないわけがない。
ここではたと気づいた。俺の頭の中を探ったときと同じ魔力ではないか、と。
今アマリアを硬直させているのは催眠術のように精神に作用する魔力に違いない。こういった作用対象が物質ではない魔力は媒体を必要としない。
俺は助けを求めてこうべを巡らせるが誰もおらず、ミノタウロス娘と斬り結ぶメリーは劣勢で加勢できるような状態ではない。俺は折られて痛い手首を押さえたまま後ずさった。
サキュバス娘がこちらを見て口元で薄く笑った。力のない奴はそこで黙って見ていろと言いたげな表情だった。
黙って見ている?
それとも逃げる?
再度目を向けると俺の護衛官の横顔がこちらを向いていた。
メリーの俺を見る眼差しはまるでマリーのそれとまるで一緒だ。俺に期待している。いや、俺を信じている!
俺は反射的に左手を前に伸ばして、指を鳴らすように親指と中指で押し合った。その指の爪では魔法陣が薄く発光し、魔力が集中している。
「おい、アマリアから離れろ!」
「な~に? お姉さんと遊んでくれるのォ?」
「はぁ? 俺から情報を取れずに尻尾を巻いたクセに偉そうだな」
「あなたの銀色の飼い犬じゃあるまいし、尻尾なんてないわ」
「いや、俺には見えるね。俺に勝てないからってアマリアへ向かう弱い奴の、くるくると巻かれた貧相な尻尾、がな」
足が止まり、顔だけ俺に向く。魔力の溜まる俺の左手を見つめた。
今度こそこの魔弾を撃ち込んでやる。俺が魔術の発動を意識すると、親指ともう一つ別の指の爪が薄く発光した。これは左手の中指の爪に仕込んだ魔法陣による『ねじれ』の運動を与える魔術だ。
たまに誘われるFPSゲームのおかげで、俺は人間界の銃火器についても基本的な知識を得ていた。つまり、貫通力を高めるために弾丸をきりもみ回転させることが有効なことは知っているのだ。
ちなみにこの即席魔術には世界に穴を開けるときに使った螺旋成形の魔術から仕組みを拝借している。
ぶっちゃけ、あの強敵を包む魔力の防護壁を突き破る自信はない。しかし、やらないわけにはいかなかった。
元手のほとんどない俺は博打を打たずして稼ぐことはできないんだな、これが!
俺の気迫を感じたのか、サキュバス娘も多少は警戒したように言葉を返してきた。様子を見ているのだ。
「戦場では真っ先に強い奴を潰すのが上策なのよ。知らなかった?」
「知ってるさ。だから、おまえは馬鹿なんだ! 一番強い俺に背を向けたんだぞ?」
「手首をへし折られた奴の言う台詞じゃないわネェ」
「モーブ南方面軍の軍団長を一撃で仕留めた男を相手に言う台詞でもないね」
霊血の同胞の顔が不快げに歪んだ。荒々しい言葉が俺を罵倒する。
「あぁ~ん? 何つった、てめえ? セイヴィニア殿下を一撃で仕留めた? マヌケか、テメーは。まさか背後から不意打ちを仕掛けておいて、殿下より強くなったつもりなのォ?」
「イスファルって奴も俺に負けたんだぞ。あいつも霊血の同胞なんだろう。なら、おまえのたどる運命も自明だ。貴様らは俺より弱い!」
サキュバスは激昂して、体ごとこちらに向き直った。
「こッのクソ魔王子が! イスっちが何だって!? もっぺん言ってみなァ」
「貴様も俺にやられとけ! 俺は大魔王候補だぞ!」
怒号とともに俺はさらに魔力を込めるべく角に意識を集中させて力をかき集める。同時に足元から星の光のようなものが噴き上がるのを感じた。戦場で一度体験した魔力の奔流だ。大地から迸った流れは、俺の体を伝って左手に注ぎ込まれた。
その勢いたるや凄まじく、こらえきれずに魔弾を撃ち出した。
瞬時に強度の跳ね上がった魔弾はサキュバス娘を驚愕させた。高速にスピンする魔力の弾は分厚い魔力のフィールドを貫き、奴の大戦斧が辛うじて受け止めた。
サキュバス娘の魔力が大戦斧に集中し、真っ赤に燃える斧は輝いて魔力弾と拮抗する。だが、彼女自身は踏み留まれなかった。足が地面をえぐりながら、体ごともの凄い勢いで城壁まで押しやられてぶつかった。
そして、がっくりと膝をつく。大戦斧は原型を留めておらず、熔けた飴のような鉄棒と化し、地面に落ちた。
はあ、と溜め息をつく俺。脱力感でいっぱいだ。
次の瞬間、大地を蹴り、サキュバス娘が前に跳んだ。俺に向けて。
その無表情な顔が瞬時に迫り、まさに眼に刺さる寸前の二本抜き手が見えた。
と同時に、パンッ、と空間に響く乾いた音がした。サキュバス娘の体が横に吹っ飛んでいた。
「……疾風剣」
言ってアマリアは斬り上げの体勢から二本の剣をゆっくりと下ろした。
俺は、彼女の異名を思い出して、今の一撃をすぐに理解した。なるほど、音速騎士ね。剣尖が音速を超えた音か。
サキュバスは風に翻弄された木の葉のようにキリモミした後、否応なしに城壁に強く打ち付けられた。細めの体は力なく転がり、呻き声だけが聞こえた。
「モリル!」
ミノタウロス娘は叫ぶなり、力任せに大剣を横に薙ぎ、シルバーメリーに距離をとらせる。その隙に仲間を抱えると、脇目も振らずに走り出した。
その様子に不思議に思って振り返ると、城内から警備兵がわらわらと現れてこちらへ走ってくるところだった。ようやくかよ。
メリーが追いかけようとしたがやめさせた。自国の懐深くでこんな襲撃を受けたのであれば、本来なら地理的有利を生かして徹底的に追い立てて捕まえるべきなのだろうが、戦力不足のままでの追撃は危険だ。
剣光騎士たるアマリアもこめかみを揉んで靄を振り払うように頭を左右に振っており、まずは敵を追い払えただけでよしとするべきだった。
それに奴らの狙いはわかっている。
すぐに対応策を思いついた俺はメリーをそばに呼んだ。
「殿下、ご無事ですか?」
「手首が痛い」
安心すると現実的な肉体の痛みが思い出されてきた。忘れていられる痛みなら、そのまま忘れておいてくれればいいのに。
「すぐにご典医を呼んできます」
「いや、それよりクラーグス家のレイリス姫とバッツを呼んできて。怪我はレイリスの再生の魔力で治してもらうから」
「は?」
あなたの頭はバカですか、と言う意味が今のひと言には込められている。名門伯爵家のご令嬢をお呼びするには少々時間が遅いというわけだ。そういう突っ込みがメリーの持ち味だ。
しかし、時間がないので、俺は話し続けた。
「俺が襲撃を受けたことを伝えてくれれば、向こうから飛んでくるさ。彼女は、その、何と言うか、魔王教育に関する俺の専属顧問なんだ。あと、スリザール伯爵も同様に政治的な協力者だ。それと……ありがとな」
最後の言葉に、彼女は呆気にとられた様子だったが、俺の真面目な顔に気づき、恭しく一礼してその場を走り去った。
入れ違いに剣光騎士が剣を納めて近づいてくる。礼を述べつつ尋ねてきた。
「ポオ殿下、先ほどは助かりました。あの者たちは霊血の同胞です。戦場で見たことがあります。いったい何があったのですか?」
「捕虜の一人を訪問したのですが、その帰りに襲われました。どうやら主人である魔皇女を取り返しにきたようですね」
アマリアは険しい顔でむうと唸った。
「スリザール伯爵の予想通りでしたか。このままでは殿下が危険です。やはり捕虜は騎士団で預かるべきではありませんか?」
またぞろお節介な提案をしてくれる。けっこうです、とストレートに断ってもいいが、押し売りのように肯定表現と受け取られてもかなわない。ここは今後のことを考えて、ぐうの音も出ないように言い負かしてやろう。
そのため、否定する根拠探しを兼ねて質問で返してやった。
「それはまた、どうしてですか?」
「戦争捕虜の扱いはわきまえていますし、拠点は敵の襲撃にも耐えられます。何より危険にさらされてまで殿下が管理する必要がわかりません」
「捕虜といっても特別な捕虜です。モーブ皇国軍がいまだハーデンの森の北に居座っている以上、切り札になりうる存在です。それをモーブ軍と直接戦う人たちに委ねるのは心配です。ひどい目に遭わせるのではないかと」
それを聞いて剣光騎士はずいっと進み出た。心外だと顔にありありと現れている。あまり腹芸は得意ではなさそうだ。
「殿下、我々をもっと信用していただきたい」
「アマリア殿、あなたを信用しないとは言っていません。ただ、誰かに預けるには、ちょっと大物すぎるというだけのことです。彼女を預かりたい御仁はゴマンといるんですよ。わかりませんか?」
「いえ、それは重々承知しています」
「なら、剣光騎士殿、あなたこそナロウの魔王子を信用してください」
ウッと言葉に詰まって女騎士は一歩退いた。
俺はそれを追い、痛くないほうの手で彼女の手をとった。そして、顔の高さまで持ち上げるとその向こうでアマリアの視線が俺のそれとぶつかった。
「私を守ってくれた星の光の手です。当代の剣光騎士には、父上が直々に星光の魔力を授けたと聞いています。今は亡き父が信頼したあなたを私が信じないわけがありません」
「はい……」
「私自身はこれまで星辰騎士団を始め、剣光騎士の皆さんに会うことはありませんでしたが、これからは積極的に関わることになります。アマリア、あなたからすれば不愉快なことかもしれませんが、我慢してもらえると助かります。少なくとも私はナロウをモーブの手に渡すつもりの連中ではないのですから」
「それは、もちろん。ただ、私は……殿下を身を案じて……」
そう言うわりにハーデンの森の作戦会議では止めなかったよね。助けにくることを買って出てくれたけど。
俺は不満を押し殺し、純真な風を装って真顔で頷く。
「ありがとう。そう言ってもらえてとても嬉しいよ。だけど、あなたような騎士には、私の安全より、ナロウという国の安全を慮ってほしい」
少しの間があき、沈黙が我々を支配した。とりあえず捕虜引渡しの提案は引っ込むかなと考えたとき、彼女は口を開いた。
「陛下は、騎士の家系としては名誉もないグレイス家から私を見出してくれました。その御恩に報いることは私の騎士の誉れなのです」
アマリアの瞳が少し潤んだように見えた。
ああ、本心を語ってるんだな、と直感した。決して感情的に崩れることはなく、剣光騎士としての矜持に裏打ちされた信条が彼女にはある。ただし、マリーやメリーと同じで心根は素朴な女性なのだと理解できた。
言い負かそうなんて考えた俺は確かにバカだ。そういう意味でメリーの俺に対する考察は正しい。
俺は手甲の上から彼女の手に口づけをした。
「ほら、これでその誉れはもう役目を終えたよ。これからのあなたの誉れは救国の栄誉だ」
「はい」
手を放すと、少しの間、ほんのり上気した顔で俺のことを見つめていた。
風が吹いて、アマリアは目をこすった。
「ほら、あげるよ」
首に巻いてあったタオルを外して、彼女に渡してやった。熱気に少々焦げたがまだかすかに湿るタオル。
渡してから、俺はアッと思った。なぜなら、それは汚水まじりの俺の汗を拭いた小汚いタオルだったからだ。
アマリアは微妙に変色したタオルをじっと見つめたまま動かなかった。
季節外れの木枯らしのような風が通り過ぎる。
クソッ……寒いな、この空気。しかし、清掃ボランティアに従事した俺のハンカチはタオル以上に人にあげられるような状態ではないし、他に清潔な布はなかった。
俺は苦し紛れに、儚げな微笑みを浮かべた。可憐な風貌の魔王子が涙を拭けよと渡すなら、むろんバラの刺繍でも入れたシルクのハンカチだよな。あ~あ、失敗した~。
タオルから視線を外した剣光騎士は、話題もそこから逸らしてくれた。さすがは大気の魔力の遣い手。空気が読める。
「殿下は、魔力が少ないわけではないようですが、戦闘での使い方をあまり会得されていないようですね」
「まあ、戦うことがなかったからね」
「しかし、殿下の魔力量であれば、戦闘で役立つスタンダードな身体能力強化の魔武技が使えます。もし、これを身につければ、力が強くなり、早く走ることもできるため、先ほどの襲撃を受けても逃げることが容易になります。戦場ではよく使われる魔武技の一つです」
おー、ラノベ定番の能力底上げ技ですねー。なるほど。どうりでさっきのサキュバス娘が急に大戦斧を小枝のように扱えたわけだ。戦場ではそんな技が使われているから、魔力がある奴のほうが強いのか。これも魔力による優位性の一つか。
この有用な定番技に俺は食いついた。
「魔武技って何? 魔術と違うの?」
矢継ぎ早に聞き返すと、彼女は頷く。
「魔武技とは、魔術とはことなり、魔力を自分の身体内で利用する技です。魔術は身体の外で使うための術であり、魔武技より高度なものですよ。殿下は魔術の素養はおありのようだから、きっと習得できるでしょう。いえ、万が一に備えて、殿下は身につけるべきです。その……よろしければ、私がお教えしますが」
身につけるべき、とは偉そうに。テメーに俺様の何がわかる。むしろ、俺がそんな技に頼らなくてすむようにするのがテメーらの仕事だろう。が、贅沢は言っていられない。その万が一はすでに一度起きたのだから。
俺は自分の白魚のような手を唇に当てて伏せ目がちにうつむくと、もじもじとはにかむように言ってやった。
「あ、あの……優しくしてくれますか?」
先ほどよりさらに冷たい空気が流れた。
アマリアがタオルを握り締めて言った。頬が赤い。
「か、家宝にしていいですか?」
「それはやめれ」
◇ ◇ ◇
自室で待ち遠しく思っていると、案の定、レイリス姫が慌てた様子で駆けつけてくれた。どれだけ急いだのかは、その漂白したように白い肌が桜色に見えることと肩が上下に動くほど乱れた呼吸でよくわかる。
「ポオ殿下、大丈夫ですか!?」
「痛いから、早く治して……」
俺はパンパンに腫れた右の手首をドクター・レイリスに治療してもらった。『不死不生の書』の魔術で治すことも可能らしいが、小難しい医療知識が必要なので、治療魔術の類は俺には扱えない。細胞を再生するだけのような単純な魔術なら使えるけどね。
さほど間をおかずバッツが姿を見せた。それもケタケタ笑いながら。
「おー、ポオ、よく生き延びた。剣光騎士が城に残るよう取り計らった僕に感謝しろよ」
「幼馴染みの機転に感無量の涙を流そう」
痛みの治まった俺は二人を連れて応接スペースへ移動した。シルバーメリーにお茶を入れてもらって、テーブルを囲む二人に振舞った。さあ、全員揃ったので、作戦会議を始めよう。
俺は皆が一息ついたところで話をもちかけた。
「霊血の同胞に襲われた。敵の狙いは大将の奪回だ。それを逆手にとって罠にかけたい」
「罠ですか……」
懐疑的な様子のレイリスは問題点を指摘した。
「強力な敵を確実に無力化できるのでしょうか?」
「それは人質がいるからね。言うことをきけ、さもなければってやつさ。それに剣光騎士がいれば、何とかなるんじゃないか?」
「さすがにそれはノープランすぎる」
と呆れ顔のバッツ。奴はメリーにワインを持ってくるよう指示をしてから言葉を続けた。
「敵は当然リサーチしてくるだろう。そして、今度は入念な準備をしてくるわけだ。より安全にいくなら、こちらから襲撃するべきだ」
「不意を衝いても決定力のなさは変わらないぞ」
「そうだな。実は南の聖エピス王国が密かに兵に動員をかけているとの情報があって、剣光騎士もそう長く都には留めておけないんだ。可能な限り短期間に不安の種は取り除いておきたい」
本当に聖エピスも動いているのか。セイヴィニアのほのめかしもただの脅しじゃなかったわけだ。ならば、迅速に片付けられるやり方がベスト。
「だったら、噂を流そう。処刑するって。そうすれば、焦って奴らは準備不足のまま現れるさ。ほ~ら、待ち伏せのほうが地理的優位もあるし、有利に戦えるだろう?」
「ふん、たまにはいいこと言うじゃないか」
バッツの台詞を受けて、レイリスも尋ねてきた。
「具体的にはどうなさるのですか?」
俺はざっと概要を説明した。
まず明日の朝一番にお触れを大々的に出す。翌日の朝にはセイヴィニアが処刑されるとの噂と監禁場所を広めさせる。
噂を聞いて焦った霊血のウンチャラが準備不足のまま攻めてくるので、そこを剣光騎士と星辰騎士団の精鋭で構成した討伐隊で叩くのだ。
珍しくバッツが混ぜ返さずに賛同した。
「適切なスピード感だ。長いとモーブの南方面軍団が遮二無二攻めてくるかもしれんし、そもそも霊血の同胞に準備をさせないという趣旨に反する」
レイリスも納得したように頷きつつも再度疑問を呈する。
「敵は市中に隠れて潜んでいるんですよね。その場合、お触れが伝わらない可能性があるのではありませんか。もし、現れなかったら本当に処刑してしまうのですか?」
至極もっともな質問だ。俺は率直に答える。
「それは内通者が伝えてくれるから大丈夫。だから、一日だけ余裕を持たせたのさ。この一日が敵にとって長いのか短いのかはわからないけどね」
クラーケンの姫は青白い顔で息を呑んだ。内通者だなんて、という顔をしている。ちょっとストレートすぎたかな。
今度はバッツが質問をした。
「ところで、作戦の間捕虜はどこに閉じ込めておく気だ? 嘘だとバレたら意味がないし、セイヴィニア本人を囮にするのも危険すぎる」
「やっぱまずいか?」
「当たり前だ」
バッツは鼻で笑ってから提案した。
「それなら、もう一人の捕虜、イスファルとかいう部下を身代わりにすればいい。眠らせてパッと見を似せておけば充分だろう。それにいざというときは……」
と首を切る真似をする。
あいつを身代わり? 囮がいないのは論外だが、鎧を脱がせるのは気が進まない。それに、いざとなったら本当に殺してしまう、というのは絶対に嫌だ。ここはマジで知恵を絞らなきゃならないな。
俺はいかにも自信があるといった風情で口を開いた。
「ま、その点については、特殊スキルの高い俺に任せてもらおう」
バッツは、マジでー、と疑いの眼差しを、レイリスは尊敬の眼差しをくれた。少しは俺を信じろ、幼馴染みよ。
その後の話し合いで、星辰騎士団にも協力を依頼することにした。人員配置は専門家に任せたほうが安心できるし、精鋭が必要だ。
バッツには勝手知ったる業務であるお触れの準備を任せた。
ま、取り急ぎ決定すべきことは、こんなところだろう。
俺は二人に打ち合わせは終わりだと告げた。
かくして会合は終わり、バッツはワインボトルを片手に帰っていった。おい、勝手に持って帰るな。
そんなことより早く作業に取り掛からないと、俺様の計画には準備がいる。そのための時間が必要だ。もうマリーのような犠牲を出すのは絶対に嫌だ。
ただ、役割を振られなかったレイリスは不満そうに頬を膨らませて、自分も城に留まると言い張った。彼女があまりにも頑固だったのと、確かにこのままではのけ者感があるので、作戦中にセイヴィニアを見張る役を任せることにした。
そのため、メリーに命じて、レイリスが使うのに適当な部屋を準備させた。いやはや、深窓のご令嬢にも意外と子供っぽい面があるものだ。
……人のことは言えないっていう突っ込みはなしだぜ。
マイシスター、最強伝説!