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『今どきの魔王子』の処世術  作者: ディアス
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魔王ハート



いい加減、早く顔と名前を覚えないと……。






 ヒラルド・ザックスリーの地下牢侵入から二日が経った。その後、新たなる侵入者が現れることはなく、人脈作りに集中することができた。


 あの日以降、手持ちのセンサーだけでは不安になったため、新型の監視カメラを追加設置し、警戒を厳にした。さらに、けたたましいサイレンとくるくる回るパトランプが侵入者を激しく威嚇するよう警報設備も完備した。

 が、今のところ作動していない。


 これらの増設については電源確保が難しかったものの解決策はあった。俺の馬車に繋いであった人間界の部屋を城の部屋に連結して、そこから電力を供給することにしたのだ。せっかくの移動プレイルームだったが、背に腹は代えられない。


 ちなみに今回の物品調達はネット通販である。

 人間界の宅配ボックスと俺の部屋は元々繋げてあるため、大魔界にいながらにしていつでも受け取りができるのだ。ゲームはダウンロードの購入が増えたし、コミックスもデジタルコンテンツが多くなったが、フィギュアだけはどうしても受取が必要だ。だから、労を厭わずに大魔術を駆使して実現させた。その原動力は執念である。


 人間界の通販なら何でも手に入るし、検索す(ググ)れば大抵のものは作り方がわかる。おかげでこのDIYも素人の俺様にもできた。

 本当に人間界って便利だよな。大魔界に興味をもつ奴がほとんどいないってことが、大変摩訶不思議。


 ま、それはさておき。


 本日、元魔王筆頭秘書官であるバッツの呼びかけにより『王政代行会議』が開かれた。貧弱なインプの召集に応じて、立派な角を生やした重要人物たちがよく集まったものだと思う。


 王政代行会議とは、その名の通り魔王に代わって重要な決議をするために開かれる会議であり、宮廷でも要職に就く政務官と議決権を持つ十名の有力魔貴族しか参加できない。重鎮であるその十名にはザックスリー公爵やダーゴン伯爵などのお偉方が含まれる。


 バッツの妙なあだ名も伊達ではないらしい。


 その政治番長には事前の打ち合わせを求めたのだが、意識合わせだけした後、『僕らの大魔王のお手並みを拝見させてもらおうか』と突き放すように言われてしまった。

 どうやら、今日の会合を本当にやっていけるかを見定める試金石とする気らしい。なんて友達甲斐のない奴だ。


 俺は今回メインゲストとして大きな会議卓につかされたが、こんな重要な会議の作法はよくわからないため、極力発言は控えるつもりである。


 ……。


 イヤッフー! サイッコーにご機嫌な会議だッゼ! 俺はッ……俺様こそがッ大魔王オォッだあッ!


 ……ふぅ。


 いや、気にしないでくれ。つまらない会議を少しでも輝ける時間へ変えようとテンションをあげてみただけなんだ。


 そんな俺の気持はさておき、時間がきて会議は粛々と進められた。ただし、中身はさして面白みのあるものではなく、次のような議題が話し合われた。



★ナロウ魔王位の魔王子ポオ(おれさま)による継承

  ※付随議題:宰相職の臨時設置の可否


★対モーブ政策(降伏あるいは戦争継続)

  ※付随議題:捕虜二名の処遇と管理


★他にも軽い議題が少々(塩コショウ並みに)


 魔王位継承以外にも別議題や付随議題が上がっているのは、セイヴィニアの身柄を手中に収めたい連中がねじ込んだためだ。軽めの議題はバッツがついでに入れたのだろう。


 ナロウは魔王が王政を敷く封建国家であり、宰相職は常設されていない。そのため、魔王位が一定期間空位の間は『摂政』が立てられ、摂政が国を動かすことになる。

 しかし、有力魔貴族同士の牽制によって、それすらまだ決まっていないというのが現状であった。


 政治の動きは早い、と偉そうなことを言っていたインプがいたが、そんなこともないようだ。利権が絡むせいで足の引っ張り合いが多いのだろう。やれやれだ。


 さあ、ここで議決権を持つ十名の魔貴族に目を向けてみよう。

 端的に言えば、奴らは取りも直さず摂政になれる家柄ということだ。どいつもこいつもふんぞり返って座っており、有力な魔貴族の常として溢れんばかりの魔力で自分こそが摂政にふさわしいと言外に自己主張をしている。


 ただ、気難しい空気が充満する割に、誰もが思い思いの発言をするのびのびした場でもあった。


 例を挙げよう。


「今日明日で魔王位継承なんて大事は決められんぞ。だから、政治的空白をなくすためにも摂政を決めるのが先であ~る」


 と摂政になれる目のあるナンタラ候爵。


「魔王位が埋まれば、そもそも摂政を立てる必要もない。すぐに不要となる摂政のための準備と出費が実に無駄だ」


 と摂政候補としてかなり下位のカンタラ伯爵。


「それよりさー、もう降伏するから、魔王なんていらねんじゃね?」


 と本音トークは、魔王の血族ながら魔王にはなれないホンダラ公。


 こんな感じでまとまりもなく、言いたいことを言い合う諸侯諸官。ちなみに俺は名だたる魔貴族ですら一部しか顔と名前がわからないから、悪しからず。


 その中でもでっぷりと太ったヴィーター侯爵は筋の通った意見を述べた。


「今は亡き陛下が、すでにナロウは降伏をすると決めたのだ。その意向を無視するわけにはいかん。つまり、このあと政務を担う者は、モーブ皇国を受け入れることのできる者でなくてはならんぞ」


 まともなことを言っているようでも、このろくでもなきヴィーターさんは権力に取り入ることにかけては人後に落ちないコウモリ野郎だ。真っ当な了見での発言のわけがない。

 会議では、このようにネット民的な無責任発言もあれば、下心溢れる建設的意見もありと、まあ、評するなら、小賢しい子供同士が足を引っ張り合っているに近しい。


 しかし、この場で不気味な存在感を放っているのは、逆に無口な大人たちだ。例えば、ルビーアイド=ナイトメアのザックスリー公爵とか。


 俺はあえて顔を向けず、密かに彼を盗み見た。黒いロングマントをはおり、その下には濃い赤色を基調にした礼服が覗く。中肉中背だが、見えないオーラが周囲を圧してひと際強く感じられた。ただ、彼の表情はあまり変化することなく、周囲の状況をゆったりと眺めて場を窺っているようだ。

 時折飛び出すトンデモ発言に眉間の皺を深くして、渋さを増長させている。このおっさんがひとたび口を開くとその言葉は重く、会議の内容は幾らでも左右に傾きうるのだ。

 また、息子の言動からモーブ皇国へ内通していることは疑いようがないものの、証拠はなく、俺の実力では手の出しようがない相手であった。


 彼が何も言わないことが議論の方向が定まらない一因だ。


 おい、こんなんじゃ話がまとまらねーじゃねーか、レオノール。


 俺は、会議の舵取りをしようとしない元筆頭秘書官を睨み付けたが、奴はそんなことなどどこ吹く風と話に耳を傾けている。好き勝手に展開される内容に対して、いったいどんな流れを作るつもりなのやら、さっぱりわからない。

 やきもきして口を挟もうとしたときだけ、奴はニヤニヤ笑いでこっちを向き、黙っていろとジェスチャーをした。俺は仕方なく成り行きを見守ることにした。


「だが、それ以前に捕虜となっているセイヴィニア姫の処遇はどうなんだ? それ次第では、敗戦後の我々の待遇が変わってしまうぞ」


 とのたまうウンタラ侯爵。それに対してピー伯爵もチョメチョメ公もウンウンと頷く。


 何だよ、君主たる魔王のことより、自分のことのほうが大事なのかよ。とても中央集権的封建国家とは思えない忠誠心のなさだ。それどころかセイヴィニアの名前が出た途端に多くの魔貴族がそれに関心を示し、口々に彼女の安否を気にし始めた。

 こいつらにとって、俺が魔王になることはどうでもいいことなのは明白だ。今回の凱旋でちょっとした英雄気取りだった俺もさすがに気落ちしたね。


 そのとき……。


「話題を変えるのは、少し待ってもらおう……」


 摂政争いでも有力な魔貴族の一人が少し風向きの異なる発言をした。


「今は、陛下の跡継ぎにポオ殿下がふさわしいかの話をしていたはず。もう少しそのことについて議論すべきだろう」


 発言者は列席者の注目が集まったことを確認して小さく頷いた。


「最近、私の娘はポオ殿下と接する機会をいただいており、その話によると殿下には大魔王の素質があるとのことだった。大魔王はともかく、もしかすると、殿下はこのナロウの危機を救う魔王となるかもしれない。私はポオ殿下が魔王位を継ぐという選択肢も検討の余地があると思う」


 娘とはレイリスのことであり、重々しい口ぶりのおっさんこそ『深淵図書』の主、ダーゴン伯爵ことドレド・クラーグスだ。白く長い顎髭を生やした厳めしい顔は今は亡き俺の親父とよく似た雰囲気の持ち主だ。

 おそらく我が魔王顧問(アドバイザー)がうまく吹き込んでくれたのだろう。ナイスアシスト。


 ところが、言葉が終わるか終わらないかのうちに失笑がおきた。間髪を入れず、クラーグスの眼光が火線のように卓上を蹂躙する。

 我が娘の見立てに何か文句でも、と言いたげな視線に活発だった発言が途絶えた。大魔界の住人にはアニメ世界における軍事衛星の高出力レーザービームなど想像もできないだろうが、それに匹敵する威力の眼力だった。


 そこへヴィーター侯爵が咳払いをした。その行為は勇気ゆえか、はたまた空気が読めずのことか、とにかく彼は話の継ぎ穂を作った。


「ウオッホン、それは素質よりも殿下自身の気持ちだな。やはり、ハートだ、ハート! わしにはそれがあるとは思えん」


 言葉の内容以上に、机に手をついて俺に指を差し向けるその態度は俺を小馬鹿にしているようだった。『どうせビビって尻尾を巻くんだろう。無駄な時間を使わせるなよ』と語りかけているのだ。

 会議卓を囲む諸侯の視線が俺に集まった。

 奴の気持はよくわかる。俺だって、時間を使うなら、こんなむさくるしい会議より、美少女ハーレムゲームのほうがナンボかましだ。


 俺は指示を求めてスリザール伯爵をチラリと見やる。幼馴染みは悪魔のような笑みを浮かべてゴーサインを出した。そっちを見たのは具体的な指示が欲しいからなんだけどな。


 仕方ねー。俺は愛読マンガの主人公の台詞を見繕い、こんな場面で言いそうな文言を考えた。これでどーだ。こんちきしょうめ!


「私は敵大将セイヴィニアを一蹴しました。だからこそ、今ここにいられるのです。その結果がすべてです」


 俺はキャラがぶれないよう丁寧な口調で、ただ外連味なくそう語り、口を閉ざした。ボロを出さないように。

 俺の生態を心得ている奴ら相手に自分を懸命に売り込めば、足元を見られるか、白けた空気を生むかするだろう。だったら、実績を示すだけだ。


 意外なことに、反応はよかった。オォ~と深い溜め息のようなどよめきを引き出すことができたのだ。


「誰かそれを見たのか?」


「ドライデンが見たそうだ」


「あのデブが?」


 おまえがデブ言うな、ヴィーター。


「あいつは戦争を続けたいばかりの男だぞ。そのための嘘なら喜んでつくだろう」


「いや、独立指揮権のある剣光位騎士も同じように証言している。さすがに根も葉もない話ではないだろう」


「ところで、肝心の魔皇女を見た者はいるのか?」


 諸侯諸官は隣同士でヒソヒソと耳打ちし合っている。


 いや~、そこまで疑うか~。どうしようかな~。


 俺が何か言い返さなければと困っていると、よく通る声が耳目を集めた。


「魔皇女はこの城の地下牢にいる。ザックスリー子爵が彼女を目視で確認している。モーブの第二皇女が囚われているのは確かだ」


 驚いたことに、それはザックスリー公爵だった。ヒラルドの親父が助け船? いやあ、そんなわけがない。その証拠に奴の熱い視線が俺を焦がそうと睨みつけている。

 すべての席でざわめきが起こり、ヒソヒソ話が加速した。しかし、かまわずザックスリーは話した。


「報告によると、随分と劣悪な環境で囚われているらしい。この国の行く末に関わることだけに、あの方の扱いとしては配慮が欠けていると言わざるを得ない! その点について、いかがお考えか、ポオ殿下!?」


 強い口調で詰問された。


 俺に話を振るのか……。注目されるのイヤなんだよなあ。なんか、こう、反応を待たれているプレッシャーが何を言うべきかを覆い隠してしまう。

 それにしても、敵国の捕虜を『あの方』とはね。自国の魔王子と随分扱いが異なるじゃねーか。


「フッ……」


 俺は愚かな質問だといわんばかりに頭を小さく振り、その隙にバッツを盗み見る。奴は肩をすくめていた。


 何だ? どういう意味だ!? 好きに話せということなのか? あるいはお手上げということか? それとも肩をすくめればいいのか?

 むう……、迷うな俺。演技は流れだ! 勢いだ! キャラがブレる演技ほど白けるものはない。


 俺はシニカルな微笑を浮かべて肩をすくめてみせた。


「ザックスリー公爵、あなたが打ち倒したわけでもないのに、私の囚人についてあれこれ言う権利はありませんよ。それに彼女はモーブ皇国の魔皇女。その扱いは、魔王不在の今、魔王子たる私の管理下におくと宣言したとおりです」


 肩をすくめたのは、万が一、バッツの指示が『肩をすくめる』だったときの保険だ。いやあ、俺って抜け目ないなあ。

 対して尊大な公爵の台詞は冷ややかだった。


「わからんのですか、殿下。その管理が信用できないと申し上げているのだ」


「信用できない?」


「フン、他国の使節を接遇した経験などなかろうに」


「いいえ、それぐらいなら経験はあります。一人だけですが」


 得意げな答えは失笑によって返された。


「その人物はどうなってしまったかな?」


 しまった。そうだった。あのエロフルフを俺がぶち殺したことは、すでに周知の事実だ。周囲からは失笑が洩れ聞こえた。

 俺が顔を赤くして答えずにいると、公爵の口調は優しいものに変じた。


「これまで何人もの魔貴族がセイヴィニア姫を預かろうと殿下に申し出たはず。それらは善意によるものにも関わらず、話をする機会すら与えなかったと聞いている。彼らはモーブ皇国のしきたりや作法にも詳しく、殿下には到底勤まらない役目を引き受けようとしたのだ。外交の右も左もわからない殿下をお助けしようと、な」


 さすがにヒラルドの親父だけあって、話の筋が息子よりうまい。そして、嫌味ったらしい。ラリーでは、スピンをかけた球に対しては、同様にスピンをかけて返球すべし。さもなければ、相手に主導権(ペース)を握られる。


 俺は無理矢理愛くるしい微笑みを浮かべた。


「そうでしたか。普段、私に顔を向けることすらしない魔貴族がやってきて、私の役に立とうだなんて、まったく想像もできませんでした。彼らには私が謝っていたとあなたから伝えてあげてください」


 最後の言葉には、テメーが手を回して寄越した連中なんだろ、との意味を込めてある。視界の端でバッツが声を殺して肩を震わせていた。この状況を楽しむ前に助けてくれっての。

 すると、ザックスリー公爵は涼しい顔でさっきの俺と同じように肩をすくめた。


「謝罪とは、自分で言ったほうが誠意が伝わるものだ」


「なら、まず、これまで私に対して働いた無礼を、彼らが謝るところから始めましょう。その無礼がなければ、私が彼らを無視することもなかったのですから」


 ついでにウフフと付け足すと、ささやくような含み笑いが幾つか聞こえてきた。イエーイ、このラリーは俺が制したぞ。


 ザックスリー公爵から苦々しい咳払いが放たれると、会議室が水を打ったように静まり返った。さすが。あっさりサービスエースをとられた。

 続いて公爵は茶番は終わりだと声を大きくする。


「殿下、この際だからはっきり言っておこう。戦争を継続するにしても、降伏するにしても、捕虜を殿下に任せていては、モーブとの交渉はこじれるばかりだ。だから、わしが責任をもって魔皇女セイヴィニアを保護する」


「いいえ、それは許可できません」


 俺は即答し、誰かの生唾を飲み下す音が鳴った。


「許可が必要なのかな、魔王子殿下」


「それは、力ずくで……ということかな、公爵閣下」


 悪いね。俺が厨二病以外にこじらせることができるのは、風邪と人間関係なんだ。ただ、少なくともモーブの内通者に彼女を任せるほど俺は愚かではない。

 内通者が彼女を握れば、ナロウは内部から崩されて、モーブ皇国軍はこの後戦わずしてこの城へ招かれるに違いない。そんなことはさせられない。


 ザックスリーが俺を睨み、俺も睨み返す。一触即発の空気が生まれる。


 と、そこへ、机をバンと叩く音が響き、一人の勇者が立ち上がった。そして、水を差す迫真のトークが炸裂する。さすが勇者ヴィーター。


「なるほど、よっくわかった! 両者ともに譲らないとなれば、セイヴィニア殿下の保護は我が館に任せていただこう。非常に危険な役目だが、一命を賭して魔皇女をもてなそう。私がすべてのナロウ臣民に成り代わり謝罪をいたし、非礼を詫びましょうぞ!」


 奴は立ち上がって拳を固く握り、ベルトの上にはみ出した肉をブルブルと震わせた。一所懸命さの演出だろうが、会議卓上に白けた雰囲気が満ちた。

 どの魔貴族からも、抜け駆けしやがって、と冷めた味噌汁のように塩辛い視線が送られている。


 空気を読まずにここで一歩踏み出した気持はわからなくもない。彼女に取り入ることができれば、降伏後の生活はさぞや安定することだろう。領地没収を免れるとかね。

 彼に続いて他にも魔皇女保護に名乗りを上げる者が数名現れた。途端にガミガミと文句を言って撤回させようとするヴィーター。それに乗じて発言する者が増え、会議の席は再度喧騒に包まれた。


 またかよ。こんなんじゃ、いつまでたっても議論が進まないよ。イライラするなあ。


 見かねたクラーグスが胴間声で会議室を制圧する。


各々方(おのおのがた)! それは、もう一つの議題として話し合うべきであろう。殿下の御前である。皆、控えないか」


 その勢いにびっくりしたヴィーターは呆けたように席につき、他にも白熱していた者も腰を落とした。

 加えてザックスリーまでもがヴィーターに苦言を呈した。鮮やかな掌返しだ。


「愚かにも程がある。今や、そのような保身に走る行動こそ、ナロウを危機に陥れると知れ、ヴィーター侯爵」


 いきなり名前を挙げられて奴は挙動不審に首を振る。その後、すぐに頭を低くして会議卓の下に視線を落とした。そして、室内には重苦しい空気が垂れ込めた。


「やはり、ナロウ宮廷の引き締めのためにも摂政が必要、ということですかな?」


 クラーグスが長い白髭をしごきながら問いかけると、ザックスリーは苦々しげに首を横に振った。


「さて、それは……。だが、現段階で、魔王だ、摂政だなどと騒いだところで、ヴィーターの言うとおり、敗戦の将にしかなるまい。もし、クラーグス殿が立候補するなら、わしは異論を唱えんよ」


 摂政最有力候補がそんなことを言ったおかげで、またまた沈黙がおりた。摂政職に意欲を燃やしていた幾人かは機を窺うように鋭い視線で構えていたのだが、全員が肩を落とした。


 この会議は迷走し、もう何も決まらない、そんな空気が流れた。


「それは、ナロウに魔王はいらない、とおっしゃってるわけではありませんよね」


 唐突にバッツが口を開いた。ついに沈黙を破った政治番長は、俺の現状をうまく利用しつつ重鎮相手に鋭い舌鋒で攻め立てる。


「セイヴィニア姫と接したことのあるポオ殿下のお話によると、魔皇女は誠意に溢れ、弱気を助け、強気を挫く方とのこと。自己の保身に走るような人物を重用することはないでしょう。つまり、モーブが自国の魔王を不要などと言った不忠者を温かく迎えるとは思えない、ということです」


「不忠不敬を口にした覚えはないがな、スリザール伯爵」


 ザックスリーは不機嫌そうだったが政治番長は物怖じせずに言い返す。


「ま、モーブが我々を受け入れたところで、所詮外様と扱われるようでは先は短いでしょうね。それより、我々が今決めるべきは、ポオ殿下の魔王位継承ではありませんか。なぜなら、スターロードの血族はセイヴィニア姫ではなく、ポオ殿下なのですから」


 公爵の強面に怒りの色が一瞬湧いて、すぐに消え去った。


「貴様は幼馴染みを魔王に据えたいだけなのだろう。だが、先にも言ったとおり、殿下に魔王位を継がせるということは、この敗戦の責任を負わせるということだぞ」


「それは当然でしょう。魔王なのだから。つまり、ポオ殿下はナロウ宮廷の中枢である我々の代わりに全責任をとって処分されてくれるのです。そうなると僕の心もさすがに痛みますが、引き換えに我々の安全が保証されるのであれば仕方ありません」


 いけしゃあしゃあと言ってくれやがった。


 会議卓上はざわつき、諸侯諸官は隣とひそひそ話を始めた。

 そりゃ、そうだ。今の発言は、魔王を使い捨ての身代わりにしよう、というものだったからだ。話し始めと比べて、あまりにも不敬な内容に誰もが驚きを隠せない。


 ざわめきを無視してバッツ筆頭秘書官は言った。その口ぶりからは、言うほど痛くもかゆくもなさそうだ。


「反対がないようなら、我らの魔王にはポオ殿下を据えましょう。降伏後に何らかの問題が生じる、もしくは発覚したときに責任をとってもらうべく」


 この上なく無責任な発言はクラーグスはもちろんザックスリーすら絶句させた。

 が、そこへ、あろうことかノンポリの雄ヴィーターが勢いよく手を打ち鳴らし、まばらに拍手が続いた。


「スリザール伯爵、よくぞ言った! 殿下がその覚悟で魔王の位を継ぐというのであれば、私は全面的に支持しよう」


 幼馴染からさり気ない目配せというキラーパスが届く。


「と、当然です」


 どもりながらもノートラップでボレーシュートを放つ俺。ひょっとすると蹴った先はオウンゴールかもしれないが。


 すかさず賛成した政務官たちはバッツサイドの連中だろう。だが、その勢いに乗って四人もの有力魔貴族が賛同の意を表明したのは、意外だった。これも根回しの結果なのだろう。

 バッツのニヤニヤ笑いが少し薄れた。どうやら、算段していたより賛成が少ないらしい。


 ザックスリーが疲れたように深々と息を吐いた。


「そうだな。ポオ殿下の魔王位継承については検討の余地はあると思う。しかし、この決定の影響範囲はあまりにも大きく、多くの者に及ぶ。王政代行会議で決められるのは方針までだ」


 すると、クラーグスも同調した。


「確かに。それでは、『長老会議』にて決定するのがよいでしょう」


 長老会議とは、ナロウ魔貴族を名家から地方の郷士までもが一堂に会して投票する制度だ。一家名につき一票を有しており、議題が承認されるには半数以上の票の獲得が必要だ。


 二人の重鎮の意見に残りの魔貴族も同意し、結局、長老会議ですべてが決まることとなった。

 そこでは摂政の選出投票も同時におこなわれる。魔王位継承が否決される可能性があるからだけではなく、そうでなくても補佐が必要だろうというわけだ。要は、俺が頼りないから、だとさ。


 また、そのツマンネー超会議を開くには、どんなに急いでも半月はかかるらしい。投票のための会場確保から、開催の周知と準備、その後の段取りなどなど。

 他にも都にいない魔貴族の中には絶対に声をかけなければならない者もいた。いろいろと忙しくなるらしい。


 ザックスリー公爵はナロウを見限り、モーブに乗り換えるつもりなのだ。それをこんな中途半端な状態ですませるわけがない。

 時間稼ぎをされた感があるが、時間がほしいのはこっちも同じだ。ただ、彼が何をする気なのかわからないのが怖かった。


 あの後も幾つか議題があったのだが、さほどもめることはなかった。対モーブ政策については現状維持となった。現時点ですでに前魔王の意志で降伏する予定であるのと、新しい魔王が即位してから決めたほうが、その魔王の責任としやすいからだ。

 あと、セイヴィニアの身柄についても俺の管理下のままになった。俺が実績を盾に頑として引き下がらなかった成果だ。


 俺は自室に戻ると緊張で疲れた体をソファーに横たえた。頑張った割には、将来の展望に対して有効な変化をもたらせなかった、というのが結果だ。


 この先のことを相談するべくバッツに相談したかったが、奴は『想定内だ』と言って忙しそうにクソッタレ超会議の準備をするべく去ってしまった。


 もうダメ。何も考えられない。


 徒労感に(まみ)れた俺の意識は次第に現実から遠のいていった。




『お兄様、大丈夫ですか?』


 おお、我が最愛の妹よ! お兄ちゃんは疲れたよ……。


『だったら、マッサージしてあげます。こう見えてもけっこう力があるだから。きっと気持いいはずです、エッヘン』


 おまえはいつも優しいね。じゃあ、早速お兄ちゃんの背中と肩を揉んでもらえるかい。


『はい、もちろんです。場所を整えたので、ここで横になってください』


 アハ~ン……気持イイ……。


『喜んでもらえてよかったです。お兄様ならどんな困難でも乗り越えられますよ』


 そうかい? でも、自信ないんだよ~。


『そんな台詞は似合いません。だって、お兄様は大魔王になる方ですから』


 なれるかな?


『なれますよ。私と約束してください。きっと大魔王になるって』


 うんうん、お兄ちゃん、約束しちゃう。頑張って大魔王になるよ!


『そうです。きっとなれます。だって、私がついてるんですから。私がきっとお兄様を大魔王にしてみせます!』


 ありがとう。ところで、『してみせる』ってどういう意味?


『あ、ここ、スゴくこってる! す、すゴグ、ズゴグゴッデル!』


 ぐあえっ、どぉうえっ!




 俺はゴキバキガギグギと体が折りたたまれる不快な感触から解放されることで夢から覚めた。まさに子供に乱暴に扱われた人形の気分だった。俺はおしゃべりなカウボーイじゃないぞ。


 窓から赤く染まりつつある空が見えた。そろそろ独房を見回りにいこうか。昨日は寝る前の日課である格ゲータイムを終えてからの突撃巡回だったため、深夜の訪問となり大層不機嫌な顔をされた。面倒なことをちょっと後回しにしただけだってのに。

 奴に文句を言わせるつもりはないが、純潔の乙女を自称されてそこはかとない遠慮をしなければならない気になってしまった。だから、今日は夕方にいくことにしたのだ。


 ちょいと早いが、ついでに飯を持っていってやろう。俺は厨房に顔を出すと、魔王子権限で調理を急がせた。やがて、不味そうな囚人食と自分のうまそうな食事ができ上がると、それらをワゴンに載せて運んだ。


 独房の前室前までやってくると、城の警備兵ではなくアルヴィス星辰騎士団の兵士が二人、直立不動で睨みを利かせていた。

 近衛に所属する警備兵はザックスリーの息がかかってないとも限らないからだ。星辰騎士団ならドライデンの目があるため、それはないだろう。


 そういえば、『騎士』団なのに、なんで兵士がいるのだろう。平民がいないと貴族が存在価値を維持できないのと同じ理由かもしれない。


 俺は、ご苦労、と気取って頷く。ドアを開けさせて中に入ると、鉄格子の向こうから感心したような声が届いた。


「ほう、少しは悔い改めたようだな。昨日よりましな晩餐ではないか」


 おまえの飯じゃねーよ。


 セイヴィニアは床に座って鎖の余長の許す限りの体勢でくつろいでいた。ナイスバディのスーパー美女が牢獄で鎖に繋がれている姿は一幅の絵のようで、実に様になっている。


 プラチナブロンドの頭が元気よく持ち上がって、ワゴンに載る料理の数々を品定めしようと首を伸ばした。

 こいつのせいで不必要な非難を受けているのか、俺は。敵国で捕虜となりながらも尊大な態度で、不遜な要求をする美女。

 それに引き換え、こちらは自国なのに味方は数えるほどで、魔王子という地位も崖っぷちという有様。


 俺は舌を出して意地悪に言ってやった。


「それは俺の。おまえのはこっち」


 残念そうな溜め息とともに頭がガクリと下がった。


 幾度となく抱いた感想だが、とても戦争捕虜の言動とは思えない。ここまでされると感動すら覚える。この独房に流れる空気は、俺にとって昼の会議よりよっぽど気楽だった。


「欲しいのか?」


 ワゴンの上に並ぶ皿の中からまだ温かい骨付きの鶏肉を取り上げた。両目を輝かせる彼女の鼻先でおいしそうにかぶりついてやった。憎々しげにこちらを睨んだのもつかの間、彼女は早く食事を寄こせと文句を口にした。


 俺はワゴンの下の段から冷えたスープの入るお椀と石のように硬いパンを取り出し、わざと彼女から離して左右に分けておいてやった。

 鎖に両手両足をつながれたセイヴィニアは、座ったまま胸を反らせ、体ごと腕を伸ばし、一皿ずつ何とか引き寄せる。パンをスープに浸して柔らかくしてから口に入れた。


「せめて野菜をくれ。栄養バランスが偏るとお肌に悪い」


「贅沢なんだよ、捕虜のクセに」


 捕虜は鼻で笑った。


「わざと皿を遠くにおいて、私の胸が揺れるように仕組んだのは誰かな?」


「遺憾だな」


 バレてる、バレてるよ。あの胸の偉大なふくらみが揺れる光景が見たかったのは事実だ。

 仕方なく俺はワゴンからサラダの皿を持ち上げ、フォークとともに彼女の前の床においた。もちろん少し離れたところに。


「サラダだ。イヤなら食べるな」


 俺は大きく揺れる胸を悠々と眺めながら食事を続けた。ふと思いついて、料理を一皿ずつ間をおいて床に並べてみた。


 ブルン、ブルルン……。


 おお! 素晴らしい!


 いつの間にか、俺様の豪華料理はすべて彼女の胃袋へと消えてしまった。

 セイヴィニアは警戒した視線を俺に向けたまま恥ずかしそうに咳払いをした。


「純潔は死んでも守る。……が、食事については礼を言う。ありがとう」


 いえ、こちらもご馳走様でした。今晩は妄想がふくらんで眠れないかもしれない。などと想像力を逞しくしていると、セイヴィニアのやけに気取った声が現実に引き戻してくれた。


「礼として、私と会談していくことを許してやろう。大魔王候補同士の首脳会談だぞ。喜ぶがいい」


 こーゆー上から目線の話し方には即答で返す。


「ヤだね」


「私の、その、なんだ……グラマーな体を堪能した見返りだ。ちょっと話してゆけ」


一目一皿(ひとめひとさら)で義理は果たした」


「つれないな、まったく。八面玲瓏と名高いこの私が、せっかく忠告してやろうと言うのに」


 敵が俺にアドバイスをくれるという。味方のはずの魔貴族どもに聞かせてやりたい台詞じゃないか。多少気になった俺は聞き返すことにした。


「忠告だと?」


「そう、聖エピス王国のことだ」


 聖エピス王国。ナロウの南にある超大国だ。ナロウとは因縁の深い国でもある。

 それは族祖たる天球公アルヴィスが魔王となった折、その領土を聖エピスの版図から奪い取ったことに由来する。


 そのため、聖エピスは歴史上度々ナロウを併合しようと国境を犯してきた。その都度、星光の魔力(スターライト)を有する魔王によって退けられてきたのだ。

 聖エピス王国からすればナロウ王国は過去のつまづきの石であり、今でもそれにつまづき続けているようなものであった。


「聖エピス? いや、特に何も聞いてないけど」


 モーブ皇国と並んで警戒すべき大国であったが、今回の戦争に乗じての動きは報告されていなかった。それどころか、俺が生まれてこのかた二十五年、攻めてきたことはない。ま、引きこもりには知らされなかっただけ、ということもありうるが。


 プラチナブロンドの頭が呆れたように振られる。


「そうか……。我がモーブの真の敵は聖エピスだ。彼らは大魔王の熱狂的な信奉者なんだ」


「どういう意味だ?」


「つまり、自国以外の大魔王を決して許さない、ということだ」


 大魔王といわれた人物は星祖アルヴィス以外にもいる。数は少ないが、ナロウと同様にそれぞれ国を興している。モーブ皇国や聖エピス王国もそれに該当する。


「ナロウに攻めてくるかもしれないって言いたいのか?」


「バカか、むしろ虎視眈々と狙っていると言うべきだ。今回の戦争は当然注目しているはず。ただし、私がこんな無様な状態だとは知られていないだろうがね」


「だから、何だ」


「私と個人的に同盟を結ばないか?」


 いきなり同盟を持ちかけてくるとは……。しかも個人的とはどういう意味だ。

 俺は空の皿をワゴンに片付けながらぞんざいに返す。


「できるわけないだろ。そもそも俺はナロウの魔王じゃない。モーブと同盟を結ぶことなんかできない。権限がない」


「そうではない。大魔王候補同士で助け合わないか、と言っているのだよ」


「はぁ?」


 俺は素っ頓狂な声をあげた。いまひとつピンとこないが、大魔王候補同士という言い方はこれまでにはないものの見方ではあった。

 どうせ俺に進める道は少ないわけだし、ちょっとしたオプションをつけておいても損はないかもしれない。


 片付けをする手を止め、腕組みをして険しい表情を作ってみせた。渋々といった風情で言ってやる。


「話を聞いてもいいが、受け入れるかどうかはわからないぞ」


「かまわない。あくまでも個人的なものだ」


 だから個人的って何だよお? 個人レッスンか? その豊満なバストとくびれたウェストと魅惑的なヒップでレッスンしてくれるのかあ? ハアハア……想像しただけで鼻血が出そうだ。 


「まずは、その個人的ってとこを詳しく。あと、俺に惚れても無駄だからね」


 一瞬、キョトンとした顔がこちらを見返したが、にわかに鼻の頭に皺を寄せた。


「やはりバカか、貴様は。簡単に言えば、私はおまえが魔王となることを助け、おまえは私が魔王となることを助けるんだ」


 何だ。そんなことか。ハーレム展開を期待させやがって。しかし、俺に彼女の真意を読み解くことはできなかった。


「そんなことをして、そっちに得があるように思えないな。また待遇改善を要求するつもりなら、無駄だぞ」


「それはよい考えだ。が、些末な余録にすぎない。もちろん拒むつもりもない。それより、考えてみるといい。この世界に大魔王候補となれる奴がどれだけいると思う?」


 俺は指を折って自分より強い人物を数え始めた。マリーだろ。メリーだろ。ヒラルド・ザックスリーのクソ野郎だろ。剣光騎士は当然だろ。それにドライデンだろ。う~ん……。


「たくさん」


「馬鹿者! そんなわけないだろう。おそらく大魔界広しといえど片手の指もおるまいよ」


 カンラ、カラカラ。これ、笑い声ね。


「まさか」


「今の時代、魔王と名乗っている者さえ大魔王候補たり得ない。大魔王候補は魔王を遥かに凌ぐポテンシャルを秘めた稀有の存在なのだ。わかるか?」


「わからん!」


 俺が胸を張ってそう言い切ると、深みのある唸り声で威圧された。思わずあとずさる俺。こいつ、教師には向かないタイプだな。


「私はモーブの万魔王殿(パンデモニウム)でデモンストーカーから聞かされた。現在、この大魔界に大魔王候補たる者はたった三人。一人はモーブの私、もう一人はオーパルド共和国の国家元首、そして最後は聖エピスの大魔王の戦巫女」


 ふ~ん。


 プラチナブロンドの下でブルーの瞳が理解できているかと心配そうに見つめてくる。そこには人選を誤ったと言いたげな後悔の色が見て取れた。


 俺はある意味その日暮らしで命を繋いでいる自宅警備員にすぎない。だが、大魔王は目指さなければならないものであった。

 その道程において、他の大魔王候補を味方とすることができるなら、とてつもなく有利なのではないか。たとえ、それが将来のライバルだとしても、今の俺には必要なものかもしれない。


 だが、だ……。


 俺の拳は我知らず握りしめられ、まるで果汁を絞ったようにドス黒い魔力が滴り落ち、硬い床石を焼いた。


「だから、どうした。俺がマリーを殺した奴らの親玉を、ハイ、そうですかと信じるわけないだろう。むしろ、バカはおまえだ!」


 一気にぶちまけ、俺は疲れたようにため息をついた。それとともに怒りは淡雪のごとく消え去った。

 が、憎しみのこもる視線を受けたセイヴィニアは押し黙った。俺を恐れたというより、態度の豹変に警戒心を抱いたようだ。


 彼女が次に口を開いたときには、話題が変わっていた。


「ところで、イスファルに拷問などしていないだろうな?」


 捕虜の分際で生意気な。どうしようが俺の勝手だ、と言いたいところだ。


「当たり前だ。前にも言った通り、指一本触れていない。俺は女性に酷いことなど一度もしたことはない」


 セイヴィニアは自分の胸を見下ろし、それから俺の顔を見つめた。何か言いたそうだったが、俺が白魚(しらうお)のような右手を閉じたり開いたりするのを見てかぶりを振った。

 俺が彼女にしたのは直心臓マッサージだけだ。心臓マッサージは純粋な救命行為にすぎない。


 まあ、正直なところ鉄仮面の牢屋は面倒なので巡回はしていない。初日以降一度も足を運んでいないので、酷いことのしようがないというわけだ。

 しかし、ほったらかしというのも問題だな。近いうちに見に行こう。世話係はつけてあるので、生きているとは思う。たぶん。


 セイヴィニアは溜め息とともに言った。


「そうか、ならばよい。だが、覚えておけ。まだ見えないが、黒い雲が我々を覆いつくそうと音もなく広がりつつあるのだ」


 そして、まるで下僕を下がらせるように手を振る。


「私はこれから寝る。さあ、乙女の寝室から出ていくがいい」


 それから彼女は壁に背もたれ、鎖につながれたまま目を閉じた。これを豪胆というのか、それとも現状認識力の不足というべきなのか。


 このところ眠りの浅い俺は、羨望の眼差しを送りつつ牢を後にした。






最後に質問です。


破廉恥な拷問は可ですか?


それとも不可ですか?


俺の答えはもちろん可です。



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