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『今どきの魔王子』の処世術  作者: ディアス
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いざ行かん、血飛沫の彼方へ!



いきたくない……。






 人狼の剛毛は脂ぎってベッタリとし、大変不健康そうに見えた。これを端的に形容するなら、血色が悪い、だ。

 しかし、動いてさえいれば、誰も死体とは思わないだろう。つまりは俺様のコントローラー捌きにかかっている。


 俺は満充電のコントローラーを腰に提げ、動作確認で使ったコントローラーを操作して人狼の(むくろ)を前進させた。


 我々は歩いてモーブ皇国軍の野営地へ向かっているところである。ちなみに骸のすぐ後ろでシルバーメリーが停戦の白旗を掲げ、華麗なマント姿の俺が続き、ゴールドマリーは最後尾で日用品の入った大型バスケットを籠のように背負って付き従っている。


 ナロウ軍の野営地である森を離れてすでに三十分ほど歩いた。そこには死屍累々の平野が広がっている。大地に流れたであろう大量の血はとうに地下に染み込み、無残な死体が転がっているばかりだ。

 停戦期間中に相当数の遺体が回収され、焼却されたらしいが、いまだ多くの戦死者が戦場には残されていた。人狼の体から漂うかすかな腐敗臭など、ここの耐え難い死臭の中ではないも同然だ。


 戦場の半ばを過ぎた辺りで前方から戦士の一団が現れた。派手な装飾を施された鎧が悲惨な光景とは別世界の住人のようで、俺の目にはむしろ好ましい一団であるかのように写った。


 その一団はバフを見て近づいてきた。すかさず人狼にも頷かせ、俺のほうへ手を振らせる。可能な限り、俺が喋る必要があるからだ。


 俺は死せる人狼に会釈をし、さも促された風を装い前に進み出た。


「バフ卿、ありがとうございます。私はナロウの魔王子ポオ。ナロウは降伏することを決めました。正使はおって参りますが、誤解を生じぬようスターロードは私を遣わしました。もちろん武器は帯びておりません」


「フン……」


 上級将校らしい青白い顔の男が前に出ると、俺のことを一瞥した。氷のような冷たい目は瞬時に品定めしたようだったが、俺の頭の小さな角を目に留めるなり鼻で笑った。


「それで、バフ、首尾は?」


 奴はこれ見よがしに無視をして、死体に質問を投げかける。ま、いきなり見知らぬ人物が何を言っても信用できるわけないか。

 俺はマントの下でボタンを操作して乏しい単語をうまくつなぎ合わせる。


「はい……成功、でござる」


 操作そのものはもちろん完璧。しかし、どうしても死体側のレスポンスが悪く、微妙な間が入るのが難点だ。

 上級将校は険しい眼差しを向けただけで、踵を返して手招きをした。


「では、そいつらを連れてこい」


 俺たちは追い立てられながら進んだ。

 バフは歩兵隊の隊長であり、敵国に降伏勧告に赴いた勇敢な使者である。危険な単独任務から戻ったにもかかわらず大して歓迎された風もない。モーブの獣人目の魔族はナロウ以上に冷遇されているようだ。


 少し歩いたところで、ゴールドマリーが悲鳴とともに顔を背け、シルバーメリーも嫌悪の呻きを洩らした。

 俺も嘔吐感をこらえ、努めて冷静を装って尋ねた。


「どうして高く積んであるのですか? それもこんなところに?」


 敵陣近くでは死体がきれいに片付けてあった。ただし、その死体は野営地から少し離れたところで塀のように高く積み上げられ、無惨な光景をさらしていた。無造作で弔われた様子もなく、戦場の作法というにはあまりにも野蛮すぎた。

 よく見ると、ナロウの兵士ばかりが大きな石とともに石垣を成していた。


 上級将校は振り返り、青白い顔に残忍さを湛えて答えた。


「わからんのか。間抜けなナロウ軍が攻め寄せたときに戦意を挫くためだ。次に口を開いたら、貴様もその一部にしてやる」


 俺は黙って歩くことにした。奴に脅されたせいじゃあないぞ。半分くらいは。


 煌びやかな旗の立ち並ぶモーブ皇国軍の陣地に着くと、今度は(いかめ)しい赤ら顔の男が出迎えた。

 上級将校がその男に耳打ちすると、男は満足そうな笑みを浮かべ、人狼へ声をかけた。さっきよりは歓迎している態度がある。


「バフよ、よくやった」


 どうやら随分と偉い人らしい。俺はバフに一礼させた。


「かたじけない……」


 彼は親しげに近寄り、幾分痩せた肩を慰労するように叩いた。


「軍団長閣下には直接報告をしろ。それより、貴様、少し臭うな。閣下にお目見えするつもりなら、その前に身ぎれいにしておけ」


「ハハハ、ハハハ……」


 バフには虚ろな笑い声を返させて、頭をかかせる。


 さて、これはよい風向きだ。このまま一緒に行動していれば、俺はすぐにでも魔皇女に面会できるだろう。

 もう一度バフに指し示させるのももどかしく、俺は急いで口を挟んだ。


「あ、あの! 私もナロウの魔王子として、是非セイヴィニア様にご挨拶を……」


「ああ。私は副軍団長のルスターだ。我々は使者を捕虜のように扱うつもりはない。閣下に謁見はしてもらう。呼びに行くまで控えの間で待たれよ。では、行くぞ、バフ」


 そう言って、副軍団長はさっさと踵を返した。


 ちょっと待て! ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ!


 当然だが、初見マップをキャラも見ないで操作なんかできるわけがない。それにあまり離れると電気信号も届かなくなる。


 その場合、次のような流れとなるはず。


 途中で動きが止まるバフ。不審に思って確かめるルスター。あっ、死んでる。ナロウの魔王子のせいか。奴を殺せ。


 十中八九、そうなる。


 俺は焦りが声に出ないよう気をつけて呼び止める。


「お待ちください、ルスター殿」


 腰をかがめて前に出ると、両手を胸元で合わせ、潤んだ瞳で彼を見つめた。俺の女神のごとき可憐な風貌は、果たして副軍団長の心をくすぐることができるのか。


「私は侍女を帯同しております。せめてもの感謝にバフ卿の身支度をこちらで整えましょう」


 俺は赤い唇を切なげに引き結んで奴を見つめ続ける。ルスターの動じない両目は怖いぐらいだったが、不意にその頬が赤らんだように見えた。もともと赤いけどね。

 厳しい表情が感慨深げなものに変わった。


「……では、バフのことはお願いしよう。こいつは武人ゆえその方面は無作法だ。少しでも見栄えをよくしてやってくれ。こちらはその間に謁見の段取りをつけておく」


 まるで借りを返す機会を与えてやる、と言いたげであった。彼に弱者をいたぶる趣味はないらしい。ただし、こいつらウゼー、ぐらいは思ってるかもしれないが。


「ありがとうございます、ルスター殿」


 俺が感涙に潤んだ熱い眼差しを奴に向けると、今度は眉をひそめてそっぽを向かれてしまった。


 ルスターは俺たちを出迎えた上級将校に案内するように命じた。


「ポオ殿、このマルクトが控えの間まで案内する。では、失礼する」


 俺は内心でホッとひと息ついた。あとはその控えの間で呼ばれるまで脱出に役立ちそうなものを物色するだけだ。


 青白い顔の上級将校が声もかけずに歩き出したため、その後ろを俺たちは目立たないように歩いた。そして、敵の陣中を目の当たりにして唸った。


 自軍と比較して活気に雲泥の差があった。ナロウ陣地ではまるでお通夜のような空気が漂っていたが、それに引き換えモーブの兵士たちは意気軒昂だ。

 これで正面からぶつかったら、一気に呑み込まれるのは自明の理。


 ナロウの魔王子がたった二人の供のみ連れて陣地を訪れたと周知でもあったのか、マルクトという上級将校に連れられているにもかかわらず、俺たちは悪口雑言(あっこうぞうごん)にさらされた。


「奴らは降伏の証としてナロウの魔王子を差し出したらしいぞ!」


「おいおい、このなよなよした奴が魔王子なのか? 我らが軍団長とはえらい違いだ」


「女をはべらしていい気なもんだな。負け犬のクセに」


「ナロウじゃ、メス犬が王族の世話をしてるのか!」


「だったら、世話をするのも、されるのも犬ってことだ」


 実に下品且つ無礼な内容だったが、止めるものは誰もいない。俺たちを引率する上級将校すら黙認していた。


 俺がマリーとメリーを犬と呼んだ奴らをこっそり睨みつけると、小石が飛んできて頭のてっぺんをかすめていった。びっくりして首をすくめると、面白がって他に投げるものがないかと探す連中まで現れる始末だ。

 俺は愛想笑いのまま、口の中で小さく舌打ちする。ゴールドマリーは怯えて俺の背中に隠れ、シルバーメリーは最後列に回り妹を守る盾となった。


 俺の中で軽い怒りが引くと、今度は恐怖がするりと訪れた。しかし、うつむき、それを無視して歩いた。


 歩くうちに上級将校に並ぶように大柄なリザードマンが現れた。筋骨逞しい体躯の持ち主で、大きな槍を担ぎ、辺りを見回すように睥睨した。雑兵ではないことは明らかで、威圧するように異彩を放っている。

 また、リザードマンにしては珍しく小さな魔力角があり、魔力を有していることがわかった。リザードマンの中でも間違いなくエリートだ。


 だが、その上級将校に接する様子を観察するに、どうやら部下であるらしい。奴の背後を盗み見る目つきはまるで獲物を目で楽しむようで、こちらはますます気が滅入っていった。

 ただし、よいこともあった。そいつが放つ異質な気配は、俺たちだけではなく奴の友軍にも影響を与えるらしく、周囲からの投石はすっかりやんでくれた。


 そのリザードマンは上官に耳打ちをすると、すぐに離れていった。


 その後、バフの部下らしいウェアウルフも何人か現れて、隊長を褒め称える場面もあったが、俺様の俊敏なコントローラー捌きによりごまかすことができた。

 その後もやたらとまとわりついたのだが、マルクトが叱りつけたおかげでそれ以上ついてくることはなく、何とか事なきを得た。


 しばらくして天蓋のない白い布幕の張られた狭い区画に到着した。捕虜のように縄で縛られることがないのは幸いだ。それなりの扱いが期待できそうだ。


 俺は慌ててマルクトに声をかけて依頼する。彼は早くも去りかけていた。


「マルクト殿、バフ卿の身づくろいをしますので、お湯をいただけますか?」


 上級将校の冷ややかな眼差しが本心を雄弁に物語る。


「貴様、馬鹿か?」


 そして、拳が腹にめり込んだ。俺は体をくの字に折って後ずさりする。腹の痛みをこらえて、息ができない。


 メリーがサッと動き、支度するマリーの視界を遮った。いい動きだ。彼女が俺の状態を見たら大声で騒ぐだろう。今は相手の機嫌を損ねる真似は絶対に避けたい。


「……呼ばれるまでここで待て」


 彼は素っ気なく言って踵を返した。きっと手加減をしたのだろうが、けっこう効いている。俺は腹を抱えたまましばらく動けずにムカつく後姿を見送った。

 布囲いの内側を外から流れるざわめきが支配した。銀毛のコボルトがそっと尋ねる。


「ポオ様、無事ですか?」


 普段は素っ気ない彼女もさすがに敵陣のど真ん中では心配してくれるらしい。


「も、もう……大丈夫」


 俺は落ち着いてからマリーが身だしなみを整えやすいようコントローラーでバフを動かした。あわせて自分の衣服の乱れを直しつつ、土埃をきれいにしてもらう。

 持ち込んだ水筒の水を使って肌から汚れを拭きとり、純白のマントは羽箒できれいに払い清められた。


 その間、俺はこの先に待つイベントを思い描いて、固まっていた。口に出さずに、ひたすら心の中で『俺ならできる』と自分に延々と言い聞かせていた。


 そして、今の心境は、もちろん『恐怖』の一色。


 映像で表現するなら、画面一杯に恐怖という文字が羅列されている感じ。要は他の要素が入る余地すらないってことだ。自分で言うのもなんだが、一人遊びが趣味の惰弱な俺が、一軍団を従える奴を相手に交渉なんてできるのか。


 そう言えば、昔のアニメで『逃げちゃダメだ』とか繰り返して敵に突撃した無茶な少年がいたな。主人公補正がなければ死んでたぞ、あいつ。

 待てよ。なら、これだけイケてる魔王子の俺様には、もっと素晴らしい『俺様補正』が働くんじゃないか。


 だったら、やれるはずだ! 根拠はないけど!


「ポオ様、怖がらないでください」


 ゴールドマリーがそう言って、背後から俺の肩に手をおいた。いや、本来怖がるのはそっちの役目だろう。

 だが、俺がモーブ皇国を恐れれば、彼女はもっと恐怖する。だから、敵陣で決して弱気な俺を見せるわけにはいかない。


「怖がってなんかいないよ」 


 俺は首をねじって見上げると、とっておきの笑顔で笑いかけた。彼女は俺より背が高く、大きな手で後ろからギュッと抱きしめてくれた。


「ほら、こうしたら、震えが止まりますよ」


 彼女の温かな懐に抱かれて初めて、肩が小刻みに震えていたことがわかった。想像以上に恐怖が俺の体を支配していたようだ。

 マリーはあやすように頭を頬ずりしてくれた。


「まだ私が小さくて夜一人で寝られないとき、お母さんがよくこんな風に抱きしめてくれました。お化けが怖かったんです」


 そう言えば、彼女の村で見送ってくれた人の中には母親らしき人は見当たらなかった。

 再び見上げると、表情から疑問を悟ったらしく、彼女はあっさりと答えを口にした。


「お母さんは私が十歳のときに流行病(はやりやまい)で死んでしまいました。お母さんはよくこう言っていました」


 そして、遠くを見るように頭を上げた。


「『ハーデンの森にはマリーのおじいちゃんもおばあちゃんも、そのまたおじいちゃんもおばあちゃんも、もっと昔のおじいちゃんもおばあちゃんも暮らしていたの。み~んな、この森に眠っているから、お化けなんか追い払ってくれる。だから、夜になってもぜ~んぜん怖くないのよ』って、腕の中の私を安心させてくれました。村の墓地にはみんなが埋葬されていて、みんなは森そのものなんだから怖くないという意味なんです」


 俺も同じようにあらぬ方を眺めて、あの深い森を思い出した。鬱蒼と茂る亡霊の潜む森。ああ~怖いよ~。


「ポオ様、ここはナロウ王国です。このナロウの地がきっと私たちを守ってくれます。だから、怖がらないで一緒に頑張りましょう」


「ああ……もちろん……頑張るさ。できることは限られてるけどね」


「限られててもいいじゃないですか。ただ、敬愛するご主人様……諦めないで下さいね」


 泣き虫の侍女に励まされてしまった。実に情けない話だ。ただ、おかげで体の震えは徐々に(おさ)まってきた。

 首筋に当たる二つの大きなふくらみが、その癒し効果を倍増させている。ああ~、このまま振り向きたい~。けど、我慢~。メリーお姉ちゃんが怖いから~。


「まだ、震えが止まりませんか?」


「だったら、もっと強く抱きしめて」


 不思議なことに、後頭部にあたる素敵なボリューム感がここがナロウであることを改めて思い出させてくれた。足の下の大地も土埃を飛ばす風も肌に感じる生暖かさも我が王国、自分の生まれた土地であった。その安心感が俺の中を満たした。


「どうやら止まったようですね」


 ゴールドマリーが優しく体を離す。彼女を見ると、まるで弟をあやす姉のような慈愛溢れる面持ちをしていた。チッ……ざまーねーな。




 しばらくして再び青白い顔の男が現れた。上級将校のマルクトだ。


「バフ、軍団長の陣幕へ行く。ついてこい」


「……かたじけない」


 俺たちはイケ好かない呼び出し係に続いて控えの間を後にした。


 幕囲いの外には、凶悪な視線を寄せる兵士たちが集まっている。バフを盾にしつつ、俺たち三人は粛々と続いた。

 悪意のトンネルを抜けるために粛々と歩いたが、周囲には目を配り、交渉がうまくいかない場合を想定して脱出に役立ちそうなものを捜した。


 この野営地は広く、逃げる方向を定めることも難しい。しかし、そこは逆に交渉がうまくいけば逃げる必要がない。

 仮にこちらの要望が却下されても、敗色濃厚な自陣へ帰されるよりこのまま強力なモーブ軍に拘束されているほうが安全なのかもしれない。

 となると、俺たちを救助してくれるという、あの剣光騎士が邪魔なんだよ。


 改めて考えてみよう。


 俺にはセイヴィニアと交渉するという目的がある。


 そして、ドライデンたちはモーブを襲撃したい。


 その襲撃の起点は俺がバフを使ってセイヴィニアを襲撃すること。


 もし、襲撃をした場合、剣光騎士が助けに来てくれる。当然、交渉は決裂し、その後のナロウの敗北即俺死亡。まあ、その前に殺されることが濃厚か。


 襲撃をしなかった場合、交渉がうまくいった前提で、ナロウが敗北しても俺は生存できる。その代わり、国を裏切った反逆者という(そし)りを受けることになる。

 また、万が一にナロウが勝利をおさめたとき、俺死亡。


 うーん、なんだかなぁ~。


 あれこれ悩ましく考えているうちに俺たちはひと際大きな陣幕に到着した。


 そこは質素な控えの間とは打って変わって豪華なひと間だった。張られた幕に紅の飾り帯が垂れ、美しい刺繍のある旗が整然と立ち並び、魔皇女兼軍団長という稀有な地位にふさわしい壮麗さ。

 

 一度入り口で止められ、寸鉄も帯びていないことを改めて確認された。想定されてしかるべきセキュリティだな。武器もなしにどうやって魔皇女を襲わせるつもりなのだろうか、ドライデンの奴は。

 案内役のマルクトは居並ぶ将校の列に加わり、俺は心細さが面に出ないよう気をつけながら進み出た。


 奥は地面より三段高い台となっており、最下段の端にルスター副軍団長が厳しい顔で立っていた。その背面にあるのは大きな黒旗で中央には金の大樹が縫い取られている。

 そして、その下に黒光りする大きな木の椅子があり、そこに座るすっきりした顔立ちの美しい女性の姿があった。


 そう、彼女が魔皇女セイヴィニア、その人だ。セミロングのプラチナブロンドが実に鮮やかで、こめかみの辺りから優美な螺旋角が伸びている。

 意外なことに着衣はラフで、上は白いアンダーシャツの上にジャラジャラとした鎖かたびらを着ただけであり、下は部屋着のような黒革のズボン。その上からまとうのであろう勇壮な甲冑はゴツい小姓とともに背後に立たせてあった。


 軍団長の間を沈黙が支配した。誰もピクリともしない。何だろう。嫌な気分だ。いったい次は何が起きる?

 そうか! 敵のボスキャラだから、派手な登場演出が始まるんだな。キラキラした後光が射すとか、激しいオーラが立ち上るとか、急に画面がアップになったりして!


 ……いや、画面はないか。ゲームじゃなかった。


 さては俺から何か言うべきなのか? いや、もしかすると、この死体(バフ)が最初の口上を述べなければならないのか!?

 いかに厳選したとはいえ、奴の貧弱な脳ミソには簡単な単語しか登録されていない。あまり難しい会話には対応できないぞ。


 副軍団長がワイト族らしいキツい目付きで睨みつけてきた。もちろん、俺じゃなくてもの言わぬ骸に、だ。


 そのとき、マリーの助言が消え入るようなささやきとなって耳に入る。


「ポオ様……頭を下げてください」


 ようやく思い至った俺は慌てて屍コントローラーでバフを(ひざまず)かせ、俺たちも同様に膝をついた。


 それを見て壇の手前に立つひょろっとした小姓が口を開く。儀礼に則り、面会者の名前が張り上げる声で告げられた。


「第七歩兵隊隊長バフ卿、降伏勧告の任を果たし、ただ今、帰参。なお、随伴者はナロウの魔王子ポオ様とその侍女二名」


 椅子に座る女性は鷹揚に頷いて、口を開いた。


「バフ、よく無事に戻った。あのスターロードが降伏すると聞いたぞ。よくやった。それでは報告をせよ」


 むろん奴は無事どころではないため、報告などできるはずもない。厚かましい印象を与えてしまうが、仕方がない。

 えい、人狼ロボ、フェイバリット(とくい)アーツ(わざ)だ。


「はい、それ、では、ポオ、殿……」


 ウェアウルフが横へずれ、俺は横槍が入る前にさっさと挨拶を述べる。


「私はナロウの魔王子ポオ、お初にお目にかかります」


「うむ。私がセイヴィニアだ」


 美女の返事は、言わずともわかるだろうとばかりに尊大で短い。そして、バストは態度以上に豊満。ウヒヒ、はち切れんばかりとはこのことか。すげーな。


 さて、こちらもつれなく返したいところである。が、立場上それはできない。

 モーブ皇国第二皇女であり、五大軍団の一つの長であるお方は、負けの決まった国のひ弱な魔王子など眼中にないようだ。

 彼女の偉そうな物言いから俺は最近遊んだ某ゲームのボスキャラを思い出し、つい苦笑しそうになるのをごまかしながら喋った。


「私は降伏の先触れとして参りました。バフ卿の説得によりナロウは降伏することを決めました」


「ほう、ナロウが降伏するか。だが、あの樽腹、いや失敬、貴国の騎士団長のドライデンが素直に受け入れるとは思えんな」


 疑念の残る顔に冷めた笑みがチラリと覗く。言い当てられて俺は言葉を詰まらせた。すると、見透かしたように先が続けられた。


「奴は小賢しくも面倒な手合いだ。あの腸詰めのような首を刎ねないと安心して降伏を受け入れられるものかよ」


 あっさり突っぱねるくらいなら、それをそもそもの降伏条件に加えておいてくれよ。のっけから返答に困るじゃないか。ただし、腸詰のような首とは言いえて妙だ。センスあるな、この女。


 俺が喋れずにいると、ビビりまくった魔王子を見かねてか、いつまでも本題が始まらないことを恐れてか、ルスター副軍団長が口を挟んだ。


「ゴホン。確かに奴は策士で、我が軍をてこずらせましたが、閣下の一撃でそんな小細工はすべて吹き飛びました。あの森に悠久に刻まれた焼け跡は閣下のご威光そのもの。今更アルヴィス星辰騎士団など敵ではありません」


「それもそうか」


 あからさまなおべっかに表情が和らいだ。


「だが、今一度問おう、美しき魔王子よ。降伏はスターロードの意思か?」


「もちろん。正式な使いは別途参りますが、それまでに誤解が生じぬよう私を遣わしたのです」


 降伏は嘘じゃないよ。本人が言ったんだから。俺は純真な子犬のようなご面相を作って訴えかけた。


 ところが優美な顔立ちの中で両目が細くなる。眼差しに鋭さが加わり、こちらを威圧した。


「フン……。やはり、それも解せないな。わざわざ魔王子を寄こしておきながら、正使が別にいるなどと。どうせ樽腹の入れ知恵で何か企んでいるのだろう?」


 うん、ご指摘も鋭いね。


「いえいえ、殿下の聡明さをあざむけるほどの策士はナロウにはおりません。それより、どうしてモーブはナロウを襲ったのですか? 資源ですか? それとも領土?」


いくさの理由など簡単なこと。勝てるから攻めたのだ」


 おお~、この人脳筋ですか? 単純おバカですか~?

 なら、話術で付け入る隙が多少はありそうだ。さて、ここからが本題。卑屈な態度では奴らから譲歩を引き出すことなどできはしない。


 俺はすっくと立ち上がり、少しでも威厳が出るよう堂々と話した。俺、頑張れ!


「大変明快ですね。それに倣うと、私が遣わされた理由も明快なのです。実は、正式な降伏受諾をお伝えする前に、いささか条件を変更ができないものか、と考えています」


 唐突な言動に居並ぶ諸将が色めき立つ。

 中でも大将席に近い位置に立つハンサムな細マッチョが凶悪な眼光を俺に照射した。立ち位置的に軍団の親衛隊か。奴の威嚇する声はこの上なくドスが利いている。


「口を慎め。セイヴィニア様は貴様ごときが対等に話せる相手ではない。負け犬は頭を垂れ、ただ卑屈に慈悲を請えばよいのだ」


 言ってくれるじゃないか。ま、俺のほうが十倍イケメンだけどな。

 俺はすっぱい顔で鼻を鳴らした。無理を押し通すためには、強気強気。


「ほうほう。そう言えと、セイヴィニア殿下に命じられましたか? でなければ、しつけがなってないとしか言いようがない」


 細マッチョは怒りで顔を真っ赤に染め、奥歯を噛み鳴らす音を響かせ、唇を引き結んだ。脳筋の部下はやはり脳筋。おつむの中も悪い意味で細マッチョ。


 奴は何かを求めるように副団長を見たが、ルスターが反応する前にセイヴィニア自身が声を発した。


「黙れ。私はまだこの魔王子と話したい」


 セイヴィニアは不興げに首を振り、部下を黙らせた。それから改めて小馬鹿にした様子で俺に問いを投げかけた。


「フン……では、話を戻そう。貴公は交渉したいのだな。献上する宝の一つもないくせに」


「それは……献上するまでもない。ナロウの王城に入れば、すべてあなたのものだ」


「敵地の制圧とはそう単純なものではない。天下無比の胸襟秀麗と謳われた私が略奪を許すような下劣な指揮官だと思っているのか?」


 彼女が心外だと頭を大きく振ると、その勢いで胸がブルンと震えた。その振動は重い鎖かたびらの上からでもわかるほど。俺は面を伏せながらこっそりガン見した。


「まさか、そんな。まことに恐れ多い……」


 パイオツである。点数をつけるなら……。


「そんなことで譲歩を引き出せるつもりか。貴公の首を陣頭にさらして進軍してやってもよいのだぞ」


「96点」


「今、何と?」


 し、しまった。胸元を大きく押し上げるほどのボリュームに感銘を受けて、思わず口走ってしまった。


 面白半分だった視線が貫通力の高い強烈なものへと変貌した。意味はわからずとも、馬鹿にされていると感じたのだろう。このままでは降伏を待たずして首チョンパされてしまう。


 残念なことに、いわゆる上流階級の奴らが好みそうなネタは、俺の頭の引き出しには入っていなかった。あ、俺も上流階級だったか。


 今しまってある情報といえば……。


 来月発売のファンタジーアクションRPG『コズミック・スウォーム~深淵より這い(いず)るもの~』なんて知らないよなあ。

 マスカットライダーシリーズにしたところで同じだ。人間界のマンガ雑誌月刊『BITCH☆DEMON』の人気連載のことだって知るはずもない。『超機動魔女ガン・アクス』……生きて、生きて必ず続きを読むぞ!

 最近、最近電子版押しのコミック誌が増えて、リーダー用の高解像タブレットを購入したんだよね~。そのおかげでカラー紙面は映えるし、置く場所とらないしでいうことなしの状態。

 この間アニメ化の決まった『輪廻武装リィ=インカルマ』はロボット物なんだが、タブレットで見るその武装装甲(アームズ)のヴィジュアルがまた……。


 ハッ!? ちょっと待った!


 今は個人的趣味に逃避している場合じゃない。俺は強引に相手の立場になって考えてみた。


 何か、何か、何か……。エ~ン、視線が怖いよう。


 無言の圧力に負けた俺は適当に思いついた言葉を口にする。そのとき頭に思い浮かんでいたのは、不気味な自動人形と遺跡『パンデモニウム』。


「大魔王の遺産……と言いました」


 副軍団長が嘘つけと言わんばかりに睨みつけてきた。周囲の将校の視線にはさらに憐れみが加わる。

 しかし、彼らの司令官は違っていた。気のない風を装って鼻で笑ってこそいるものの、彼女の瞳は俺を捉えたまま放さなかった。


「そうか、わざわざ魔王子を寄こしたことに敬意を表そう。おまえが差し出すものによっては、魔皇王陛下に進言してやってもいい。言ってみろ」


 ルスターがたしなめ顔で背後を振り返った。わずかでも検討すると口にしたことが意外だったらしい。


 俺はここではたと直感した。遺跡の周辺で遭遇したあの鉄仮面の女兵士は、そもそも彼女が派遣したのではなかろうか。

 フムフムと内心で頷くと、俺の頭は新たな方向性へと思考を走らせた。そこで生じる新たな課題は、ありもしない『遺産』をでっちあげること。


 俺は何食わぬ顔で言った。


「こちらの献上するものは、ナロウの大魔王の遺産です」


 副軍団長から苛立たしげな詰問が返る。


「だから、それは何だ? それを言わねば、交渉にはならんぞ!」


 え、え~と……。


「ナロウ建国の祖アルヴィスが生み出した魔力、星光の魔力(スターライト)の源です」


 周囲の諸将から失笑が洩れ、さざ波のように広がった。それは、副軍団長の不機嫌な咳払いによって静かに消えていった。

 ルスターは思惑不明な大将の機先を制すべく進み出る。


「確かに星光の魔力(スターライト)は星海系に属する魔力で貴重なものだが、今では決して大魔王アルヴィスだけの力ではないぞ。魔力偏向器ごときで誤魔化すつもりか!」


 どうにも疑念が拭えないこの男は、俺の言葉を受け入れるのがイヤらしい。さすがは副軍団長。非常によいセンスだ。おまえが正しい。

 対して俺は冷静な表情を崩してわざと憤慨してみせる。


「誤魔化すとは言い過ぎではありませんか、チンケなワイト族の副軍団長閣下。貴殿よりナロウの魔王子でスターライト=デーモンである私のほうがよくわかっている。大魔王アルヴィスの遺産はこの南に広がるハーデンの森にあります。万魔王殿(パンデモニウム)でデモンストーカーに話を聞くといい」


「デモンストーカーとは何者だ?」


 それは俺も知りたい。小馬鹿にした顔で言ってやった。


「知りたいなら、自分で行って直接質問をすればいいでしょう。ただし、資格のない貴殿があの遺跡に入れるなら、の話ですけどね」


 鼻白んだルスターの背後から『万魔王殿(パンデモニウム)』と呟く声が聞こえた。身を乗り出したセイヴィニアの顔は喜悦に染まっていた。


「入ったのか、あの万魔王殿(パンデモニウム)に……。それで無事ということは、貴様もあの案内人(デモンストーカー)に大魔王となる資格ありとみなされたわけだ。それはつまり、貴公が私の競争相手であるということだ」


 え、誰が?


 モーブの魔皇女はゆっくりと席を立ち、意味ありげな笑みを浮かべた。自信と確信が混ざり合い、ある種の美しい傲慢さと呼べるものがそこにはある。

 どうやら彼女はパンデモニウムがどういうものかを理解しているらしい。決して大魔王の遺産などではないことも。


 不意に、あの遺跡のためにこの戦争が始まったのではとの疑念が俺の心中に持ち上がった。

 そもそもモーブの魔皇女が直接指揮をするなどという危険な役回りをしてまで他国を攻めることが腑に落ちない。魔皇女はそんなちゃちな地位ではないはずだ。


「もう長い間、スターロードは後継者育成を放棄していると言われていた。そして、彼の力も地に落ちた。だから、我々はナロウに攻め込んだのだ。……しかし、実のところ、そうではなかった、ということか」


 だから、誰が? 誤解が甚だしいようなので、是非とも解かなければならない。

 だが、彼女からすれば、誤解などあろうがなかろうが、俺をプチッと潰せば問題自体が消滅する。


 俺は滅相もないと精一杯の愛想笑いを浮かべた。


「ええっと、何か誤解があるようですが、私は死にたくないから、その交渉に来たのであって、セイヴィニア殿下と争うつもりはありません」


 魔皇女が右手を上げると、ゴツい小姓が長大な剣を捧げもち、それは彼女の手の中へと収まった。

 プルシャンブルー=ナイトメアは青い瞳をきらめかせて段を下り、副軍団長は道を空けた。


「貴公の角は随分と貧弱だな。よくそれであの闘技場から生きて出られたものだ。飾りで隠しているようだが、短曲角か?」


「いえ、その……無妄角です。それより交渉を……」


「言っただろう。競争相手だ、と。私は思慮分別に優れていてな。競争相手は早めに潰しておく主義なんだ」


 自分語りをするということは、意見を聞く気がないということ。


「競争相手? 私が?」


「そうだ」


 ホゲッと否定しようとしたが、聞く耳を持ってもらえなかった。


「買いかぶりだとは思っていない。案内人(デモンストーカー)に大魔王候補と認められた男が、供を二人しか連れず、敵の本陣までのこのこやってきたのだ。それほどの男に裏がない、などと思うのは、愚の骨頂だ」


 いや、そんな大層なモンじゃないッス。


 セイヴィニアは鎖かたびらをチャリリと鳴らしながら、大剣を突きつけてくる。

 やめてくれ。ちょっとよろけただけで刺さりそうじゃないか。俺は慌ててバフを脇に下がらせた。


「目論見は何だ? 時間稼ぎか? 今、モーブ(われわれ)は西方面軍団をオーパルドとの国境に兵を集めて牽制をしている。どんなに時を稼いでもナロウに援軍が来ることはない」


 俺が息を呑んだままもっともらしい理由を思いつけずにいると、彼女の角にある螺旋状の溝が淡く発光した。

 真核に達した魔力は角に現れる。真核段階の魔力が生成されると頭の角が特性に応じた光を帯びるのだ。


 大剣が呼応するように持ち主の螺旋角と同じ銀光をちらつかせる。その身幅の広い刃は魔力の光のみならず赤黒い灰のような光の欠片を舞い上がらせた。彼女の魔力の特性なのだろうが、俺にはそれがどんなものなのか見当すらつかなかった。


「閣下、ここは自陣ですぞ!」


 ルスターの自重を促す声はあきらかに焦っていた。何かを警戒している。

 御前に(はべ)る幹部連中はすぐさま魔力を放出して自分の体を守るように展開した。アマリアに聞いた話ではあの女の神霊力とやらは魔族や魔獣にとって毒性があるらしい。


 副団長でなくとも、そんな力を幹部の集まった本陣で使われたらたまったもんじゃないことはわかった。


 ビビった俺は周囲に視線を走らせるものの、むろんモーブの将校以外に見えるものはない。


 くっそ、本当にここまでか。


 俺はマントの下で悔しさと魔力を込めた右の拳を握る。それからマリーとメリーに目配せをした。

 コボルト姉はやむなく立ち上がり、俺を引き寄せざま、妹とともども自分の背後に隠した。


 素手で構えるメリー対してセイヴィニアは見下した笑いを浮かべる。


「その意気込みは買うが、神霊大剣をもつ私はまさに界内無双(かいだいむそう)。それを空手(からて)で一秒でも支えられると思うな。もし、命が惜しければ、そこをどけ。供の命まで奪おうとは思わん」


 メリーは生唾を飲み下した。ゴクリと喉の鳴る音が、緊張感を高める。


「で、できるかではなく、ポオ殿下への責任です。例え瞬時に打ち倒されるのだとしても、その一瞬分でも長く殿下が生き延びるのであれば、私は護衛官としての任務を全うするだけです」


 魔皇女の笑みがわずかに憂いを含んだが、大剣はゆるゆると頭上に持ち上げられる。あとは振り下ろすだけとなった。


 だが、充分な時間が稼げた。


 純白のマントの内側で、俺の右手が大量に溜め込んだ魔力を親指の先に集め、添えた左手で何とか方向を定めていた。これは威力の心もとない魔球ではなく、魔力の弾だ。

 これは事前にマントの裏地に魔法陣を描いて準備をしておいたものだ。魔力球を凝縮し、絞り込んで射出するだけの単純設計である。

 しかし、この距離なら、メリーの脇から狙ってセイヴィニアに直撃させることができる。一点に魔力を集中させたから、相当重い弾丸となるはずだ。たとえ倒せなくても、それなりの負傷は免れないはずだ。


 俺は息を止めると指を鳴らす要領で指を打ち合わせた。中指が音を立てると同時に親指から極小の重魔力弾が打ち出される。爪先ほどの弾がマントを貫き、メリーの脇をかすめ、セイヴィニアの眉間目掛けて飛んだ。


 やった! これはかわせないはず!


 ガィンと硬いものにぶつかる音がした。


 俺は驚きとともに唇を噛む。魔弾が急に現れた人影に遮られたのだ。

 頭が跳ね上がるもその人影は踏みとどまった。鈍い光沢の鉄の仮面が一点を中心に大きく歪み、たおやかな少女の容貌はあたかも憤怒の形相に変わってしまった。


「ゲッ……マジかよ」


 俺は忌々しさを込めてそう呟く。想定外の登場人物は鉄仮面だった。


 あの遺跡からは全速力で走ったところで一両日中に戻れる距離ではない。俺はこの鉄仮面に侮りがたい執念を感じた。

 おそらく、こいつが『霊血の同胞(シストレン)』という連中の一人なのだ。


「殿下、ご無事で?」


 鉄仮面が冷静に問うと、セイヴィニアは片頬に笑みを浮かべた。


「ああ。イスファル、遅かったな」


「申し訳ございません。この男を侮りました。この場はお任せください」


 もちろん、この展開に反応したのは鉄仮面だけではない。

 いきり立った上級将校がこん棒を引っ提げて突進してきた。パッと見、ミノタウロス族らしい恵まれた巨体の持ち主だ。


「ダイモ、下がっておれ。ここはイスファルに任せる」


 ダイモと呼ばれたミノタウロスは急ブレーキで止まるや、鼻息荒く元の列に戻った。愚直系脳筋武将といったところか。やはり、部下は類友だな。


 魔力の消えた神霊大剣が小姓を介して美麗な鞘に納まった。主人の頷きを見た鉄仮面は意気揚々と俺に向き直る。ホント、ナロウ(うち)とは選手層の厚みが違うよな。


 仮面の継ぎ目から血が一筋垂れるのが見えた。次の瞬間、鉄仮面の全身から凶悪なまでの魔力が噴出した。

 何をしたのかはわからないが、迸る魔力は軽い動作にさえ強大な力を与えた。鉄仮面によるメイスの一振りで切り裂いたように大地に亀裂が入ったぐらいだ。


「貴様はぁぁぁ、ここで必ず討ち果たすぅぅぅ!」


 本当は気を失いそうなぐらい怖かったが、俺のステキ頭脳は何とか回ってくれた。

 ここは一発、奴が速攻をかけないよう予防線を張らなければならない。今弱腰になったら、俺自身はおろかマリーやメリーすら逃がすこともできなくなる。


 チェッ、こんなことなら必殺技開発はしっかりシリーズ化しておくんだった。超級デーモンビームとか、ブラック・ポオ・ボンバーとか。いろいろと。そうすれば、どれか一個ぐらいは当たりが引けたかもしれない。

 まあ、その努力はこの窮地を脱して、さらに積みゲーを片付けてからでも遅くないさ。そのためにも今は踏ん張りどころだ。


 俺は下っ腹に力を込めて前に出る。そして、顔の高さでこれ見よがしに人差し指を曲げ伸ばしてかかってこいと挑発した。


「頭が悪いな、鉄仮面。つい最近、俺と対峙して指一本動かせなくなったのを、もう忘れたようだ」


 本当はデモンストーカーの仕業だけどな。


「それにその仮面は厚化粧の産物か? モテない女は辛いねえ」


 一瞬、間があった。


「や、やはり、引きつれるなぁ……貴様はぁ……殺すぅ! 貴様はこの鎚のフランジでぇぇぇ潰し刻んでやるぅぅぅ!」


 怒りによって魔力が真っ赤な炎のように立ち上った。


 はい、煽り完了。頭に血が上りやすい奴で助かる。今の俺には相手を怒らせて付け入る隙を作るぐらいしかできない。

 俺は動きを悟られないようマントの下でオレステのコントローラーを握りしめた。


 さて、ヤケっぱちの、こんちくショータイムだ。


「いくぞ、見かけ倒しの木偶の坊! これが俺様の必殺技だ。一撃必倒トンデケパーンチ!」


 俺のマントを翻して、重そうなものがすっ飛んでいく。

 分離突進型決戦兵器トンデケパンチは平たく言うとバフの右手である。決戦兵器だが『勝てる』とは言ってない。


 バフの鉤爪付き右手は鉄の仮面に当たる寸前で易々とバトルメイスに叩き落とされた。とんでもない速さの腕の振りだ。


「バフめぇぇぇ、やはり裏切っていたなぁ! こんなぁコォケ脅しがぁ効くものかぁぁぁ!」


 いちいち語尾を伸ばすところが今どきの女の子らしいが、ハスキーなデスボイスでは愛らしさの欠片もない。


 俺はうろたえたふりをして、あとじさった。


「何だと!? モーブの兵士は化け物か! メリーさん、やっちゃって!」


 護衛官が相手と見るや、無造作にバトルメイスが動いた。


 対してメリーは素早い踏み込みでその手元まで入り込み、腕で柄を受ける。が、丸腰の彼女には有効打の手立てがない。今ごろは、間違いなく自分の就職先を呪って悲壮な顔つきをしていることだろう。


 しからば、と俺は代わりにしてやったりと笑みを浮かべてやった。俊敏なコントローラー捌きで無駄に複雑な超必殺技コマンドを入力する。

 バフが残る左手を鉄仮面へ突き出し、俺は自信に満ちた声で叫んだ。


「サンッダーナックル・ディッバイディッド!」


 説明しよう!


 サンダーナックル・ディバイディドとは、バフの左手である!


 以上!


 それは右手より遅い速度で放物線に近い軌道を描いて飛んでいく。


「メリー、離れろ!」


 命令に従い、銀毛のコボルトはステップバックした。


 鉄仮面はせせら笑いながら軽々とサンダーナックル・ディバイディドをバトルメイスで払いのける。この女、ナメくさってやがる。


「効かぬとぉ言ったはずだあぁぁぁ!」


 さあて、それはどうかな。


 サンダーナックル・ディバイディドは俺様の芸術的コントローラー捌きにより、叩き落されるより速くバトルメイスをつかんだ。ちなみにそこにはアキバハムートガハラで購入した超々高電圧スタンガ~ンが仕込んである。


 ポチッとな。


「ンガ、ガ、ガガッ、グガガガガガガ……!」


 白銀の全身甲冑は奇妙な悲鳴を上げて膝から崩れ落ちる。甲冑の表面ではパチパチと音を立てて電弧(アーク)が走りまくり、消え去った。

 肝心の中身は痙攣を続けており、しばらく動けないぐらいの衝撃を受けたようだ。


 もちろん相手は虚弱な人間界の生き物ではないため、俺様の魔改造により電流を上げてある。それもよくある電気エネルギーの分散など大した問題とならないほどに強力にだ。そのせいでお高そうな甲冑が電気コンロと化し、全身が満遍なく炙られたことだろう。ざまあみろ!


 俺が得意げに笑ったとき、背後で冷たい声がささやいた。


「感謝する。絶好の機会だ」


 ハッとして首をねじると、手を伸ばせば届きそうなところまで迫った青白い男が見えた。


 男の名はマルクト。俺たちを案内し、俺の腹を殴った陰険な上級将校だ。

 ライネック族特有の獰猛な相貌が貪欲で残忍な笑顔に彩られている。大将の御前でまたとない手柄を立てるチャンス、というわけだ。


 大振りな剣が顔面目掛けて突き出され、俺は思わず顔を両手で覆った。ケレン味のない地味な行動だが、確実で手堅い一撃だった。


「キャアッ……」


 俺の悲鳴じゃない。マリーだ!


 ゴールドマリーが俺を抱えて咄嗟に横に跳んでいた。着地と同時によろめいて、俺の体は地面に転がる。クソッ、マリー、無茶しやがって。

 俺は両手を突いて立ち上がり、急いでマリーを支える。そして、彼女の背中が斬り裂かれ、血が滴っていることに気がついた。


「マ、マリー!」


「い……痛いです……」


 彼女は涙目でこらえながらも笑顔で俺の手をどけた。傷口をつかんでいたらしい。

 いや、しかし、今は血を止めるのが先決だ。こういうときは傷口を押さえるとか、縛るとかしないといけないはずだ。


 俺があたふたしていると、すぐ近くで、ガキン、と耳障りな音が響いた。メリーが頑張って受け止めてくれたらしい。彼女の手にはバフの腰から引き抜いた剣が握られていた。


「殿下、マリーを連れて逃げてください!」


「わ、わかった」 


 俺は恐怖に舌をもつれさせてそう応えた。彼女は死ぬつもりなのだ。しかし、俺は助けることもできず、ただ彼女の言葉に従うことしかできなかった。


 行くぞとマリーに声をかけるが、同時にメリーの悲鳴も聞こえた。彼女はマルクトの魔力のこもった剣撃に体ごと弾き飛ばされていた。さすがに上級将校だけあって、一般の兵士とはわけが違う。

 思わずそちらへ視線を泳がせた俺だったが、急に悪寒を覚えて向き直った。


 そのとき目にした光景はいつまでも忘れることはないだろう。


 金毛のコボルド娘が何かを遮るように両手を広げて立っていた。その腹から突き出た剣が俺の両目に飛び込んでくる。彼女に着せていたシックな濃紺のメイド服に黒い染みがみるみる広がっていく。これは鮮血だ!


「マ、マリー……?」


「ポオ様……」


 彼女は自分の腹から突き出た刃を右手でつかむと、残る手で俺を突いた。コボルトらしからぬ弱々しい力だった。


「逃げて、くだ……さい」


 白刃がグイッと上がり、彼女の胸元までが斬り裂かれる。マリーの向こうに長い柄を握った将校がいた。セイヴィニアにたしなめられた細マッチョだ。

 抜け駆けを見て、遅れは取らじと襲いかかってきたらしい。奴の整った顔はようやく怒りを解放できる喜びに溢れていた。


「もう遠慮は要らんな! 魔王子! その首、もらった!」


 奴は労せずして最上の手柄が転がり込む喜びでうち震えている。軍靴がマリーの背を蹴り、刃を引き抜きつつ彼女を打ち倒した。


 マリーが斬られた? 非戦闘員なのに?


 いや、俺を庇ったのか? なぜ?


 それは、このカス野郎がッ、俺の首級を挙げようと斬りかかったからだ。


 こ、このクズはッ……マリーに……マリーにナンてことをしやがったぁぁぁ!


 俺の口から言葉にならない雄叫びが迸った。全身を震わせて、奴を指差し、睨みつけた。


「き、貴様ッ……!」


 逆上した俺は距離を考えずに奴をつかもうと右手を無理矢理伸ばした。もちろん届くはずもない。


 だが、魔力は届いた。


 俺の右手からは白くまばゆい光が放たれていた。それが細マッチョの顔面を叩く。発光元の手首では魔転輪が激しく発光しており、瞬時にピークに達したそれはまるで光の腕輪のようだった。


 目がくらんだ細マッチョは己の魔力を放出して防御を固めつつ後方へ逃れようとした。

 その気配を察した俺は逃すものかと意識を奴に集中する。すると、光は呼応するかのように円を描く動きを見せて追尾した。


 不意に俺の視界を輝く星々が埋め尽くした。いや、視界ではなく、意識の内側だ。まるで足元から星の光が流れ出し俺を包み込むような不思議な感覚が全身を駆け巡る。同時に右掌から放たれる光が勢いを増して激流のように噴き出した。

 白い光は細かくきらめく粒を伴い、さながら、かつて親父が一度だけ見せてくれた星光の奔流(スターライト)に似ていた。


 星の光はマリーを傷つけた男の頭を消し飛ばし、全身を瞬く間に侵食して塵と化してしまった。俺を取り囲むように発生した光の魔法陣も同時に消失した。


 激しい消耗を感じて、膝が折れる。まるで体中の魔力を吸い取られたようで、ひどい貧血にも似た感覚だ。

 だが、俺はそこを何とか踏みとどまった。まだ意識を失っている暇はない。他の将校どもを眼光鋭く睨み、怒りを込めて牽制する。奴らは一様に気を呑まれて二の足を踏んだ。


 しかし、全員ではなかった。副軍団長のルスターは何が起きたかを理解した。星光の魔力(スターライト)を目の当たりにして、さすがに険しい顔をしたものの、部下たちを奮い立たせるように大声を張り上げる。


「やってくれたな! この魔王子を殺せ!」


 左右に控えていた諸将はもはや躊躇せず得物を手に一斉に襲いかかってきた。誰一人をとっても名のある武将なのだろう。魔力を全身にみなぎらせて、もの凄い勢いで迫ってくる。その後方では多数の事象転写魔法陣が展開されており、真核魔力による強力な攻撃がいくつも控えていた。

 この状況を覆す手立ては、俺にはない。


 いわゆる絶望感とはこれのことか。無力さが募り、永遠にこの戦場から逃れられないという思いに囚われた。俺は文字通りに力をなくして、膝を屈した。


 マリー、メリー、すまない。


 そう思ったとき、四方からうねりのような鯨波(ときのこえ)が轟き、陣がどよめいた。


 外で交錯する怒号と喚声に奴らは足を止める。


「何事だ!?」


 ルスターが怒鳴ると同時に若い兵士が慌ただしく入ってきた。


「敵襲です! 星辰騎士団が仕掛けてきました!」


「停戦中だぞ! ええい、すべては魔王子(こいつ)が騒ぎを起こす前提か!」


 ドライデンの奇襲が始まったらしい。どうやって俺の行動を把握しているのかわからないが、逃げるチャンスが訪れたのだ。無理にでも混乱に乗じて退散しなければならない。一刻も早くマリーを治療するんだ!


 俺は膝でいざって近づき、マリーを抱きかかえる。幸い彼女はまだ生きていた。獣人目の生命力もいつまで命を永らえさせてくれるかわからない。早く彼女を安全に治療できる場所まで連れて行かないと。


 何とか立ち上がると、周囲を見回した。メリーはところ狭しと陣幕の内側を駆け巡っており、何人もの敵将校の目を引きつけている。混乱に乗じて機動力により辛うじて渡り合っている感じだ。

 一方、ルスターは外の様子を詳しく聞きながら、矢継ぎ早に指示を出していた。また主な部隊の隊長が集まっているために多くの兵士が陣幕を出入りしており、それに紛れて俺も逃げた。


 マリーの息は荒く、意識もない。生暖かい血液が俺の衣服にも滲み込んでくる。俺は魔力を腰の魔術書に供給しつつ、傷を継ぎ合わせ、癒す魔術のページを脳裏に思い浮かべた。医療知識はなくとも、やってみるしかない。


「逃がさぬよ」


 背中に声がぶつかり、俺は縮み上がった。腹に響くような低いセイヴィニアの声だ。


 驚いて背後を振り返ると、凶悪な大剣が俺の頭頂を狙っていた。危険な銀光を吐き出す神霊の刃だ。

 避けようとして、怪我人を抱えた俺は無様に倒れた。おかげで刃からは逃れたが、マリーの体が力なく転がる。


 すぐそばでブスブスと(くすぶ)るような音がした。銀色の光を放つ刃が大地をやすやすと切り裂き、大地に食い込んでいた。その刀身からは赤黒く染まった灰のような光の欠片がもうもうと立ち上った。

 単に威力が凄いとかいうものとは違う、触ること自体が致命傷になる劇薬のような光だ。


 光の欠片を吸い込まないようにしつつ、マリーをもう一度担ごうとしたが、ぬるぬるした血に滑りつかみ損なった。


 セイヴィニアは悠然とした足取りでこちらへ一歩を踏み出した。

 死の恐怖が俺の思考を停止させ、何もできないまま一足一刀の間合いとなった。


 そこへ新たな人物が飛び込んでくる。


「ポオ殿下! ご無事ですか!」


 光の化身が滑り込むようにゼイヴィニアの前に割り込み、神霊大剣の一撃をがっちりと受け止める。


 それは剣光騎士アマリアだった。


 セイヴィニアの大剣は毒々しい赤黒い灰のようなものを撒き散らし、対してアマリアの剣が刀身が白い光を帯びて禍々しい灰を弾き返した。材質が理由ではない危険な火花が飛び散っていた。

 白い光は星光の魔力(スターライト)とよく似ており、アマリアの気合に呼応するように一層輝いてセイヴィニアを押し戻した。


 押し戻したといっても、セイヴィニアがわざと退いたように数歩下がっただけであり、アマリアは対照的に消耗したように肩で息をしていた。

 しかし、剣光騎士は背筋を伸ばすと、自らの気勢を上げるように大声で呼ばわった。


「殿下がいたぞ! 我ら星光の騎士は、勇敢さを示した殿下を全力でお護りせよ!」


 いつの間にやら周辺にはナロウの騎士が何人も入り込んでおり、そこかしこで様々な魔力が交差した。激しい風が吹きすさび、赤い光と青い稲妻がぶつかり合う。

 魔力らしい光を身にまとった騎士たちが信じられないような動きで丁々発止と打ち合う光景が俺を圧倒した。


 アマリアは騎士には珍しい二刀流の遣い手で、左右の剣を打ち鳴らすと勇ましく打ちかかっていく。


「セイヴィニア! ポオ殿下には手出しさせん!」


「さて、剣光騎士の星光剣、いかほどのものかな。もう少し見せてもらおう」


 セイヴィニアが鼻で笑うようにそう言うと、アマリアはキッと睨みつける。


「貴様の首はここで刎ねてくれる!」


「クックックッ、弱い犬がよく吠えるというのは本当だ」


「『霊血の同胞(シストレン)』とかいう犬を飼っているのは、どこの魔皇女だ?」


 目つきの険しくなった魔皇女はそれ以上語ることなく剣光騎士と激しく打ち合った。


 その剣戟で生じた爆風のような魔力の煽りを受けて俺は横倒しになった。

 熱風のような魔力が俺の頬を叩いて、ようやく放心状態から我に返った。


「た……助かった、のか?」


 いや、まだ、逃げ切れたわけではない。


 セイヴィニアの剣捌きはまさに大胆かつ正確無比。アマリアの部下は加勢しようと斬りかかるたびにその長大な剣に薙ぎ倒されていった。


 軍団長の肩書きは伊達ではないようだ。結局、このプラチナブロンドの魔皇女を何とかしなければ、逃げることは叶わないのか。だが、逆に、倒せばモーブ軍は浮き足立つに違いない。


 俺はマリーを地面に寝かせて、二人の戦いの場へと向かった。気づいた星辰騎士団の連中が制止したが、俺は無視してずかずかと入り込む。


 セイヴィニアの背後に迫った。長大な神霊大剣が宙を舞うやこちらを見もせずに斬りつけてきた。

 俺のことは、競争相手だと言っていたが、実のところ一顧だにしていない。これはチャンスだ。


 俺はアマリアに倣い、もう一度星光の魔力(スターライト)を呼び起こすと、光をまとわせた右腕で剣を受け止めた。放出する光は刃を押し留めるだけではなく、振動させ、押し返した。

 毒々しく見えた赤黒い埃のようなものは案に違わず、肌に触るとヒリヒリした。また吸い込んでしまったのか咳も我慢できなかった。おそらく星光の魔力(スターライト)のおかげでその程度ですんでいるのだろう。


 セイヴィニアが想定外の手応えに驚いてこちらを向いた。その隙にアマリアの二剣が同時に襲う。

 しかし、魔皇女は慌てず、その攻撃にも対応した。膝頭を狙った斬撃は足を引きつつ避け、首を狙った突きは剣で逸らせた。


 そして、チャンスが巡ってきた。


 俺の眼前には無防備な背中があった。短小な角のデーモンなど恐れていない、と言いたげな背中が。


 傲岸不遜だな、と刹那の感慨が浮かぶ。この後の出来事はほんの一瞬のことに過ぎなかった。


 実際のところ、魔皇女の想像通り、防御に使った俺の右腕には力が入らず、武器もなく、あるのは枯渇した魔力だけ。このわずかに残る魔力ごときでは大したことはできない。せいぜい簡単な治療魔術だけだろう。


 手順通りの魔術をおこなう余裕のない俺は『不死不生の書(ライヴ・アン・デッド)』のとあるページへ残存する魔力をすべて送り込んだ。そこに描かれた魔法陣を魔力で活性化させることで強制的に魔術を発動させた。


 ナロウに攻め入ったこと、俺を見くびったこと、何よりマリーに手を出したことを、モーブ全軍に後悔させてやる!


 俺の左手の甲に事象転写魔法陣が浮かび上がった。それを手刀の形にして突き出す。淡い薄光をまとった左手は、鎖かたびらに阻まれた。同時にセイヴィニアの肘が俺の脇に重々しく突き刺さる。


 いや、まだだ! こらえろ!


 俺は歯を食いしばって耐えると、鎖かたびらに沿って手を動かし、襟の開いた白い首元に手刀をねじ込んだ。左手はうなじからまっすぐに下りて胸郭の奥まで侵入する。


 これは心霊手術。治癒力を高める『精密再生』の魔力が幅を利かせる現代では使う者もいない古い魔術だが、役に立った。


 セイヴィニアの動きは急速に鈍り、ガクンと頭を垂れた。強靭な肉体は震えるばかりとなり、まるで生まれたての小鹿のようにか弱いものへと変じた。

 それも無理からぬこと。俺の手に心臓を鷲づかみにされ、血流が阻害されているからだ。動けないどころか、血が回らなくて意識も朦朧としているはず。


 これなら、()れる!


 動脈も静脈もこの血液ポンプ(しんぞう)に繋がっている。これを潰してやれば、どんな魔族だろうが生きることはできない。


 暗い衝動が俺を突き動かした。一気に引き抜こうと俺は力をこめる。


 が、それはできなかった。


「殿下、お待ちください!」


 血相を変えたアマリアが俺の肘をつかんで押さえている。


 俺は怒りと疲れを吐き出すように反駁した。


「どうして!? こいつを殺せば、全部終わるんだろ!」


「いいえ。それで本当に終わるとお思いですか? そんなことをしてもここから逃げられるわけではありません。それに何より戦争はまだ続きます。ですが、彼女を捕虜とすれば、それを終わらせられるのです!」


 俺が躊躇していると、剣光騎士は周囲に轟けばかりに声を張り上げた。


「聞けい,モーブの雑兵どもよ! 貴様らの軍団長は、我らがポオ殿下が捕虜とした! 剣を納めて退却せぬ場合は、即刻セイヴィニアの心の臓を潰すぞ!」


 途端にモーブ兵に動揺が走り、目に見えて動きが鈍くなった。


「見よ! ポオ殿下に命を握られた貴様らの主人を!」


 数でこちらを圧倒するモーブ兵だが、俺とセイヴィニアのありえないツーショットを見たあと、次々と指示を仰ぐように副軍団長を見た。


 セイヴィニアが呻き声を洩らしつつ、俺から体を離そうと状態を前に傾けた。首をねじってこちらを睨む顔は怒りと痛みに凄まじい形相へと変じている。


「き、貴様……何を……。グッ……こ、この程度……!」


 魔皇女は力が入らない体を強引に動かして逃れようとした。俺は血相を変えて叫ぶ。


「おい! そんなことをしたら、心臓が引きちぎれるぞ! それでもいいのか!」


「かま、わん。ナロウごとき……に、足を……すくわれるわけ、には……!」


「なら、殺してやるよ! マリーの仇だ!」


 俺が左手に力を入れると、セイヴィニアの口からは言葉すら洩れなくなった。土気色の顔をしたセイヴィニアは全身を痙攣させ始めた。


 すかさずアマリアが声を発した。


「ルスター殿、いかに!?」


 打ち付けるような詰問にルスターは忌々しそうに表情を歪めた。


「撤退だ!」


 このひと言をきっかけにモーブ皇国軍は敗走を始めた。そして、俺は手の握りを緩めた。


 剣光騎士は生き残ったアルヴィス星辰騎士団を率いて、この豪奢な軍団長の間の周辺の敵を掃討し始めた。さらに向こうの外周部からは地響きが聞こえてくる。おそらく撤退する敵の足音だろう。 


 戦いの大勢は決した。


 多数の星辰騎士に周囲を固めさせ、アマリアが俺を見て頷いた。もう安全だという意味らしい。


 俺は気を失ったセイヴィニアの肢体から手を引き抜くと、急いでマリーのそばへ戻った。


「マリー?」


 返事はない。


 俺は彼女の頭に手を添え、明るい茶色の毛をそっと触った。そこから顔へ降りてくすぐるように鼻筋をなぞったが、ピクリともしなかった。思い切って行儀よく牙の隠れた口元を触る。


 彼女の息は止まっていた。


 俺は再生の魔力を作り出すと、急いで眼前に横たわるコボルト娘へ送り込んだ。傷を修復する魔術を行使すると、事象転写魔法陣が彼女の体の上に浮き上がるが、いっこうに細胞が再生する気配はなかった。


 完全に死んでいるのだ。


 俺は涙が浮かべながらもか細い魔力の供給をやめなかった。体中からないはずの魔力を搾り出し、さらに再生の魔術を重ねた。


 泣き声にならないように下腹に力を込めて怒鳴った。もし、泣いたら、認めてはいけないことを認めてしまうような気がしたからだ。


「マリー、おまえがいないと俺は遊んでばかりになっちゃうぞ!」


 事象転写魔法陣が彼女の腹といわず胸といわず全身を覆い尽くすほど現れた。しかし、どの魔法陣も効力を発することはなかった。

 俺の喉は強引に声を殺したが、嗚咽が洩れるのを止めることはできなかった。両目からはただただ涙がこぼれる。もはや俺にできることはなかった。


 いつの間にかそばに来ていたアマリアが俺の震える肩に手を置いてくれた。俺は顔をぐしゃぐしゃに歪めて泣いた。






『犠牲』とは大切なものを手放すこと。


それはしばしば自己を高めるために生じる。


ならば、問う。犠牲によって得たものは大切なものと同様の価値があるのだろうか?


それはわからない。ただ、失ったものと得たものは異なる価値をもつ。


そして、犠牲となって失ったものは決して購えない。


それが事実だ。



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