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『今どきの魔王子』の処世術  作者: ディアス
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大魔王の力≒深夜アニメ力



深夜アニメとは。


我が人生の指針なり。


   ~ナロウの魔王子ポオ~






 世の中には説明責任というものがある。

 ざっくり言えば、社会的に強い影響力のある組織、あるいはそこに属する人物が強い権限を行使するなら、そのことや予想される結果を関係者に対して事前に説明しなければならない、ということだ。


 異世界の覇王はそれを怠った。


 おかげで俺は三度死にかけた。

 奴は、『死の瀬戸際になれば』とか、『魔王は世界の力を引き出せる』とか、『魔力を使えば何とかなる』とか、たわ言をのたまって笑顔で俺を()りにきたのだ。


 日頃、『秘められたスゥパァパゥワ説』や『俺様の魔力万能説』を唱える究極可憐な魔王子と頭の中身は大して差がないらしい。う~ん、俺ってあんなんなのか? 誰か違うと言ってくれ。


 それで、四回目の拳が振り上げられ、瞼の裏にあの世が垣間見えたとき、ようやく不気味な案内人形が呼びにきた。そして、異世界の覇王はあっさり元の世界へと帰っていった。

 そのときの奴の爽やかな笑顔といったら、まさにささやかな仕返しで満足したと言わんばかり。


 ただ、最後にアドバイスだと、それっぽい言葉を残してくれた。


『もっと自信をもてよ。魔王の魔力を引き出して俺の心臓をおしゃかにしたんだからさ』


 それは励ましであって、アドバイスではないな。


 ま、何はともあれ、彼は異世界の住人だ。二度と会うことはないだろう。




「おかしな人でしたね……」


 キャーキャーと悲鳴を上げて疲れ果てたゴールドマリーはほうけた様にそう言った。


「ああいう異次元人は危ないから近寄ってはいけない。それに助っ人してくれるわけでもないし、説明が面倒だからメリーには黙っておくように。ここでの出来事は忘れることにしよう。いいね」


 俺の言葉に彼女は黙って頷いた。


 二名の不審人物が消えると、タイミングよくシルバーメリーが円形闘技場に入ってきた。彼女は俺の疲労困憊な様子に気づいたが、いつものごとく無視して意見を述べた。


「殿下、もう二時間ほどここにいますがよいのですか?」


「ええ、色々あって、すぐには出発できなかったのです。マリーも水の補給ができたようなので、そろそろ星辰騎士団の陣地へ出発しましょう」


 すでに二時間も経つと聞かされ、内心、俺は焦りを覚えた。現実離れした出来事に少し麻痺していたようだ。ひたすら死にかけて得たものといえば……水だけか。


 俺たちが王都を出て半日が経ったことになる。近衛隊による追跡や死体の腐敗など急ぐべき理由は多い。

 防腐効果も死体を動かす効果との兼ね合いで五日程度が限界らしい。前線までの移動だけであと一日弱はかかる。敵陣へ赴く前の休息と決意に要する時間を考慮すると、今すぐにでもナロウ軍の陣地へ向かうべきだった。


 水の入った酒樽をコボルト姉妹が担ぎ、俺は二人の先に立って歩いた。


 長くなった滞在時間は予定外だったが、シルバーメリーが体を休めることができたのでよしとしよう。彼女はこの三人の中で一番の戦力なのだ。彼女に倒れられては困る。


 俺は道々メリーにもこの遺跡のことを尋ねたが、知らないとのことだった。

 二度とくることはないのだろうが、都から馬車で半日以内の距離にこんな怪しい場所があるのに知られていないとはとても不思議だ。デモンストーカーという人形によってわざと隠匿されている気がしてならない。


 それに、魔姫レイリスから譲り受けた魔術書もただの魔力偏向器とは思えない。あれほどの力を発揮したのは、魔術書自体の力なのか、パンデモニウムのせいなのか。わからないことが多い。

 ただ、この遺跡に対する疑問は今考えるべきことではなかった。


 コボルト姉妹は水でいっぱいの樽を馬車の前で下ろした。我が移動式秘密基地は昇降口の扉が破壊されたままだ。姉が馬車の出発準備を始め、妹は水樽を車体の後部にある荷台に積んだ。

 それからマリーは俺が乗るにふさわしい状態にするために掃除をしようと言い出して車内に乗り込んだ。少しだけ待って彼女の気の済むようにさせてやろう。

 急ぎたい気持はあるのだが、ヘトヘトな俺も一度落ち着く必要がある。


 しばらくして入ってよいとの声が聞こえた。やれやれだ。


 いざ乗ろうとしたとき、破れた木製の扉から金毛の可愛らしい顔が覗いた。リボンで縛った金髪の房がゆらりと揺れている。いや、小刻みに震えているのだ。彼女の顔は恐怖で蒼白になっていた。

 これぞ、まさに『嫌な予感しかしない』だ。


「マリー?」


 恐る恐る尋ねると俺の侍女は押し出され、その背後から見覚えのある白銀の全身甲冑が現れた。走行中に馬車を襲った奴だ。


 オーマイガー! オーディオスミーオ! オーソォォォーレミィィィーオォォォォォー!


 いや、混乱している場合ではない。すでにこの辺りからは退散したと考えたのは早計だったようだ。


 奴は悠然とマリーを引きずり、俺の前に降り立った。異様な出で立ちのせいか全身からにじみ出る魔力が不気味なオーラのようだ。

 後ずさりする俺を威圧する意図で侍女の腕がひねられ、マリーの顔が苦痛に歪む。


「やめなさい!」


 俺の怒りを嘲笑するように凶悪なフランジを備えたメイスがゆらゆらと振られた。さすがに異世界の覇王ほどの迫力はないが、金属光沢のある甲冑からうっすらとした魔力の陽炎が立ち上り、油膜のように歪んだ異彩を放っている。

 その立ち姿に俺は寒気を覚えた。


 そのとき、異変に気づいたシルバーメリーが御者台から飛び降りた。俺の傍らで剣を抜き、妹と奴が重ならないように位置取りをする。仮面の穴から覗く憎々しげな眼差しとメリーの怒りを帯びた青い瞳が睨み合った。


「侍女を放せ」


 奴はメリーの言葉に応えず、代わりに仮面の内から淡々とした声が響いた。


「ナロウの魔王子よ、万魔王殿(パンデモニウム)で何か手に入れただろう。それを渡せ」


 これに対応するのは、やはり呼ばれた人物だろうね。つまり、俺だ。


「それは渡せません」


 何せ水だから、なんて冗談は通じないだろう。あんな凝った甲冑を身につけるぐらいだ。プライドが高く、生真面目な奴に決まっている。奴が何のことを言っているのかはわからないが、話をうまく合わせておくのが上策。


「コレはこの戦局を左右するとても大事なものです。渡せるわけがない」


 シルバーメリーが何のことだと目で問いかけてくるが、無視して鉄仮面と対峙した。


 メリーが正面切って戦っても勝ち目は少ない。だからといって操り死体(にんぎょう)の乱用は避けたい。

 生ものだから使えば使うほど傷むし、片腕がもげても誰も直せないからだ。となると、簡単に結論を出せないよううまく話術で煙に巻いて、生き延びる可能性を模索するのだ。

 俺はとりあえず魔力を体内で循環させ、魔球の準備をする。あくまでも牽制目的だ。


「我々は出ていくところです。邪魔をしないでほしい」


「出してやるつもりはない。それより答えるのだ。結界によって封じられた遺跡にどうやって入った?」


 仮面のせいで表情は読めないが、この遺跡に興味があるようだ。


「ここはナロウの地。ナロウの魔王子がどこに行こうと勝手でしょう」


「いや、この地の万魔王殿(パンデモニウム)に足を踏み入れたからには、洗いざらい吐いてもらおう」


 ()()()()()()()


 デモンストーカーと名乗った人形もこの遺跡をそう呼んでいた。

 どうやら鉄仮面はこの遺跡のことを知っており、遺跡に何かあることが窺い知れる。わざわざ単独で敵地に深く入り込むところからも、モーブ軍が早急に対処すべき事物が眠っているのかもしれない。


 話せることのない俺はちょっと強気に出た。不安そうにすれば、聞くべきことがないことをすぐに悟られてしまう。


「それを知りたければ、自分でデモンストーカーに話を聞くといいでしょう」


「貴様は大魔王の遺産を手に入れたのか?」


 もちろん、イエスもノーも言わないのが正解。


「だから、それを言うつもりはありません」


「それはどうかな。すぐに話したくなる」


 上擦った笑い声が聞こえ、ゴールドマリーの痛みをこらえる声がそれにかぶった。姉が色めき立って前に出る。人質という奴か。

 狼狽した俺は両の掌を前に突き出して、やめるようにとジェスチャーまでした。


「わかりました。話します。だから、その娘は解放してください」


「黙れ。そして、近づくな。貴様がバフをどうやって殺したのかわからんからな」


 どうやら展開しっぱなしだった車内をしっかり見られたらしい。こんなことなら、居心地は無視して元の馬車に戻しておけばよかった。

 俺は両腕を広げて武器を持ってないことを示しつつ、じりじりと前に出た。掌がかすかに光を帯びているのだが、昼近い陽光がカモフラージュとなっている。とは言え、これ以上魔力を溜めると、さすがにバレてしまうだろう。

 俺は奴の気を逸らせるために質問する。


「まさか丸腰の私を恐れてますか?」


「丸腰でこんな前線近くにいるのだとすれば、ますます怪しいぞ。寄るな!」


 鋸歯のようなフランジがマリーの首筋に当てられた。彼女の喉がヒッと鳴り、俺は足を止めた。


 チッ! 圧倒的に優位な状況でも油断しない奴だ。魔力の球の威力は高が知れていても、可能な限りマリーには当てたくない。もう少しそばに寄ることができれば、奴の頭に確実に命中させられる。


 不意に兜がピクリと動いた。背後で横に動く気配を感じる。メリーだ。この一瞬を逃さずに俺は突進し、両手の魔球を放った。奴がそれに気づいたとき、二発が着弾する直前だった。


 奴はマリーの手を離して、横っ飛びに転がる。威力のわからない攻撃を警戒して安全策をとったのだ。魔力の球はかんしゃく玉のような乾いた音を立てた。追撃の刃が鉄仮面に襲いかかったが、それは余裕をもって弾かれた。

 おかげでその隙に俺はマリーの手を引っ張って強引に引き寄せることができた。やったね!


「殿下!」


 警告を耳にして振り返ると、そこには振り上げたバトルメイスとその持ち主がいた。華奢な乙女の似姿とはかけ離れた凶悪な迫力が俺の体を強張らせる。咄嗟に避けるもそれは脇腹にヒットし、ギザギザ刃のフランジが皮膚と肉を潰しつつ刻んだ。

 メリーがすかさず斬りつけて鉄仮面をよろめく俺から遠ざけてくれた。


「大丈夫ですか?」


「マリーは!?」


「無事です」


「なら、オッケーだ……アアッ……クソッ、痛い!」


 俺は痛みをこらえて集中すると、馴染んできた魔術書に魔力を通わせて自己再生の魔術を起動させた。負傷した脇腹の上に事象転写魔法陣が浮かび上がり、細胞の再生が始まった。血染めの布の下でシュワシュワと泡立つ音がする。

 修復する過程で再生する細胞が無事な細胞を吸収しつつ同化するため、軽い痛みが走った。俺はこれがどうしても慣れない。たかった蟻に噛まれているようで気色悪い痛みなのだ。


「ポオ様、すぐに手当てをします……って、あれ?」


 マリーが震えの残る手で俺の体を撫で回すが、傷はどこにも見当たらなかった。異世界の覇王との激戦を経て、俺は『不死不生の書(ライブ・アン・デッド)』に記された呪文と魔法陣を利用して単純な再生魔術ぐらいは行使できるようになっていた。

 ふっ、人、これを成長と呼ぶ。俺、カッケー!


 耳障りな金属音とともに小さな爆発音がしてメリーの呻きが聞こえた。跳ね起きると、彼女が長剣で攻撃を受け止めるたびにバトルメイスとの接触面で小さな爆発が発生し、その熱風の煽りがメリーの体を揺さぶっていた。

 しかし、鉄仮面の使う魔力はコボルトでは到底対処できない。どれほど強い膂力を有しようと、魔力による爆発のせいで銀毛のしなやかな体はよろめいた。


「メリー!」


「そんな犬っころでは、私は止められん!」


 鉄仮面の嘲笑うような言葉に対してメリーは背中越しに悲痛な声で言った。


「申し訳ございません。殿下、あの敵兵の言うとおりです。私ができる限り足止めをしますから妹を連れて逃げてください」


 弱腰なのは、魔力の有無による戦力差を彼女自身が痛感しているからだろう。しかし、ここはそんなジリ貧作戦を採るべき場面ではない。


 あの鉄仮面は、俺たちが遺跡で『大魔王の遺産』的なものを手に入れたと考えており、それが何かを力ずくで聞き出そうと、あるいは強奪しようとしている。

 だから、俺はあえて秘密にしたいことがあるかのごとく振舞っている。


 敵は自分の戦闘力がこちらを上回っていることを自覚しているため、精神的に追い詰めるつもりで最も手強いメリーを最初に潰しにくるはずだ。

 だからこそ、ここで一発ガツンと喰らわせて、追跡をためらうように仕向けなければならない。すたこらさっさと背を見せたら、二秒後には背面奇襲(バックスタブ)からの昇天という運命しか待っていない。


 倒せるほど威力のある攻撃は不可能だが、まるで俺がこの遺跡で大魔王的な何かを手に入れたかのように誤解させたほうが得策だ。


 それならッ……!


 俺はふんぞり返ってメリーの背後から進み出た。


「フン、情けない奴め! 仕方がないから、この俺がッ、パンデモニウムで超絶パゥアを手にした、この俺がッ……軟弱な家臣を手伝ってやろうではないか!」


 シルバーメリーは横目で言葉遣いの悪くなった俺をチラ見した。その横顔は厨二病をこじらせた哀れな奴を見るような仏頂面だ。

 背後でマリーがボソッと呟く。


「出た、ブラック=ポオ様……」


 言っとくけど、マリー、これ、キャラだから! 普段のお澄ましもセルフプロデュースだから!


 俺はここぞとばかりに人間界で学んだ膨大な知識から恐るべき能力を披露した。


「我はこの大魔王神殿で『時を止める力』を得たのだ!」


 鉄仮面からは何の反応もない。

 これだから深夜アニメリテラシーの低い奴は理解力が乏しくて困る。ネタを口で説明するのは屈辱的なんだよな。しかし、少しでもその凄さを認識させようと俺は喋り続けた。


「我がこの力を発動すれば、世界にある我以外の全事象が停止するのだ! つまり、貴様は指一本動かせないまま、一方的に我が極大攻撃を受けて死ぬ!」


 甲冑姿が身じろぎした。ようやく『時を止める』ことの意味がわかったらしい。

 ま、本当に時を止めることができても、停止中は大気の分子すら一つも動かないわけだから、自分から攻撃もできないけどね。

 それに現実的に考えると、そんな大それたことをしなくても、あの鉄仮面一人を金縛りにする力で事足りるのだが。


 さあ、鉄仮面よ! 恐れおののくがいい!


 両手を広げてその光景を待ち受けたが、そんな状態はまったくもって現れなかった。


 それどころか、奴の反応は俺の予想とは真逆と言っていいほど異なっていた。


「せせこましいナロウに……ほ、本当に、そんな力が眠っていたとは……ク、クク……」


 しゃっくりのような引き笑いが響いたかと思うなり、鉄仮面の興奮した声が引き伸ばされるように吐き出された。


「引きつれるなあぁ……とっても引きつれるぅぅぅ……」


 ど、どうしたんだ? 奴は突然陶酔したような声で頭をユラユラ揺らし始めた。

 同時に魔力が継ぎ目から噴き出して甲冑を覆い、まるで燃えさかる炎をまとっているかのようだ。


 魔力の有無や強弱は角に現れ、強い魔力を持つ者ほど大きく立派な角を生やす。あんな窮屈な兜をかぶっているということは大した角ではないはずだが、あの魔力量は一番魔力が多いとされる渦角型を連想させた。

 いや、それなら大抵魔力の制御にも長けていることが多い。それが、あんな風に無制限に噴出させるのは無駄で、効率が悪い。


 すると、これは演出で、魔力の強度でこちらを威嚇するためか。


「ク、クク……クハハハッ! その力、使って見せろ!」


「い、いいのか? 見た瞬間がおまえの最後だぞ?」


 鉄仮面がバトルメイスを振るうと長剣ごとメリーは弾き飛ばされた。


「そぉら、これで盾はなくなったぞぉぉ……私に大魔王の力とやらを見せてみろよぉ!」


「ポオ様、伏せて!」


 マリーの声が響き、反射的に体が動いた。大地に蟻のように這いつくばるなり、水のたっぷり入った樽が頭上をすっ飛んでいく。それはあやまたず、鉄仮面の横っ面にぶつかった。頭を大量の水が包み、瞬間的な窒息状態にさすがの鉄人も怯んだ。ナイスだぜ、マリー!


 立ち上がりつつ俺は心の中で密かにスーパー呪文(わざのなまえ)を唱える。マスカットォゥゥゥライッ……。


「ッダーァパンチ!」


 右の拳が魔力の炎を噴き、俺は硬そうな顔面目掛けて殴りつけた。ガツンと強い手ごたえがして、鉄仮面がよろめいた。

 同時に俺は痛む拳を抱えて転げ回る。俺のかき集めた魔力は奴の魔力の壁を突き破り、拳が仮面を打ったのだが、俺の魔力も相殺されて素手で鋼鉄を殴ったも同然だった。


 俺の頭のすぐ隣に衝撃が走る。見るとすぐ横に大地にめり込むギザギザ刃のフランジがあった。その持ち手の先にある鉄仮面の美しい顔は微笑んでいるようにも見えた。次の瞬間、シルバーメリーがもの凄い勢いで体当たりをかました。

 重そうな甲冑姿が横に飛び、それを追って銀色の筋が走る。メイスと長剣の刃が閃いて金属音が至るところに響いた。時折爆発音がまざり、メリーの呻きが聞こえる。


 二人の戦士は目まぐるしいほどの速さで動き回り、俺の目を白黒させた。これは一般兵卒の力ではない。まさに上級将校の戦いだ。


 あは~ん。こんな高速戦闘についていけるかっつーの!


 いまはメリーも全力で攻撃し続けているので一進一退だが、このままではいずれスタミナが切れ、彼女は致命傷を負うだろう。 

 すぐにどうにかしなければならないが、俺の通常攻撃である魔力の球には針の穴を通すほどのコントロールはない。むやみに投げればメリーに当たってしまう。


「ポオ様……お姉ちゃんが!」


 瞳をウルウルさせたゴールドマリーが俺の腕にすがった。


 正直に言って俺に手はない。焦る気持と裏腹に俺はただ立ちすくむことしかできなかった。


 ひと際大きな爆発音が響いた。


「ガハッ……!」


 混ざり合っていた二色の影から銀色の影が弾き飛ばされた。シルバーメリーがバトルメイスの一撃を受け止めきれず倒れたのだ。


 俺が思わず飛び出そうとしたとき、新たな声が聞こえた。


「そうそう、大魔王候補ポオよ、一つ言い忘れたが……何だ、騒がしいな」


 陽炎のような人影が俺の前に現れ、瞬く間に実体化した。カリカリと音をさせて指を曲げ伸ばしするその姿はまさしくデモンストーカーのものだった。


 突然の出現に一瞬の間があったが、すぐに鉄仮面の怒号が森に轟いた。


候補だとぉぉぉ!? 貴ッ様ぁ……ナロウの手の者かぁぁぁ!」


 大魔王候補と聞いて何かが切れたようだ。今にもメイスで殴りかかりそうな迫力がある。

 ところが、この人形は凶悪な兵士を一顧だにせず白皙の面を俺へと向けた。


「魔王戦の対戦相手選定は私の裁量だよ。勝手な真似をするんじゃない、魔王子」


 冷たい響きを帯びた声は抑揚があまりなく、この人形が鉄仮面など恐れていないことがわかる。鉄仮面よりデモンストーカーのほうが危険な存在だと、俺は本能で直感した。

 故に咄嗟に否定を口走り、罪をなすりつける。


「それはまったくの誤解だ! あいつはモーブの兵士で魔王戦の参加者じゃない。まったくの別口だ。誰かが仕事の邪魔をしたのだすれば、それはあいつだ」


 その台詞が終わる前に鉄仮面がデモンストーカーへ襲いかかった。

 が、甲冑姿は三歩目にピタリと止まってしまう。その足下には光る魔法陣が出現しており、人形の右の人差し指が鉄仮面に向けられていた。

 デモンストーカーが何がしかの魔力を使ったらしい。鉄仮面は不自然な姿勢のまま微動だにしなくなった。


 人形が硬そうな指を鳴らすと、事象転写魔法陣は薄れて消える。彼女は手を下ろし、淡々とした口調で言った。


「では、結界の外でやってくれ。あまり私を煩わせるな」


「もちろん、俺はここを出て行く。それをあいつが侵入して邪魔をしたのであって、あなたの邪魔をするつもりはない」


「そうであるなら、これ以上の追求はやめておこう」


 表情の変わらない人形は肩をすくめた。


「ところで、私の用件だが、今後の魔王戦のためにアドバイスを与えよう。魔王たらんと欲するなら、世界を理解しろ」


 また、いきなりだな。引きこもりの俺に勉強をしろとは片腹痛いわ。


「世界……って歴史? それとも地理公民?」


「いいや。世界とは認識による構築物のことだ。それは時間であり、空間であり、あらゆる尺度で認識されるすべてのもののことだ。認識されなければ、それは存在しない」


「よくわからないな。悪いが、厨二病につける薬の持ち合わせはない」


「フフフ、常備薬を切らすのは感心できないぞ。可哀想におまえの厨二病はこじれているようだ」


 言ってくれる。尊大な態度も伊達ではないようだ。


「さて、この近辺でまた争われては面倒だし、さきほどの健闘を称える意味を込めて、おまえたちをどこか好きなところへ送り届けてやろう」 


 その唐突な申し出に俺は飛びついた。大魔王や世界なんかより、この申し出のほうが切実に必要であり、よっぽど役に立つ。


「なら、俺、マリー、メリーの三人をナロウ軍の陣地へ連れていってほしい。ついでにあの鉄仮面はあの世へ送ってくれ」


 そう要求すると、人形は哀れむようにフンと鼻を鳴らした。


「欲張りめ。あまり厚かましいことを言うなら、そっちの全身甲冑とまとめて世界の果てへ送ってやろう」


「い、いや、俺が悪かった。ホントに謝る。ごめんなさい。だけど、俺たち三人をナロウの陣地まで届けてもらえると本当に嬉しいんだ。そうしてくれれば、俺もあなたの要求に応えて頑張った甲斐がある」


 陶器のような白く艶やかな顔からは何の表情も読み取れないが、美しい造作は深い思索を巡らせているかのように見える。


「ふむ……。よし、いいだろう」


 ラッキー! デモンストーカーが護衛として同行するなら、この鉄仮面もうかつには手出しできまい。あとはいかに時間的余裕のあるうちに目的地へ到達できるかだ。


 交渉がまとまり、デモンストーカーは馬車に乗るよう指示をした。俺たちはシルバーメリーに肩を貸して、馬車に乗り込んだ。


 鉄仮面に荒らされたリビングは悲惨な状況だったが、緊張が去った俺たちは腰が抜けたようにカーペットの床に座り込んだ。

 とにかく安堵した様子のマリー、状況がわからず不可解そうなメリー、それととにかく一休みしたい俺。


 次の指示を待つ間、俺たちはシルバーメリーの鎧を脱がせ、負傷の具合を確かめた。メリーが若い女性らしく少しためらう様子を見せたため、確認は妹に任せた。

 ただ、傷を洗った後の手当ては俺が魔力で行った。しなやかで強靭な体は銀毛に覆われ、俺のような純粋な人間型とは異なるものだが、その女性としての美しさは俺の感性に充分に訴えるものがあった。

 いいねー。創作意欲がかき立てられる。ま、俺に芸術系創作センスはないけどね。


 傷はすぐに癒え、やることが終わると、俺の思考は二つの問題に向けられた。まず一つは、今のうちに鉄仮面の息の根を止めておくかどうか。もう一つは、奴は何のためにこのような奥深くまで単独で侵入してきたのか。


 一つ目の問題は、可能かどうかではなく、自分の意志でやれるかどうかだった。動けない相手の命を奪う。これは非常に気分が悪い。却下だ。

 それにデモンストーカーが同行するなら、どんな敵も恐るるに足らず、である。


 そして、もう一つ。これは何となく想像ができる。万魔王殿(パンデモニウム)は単なる遺跡ではなく、何らかの役割があるようだ。それが何はわからないが、魔王の力に関係するもので、モーブ皇国はそれを狙っている。

 もしかすると、それは魔王の力を強化するものかもしれない。かつての大魔王の偏向魔力やら、何やらがあって、それによって類稀な力を身につけることができる、とか。


 どちらにせよ、あの鉄仮面は降伏勧告の使者(エロウルフ)がすでに死者となっていることを知ってしまった。ならば、奴が自陣に帰りつく前にやるべきことをやるしかない。好条件で俺が生き延びることができるようにサクサクっと交渉するのだ。


「ポオ様、出発はまだでしょうか?」


 ゴールドマリーが心配そうにそう口にした。

 そうだな。メリーの治療が終わって、すでに十分ほど経つが、いつまで待てばいいのか。

 俺がシルバーメリーに指示すると、彼女は頷いて立ち上がる。コボルト娘が馬車の昇降口を降りて戻るまでに時間はかからなかった。彼女は俺たちの前に立ち、神妙な顔つきで言った。


「前方に小さくですがモーブの旗印が見えます」


 敵軍のそば? 俺は血の気が引くのを感じた。だが、続きがあった。


「そして、ここは我が軍の陣の前です。これは、どういうことでしょうか?」


 俺が外へ飛び出すと、そこは死者が横たわり、鬱蒼と繁る森を背負った気味の悪い荒れ地だった。森は、すぐ近いところにひどくえぐられた不自然な箇所が見えた。それは広く、そして遠くまで森を貫通しているようだった。


 そして、俺たちは口を布で覆った兵士たちに囲まれていた。


 そこで俺は叫んだ。ぷぎゃー!




 俺とマリー、メリーは抵抗する間もなく、彼らに捕まった。兵士たちは捕虜を後ろ手に縛り座らせた。それ以上の乱暴をすることはなく、伝令を出し、その後は全員待機している。

 幸いなことに馬車の中が確認されることはなく、操り人形は出しっぱなしの収納部屋で密やかに鎮座していることだろう。


 ここはアルヴィス星辰騎士団の陣地のすぐ外であった。つまり、俺たちを縛り上げてくれた歩兵どもは、実にナロウの兵士ということだ。おおー、なんてぇ、こったぁい。


 とりあえず、敵軍に捕まったわけではなくホッとしたが、この扱いは承服しかねるところだ。


 さて、ここで説明しよう!


 アルヴィスとはナロウを興した魔王の名で、クラ姫の言っていた大魔王という輩であーる。その偉大な功績から『アルヴィス天球公』あるいは『星祖アルヴィス』などの諡号で呼ばれる偉大な人物だ。

 ちなみにこの人物は発明家でもあり、魔転輪や逆の効果をもつ魔定輪などを作り出したことでも知られている。


 この故人の名を冠する騎士団はナロウ王国最大の戦力であり、最後の砦でもあった。


 数で勝るモーブ皇国南方面軍を相手に奮戦を続ける騎士団はハーデンの森まで防衛ラインを下げていた。その本陣は広大な森の中にあり、森の手前には大型の柵が設けられ、敵軍を寄せ付けまいという思いが強く現れている。


 それにしても、魔王子が自国の軍隊に捕縛されるとは、何とも間抜けな話じゃないか。

 城内にこもって遊んでばかりいた俺の顔は、高官ならともかく、末端の兵士が知るよしもない。身分を証明できるものなんかもってないし。


 ところで、運転免許証って便利だよな。俺様が人間界にきて日も浅い頃、魔力で偽造した免許証でレンタルビデオ屋の会員に簡単になれた。

 なんて便利なマジックアイテムなんだ。俺が魔王になった暁には、運転免許証制度を導入するぞ。何を運転する免許かは、導入してから考える。


 さて、こちとら、たった三名で苦労の末、戦場の真っ只中までやってきたというのに、味方からこの仕打ちかと思うと俺は胸がモヤモヤしてならない。

 忌々しい思いで周囲を取り囲むオーク族の兵士に噛みついた。


「この不当な処置をおこなった罪で、あなたたちは軍法会議にかけられることになりますよ!」


 シルバーメリーの口から溜め息が洩れるのが聞こえた。

 俺は知ったかぶりをしているが、軍法とやらのどこに抵触するのかは知らない。よくある台詞を真似してみただけだ。


 俺の無知を見透かしたように兵士からの返事はなかった。彼らは疲弊しきっており、不審者三名よりも別のものに気をとられている。

 その一つは前方の平地の先に見えるモーブ皇国軍の旗印であり、もう一つは背後の森を裂いて貫通する黒いえぐれだ。俺たちの相手をする気分ではないらしい。

 兵士たちの中に嫌な咳をする者が何人かいて、辛そうにえぐれた大地に何度も目をやっている。


 いちおう、自分の身分を明かして、騎士団長へ取り次ぐよう伝えてあったが、それはニ十分も前の話だ。


 文句を言うのに飽きた俺は、気になっていたことを尋ねた。


「わかりました。軍法会議にはかけないので、一つ教えてください」


「……何だ?」


 急に態度を和らげたおかげか、守備隊の隊長らしき人物が反応してくれた。額にほんの小さな突起がある。おそらく角になり損ねた痕跡だろう。


「あの、森を貫くような大きく黒いえぐれは何ですか?」


 そう。俺もあの大地を裂くえぐれが気になっていた。実に禍々しく、俺の旅慣れない心をガリガリと削ってくれる。


 守備隊の隊長はブルッと体を震わせると、ポツリと言った。


「あれは……敵の軍団長が魔力を込めた剣を一振りしたら、ああなった」


「そう、あれは、魔皇女セイヴィニアが(おの)が魔力を開放した結果です」


 そのとき、森から凛々しい出で立ちの女騎士が現れた。彼女はサキュバス族らしい長い角をもち、柔らかい口調で言葉を継いでそのときの様子を語ってくれた。


 モーブ南方面軍がこの森に達してすぐのことだった。数で勝る奴らはそのまま森の中まで一気に攻め入ろうとした。

 それを読んでいた星辰騎士団の団長はあらかじめ森の北端に罠を仕掛けたエリアを設けていた。木々の繁った所々を倒木で塞ぎ、殲滅のための迷路とし、有利な地形や陣をあちこちに築いたのだ。

 策は当たり、先鋒の部隊は繁茂する草木の陰から弓や魔力で数を減らされていった。じきに先鋒部隊は退却した。次の攻撃に備えて罠の補修を始めたときのことだ。


 敵の退却した先から三名の供を連れた武将が現れ、森の際に差し掛かった。その武将は目の覚めるようなプラチナブロンドの美しい女性だった。その女武将は小姓から身の丈ほどもある大剣を受け取ると、長大な螺旋角を輝かせた。

 その途端、大剣から黒い煙のような瘴気が立ち上った。その瘴気は武将自身からも噴き出て、赤い縁取りのある黒い人影のように見えたそうだ。


 それが敵軍の総大将セイヴィニアと気づいたときは遅かった。その赤い光を秘めた黒い煙は魔力の刃となり、巨大に膨れ上がっていた。

 大剣が振りかぶられる。赤い危険な光と黒い瘴気の刃は天を衝き、そして振り下ろされた。瘴気の刃の触れるところ、森も大地も兵士たちも焼け爛れ、その命を失った。直撃を免れた兵士も魔力を持たない物は肺病のような症状に冒されてしまった。


 ただ不思議なことに、その後大規模な敵の襲撃は行われず、小競り合いが繰り返されるばかりだった。


「噂では、彼女の剣は特別な魔力偏向器で、神霊の大剣だといわれています。つまり、彼女は大魔界には存在しない神霊力を真核段階の魔力特性として得ているのです。まあ、モーブのプロパガンダを真に受けるなら、ですが……。さあ、ザック隊長、この方たちは敵ではありませんよ」


 神霊力とは聞いたことのない力だ。魔力とは違う力らしい。う~ん、厨二病の香りがする。


 その女騎士は俺とメリーを見るなり、拘束を解くように命じた。それから、俺を助け起こし、無礼を詫びた。


「ポオ殿下、失礼しました。そちらは近衛隊のメリー殿ですね。私は第三位剣光騎士のアマリア・グレイスです」


 『剣光騎士』とは大層な称号だが、このゲームでお目にかかるような称号は、ナロウ王国では誉れ高き大真面目な称号である。


 またまた説明しよう!


 ナロウには四つの騎士団があり、それぞれ指揮系統が分かれているのだが、剣光騎士は騎士団を(また)いで独立指揮権を持つ栄誉ある位なのだ。そのズバ抜けて高い騎士位故に宮廷に出入りする機会も多く、こちらを見知っているのだろう。


 俺は不満もあらわに文句で返した。


「指揮官の方には言いたいことがあります。近衛隊もそうですが、最近の騎士団では兵に自国の魔王子をないがしろにする教育でもしているのですか?」


「いえ、とんでもない。命をしてナロウに尽くしている戦場で、見たこともない高貴な方と出会うとは、兵士たちには想像もできないのです」


 おい、おまえ、絶対皮肉ってるだろう。


「想像力がそんなに貧困では王都が蹂躙されたときの被害も想像できないでしょうね」


 兵士の士気を揶揄した途端、剣光騎士の目が細くなった。彼女は顔つきこそ柔和だが、魔貴族にありがちな退廃的な雰囲気はなく、強い意志の力を感じさせる。そして舌鋒も鈍くはなかった。


「それは……激戦を重ねて疲弊した自軍を無神経に訪問する方にも同じことが言えますね」


「激戦? 敗戦を重ねたの間違い……タッ!」


 マリーに尻をつねられて、俺は顔をしかめた。

 アマリアもそれ以上は言葉を返さず、ついてくるように手招きだけをした。俺たちは森のえぐれを横に眺めつつ、彼の後に続いた。


 森の北側は即席の砦が築かれていたが、不気味なえぐれがその中央を裂いて無残な有様だった。


 しかし、幾重にも掘られた塹壕はより深く掘りなおされ、その残土を迎撃しやすいよう、壁のように高く盛ってあった。行く手を阻まれた敵兵は塹壕沿いに進み、その先の狭い区画で殲滅される寸法だ。

 他にも木々に板を幾つも打ち付けて敵の騎馬が通れるルートを制限してあったり、同時にその裏に射手が配置されるなどの工夫が凝らされていた。


 この砦は打って出るための陣地ではなく、敵を引き込んで殲滅する目的で造られた罠なのだ。


 俺には戦争のやり方や考え方はわからなかったが、ここでは平地で大軍が激突するような戦いはないらしい。ふ~む、それはファンタジー映画の見すぎか。

 柵や板塀の隙間から覗く兵士の視線は殺気立ち、俺はとても場違いな気持にさせられた。また、彼らは泥と血にまみれ、森の黒ずんだえぐれを不安げに見やり、余裕のなさが迷惑そうな視線とともに伝わってきた。こっちも来たくて来たわけじゃねーけどな。


 森を利用した迷路を抜けると少し開け、布の幕に囲まれた場所があった。そこには大きな地図を前に肥満といってよいほど巨躯の騎士が数人の騎士と額をつき合わせて相談してる姿があった。


 彼こそアルヴィス星辰騎士団のドライデン団長だ。人付き合いの少ない俺も彼の顔と体形は知っていた。一度見らた忘れられないほど丸い巨体が、俺の中のカッコいい騎士の幻想を打ち砕いてくれたからだ。

 キャラデザの手による騎士団長とは大違いの風貌は愛嬌すらあるが、それはこの国最高の軍事力にとって無用の長物。


 俺の姿を目に留めた騎士団長はコロコロと転がるように駆け寄り、土下座をする勢いで膝をついた。


「ッポウ殿下! わざわざこんなところにお越しになるとは、いかがなされました!?」


「あ、ああ、ドライデン団長、お久しぶりです。ちょっと用事がありまして」


「ホッホウ! 将来の魔王として戦場の雰囲気を味わいにこられたのですね。わかります。わしも三歳の頃から戦場のヒリつくこの空気が大好きで入り浸っておりました! しかも我々への激励と敵情視察を兼ねているわけですな。さすが殿下! もちろん大歓迎ですぞ!」


 俺はこの腰の低い騎士団長が苦手だった。会うたびに無意味に持ち上げてくるのが気持ち悪い。魔王(おやじ)と仲がよいのと関係があるのかもしれない。

 ただ、彼はナロウ最強の騎士団のトップであり、その息子は宮廷で要職に就いており、彼の一族は政治的にも成功しているといえた。


 俺は精一杯にこやかな愛想笑いを浮かべた。


「いや、まあ、そういう用事もなくはないのですが……少しお話したいことがあって」


「オオ! わかりました。現在軍議中なので、終わり次第、時間をとりましょう。案内させますので、それまで別の場所でお待ちください。アマリア殿、ご苦労だった。軍議に戻ってくれ」


 騎士団長の指示を待って、俺たちは兵士の案内で別の空き地へ移動した。案内されるまでの間、野営地を警護する兵士の冷たい視線が俺たちに突き刺さった。

 所詮、武器と鎧で武装して血と泥に汚れた連中。優雅な装いの魔王子とは生きる世界が違う。


 案内された場所には大きなテントが張ってあった。入ると机と椅子があり、簡単な食べ物とワインがおいてあった。

 昼食がまだだったので遠慮なくいただいたが、まるで敵地のようにトゲトゲしい空気が身に沁みて食が進まなかった。


 しばらくして、ドライデンが幕僚らしい騎士を何人も引き連れて現れた。


「ッポウ殿下! お待たせしました!」


 負け戦のわりに常時テンションが高いな、こいつは。それがまた不気味さを助長する。彼は部下を紹介しつつ、現在の戦況を説明してくれた。


 モーブ皇国は南方面軍五万を繰り出して侵攻を始めた。対するナロウ王国四つの騎士団は兵卒も合わせて三万がせいぜい。兵力で勝るモーブは戦線を東西に広げることで、防衛ラインの弱体化を計った。

 それに対して東西にそれぞれ二つの騎士団を派遣して対応し、敵主力とは必然的に最強の星辰騎士団が対峙することとなった。その結果、兵力差がさらに開いた状態で戦っているというわけだ。


 他の地域を捨てて全兵力で王都を守る具申もあったらしいが、それは魔王(おやじ)が許さなかったらしい。

 ナロウ王国は王と民の双方があって始めて成り立つ。故に王国の騎士団たることを貫けと言ったのだそうだ。


「戦況は不利ですが、我々の士気はいまだ衰え知らずです。星辰騎士団がこのハーデンで敵戦力を削って必ずひっくり返しますぞ」


 意気軒昂なデブは本当に状況がわかっているのだろうか。都ではもう敗けは決したと魔貴族が生き残り工作に励んでいるというのに。

 団長は俺の感想など知るよしもなく話し続けた。


「しかし、戦況は逐一お知らせしているのに、わざわざお越しになるとは、どうかされましたか?」


「モーブ皇国軍から降伏勧告の使者が来たことを知っていますか?」


「ええ、もちろん。停戦交渉をしたのはわしですぞ。殿下もご覧になったでしょう」


 とドライデンは歯を剥き出しにする。


「モーブの売女(ばいた)が忌々しい神霊力を使って森を穿って、わが軍を威嚇したのです。おかげで魔力の乏しい兵士たちは体調を損なってしまいました。そして、厚かましくも降伏する機会を与えると言ってきました。実に恥知らずな奴だ。だから、せいぜいそれを利用することにしたのです。あと二日で停戦の期限が切れますが、我々はこのハーデンを見事な死の罠の砦に仕立て上げていますぞ」


 う~ん。本当にマンガやアニメの設定を地で行く奴と俺は交渉しなければならないのか。モーブの魔皇女は俺とは違って実力の伴った厨ニ病なのだ。でも、それって厨ニ病?

 俺はげんなりした顔をすぐに戻して言った。


「そうですか……。実は、陛下が降伏することを決めました」


 これには騎士団長も仰天する。


「何ですと!?」


「降伏の条件は三つ。ナロウの誇る四つの騎士団の解体。モーブによるナロウの併合。そして、ナロウ王族の処刑です」


 畳み掛けるように言うと、騎士団の幹部連は言葉を失い、この条件を初めて聞いたシルバーメリーも同様に驚いていた。動揺した様子で俺の横顔を覗き込んだ。


「何なんですか、その条件は!? そんなことは聞かされてません!」


 背後に控える妹にも目を向けるも、その顔つきから妹がすでに知っていたことを悟り、彼女は絶句した。

 俺が頷いてから目配せをすると、メリーは沈痛な面持ちで元の場所に引き下がった。わりーな、そんなに気にするとは思わなかった。


 同席の騎士たちはむしろ色めきたったのだが、それを団長が笑顔で制した。ドライデンの顔面は肉が盛り上がり、まるで蝋細工のような中身のない笑顔となった。


「いえいえ、条件内容は問題ではありません。我々にとっては時間を稼ぐための停戦交渉でした。ハーデンはただの森ではなく、星祖アルヴィスの生まれたナロウの聖なる地なのです。この森で戦えば星光の加護があり、我々が負けることはありません」


 彼が驚かないのは、停戦交渉をした当人だからだ。ならば、降伏条件を知っていても当然か。ただ冷たいさらなる声が俺の背筋を凍りつかせる。


「オーパルドからの援軍が来ればモーブも撤退せざるを得ません。それまで降伏さえしなければよいのです」


 こいつは、まさか……。俺は一つの疑念を覚えた。


「ドライデン閣下……あなたの考えを教えてください」


「そう、殿下もお察しの通り、我々アルヴィス星辰騎士団は徹底抗戦いたします。停戦期間が明けると同時に奇襲をかける予定です」


 それは、降伏によって殺される立場からすれば、とても心強い言葉だ。しかし、親父はこれ以上の血を見るのを嫌って降伏を選択したのだ。


 魔王の側近とも言うべき騎士団長がその意に反した行動をするのは、気分の悪いものだった。俺は思わず大きな声で反論した。


「あなたは王都近辺で戦場を拡大させるつもりか!? 我らがスターロードが降伏すると決めたのに、それに逆うことになるのですよ」


「それは大変辛いことですね。ですが、ナロウ王国のため、我が主には生き延びてもらわなければなりません。ここまで戦線を崩さずにきたのは言われるがままに降伏するためではない。兵士たちが命を賭するのは、すべて偉大な陛下への忠誠が故だ!」


 最後に少し怒りを見せたドライデンはそのまま口をつぐんだ。他の幹部騎士も何も語らず、その場は水を打ったように静まり返る。


 この状況をいったいどう捉えればいいんだ? 俺にとって有利なのか、不利なのか。


 現条件での降伏は俺の死に直結する。だが、森を隠れ蓑にしたゲリラ作戦を展開すれば、ハーデンの森の大半が戦渦に巻き込まれるだろう。

 それは、マリーやメリーの生まれ故郷が戦場となることを意味する。つまり、あの純朴そうなコボルト一家が戦争に巻き込まれるということだ。それはダメだ。マリーの悲しむようなことは避けなければならない。


 重苦しい想像から逃げるように俺は自問自答した。


 俺は戦争を回避しに来たのか?


 いいや、そんな俺の力でどうにもならないことをしに来たわけじゃない。


 俺は戦後も生き残るためにここに来たのだ。モーブ皇国南方面軍団長である魔皇女セイヴィニアに会って、俺を殺さないでおいてもらえるよう交渉をおこなう。それだけだ。


 こちらを見つめていたドライデンがおもむろに口を開いた。


「そして、殿下、陛下のお言葉はいかに?」


 へ? 何のこと?


「会談の結果は降伏でも、陛下の真意は別にあるはず。だから、わざわざ殿下がお越しになったのでしょう?」


 不意に俺の中に強い高揚感が生まれた。運命という道標は俺にもまだ選択の余地を残してくれていたようだ。


 騎士団長は魔王(おやじ)が本気で降伏するつもりなどないと考えている。だから、俺の言動次第で、アルヴィス星辰騎士団の行動を変えることができる。マリーとメリーの村を救えるのだ。


 俺は意味ありげな笑みを浮かべると、ドライデンに掌を前に突き出して待つように指示した。


「団長、わかりました。ただ、その前に人払いをお願いします」


「彼らは騎士団の指揮官ですぞ。どうぞ、ご安心ください」


「いえ、騎士団内でどう伝えるかは、団長閣下のお仕事です。そして、私の仕事は団長へお伝えすることだけです。私の話す言葉には閣下のお気に召さないものがあるかもしれません」


(かたく)なですなあ。ふむ、わかりました。ただし、剣光位の騎士は同席させてもらいましょう。彼女は独自の指揮権を持つため、ある意味、団長と同等の責任を負っておりますから」


 一軍の将にしか話さないといったわけだから、そう言われると反論はできない。俺はしぶしぶ頷いた。

 ドライデンのほうも納得はいかないようだったが、部下に退席するよう命じた。


 俺はその間にマリーとメリーの頭を抱えるようにしてその場から少し離れ、そのまま自分の口元へ寄せた。二人ともジタバタするが、俺は非力な腕で無理矢理抱えて言った。


「おい、二人ともしっかり聞け」


「何ですか、ブラック=ポオ様」


 とマリーは名前に妙な冠をつける。


「いや、だから、これが地だって」


「いいえ、違います~。真のポオ様はもっとホワホワ~としてフワフワ~ってしてるものなんです~。そして、素敵な魔王様になるんですぅ~」


 ああ、もう面倒だな。何で本当の自分を他人に否定されなきゃならんのだ。この侍女はあえて現実に目をつむって、自分の好みという幻想を主張する。これが年頃の娘の女子力か。

 それを姉が打ち砕いた。


「マリー、もう諦めなさい。これが本当の殿下なの。ダラダラ~としてプラプラ~って何もしないことをするのが真の姿なの」


 何気(なにげ)にひどいこと言うね、君。

 結局、腕力で俺を凌駕する二人はいともたやすくヘッドロックを抜け出た。

 メリーはかすかに怯えのある顔を寄せて訊く。


「それで殿下、どうされるのですか?」


 さすがに近衛兵だけあって、彼女は徹底抗戦がこのハーデンの森にどれほどの戦災をもたらすかを理解していた。


「とりあえず、魔王陛下に継戦の意志ありと思わせておこう。え~と、だから、ドライデンにはその証拠としてモーブの使者を処刑したと伝えよう」


「ですが、殿下がわざわざ足を運んだ理由が星辰騎士団への伝令ではモーブ陣地へ赴く理由がなく、魔皇女との会談が実現できません」


 そうだな。


「真の目的は敵軍の総大将と交渉することだから……。よし、敵陣訪問の目的は、あくまでオーパルドからの援軍が来るまでの時間稼ぎとしよう。そのため、セイヴィニアと会って無駄な時間を使わせるわけだ」


「それでは、モーブ側へはどう言い訳をしますか?」


「それはね……降伏の意志の早期表明として、魔王が降伏勧告の使者に魔王子を随伴させたってことにしよう。だから、筋書きとしては、停戦期間が過ぎたとしても、その面会が終わって正式な降伏の使者が来るまでは騎士団には攻撃をしないよう親父が命じたわけだ」


「その場合、殿下はどうなるんですか?」


 と心配そうに尋ねるマリー。


「どうにもならない。真面目な話、俺は時間が許す限り、俺のための交渉をおこなう。もし、その交渉が物別れになりそうなら、なりふり構わずさっさと逃げるだけだ」


 メリーがさらに声を落として質問をする。


「ですが、あの様子でドライデン閣下が攻撃をやめますか?」


 彼女もあの団長の不穏な空気を感じ取っていた。


「その懸念はあるが、宮廷で正式決定してから、ちゃんと降伏の使者が派遣される予定だからな」


「ドライデン閣下は時間稼ぎと思っているわけで、その使者自体が時間稼ぎの一環とみなされるのではありませんか?」


 そこまで心配するべきかは疑問だ。しかし、あの独りよがりな発想は警戒すべきか。


「いや、宮廷で決定が為されると同時に騎士団への停戦命令が書状で届く。さすがに勅令を受けたら、ドライデンも兵を収めるしかないだろう」


「つまり、王都からの受諾の使者さえ到着すればよい、ということですね。ですが……」


 シルバーメリーは言いよどんだ。いったい彼女はどんな懸念を抱いているというのか。俺は目で先を促す。


「モーブが自軍の使者を殺されたと知れば、そもそも交渉どころではないと思うのですが。宮廷もまさかバフ卿が勝手に帰るなんて思わないでしょうし、正使を遣わさない可能性も……」


 ああ、それね。確かに致命的問題のある大前提なんだが、イントロは調子っぱずれでもあの葬儀屋のメロディで何とか踊り切るしかないんだよ、俺は。


 とにかく戦争回避は正式な使者が到着さえすればよい。そのための時間稼ぎを俺はやればよい。


 うん、ただそれだけのこと。


 バフがいないからといって、使者を送らないことはないはず。戦争を終わらせるために魔王(おやじ)はきっと動く。

 それにあの死体は、用がすんだら失踪する予定だ。だから、問題ない。そう、まったくのノープロブレム。


 作戦の欠陥を指摘されて俺は目を白黒させたが、なんとか辻褄合わせをまとめると言葉を返した。


「敵軍の司令官と交渉せずに俺が生き残る道はない。ドライデンを止めるにしても、それなりの理由がなければ、奴は言うことをきかないだろう。それが時間稼ぎための対トップ交渉だ」


 背後で重々しい咳払いがした。


「話は終わりましたか?」


「え、ええ、終わりました」


「わざわざ護衛と侍女相手に何をお話されていたのですか?」


「お気になさらないでください。これから話すことの口止めですよ」


「口止めするぐらいなら、彼女らこそ退席させればよろしい。秘密保持のために」


 彼は怪訝そうな視線を送りつけてきたが、この野営地で魔王子への敬意をまだ保持している数少ない一人だ。俺の言葉に理解を示してくれるといいのだが。


「いえ。私は魔王より危険な任務が与えられています。それが失敗したとき、彼女らは私の代わりに結果を陛下に報告しなければならないのです」


「危険、ですと?」


 騎士団長のみならず剣光騎士アマリアの顔も険しくなった。二人から放たれる威圧にも似た視線に気圧されるも、俺は先を続けた。


「実は、モーブ軍の司令官である魔皇女セイヴィニアと交渉をします。そこで降伏を受諾する意志があることを伝え、譲歩を求めます。降伏条件の撤回、もしくは変更を求めるのです」


「それは時間稼ぎですな?」


「その通り」


 ただし、おまえに対しての、だけどね。


 安易な考えに剣光騎士が異論を唱えた。


「しかし、あの女も馬鹿ではありません。降伏の意志があるなら、向こうにその条件変更の利がない。交渉には応じないでしょう」


「いえ、話をすることで時間が稼げればよいのです。もちろん最後の手段は講じてあります。モーブのウェアウルフはご存知ですか? バフという」


 ドライデンの顔が渋くなった。


「人狼の使者ですな。あんな小物を送りつけるとは、あのあばずれめ、ナロウを舐めている。ま、近い将来に手痛い報復をうけるでしょうがな」


「いえいえ、小物でよかった。大物だったら、すぐにバレてしまったかもしれない」


「バレるとは?」


「今、私の馬車にいる奴を見ていただけるとわかります」


「アマリア殿、確認を」


 騎士団長の指示に従い、剣光騎士は囲い幕の間から出て行った。


 しばらくして彼女は戻り、ドライデンに耳打ちする。彼は太い胴体を揺さぶるようにみじろぎをして、頷いた。


「驚きました。例のウェアウルフは死んでいるようですね。いったいどういうことなのですかな?」


 俺は簡単に計画を説明した。もちろん出来事には若干の脚色を施した。


 バフ卿はあまりにも不遜な態度をとり、ナロウ王族に無礼を働いて処断された。

 そのため、俺が秘術でその死体を操作して、魔王の降伏受諾の一報を携えて帰陣させる。

 その証として、奴がナロウの魔王子を同行したと報告させ、俺がセイヴィニアと直接話す機会を作る。それでうまく時間を稼ぐのだ。


 アマリアが呟くように言った。


「殿下は死ぬ気ですか」


 台詞のわりになんとも無感動な口調だ。そんなわけないだろ。


 俺はここぞと拳を握り、力強く顔の高さに上げた。そして、頬を引き締めて、顔つきをキリッと整えた。任せろ。セルフプロデュースは俺の得意分野だ。


「その通り。使者の死が発覚するときが、私の命の尽きるときです。うまく交渉を終わらせて、モーブの陣地を抜け出せるかは運次第。万が一のときは、父にポオは勇敢だったとお伝えください。ホントは死にたくないけど」


 巨漢のドライデンが不意に体を縮めると瞼を押さえて鼻をすすった。その手には白いハンカチが握られている。


「殿下の気高き志に目頭が熱くなりましたぞ」


 ホントかよ、と疑いたいところだが、俺は神妙に頷くに留めた。ドライデンに向かってアマリアが口を開いた。


「殿下が交渉で何を成し遂げられるかは別として、敵に何かしらの混乱が生じるのは必至。そこで、一つ進言してもよろしいでしょうか」


「ふむ。よろしい。言いなさい」


「そのタイミングで我々が奇襲をかけるのです。そうすれば、殿下をむざむざ殺させずに脱出のお手伝いができるでしょう」


 ほう。俺に同調するとは、どういった風の吹き回しだ。いや、しかし、それってマズくね?


 ドライデンは俺の理解できないでいる顔を見てからアマリアに目を戻し、興味深げに頷く。


「なるほど、使者が殺されたとわかれば、ちょっとした騒ぎが起こりますな。その騒ぎに乗じて強襲できれば、組織的な応戦指示が出る前にそれなりの数を削ることができるだろう」


「ただし、そのためには指揮系統が混乱するほどの騒ぎが起こる必要があります。例えば、その死体がセイヴィニアをいきなり襲う、とか」


「大変素晴らしいアイディアだ!」


 お、おまえらは俺を殺す気なんじゃないのか!? 俺は眉をひそめて恐る恐る指摘した。


「それは、『騎士団が私たちの脱出の手伝いを』ではなく、『私が奇襲の手伝いを』する、ということですか?」


 ドライデンは樽のような腹をひとはたきして答える。


「そういう面があると、我々の士気も高まります」


 さらりと言い切りやがった。この申し出を蹴ると、嘘を疑われる恐れが出てくる。それにエロウルフのことがバレたときの保険も必要だ。オプションはないよりあったほうがいい。

 俺は瞬時にそう判断すると、睨みつけるような上目遣いで騎士団長へ念を押した。


「いいでしょう。つまり、私が最終手段に打って出たタイミングで、栄えあるアルヴィス星辰騎士団がモーブ皇国軍を全力で攻撃し、我々はその隙に逃げ出すということですね。ご配慮に感謝します」


 ドライデンが人懐っこい笑顔を見せると、それが俺に猜疑心というものを呼び起こしてくれた。彼は俺に敬意を払ってくれる人物であると同時に利用することを考えている人物でもあったわけだ。

 俺は皮肉を込めて言葉を返した。


「しかし、そうなると、私がその場で死ぬ可能性が高そうですが、その点について、何か助言はありますか?」


「もし殿下のご一行がお亡くなりになれば、私の小さな胸は張り裂けんばかりに悲しむでしょう。とはいえ、この尊きおこないによって陛下の無事が確保されるのです。これぞまさに魔王子の本懐ですな」


 なるほどね。騎士団長の本懐は魔王の生存というわけだ。だが、それは俺の本懐ではない。いや、親父が存命なのはいいことだけどね。

 奴の『犠牲もやむなし』の考えはわからないではないが、その犠牲がマリーとメリーなら話は別だ。少なくとも俺にとっては、彼女たちを生贄に捧げるつもりはない。


 俺が険しい眼差しを向けると、剣光騎士もやはり団長と同じく無感動な目をしていた。人が死ぬことに麻痺したように何の感慨もない目だ。

 俺は深呼吸をしてから、意を決して騎士団長に詰め寄り、胸を反らせて言ってやった。


「いいや、俺の本懐は俺の侍女と護衛官を無事に連れて帰ることだ。それについては議論の余地はない」


「侍女と護衛官?」


 交渉だけなら何とか無事に帰る見込みはある。もし、エロウルフの死亡がバレたら俺はともかく、罪のない彼女たちは何も知らないふりをすることで殺されずにすむだろう。その場合、正使がきたタイミングで解放される公算が高い。

 だが、モーブの魔皇女を襲えば、それはない。


 俺がさらに一歩踏み出すと、ドライデンの太鼓腹に体がぶつかった。下っ腹に力を込め、勇気をもって奴の冷たい両目を見据えてやった。


「俺はナロウの魔王子だ。俺の臣下の無事が確保できない限り、襲撃はしない! これが俺の意志だ! 魔王子のやることに文句があるなら、さあ言ってみろ!」


 騎士団長の表情は何も変わらない。彼が巨体をひと揺すりすると俺は押されて一歩下がる羽目になった。

 彼の口が少し開いた。ヤバいか? ちょっと強気に言い過ぎたかもしれない。きっと兵を呼んで俺たちを拘束する気だ。


 と思いきや、ニ人の口から洩れたのはクスクス笑いだった。


「アマリア殿、どうかね?」


 不意に楽しげな表情に変じると女騎士は顎に指を添えて言った。


「そうですね。私に三百の兵を与えていただけるなら、何とかモーブ陣のそばに潜伏し、混乱に乗じて本陣まで斬り込んでみせましょう。殿下とお付きの二名は、陛下の威光たる星の輝きにかけて私が保護します」


「よろしい。シェノア隊をそのまま連れて行きなさい」


「ありがとうございます」


「さあ、殿下、『音速騎士』との異名をもつ精強なアマリア殿が脱出に手を貸しますぞ。剣光騎士は星光の剣を振るうナロウ最強の騎士です。彼らが味方にいることほど心強いことはない! これで、奇襲作戦にご協力いただけますな!」


 ドライデンの両目が細まり、その視線が鋭く俺に突き刺さった。


 その威圧するような眼差しを理解できない侍女が背後で素直に喜んでいる。いや、マリー、これはマズイ。すっげーマズイよ。

 俺は断ろうと思いつつ、口ごもった。


「いや、その、奇襲作戦ですが……」


 俺の真の目的は交渉を平穏のうちに終わらせて無事帰ることであって、敵総大将の襲撃じゃない!


 剣光騎士が救援にくるとなれば生存確率は確かに上がるのだが、そもそもドライデンが奇襲などしなければ、そんな生存確立を高める算段なんか必要ない。

 だが、奴は完全に奇襲する気だ。この勢いでは俺がいなかろうがモーブの陣地へ攻め入りかねない。


 俺が反対の声を上げる前にドライデンが手を打ち鳴らして、場の注目を集めた。呆気にとられている俺を尻目に彼は言った。


「さて、新たな一手が決まりましたな。次の作戦の具体的な部分を詰めましょう。先ほどの軍議室に戻ります。殿下、どうぞこちらへ」


 有無を言わさない迫力に押され、肩を抱かれた俺は騎士団長に無理矢理連れられて控えの間を出た。

 意気消沈の理由がわからないマリーと、理由のわかっているメリーはそれぞれ複雑そうな顔で見送ってくれた。




 軍議の結果、アルヴィス星辰騎士団は俺の魔皇女セイヴィニア襲撃と同時に奇襲をかけることになった。


 俺は降伏のあかしとしてバフ卿の死体に付き従ってモーブ軍へ入り込み、敵の指揮官であるセイヴィニアと直接会う。

 そこで降伏の意志を表明しつつ、巧みな話術を駆使して、近づいてセイヴィニアを襲う。

 同時にモーブ陣に潜ませた密偵が合図をすると、アマリアが動き、またアルヴィス星辰騎士団が攻め込んでくる、という段取りだ。


 ただし、俺の真の目的は、正式な使者が来るまでの間に降伏条件の緩和を求める交渉を実施すること。そして、時を見計らって騒ぎを起こすことではない。

 そう考えると、いつまでも自由には動いていられないだろう。俺が交渉に使える時間は極めて少ない。


 また、注意すべきこと以外にも、危険な敵について教わった。モーブ皇国の南方面軍は他国の侵略を目的として編成された軍団であり、好戦的で強力な武将たちが指揮官として配置されている。

 だが、その南方面軍とは別に、特に警戒すべきなのがセイヴィニア子飼いの連中だった。


 ほんの一握りの人数しかいないが、『霊血の同胞(シストレン)』と呼ばれる一騎当千のつわもの連中が彼女の身辺を警護しているらしい。ああ、面倒だな、まったく。だけど、俺もほしいよ、そんな親衛隊が。


 俺は魔王子のために用意された陣幕で椅子に座った。そして、軍議室でのことを思い返す。


 魔王子が作戦に参加し、しかも危険な陽動をおこなうと聞かされ、その場の参謀などの幹部たちは一同歓声を上げ、ナロウ王族が本気で騎士団を後押ししていると誤解した。

 意気軒昂な彼らを見ていると、自分には期待されるような志はないし、そもそも勝手に都を出てきただけだ、なんてことは言えなかった。


 軍議については、初めて参加したが、十人以上の幹部たちが一つの作戦のために智恵を絞り、唾を飛ばして話し合う熱気は想像以上のものだった。

 それぞれが自分の部隊の状況を踏まえて意見を述べ、損害が大きい部隊は伏兵に志願し、戦功を欲する部隊は攻め手の中心に陣取れるよう進言する。


 彼らが真剣にナロウ王国や仲間のために戦い、命をかけていることが伝わってきた。


 ただし、根本的な問題として一つ言えることがある。魔王子を餌にして奇襲作戦を立てるなんて、ちょっとありえないんじゃないかな。魔王子改め使い捨て王子に改名してやろうか。こんちくしょう。

 しかし、こうなると、モーブ軍訪問はさらに危険度が増す。俺はマリーとメリーを連れて行くことがとても怖くなった。


 ゴールドマリーが馬車から持ってきたガラスのコップに水を注いで手渡してくれた。俺はそれを飲み干して大きな溜め息をついた。

 その様子を気にした彼女は心配そうに尋ねてきた。


「大丈夫ですか?」


「うん、平気だよ。私は馬車で少し眠らせてもらったから。それより、マリーとメリーはここまででいいよ。君たちは王都でも故郷でも好きなところへ行って、戦乱が収まるまで待つんだ」


 マリーはイヤイヤをする子供のようにかぶりを振る。


「いえ、私はポオ様の侍女です。ずーっと一緒なんです!」


「でも、この先は本当に危険なんだよ。わかるだろう。ここの騎士団の連中は本気だ」


「でも……あたしたちをあんな風に思ってくれた殿下を一人にはできません!」


 潤んだ瞳で見つめられて、それ以上強く言いづらくなった。


 彼女の親愛の情とも呼べる忠誠心は心底嬉しかったが、この先は引き返すことができないのだ。俺はやむを得ず姉に助けを求めた。


「メリー、妹を説得してくれ」


「……私も殿下についていきます」


 期待とは真逆の返答に俺は仰天する。


「ええっ!?」


「マリーは頑固ですから、どうにかして必ずついていくでしょう。なら、始めから計算内に入れておいたほうが安心できます。それに近衛兵の私が、ここに至って殿下の元を去ることはできません」


 クソッ、この娘が真面目な性格をここで発揮するとは誤算だ。

 姉の加勢にマリーが勢いづいた。


「そうですよ! それに自分に仕えろ、すべて捧げろと言ってくれたのは嘘ですか!? 私はポオ様に純潔もすべて捧げたんです!」


 途端に姉の瞳がギラリと光った。大変危険な光だ。

 疲れた体に緊張が走り、俺の背筋は針金で固定されたかのように伸びた。


「殿下、今の『純潔』はどういう意味でしょうか?」


 口調はいつも通りに冷静だが、腰で剣が鞘走り、眼光同様に鋭い白刃が覗いた。

 慌てるな俺! 下手に動揺すると嘘をついたと誤解される。


 俺は狼狽したのを何とか隠してさらっと答えた。


「もちろん精神的な意味だ。領主と騎士のような主従関係だよ。決して淫らな意味じゃない」


「本当に?」


 純粋な人型魔族と獣人型魔族で恋愛関係に至るケースは大魔界でもそう多くはない。肉体的にあきらかに形状が異なる部分があるためだが、メンタリティに差異がないことから婚姻関係も法律上は結べる。

 そういう現状から、(ただ)れた上流階級の魔族には面白がって獣人の娘を手篭めにする破廉恥がいる。都で過ごした時間の長いシルバーメリーはそういう噂を耳にして心配しているのだろう。


 そんな非道な奴らと一緒にされるのは、さすがに心外だよ、メリー。俺はつい声を荒げた。


「俺を遊びで侍女に手を出す奴と一緒にするな!」


 裏を返せば、マジな恋愛の対象なら、全然問題ないってことだよなぁ、おい、お姉ちゃん。


 メリーは深呼吸をして肩の力を抜いた。


「わかりました」


 腰でキンと鍔鳴りがして、凶刃は姿を隠した。


「マリーには将来は実家に帰って、村で平和に暮らしてほしいのです。殿下もその点だけはお願いします。これはマリーの姉としてのお願いです」


「それはわかってる。だったら、二人ともここに残る選択肢を考えてくれないか」


 すると、なぜかマリーの頬に愛嬌のあるえくぼができた。


「でも、戦争なんですよ。私はお姉ちゃんみたいに戦場では戦えないけど、その代わりにポオ様の役に立ちたいんです。いざというときは、きっとポオ様が何とかしてくれると、私は信じてます。だって、偉大な魔王様になる方なんですから」


 ちぇっ、能天気なコボルト娘だ。ただ、この期待だけは裏切りたくないよな。俺は暗い気持で応えた。


「……わかったよ。俺に任せとけ」


 マリーが感極まって、キャウ~と声を上げて抱きついてきた。


「さすが、ブラック=ポオ様」


 ブラックはやめれ。 


 勢いでマリーに忠誠を誓わせてしまったことは、この場では後悔の種となったが、彼女たち姉妹の信頼は嬉しくもあった。この姉妹のコボルト村には戦火が飛び火しないよう、うまく立ち回るしかない。


 ゴールドマリーが『成功すれば大丈夫ですよね』と言って体を離した。


 そう、うまく交渉をして言質をとった上で、混乱を起こせばよいのだ。混乱が起きても、俺たちがもう退散していれば何とかなるだろう。

 いや、そもそも騒ぎを起こす必要はないんじゃないか。降伏条件の王族の処刑がなくなれば、降伏したって構わないんだ。俺的に。

 しかし、あの徹底抗戦派の団長が率いる星辰騎士団がおとなしくしている保証もないし。


 親父は、いつもこんなことを考えていたのだろうか。だとすれば、魔王って面倒な職業だよな。俺は魔王子のままでいいや。


 俺は目を閉じ、どうするべきかと頭を悩ませていたが、いつの間にか椅子に座ったまま眠ってしまった。






現実とは。


深夜アニメの力の及ばない恐ろしい世界のこと。


   ~やぶれかぶれの捨て鉢王子ポオ~



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