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『今どきの魔王子』の処世術  作者: ディアス
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早速、ファイッ! 魔王戦 第1戦



おら、かかってこいやー!


てめーなんざ、指先一つでノックダウンだ!


うちのメリーさんが相手してやんよ!






 馬車の中で乗り物酔いしながら本を読むスタイル。それを現実逃避という。自律神経の失調を覚悟してまでおこなう気高い行為だ。


 この出だしでわかると思うが、俺には乗り物酔いをする性質があり、また現実と向き合うにあたり不向きな性格をしている。


 今いる場所はリビングルーム。もちろん馬車の中の。防寒用マントをはおった状態でソファーに腰掛け、クラーグス家のご令嬢にもらった大型本を紐解いていた。

 疾走する馬車の中では他にできることがなかった。それに、あんまり長くゲームをするとマリーに怒られちゃうしね。


 読みつかれた俺は手を休め、今後のことを想像した。


 本来なら、両軍の戦況、モーブ皇国の政情や今回の侵攻の意図、それにナロウ国内の親モーブ派の動きなど、直近の情報を調査、考察すべきなのだろう。

 だが、俺にはそんな時間はおろか能力も手段もなく、『不死不生の書(ライブ・アン・デッド)』を読むことで何か生き延びる術が見つからないかと探すのみである。


 少なくともこの魔術書に目を通したおかげでエロウルフ(しかばね)を死してなお進み続ける不屈の使者として再利用する手を見出せた。


 だが、まだ生き残るための方策がない。苦労して手に入れることができたのは、敵の総大将に会うまでの段取りだ。

 ちなみにその筋書きは以下の通り。


1.アル中エロウルフの優れた説得により、スターロードの名を冠する魔王は泣く泣く降伏勧告の要求を呑んだ。

2.魔王は降伏の証に、それはそれは愛らしい一人息子を捕虜として差し出した。

3.その超高貴且つ可憐な捕虜を連れて帰参したエロウルフは、総大将へ意気揚々と報告をする。

4.それに乗じてこの上なく賢い俺は魔皇女セイヴィニアと話す機会を得る。


 そのとき、アルコール漬けの死体を、俺がオレステコントローラーによって華麗に操作するわけだ。


 さて、ここで問題です。私は、いったいどうやって相手を説得するのでしょうか?


「う~む……」


 俺は腕組みをして深く唸る。


 この難題がいつまでも解けずに残っている。

 その難しさは人間界のミレニアム懸賞問題並だ。ちなみに俺はミレニアム懸賞問題がどれだけ難しい問題なのかはわからない。解説文がすでに難しすぎて、俺にはよくわからなかった。


 俺は疲れ目を擦りながら外を見た。

 葉の茂る木の枝が流れるように後方へすぎていく。深い緑が目を癒してくれる。すでに日の出も近い時間帯であり、この辺りには薄靄(うすもや)がかかっていた。徹夜して眠いときに朝焼けを目にすることほど腹立たしいことはないな。特にそのまま眠ってしまえない場合は。


 現在走っている場所は都の北に位置する広大なハーデンの森の中である。

 ナロウの国土の約十分の一を占めるこの森は生育がよく、都に続く中央街道ですら木々が枝を大きく張って道をふさいでいるところがあるほどだ。


 そのため、敵の侵攻を妨げる天然の要害であり、また、怖い言い伝えで夜更かし好きな子供を脅かす定番の森でもあった。

 村落はまばらに点在しているが、細かい道が多く、下手に脇道に踏み入れると出てこられなくなる。


 もちろん俺たちはお仕置きではなく、自らの意志で両軍のぶつかる前線へと向かっている最中だ。聞いたところでは、もはやそれほど遠くないところまでモーブ軍は迫っているらしい。東西に細長い森なので、明日の夜には森を北へ抜けて前線に着く予定だ。

 今頃ははぐれた護衛隊が血眼で王都中を捜索していることだろう。


 やれやれ。あの融通の利かない護衛隊長が大目玉を喰らえば少しは気が晴れるのだが。


 御者台では少し前に姉と妹が交代しており、シルバーメリーは車内の別部屋で休んでいる。


 思わずうとうとしかけたとき、移動速度が落ちていることに気づいた。俺は外に顔を出してマリーに声をかけた。


「どうしたの?」


「いえ、村が見えたので、スピードを緩めたんです」


「村は避けるよう言ったはずですよ」


「ですが、ポオ様の朝食もないんですよ。少し寄り道をして飲み水と食料を調達しましょう」


 コボルト娘の声はどことなくウキウキしているように感じられる。心配になった俺はもう一度戒めた。


「不必要な人目は危険だから、寄り道はしない」


「私の実家だから大丈夫ですよ~」


 その台詞に驚いて俺は間抜けな声を発した。


「へ?」


「お父さんは村長だし、村の皆もポオ様のおかげでたくさん仕送りできていることを知ってますから。村の誰もがポオ様の味方です」


 いつの間にかシルバーメリーも起きて、俺の後ろから前方を覗き込んでいた。


「マリーの言っていることは真実です。私たちの実家で手早く水と食料を補給するだけなら、時間もかからないでしょう」


 生まれ故郷が近いせいか、彼女の表情はクールさが幾分薄れ、柔らかかった。


 俺の命運が後二日で終わるのであれば、つき従ってくれる二人にしてやれることは少ない。敵陣のど真ん中まで行くのだ。交渉をするだけとはいえ、失敗したときの危険度は計り知れない。


「わかりました。滞在は密やかに。時間は最低限で」


 二人の口から揃って楽しげな笑いがこぼれた。


 俺は車内に戻り、ソファーに深く身を沈めた。そして、眠気に身をゆだねた。




 次の瞬間、俺は体を揺すられて目を覚ました。ゴールドマリーが俺の肩をそっと押していた。彼女はまぶたが開いたのを見てから手を離した。

 まだ眠いが、あまり悠長な睡眠がとれるときではないので、不満は言えない。


 ソファーから足を下ろして、体を起こすと彼女は馬車の外を示した。


「積み入れが終わりました。出発します。お父さんが挨拶したいと言っているのですが、どうしますか?」


 外からは談笑が聞こえてくる。シルバーメリーの滅多にない笑い声もまじっていた。彼女の父親だけではなく、何人かいるらしい。久しぶりの家族の団欒なのだろう。

 その輪の中に入ることは悪い気もするが、ああいった空気には抵抗、いや嫉妬を覚えてしまう。無条件に存在する自分の味方を羨ましいと思えるのだ。宮廷にはそんな場所はなかった。


 俺は首を横に振った。


「屋外は嫌いだから、やめておくよ。この訪問では父親が娘に水や食料を都合しただけだ。私と関わった事実はちょっとでも減らしたほうがいい」


「わかりました」


 マリーがそのことを伝えに外へ出ると談笑が終わり、御者台に上る音が聞こえた。金毛のコボルト娘が俺の前に戻ったとき、彼女の笑顔はとても愛らしく幸せそうだった。

 馬車が動き始める。俺はソファーから立つと足早に車窓から外を見た。


 早朝の太陽に照らされて三人のライトブラウン=コボルトが馬車に頭を下げている姿が見えた。ひと際体が大きい男性が彼女らの父親だろう。上がった顔は片目が潰れ、頬に目立つ刀創があった。

 その後ろに毛並みこそライトブラウンだがメリーによく似たほっそりした娘がいて、その隣には青年がいた。青年はどちらかと言えばマリーのような愛くるしい顔つきだ。

 三人ともいつまでもこちらを見送っていた。


 視界から彼らが消え、俺は軽い良心の咎めを覚えた。挨拶ぐらいはしとけばよかった。次に接する相手は軍人たちだ。そっちはもっと楽しくないだろう。


 マリーの父の話では、ナロウの陣地まで馬車で丸一日以上かかる距離にあるらしい。現在、ハーデンの森まで撤退したナロウ王国軍は、森を利用した防衛線を張って何とか食い止めているらしい。地の利を生かしているわけだ。

 愛国心ある将兵が敵の猛攻を支えてくれるのを横目に自分は命乞いに行くのかと思うと、情けない気持も湧いてきたが、自分が軍に加わったところで何ができるわけでもない。


 俺はソファーに腰を下ろすと、気を取り直して魔術書を開いた。


「マリー、私は本を読んで過ごすよ。あなたは、適当にメリーと御者を交代して、二人とも交互に休むようにしてください」


「かしこまりました。それで、ポオ様、あのですね……」


 ゴールドマリーは歯切れ悪く言いよどんだ。


 彼女が俺に対して言いにくそうにするとは珍しい。なので、俺は顔を上げて、遠慮なく言うよう促した。

 コボルト娘はおずおずとその手を差し出す。そこにはいくつかのドングリの実に素朴な編み紐を通したアクセサリーがあった。


「これは何?」


「あたしが村でよく作ったお守りです。ハーデンはナロウを建国した大魔王様の森です。ポオ様にせっかく村まで来てもらったのに、記念になるものを何も差し上げられなかったので、これを作りました」


 侍女として主人に精一杯のもてなしをしたかったのだろうか。それとも、村娘なりのプライドか。


「殿下はこんな粗末なものはいらないかもしれません。ですが、記念品を差し上げてよろしいでしょうか」


 俺がそれを手に取ると、マリーは頬を桜色に染め、とても嬉しそうな笑顔になった。

 確かに取り立てて欲しいものではない。だが、俺は魔転輪と一緒に右手首に巻きつけておいた。彼女の笑顔があと何度見られるかと思うと、いらないものでももらっておこう。


 俺は礼を言わずにすませるために質問をした。


「到着時刻はいつになりそう?」


「馬車をずっと走らせるので、明日の夜明けまでには到着させる予定です」


 到着は明日の早朝か。まだまだ時間がかかる。俺はとにかく魔術書に没頭することで気を紛らわせた。




 馬車がカーブを速いスピードで抜けようとしたときだった。ガツンと音がして、車体が大きく揺れた。


「キャアアッ……!」


 外からゴールドマリーの声が響く。馬車は横倒しになりそうなほど傾くのをこらえ、何とか速度を緩めて曲がりきった。


 俺は何事が起きたのかと耳を澄ませると、数回車体を殴打するような音と振動が届いた。再度ガツンと音がしたと思いきや、扉がもの凄い勢いで開いた。驚いて目を向けると、屋根の縁に手をかけた怪しい人影が車内に侵入してきた。


 その人物は武器を手にもち、顔まで覆った白銀の甲冑に身を包んで危険な香りをプンプンさせていた。武器はギザギザした薄い柄頭(フランジ)のある金属製の鎚で、正確にはバトルメイスと表現すべきものだ。ゲームでよくある武器の一つだ。


 俺はのんきに考えつつポカンとその人物を見つめた。


 この人、誰?


 その怪人物は思いもよらない車内の広さに少し戸惑ったようだったが、俺を見るやガチャガチャと具足を鳴らして近づいてきた。それから、おもむろにメイスを振り上げる。

 殺意のこもる行動のおかげで俺はようやく我に返った。


「敵だ!」


 俺は叫び声を上げて同時に飛び退く。聞きつけたメリーが車内奥の扉から颯爽と現れ、剣を抜き放って俺と闖入者(ちんにゅうしゃ)との間に入ってくれた。激しい音がして打撃は防がれた。


「殿下、お下がりください。邪魔です」


 情けない話だが、俺はヒィ~と叫んで遠慮なく逃げるしかない。

 コボルトは身体能力に優れた種族であり、さらに彼女は変異種として特に強い力を有している。若い娘ながらも近衛兵になるほどの実力なのだ。そんじょそこらの奴に負けることはない。


 つまり、俺のとるべき行動は、邪魔にならないように急いでその場を離れることだ。

 背後でガキンガキンと金属の激しくぶつかる音が響き、気を動転させた俺は足取りをもたつかせながらも何とか壁際にたどり着いた。


 蹴破られた扉から顔を出し、侍女の無事を確認した。御者台では金色の毛をなびかせてマリーが巨大ウサギを疾駆させていた。無事な姿に俺は胸を撫で下ろす。


「マリー! 大丈夫!?」


「はい、私は無事です。それより、車内は?」


「メリーがいるから大丈夫!」


 彼女もこちらをチラリと見てから安心したように前を向いた。


「私はどうしますか?」


「そのまま走らせて。他に敵がいるかもしれないから、スピードを緩めてはダメだよ。とにかく適当に脇道に入って、敵の想定しないルートを通るよう心がけて。もし、何か追いかけてきたら、とにかく逃げて」


「かしこまりました。危ないからポオ様は車内から顔を出さないでください」


「了解」


 俺が頭を引っ込めると、嫌な呻きが聞こえた。


「クッ!」


 まるで苦戦しているような声に振り返ると、シルバーメリーが敵の勢いに押される姿があった。相手は重そうなメイスを軽々と振るい、反撃の(いとま)を与えないほど連続して攻撃を加えた。

 その動きは普通の兵士を遥かに上回る速さと強さを兼ね備えたものだった。俺の動きと比較すると、まるで動画の五倍速再生並だ。


 奴は強い! ただの一兵士ではないのか?


 よく考えれば、その身にまとう甲冑は雑兵のものとは思えない特注品の全身甲冑だ。

 顔面は鉄仮面、そして生意気にも美女の顔を(かたど)っていた。具足も女性の裸体を模したかなり変わったデザインだった。


 剣の技量の優劣はよくわからなかったが、素人目にもメリーの劣勢はあきらかだ。いつまでも攻撃を防ぎきれるようには思えない。このままでは彼女は負傷し、その後、フランジのついたメイスは俺目掛けて振り下ろされることだろう。


 まだ敵兵の目にさらしたくはないのだが、背に腹は代えられない。それに姉が怪我をするとマリーが悲しむので、それはもっと嫌だ。

 俺はマントの内ポケットから屍操作用のコントローラーを取り出し、電源を入れる。


 ついに攻撃を捌きれなくなったシルバーメリーは受けた剣ごと横倒しになった。

 鉄製の不気味な仮面がこちらを向いた。容貌は美女のものだが、瞳の位置にある暗い穴は俺の恐怖を倍増させた。

 俺は後ずさりしながら可能な限り素早く指を動かす。


「やっつけろ! 人狼ロボ!」


 バフが奥の開いたままの扉から飛び出してきた。スティックとボタン押下で全速ダッシュをさせながら、RFボタンで左手の鉤爪で払い攻撃を繰り出す。

 相手はカウンターを繰り出そうとしてやめ、かわすに留めた。メイスで次の攻撃を防ぐと慎重に距離をとった。


 その隙にメリーがそばに来て、俺はホッとした。相手の出方を待っていると、鉄仮面の内から声が響いた。予想とは異なりハスキーな女声だった。


「バフ、何の真似だ?」


「いかにも」


 おっと、操作を間違えた。押す十字キーを上から右に変更して右人差し指でボタンを押し、続いて下も押してから再度押し込む。


「何のこと、でござる」


 鉄仮面の動きが止まった。しわがれた声を訝しんでいるようだが、本人と認識したらしく怒声が轟いた。


「下級兵め! 説明しないか!」


 この屍のウイキョウの実並みの脳ミソには、それに答えられるほどの語彙は詰められておらず、沈黙が続いた。()れた鉄仮面の手が死体の肩に伸びる。

 バフの体がスッと動いてかわした。奴の死にまだ気づかれるわけにはいかない。が、メリー一人では敵し得ないため下げることもできない。


 鉄仮面はあきらかに苛立った様子で固まった。見えない怒りのオーラを感じる。この分では不審に思われるのも時間の問題だ。いっそのことボディーランゲージで強引に問題ないことを表現するか?


 俺がどう動かせば意図した意味になるかと迷っている間に、奴は人狼に詰め寄った。俺の指は反射的にコントローラーのスティックと方向キーとボタンをスピーディー且つ的確に動かした。事前に何度も練習したコマンドだ。


 ダッ、ダン!


 と大きな音が響き、人狼が予備動作のない踏み込みから必殺の鉄山靠を放っていた。

 生前、使ったこともない体当たり技は見事に決まり、全身甲冑は壊れた入り口から車外へ吹っ飛ばされる。


「き、貴ッ様あぁぁぁ! 下種な人狼の分際でえぇぇぇぇぇ!」


 ドスの効いたデスボイスが俺の鼓膜を破らんばかりに振動させたが、ものの数秒でそれは重たそうな甲冑の転がる音とともに遠ざかっていった。


 へ? マジ? い……やった、ざまーみろ!


 自分でも驚いている俺とは違い、シルバーメリーは追いすがるような勢いで顔を突き出して後方を見やる。敵はうまく放り出せたようだ。彼女は御者台へ速度を上げるよう指示を出した。


 それからメリーはちぎれかかったドアを閉め、俺の無事を確認した。


「殿下、お怪我はありませんか?」


「ええ、ありません。それより、どう? あの技、カッコいいでしょう! ね、ね、凄いでしょう!」


 シルバーメリーの口から溜め息が洩れた。


「たわ言はマリーに言ってください。私は近衛兵なので、殿下のゴッコ遊びのことはわかりません」


 俺が泣きそうな顔で唇を引き結ぶと、メリーは何かイタいものを見るような眼差しを向けてから荒らされた部屋の後片付けを始めた。

 彼女が、リアルエンジェルと呼ぶに値するマリーの実の姉という事実が受けれいられない今日この頃である。ああ、誰か俺に優しくして……。


 馬車はしばらく疾駆していたが、追っ手がいないことが確認できると、ようやく速度を落とた。ほどなく馬車は停まった。

 その頃にはハーデンの森は靄が晴れ、道沿いの見通しの悪さは解消されていた。


 かなり迷走したため、前線の方角がわからなくなったものの、すぐにシルバーメリーが太陽の位置から方角を調べてくれた。そして、妹の記憶と照らし合わせるとかなり西へ移動したことがわかった。

 街道まで戻るのが一苦労になりそうだった。


 仮眠のたびに何かがあって睡眠が充分ではないメリーには休んでもらい、俺とマリーの二人で出発の準備をすることにした。とりあえず、マリーに手伝ってもらい、革のベルトを工夫してホルダーを作ると、『不死不生の書(ライブ・アン・デッド)』とコントローラーを腰に提げた。大型本はさすがに重いが、目を通して大事にされていた本とわかったので、我慢して身に帯びることにした。


 俺とゴールドマリーは馬車を降り、本当の意味で痛々しい車体を眺める。


「思ったより壊されてるなあ」


「そうですね。それより水をどうにかしないといけません」


 鉄仮面は馬車に押し入る前にいくつかの装備を破壊していた。その一つが馬車後部に取り付けてある水樽だ。マリーの実家で分けてもらった飲み水が入っていたのだが、今は完全に流れきってわずかな雫しかない。

 残念ながら、人間界から移植したプレイルームには水道は通っていない。


「それにポオ様に昼食をご用意しなければなりません」


 襲撃の直後にそれは悠長だろ。


「さすがに今は食欲がありません」


「それはいけません。朝食は一日の中で一番大事なお食事です。元気の源です」


 両手を握って可愛らしくガッツポーズをするゴールドマリー。笑みの浮かぶ口元に鋭い牙が覗いていなければ、もっと可愛いのに。


「だけど、時間もないし」


「いけません。私の自慢はポオ様のお世話で妥協をしないことです」


 瞳をウルルとにじませた彼女は頑固だった。


 鉄仮面たちの動向が気になったが、モーブの兵士が少数で長時間の斥候をすることもないだろう。ここは前線が近い敵勢力圏内で警戒も厳重な地域だ。偵察ミッションを達成して、すぐに引き揚げるはず。

 多少の時間を使うことはできそうだ。


「わかりました。それでは、飲料水の確保と朝食に三十分だけ」


「お姉ちゃんは寝かせてあげたいので、あたし一人でいってきます。ポオ様は車内でお待ちください」


 おいおい、男の俺が暇潰しというわけにはいかないだろう。


「私もいきます。マリーも両手がふさがってると、見つけた食べ物も運べないでしょうから」


 俺が出張ることに彼女は異議があるようだったが、三十分以内という制限があるために受け入れてくれた。


 二人で車内を漁って取り急ぎ使えそうなものをあさり、それぞれ木のバケツを手にして俺とゴールドマリーは馬車を離れた。


 脇道は下生えが茂り、普段から利用する人がいないことがわかる。都ではモーブの使者がいなくなってどんな騒動になっているかもわからないため、人に見られるよりは安心できた。


 ゴールドマリーは鼻をクンクンいわせて水気を嗅いだ。


「こちらから水の匂いがします。いきましょう」


 脇道の先を彼女は指し歩き始め、俺はその後に続いた。


「小川があればいいのですが。溜まり水は不衛生ですから、できれば流れのある水が望ましいです。ポオ様はボウフラの湧いた水でも平気ですか?」


 いいわけないだろう。俺のえもいわれぬ表情を見て、彼女は苦笑いした。


「ですよね~」


 ゴールドマリーの先導で小道を進むと、ゆく手には門柱が道を挟んで立ち並んでいたが、門扉そのものはどこにも見当たらなかった。道を外れると藪が茂っており、その門を通る以外に進む手立てはない。


 俺はゴールドマリーと目を合わせ、頷き合ってから進んでいった。


 だが、その先にあったのは、集落ではなく廃墟であった。

 ひと気はなく、住んでいた痕跡もわからないほど何もない。広場は生育不良な雑草が絨毯のように点在しているが、荒れ果てているというのとは少し異なる。広々とした土地に大きな建造物があり、それは草木に包まれながらも周囲を圧して威容を見せつけていた。

 その大きな建物だけを捉えるなら廃墟とはいえないかもしれない。


 建物はなめらかな手触りの石材を積んで造られていて、壁は蔦をまとって高くそびえ、風化もせずいまだ堅牢な状態を示していた。基礎部分には立方体の巨大な石が整然と並べられ、その材質も積み方も大魔界では見ない建築様式で俺たちは戸惑いを覚えた。

 何らかの遺跡だとしても、歴史に疎い俺には何もわからない。


 蔦の様子からは、もう百年以上も人の手が入った形跡がない。にもかかわらず、森に呑み込まれていないことが不思議だった。

 まるで建物自体が風化を拒絶し、この遺跡そのものが埋もれることを良しとしない意思をもっているようである。


 不意に来てはいけないところに来たような不安に襲われたが、ゴールドマリーには怯えた様子はなかった。

 俺は浮かない顔で尋ねた。


「マリー、水があるのはここで間違いない?」


「はい。どうも水源はこの中のようです」


「行く?」


「はい。いちおう外に井戸がないか確認してから建物の中に入りましょう。まだ水汲み場が生きているなら、きっときれいな水が期待できますよ」


 と彼女は実に嬉しそう。


 入り口は正面にあったので、俺たちは二人で足早に廃墟をぐるっと一周した。残念ながら井戸や水飲み場はなく、中に入ることとなった。

 いちおう俺が先に立つ形でやはり扉のない、大きな入り口をくぐった。


 屋内は天井が高く、階上はない造りだ。大きな建造物のわりに内部構造は単純そうだった。

 窓のない内廊下には不思議な光があり、見上げると天井の一部が発光しているためとわかった。壁には見たこともない文字と思しき記号が帯のように長く、そして至るところに刻まれている。


 とりあえず外壁に沿って進んでいたが、途中で内部へと入る隙間を見つけた。


 妙だ。実に奇妙だ。


 この建築物の建てられた目的が何も感じられない。部屋らしい部屋、屋外とを区切る扉といった住居や普通の建物にあるべきものがない。シンボルもなく宗教建築とも思えない。ただ意味のわからない文字が延々と書き連ねられ、それが乱雑に、または模様のように内壁を飾っているだけだ。

 まるで文字を書くためだけに建てられ、それ以外の機能や装飾を省いたかのようだった。


 そんな違和感を覚えつつ隙間を抜けると、そこには広々とした水場があった。ゴールドマリーは喜んで小走りにそちらへ寄っていった。

 そこは四方を水汲み場に囲まれた円形広場で、水は澄んでいて飲めそうだった。手ですくって口に含むと深山の湧き水のように清冽で、俺はもう一度飲んだ。

 マリーもその新鮮さに驚き、馬車から空の酒樽を持ってくると言い残して、走り去ってしまった。


 俺は彼女がいない間に他に何かないかと少し高くなっている中央の広場へと足を向けた。その広場は白く大きな大理石が敷かれただけの殺風景なもので、直径三十メートルほどの広さだった。水場も含めれば優に五十メートル四方はある。

 ただし、中央からぐるりと眺めてみると何もない。ここに食べ物は期待できないようだ。


 そのときだった。


「久しぶりの挑戦者か。ようこそ、万魔王殿(パンデモニウム)へ」


 少女の声が聞こえた。偉そうな口ぶりで、重く深みのある、実に渋い少女の声だ。決しておっさんの声ではないことを断っておく。


 振り返ると、床石の一つがせり上がって棺のような細長い柱が屹立し、その中から期待通りに小柄な少女が現れた。いや、正確には精巧に作られた少女の人形だ。あでやかなゴシックファッションの上にインバネスマントをはおる姿は、彼女が何者であるかをまったく語っていない。

 その頬は白磁器のように艶やかで硬そうに見えるが、彼女は何の苦もなく喋った。ただし、体が動くたびに小さくカキィンと硬質な音が響く。


「それで、挑戦者よ、あなたは何者かな……ふむ」


 人形の手がパッと開かれるなり、俺の頭上に妙な青い光の球が出現した。それが巻紙のように横に広がり、文字が書かれていく。人形はそれに目を通した。


「ナロウ王国の魔王子ポオ……近年で最も大魔王に近かった不良品の息子か。されど、肉体は虚弱で精神は惰弱。無妄角ながら魔力は期待はずれ。金なし。名誉なし。人望なし。……魔王戦の対戦者とするには、実にお粗末な出来栄えだが、まあ、頑張ってくれたまえ」


 いきなり喋りかけられただけでも驚いたのに、人形にディスられるなんて初めての経験だ。いやあ、アウトドアライフは本当に勉強になるなあ、なんて思うわけないだろ!

 何のことか理解できない俺は、マリーがいないのを幸い、伝法調に言い返した。


「初対面で随分な言ってくれようだな。テメー喧嘩売ってんのか? タイマンなら、こちとら三秒で負ける自信があンぞ、ああ?」


「ナロウ王国は過疎農村以上に後継者不足が深刻だな。ネガティブに大見得を切られたぞ」


 人形はこちらに歩み寄りながら、マイペースな様子でそう言った。マイペースにはマイペースで戦うしかない。伝法調ではうまく喋れないのでやめておく。


「おまえは誰だ?」


「私はデモンストーカー、ここの万魔王殿(パンデモニウム)の案内人だ。しかし、これは見事なまでに原始的で無味無臭な魔力だ。これぞ魔力の極致」


 とコケにした挙句、人形はためつすがめつ俺を観察する。奴から聞こえてくる、カリコリカリコリという駆動音が耳障りで腹立たしい。


「近年の傾向で、もっと優等生な魔族がやってくるものと思っていたが、偏向魔力はもってないのか?」


 魔姫レイリス、麗しのクラーケンの姫。贈り物をありがとう。

 俺はマントの上から腰を叩いて自信満々に言ってやった。


「バカにするな。それぐらい持ってる。再生(リジェン)の魔力偏向器だ。魔転輪だってある。それより、俺に何の用があるんだ?」


 魔転輪と聞いて、人形は不機嫌そうに目を細めたが、すぐに戻った。


「ああ、それはな、これから大魔王戦を始める。あなたにはある人物と戦ってもらう。そのためにこの円形闘技場(アリーナ)は封鎖した。逃げられないように」


「な、何だってえ!?」


 俺は仰天して、走って逃げた。しかし、見えない圧力に押し戻されて円形の広場から出ることができない。広場の端に壁があるわけではなく、一定ラインを越えるとその度合いに応じて反発力が強まり、ずるずると広場の内側まで戻ってしまうのだ。

 思い出して腰のコントローラーに触れたが、遠すぎてバフ卿(アバター)からのレスポンス信号はなかった。


 人形は俺の滑稽な姿を眺めながら二度手を打った。


「あなたはまだ魔王と呼ぶには不足だが、この国は長らく対戦相手を選出できていない。相手をもう何日も待たせているため、この際あなたで手を打つことにした。フッ、感涙にむせぶがよい」


 かすかな振動とともに二本目の床石が上昇した。俺がそちらへ顔を向ける間にそれは止まる。


「さあ、対戦相手の登場だ」


 突然、稲光と雷鳴が轟き、スモークが床石の隙間から噴出した。まるで総合格闘技大会の選手入場シーンの演出を思わせる。せっかくなので俺は頭の中でテーマ曲をつけてやった。選曲は異能力バトル系アニメ主題歌より、だ。

 長く伸び上がった床石の中ほどが継ぎ目もないのに開いた。若い男の声がする。


「どんだけ待たせるんだ。おせーよ、バカ人形が」


 中から見るからに強そうな男が現れた。長身で鍛え抜かれた身体の持ち主だ。

 硬そうな角が魔族であることを示し、簡素ながらも使い込んだ鎧が歴戦の戦士であることを窺わせる。眼差しは鋭いものの若い顔つきに威厳はない。とはいえファーのついたマントがそれを補い、それ以上につわものの迫力がよく似合う風貌だった。


 ひと目見て思った。こいつ気に入らねえ。


 人形はこの強そうな登場者を俺に紹介をした。


「さて、ポオ。こちらはあなたから見て異世界の覇王、グレイハウザーさんだ」


「覇王って何? 魔王よりおいしいの?」


 とぼけた問いにはとぼけた答えが返る。


「もちろん。彼の世界の『覇王』という称号は、この世界では『大魔王』に相当する。数々の魔王を倒して、屠って、喰らってきたということだ。こいつはぁ、うまいゼ?」


「こっちの『おいしい』とそっちの『うまい』はあきらかに意味が違うと思ふのだが」


「いや、そんなことはないはずだ……。ま、百聞は一見にしかずだ。これを見るといい」


 と人形は向きを変えて、今度はカカカンと素早く三度手を叩く。

 彼女の向いた先に大きな青い光が降り注ぎ、グレイハウザーと呼ばれた男の戦う姿が投影された。


 その映像の中で、異世界の覇王は彼に負けず劣らず強そうな仲間をわずかに三騎従えて、平原を埋め尽くす敵に突撃するところだった。

 絶望的に不利な情勢で特攻をかける姿はまるでゲーム中の光景のようだ。どんなに強くてもリアルファイトで無双なんかできるわけがない。

 俺のそんな心の内を読んだのか、人形が解説してくれた。


「これはグレイハウザーが覇王決定戦『グレートチャンピオントーナメント』で優勝したことに納得ができなかった、各地の闘技場国家の有力戦士たちが一斉に反乱を起こしたときの記録だ」


 理解できない単語がいくつも並び俺は首をひねったが、デモンストーカーは気にせず先を続ける。


「彼とともにいるのは、同じくトーナメントに参加したグレートチャンピオンたちだ。この年はチャンピオンが豊作の年で、彼らも例年なら覇王に充分ふさわしい実力の持ち主だ。ちなみにこのときの敵の数は七億五千万人ぐらいで、いずれも魔王あるいは準魔王以上という豪華さだ。実に見応えのある戦だった。……おお、ここだ、見たまえ」


 四騎の魔王が敵陣へ深く切り込んだ。そして三騎がバラバラに散って乱戦を始めた。引きの映像が急にアップになり、目の前にいる男とそっくりな人物が叫んだ。


『おぉらあ! 俺の攻撃を喰らった奴は酒樽で罰杯だぞ!』


 映像の中の楽しそうなグレイハウザーが馬上で片手を高々と上げた。その腕を覆うように三色の筋が三匹の竜を描いて輝いた。


『しっかり働けよ、駄竜ども! 炎牙氷爪の悪竜、五翼五鱗の暴竜、腐乱毒気の凶竜、大地を屠る槍を生め! 大地ボコり三竜撃グラウンド・ブレイク・ダウン!』


 ウムム……リアルゲームキャラクターだな。いや、ここは本当は新作ゲームの発表会場で、これはそのイベントムービーのワンシーンじゃないのか?


 俺の的外れな感想を余所に映像の中では想像をはるかに超える猛威が振るわれた。


 荒々しく腕が振り下ろされると同時にそこから三匹の竜の幻影が放たれ、三つの光の槍となって猛々しく大地に突き刺さった。槍は大地を凍った湖面のごとく割り、乱雑に傾いた地盤が大きな口を開けてその向こうにいる軍勢を呑み込んだ。


 その途端、映像は引きとなり、蟻のような戦士たちが地割れに落ち込むパニック映画さながらの大惨事を映し出した。

 実に大変なカメラワークである。これは、やはりアレだ。CGムービーだ。そうに違いない。


 人形の補足が入った。


「この一撃と余波の天変地異で一千万人ほどの魔王が死亡した。ちなみにこの技は魔術とグレイハウザーの闘気の融合技で、ここでは三頭だけだが、使役できる竜の総数は全部で七頭。七頭の組み合わせごとに違う効果があるし、同時に使役する数が増えれば増えるほど威力は指数関数的に跳ね上がる。どうだ、これなら満足できるだろう?」


 ヒィィィ~! 本当に大作映画のトレーラーフィルムではないのか!?


 思考停止した俺はただただ無表情に映像を眺めた。他にいったい何ができる?


 そこへグレイハウザーの噛みつくような声が割って入った。どことなく恥ずかしそうに見えるのだが、気のせいだろう。何せ劇中はノリノリだったんだから。


「おい、俺のことはいい。それより、そいつは蹂躙し甲斐のある奴なんだろうな。スッゲー美人だが、滅茶苦茶弱そうな女にしかみえんねーぞ」


 人形は再び俺の頭上に目をやる。


「ええっと、彼は男性だ……魔王子、だったな。名前はポオさんだ。この世界の魔力分類学的には様態変化位階という第二段階にあたる化学作用系の再生(リジェン)の偏向魔力を有する前途有望かもしれない若者だ」


 俺は誰か助けてくれそうな人はいないかと周囲を見回したが、人影はまったくない。トホホ、きっと『有望』と書いて『たなん』と読むのだ。


 言葉の意味を図りかねたグレイハウザーが首をひねったので、わかりやすい説明が追加された。


「わかりやすい言葉で表現するなら、チャンピオン以前のチンケなガキだ」


 それを聞いた途端、異世界の覇王は憤慨して人形に詰め寄った。


「そいつはどういうことだ! 俺は相当気合入れてきたんだぞ。変態魔力ってのは何だ!? 俺のこのやる気は全部無駄か!? いったいどうしてくれんだ!」


「そういきり立つな。それに変態ではなく偏向魔力だ。ここは彼のホームで、あなたはアウェイ。これで少しは差が埋まらぬかね」


「んなわきゃねーだろ! 魔王でもないってことは、そもそも俺と戦う資格がないってことだろ。こんなマッチングありかよ」


 わかってないと言わんばかりに人形は肩をすくめる。


「資質があるから私が対応しているのだよ。やってるうちに少しは歯ごたえが出るかもしれん。もし、それ以上文句を言うなら、あなたの不戦敗となるが、それでも構わないか?」


「チッ……わかったよ。そいつと戦えばいいんだろ。やってやるよ」


 覇王は嫌々ながらも勝負を受けることにしたらしい。つーか、勝負って何? 俺は何も了解した覚えはない!


「楽に一勝できてよかったな、グレイハウザー。さて……」


 と人形は笑顔でこちらを向く。


「ポオ、あなたにも一つ言っておこう。あなたは超魔王システムにより大魔王候補として選出された。生き延びたければ、彼を倒せ。この万魔王殿パンデモニウムは大魔王への近道となろう」


 俺が目を白黒させている間も話は続いた。


「さもなければ、万が一生き延びたとしても数日後にはモーブとやらに殺されるのだろう。男なら前のめりに倒れて死ねよ。気持いいらしいぞ、そういう死に様は。さて、それでは……」


 唇を動かす人形の姿が薄れ、完全に消える前に広場に掛け声が響き渡った。


「早速、ファイト(ファイッ)!」


 次の瞬間、グレイハウザーの鋭い正拳突きが顔面を襲った。目を閉じる間などなく、俺は凍りついたように動けなかった。だが、拳は当たる寸前に止まる。顔面を襲う風圧が俺をたじろがせた。


「マジにド素人かよ……」


 奴の舌打ちがまた聞こえた。


「おい、おまえ、パアとかいったな。死にたくなければ棄権しろ」


 人形の言葉を信用する気にはなれなかったが、魔王になれるかもしれないと言っていた。だいたいギブアップできるとも思えない。

 俺は両手を握ると泣きそうな顔でファイティングポーズをとった。




 異世界の覇王と俺の血湧き肉躍る戦いは非常に長い間繰り広げられた。これだけ戦えば強敵(とも)と呼んでも差し支えないだろうと思われるぐらいの激闘だった。

 その時間は人間界の時間に換算してざっと七秒。あ、ちなみに人間界と大魔界で時間の経過速度は変わらないから。


 正直に言うと、俺は異世界の覇王には敵しえず、彼の腕の一振りで円形広場の障壁まで吹っ飛ばされた。

 見えない障壁は人間界でいうダイラタンシー流体のように急激な勢いを吸収しつつ、死なない程度に柔らかく肉体を受け止めてくれた。大気に抱かれるような心地よい一瞬の後、俺の体はどさりと床に落ちた。


 キュ~。


 ザ・人間手裏剣として大回転させられた俺は目が回ってしまった。




『お兄様! ガンバ!』


 ガンバより頼れる仲間たちがほしい。


『残念だけど、お兄様には助けてくれるお友達はいないの。お兄様は一人で頑張らないと!』


 つれないなあ。お兄ちゃん、大変なんだよ。助けてよう。


『ごめんなさい、お兄様。あたしが力を使うと、お兄様はおろか世界が耐えられなくて、大変なことになるの』


 大変なこと?


『大魔界が滅んじゃうの。だから、涙が出そうなぐらい辛いけど応援だけにしておくね』


 マジかー。我が妹、パネー。けど、それじゃあ仕方がないな。


『お兄様は偉いなあ。あたしが一生懸命応援するから!』


 ありがとう。それだけでお兄ちゃんはあと十年は戦える。


『ふぁいとぉ! お兄様! でも、ちょっとだけ背中を押してあげる』


 ありがと……。




「ゥグッ!」


 次の瞬間、俺は背中に衝撃を受けて、反対側へ転がっていった。グレイハウザーの強烈な一蹴りは威力が体内を貫通して胸や腹まで痛みが走った。


 もちろん脳裏から脳内妹は消滅している。覇王とは何てひどい奴なんだ。俺の心に住み着いたマジ天使な妹との大切な語らいを邪魔するとは。


 俺はゴホゴホと空咳を繰り返しながら、体を起こす。とにかく魔力だけは巡らせてあったので、即死しなくてすんだ。いや、やはり、戦闘中に妄想なんてするもんじゃないか。

 彼我の戦力差は、例えるなら、放射能によって目覚め強化された大怪獣と竹槍武装の三等兵ぐらいの差がある。


 俺がふらふらと揺れながら立ち上がると、覇王グレイハウザーが悠然と歩み寄ってくるところだった。俺は振りかぶって魔力球を投げつける。奴のたくましい胸に命中した弾は破裂しても傷一つつけることができなかった。


「なんで!?」


 驚きの声に覇王は足を止め、呆れ顔で溜め息をついた。


「そんな威力じゃかすり傷だって無理だな。魔力の強さは絶対量だ。おまえから受ける魔力の圧はまるでそよ風同然だ」


 そよ風とは言ってくれる。が、その表現すら覇王にとっては過大評価であるらしい。奴は腕組みをして自信満々な態度でこちらを嘲笑った。


「俺様は戦いのプロ。いや、プロの魔王だ。テメーじゃ相手にならねえ。何つーか、ろくな魔力もないカスは涙流して帰ってください」


 俺は決して腕力に自信のあるほうではないが、ここまで見下されたことはない。このセリフにはさすがの俺もカチンときた。

 それに、これでも自分の意志でファイティングポーズをとったのだ。奴にバカにされたまま逃げることはできない。


 この二十年の人生における魔力操作の経験は魔転輪を利用した細かい魔力操作ばかりだ。その中で高出力なものはマスカットライダーキックだけ。ゲームなら、あれは必殺技にあたる。

 ゲームでは何でも強い攻撃を当てれば勝てるというものではない。ときには弱攻撃を連続して当てることで相手の体力を削りきることも戦法だ。俺には大魔界有数のゲーマーとして毎秒十六連射の超スキルがある。


 瞬間的に強い力を出すことができないなら、手数で押してやる!


「これなら!」


 俺は両手に青白い魔力球を生成すると、次々と投げつけた。小さな爆風が複合して覇王の長身を覆いつくす。だが、その歩みを止めることはできなかった。

 魔力がすぐに尽きる様子はないので、後ずさりしながら魔力球での攻撃を継続した。ただし、一番ダメージが通りそうな頭に集中させる。それでも覇王は少しうるさそうに頭を振っただけだった。


 じりじりと後退する俺は広場の端まで追い詰められた。


「効かない!? 何で!?」


「言っただろ。魔力は単純に多いほうが強い。あれは血液とともに体内を巡り、強大な魔力は溢れ出てオーラとなる。魔力のオーラは外部からの急激な影響を抑えるんだ。おまえだって同じことしてるから、まだくたばってないんだろ。そして、俺の感覚によると、おまえの魔力は俺と比べて段違いに弱く少ない!」


 異世界の覇王は優越感に満ちた顔でそう言うと、大きな拳で俺の頬を強く打ち下ろした。


「ッ……!?」


 もの凄い打撃が魔力の防御性能を遥かに凌駕し、目がチカチカするほどの衝撃を受けた。頬を押さえて倒れる俺。


 頭が一時的に朦朧としたが、それ以上に全身の痛みが強まり、すぐに明瞭さを取り戻した。気絶しなかったのは幸いだが、殴られたところからの鈍痛はひどいものだった。

 痛みが和らがないかと魔力を強く巡らせてみるが、逆に圧迫感で痛みが増しただけだった。


「……ん?」


 そのとき、魔力が急に吸い取られるような気がした。そして、痛みが和らいだ。いったい何が起こったんだ?

 痛かったはずのところを見ると、擦り傷や打ち身がなくなっている。同時に役割を終えた事象転写魔法陣が消えていくところだった。


 また、体中の魔力が腰に集まっていることに気づいた。そこにあるのはレイリス姫にもらった大型本だった。


不死不生の書(ライブ・アン・デッド)』。


 再生の魔力偏向器。


 突然俺の体が浮かんだ。グレイハウザーが俺のマントの襟をつかんで持ち上げたのだ。


「ほお、素の魔力だけじゃなくて、少しはそれらしい術も使えるじゃないか」


 覇王は自分の目の高さまで俺を上げた。眼前の皺を刻んだ若い顔は決して甘くない人生を送ってきたことを連想させた。これぞ絶体絶命のピンチ。


「だがな、次は少し力を入れる。おまえの貧弱な魔力では防げないし、治療もできない。これでオネンネしな」


 いや、これは勝機だ! こちらからも手を伸ばせば届く距離なのだ。

 俺は余裕を見せた覇王のこめかみを両の掌で挟む。間髪を入れず、残った力を振り絞った。


「喰らえ!」


 覇王の側頭部、角のすぐ下で爆竹が鳴るような軽い破裂音が響いた。俺は指が痛み、千切れそうな気がしたが、そのまま両手に魔力球を連続して生成し続けた。それはすぐにふくれ上がり、小さな爆発が覇王の頭を包み込んだ。


「クッ!」


 覇王は呻いてよろめいた。大きな拳が緩み、俺の体はどさりと床に落ちた。俺が初めて相手をたじろがせたのだ。

 俺は見上げると、得意げに言ってやった。


「単純に多いほうが強いんだろ。つまり、総量は少なくても、単位面積、単位時間でほんの一瞬おまえを上回ればいいんだ!」


 だが、絶対強者はまったく意に介していなかった。


「……ペッペペッ!」


 せいぜい両手を振ってまとわりつく煙を払う程度だ。マジか!?


「テメー、やってくれたな。鼓膜が破けるかと思ったじゃねーか!」


 奴の爪先が俺の腹をしたたかに蹴った。俺は呻いてのた打ち回った。


「あぐっ、アアッ……」


「弱い者いじめは好きじゃないが、俺にも一生をかけてやらなきゃならんことがある」


 奴は喋りながら近づいてくる。距離を離して時間を稼ぐために俺は下っ腹に力と魔力を溜めて立ち上がった。しかし、俺が何とか体を起こしたとき、奴はもう目と鼻の先にいた。


「そのためには異世界の魔王との戦いは勝ち残らなきゃならないんだ。おまえは諦めろ」

 

 覇王の魔力のこもった拳が眼前に迫る。咄嗟に左手で受け止めると、俺の手はパーンと音を立ててはじけてしまった。


 瞬間的に激痛が走り、俺は左手首を押さえてうずくまった。目を向けるとその先はなく、真っ赤な血が噴き出した。クソッ! 嘘だろ!?


「キャアァァァァァ!」


 甲高い叫び声が響いた。そして、グレイハウザーの追撃はなかった。覇王の顔は俺ではない余所を向いている。


 痛みに気絶しそうになったが、それがマリーの声とわかって俺は何とか意識をつなぎとめた。俺はありったけの魔力を左手首に集中させて血を止めようとひたすら溜め続けた。

 だが、それに効果はなく、流れ出る血とともに魔力もどんどん洩れ出てしまう。徐々に頭の中身が吸い取られるように感じ、目の前がぼやけ始めた。


 再び、マリーの叫びが聞こえた。俺の視界がまた明瞭さを取り戻した。


 顔を上げると異世界の覇王が眼前にいた。

 俺は気絶しそうな顔で立ち上がると、考えもなくただ右手で殴る。奴の分厚い胸板はそれをまったく受け付けなかった。痛む左腕をぶら下げて、何度も何度も叩いたが、通用するわけもなかった。

 一方、奴は黙って弱者を見下すだけだった。


 このままでは、奴が何もしなくても俺は失血死する。俺は黙って手首の先のない左腕を見た。わけもなく魔力を集中させたところで、助かるはずもなかった。代わりに、ここには俺のありったけの魔力を込めてある。このすべてを奴に叩き込む以外にできることは、もはやない。

 俺は残りの魔力も振り絞って左手首に集中させた。そこから炎のように見えるオーラが噴出した。


 油断してただ立っているだけだった奴の顔が凶悪に歪んだ。


 バレた!


 俺は反射的に魔力を込めた左腕を奴に叩きつける。しかし、当たる瞬間、俺の左腕は肘の上から切断されていた。

 俺の口は言葉にならない叫びをあげ、ただひたすら体を硬直させた。叫びがくぐもった声に変わると同時に俺は自分の足で立てなくなった。


 異世界の覇王は俺の胸倉をつかんで引き上げると静かな口調で語りかけてきた。


「そこまでのガッツがあるのか。マジで死ぬ気になれば、もっと強くなれたのにな。本当に魔王になったおまえと戦いたかったぜ」


 奴は感銘にも似た表情を浮かべ、右手で手刀を形作った。その手刀はまるで刃のような硬質のオーラを帯びていた。


 思えば、この手刀だけがグレイハウザーが唯一とった攻撃の構えだった。それ以外は拳で殴ってくるだけで、魔術はおろか魔力による遠隔攻撃すらしていない。

 さすがは大魔王クラスと言われた男。結局、俺は奴と戦う以前の存在だったのだ。デモンストーカーとかいう人形に乗せられたが、やっぱり無理だったのだ。


 グレイハウザーは手刀を大きく振りかぶった。


 これで終わりだ。突然攻めてきたモーブ皇国とは関係のないところで俺は死ぬ。

 ゲームなら、サブイベントでゲームオーバーといったところか。ゲームではないので、呪文で蘇生できることもない。朦朧とする意識の中で、背筋から滲み出る漠然とした恐怖に支配された。


 そのとき、前触れもなく腰のあたりが熱くなった。


 『不死不生の書(ライブ・アン・デッド)』からその熱が俺の体に乗り移ってくる。そのとき、床石の下からフルフルと微細な振動を感じた。

 それは断続的でわずかに触れる足の裏をくすぐり、盛り上がるようにすら感じた。まるで噴火の熱量が足の下に溜まっているようだ。


 と、急に白い星のようなきらめきが体を駆け巡る衝撃に襲われた。足の下から噴出したものが俺の体を通して魔術書に呑み込まれ、それがまた俺の体に還流する。


 俺の全身はカッと熱くなり、左腕の切断面がむずむずした。俺は暗転する視界の中で転びそうになり、先のない腕を奴に押し当てて体を支えた。

 同時に幾重もの光る魔法陣が腕を中心軸にして現れる。俺の欠損した腕が事象転写魔法陣を貫いており、大量の湯気を発した。


 次の瞬間、密着した腕先に痛みが走り、爆発するように腕が生えた。


「あ……?」


 異世界の覇王の口から不可解そうな声が洩れる。苦み走った顔は呆気にとられ、その口からは血がたらりと垂れた。


 誰も何が起きたのかわからなかった。しかし、覇王の手刀は振り下ろされず、俺の首も繋がったままだ。


 意識が鮮明になった俺は、再生した腕が奴の鎧を破り、胸板を貫いているのを見た。左腕が瞬間再生する過程で最初に形成された骨が鎧の隙間を通り、肉を切り裂いて心臓を貫通したのだ。その骨に肉と皮膚がまとわりつき、胸に大きな穴を開け、破壊した。

 『不死不生の書(ライブ・アン・デッド)』に記された太古の魔術にはそれだけの力があったのだ。


 俺とグレイハウザーは体を交差したまま倒れ落ちた。


 そして、人形により俺の勝利が宣言された。


「本魔王戦の勝者は、魔王子ポオ」


 いつの間にかデモンストーカーが俺の傍らに姿を現していた。


「おめでとう。これであなたも魔王だ」


 少女の形をとる人形は心の底から楽しそうな笑みを浮かべた。


「グレイハウザーよ、夢破れたな。圧倒的な実力差があったにも関わらず、敵のホームアドバンテージを覆せないとは、所詮ここまでの器ということか」


 そして、いけ好かない笑顔よりもさらにムカつく言葉を吐いた。


「心臓をえぐられても即死しない生命力は褒めてやろう。だが、ポンコツはいらんな。ポオ、勝者として止めを刺してやるといい。それが慈悲というものだ」


 自分で連れてきた男を、まるで壊れたおもちゃのように扱っている。慈悲という台詞がまったく似つかわしくない冷酷さだ。


 倒れた俺に重なるように覇王グレイハウザーの青ざめた顔が見える。心臓を潰されたのだから、血の気がないのは当然だ。彼の顔が苦しそうに歪んだ。さすがは異世界の覇王、まだ息があるようだ。


 奴をこんな目に遭わせたのは俺であり、デモンストーカーのことをとやかく言う資格はない。だが、人形に従うことにはこの上ない抵抗感があった。

 今俺の心を占めているのは自己嫌悪というやつだ。魔術書の、意図しない魔術が油断している相手を勝手に倒しただけのことだ。人形が俺を勝者と呼ぶことが実に腹立たしかった。


 俺は倒れたまま深呼吸をする。体に力が戻ってきたように感じる。おそらく、すべては魔術書のおかげだと思うが、痛みも消え、健康にすらなっている気がした。


 とにかくこの人形の言う通りにだけはしたくない。


 俺は自分の体を満たした再生の力をうまく新しく生えた腕に集めた。この力があるうちなら、もらった魔力偏向器に記された魔術を思った通りに使えるかもしれない。


「どうした?」


 いつまでも俺が腕を引き抜かないため、人形が問いかけてきた。


 俺はそれを無視して再生の魔力に集中した。

 『不死不生の書(ライブ・アン・デッド)』には様々な再生術とそのやり方が書いてあった。俺は腕を回して魔術書をホルダーから取り出し、床において開いた。


 心霊手術のページを走り読みしながら、血が噴出しないように少しずつ腕を引き抜いた。抜いたできた隙間に細かい光る魔法陣が幾つも現れる。

 俺は空いた隙間に再生の力を移して素早く組織を再生して傷口を埋めていった。


「クソッ……」


 うまくいかない。心筋の再生自体は順調だが、再生した細胞が周辺組織とあっという間に癒着していく。


「どうした? 助けるつもりなのか? たった今まで殺し合いをしてきた相手なのに? これを何と言ったかな。確か……お人よし?」


 人形が俺の悪態を聞いてからかいの言葉を投げかけてくる。その腹立たしい台詞に言い返さずにはいられなかった。


「少なくとも俺は生き残った。そして、グレイハウザーという男は俺の戦いにおける敵じゃない!」


「どんな世界にもそういう割り切った考え方がある。スポーツマンシップといってもよい。単に感傷にすぎないのだがな。ハン……、まあ、私もリザーブ処理をしなくてすむので、よしとするか」


 未熟な俺では完璧には治療魔術を使えないことはわかりきっていた。しかし、あのクソ人形の思惑通りというのは気に入らない。俺は『不死不生の書(ライブ・アン・デッド)』へ魔力を送り込み、可能な限りの魔術を引き出していった。


「ちくしょう!」


 今度は俺の腕に再生組織が癒着し始めた。人形の口から溜め息が洩れ、続く言葉は背後から聞こえた。


「そんなやり方では使い物にならなくなる。少しばかり教えてやろう」


 キ、キィンと音が響いて堅く細い指が俺の首を捉えた。そこから魔力が流れ込み、その魔力は魔術書へ潜り込んで必要な医療知識を探り出しては俺の中へと送り込んでいった。


「お、おお!?」


 急な知識の流入は俺の思考に戸惑いを生んだが、それもほんの一瞬だった。なぜなら、喉から手が出るほど欲していたものだったからだ。


 これならやれる。やれるぞ!


 新たな知識を活用して、再生魔術に成形修復の魔術を上乗せした。幸いなことに再生魔力による細胞強化のほうが上回り、腕を抜く過程でちぎれた部分は無事に修復することができた。

 たぶん、不死不生の書(ライブ・アン・デッド)の持ち主だったレイリス姫なら色んな医療知識を知っていてすべての魔術を自由自在に活用できるのだろう。


 俺が脂汗を垂らして再生魔術に心を砕いている間、人形は興味深そうに俺のことを眺めていた。

 その様子に俺はムカついて仕方がなかった。




 円形闘技場の障壁が消えるとゴールドマリーが泣きながら駆け寄ってきた。彼女は俺の緊急オペを見て倒れそうになった。血みどろだからね。仕方がない。

 俺は彼女に水を持ってくるように言って、その水で俺とグレイハウザーの顔をきれいに拭ってもらった。


 グレイハウザーは俺の腕が栓になって大量出血こそしなかったが、血液が体を回らなくなったので、死の一歩手前までいったのは確かだった。

 しかし、その一歩手間で心臓に鼓動が戻ったのは、奴の生命力がずば抜けていたからだろう。驚いたことに彼の意識もその後すぐに回復した。


 異世界の大魔王はまさに化け物だ。ま、ラスボスといえば、大抵が桁違いのHPゲージって相場が決まってるけどね。

 ところで、知ってるか? 少年マンガだと、死の淵から復活すると十倍以上のパワーアップをするんだぜ。この男がさらに強くなったのだとしたら、再戦しなくてすむことを切に願う。


 俺はグレイハウザーの目が開いてホッと胸を撫で下ろした。正しく再生できたか不安だったので、『不死不生の書(ライブ・アン・デッド)』のページをめくって、再生した体組織が正常かを確認する方法を探し、それを実行した。


 床にあぐらをかいたグレイハウザーは鎧に開いた穴を撫でながら不思議そうに言った。


「まずは礼を言おう。だが、異世界の住人である俺を助けても何の得もないぞ。おそらく二度と会うことはないからな」


「もちろん俺もそれを望んでるよ」


 憎まれ口を叩きつつも複雑な気持を抱く俺。

 当然、この行為が純粋な善意というわけではなく、反発心が主な理由であることはわかっている。

 ただ、彼は格下すぎる俺をいたぶるような真似はしなかった。せいぜい俺を試すように小手調べをしたぐらいだ。もっとも、その小手調べのせいで俺は死の一歩手前まで追いやられたわけだが。


 あえて助けた理由を言葉にするならば、乱暴な物腰とは裏腹に彼にはまじめな一面が感じられたことと、何かやるべきことを抱えているらしい言動が気にかかったからである。


 奴の不可解そうな顔を眺めて俺は肩をすくめた。


「う~ん、おまえを助けたのは、勝者の余裕、と言いたいところだが、オンライン対戦でのマナーみたいなものだな。圧倒的に強いのに初心者狩りをよしとしない対戦相手には、俺も敬意を表したい。今後は俺みたいに愛らしく可憐な非戦闘員が相手でも油断しないことだ」


 『愛らしく可憐な』のくだりを鼻で笑われた。


「オンライン対戦? 何だそりゃ?」


「人間界にいくことがあれば、調べてみるといい」


 異世界の覇王は『人間界』という単語に大いに驚いて素っ頓狂な声を出した。


「人間界だと! そんなものが本当にあるのか!?」


「あるよ。オタク文明の発祥の地だ」


「オタク文明?」


 フフフ、興味を示したな、貴様! それでは説明しよう! 途中で耳をふさぐなよ! ああ、人間界の話ができるなんて楽しいお~!


 俺はしたり顔で語ってやった。


「魔法以上の偉大な文化と技術を生み出した究極の文明だ。人間界の生物は先祖をたどるとすべてアキバハムートガハラという土地を起源とするらしい。そこに天上天下唯我全損のオタク文明は花開いたのだ」


「ほう……何を言っているのか、まったくわからん。よし! 俺を一回殺した奴が言うんだ。興味が湧いた。元の世界に戻ったら詳しく調べてみよう」


 そう言ってからガハハと勢いよく笑い、少し前まで穴の開いていた胸をガリガリと引っかいた。ついさっきまで瀕死だった男とは思えない行動だ。相当なタフさだな。

 グレイハウザーは天井を見上げて気のない風を装いながら言った。


「それより借りができちまったな。もし、奇跡的に再戦の機会があれば、最初から全力で戦うことだけは約束しよう」


 対して俺は全力で頬を引きつらせた。


 対戦前に見せられたPVでは、一千万人からの魔王の群れをけっこう軽~く地獄へ叩き落してたよね、君!


「いや、むしろ手を抜くとかじゃないのか?」


「おまえのハートはこれっぽっちも戦士じゃないな」


 それは子供が将来なりたい職業でもないよな。


「俺は魔王子。王子様だ」


 それも鼻で笑われた。だが、楽しげだった。初対面の印象とは裏腹に俺はこの男に好感を持った。

 グレイハウザーは精悍な顔で笑いかけてきた。


「ま、いいさ。おまえが俺に勝ったのは事実だし、俺はおまえのおかげで死なずにすんだ。それに何より、これまで対戦したどの魔王よりも弱くて、面白い奴だ」


「だから、魔王じゃなくて、魔王子だっちゅーの。それより、どうやったら、おまえみたいに強くなれるんだ?」


「俺は毎日戦いに明け暮れていた。気がついたら、所属国であるアルテミア闘技場で一番の戦士になっていた。それだけのことだ」


「いや、そういうのじゃなくて、俺が何かコツを教えてもらったら、すぐに強くなれるとか」


 今度は軽蔑の眼差しをいただいた。


「楽して強くはなれん」


「ハハハ……。異世界の大魔王に勝てても、残酷な現実には勝てないのか……はあ」


「何だよ~、困りごとか? 水臭いな。拳を交えた仲だろ。ちょっと異世界のお兄さんに話してみろよ」


 妙に気安いな。クソぅ。


「他人事だと思って。まあ、いいか。検査にはまだ時間がかかりそうだし……」


 俺はかくかくしかじかと数日前からの出来事を話した。ナロウ王国がモーブ皇国に侵略されたこと。三日後には俺は斬首刑に処される予定であること。それを回避するために徒手空拳で北へ向かっていること、などなどだ。

 それなりの長さになったので、話の間に検査は終わり、奴は健康体と判定された。


 よい結果が出たくせに、グレイハウザーは落胆した己の顔を両手で覆った。


「俺はこんな奴に負けたのか。恥ずかしくて誰にも言えねえ……」


 そっちかよ!


「ひどいな! 話せって言うから話したのにその反応はどうよ!?」


「いや、すまん。我ながら不甲斐なさすぎてな。ま、そういうことなら、一つだけコツを伝授してやろう」


「マジ!?」


 小躍りして喜ぶと彼は俺を立ち上がらせ、二人で向かい合うように立った。

 グレイハウザーの大きな拳が振り上げられ、俺は期待顔でそれを見守った。オラ、ワクワクすっぞ!


 異世界の覇王の満面の笑みは凶悪だった。


「心臓を破壊されて、さすがの俺様も弱ってるからな。今は調子が絶不調のときの、さらに百万分の一ぐらいに魔力が減衰してる。だが、そんな俺の貧弱パンチでも、おまえの一万人ぐらいならワンパンですり潰せる威力がある。ギリギリのラインまで追い込むにはちょうどいいよな?」


 俺は何が起こるのかを悟った。


「え? あの、俺、君みたいな戦闘民族じゃないから……ドォゴボグエッ!」


 逃げる間もなく大きな拳が俺の腹にめり込んでいた。






入場曲が欲しかったなあ……。



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