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『今どきの魔王子』の処世術  作者: ディアス
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デッド・マン・コントロールド



ベッドの下。


それは秘密の花園。


みんな! 覚えがあるだろ!






 みなさーん……魔力、ありますかあぁぁッ!?


 魔力がぁあればぁぁ何でもできるぅぅぅ!


 それが、大魔界の成功方程式!


 だけど、失敗をノーカウントにはできないぃぃぃ!!




 ◇ ◇ ◇




 人は取り返しのつかないことをしでかすと、現実逃避という無の境地へと至るらしい。今の俺はまさにそんな心境の直前にいた。


「やっちまった……」


 ぽつりと呟いた。


 血生臭い床に尻をつけ、壁に背もたれて痛む足を投げ出した状態だ。死闘を繰り広げた部屋には俺一人しかいない。情報を聞き出すだけのはずが、降伏勧告にきた敵国の使者をぶち殺してしまった。


 セイヴィニアとかいうモーブの魔皇女は正直に話せば許してくれるだろうか。




『もちろん許してくれますよー』


 そうかな。そんな簡単に許してくれるかな。


『お兄様に頼まれたら、誰だって許します!』


 そうか。そうだよね。じゃあ、予行演習をしよう。まず、お兄ちゃんからね。


『わかりました。私は敵の軍団長役をやります』


 すんません。間違えて殺しちゃいました。おたくの使者。


『それは仕方ありませんねえ。間違えは誰にだってありますよ』


 ですよね~、アハハハ。


『そうですよ~、ハハハハ』




 さすがは我が妹。無限の優しさの持ち主である。


 しかし、俺がその立場なら、そんなことを言った奴は即行で首チョンパにしてやる。

 そもそもあんなエロ狼を使者に選定するわけだから、その主人の性格は推して知るべし。優しさなんざ期待できるわけもない。ガックシ。


 こうなったら逃げるしかない。


 しかし、勝利との引き換えにより俺の右脛は折れ、動きのとれる状態ではない。それらしく表現するなら、脛骨(けいこつ)腓骨(ひこつ)の単純骨折である。

 患部はジンジンと痛んですでに青黒く腫れあがっており、ゴールドマリーが手当てをして添え木を当ててくれた。俺は痛いことが大嫌いなのだが、医療知識が乏しい上に痛み止め効果のある魔力などは使えないときており、涙を流しながら耐えるしかない。いやあ、俺って男だね!


 ただ、炸裂したマスカットライダーキックはこの上なく格好良かったのだろう。手当てをするゴールドマリーが感動のあまり感涙にむせんでくれた。


『ポオ様、無事でよかったですぅ。マリーは、マリーは、本当に怖かったんですよ。でも、ポオ様は必ず守ってくださると信じてましたよぉ~……』


 お~い、おいおい、と続く。しばらくこのままかと思ったが、時間がないことを伝えて、何とか泣き止んでもらった。


 今は最後の希望であるマリーが御者台へ行って姉に状況を説明しているところだ。聞いてくれるかはわからないが、逃走するよう指示を出してある。

 これは妹の気持をどれだけ汲んでくれるかにかかっていた。


「絶望的だ……」


 痛みそっちのけで俺は頭を抱える。


 マリーはとても意気込んで部屋を出て行ったが、メリーが指示通りにするかは、よくて五分五分。彼女は俺ではなく、近衛隊に帰属している。

 もし、妹の安全を考えるのであれば、何はともあれマリーを俺から引き離し、この自分勝手な魔王子の身柄を近衛隊に委ねるだろう。


 そんなことを考えているうちに馬車が停まった。どうやら賭けには負けたらしい。俺は床に尻をつけたまま近衛兵がくるのを今か今かと待ち受けた。


 コンコンと扉がノックされた。覚悟を決めて入室を許可する。シルバーメリーが扉を開いて姿を現した。彼女一人だった。


 ついにきた。


 護衛官は仏頂面で言った。


「ポオ殿下、お客様がいらっしゃいました」


 客と言う響きは俺に首を傾げさせた。拘束します、ではないのか?

 痛みと涙をこらえてシルバーメリーの言葉を待った。


「殿下に至急お会いしたいとのことです」


「オフト隊長?」


 近衛隊長のエルフ顔を思い出す前に否定された。


「いいえ。ダーゴン伯爵のご令嬢、レイリス・クラーグス様です」


 クラーグス家といえば由緒正しいクラーケン一族であり、今は亡き正義の使者の次の訪問先であった。この惨状において、いろんな意味で迎え入れることができない相手だ。


 銀毛の姉の普段と変わらない対応に俺は恐る恐る尋ねた。


「マリーから聞いてない?」


 すると、メリーははっきりとわかる舌打ちをした。そして、深々と溜め息をつく。しかも苛立たしげに。


「はぁ……。聞きました。殿下を助けてくれと泣きつかれました。だから、護衛隊をまこうとしました。折りよく濃い霧が出てきて、それにまぎれて逃げられると思った矢先に護衛隊のほうでこちらを見失ったようです。本来ならこんな職を失うような真似は絶対にしません」


 実に不服そうだ。失業の危機に瀕したのだから、当然の反応だよな。


「それで、お会いになりますか?」


 とりあえず俺はホッとしたのだが、この面会希望についてはどうにかして回避しなければならない。


 ただ、訪問のタイミングが悪すぎることが気がかりだった。狙ってやってきたのであれば、どんな話をするのか会って確認する手もある。

 俺は手近な椅子に何とか腰を落ち着けると尋ねた。


「お客様は何人?」


「わかりません。伯爵令嬢は馬車に乗っていらっしゃいますが、供回りに護衛はいないようです。内密にお二人だけでお話をしたいそうです」


 なら、決まりだな。小娘一人恐るるに足らず、である。そこッ、情けないとか言わないで!


「それなら、会ってみましょう。部屋を片付けるから、メリーも馬車から出てもらっていい?」


 俺はシルバーメリーが馬車を出た頃合を見計らって馬車に仕掛けてある魔術を起動した。

 時間をかけて作り込んだ空間魔術は室内の上下左右に事象転写魔法陣を出現させた。今頃は馬車の車体そのものや他の部屋にも同様の光る魔法陣が展開して車内を組み変え始めているはずだ。

 部屋の外で大きな音を立てて物が動く音が響く。秘密基地の各部屋が四方に動いているのだ。ものの十秒ほどで重々しい騒音はやんだ。

 続いて指を鳴らすと、室内が少しぼやけた透明のブロックに変じて分割され、一つがすっと消えると乗り込んだときの狭い車内が現れた。そして、次々に消えては入れ替わっていった。


 元の狭い馬車に戻ると、俺は顔の血痕を拭ってから扉の窓を開けた。そこは真っ白な濃霧に包まれて、町の中であることがわからないほどであった。


「もういいですよ」


 すると、外にいたゴールドマリーが一台の大型馬車を誘導してこちらのドアすれすれに横付けさせた。窓から手を伸ばせば相手の馬車に手が届きそうなほど近くまで寄る形となった。


 向かいの窓が開き、そこから蒸気のように濃い靄があふれ出す。それを吸うと水中のように水気が肺に入り、俺はむせ込んだ。どうして馬車の中のほうが濃いんだよ!

 その靄は馬車とその周囲をさらに厚く覆い隠してすべてを呑み込んでいった。


 暗い車窓から若い娘が繊細そうな顔を覗かせた。肌は水中をさまよう死者のように青白く、目の周りが黒ずんで見えた。また、濡れたように艶のある灰白色の髪の持ち主だった。


「ポオ殿下、申し訳ございません。これは水殿馬車なので、水棲種族向けの環境を作り出してしまうのです。ご不快でしょうか?」


「そ、そ、ゴホ……そんなことありません。ちょっと風邪気味で喉が痛いので、痛みが和らいでちょうどよいくらいです」


 彼女は何か期待するように俺を見つめた。しかし、俺が戸惑って言葉を失っていると彼女は少し寂しそうに名乗った。


「そ、その……初めまして、わたくしはドレド・クラーグスの娘、レイリスです」


 クラーグス家は太古から続く名家で、ダーゴン伯爵位も代々クラーグス家が継承する。ザックスリー家ほどの権勢はないが、有力なナロウ貴族の一つであり、バッツ家よりは確実に家格が上である。


「ええ、初めまして、レイリス姫。早速ですが、どうして私に会おうと思ったのですか? もう晩餐の時間でしょう。それに私の居場所も、どうして?」


「それは、わたくしがモーブ皇国の使者の方のお迎えに遣わされたからです」


 彼女は死相めいた黒ずみのある目元で笑った。血圧の低そうな微笑はそのまま事切れそうにも見えるが、話は続いた。


「ザックスリー公爵様のお屋敷では、すでに出られたとの話でした。殿下に同行したと伺ったときに、ちょうど殿下の馬車を見かけたので追いかけたのです」


「よく見失いませんでしたね」


「それは……」


 と言いにくそうに一度濁した。


「殿下の馬車は目立ちますから」


 そーでした。確かにナロウの瀟洒な街並みの中じゃ違和感あるよね。


「それで、バフ卿は殿下の馬車に乗っておいででしょうか? こちらに移っていただいて、お連れしたいのですが……」


 そのとき、足の痛みが襲ってきた。俺は思わず呻いて窓枠を握り締める。会話に集中して油断していると不意の激痛には耐えられない。

 突然の苦悶にレイリスは驚いたのか黙ってこちらを見つめるばかりだった。


 俺は顔を上げると、苦笑いを浮かべた。


「ふう……ちょっと足の調子が悪いんです」


「あの、とても痛そうなのですが、いったいどうされたのですか?」


 頼むから突っ込まないでくれ。


「ちょっと折ってしまって」


「まあ、それは……。よろしければ、わたくしが治療いたしましょう」


「そんなことができるの?」


 疑われ、レイリスは意気消沈した様子で答える。


「殿下の関心がないのは残念ですが、当家は再生の魔力(リジェン)で名高いクラーケン族です。わたくしの得意とする魔力特性も再生です。身体的な損傷は癒してさしあげることができます」


 気が緩んで泣きそうになるのをこらえてお願いした。痛みを必死に我慢する顔はさぞかし珍妙なものだったことだろう。

 しかし、彼女はそんな感想を少しも抱いていないように淀みなく窓枠から手を出した。白い指がこちらへ向く。


「では、こちらに手を伸ばしてください。その手を握ります。ポオ様は目を閉じて、わたくしがよいと言うまで決して目を開かないでください」


「どうして?」


「ポオ様を驚かさないためです」


 その台詞だけ有無を言わせない迫力があった。俺は否応なく頷いて目を閉じた。


 窓の外へ出した手がひんやりとしたか細い指につかまれた。すると、その指を伝うように何かぬめるものが俺の腕を這い登っていった。それは肩を通り、少し躊躇すると背中へ回った。

 俺の肌を通して触覚ではない別の感覚がその長くぬめったものに魔力が通っていることを感じた。


 ぬめりが俺の痛む背中を優しく撫でる。触れたところに甘噛みされるような感触が走り、すぐに消えていった。それは同時に痛みを取り去っていた。目を閉じているのでわからないが、おそらく事象転写魔法陣が生じているはずだ。

 続いて腰から下にぬめりが伸び、今ではずきずきと痛む脛を優しく包んだ。すると、強い痛みは疼痛に変じ、徐々にそのうずきも静まってしまった。


 ぬめりは現れたときと異なり、強く引き戻されるように素早く消えた。そして、レイリスの声が聞こえた。


「ポオ様、もう目を開けて構いません」


 レイリスの心配そうに微笑む顔が、結果を気にしてこちらを覗き込んできた。


「これで治療は終わりました。痛みをとり、折れた骨を接ぎましたが、骨折は一時的についている状態です。あと三時間もすれば完全に治りますので、それまでは不用意に動かさないようにしてください」


 痛みがひき、内出血と腫れもなくなっている。麻痺させているのではなく、治療して損傷を治したために痛みが消えたのだ。


「凄い! もう痛くない。まるで治ったみたいです」


「いやですわ。本当に治しましたのに」


 少し傷ついたと言いたげだが、まんざらでもない様子だ。


 魔力で負傷を治すなんてゲームやマンガの中だけの話だと思っていた。大魔界の魔術力の高さは人間界のRPG(ロープレ)に匹敵する。いや、これ、褒め言葉か?


 俺がしつこく感心していると、不意に彼女は怪訝な顔をした。それから尋ねにくそうに口を開いた。


「あの……殿下の魔力は真核(しんかく)段階でいらっしゃいますか?」


 真核段階とは、魔力の成長の段階を表す単語である。魔力は便利な力だが、魔族のすべてがそれを有しているわけではない。素質のある種族、そして才能ある者だけが持てる特権でもあった。

 魔力の初期は原生(げんせい)段階と言われ、その能力は力学的作用がせいぜいである。まあ、人間界であれば厨二病発症待ったなしの能力だが、大魔界の魔力としては貧弱極まりない。


 その魔力の価値と効能は次のステップである原核段階で初めて得られる。そこで様々な特性を備えることで用途が広がるのだ。

 そして、最終の真核段階に至ることにより強く、多様な作用を世界に及ぼすことができる。例を挙げるなら、炎を操る、落雷を起こす、硬軟を変化させる、毒や薬効を生み出す、などなどだ。


 ちなみに、俺の出自であるスターライト=デーモンは、ご先祖のスッピンデーモンが星光の魔力(スターライト)と呼ばれる絶大な力を得て大魔王となったことから生まれた種族である。そのため、魔力については底なしとされる夢魔族よりも上とみなされている。

 そして、俺は魔力の成長に関する質問が一番嫌いだった。だって、ぼくの角、小さいんだもん。


 故に口をモゴモゴ動かして答えた。


「えっと……まだ、原生……」


 レイリスの口元に手が当てられた。開いた口がふさがらないといった風情である。この失望感がたまらなく嫌いなのだ。魔王の息子だから魔力に優れているって誰が決めた。


「そうでしたか。……では、『魔力偏向器(まりょくへんこうき)』はお持ちですか?」


「いえ。いくつも試したのですが、まったく変化しなかったので諦めました」


 だから、今でも私の魔力はアメーバ状態。単細胞生物並みということだ。……文句あっか!


 ちなみに魔力偏向器(まりょくへんこうき)とは魔術を宿す道具のことで、『偏向魔力』とも呼ぶ。

 代表的なものとしては、魔術を組み込み、その魔術自体を知らなくても行使できるマジックアイテムだ。アクセサリーのような装具、文具であることが多いが、特性をもった魔力そのものを内蔵した呪具や武具、あるいは魔術そのものを記した魔術書などの場合もある。


 こういった魔力偏向器を使って魔術を何度も行使することで、魔力がその特性に馴染み、真核段階へと成長できるのだ。


 さて、俺の返答は軽い驚きをもって迎えられた。その証拠に血の気のない唇が開いてから言葉が出るまでに間があった。


「……そうでしたか。ところで、どうして骨折をなされたのですか?」


 彼女は気まずそうに言葉を切った後、すぐに話題を変えた。


 俺にとってはこっちのほうがもっと気まずい。と言うより、マズイ!


「骨が折れやすいのです。虚弱体質だから」


「虚弱体質? それで、その折れやすい骨が折れた原因はどのような?」


 いい加減な言い訳は軽く流されて、さらに追及された。だが、先に答えを出したのは彼女のほうだった。


「バフ卿を殺害されたのですね。そのお召し物の汚れはそのためでしたか……」


 俺は言い当てられて何も言い返せなかった。いかに疲れていたからといって服を着替えるのを怠った自分に対して心の中で悪態をついた。

 どうにか言い抜けようと思ったが、考える力が麻痺したかのように思考がまとまらず、この先に待ち受ける悲惨な運命ばかりが頭に浮かんでくる。多分、生かしたまま敵に差し出されて、拷問の上で極刑に処されるのだろう。


 俺はクラーケン族の魔姫に劣らず青ざめた顔を背けた。シルバーメリーに命じて、この場を逃げ去るしかない。

 いや、メリーもバレたことを知れば、さすがにこれ以上は無駄だと悟り、彼女自身の手で俺を捕まえるかもしれない。


 嫌な想像ばかりしていると、レイリスがおずおずと手を挙げて俺の注意を惹いた。


「あの……わたくしが殿下に助言をしてもよろしいでしょうか?」


 早く自首したほうがよい、とか言うのだろう。俺が力なく頷くのを見てから彼女は続けた。


「殿下には二つの道があります。一つはこのまま逃げて見つからないように誰もいないところで生活を送るのです。発見されるのではないかと怯えながら毎日を送り、運がよければ、人知れず死んでいけるでしょう。さもなければ、ある日突然モーブの兵士が現れ、捕縛され、処刑されるまで牢獄で暮らすのです」


 淡々とした語り口は耳に心地よく、俺は呆然としつつも聞くことができた。が、二つ目の提案が思考力を呼び戻してくれた。


「もう一つの道はあなたが魔王となるのです。力を蓄え、敵を叩き潰す絶大な強さを誇る魔王となるのです。そうなれば、誰もあなたを害することはできません」


 大魔界に割拠する魔王たちはいずれも劣らない凄い力がある。武力に秀でた者もいれば、知力でのし上がった者もいる。そのいずれにも共通して言えるのは、超常の魔力を有していることだ。

 だが、俺はその肝心の魔力に自信がないのだ。モーブ皇国の目から逃げ続けることより、魔王にふさわしい実力を身につけることのほうが千倍も難しいだろう。


 気力を挫かれた俺はセルフプロデュースも面倒になり、ぶっきらぼうに言い返した。


「どうやって強くなればいいんだ? 俺の魔力は原生段階だと言っただろう。確かに、人間界との行き来とか、ゲームとか好きなことには頑張って魔力を活用するけど、実用的な魔力は欠片もないんだよ。絶大な強さ? 魔王なんてとんでもない」


 レイリスは思いの外驚かず、むしろ準備していた台詞を口にするように滔々と語った。


「殿下は、魔王陛下の称号『スターロード』の所以となった星光の魔力(スターライト)の血統、大魔王の血筋です。この魔力は特性分類では星海系に属する希少なものであり、また大魔界運命体系では世界機構位階に基盤をもつとされる大変価値ある力です。むしろ、殿下にできないはずがありません」


 言い聞かせるような台詞は気持を無視して耳の鼓膜を通じて意識の中に入り込む。

 俺は押し黙った。


 大魔王。それは大魔界でごくスタンダードな昔話だ。彼女の話した内容にしたところで、俺は知っているものだ。趣味に走った魔術研究の過程でそれぐらいは勉強した。

 だから、彼女の口にしたことの無意味さがよくわかった。俺は原生段階なのだ。それの意味するところは、すなわち……俺に星光の魔力(スターライト)はない、なのである。


 要はコケにされているのだ。


 俺は冷ややかな視線とそれ以上に冷たい口調で返した。


「どうすれば、それが手に入るんだ?」


 励ましたつもりだったのであろう、レイリスは困ったような顔で少し思案する。


「……北のハーデンの森は大魔王の生まれた(ゆかり)の地だと聞きます。あの森に行けば何かつかめるかもしれません」


「で、何がつかめるんだ?」


「それは……」


 と、そのまま口をつぐんでしまった。


 大魔王(ゆかり)の地などというものは世界各地にあり、場所によっては史跡として観光地化しているところもあれば、ナロウのように言い伝えだけで実体のない土地もある。結局のところ、彼女も何をどうすればよいのかはわからないのだ。

 いや、そもそも俺なんかが大魔王になれるなら、どこぞの魔王がすでになっている。


 このまま沈黙を続けることに意味はなかった。俺は言葉遣いを戻して謝罪する。


「失礼なことを言ってごめんなさい。あなたは素敵な魔力の持ち主だ。ありがとう。私はもういきます」


「あ、待ってください」


 レイリア姫の声は白い靄の壁に吸い込まれて消えた。これ以上の話はないと俺は突き放す。


「私はあなたの助言に従って逃げることにします。追っ手がかかる前に」


「殿下は誤解されています。わたくしはあなた様のお味方です」


 その言葉は俺の胸の内で甘く響いた。嬉しい気持がにじんだが、会ったばかりの相手の優しさを鵜呑みにするわけにはいかない。悟られないようにそれを力に変えて、鋭い口調で問い返した。


「味方? なら、誰の敵?」


「誰の敵でもありません」


「だったら、俺の敵は誰だ?」


 クラーケン族の魔姫は食い下がった。


「それはわかりません。ですが、殿下が窮地であることはわかります。とにかく状況を打開しなければ、なりません。まずはポオ様のお命です」


「だから逃げるしかない」


「逃げ切れますか?」


「他にどうしろって? 殺されるのを待てって?」


 彼女は窓枠から身を乗り出した。透き通るように白い肌がほんのり紅潮している。


「違います。殿下がモーブ皇国軍を退けるのです」


 ダメだ。この魔姫は狂ってる。四つの騎士団を擁するナロウ王国軍が全力をもってしても抗し得ない軍勢に、この俺が勝てると思っているのか?

 確かに魔王と称されるほどの人物なら一軍を相手にひけを取らないのかもしれない。だが、それを俺に求めるのは間違っている。


 どうやら彼女は俺を魔王に仕立て上げたいらしい。


 俺は深呼吸をして怒りを抑え込んだ。


「先ほどの話のとおり、私は大魔王どころか、魔王になれるほどの魔力もなく、大軍を退けるような真似はできないのです。ありがとう。あとは私の問題です」


 レイリスは断固とした口調から俺の気持を察して身を引いた。そして、傍らから一冊の大きな本を取り出し、窓越しに差し出した。


「わかりました。では、せめてこの魔術書をお持ちください」


「これは?」


再生(リジェン)の偏向魔力であると同時に太古の魔術書です。わずかな時間では魔力の向上は望めませんが、この書に記される生死に関する様々な魔術がお役に立つかもしれません」


 俺が胡散臭そうに一瞥するのを構わず、彼女は続けた。


「呪式自体は廃れて久しい古いものですし、現代の魔力偏向器のように携行に優れたものではありませんが、もし、ポオ様の魔力にこれが反応して使うことができるのであれば、きっと魔王への道を開くものとなるでしょう。では、使者を当家にお連れする件については、父にうまく言っておきますのでご安心ください」


 言いたいことを一気に言い切ると、彼女は俺の手に魔術書を押しつけた。そして、すぐに馬車を出し、その場を去ってしまった。


 儚げな外見からは想像できない強引さだ。呆気にとられていた俺は気を取り直すと、ゴールドマリーに乗車するよう指示を出し、御者台に合図を送った。

 それから、どんよりした気分を忘れるように、プレイルームに置いてある積みゲーのことを思い出した。


 俺は重たい本を片手にプレイルームを呼び出すと、その奥へと引き上げた。


 薄れつつある白い霧のベールをくぐり、馬車は当てもなく進んでいった。




 ◇ ◇ ◇




 蒼い髪の戦士ブルーウォーリアは左右にもつ戦斧を振り回して周囲の雑兵を蹴散らした。

 敵小隊長の剣撃を斧で難なく弾き、相手が怯んだところに重量級の一撃を加える。流れるような動作で両手を動かすと、まるで草を刈るように敵兵がバッタバッタと倒れていった。


 枯れ木もまばらな荒れ果てた大地に立つのは、ブルーウォーリア以外では黒い鎧甲の敵兵ばかり。戦力差は一対一万。どんな気休めでも覆せるとは口にできないような劣勢だった。

 しかし、その背後、少し下がったところで紅い髪のレッドナイトがいた。彼が両手剣を掲げると、その周囲に赤い旋風が渦を巻き、両手剣を竜巻のように旋回させると群がる敵は木の葉のように吹き飛び一掃された。これで二対一万。


 呼応するかのようにブルーウォーリアの戦斧が光り輝いて巨大化した。それが凄まじい勢いで振り下ろされる。

 竜の牙のように巨大な戦斧は大地を震わせ、前方の敵を光とともに消滅させた。同時に紺碧の宝玉が割れて鎧から剥がれ落ちる。

 宝玉の消失と同時にブルーウォーリアはふらついたが、何とか踏みとどまる。


 レッドナイトが動きを止めて相棒を見やる。ブルーウォーリアは片手を振って無事を知らせた。


 その後も蒼い髪の戦士と紅い髪の騎士の快進撃は続いた。行く手を阻む分厚い陣形をものの五分で突き崩し、援護もないまま黒い鎧の軍勢の本陣にまで到達してしまった。


 陣幕の内に入るや、二人の行く手に手強そうな鎧武者が立ちはだかった。その武者は輝く鎧甲を身にまとい、見事な細工の手槍をもっていた。ひと目で並みの力量ではないとわかる迫力えんしゅつが二人を圧倒する。

 武将はブルーウォーリアとレッドナイトの両名を指した。


『たった二人でここまで攻め込んだか……』


 敵将は槍をくるくると回すとスカしたポーズを決める。


『我は天墜幻影剣のサンダルフ。まずはよくやったと褒めてやろう。だが、貴様らの軍勢はすでに総崩れよ。そして、この奥は我らが天轟将姫ミカエラ様が御前。このまま通すことはできぬ』


 ブルーウォーリアが戦斧をグルグルと回してやる気を見せると、レッドナイトが戦斧に手を添えると紅蓮の炎が肉厚の刃を覆った。魔法による火属性のエンチャントだ。二振りの斧は激しい炎を噴き上げ、危険な光を放った。


『いざ、尋常に勝負!』


 鎧武者サンダルフは短い手槍をしごいて、ブルーウォーリアに突きかかっていった。ブルーウォーリアは戦斧で前面を防御しつつ前衛らしく前に出る。

 サンダルフは槍を引くや華麗な身のこなしで鋭い突きを放った。青い影が素早いステップで横に動き、難なくかわす。しかし、その脇腹は鋭利な刃によってえぐられていた。


 そのとき、ブルーウォーリアの背後ではレッドナイトが居並ぶ鎧武者に魔法の矢を放っていた。相手はサンダルフと同格である七天剣の武将たちだ。

 それが口火を切ることとなり、七天剣の残り六人が一斉に襲いかかってきた。


 が、七人の敵将がブルーウォーリアに当たることはなかった。七枚の刃が前後左右とところ構わず斬撃を放ったが、蒼い髪の戦士のステップは刃の軌道を読み切ったかのように的確で、一人ひとりに致命傷になるカウンターを叩き込んだ。それが七回繰り返された後には七人の鎧武者が地面に転がっていた。


 ブルーウォーリアとレッドナイトはさらに奥に進む。左右は錦の垂れ幕が空の高みから下がり、まるで敵陣は地形そのものといわんばかりであった。その最奥に柄の異なる幕が見えたが、二人が近づくと緞帳のようにするすると巻き上がっていった。

 その向こうで激しく立ち昇る気炎(オーラ)をまとった姿が立ち上がった。

 天轟将姫ミカエラが満を持して現れたのだ。吊り目を細めて侵入者に微笑みかける顔はおのが力に絶対の自信をもち、優越感に満ちている。


『なんじゃ、下郎めら! 七天剣を破った実力は認めてやろう。しかし、その威勢もここまでだ。わらわの薙刀テュポーンの錆にしてくれよう。かかって参れ!』


 鎧からはみ出しそうな乳房を揺らしてミカエラが打ちかかってきた。

 同時にブルーウォーリアも嬉々として踊りかかっていった。


『あひぃん!』


 これまでに斃されたどんな敵よりも艶のある声を発して彼女は打ち倒された。




「惜しい。84点」

 

 俺は仰向けに倒れつつあるミカエラの胸を見つめて、そう呟く。下から見上げるような角度でバストを眺めるタイミングは、ゲーム中ではここしかない。男としてこれを見逃すわけにはいかない。


 ご褒美ショットを脳内再生してから、コントローラーを机においた。スピーディーな操作で疲れた両手を振る。今日のコントローラー捌きはキレッキレで、モニターに映る蒼い髪のマイキャラは瞬く間にそのマップを制圧してしまった。さっすが、俺!

 う~ん、ゲームならちょろいんだよな。敵の数がこの十倍でもいける自信がある。操作が面倒なだけで。これが現実なら俺も即魔王なんだが。


 まあ、所詮は決められた動き以上はできないから、ある程度やり込んでしまえば、反射神経で戦う究極の詰め将棋と言えなくもない。この域にたどり着くのに五年をかけた。我が人生の五分の一だ。五十年ゲームをやり続けたら、いったいどんな境地にたどり着けるのやら。実に楽しみである。


 ちなみにすでに姿を消したレッドナイトはオンラインフレンドのヒロロンだ。もちろんアカウント名であり、彼は人間界の普通の人間である。

 彼とは数年来、オンライン上での付き合いをしている。フレンド登録をして、ともに様々な戦場を駆け抜け、未知の世界を踏破した。お互いに命を預けあった戦友と言っても過言ではない。


 一つ断っておくが、ここは我が馬車の中のプレイルームである。


 人間界には借りた部屋が幾つかあり、それらの部屋から電力などのライフラインをこのプレイルームや王城の自室に移植してあるのだ。おかげで大魔界にいながらにしてゲームができるし、デジタルコンテンツも楽しめる。実に素晴らしいプレイルームだろう。

 ちなみに宅配ボックスの受取口も大魔界(こちら)側につなげてあるので、通販で何でも購入できる特典つきだ。あー、俺って天才じゃね?


 ただし、今の俺は自慢話をしている場合ではなかった。深々と溜め息をつく。


 何かよい方法がないかと、ネットでよろず人生相談の掲示板に書き込んでもみた。けれど、何の解決にもならなかった。


”これまでニートだったのですが、必要に迫られて仕事をすることになりました。周りには怖い人ばかりで、取引先とバトってしまいました。今後うまくやっていく自信がありません。どうしたらいいでしょうか?”


 と書き込んだら、最多回答が『負け犬め!』だった。


 ネット民の知恵に頼ろうとした俺がバカだった。とどのつまり彼らは人間だ。しかるに俺はスターライト=デーモンである。彼らに魔族のことはわかるまい。


 中には『ちゃんと謝ろう』とか建設的なご意見もあった。が、相手はすでに絶命している。いちおう肉片に謝ってもみたが、返事があろうはずもなく、すっきりもしなかった。


 他にも『さっさと謝れば、仕事上の行き違いと思って水に流してくれるよ~』とのお気楽なアドバイスもあった。だけど、流れるのは血だと思うよ。それも俺の首から。


 俺は再び盛大に溜め息を洩らした。誰か助けてくる人はいないかと考えてみる。


 親父やゴールドマリーは味方をしてくれるだろう。だが、親父には強がってみせた手前迷惑をかけたくないし、覚悟を決めてついてきてくれるマリーには無様なところは見せたくない。

 シルバーメリーやスリザール伯爵は手を貸してくれても決して庇ってくれるものではない。表現するなら、ドライな友人関係だ。


 あと一人、クラーケン族の魔姫がいる。彼女は初対面にも関わらず味方だと言ってくれたが、意図が読めず、信頼するには値しない。しかし、あのとき感じた嬉しさがまだ心に残っていた。


 となると、あとできることはといえば、彼女が借してくれた本を読むことだけか。ガックシ……。


 うなだれた俺はゲーム機の電源を落として部屋の入れ替えをする。プレイルームは消え去り、広いリビングへと変じた。座ったままの状態で俺の体はカウチソファーに移動した。リビングテーブル上にはレイリス姫にもらった魔術書が置きっ放しになっていた。


 俺は腕を伸ばして机の上から書を取った。その書物は革のベルトで留められた大型版で、愛想のない薄茶色の装丁を施されている。古びた表紙には手書きで『不死不生の書(ライブ・アン・デッド)』とある。おそらくタイトルだろう。


 膝において開いてみると、目次は魔術の類型によって十章立てに分かれていた。

 各章を見る限り、人体へ何らかの作用を及ぼす内容ばかりだった。具体的には、生体の治療再生、道具を用いない心霊手術、四肢や臓器の抜き取りに移植、骨肉や血髄の保存延命、などなど……。う~ん、医学知識がないと仕えない術が多い。応急処置代わりの単純な細胞再生なら俺でも可能だな。


 さらに読み進める。


 いや、これは何だ? すごいぞ!


 生体成形に美顔整形、この魔術を使えば、生き物の身体を思いのままに作り変えられる。つまり、マスカットライダーに登場した怪人や美少女フィギュアをリアルに誕生させられるのだ!


 俺はこの有機系3Dプリントマジックに興味を覚えて、成形魔術の記されたページをむさぼるように読み込んだ。

 難しそうだが、基本となる魔術は比較的容易で、造形技術と集中力と3次元的想像力が必要で、そこが相当なネックとなる魔術だった。

 しかし、俺には強みがあった。集めに集めたフィギュアによって習得した三次元妄想力。数多のゲームで培った驚異の集中力。そして何よりそれらすべてにマンガやアニメを加えた豊富なコンテンツを吸収して磨かれた至高のデザインセンス。

 俺なら、リアルにアニメヒロインを生み出せる自信がある! 魔術さえ使えたら、だけどね。


 まあいい。何にしても、カビ臭い魔術書にも見るべきところがあることは、よくわかった。興奮した俺は他に何かないかとページをめくっていった。


 その勢いで紙が飛び、落ちてしまった。一瞬、破れたのかと焦ったが、それはメモ用紙で栞代わりに挟んであったもののようだ。

 あの魔姫が自分の覚えのために挟んでいたのだろう。俺はページに指を挟んでメモを拾う。俺は挟み直したついでにそのページの見出しを眺めた。そこには『死体の再生と再利用について』と書かれていた。その章は生体の再生とは異なる死体の修復術や操作術について記されているようだ。


 ろくでもない魔術だなと思ったが、元の持ち主の顔色を思い出して、あの死相は血筋じゃなくてこの魔術書のせいではなかろうかと疑いを抱いた。

 まさか、と鼻で笑ってから、ふと視線を移した先にメモ用紙があった。そこには『葬儀屋ヴィッキー』と派手な飾り文字で葬儀屋の名前が連絡先や葬儀メニューとともに書かれていた。縁起でもないメモだな、おい。


 ただ、その余白には魔姫のものらしい走り書きが記されていた。


『大魔界系統樹における不死者の位置/反死者、反生者との名づけは妥当か/死者との境界とは』


 勉強熱心な魔姫である。ひょっとすると、彼女なら人間界のホラー映画を一緒に楽しんで鑑賞できるかもしれないと思った。

 見たいんだけど一人で見るのは嫌なんだよな。マリーは一度見せたら泣いて逃げたし。


 いや、レイリス嬢は、むしろ娯楽作品ではなく魔術の実用試験の記録映像と勘違いするかもしれない。

 というのも大魔界で人間界の存在は、あくまでも原始的な狩場としてのみ認知されていて、現在の人間界のことは誰も知らないからだ。現代的な科学技術や娯楽文化などは尚更だ。


 大魔界の住人は、極めて稀だが、人間界に魔術で呼び出されることがある。そのため人間界に興味を持つ魔族がいて、自力でいく方法もあるにはあるが、手間がかかる上に成功率が低く、さらに行ったところで得るものがないため、手がける専門家は皆無だ。


 だってさ、人間の魂なんかもらったところで何の役にも立たないだろ。あれより乾電池のほうがなんぼかマシだ。だって、乾電池ならミニラジコンに入れることができるんだぜ。


 ラジコンか……。


「お?」


 そのとき、俺は閃いた。もしかすると、うまく敵の大将の目と鼻の先まで行くことが可能かもしれない。


 突然扉が蹴破られるような勢いで開いた。


「ええーい! いつまでゲームをやってるんですか! 魔王子にあるまじき情けない有様はこのマリーが許しませんよ!」


 念のためにもう一度言っておくが、ゴールドマリーは力強い肉体をもつ獣人目のコボルト族であり、俺より遥かに力が強い。

 いかに愛らしい乙女であっても、獣に近い顔が怒りに満ちて怒鳴り声をあげると相当怖い。故に、俺が情けない声で謝ったとしても、無理からぬことなのだ。


「ひいいっ! ごめんなさい!」


「あら? ゲームをして……ない。その手のものも攻略本では……ない。コホン……ポオ様、入ってよろしいでしょうか?」


 ダイナミック入店などなかったかのように、彼女は村娘A並に控えめなセリフで入室許可を求めた。

 俺は咄嗟に頭を庇った両手を下ろし、おずおずと頷く。滅多に怒らないマリーの怒りを目の当たりにして文句を言うほど俺は愚かではない。


「ど、どうぞ」


「失礼します。お姉ちゃんが行き先をどうするのか指示が欲しいそうです。ポオ様、いかがしましょう。もし、当てがないなら、あたしたちの村に来ませんか? 父が村長なので、頼めばかくまってもらえるはずです」


 そう言いながら、マリーは何食わぬ顔で、引きちぎった金属製のドアノブをそのまま小さく握り潰し、こっそりとポケットに隠してしまった。なんちゅう力だ、まったく。

 あえて見逃して俺は言った。


「ああ、それもいいね。だけど今、少し思いついたことがあるんだ」


「さっすがポオ様。何でも言ってください」


「なら、葬儀屋へ行こうか」


 ゴールドマリーは驚きのあまり絶句した。いや、俺の葬式をするわけじゃないよ、マリー。




 レイリス嬢にもらった魔術書を拾い読みしているうちに、中流階級風の小汚い屋敷に到着した。

 屋敷の前では黒服に身を包んだ葬儀屋が待っていた。短い乱曲角の貧相なインプだった。


 しょぼくれた小男が縁起の悪そうな愛想笑いを浮かべた。


「今回は葬儀屋ヴィッキーをご利用いただき、ありがとうございます」


「宣伝文句によると、あなたは遺体の保存がうまいらしいですね。シルバーメリーから聞いている通り、お願いしたいことは葬儀ではないのです。本日は遺体の処理だけをお願いします。……それにしても見事な死相ですね」


 俺は目がくぼみ頬のこけた男を迎え入れると、早速馬車の中へ招き入れた。先行して彼に連絡をつけたメリーが、後に続いてガチャガチャと音のなる大きな鞄を運んだ。


 彼は葬儀屋ヴィッキー。栞に記されていた内容が本当なら、死体の保存については一家言のある男らしい。ナロウ王国では土葬が基本だが、新式の葬儀を提案していることから彼を呼び出した。


 それは生還葬。


 本来の葬儀の後、遺体に手を加え、生前のごとく動き回るようにしようというトンデモ葬だ。

 遺族の悲しみを和らげるための画期的新式葬儀として売り出していたが、数件手がけただけで生還葬を依頼する人はほとんどいなくなったそうだ。記憶の生々しいうちに眠らない死者が家の中を不気味にうろつくのだから、当たり前の結果だ。


 それと、まことに残念なことながら、この大魔界においてもゲームのように『死せるスーパー魔法使いリッチ』や『甦った不死身の死体ゾンビ』といった自由意志で動ける死者などは存在しない。死体を動かすには、それなりの魔術と技術が必要であり、制約も多い。


 大魔界でも、生きている肉体を動かすのは細胞の燃焼エネルギーであり、そのために血中のヘモグロビンが酸素を全身に運んでいる。その血肉などの細胞も代謝によって新しく生産されていく。例え魔力があろうとも、それらが機能しなくなければ、死体が動くことはできないのである。

 簡単に言えば、人間から血を抜いてガソリンを入れたところで動かないのと同じなのだ。


 だからこそ、今回、この愉快な冒涜的技術が必要だった。


 葬儀屋は念のための添え木を当ててある俺の足を見て不思議そうに尋ねた。


「その足、骨折ですか?」


「ええ。魔術でじきに治ります」


「何ならサービスで折れてない足と取り替えられますが」


「けっこうです!」


 とんでもないことを言う奴だ。


 バフが昇天した部屋へ案内すると、彼は渋い顔をした。


「うわあ、かなりぐちゃぐちゃですね。というか、胴体部分は飛び散ってほぼ肉片ですよ。これはツギハギと接着で別途それぞれ料金がかかりますが、よろしいですか」


「もちろんです。できるだけ生前と変わらないようにお願いしますね」


「わかりました。生還葬には他にもオプションがありまして、もし、生きているように装いたいのであれば、それをお勧めします」


「それは興味深いですね」


 ヴィッキーはそっと紙を差し出した。

 生還葬の案内チラシだ。それには派手な色文字で墓不要、墓堀不要、棺おけ不要等々の謳い文句が書かれていた。『生還』と言い切るなら葬儀不要だろうという突っ込みは入れなかった。


 裏を見返すと料金一覧と書かれた細かい料金表が載っていた。

 『超ド派手! ヴィジュアル系死化粧』やら『禁忌の動作時間、呪われた三倍延長』といった見出しの最下段に『心浮き立つ、死者との楽しい会話』というオプションがあった。これは使えそうだ。


 俺は肉片を集めている葬儀屋に質問した。


「この会話オプションではどれくらい話せるようになるんですか?」


「ああ、それは最近開発した技術で、あらかじめ登録した台詞を五パターンまで話すことができます」


 それでは会話と呼べない。


「たった五つ?」


 しょぼくれながらも険しい顔がこちらを向いた。


「倍の料金を払えば、パターンも倍」


「なら、三倍の料金を払いましょう」


「わかりました。登録する台詞を考えておいてください。ただし、台詞の長さは三秒以内に限ります」


 ちょっと短すぎるな。


「もう少し長くなりませんか?」


「それは脳ミソの質と量によります。まあ、こいつはデキが悪そうだから、記憶させられる総時間は三十秒もないですよ。いくつもパターンを覚えさせるなら、一パターンにつき半秒ずつ記憶の総量が減ると思ってください。ただし、一文の長さは五秒まで」


 実用に耐えるほどのスペックじゃないが、イエス、ノーが発言できるだけでも利用価値はある。まあ、工夫するしかないな。


「わかりました。台詞はメモして渡します。あと、動作時間延長もつけてその三日間は私が操れるようにしてください」


「お客さんが死体操作ですか? そいつはできませんねえ。死体の脳ミソに単純動作を記憶させるだけですから」


 いや、できるはずだ。レイリス嬢からもらった本にはそれが記されている。だが、いまだ原生魔力の俺に魔力偏向器の魔術が使えるのだろうか。

 ダメだ。難しく考えるな。たかが操り人形にするだけのことだ。操るだけならゲームキャラとそう変わらない。


 俺は所持していた魔術書『不死不生の書(ライブ・アン・デッド)』をおもむろに開いた。栞の挟まれていたページを舐めるように読み始めると、ヴィッキーは肩をすくめて作業に戻っていった。


 俺は頭を悩ませ、ゲームプレイ中に匹敵するほどの集中力を発揮して考えに没頭する。


 ゾンビは化学薬品によって墓場から甦る。あるいはウィルスによって人間がゾンビ化する。そして、何故か人を襲う。

 脳ミソを食べるゾンビ。走るゾンビ。ジャンプするゾンビ。変身するゾンビ。生前と同じようにレーシングゲームに興じるゾンビ。


 ダメだ。人間界のホラー映画のゾンビぐらいしか思いつかない。ゲームでならゾンビなんか何体でも現れるし、ゾンビ化したプレイヤーキャラを操るシチュエーションだってあるのに。

 俺のプレイスキルなら余裕で普段の生活をさせられる。いや、俺の操るゾンビに格ゲーをやらせて、その上でノーデス、ノーコンティニュークリアができるに違いない。


 いや、もう、いっそのことゲームキャラにしちゃえばいいんじゃね?

 それに、魔術で死体を動かせるなら、その原理に乗っかる形でこちらから命令を入力するできるよううまくカスタマイズさせれば……。


 その点を質問してみた。


「動作はどうやって覚えさせるんですか?」


「死体とはいえ、もともと動作する機能があるわけで、どう動作するかのパターンを脳ミソに登録しておくんです。そのパターンをプログラミングしておくんです。動力は死体にかける魔術の魔力なので、効力は五日ほどで切れます。お客様には大変な好評を博しています」


 嘘こけ。不評の間違いだろ。


「主に自宅で生活することを想定した動作パターンでプログラムを組むんですよ。朝起きて、食卓に座って、そのあと近所を散歩するなんて具合に。複雑なパターンになればなるほど覚えられる動作や台詞も少なくなります」


「なら、させたい動作をその場で即座に指示できるなら、事前に複雑なパターンをインプットしなくてもよいのですか?」


「理論上は。ですが、そんなことをいちいちさせていたら、面倒ですよ。すべての細かい動かし方を連続して指示なんてできないでしょう」


 いいや。その面倒さは省ける。単純な基本動作だけプログラミングしておけばいい。動作パターンは必要なときに必要な動作を指示して複合させればよいのだから。

 あとはどのようにその指示を行うかだ。


 俺はゴールドマリーを呼んだ。入室した彼女は酷い光景にたじろぎ、その臭気のみならず、葬儀屋の作業にも耐えられそうになかった。


「はい、お呼びでしょうか……おおう! うぷっ!」


「無理に入らなくていいよ! 部屋の外で聞いて」


「はい……すみません……。もう大丈夫です。それよりポオ様こそ大丈夫なんですか?」


「さすがに麻痺したかな。それよりお願いを聞いて」


 俺は扉越しに指示を出した。


「オレステのコントローラーと魔術設計用の赤と白のチョークを持ってきてほしいんだ」


「はい、ただいま。ううっ……」


 ゴールドマリーはふらふらとその場から消えると、散らかし放題のプレイルームからゲーム機『オレノステーション』を見つけ出すと、コントローラーを持ってきてくれた。

 これは人間界で買ったオレノ社の据え置き型ゲーム機だ。俺はこれで日々ゲームというすばらしい第三世界でのヒーローライフを満喫している。


 ちなみに人間界では近々第五世代機が出るという噂らしい。もし、生き延びることができたら、絶対買う。そのときは、それぐらいのお小遣いをもらったってバチはあたらない。


 鼻をハンカチで防御した金毛のコボルト娘は心配そうに俺の顔と足を見比べた。


「足が痛かったらすぐに言ってください。冷やしますから」


 難しい顔つきが骨折の痛みに健気に耐えているためだと思ったらしい。まさか次に買うゲーム機の予約の資金繰りを考えていたとは思うまい。

 俺は痛くもないのに顔をしかめてから言った。


「大丈夫。レイリス姫が治療のために充分な魔力を通わせてくれたから、あと一時間もすれば完治するよ。マリーもしばらくゆっくりしてて」


「ポオ様、無理はしないでくださいね。私は落ち着かないから、各部屋のお掃除をしてきます」


「よろしく。あと、ベッドの下は掃除しなくていいから」


「それはわかってます」


 彼女はちょっとお姉さんぶって出ていった。そこは色々なものを隠してある絶対の不可侵領域だ。雇い入れたときから釘を刺してあるので、彼女があの場所に手を出したことはない。

 とは言いつつも、何故か弱みを握られているような気がしてならない。まあいい。俺がご主人様だ。


 俺は気を取り直してコントローラーを握ると電源を入れる。コードレスなので本体から離れても使えるのだが、さすがに壁を隔てて十五メートルの距離は届かない。

 だが、今の目的はゲームではなかった。


 試しに電気信号に魔力を同期させて信号そのものを補強してみた。電波は反射によって障害物を迂回して伝わるものだが、途中で減衰するため、本来ある程度離れてしまうと届かない。


『ゲ、ゲーム機が、ひ、ひとりでに!』


 だが、補強した電波は壁を何度も反射してゲーム機本体まで到達したようだ。遠くから聞こえるマリーの悲鳴でそれがわかる。頼むから壊さないでくれよ。取り乱した彼女の握力は計り知れない。


 これができるなら、電気信号と複合的に連携させて魔力による動作制御へつなげることもできるはず。つまり、魔力さえ供給すればボタンを押すだけでコントローラーから魔術的に操作が可能ということだ。


 大抵の魔族の扱う電気は雷である。まさか波形信号として魔力が送れるなんてことは誰も考えないだろう。


「さて、ここから大仕事だ。魔力導線がうまく引けるかな?」


 俺は葬儀屋が働いている部屋の空いているテーブルにコントローラーをおくと、それを中心にしてテーブル上に回路図のような魔法陣を描いていった。魔術書に記された既存の術に思いつくままに入出力部を書き足したので効率は悪いが、一時間ほどで何とか電気信号への魔力入力機構を設計し終えた。


 レイリス嬢が骨折の治療に使った魔術は自身の再生の魔力と魔術を併用したものだが、これから俺が実施するのは完全なる魔術であって分類では機構組込型と呼ばれる。

 現在主流の魔術の多くは真核段階の魔力を原動力としたものばかりで、単独の魔術はほとんど流行らなかった。なぜなら、真核段階においては小難しい魔術理論を考慮せずにすみ、しかも高出力だからだ。


 そのため、原理的には一般的な魔術とは魔法陣の生成順序が逆となる。大抵は真核段階の魔力が対象と作用を固定し、魔術の効能である作用を具象化させる過程で事象転写魔法陣が生じる。

 しかるに魔術単独の場合は先に自ら魔法陣を描いておく必要がある。


 要は、術者は必死こいて細かく考えて魔法陣を設計しなければならないということだ。どっちが楽かは、比ぶるべくもない。


 ジャカジャン! 突然クイズです。このページに『魔』という文字はいくつ書いてあるでしょうか。つーか、多すぎだよな。


 閑話休題。


 俺が魔力を生成すると、手首で魔転輪の珠が溝に沿って光の輪を描いた。魔力のこもる人差し指をパチンと鳴らすと、魔力の光が魔法陣を巡り、活性化させていく。

 引かれた線は光を帯び、次第に薄れていくが、俺様の魔力はそれが消えるまでにすべての線をなぞりきった。

 そして、その描いた光へ右掌を向けて、即席の魔力機構を自分の魔力で包み、宙に浮かび上がらせる。魔法陣の丸や四角などの様々な記号が立体化し、それらは渦を巻いた。


 最後に、掌の動きに合わせてその光の渦はコントローラーに呑み込まれてしまった。


「これで組み込み完了」


 これで俺のボタン操作と魔力入力は連動して、魔電気信号となって屍を操るコントローラーとなるはずだ。もちろん、屍を動かすための魔術処理を葬儀屋が完了すれば、の話だが。


 俺は作業中のヴィッキーを下がらせると、修復したばかりの右腕へ魔電気信号を飛ばしてみた。するとピクピクと断末魔の痙攣のように動いた。

 最初は葬儀屋も邪魔されて嫌な顔をしていたが、この成果を見て楽しそうな顔に変じた。彼はデジタルよりアナログが好きそうなタイプだが、新技術には興味があるらしい。


「やるねえ、お客さん。こんなものを見せられると、こっちもやる気が上がるってもんだ。まだ屍操作の魔術も仮組みだからあんなんだが、情報さえもらえばきっちり仕上げるよ」


「頼みます。これから登録する台詞をメモに書くので、そのときに私が送る魔法情報のフォーマットと信号の種類をお伝えします。他に盛り込んでもらいたい機能があるので、それもよろしくお願いします」


「機能? どんな?」


「簡単な射出装置と単純な魔術機構を搭載したいんです。それについても紙に書き出してから説明します」


「あいよ!」


 ヴィッキーはさっきまでの淡々とした様子から一転、張り切って死せる肉体の修復作業を再開した。




 三時間ほどの後、葬儀屋は作業を終えて馬車を降りた。

 そこは都の外にある村のそばで暗い道にはひと気もなく、置いてけぼりにされるとわかった彼は文句を言って暴れ始めた。


 二人のコボルト娘に挟まれて三対一の不利を悟るとおとなしくなったが、今回の仕事料の支払いが金でないと聞かされるとまたもや暴れた。ただ、代金であるたくさんの酒の銘柄を見るや、怒りの声は歓声に変わった。

 葬儀屋は早速道端で焚き火をして、余った肉や臓物を焼いて酒盛りを始めた。


 こ、こいつ、ヤバすぎる。


 何気なく見ていた俺は気持悪くなって逃げるように馬車に飛び乗った。

 腰を落とした隣には、いささかスリムになった素敵な顔色のウェアウルフが静かに座っていた。今や彼は禁断の酒の肴(ぞうき)提供者である。


 俺はますます気持悪くなってゴールドマリーに背をさすってもらわなければならなかった。






魔王なんかいくらでも倒せるのに。


ゲーム内なら。



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