ゲームセンス・オア・ヒーローセンス
デーモン族の酒が飲めるようになる年齢。
100歳。
マジか……。
馬車とは本来馬に牽かせた乗り物なのだが、ときに派手に飾り立て、またあるときは車体を大きくすることで自己顕示欲を満たすことができる。
力のある魔貴族になると車両にとどまらず、牽かせる生き物にまでこだわる。爵位が高い家柄ほどドラゴンやマンティコラなどの強力な魔物に牽かせることで権威を示すのだ。
魔王子である俺は専用の馬車を持つことが許されており、もちろん車両にも牽かせる動物にもこだわりがある。
俺は馬屋の並びにあるガレージでうっとりと自分の馬車を眺めた。眼前の小さな二人乗りの箱馬車には非常に感性に訴えかける芸術的なイラストを施してある。
そのイラストは魔術的仕掛けによって、時間が経つと車体表面の反射光の色素が切り替わる。わかりやすく言うなら、日替わりで絵柄が変わる、ということだ。
ちなみに今日は青を基調とした戦装束をまとった少女の立ち姿だ。大剣を大地に突き立て、よそ見する彼女のアホ毛が実に素晴らしい。
他にも体の軋みそうな立ち姿の一風変わった男や死に瀕した師匠を抱き締める武闘家の熱く吼える姿など様々な絵が用意してある。
ついでに言っておくと、俺は魔力の鍛練こそ怠ってきたが、遺伝子的に魔力そのものはそこそこある。それ故に理論に基づいた魔術の行使にはそれなりに造詣が深い。当然興味のある方面にだけだけどな。
さて、俺は馬車に繋がれた生き物にニンジンを与えた。赤い剣状の野菜はバリボリと削られて獰猛な口の中へ消えていった。
その生き物とは、大魔界では極めて珍しい人間界の動物『ウサギ』である。それなら馬車というより、兎車というべきかも知れない。
ちなみにウサギに牽かせると決めたのは、映画という娯楽映像で偉大な魔法使いが乗り回しているのを見て、憧れたからだ。その魔法使いが乗っていたのは橇だけどね。
ここで少し断っておくと、大魔界の生態系には人間界のものと同種の動植物も存在する。しかし、一部存在しない種もいる。ウサギは残念なことに、いないグループに属している。
人間界で一目見て惚れ込んだ四匹を購入したのだが、よほど大魔界の水が合ったらしく体長五メートルほどに成長した。鋭い二本の牙を剥き出しにした純白の姿は悪夢に出てきそうなほど猛々しい。いちおう寂しがり屋ではある。う~ん、元は三十センチもなかったんだけどねえ。
俺はウサギをなで終わると馬車に乗り込んだ。ゴールドマリーが後に続き、シルバーメリーはひと際高い御者席に登った。
狭い座席に腰を落ち着かせると、ウサギ馬車は静かに出発した。鎖をカチャカチャ鳴らしながら厩舎を出ると、ほどなくして城門をくぐり抜けた。
城に近いエリアは大きな建物も多く、ドーム屋根をもつ高い塔や尖塔が幾つも立っている。ステータスとしてここに居を構える金持ちの屋敷が多く、それ以外には行政機関の事務所が多数ある地域であった。
にもかかわらず、本日は城の外に人っ子一人おらず、王城へ続く大通りは静寂に支配されていた。曇り空もナロウの趨勢を表しているようで実に寒々しい。
ゴールドマリーは豪奢な建物がゆっくりと後方へ流れ去るのを黙って眺めていた。
何か考え事をしていたようだったが、もじもじしつつも彼女は思い切って口を開いた。
「ポオ様、質問してもいいですか?」
「いいよ。なーに?」
ちなみに俺はまた横になり、マリーに膝枕をしてもらっている。別にいいだろ。ご主人様特権だ。
「どうして、こんなにたくさんのお酒を準備されたのですか?」
「モーブの使者に飲ませるためだよ」
純朴な顔に不思議そうな表情が浮かぶ。
「モーブ皇国といえば憎い敵国です。どうしてもてなすのか私にはわかりません」
「話し疲れてるだろうし、喉が渇いていると可哀想だと思ってね」
「お酒だともっと喉が渇きませんか?」
「……そうだね、少し話してあげよう」
今度は神妙な顔で俺を見下ろしてきた。ちょっと照れるな。
「今日言ったとおり、お父様は降伏勧告を受けるつもりだ。そして、その条件には……ナロウ王族の皆殺しがある」
「そんな……」
マリーはひどくショックを受けたようで口に手を当てて固まった。
「戦争だからね。王族の皆殺しなんて過激な行動だけど、モーブにも何か理由があるんだろう。そこまではわからない。それで、私の喫緊の課題はいかにして死を免れるかなんだ」
「つまり、殺さないで下さいって交渉するんですね。わかりました、私も頑張ります!」
目的を提示されてゴールドマリーは頭が働くようになったのか素直に意気込んで頷いた。だが、俺は小さく首を横に振る。
「いや、さすがに使者にそんな権限はないよ」
「だったら、どうしてですか?」
「攻めてきてるモーブ軍のトップなら話は別だ」
彼女は不安そうな顔でうつむいた。そうやって顎を開かなくして何かを我慢しているようだ。
本当なら、大丈夫ですかー、とか、そんなにうまくいくのですかー、とか疑問を投げかけたかったのだろうが、ちょっぴりとはいえ城でキレた俺を見ているせいでできなかったのだ。
が、彼女は長い口を上げると、逆に力強く宣言した。
「私、ポオ様が生きられるなら、どこまでもお供しますし、何でもします!」
何でもとは言ったものだ。元気付けようとしてくれているのだろうが、赤の他人にそこまで入れ込むのは賢い者のすることではない。あ、この娘はバカだったか。
この先に待つモーブ皇国軍団長との交渉なんか、どう転ぶか想像もつかない。彼女の命まで俺は責任をとれないし、正直なところ足手まといは同行させたくない。が、この田舎娘が頑固者なのはよく知っている。
俺は滅多に見せない厳しい顔を彼女に向けた。
「戦争で負けた国の王族に加担するのは危険なことだ。もちろん危ないことをするつもりはないけど、相手の機嫌を損ねれば、私だけじゃなく君も死ぬことになる」
「か、か、覚悟はできてます……」
また、組んだ両手がぶるぶる震えている。怖がりのくせに思い切りだけはよく、それで大丈夫なのかとこちらが心配になる。
毛深い手を握ってやると、彼女の震えは鎮まった。
「そんな覚悟はほしくない。私はこれからモーブの使者を酒で釣って、モーブ軍の軍団長に会わせてもらおうと思ってる。モーブの使者からは色々と情報を聞き出すつもりだけど、軍団長には助命を嘆願するんだ」
「その軍団長の方は……お願いを受け入れてくれるのでしょうか?」
その問いかけに眉をひそめた。正直言うと、俺も怯えが心の半分を占めている。ちなみにもう半分は人と会うのが嫌だなって気持ち。
正面からお願いしても断られるだけだろう。本当はもっと準備をしたいけど、時間がない。だから考えながら準備して、出たとこ勝負をすることになる。
でも、何もしないで死ぬよりはいい。
「ポオ様ならきっとできます」
不安を見透かしたように侍女はそう言った。励ましてくれたのだ。
が、なんとも無責任な発言じゃないか。
つい俺は意地悪な気分に襲われた。体を起こして座席に座り直すと、正面から彼女を見据える。
「『きっと』ってどういう意味? できなければ、その場で殺されるだろうし、それを理由にナロウはもっと厳しい条件を突きつけられるかもしれないよ。もし、そうなれば、私だけじゃなくて一緒に行動したマリーも自分たちだけ助かろうとしたと卑劣の謗りを受けるんだよ。それは君の家族にも影響を及ぼす。メリーも卑怯者の妹をもったと陰口を叩かれるんだ」
少し頭で思い描くような間があった。彼女は怯えながらも落ち着いていた。
「ん……。お姉ちゃんは、そんなこと気にしません」
呆れてものが言えない。姉妹とはいえ他人の考えなどわかろうはずもない。
俺が黙っているとコボルト娘は言葉を続けた。
「私たちの生まれた村はとても貧乏なんです」
「確か、ハーデンの森にある村の一つだったね」
「西寄りの北側で都から歩いて四日ほどのところなんです」
コボルトの健脚でな。
「よくあんな森に住んでいられるね。お化けが出るって有名だし」
「アハハハ……、殿下のおっしゃる通り、開墾しても畑は森に呑み込まれるし、狩りをするにも動物があまりいません。だから、出稼ぎなんです。お姉ちゃんは変種のシルバーヘアード=コボルトで力が強かったからすぐに軍隊に奉公に出されました。それでも村は大変だから、あたしも出稼ぎをしにお姉ちゃんを頼って都にやってきたんです。でも都会は恐ろしいところでした。あっという間に騙されてお金を盗られて、お姉ちゃんがどこにいるかもわからず困っていたのをポオ様が救ってくださいました」
慣れない外出で不安なときに、可愛い子犬がずぶ濡れになってしょぼくれていたら、ちょっと手を差し伸べてみたくなるだろう。自分を安心させるために。
彼女に声をかけたとき、まさにそんな気持だった。彼女がメリーの妹だとわかるまでにはしばらくしてかかったけどね。
「おかげでお姉ちゃんにも会えたし、こんな立派なお仕事もいただけて、あたしからも仕送りができるようになりました。マリーは今とっても幸せなんです」
そりゃ、結構。
「ポオ様はあたしだけじゃなくて村の恩人でもあります。それをお姉ちゃんもわかっています。だから、気にしません」
言い終えるとマリーは座席から下り、床に両膝をついて懇願した。初めて出会った雨の日と彼女は同じだった。
「お願いです。あたしはポオ様のお役に立ちたいんです。どこまでも連れていってください。何でもして、お役に立ちます」
給料を払う人がいなくなったら、村への仕送りも滞るしね。
「わかりました。そこまで言われたら仕方がない……」
俺はここで口調をがらっと変えた。
「だが、本当に俺にすべてを捧げられるのか?」
ゲームでよく見る悪魔のイラストを思い浮かべてニヘラと笑ってみせる。さらに前のめりに首を伸ばして、素直な瞳にプレッシャーをかけた。
この豹変に彼女は驚いたが、躊躇なく返答した。
「もちろんです」
「魂、今後の人生、そう、肉体やその他諸々を本当にささげるんだな?」
魂はともかく肉体と言われて恥ずかしそうにうつむいたが、彼女は今度も即答した。
「た、たとえブラックなポオ様でも、あたしはポオ様に体も魂も、じゅ、純潔も全てささげます」
やはり、バカにつける薬はない。ところでブラックって何?
俺は思い通りにならない苛立ちを溜め息で静めて、肩をすくめた。もし、何かあって怖がるようなら、その場で逃がしてしまえばいいだけのことだ。深く考える必要はない。
俺は背もたれにだらしなく体を預け、手をひらひらと振った。
「わかった。好きなだけ俺の侍女でいるといい。俺が生きている限り、毎年おまえの村に物資をプレゼントしよう」
「あ、あ、あ……ありがとうございます!」
緊張の糸が切れたコボルト娘はおいおいと泣き始めた。目からこぼれる涙以上に口元から垂れる涎のほうが激しく流れ落ち、まるで餌を前にした狩猟犬のよう。
ところで俺は修羅場や愁嘆場が嫌いだ。たとえ感激の涙でも同じである。泣いてる相手が理性的でないため、いつ収束するか見当もつかないからだ。
俺は床に涎の水溜りができるのをぼんやり見ながら、侍女の頭をなで続けた。
「……お願いだから、早く泣き止んでね」
マリーが落ち着いた頃に、ようやく目的地に到着した。俺の馬車は柵の外側にあり、内側にあるザックスリー公爵邸にはたくさんの魔貴族が集まっていた。
ザックスリー公爵は魔力の強いナイトメア族の中でも有力なルビーアイド=ナイトメアであり、ナロウ国内ではなかなかの権勢を誇る。歴史が浅いため家名がそのまま爵位となっているが、その魔力の強さは魔王に次ぐ。
それほど凄い人物が生き残り工作において、どうしてスリザール伯爵や他の魔貴族の後塵を拝しているのかといえば、それは自派閥全体のことを考えているからであったらしい。
俺は外に出るのはイヤだったが、今回ばかりは我慢して馬車を降りた。大豪邸の敷地内に並ぶ多数の馬車を眺めた。
抜け目のない公爵はモーブ軍の使者を自邸宅に迎えると同時に自派閥の魔貴族も招待したのだ。
「なるほど。これではナロウの負けをひっくり返すのは難しい」
俺のこの台詞に対してマリーがそんなことはないと励ましてくれたが、自国の有力者たちが乗船を続々と乗り換える様は俺をどんよりした気分にしてくれた。
泣き言を言うのは好きなのだが、これで本当に弱気になるようなら、この先、生き残ることはできないだろう。
俺は涙目になるのを隠し、強がって鼻を鳴らすと侍女とともに馬車を離れた。それから門の近くへ移動する。
すると、それを目ざとく見つけた青年が敷地から出て前に立ちはだかった。その青年は貶めるセリフを軽妙なジョークのように飛ばす。
「ふむ、情報より遅かったか。ポオ殿下、大変ですな。犬は夜の散歩が欠かせない。しかし、わざわざ駄犬を侍女として飼う方は殿下を置いて他に知りませんな」
我が天敵ザックスリー子爵だった。ゴールドマリーを駄犬と言われて頭に血が上ったが、ここはこらえた。テメーにマリーのよさはわかるまい。愚者の蒙昧め。
奴は宴席でしこたま酒を飲んだようで、吐く息はアルコール臭く、嫌味成分多過に喋り続けた。
「あの低脳はもうまもなく屋敷を出るところだ。どうせ命乞いをしたいのでしょう。次の予定も詰まっていると聞く。さて、殿下にうまく捕まえられるかな」
悪口を丁寧に言われるまどろっこしさが煩わしくなり、俺はにこやかに言ってやった。
「もうそんな中途半端に繕わないでください。あなたが私の事を嫌いなのは知っています。モーブに攻められて大変な時なんだ」
それを聞いて、彼は片手で顔を隠すようにしてハハハと笑う。指の隙間からあからさまな侮蔑の視線が覗いた。
「まさかモーブ皇国が何も考えずに攻めてきたとでも思っているのか。頭の芯までおめでたい作りをしてるな」
本当にこのムカつく問答には飽きた。面倒になった俺は率直に問い返す。
「何が言いたいんですか?」
「どの国でも国力の大小には統治者である魔王の力が大いに関わっている。ナロウ王国は魔王の星光の魔力でもっているようなものだ。だが今、魔王の力はかつてないほど衰えた。もう他国と正面から戦う気力もないだろう。でも、それは国内でも一部の者しかわからんことだ。ところで、殿下は我がザックスリー家が大魔界系統樹ではどう分類されるかご存知か?」
「ルビーアイド=ナイトメア」
ふてくされて短く答えると奴は含み笑いをしてから口を開いた。
「そう、我が父こそはナイトメア族でも優秀な一族の族長だ。そしてモーブ皇族は有力なプルシャンブルー種のナイトメアだ。どういうことかわかるだろ?」
みぞおちが反転してそのまま体の奥底まで落ちていくような圧迫感を受けた。それにあわせて体中の血液が引いてゆく音も聞こえる。この男は暗にこの国を裏切ったと言っているのだ。ナイトメア同士でつるんで。
ゴールドマリーの息を呑む音がした。彼女も理解したのだ。
演技中の俺もさすがに怒りを抑え切れなかった。
「まさか!? ナロウを裏切っ……」
奴は言葉をかぶせて俺の台詞を遮った。
「おっと、下手なことは言い触らさないほうがいい。おまえが口にしかけた言葉に証拠はない。逆に父上は落ち目のナロウからできる限り多くの魔貴族を救おうと、各方面に働きかけをしているのだ。それに引き換え、無能さでナロウを沈めたダメ王子が何を言おうと嫉妬のあまり讒言を撒き散らしているとしか受け取られん」
一気にそう言うと、赤い目のナイトメアは深く息を吐き出した。その様はまるでホラー映画に出てくる怪物が獲物をひと呑みにする前の溜めのようだった。
だが、その口は呑むのではなく、更なる侮蔑を吐く。
「せっかくだから忠告してやろう。残りの数日間、悔いを残さないよう生きるんだ。それがこれまで何もしてこなかったおまえにふさわしい」
俺は怒りで真っ赤な顔を伏せた。背後でマリーが我に返り、文句を言おうとしたので、それを制した。ザックスリー公爵家の門前で騒いでもよいことはない。
何より、あいつの言葉は的を射ている。それが俺の怒りの真実だ。
ジレンマに悩む様子を楽しんでいたナイトメアは、何も言い返してこない俺に飽きたようで捨て台詞とともに踵を返した。
「ポオ、その女みたいなご面相を活かして男娼としてなら、万が一に生き延びることができるかもしれないな」
そして、高笑いが響いた。
俺は言い返す気力こそなくしたが、腹の底に悔しさが溜まった。この屈辱は生き延びるための糧となる。いや、必ず生き延びてやる。そのために、降伏勧告を告げにきた使者を、まずはうまく釣り上げなければならない。
俺は唇を噛み締めた。
耳に妹の励ます声が届いた。
『お兄様なら、大丈夫です。必ず成功します』
そうかな。
『そうですよ。お兄様のお力ならどんな逆境でもはねのけられます』
俺に力があるなら、きっとできるよね。
『もちろん。私はいつでもお兄様の味方です』
えへへ。そう? そんなこと言われたら、お兄ちゃんは喜んじゃうよ。
『これからもぉ、もっともっと喜ばせちゃいます』
えへっ、えへっ、えへへへへ……。
お兄ちゃんの身分を充分に堪能できたところで脳内妹は姿を消した。優しく、可愛く、ヘコんだときに必ず慰めてくれる、よくできた妹だ。どれほど美形かは想像に任せよう。ちなみに俺好みの大変グラマーな妹である。
ああ、もちろん俺にリアル妹なんかいないから。
俺が目を開くと、ちょうど大豪邸に動きがあった。
ヒラルド・ザックスリーが館に戻ってから幾ばくも立たないうちに立派な馬車が大豪邸を出発したのだ。前庭を抜け、ロートアイアンの黒い門扉が開いた。
近衛兵の護衛がついた馬車だ。こいつに違いない。
俺とゴールドマリーは大きく手を振って止まるように声をかけた。が、近衛兵による護衛隊は冷たい一瞥をくれるだけで速度を緩める様子すらなかった。
俺が慌てて追いかけるとゴールドマリーが俺を抱えて馬車の前まで運んでくれた。二人で体を張って行く手をふさぐとようやく馬車は停まった。
すかさず鎧姿の騎馬武者が間に入って険しい声で誰何した。
「何者だ!?」
自国の王位継承権保持者の顔ぐらいすぐに思い出せよ。そう思ったが、時間のない俺はさっさと名乗った。
すると近衛兵たちは馬上で居住まいを正し、隊長と思しきエルフがやはり騎馬で前に出てきた。ただし、彼の態度も自国の王族に対するものとはいえなかった。
「殿下、むやみに馬車の前に飛び出すことはお控え願いたい。我々はこの馬車を護衛して、すぐに移動しなければならないため、道をお譲り願います」
「騎乗したまま魔王子を見下す近衛兵なんてナロウ以外にはいないでしょうね」
むかついた俺はちょっとキツい言い方をした。
しかし、隊長は下馬するどころか軽侮の眼差しを向けてくる。そして放つ言葉からは敬意の欠片もなくなった。
「この国の命運はもはや風前の灯。戦争が起きている最中に引きこもるような暗愚にかまっている時間はないのだ! さあ、そこをどきたまえ」
さすがに近衛兵に堂々と面罵されてショックを受けたが、深呼吸をして何とか平常心を保った。暗愚とは言ってくれる。愚かかもしれないが、性格は明るいぞ。
しかし、ここで踏みとどまれなければ、残りの数日を俺はただ死ぬのを待つだけとなる。退いてはダメだ!
俺は背後にいるマリーの存在に励まされつつ、ゆっくりと言い返した。
「まあ、そういきり立たないで下さい。私もモーブ皇国軍の使者の方にお会いしたいだけなのですよ」
「それはできない。バフ卿はとある魔貴族の方との会談予定があり、遅れることは許されない。それにザックスリー子爵からくれぐれも注意するよう言いつかっている。焦燥感に駆られた愚かな王族がバフ卿を狙っていると」
あの駄夢しか能のないクソアイド=ナイトメアが余計なことを吹き込んでくれたのか。
俺はない威厳をかき集めて胸を張り、食い下がった。
「私はまだナロウ王国の魔王子のはずです。王族に仕えてきた近衛兵としての矜持がまだあるのなら、私の言うことをききなさい」
「陛下のお言葉ならともかく、魔王子殿下、諦めていただこう。その国はなくなるんだ。実権のない者に尽くして何になる」
エルフ族らしいドライな意見だ。ただし、それは厳然たる事実でもある。俺は悔しいが、言い返せなかった。彼は地位だけで力のない者の権威は認めないのだ。
俺が言葉を迷っている間に彼は馬首を巡らそうと手綱を引いた。だが、ある台詞が彼の手を止めた。
「なんで、そんなこと言うんですか!?」
そう叫んだのはゴールドマリーだった。胸に手を当てて辛そうに頭を振ると金毛を束ねたリボンが揺れる。
「ポオ様はナロウの魔王子なんですよ。守ってくれるはず近衛の方にそんなこと言われたら、悲しいじゃないですか!」
そこへ俺の馬車が並足でのっそりと追いついた。隊長は御者席のシルバーメリーに険しい眼差しを向けるが、彼女は妹の台詞が聞こえないふりをして微動だにしなかった。君子危うきに近寄らずとばかりに隊長と目線を合わせることすらしない。
業を煮やした隊長が強引に馬を進めようとしたとき、護衛されている馬車の扉が開いた。
「いかがした、オフト殿」
そこに毛むくじゃらで口の突き出た顔が覗く。ウェアウルフの人狼面なのは間違いない。酒臭さがぷーんと一面に漂った。俺は思わず顔をしかめた。
隊長のオフトは厳しい顔つきで馬車に近寄ると事情を説明した。
「なんと!」
驚いた声とともに馬車からウェアウルフが降りてきた。灰色の毛並みの人狼はたくましい体つきで、モーブの戦装束の下からでも隆々とした筋肉が見てとれる。彼が近づいてくると酒の臭いはますます強くなった。
人狼はイヤらしい目でマリーを存分に舐め回してから俺に注意を向けた。
「お初にお目にかかる。拙者はモーブ皇国南方面軍第七歩兵隊『貪狼隊』隊長のバフでござる」
「初めまして、私はナロウ王国の魔王子であるポオです。予定がおありなのを知りながら、馬車を無理矢理停めさせる非礼を平にお詫びいたします」
「いや、酒をよばれにいくだけのことでござる。数分ぐらいの遅れは構いますまい」
ぷ~んと漂ってくるアルコール成分に頭がくらくらしてきた。どうやら噂通りにロクでもない奴だな。敵軍の使者だから、噂はどうあれ、もっとまともなものを頭に描いていたのだが。
臭気を我慢しつつ俺は会話を続けた。
「そのお言葉に感謝します。早速ですが、次の行き先には私の馬車でお送りします。バフ卿、お送りする間の時間だけ私にください。近衛兵はついてくればいいでしょう。私が武器を持っていないことは、御者台にいる警護の者が近衛に所属しており、確認済みです」
強引な誘いにウェアウルフの顔も渋くなった。
「話しをするのはやぶさかではない。が、それは何故でござるか?」
「私に仕えてくれた者たちの助命をお願いしたい」
「それはお受けしかねる。拙者にそのような権限は与えられておらぬ」
「ですが、各方面から様々なお話を受けていらっしゃるようですが」
「つれない対応は貴国に不安を与えるし、拙者は軍団長閣下に、どのような方がどのように協力的であったかを報告するよう申し付かっている。しかれども王族は別でござる。申し訳ござらんが」
「ふむ、それでは仕方ありません。ですが、せめて、私に仕えてくれた侍女のために嘆願するぐらいは許してください」
俺がなよっとしなをつくってみせるとバフの目が細くなった。俺の魅力にメロメロというより、万が一があっても返り討ちは余裕だと考える危険な目つきだ。
ゴールドマリーも俺の背中越しにお願いしますと頭を下げた。
「あいわかった。ポオ殿下と同行するとしよう」
ただし、あくまでも聞くだけだと彼は断った。
「では、私の馬車へどうぞ」
ところが、彼は拒否の意を込めて手を振る。
「いやいや、滅相もござらん。あの馬車はあまりにハイセンスでついてゆけぬ。申し訳ないが、拙者のような無骨者の心には痛いというもの。護衛隊が用意した拙者の馬車で行こう」
ええっ!? それは困る。
「いえ、実は、バフ卿にお飲みいただこうと喉を潤すものをご用意してあります。ほら」
俺はさっと腕を振り、指を鳴らした。それに呼応して光輝く魔法陣が現れ、痛車を包み込んだ。仕込んであった魔術が発動したのだ。
ひとりでにドアが開くと、狭い四人乗りの空間が水に包まれたように波打っていた。空間自体が透明のブロックのように切り分かれ、個々に奥へと消え去る。その後にまったく別の部屋が同様に現れた。そして、数瞬の後には車内はバーカウンターのある広い部屋へと変貌を遂げた。
あきらかに馬車より大きいその部屋の壁は棚となっていて、多種多様の酒が並べてあるせいで、まるで酒瓶そのものが壁のようである。
バフ卿の口中からジュルリと音が聞こえた。
さて、ここで一つ解説しておこう!
人間界にいくつかある隠れ家でネットの海を漂流しているうちに目にした情報の一つだ。
人間界にはアルコール依存症なるものがある。情報サイトによるとそれは常に酔った状態でないと満足できない、あるいは不安が解消できない状態のことらしい。
大魔界では常時酩酊状態の者がいても、よっぽど酒が好きなんだな、と思われるだけだが、実は中毒症状であるのだ。
これを俺流にわかりやすく言えば、酔っ払いとは、正義のヒーロー・ヨッパライダーに変身したままでいたい人物ということだ。
ヨッパライダーの主な習性として、以下の点がある。
①ヒーローである自覚から孤独感に苛まれるために、酒を飲む。
②使命感に耐えかね、自分がヨッパライダーであることから目を背けて、酒を飲む。
③ヨッパライダーであることに理由をつけて、酔っ払いであり続けることしか考えず、酒を飲む。
④ヨッパライダーを非難する悪の手先を激しく攻撃して、酒を飲む。
つまり、天地が逆転しようとも彼らは、酒を飲む。
スリザール伯爵から果てしなく酒を飲み続けてると聞いていたので、うまい酒の誘惑には勝てないだろうと踏んだのだが、うまく引っかけられたようだ。
普通の人物なら昼夜を問わず飲み続けていれば、一時的にでもアルコールを受け付けなくなるだろう。しかし、モーブ王国軍の使者ハブ卿はただの酒好きではなく延々と飲み続けている、これは彼が正義の使者ヨッパライダーである証拠だ。
俺は瞳を輝かせ、さも感銘を受けているふりをして訴えた。
「バフ卿は敵国にたった一人で乗り込まれ、使者としての使命を果たしにこられた勇者です。それを送らせてもらえるだけでも名誉なことだと考えています。ナロウの酒などバフ卿は好まれないかもしれませんが、とても珍しい酒も用意してあります。せっかくなので話の種に飲んでいかれてはいかがですか。そのついでに私の話を聞いてもらえれば、幸いです」
「なれど、せっかくの酒も男の手酌では味気ないものよ」
これが噂に聞く接待というものか。このエロ狼め!
艶っぽく誤解されないようさらっと申し出た。
「もちろん、侍女のマリーがお酌をします」
「むう、一国の王子にそこまでおっしゃられては、このバフ、失礼はできませぬ。お申し出を受けるとしよう」
ところが、護衛隊長のオフトが強硬に反対した。当然の反応だ。
「それは困る!」
勝利を確信している俺は冷たい顔ですげなく返した。
「何が困りますか?」
「近衛隊の用意した馬車でなければ、安全とはいえない」
こちらはぐでんぐでんになるまで酒を飲ませて情報を得たいのだ。馬車を替えられては元も子もない。しかし、奴の気持はすでに固まっているはずだ。
この忠誠心の欠片もない隊長に対して、俺は少々挑発的な表情で言い返した。
「近衛の皆さんがついていれば問題ないでしょう。それともこれまで私の馬車の警備をするときに不備があったとでも言うのですか」
「そんなことはない。ただ、計画通りの警護をしたいだけです」
「それなら、時間もないことですし、バフ卿自身に決めていただきましょう。そちらの楽しみのなさそうな馬車か、可愛い侍女のお酌で喉の渇きを癒せる私の馬車か、どちらに乗りますか?」
その答えは聞くまでもなかった。
バフ卿は推測通り、ザ・アル中ヒーロー、酔い子の味方ヨッパライダーだった。同室にいるだけでこちらが酔っ払いそうになるほど吐息がアルコール臭い。
そして、馬車が動き始めるなり、彼は口に手を当てた。慌てて窓を開けると、尖った口を外に出し、盛大に噴出させた。何って、決まってるだろう。
ゲロゲロゲロゲロ、ゲロゲ~ロ……。
ひとしきり出し切ると、奴は早速酒を要求した。う~ん、さすがだ。ヒーローは視聴者の期待を裏切らない。
俺はゴールドマリーに手近なところにある酒を注ぐよう命じて、自分は他の飲み物にした。もちろん俺が飲むのはありふれたジュースだ。
現在馬車の内部は箱のサイズより大きいという矛盾した状態だが、それは俺の編み出した魔術のなせる業である。
車内はマホガニー製のバーカウンターのある応接室で、俺とバフ卿は向かい合ってソファーに腰を下ろしており、ゴールドマリーはそばで給仕をしていた。
ここで俺は一抹の不安を覚えた。
噂どおりならこの人狼はこれまでずっと酒を飲み続けていたはずだ。先ほどの情けない様を見せてつつも口が軽くなるほど酩酊した様子がない。俺なんか気化したアルコールだけで前後不覚に陥りそうだってのに。
次の目的地であるダーゴン伯爵邸に到着するまで十分もない。その短時間で奴をさらに酔わせて俺は有益な情報を聞きだせるのだろうか。
俺は焦燥感を隠してにこやかな笑顔を見せ、使者へと杯を向けて乾杯をする。
バフ卿は鋭い牙の並ぶ大きな口で酒をあおると、自分から口火を切った。
「時間がないんだろう。そろそろ本題を教えてもらえるかな?」
「どうしてそんなことを訊くんです?」
「魔王子が自国の兵と対立してまで意地を通したんだ。すでに降伏条件についてはご存知なのだろう。だからこその暴挙であり、それなりの理由があるはずだ。例えば、自分だけは殺さないでくれ、とか?」
あれ、話し方が普通になってる。
とは言え、よく見ると狼の目は網目のように充血していた。思っていたよりは酔いが回っているようだ。
ウェアウルフは元々複雑な考え方をしない種族なので、うまく話をもっていけばちょっとした情報ぐらいは引き出せるはず。
俺はしおらしくうつむいて馬車に乗る前と同じ言葉を口にした。
「私の世話をしてくれた侍女が酷い目に遭わないか、本当に心配なだけです」
「う~む、我々はそこまで非道ではない。王族以外の処刑はないはずだ。私の知る限りだがな。ところであの棚にある黒い瓶の酒が飲みたいんだが。あれは名酒と名高い『デーモンロード』じゃないか?」
「ええ、どうぞ。でも、どうして王族は皆殺しなのでしょうか?」
俺が指示をする前にゴールドマリーがご指名の酒をすぐに持ってきてくれた。杯が空くのを待ってなみなみと注いだ。
「おっと。そこまでは知らんよ。条件の内容は本国が用意したものだ。軍団長なら理由をご存知だろうが、征服した国に禍根を残さないのはおかしいことじゃない」
「そうですか。でも、モーブ本国で用意されていた条件なのであれば、理由までは軍団長様も知らないかもしれませんね」
ウェアウルフはいやいやと首を振る。
「南方面軍の長はモーブ皇家の方だ。すべてをご存知だ。この戦争の意義は南の聖エピス王国との来たるべき決戦を有利に運ぶことにある。この戦はそのための大事な前哨戦だ。モーブは先にナロウを押さえなければならない。それだけさ。万が一、総大将が何も知らないのであれば、ますます私ごときが知るわけがない」
自嘲気味に言葉を紡ぐ人狼は杯を傾けた。
俺は口の中で小さく舌打ちをした。降伏勧告をする使者のくせに詳細を知らないとは使えない奴め。
だが、時間は刻一刻と過ぎており、タイムリミットは近い。いまさら方向転換する余裕はないのだ。
俺は相好を崩して、減った杯に酒をついだ。
「そうですか。モーブの皇族が直々に指揮をとっておられるのですか。私とは違ってさぞ凄い方なのでしょうね」
「我らが総大将はモーブ皇家第二皇女セイヴィニア姫、その人だ」
と人狼は鼻高々。誰もが聞いたことのあるビッグネームだと言わんばかりの言い方をした。
しかし、大魔界の勢力図に興味のない俺には聞き慣れない名前にすぎない。もちろんビッグタイトルを製作したゲームプロデューサーならわかるのだが。
奴は貴様とはものが違うと言いたげに嘲笑を浮かべると、言葉を続けた。
「まだ若く、眉目秀麗な女性であるが、武術の腕前はモーブの五大将軍にひけを取らず、ナイトメア族としての魔力は底なし。さらに才気煥発で、実に清々しいお方だ。主を選ぶという魔剣を振るうあの方こそまさに将器だ。……伝令兵に毛の生えた程度の人狼などと違ってな」
最後は何故か比較対象が変わって口調が荒くなった。いちおう酔いが深まっているらしい。酒臭いのは元々だが、また一段と臭気が強くなった気がする。
感情的になった自分に気づいたのか、バフは居住まいを正して、酒を手酌でつぎ足した。
「さて、ポオ殿下に他の質問がないのなら、私は静かに飲ませてもらおう。マリー殿はお借りする」
やっぱエロいな。こいつ。
「あと一つ訊いてもよろしいでしょうか?」
「一つだけな」
彼は杯を掲げてみせた。酒代は移動の間の会話だからな、と。
「そのセイヴィニア姫に面会をしたいのですが、どうすればよろしいでしょう」
途端にウェアウルフの手が止まった。鋭い眼差しで睨みつけてきた。
「それはだめだ。私だって自分の意志でお会いすることはできない。戦敗国の王族が会うことなどもっての他だ」
「戦敗国? いえ、まだ負けていませんよ」
率直にそう言い返すと、俺と奴は数秒間険しい両目と睨み合うことになった。
「貴様は現状をわかっていないな。我が軍は都の目と鼻の先まできているんだ。この国はすでに死に体も同然だぞ」
「であれば、やはりまだ負けてはいませんね」
「所詮は戦敗国の魔王子だ。聞く耳をもたんか」
このままでは平行線をたどるだけで、時間切れ確定だ。『負け』を連発されて少しムカついたが、それに乗っている暇はない。
俺はどうすべきかと考えを巡らした。
この様子ではダーゴン伯爵家到着までに奴を前後不覚にまで酔わせることはできない。裏切りをもちかける材料もない。せめて安定した足元を崩すことができないと、要求を通す穴の糸口すら見つけられないだろう。
とりあえず、奴をつついてみるか。マリー、ごめんね。
俺は呆れ顔で横を向くと、蔑むように言ってやる。
「な~んだ。バフ卿といっても結局のところは獣ですか。大した力はないのですね」
一転ウェアウルフの顔が強張った。
「今の言葉、聞き捨てならん」
彼は憎々しげに口を歪めて言葉を吐いた。
「人狼は下賎か、敗戦王子よ。奴隷種族だったコボルトを侍女にできる人物と思って時間を作ってみれば、相手を獣呼ばわりとはな。これでも私は族長だ。それなりの敬意を払うべきだぞ。……いや、確かに生まれや種族は動かしがたい。が、私と貴様の立場の決定的な差は、私は勝者で貴様は敗者だということだ。負け犬は負け犬らしく尻尾を巻いて、処刑されるそのときまでベッドで震えているがいい!」
言ってくれるじゃないか、このクソ野狼。
マリーを奴隷呼ばわりされてカチンときたが、それを抑えて俺は不敵に笑ってみせた。
「犬という言葉がお好きなようですね、バフ卿。ああ、そういうことですか。申し訳ない、あなたは人狼じゃなくて、人犬でしたか。それにしても犬を使いに仕立てるとは、モーブ皇国は人手不足が深刻なようだ」
「貴様! ウェアウルフを犬畜生呼ばわりするつもりか!」
人狼の鋭い牙がギラリと光った。まさに牙は口ほどにものを言う。その毛深くたくましい体から強い殺気が放たれた。
相手の剣幕に気圧されてはいけない。俺も強く言い返した。
「本当のウェアウルフは犬じゃありません。亜人目の魔族は繁殖力は強いし、中でも獣属系の種族は力が強いから兵士にはもってこいなのは確かです。ですが、あなたは兵士じゃない。死に体の国へ勇ましく乗り込んで、大物面で偉そうに振舞って、ただ酒を飲み続けるだけの役立たず。つまり、駄犬です」
と、次の瞬間、バフ卿の手がスッと動いた。
「痛ッ!」
俺は痛みとともに目がくらみ、額を押さえる。奴の杯がもの凄い勢いで俺の頭を直撃したのだ。
人狼は剣を手に取り、酔いを感じさせない動作で腰を上げた。
マリーが小さな悲鳴を上げて心配そうに俺に走り寄ってくる。だが、ここは危険だ。それを下がらせると、俺は痛む額に手を当て、そのまま立ち上がった。ちょっと刺激しすぎたかもしれないが、後の祭り。
バフの酒臭い吐息が応接室いっぱいに充満し、緊迫した空気が俺の体感温度を五度は押し下げる。と言うのも、奴の剣が抜かれ、切っ先が俺に突きつけられたのだ。
これ以上興奮させるべきではなかったが、簡単に謝罪するつもりもない。これはただ酔っ払いが怒りやすかっただけのこと。まだ、誤算とは認めない。
「本当のことを言われて、怒りました?」
ウェアウルフの大胸筋が隆々と盛り上がる。
「貴様は痛い目に遭いたいようだ……。どうにも滾ってきたなぁ」
「い、痛いのは嫌いです」
口元に手を当ててナヨナヨと言ってみたが、効果はない。
「話にならんな。どうせおまえの命はなくなるのだ。が、もし、どうしてもセイヴィニア閣下に会いたいというなら、連れていってやることもできる」
お!?
「ぜひお願いします」
人狼の精悍な顔が陰険なものに崩れ、下劣に笑った。
「死体となって、でよければな」
チッ、ぬか喜びさせやがって。ここから鎮静化させることは……無理かな。
しかし、奴は仮にも一国の使者であり、俺は一国の魔王子だ。怒りが静まって損得勘定ができれば、なんとかなるはず。
俺が卑屈にならない程度にどう謝ろうかと必死に考えを巡らせた。だが、起死回生のアイディアを思いつく前に非難の声が耳朶を打った。
「さっきから酷いことばっかり言って、モーブ皇国を代表する使者として恥ずかしくないんですか!?」
マリーだ。そうだよ、彼女がけっこう熱くなりやすいのを忘れてた。
この金毛のコボルト娘は両手を握り、力いっぱいに叫んだ。
「ポオ様はお優しい方なんです。私にもとても優しくしてくれます。デーモン族の魔王子なのにコボルトだからって見下したりしないんですよ。それはウェアウルフでも同じです。獣云々は、あなたがナロウを馬鹿にしたからです。他人を馬鹿にするほうが悪いんです。ナロウは負けません! ポオ様が何とかしてくれます! だから、あなたにだって負けません!」
何てこったい。俺は口をあんぐりとあけて天を仰いだ。彼女は完全に挑発している。
とは言え、この言葉を撤回させる気にはならなかった。いまさら引っ込めても奴の怒りが消えるわけではないし、とりなしてくれる第三者もいない。そして、何より彼女の寄せてくれた信頼をむげにしたくなかった。
俺はじっと奴を睨みつけた。奴はマリーを見据えている。
どうせ、あいつの言うとおり、降伏後には俺の命はない。痛いのが嫌でも、前進しようが、後退しようが行き着く先が同じなら、選んで気分がいいほうを選択する。
俺は内心で冷や汗をかきながら胸を張って立った。
人狼は何の反応もしない代わりに面構えがどんどん凶悪になっていった。それにつれて息が荒くなり、体毛が逆立った。酔眼がさらに赤みを増し、凶悪な輝きを帯びる。極度の興奮状態に達したのがよくわかる。
人間界の人狼は人と狼の間をいったりきたりできるらしいが、大魔界のウェアウルフ族は基本的に人型の狼であり、力を振るうときに全身で獣性を活性化させる。そのときウェアウルフは本当に獣じみた様子になる。
それがまさに眼前のバフの姿だった。
長く突き出た口からよだれがだらだらと大量に垂れ、長い下が口の周りを舐めた。
「愛らしいコボルト娘よ、おまえもこの場からは逃がさん。何せ股ぐらが滾ってきたからな! それに、次の訪問先も到着が遅れたところで気にせんだろう。自分たちの命がかかっていると思ってるだろうしな。さっさとこの貧弱な魔王子を片付けて、楽しもうではないかあ」
こいつはクズだな。
背後からマリーの息を呑む声が聞えた。恐怖にひきつったような声だ。俺のマリーを怖がらせるとは、もはやこいつは乱暴なだけのエロ狼で、モーブ皇国軍の交渉すべき相手ではなくなった。
俺は決意を込めて指を鳴らして光の魔法陣を呼び出した。
光で描かれた複雑な紋様が壁面や床、天井に沿って無数に浮き上がると、応接室が透明な氷のようにぼやけ、分割される。同時に室外で大きなものが動く音が轟き、応接室の風景はブロックごとに消失し、そこに別の大きな広間が現れた。
大広間は三十人がワルツを踊れるほどの広さがあり、床には白大理石が敷いてある。また、同じ材質の円柱が四隅で高い天井を支えていた。これぐらいの広さがあれば、何をするにも狭いということはないだろう。
ついでに説明しよう!
世界の自然法則に起因しない事象が起こるとき、その事象を世界の因果律へ組み込むための力が働く。その目に見える現れが事象転写魔法陣であり、その現象自体は事象転写則と呼ばれる。
魔術においては、事前に描いた魔法陣が光ってそのまま事象転写魔法陣となり、その効果を発揮するのだ。
応接室はマリーごと消え失せ、俺と奴の距離は開いた。俺は少し離れたウェアウルフに向かって軽口を叩く。足が震えて膝を曲げたら力が抜けてしまいそうなのは内緒だ。
「マリーが可愛いからってそんなにさかるな。お里が知れるぞ。さて、ちょっと場所を変えさせてもらった」
この異変にバフは目を見張ったが、すぐに慎重な姿勢を取り戻した。ここが敵地だということを再認識したのだろう。足場を選びながら奴は言った。
「言葉を変えたな。こちらが本性か」
「そっちのテンプレござる口調こそ」
人狼は抜いた剣を構えて移動した。毛足が長くふかふかの絨毯が邪魔らしい。
「剣の腕が立つとは言っても、貴様の言ったとおり所詮は獣化属の下等扱い。目立つためにはそこそこの演出が必要だ」
この男も生きるためになかなか苦労しているようだ。妙な親近感が湧く。しかし、恐れが薄れるわけではない。
ただ気持だけは負けないよう、俺は舌をなめらかに動かした。
「ウフフフ、よくわかるよ。その気持。念のために確認するけど、酒を飲んだ分の義理でその魔皇女に会わせてもらえると嬉しいんだが」
「バカめ。義理は話をすることで果たした。敵軍にたった一人で乗り込む使者なんぞを買って出たのは、ひとえに手柄のためだ。貴様を殺すことが勲功に値するのか懲罰となるのか、これから試してみよう!」
そう言って奴は床を蹴って突進した。
凄まじいスピードだったが、狙いがいい加減だったため、咄嗟に転がって斬撃を避けることができた。さすがにアルコールが効いているのだ。
とはいえ、急な動き出しに気づくのが遅ければ、今の一撃で殺されていただろう。
俺の右手首で魔転輪の珠が光を帯びた。同時に手の甲のあたりがボウッと光る。魔力が蓄積されたことによる光だ。ちなみに生の魔力自体は単なるエネルギーであり、特に何らかの効果があるわけではないため、魔法陣は生じない。
俺は急いで膝立ちになると、魔力を右手に溜めて投げつけた。球状の魔力の塊が周囲を陽炎のように揺らして突き進み、着地点で弾けて消えた。そこにバフの姿はない。
これは掌サイズのボールを投げつける要領なので、球速は俺の肩による。くどいようだが、俺はインドアメンで、ピッチングは野球ゲーム以外ではしたことがない。
ちなみに魔力は、体内で発生するもので血の流れと神経組織に密接な関係がある。手や指先など神経が細やかに張り巡らされた部位、あるいは多数の感覚情報が得られる部位で操れば、繊細なコントロールが可能である。
反面、細やかな神経が通っていない部位から出せば、ざっくりした操作しかできない。そのため、魔力の行使において手指が媒体や射出口となることが多い。
俺は続けて魔力を掌に噴出させ、バフ目掛けて投げつけた。奴はそれを素早いステップでかわし、歩を進めてくる。
ゲームだと大抵遠距離攻撃安定なんだが、実戦ではそれが当たらない。ターゲットロックや命中率補正のような便利スキルが俺に実装されてないことが、とても残念だ。
うまくいかないもどかしさに俺が気をとられているうちに、奴はすぐそばに迫った。
勢いのある袈裟斬りが落ちてくる。後退して避けると、続いて矢継ぎ早な攻撃が襲ってきた。鋭い斬撃は酒瓶だろうが、金属製の燭台だろうが当たるものをすべて撫で斬りにしていく。
俺はとにかく回避しまくった。それも奇跡のように。それがなぜできるのかというと攻撃が見えているからだ。
アクションゲームで鍛えた認知力を舐めるなよ!
最近のゲームでは難易度が鬼畜といえるほどまで上昇している。初見殺しなんてものは常套手段。何度も死んで覚えるスタイルのゲームも多い。
だから、大魔界でデジタルなゲームに明け暮れた俺は魔力を両目に集中することでディスプレイの枠という限られた世界の光情報を画素レベルで読み切るスキルを会得したのだ!
フハハハ! 凄いだろう!
そのおかげで画面外から不意に敵が現れても迎撃ができる。また、見たことのある動きなら数ドットの変化のうちに次の攻撃を見分けることさえ可能だ。
その認知力を生かすことで、エロウルフがどれほどの剣撃を繰り出そうが、視界内である限り反応できた。
ただ、いつまでも避け続けることはできない。体がついていかないからだ。これが現実の壁というものか!
対してエロウルフの速度のギアはさらに上がっていく。どんどん常人離れしたスピードへと近づいていった。
「ひぃっ!」
何とかぎりぎりで避けているが、もう続けられる気がしない。
と、俺が瞬きをした次の瞬間、奴の体が俺の眼前に迫った。それはまるで瞬間移動で、とても避けきれなかった。
激しい突進は俺の体を壁際まで跳ね飛ばした。咄嗟に魔力を前面に放出して盾代わりにしたのだが、反面背中で受けた衝撃が胸から脳天、四肢の末端にまで走る。俺は呻いて前に倒れた。
バフは余裕を見せて、剣を肩に担いだままこちらへ近づいてくる。
「おまえ、魔武技を使わんのか?」
「つ、か、わん!」
つーか、そんなものは知らん!
「それほどまでに我らを侮るか。いかに魔力に優れたデーモン族でも、身体的にはウェアウルフに劣るのが道理。魔武技を使わんなら、おまえの素っ首はねじ切って手土産にしてやる!」
ちくしょう。言いたい放題じゃないか。格ゲーなら俺の圧勝なんだが……。
ところで、賢明な諸氏諸兄なら、この窮地にスターライト=デーモンたる俺が魔力のボールを投げつけることしかせず、強烈な魔術攻撃をしたり、もっとましな鉄壁防御を展開しないのかと不思議に思うことだろう。
フフフ……実はできないんだ!
なぜなら、俺は日がな毎日ゲームで遊ぶか、たま~に人間界へ遊びに行くことしかしていなかったから、魔力を使いこなす訓練など真剣に取り組んでいないのである。つまり、サボリね。
デーモン族としてそれなりの魔力を有してはいるが、火や水といった特性を付与された魔力は使えない。つまり、俺が常日頃ゲームでやるように、カッコよく魔法で迎撃なんてことはできないということだ。
それが俺様の魔力スタンダード。文句あっか。
俺の胸の奥では鼓動が早鐘を打ち、息も肩が大きく上下するほどに荒くなった。体力的には限界が近いのは確かだ。
一方、狩りの興奮に酔った人狼は体毛が逆立って体格が一回り大きく見えた。酔ってだらしない顔には残虐な笑みが浮び、剥き出しとなった牙からよだれが滴り落ちる。うぎゃー、怖いよう!
弄ぶように雑な大振りが俺を襲った。息は上がっていたが無理矢理横に跳んでよけた。
逃げることに全力を注ぎ込んでいるので、逆転の手を考えている暇がない。いちおう万が一があるかもしれないので、自分の知るRPGの魔法を使ってみた。安易な発想とか言うな!
魔力を溜めた右手を颯爽と前に出してポーズを決める。
「πアール・テマ!」
「ピカデイン!」
「メガドライボン!」
結果はゲーム中の攻撃魔法の名称が大声で叫ばれただけ。もちろん何もおきやしない。
ただ、エロウルフはビビッて大きく後ずさりしたけどな。ハン、ざまーみろ。
百戦錬磨のウェアウルフは、ケッ、脅かしやがって、と呟いて額の冷や汗を拭う。その上で勝利を確信して近づいてきた。
やはりここは、俺の心臓か丹田か血か魂か異次元の分身に眠るスゥパァパゥワに目覚めてもらうしかない。アニメやマンガを読んでよく知っている。
つまり、命を危険にさらして待つのだ。
俺は待った。
とにかく待った。
いくつもの攻撃をかわし、細かい切り傷をつくりながら待った。
コンチキショウと罵りながら待った。
待ったが、妄想で勝てるほど現実は甘くなかった。ウェ~イ、どうしよう。よけるだけで精一杯だよう。ハ~ン!
そのうちスタミナの尽きた俺は足をもつれさせて再び尻餅をついた。右手首の魔転輪の輝きもももはや鈍い明滅に変じていた。
奴の哄笑が室内に響いた。
「ハハハハハ、悪運も尽きたな」
まあ、運のよいタイプではないことは認めよう。俺は黙って奴の言葉を聞いた。いちおう、これ回復タイムね。
「この降伏勧告でスターロードなどという大層な称号も過去の遺物だとわかった。ただ、奴も子の親だった。我が子だけは何とか助命してもらえないかと涙ながらに頼んできたぞ」
そいつは初耳だ。まさか親父がそんな発言をしていたとは。こんな場面だが、さすがの俺様も心理的に意表を突かれた。
「正直、わしもその姿に驚いた。つまり……」
狼の口が大きく開いて牙がギラリと輝いた。
「ナロウの魔王など女々しいクズだったのだ! 魔王子を、貴様を見ればわかる! 実にひ弱で、愚かなカスだ!」
バフの嘲笑は俺の耳をつんざき、恐怖とともにチリチリと焦がされるような気持ちを抱かせた。
大きな足が重々しく身近に迫る。その足が胸を蹴り押し、俺は無様に倒れた。
そのとき……。
「ポオ様!」
マリーの悲痛な叫びがホールに響く。
俺はもたつきながらも遮二無二体を起こすと、金毛のコボルトがウェアウルフの太い胴にむしゃぶりついている姿が見えた。
最初に車内を改変したときは応接室を呼び出しただけだったが、先ほど大広間を呼び出したのは展開だった。この馬車には三十室ほどの大小様々な部屋を詰め込んである。
それをすべて直列に繋げて彼女を遠ざけたのだが、施錠したドアを蹴破るなりして抜けて戻ってきたらしい。
強く振り払われて、ゴールドマリーは倒れこんだ。苛立たしげに向き直る人狼の手が彼女の足首をつかんだ。逆さ吊りに持ち上げようと、さらにもう一方の足首へと奴は手を伸ばす。
マリーはスカートを押さえて悲鳴を上げた。
さっきから感じていたチリチリ感がうなじで熱くザワついた。これは恐怖ではない。怒りだ。
怒りで髪が逆立つなんてことは初めてだった。これまで我慢して鬱積した感情とともに俺は恐怖に震えるマリーのことを考えた。
彼女は俺にとって唯一の臣下であり、俺の保護下にある。自分自身を除けば、俺にとって守るべき者は彼女しかいない。
そう、だから、彼女に手を出すクソ野狼は排除する。
いや、必ず再起不能にしてやる!
俺は立ち上がりながら現時点で集められる魔力を片っ端からかき集め、そのすべてを体内に溜めた。
もうこれ以上出ないと思ったが、クソ野狼の暴言を思い返し、さらにそこからヒラルド・ザックスリーの侮蔑を思い出し、怒りの頂点の向こうから力を絞り出した。
ここに至って出し惜しみをするつもりはない。
実は、俺には必殺技と呼べるものがあった。
人間界には空想科学というヒーローの能力を科学の力で再現する学問がある。俺はそれをヒントに魔力で再現する空想魔力研究という趣味を考案した。その中で形となった第一号がこれである。
その名も『マスカットライダーキック!』。
弱冠二十五歳の俺が、テレビゲームという人生をかけるにふさわしいライフワークの合間に特訓をして生まれた未完の大技だ。
ベースは魔術であり、そのための魔術機構はおもちゃ箱の靴とマントと変身ベルトに組み込んである。
ふざけていると思われるかもしれないが、いや、これを真剣に考えたときは全力でふざけていたし、練習だって楽しくふざけてやっていた。
ただ、俺が全身全霊の魔力を込めて放てば、おふざけではすまない威力がある。たとえ魔力が拙く、角が貧弱でも、それがデーモン族の魔力、魔王の血筋というものだ。
幸い、奴はマリーをいたぶろうとこちらに背を向けている。
俺は指を鳴らして奴が背を向けている間におもちゃ箱を呼び寄せると、その中から銀色のゴム製長靴と赤いマント、それに変身ベルトを取り出した。これらに俺が考案した魔術を組み込んである。
それらを急いで身につけると、溜めに溜めた生の魔力を長靴とマントに通わせた。
右手首で魔転輪が煌々と輝き、同時に俺の背後に大きな事象転写魔法陣が出現した。光る魔法陣は幾層にも展開して俺の足元と頭上に分かれる。
それから俺は足音を忍ばせて壁際まで下がると、クラウチングスタートを切った。マリーを手篭めにしようとするクソ野狼目掛けた怒りの猛ダッシュだ。
かなり手間で長靴の魔術効果を発動させ、天井の高さまで飛び上がる。赤マントの魔術で抱え込み前転を成功させると、俺の体は下半身をひねりながら勢いよく跳び蹴りを放った。これはありったけの魔力を込めた必殺の蹴りだ。
ピカピカと安っぽく光る変身ベルトがマスカットライダーが必殺技を放つときのイカしたBGMを奏でた。そのベルトの魔術を介して熱い魔力が俺の足に集中する。
まだだ。まだ俺の怒りに見合うほどの力が入っていない。俺は眼前でマリーに覆いかぶさる奴の姿と涙を流したという魔王の姿を糧にない魔力をさらに引き出してこの蹴りに込めた。
足に集中した怒りの力は真紅に染まり、目に焼きつくような光を放出した。そこには繊細さなど欠片もなく、ただひたすら熱量と加速度を高めた暴力の塊があった。
「こっちだ! このクソ野狼!」
俺の叫びに反応してウェアウルフは振り返った。その顔が驚愕に歪む。マリーを手放し逃れようとするが、逆にマリーが奴の足にしがみつき、それを邪魔した。
バフの屈強な足がマリーの脇腹を蹴りつけ、何とか逃れようとする。それを目の当たりにした俺の怒髪は天を衝いた。貴様には地獄すら生ぬるい!
「マァスカットゥゥライッダァァァキィィック!!」
怒りに任せて噴出する魔力が推力となり、同時に俺の上着は背中が弾けて破れる。右足からは魔力が凄まじい魔炎となって吐き出された。魔力の塊となった俺の全身は光の矢のごとく猛進した。
スローモーションのような光景だった。
悔しそうな獣面が視界いっぱいに広がる。俺の右足が当たるや金属製の胸当てはちぎれ飛び、分厚い胸板を突き破った。
悶絶する声は激しい爆音にかき消され、剛毛の生えた強靭な胸は激しく爆散した。
雨のように肉片が降り注ぐ中、俺は床を削るようにして勢いを殺して着地した。そして、振り向き様、言ってやる。
「ゲームオーバーだ。地獄で全宇宙のインドアメンに謝るんだな!」
フッ、決まった。貧血のような感覚があったが、キメポーズだったのでそこはこらえた。が、しかし……。
「あれっ!?」
次の瞬間、バランスを崩して俺は横倒しになった。よく見ると右足の脛が直角に曲がっている。関節なんかないのに!
これぞ、まさに未完の証である。
顔面を蒼白にした俺は、蚊の鳴くような声で侍女を呼んだ。
「マ、マリー……た、た、助けて~……」
何はともあれ、勝者は俺だった。
必殺技とは、必ず相手を殺す技。
きゃー、こわーい。