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『今どきの魔王子』の処世術  作者: ディアス
15/20

超老会議deディスクロージャー



グダグダ超老害会議だYO!






 ここはナロウの王都ディス・パラディーソの一歩手前。


 可憐な魔王子は裂けて汚れた着衣をまとい、白いシーツをローブのように体に巻きつけた女性とともに王都へと続く街道に立っている。

 つまり、俺とイスファルは浮浪者も同然の格好で我が家の目と鼻の先にいるというわけだ。


 ちなみに木々が点在している平野は都を過ぎてさらに北上すると林となり、広大なハーデンの森へ姿を変える。


 俺は疲れた目で隣にいるイスファルを眺めた。特に何を言うでもなく、表情も変えずに、彼女はただここにいる。

 なぜ、この女は残ったのだろうか。いまさら俺のそばにいる意味がわからない。また、それを許可したセイヴィニアの意図もわからない。


 しかし、今は城に帰ることが先決だ。長老会議に向けた準備をしなければならない。それがまだ意味のあるものになるのかはわからないが。


 今度は前方に広がる都の建造物群へと顔を向けた。南正門である黒い大きな門がそびえ立っている。街道はまばらに生える木々の隙間を縫ってそこへ続いていた。

 俺が言葉を発せずに歩みを再開すると、随伴者も後に続いた。


 都への出入りを監視する門は全部で六ヶ所あり、どの門も日中は開かれている。常駐の守備兵はいるものの、一時期の緊張感はなく、出入りする者については簡単に確認するだけで、何か言われることもなかった。これでは霊血の同胞(シストレン)が自由に出入りできるはずだ。


 中心街へ抜ける南の大通りは人馬を問わず交通量が多く、俺たちは道の端を歩いた。


 視界の左右をドーム型の屋根や尖塔が通りすぎていく。中心部に近づいてくると、色彩豊かなレンガでつくられた建物や飛行型魔物に騎乗する際の目印になる陸上灯台などもあった。

 いずれも馬車にこもって移動する俺が普段目に留めないものである。くさくさした心の俺はそれらを楽しめないままに歩いた。城に到着するにはまだ三十分もかかるだろう。


 行き交う市民たちはみすぼらしい格好の俺やイスファルを目にしても興味なさそうにすぐに自分の仕事に気持ちを向け直した。彼らにとって俺たちは空気のようなものだった。

 自室にこもっていたときと同じだ。いてもいなくても世の中が変わらない存在。


 黙々と歩いていると、イスファルが声をかけてきた。少し訊きにくそうにしていたので、遠慮なく質問しろと言ってやった。


「あー、おまえは本当にこの国の魔王子なのか?」


 実につまんねー問いだ。故に不貞腐れて答える。


「そうだけど」


「なぜ、おまえにだけ迎えが来ない?」


 振り返りざま俺は両手を広げて雑駁に解説してやる。


「わかるだろ、俺は魔王子だが、ナロウのこのポジションには大きなディスアドバンテージしかないんだよ。つまり、常に逆境状態なわけだ」


「ポジションというより、自分の言動のせいだろ。あと人柄とか性格とか」


 なんだと、このやろう。そう思ったのも束の間、後ろ向きに歩いていた俺は壁から突き出た飴色の看板に頭をぶつけた。両手で痛む後頭部を押さえてしゃがみこむ。

 涙が出そうなくらい痛かったが、我慢した。今泣くと負けた気がするからだ。その様子を無言で眺めるイスファルの視線も痛い。


 俺の頭に直撃したのは薬屋の小さな看板で、絶妙に邪魔な高さに位置している。見やすいようわざと目の高さに据えたのだろうが、見通しが悪くなる上に危険だとは考えなかったのか。いや、むしろ邪悪な意図さえ感じる。


 腹立ち紛れに古びた木の看板を拳で殴ったが、痛いだけだった。くそっ……。

 痛む拳を撫でつつ涙を浮かべて言ってやる。


「俺のことを非難する余裕があるなら、むしろ痛いところをナデナデして慰めろ」


「フン……ひきつれる奴め」


 もうひきつれるところはないだろうと思ったが、その突っ込みはやめておいた。


 城に帰りつくも、特に出迎えなどもなく、あるのは門兵の不審者を見るような視線だけ。名乗ると、ようやく敬礼で返してくれた。何だよ、前より悪くなってるじゃないか。


 ぶつくさ文句を言いながら正門を抜け、無駄に大きい城の入り口に差しかかったところで、ようやく幼馴染みのインプが現れた。

 白い漆喰を塗ったアーチ状のエントランスの下をこちらへ歩いてくる。壁の白さと絶妙なコントラストとなる土気色の肌はまるでシミのようだ。この国で有数の実力者で俺の政治顧問でもあるシミは片手を挙げる。


「よう、なんとか間に合ったな」


 かけた言葉の気軽さとは裏腹に政治番長の顔は憔悴しており、余裕が感じられなかった。俺は噛みつくように文句を言う。


「よう、じゃない。マジで何度か死にかけたぞ。次からはもっと強力な救出部隊を迅速に寄越すように」


 相手の喋り方にあわせて言葉を返した。すると、疲れきった顔がニヤリと笑いかけてきた。

 まだ諦めてはいないよなと問いかけられたような気がして、俺は肯定の意味を込めた頷きで返した。バッツの顔に若干の安堵感が浮かんだ。


「まずは誘拐されないようにしようか、殿下」


「なんだよ、俺のせいみたいに言うなよ」


「気にするな。おまえのせいだ。早く簡単に拉致されない強力な魔王に育ってくれ。ところでセイヴィニアとその部下はどうした?」


「逃亡した」


 川港を出てからの出来事をかいつまんで話すと、彼はふーんと軽い返事で返してきた。そこに驚きの色はない。


「予想してたみたいだな」


「当たり前だ。このタイミングで逃げなかったら、あの魔皇女の頭の中身を疑うところだ。ただモーブへ逃げずにザックスリーのところへ走ったのは何か意図がありそうだな」


「ああ……」


 その後、言葉を探るような沈黙が場を支配した。その沈黙が俺の心に余韻を残した。そこにあるのは後悔の二文字だ。

 俺は、短く、しかし、はっきりと言った。


「すまん」


 いいさ、と幼馴染みは肩をすくめた。そして、城内へ移動するよう促した。

 俺とバッツは並んで歩きながら話を続け、イスファルはその後ろをついてきた。


「それでレイリス嬢は?」


 問われて俺も肩をすくめる。


「頑張りすぎて体調を崩したようだ。クラーグス家の馬車が連れて帰ったよ」


「こちらには少し小言があったんだがな」


 こいつが言いたいことはわかるが、そこまでやらせたら俺の立つ瀬がない。


「それについては、俺から言っておいたから、おしまいでいい。ところで、バッツ、長老会議のほうはどうなんだ?」


「あまり思わしくないな」


 予想通りか。その上、モーブの魔皇女が敵陣営に走ったのだ。ザックスリー家では今頃祝杯を挙げていることだろう。彼らはナロウ併合後の身分も安泰という未来図が容易に描けるというわけだ。


「フン、誰かさんがさらわれたおかげで、一気に分が悪くなった。親モーブ派だけじゃなくて、聖エピスに近い連中も騒ぎ始めたんだ。そのせいで今は三つの派閥に割れている」


「一強ニ弱による三つ巴戦となると、票固めのできていないこちらは弱者同士の争いで消耗するな。勝ち目がないじゃないか」


「お、少しは考える頭が育ったか」


 バッツはあまり感情を面に出すタイプではない。新たな敵派閥が明確に台頭したことに腹を立てていてもおかしくないのだが、彼はあくまでも冷めた顔で文句を言った。

 そして、転んでもタダでは起きず、不敵に笑う。


「しかし、逆手にとることで、この帰還は新たな起爆剤にもなりうる。この短期間に、モーブのナロウ侵攻軍本陣のみならず、聖エピスへ拉致されても無事に生還を果たしたんだ。ナロウの魔王として他国に縛られない力をもつと主張できる」


「ポジティブなのはいいが、そんな無理主張に共感してもらえるか? その話の主人公は俺だぞ?」


「まずはその自己認識を改めろ。惰弱なイメージを塗り替えるんだ。二度の生還は事実だ。うまく噂を流せば、あとは聞いた連中がいいように広めてくれる。これでセイヴィニアがザックスリーについた影響を多少は緩和できるし、聖エピス寄りの連中への牽制にもなる。部屋に戻り次第、事務官を寄越すから、報告を口述しろ。終わったら、少しのことでオタオタしないようメンタルトレーニングを積め。講師を送り込むから、逃げるなよ」


 やけに要求が多いのはやるべきことが見えているからだろう。俺は心強く思いながらも圧倒された。

 いや、圧倒されていてはいけない。俺にもできることがあるはずだ、俺が魔王になるためにやるべきことが。


 とにかくもう少し現状を把握しておこう。


「おう、了解だ。ところで、今の状況をもう少し詳しく教えてくれ」


 現在の票の計算を聞くと、浮動票が案外多いことがわかった。その大半は前魔王派の古い魔貴族たちだ。そちらへの対応は政治番長が対話と圧力で平和的に味方を増やしてくれているらしい。


 順調とは言い難いらしいが、それでもバッツを中心とする官僚魔貴族たちが精力的に活動しているそうだ。

 若手は俺ではなくバッツへの心酔によって動いているようだが、古株は前魔王スターロードへの畏怖と憧憬から前魔王派の浮動票へ働きかけをしているのだそうだ。


「へえー」


 と俺は中途半端な驚きの声を発した。バッツは嫌そうな顔でたしなめてくる。


「なんだ、そのやる気のない声は」


「いや、まじめに仕事するおまえを目の当たりにすると、どうしても違和感が……。レオノール、からかいといたずらの天才だったおまえが真面目に仕事をするなんて」


 唇を尖らせてバッツは肩をすくめる。昔からの見慣れた光景だ。


「子供の頃の話だろ。そこは卒業して、今は宮廷の権力争いのほうが面白いんだ」


 俺と違って彼は成長したらしい。


「その次は?」


「おまえの仕上がり次第だ。ポオ、おまえが魔王になれば、テーブル上の競争相手に隣国が加わる。ゲームはより複雑化し、巨大化し、さらに精緻化する。楽しみだろ?」


「プレーするにはヘビーなゲームだ」


「だから、僕とおまえの二人で挑むんだ」


 おまえと二人じゃ、心細い。


「一人忘れてるぞ。レイリスを入れた三人で、だ。それで、バッツ家に損のないようにするんじゃなかったのか?」


「もちろん。そこは死守する。しかし、レイリスのあの思い切りと行動にはあてられたよ」


 そう言ってバッツは天井を仰ぎ見る。頭の中で思い出した内容を反芻しているようだ。


「彼女は本気だ。あれは最悪クラーグス家を潰してでもおまえを魔王にするつもりだ。それに、二回も奇跡を見せつけられると、本当に大魔王にもなれるんじゃないかと思えてきてね。僕も本気だぞ。おまえを魔王にして、大陸の名だたる列強を我らが小国の支配下においてやる」


 拳を握り、力強く言い切った彼の顔は実に爽やかなものだった。


 バッツがそんな風に思っていると知って、正直なところ俺は驚いた。

 権力闘争をシミュレーションゲームに見立てて損をしない程度に遊んでいるイメージだったが、それはあくまでも自分の楽しみのためだ。それが、本気の闘争へと進化している。

 しかもゲームシステムに俺を育成対象にした育成要素も加わっている。それなら、ギャルゲー要素も付け加えてくれ。いい夢を見られるかもしれない。


 俺が言葉を継げずにいると、政治番長は厳しい現状を表すように難しい顔をした。彼がこんな顔をするのも珍しい。


「不利な現状を踏まえると、協力してくれる古株連中への後押しとして、もう一発大きな花火が欲しいんだ。何かないか?」


 困っても大抵は自分で解決してしまうバッツが珍しく俺に助けを求めた。それだけ、彼が本気だと言うことか。

 バッツやレイリスの本気に応えるには俺も思いきったことをしなければならない。


 俺は少し考えるように天井を見上げる。


 外連味(けれんみ)の強い手段だが、あらゆる魔貴族を黙らせるであろう手段を一つだけ思いついた。バッツが思い描くような戦略ではないが、この上ないインパクトが間違いなくある。ただし、準備が不足している。


 想像した俺はちょっとした高揚感を覚えたが、努めて普通に答えた。


「ないこともない」


「そのどちらでもないって感じの言い方はやめろ。はっきり言え」


 俺は慎重に言葉を選んだ。決して自信があるわけではない。


「魔王戦のことは話したよな」


「異世界の大魔王との戦いのこと、だよな。本当のことなら……。疑っているわけじゃない。信じられないだけだ」


 同じだろ。俺の顔色の変化に奴はそう付け加えた。気を取り直して俺は説明を続ける。


「魔王戦を二回経験して、俺は間違いなく成長したと思う。どれだけ成長したかを口で表現はできないが、少なくとも花火以上のことはできるつもりだ」


 幼馴染みは黙って見つめてきた。そこにあるのは期待だ。

 俺はここぞとばかりに重々しく唇にその言葉を(のぼ)せた。


「ザックスリー公爵に決闘を挑む」


 ほう、とバッツは感嘆の声を発した。彼はやけくそではない言葉に感銘を受けたようだ。

 ナロウ随一のヒキオタニートが曲がりなりにも現在この国で最高の魔力を持つ実力者に挑むと言ったのだ。笑い飛ばしてもおかしくないところだ。


 バッツは足を止めると、腕を組み、真剣な顔で床を見つめた。目まぐるしい速さで思考を回転させていることがわかる。彼はこの国のあらゆることを把握し、何をどう使えばどんな効果が得られるかを理解している。ただ、今の俺の現状を除いて。


「ポオ、決闘をして本当に勝てるのか? 具体的にはどう……」


 話す途中でハッとして振り返るバッツ。そこにいたのはシーツをまとった見ず知らずの女性。


「ところで、そちらのご婦人は? ご紹介がまだのようだが」


「新しい侍女のピカリンだ」


 その名前に戸惑いを覚えたようだったが、バッツは卒なく、そして辛口に対応する。


「おまえの眼鏡にかなうとは、よほどの変人だな。ピカリン、よろしく頼む。僕の名はレオノール・バッツ。スリザール伯爵だ。すまないけど、外してくれないか。殿下は僕と機密事項の相談をしなければならない」


 イスファルは申し訳なさそうに頭を垂れた。


「すまない。スリザール伯爵。私はまだ城内のことを知らない」


 そうか、と言うやバッツは俺の首根っこをつかむ。


「で、僕はこのままおまえと大事な話をするのか? 主人ならどうにかしろ」


 俺は目だけ動かしてイスファルを見やる。棚上げしていた問題を思考の机に戻した。

 彼女はどうしてご主人様と一緒にザックスリーのところへ走らなかったのか。どうして俺についてきたのか。俺にはまったくわからない。


 道を歩いているときに、セイヴィニアのスパイなのかと考えたが、あれほど堂々と裏切っておいて顔の知られたスパイを送り込むというのはあり得ない。かといって、イスファルがそう軽々しく霊血の同胞(シストレン)を抜けるとも思えない。少なくとも手放しに信用することはできない。


 とにかく後から彼女の話を聞くことにして、俺の自室で待たせることにした。部屋までの道順を教えて、先に行くよう指示する。


 後姿が見えなくなってから、俺とバッツは手近な部屋へ入った。そこは中庭近くの小部屋で、ちょっとした密談にはもってこいの部屋だった。

 おそらくは夜直の際に当番の魔貴族の小姓が待機する部屋だろう。大した調度品はなく、二段ベッドが二つ壁際にあり、入り口近くに書き物をする粗末な机があるだけだった。


 部屋に入るや否やバッツはまくし立てる。


「それで話を戻すが、おまえはザックスリーとどうやってやりあうつもりなんだ? 成長したといっても魔力特性の段階が原生から原核に上がっただけだろ。相手は真核魔力なんだぞ」


 急かされると焦らしたくなるのが人の心理。


「極めてシンプルなことだ。成長した俺の魔王としての力を使ってだよ。ここはナロウだ。これは知識と実体験によって理解したことなんだが、魔王や魔王候補は自国でなら、その領土から力を引き出せるんだ」


 疑わしい視線が送られてくる。


「歴戦の戦士との決闘だぞ。……どんな手品を使うつもりなんだ?」


 そのタネを明かすことはできない。だって、もったいぶらせたほうが、期待感を煽るだろう?


「そのための構想と設計はすでに頭の中にある」


「さすがに信じられん。スターロード陛下亡き今、この国でザックスリー公爵と肩を並べる魔力を保有する者はいない。古代からの家系をもつダーゴン伯爵ですら敵わないだろう。だから、まずはできるところから始めろ。ザックスリーとやるなら、ヒラルドにしておけ。あいつはビビリだ」


 なるほど。バカルドならまだ可能性のある対戦相手だ。現時点で勝率を計算しても0ではないだろう。


「でも、それじゃあ、インパクトがない。しかし、だ。もし、俺がこの国で最強の魔力をもつザックスリー公爵を負かせれば、その時点で親モーブ派を黙らせることができるし、中途半端になびいている聖エピス派にしたところで考え直さざるを得ないだろう」


 腕を組んだバッツは壁にもたれかかった。目を閉じてうつむき、そのまま動かなくなる。

 深く考え込んでいることは傍から見てよくわかった。噂によると彼の仕事ぶりはナロウでも最速らしく、大概の案件は即断即決であっという間に決裁済みの棚へ送られていく。その彼が熟考するなんてことは滅多にない。


「よし、ひとまずそう仮定しよう」


 なんだ、仮定かよ。


「もう一度大事な質問をするが、おまえは本当にザックスリー公爵に勝てるのか?」


「それは無理だ」


 この即答にさすがのバッツも声を荒げる。


「おい、おまえの言い出した決闘は明日の長老会議でやるんじゃないのか!?」


「だから、準備がいるんだよ。長老会議を十日ぐらい延期できないかな?」


 バッツはげんなりした顔で額に手を当てる。


「ザックスリー公爵の動きは聞いているだろう。こちらがロビー活動できるような時間を与えるはずがない。向こうは神輿も得て早くやりたいばかりのはずだぞ」


 そんなこたぁわかっとる。


「それを何とかするのが政治番長の役目だろ」


「その変なあだ名はやめろ。おまえが体調を崩したとか理由をつけて稼げるのは、せいぜい二日だな」


「二日? それじゃあ、少なすぎる。十日でも最低限の準備なんだよ。何とかならないのかよ、政治番長ォ~」


「だから、それはやめろ。チッ、十日あれば、ザックスリー公爵に勝てるんだな?」


 俺は顔つきを引き締めて頷いた。

 この奥の手は現段階では構想にすぎない。異世界の魔人からレクチャーを受けただけのため、実現のための実験データもない。やったことのない高難度の作業を行わなければならないのだ。

 十日後の仕上がりとしては、完成時と比較して五割程度の出来となることは黙っておいた。そもそもこれが形を成さなければ、ヒラルドにすら勝つことすらおぼつかない。


 土気色のインプはさらに顔色を悪くして口を開いた。


「わかった。十日は保証できないが、時間稼ぎは何とかしよう」


 俺の幼馴染みはこの上なく頼れる奴だった。




 ◇ ◇ ◇




「長老会議の開催が延びてよかったな」


 野暮ったい侍女服のイスファルはソファーに寝そべった状態でそう言った。彼女は思いっきりくつろぎながら俺のタブレット端末で超機動魔女ガン・アクスを一気読みしている。

 言語的な問題は、人間界の翻訳アプリを参考に、魔術を併用して大魔界語に簡易翻訳できる魔術アプリをちゃちゃっと作ってやった。やっぱ、俺って天才じゃね?


 ここは俺の自室の奥の遊戯室。夢と希望のつまった人間界仕様の特別室でもある。


 あの見掛け倒しの侍女は、俺が人間界とこの部屋を繋ぐため超次元渦動の開き方を教えてやったら、見事に実践してタブレット端末の通信経路を確保しやがった。

 魔改造の折に不要となった角の痕跡を消したのだが、おかげで魔力の出力が安定したらしく、魔術の行使がうまくなったらしい。怪我の功名というやつか。


 俺は黒板に引いた何本もの線の構成に頭を悩ませながら気のない返事を返す。


「まあな……」


 都に戻ったのはつい昨日のことだ。バッツはたった半日でザックスリー公爵など王政代行会議のメンバーに長老会議延期の了解を取り付けた。

 前日の延期申し入れにどのメンバーも文句たらたらだったらしいが、ザックスリー公爵がすんなり了承したため、他のメンバーもそちらに流れたのだそうだ。


 バッツによると、交渉の際にザックスリー公爵からモーブ皇国の来賓を同席させる提案があったらしい。ここは渡りに船と、来賓にふさわしい開催場所に変更をする必要がある、と返して延期の呑ませたらしい。

 場所の手配と警備体制の再検討、全参加者への通知にかかる日数として計七日。さすがは政治番長。


 正直なところ、それでも不足だが、いくつかの作業を後日に回すことで何とか稼働できる状態にはもっていけるだろう。


 ちなみに俺がどんな準備をしているのかは、レイリスを除いて、まだ誰にも明かしていない。情報が洩れることを恐れたためだ。


 そして、現在俺は自室の遊戯部屋にこもり、シコシコと工作作業に勤しんでいる。いやあ、俺って働き者だなあ。


 レイリスは父親を説得して、帰宅の翌日、つまり、今日からすぐに城に来てくれた。俺の側近と言えるのは、彼女とバッツの二人であり、居てくれるだけで心強い。

 現在、彼女は俺の名代として、多数の魔貴族と面会をしているところだ。というのも王城内に田舎の魔貴族が寝泊まりしているからである。


 前日ともなれば会議のために王都入りした魔貴族は多く、都にはすでに参加者が多数参集している。

 裕福な連中は都の別宅や高級宿に滞在しているそうだが、そんなのは一握りで貧乏者や田舎者は途方に暮れて城壁の外で群れを成していた。大抵は降って湧いた七日間の宿泊先に苦慮するものらしい。


 さすがに自宅前に浮浪者よろしくたむろされると気分がよくないので、何とかするようバッツに言ってやった。

 同人誌即売イベント主催者には前日から列に並ぶ輩を統制する義務がある。大変な近所迷惑だ。


 すると、奴は両サイドに美しい女性秘書を侍らせてこう言った。


「今は忙しい。その程度は自分で片付けろ」


 何て奴だ。俺が入場待ちの列に並んでいたら、口汚く罵っているところだ。


 そのため、俺はやむを得ず、王城にゴマンとある空き部屋に泊めてやることにした。

 おかげでその貧乏魔貴族どもが礼を述べにいちいち俺の元を訪れるにきたわけだ。それで、クラ姫にはそいつらの相手をしてもらっている。だって、俺忙しいし、知らない人と話すの苦手だし。


 とは言え、彼女には多少の時間を作ってもらい、魔術に関するアドバイスをもらった。おかげで俺の片寄った知識では効率の悪かった魔術機構をいくつも改善することができた。

 また、こちらに来てくれるよう使いを出したときに、魔王特有の特権についての調査もお願いした。こちらはすぐに答えが出て、魔王や魔王候補が自分の国土とされる土地から魔力を引き出せるという事柄の裏付けがとれた。

 ネット検索で見つからないことが調べられるのだから、レイリスん()の深淵図書って凄いねー。


 ところで、最近姿を見ないシルバーメリーがどうしているかというと、引き続きバッツに信用できる雑用係としてコキ使われている。

 ただし、意外や意外、彼女には機転のよさと行動力があり、なかなか有能だったらしい。そのためバッツが秘書として近衛隊から引き抜いてしまった。

 ま、彼女が戦いで命を落とす可能性が減ったので、よいことだと受け止めることにした。あと、給料は近衛兵のときより遥かに高額らしい。


 ただ、メリーは専属侍女不在の今、身の回りの世話も多少なりとしてくれていたので、現在そちらの業務が滞っている。


 俺は何度も書き直している設計図を見つめたままで言った。


「喉が乾いた。ピカリン、飲み物持ってきて」


「いやだ。今、いいところなんだ。ダーク=アクスニカが、未来を予知してその幻影を見せる悪魔と対決をしていてだな。過去を捨てたはずの光流院まどかが、存在しない未来とこれからあるであろう未来の狭間で過去のトラウマに苦しめられているんだよ。あいつの過去がもう少しであかされそうなんだよ」


 そんな説明、どーでもいい。


「で?」


 その先まで内容を知っている俺が冷たく言い放つと、短い答えが返ってきた。


「邪魔をするな」


 俺はチョークをおくと、ドスドスと大きな足音を立ててソファーへ詰め寄った。

 大手通販サイト『ニケヤ』で注文したこの長椅子はかなり大きめで、大人がごろりと横になれるサイズである。木のフレームとグレーの布をかぶせたクッションがモダンな印象を与える。隣室の大魔界製の家具類にはそぐわないが。


「おまえは俺の侍女のピカリンだろ」


「運動がてら自分でとってくるといい。おまえは動かなさすぎだ」


「侍女服を着てるんだから、侍女の仕事をしろよ」


「そもそも、なんで私はおまえの侍女で、名前もピカリンなんだ?」


 と自分の紺色の服をつまむイスファル。

 すでに何度も訊かれた質問だが、自分自身が納得できていないので、うやむやにしてきた。俺は今回も気のない声で答えた。


「それには深いわけがある。今は言えないが」


「咄嗟に適当なことをぬかしておきながら、よく言う。まともな理由があるなら、説明しろ」


 クッ……。こんな奴に、おまえを自由にしてやるため、とか言っても通じないだろうな。

 俺は一旦目を閉じ、重々しく開くと、自分で造形した形のよい鼻の先端に指を突きつけた。


「おまえは俺様の魔改造魔族第一号だ。つまり、この世に二つとない芸術作品だ。それをそばにおいて愛でるのは当然だし、そのためには侍女が一番無難な設定なんだよ。それに自分の作品に命名するのは当たり前のことだ。おまえは、もはや『イスファル』ではない。絶対に人前では古い名を使うな。これは命令だ」


「おまえの命令に従う義理はない」


 俺の指は羽虫のごとく邪険に払いのけられた。説明が面倒になった俺は重荷を抱えるように掌を上に向けて怒った。


「なら、なんで俺のところにいるんだよォ。さっさとあの裏切り女のところにいけよ!」


「いやだ」


 クソッ、本当ににべもないな。


「だから、どうして私がおまえの侍女なんだ?」


「それはな……俺の侍女がおまえらモーブの兵士に殺されたからだ」


 俺が疲れた声でそう答えると、ピカリン顔の瞼が伏せられ、神妙な面持ちに変じた。


「そうか。それなら仕方がない。私が侍女になってやろう」


「はあ?」


 こいつは何を言っているんだ?


「おまえ、おつむは大丈夫か? 嫌なんだろ?」


「おまえこそ大丈夫か。飲み物はいらないのか?」


「いや、いる」


「なら、黙って作業を続けろ。私が持ってきてやる」


 イスファルは俺を元の場所に押し戻すと、弾むような足取りで遊戯室を出て行った。

 そして、十秒後に戻ってきた。


「厨房はどこだ?」


 俺は溜め息とともに立ち上がり、悪びれた様子もない彼女についてくるよう指示をした。

 侍女として一から仕込まなくてはいけないのか。バッツに言ってメリーを寄越してもらう必要がある。少しの時間でもいいからこの新任侍女にレクチャーさせたい。


 城の厨房は一階の東棟にある。それほど大きくないが大厨房と呼ばれている。石造りの部屋に入ると壁にはフライパンが大量にかけられており、直火調理用の暖炉や黒いオーブンに火はなく、現在は仕込み中の調理人が忙しく立ち働いていた。

 エルフの厨房長に一声かけてから俺はたまねぎなどの日持ちする野菜が吊るされた冷暗室からリンゴジュースの瓶を持ち出した。イスファルは手近な食器棚からマグカップを取り、俺たちは厨房を後にした。


 道々、俺が求める侍女像を説いたのだが、彼女には響かなかったらしい。部屋に戻る前にイスファルの奴はリンゴジュースの瓶をラッパ飲みし始めた。

 部屋に戻ると、侍女らしくマグにジュースを注ごうとしたが、いらないから自分で飲めと告げて、薄暗いプレイルームに戻った。


 イスファルはマグを片手に後に続く。後ろ手に扉を閉めつつ言った。


「なあ、一つ頼みがある」


 黒板に向ったまま俺は生返事をする。


「ああ?」


「私に名前をつけてほしい」


「ピカリンじゃ不満か?」


「シルバーメリー殿に聞いたぞ。おまえは自分の近習には愛称をつけると。つまり、ピカリンは愛称だ。それではなく、私の名前を変えてほしいんだ」


 脳裏に金毛のコボルド娘の笑顔が甦った。ゴールドマリーとシルバーメリーという名は戯れにつけたものだ。魔貴族の宮廷作法に対して何となく反感を持っていただけのこと。

 だが、本名を変えるということは、自分自身を変えるということだ。過去を捨てるということだ。図らずも彼女は本当に生まれ変わる決心をした。


 俺は手を止めて振り返り、首をかしげて彼女を見つめた。角のないメイド姿の女性は正面から見返してくる。


「おまえが言ったんだぞ。イスファルの名は捨てる。新しい名はおまえがつけてくれ」


「本当にいいのか?」


 首が縦に動いた。


「わかった。長老会議までに考えておく」


 ピカリンこと光流院まどかに似た顔に安堵の表情が浮かんだ。


 面倒な仕事が増えたものだ。そう思いつつ、俺は構想を現実の設計にする仕事に戻った。やることほまだまだ山積みだった。元鉄仮面のモーブ女に構っている暇などないのだ。


 俺の制作しようとしているものには、フレームとなるものが必要だった。しかし、それは前魔王(おやじ)が初陣用に用意してくれていた戦装束を流用することで、工期の短縮と部材の品質が担保できた。

 そいつは、すでに鍛治屋に預けてある。少々の構造上の変更と可能な限りのデザイン変更を依頼してある。そいつは昔からの王家御用達の職人なので他の仕事をすべて後回しにして引き受けてくれた。


 あと重要な点として、埋め込む魔術機構の設計の精度を上げることと、組み込む予定の新機軸のギミックとのマッチングがあり、今、俺は後者に頭を悩ませていた。

 七日しかないため、完成度を少しでも三割に押し上げなければならない。らしくないことだが、俺を支持してくれたバッツやレイリスの想いに少しでも応えたいと強く思った。


 俺は寝食を忘れて開発に没頭した。




 ◇ ◇ ◇




 長老会議、当日の清々しい朝。ここはよく晴れた空の下が会場だ。会議はてっきり城の大広間みたいなところで実施されると思っていたが、収容人数の関係で屋外会場となったそうだ。ちなみに、ここは城外の練兵場である。

 練兵場には投票権のある家門ごとの天幕がコの字形に並べて張られている。その下に一族を代表する魔貴族たちの席が用意されており、代表者以外に一族から数人連れているケースが多かった。背後の立ち見席にはそれ以外の魔貴族や有力者たちが集まり、親モーブ派の優勢を噂しながらナロウの行く末を見届けようとしていた。当然のごとく大勢の無責任な話し声によって朝から非常にうるさい空間と化していた。


 天幕の中でも左翼中央に位置する上席にはザックスリー一族が陣取り、そこにモーブ皇国の来賓席が設けられていた。俺の席は右翼の中央だ。本来なら本陣に相当する中央ブロックが王族の位置のはずだが、そこには聖エピス寄りの連中と中道という名のどっちつかず派を集めてあった。ある意味、そこは緩衝地帯であった。

 コの字の中にある広いスペースには正方形のやはり大きな舞台が設けられ、そこには演壇が設置されており、後程俺はあそこで演説を一席ぶたなければならない。こんな衆人環視の中で喋らせるなんて、とんでもない拷問だ。俺にシネというのか。


 演壇のそばには会議の進行役や書記官など運営側の席がもうけてある。主催者であるバッツの席はそちらになるらしい。そこにはテントはないが、大きな日傘が立てられている。

 また、レイリス姫の席は俺と同じ右翼ですぐ隣であった。もちろん、強面パパ、ダーゴン伯爵も一緒だ。顔が怖いので、軽く挨拶だけしてあとはパパさんを見ないようにした。


 開催を待っている間、俺は眠い目をこすりながらレイリスと話をして気を紛らせた。


「いろいろお願いしちゃったけど、体調は大丈夫かい?」


「はい、大丈夫です。ご心配をおかけしました。魔力の消耗が激しかっただけなので、それはもう回復しました。今日は日射しが強いのですが、天幕が遮ってくれるので体調は問題ありません」


 そう言って儚げな微笑みを浮かべた。いやあ、美女の笑顔は心が洗われるなあ。

 とりあえず彼女には水で満たしたペットボトルを渡してある。その蓋の部分に電池式の加湿器がついており、ブオーという音を立てて顔面に白いミストが吹き付けている。俺のちょっとした気遣いだ。乾燥しているため、そばにおいておくと気持ちいいらしい。


 俺は対面のザックスリー家のテントに目をやる。そこにはものものしい護衛に囲まれた公爵と子爵の親子がいた。公爵は鷹揚にかまえ、挨拶に来た魔貴族へ返事をしている。落ち着きのある態度で豪華な椅子に座っていると俺より魔王らしく、あれに挑むのかと思うと肌が粟立つ。

 一方、息子は隣のモーブ皇国テントへ身を乗り出し、夢中になってセイヴィニアへ話しかけている。対する魔皇女はそっぽを向いて気のない返事をしているようだ。腹心の霊血の同胞(シストレン)二人がどこにもおらず、そのことに俺は不穏な空気を覚えた。


 特にサキュバスのモリルの姿がなかったことが気にかかる。彼女は厄介な精神系の魔力を使う相手なので、見えるところにいないと不安の種でしかない。

 しかし、彼女がいかに強力でもここにはナロウで有数の魔貴族が集結しており、下手に魔力を使えばすぐに気づかれて騒ぎになる。そうそう好き勝手に魔力を揮るうことはできないはずだ。


 怪しい人物が紛れ込んでいてもわからないこの観衆の多さに不安を感じた俺はバッツの姿を探した。駄目だ。見つからない。広い会場に溢れんばかりの人だかり。まさに砂糖にたかる蟻のようだ。


 自力捜索を諦めた俺は侍女にバッツを呼んでくるよう命じた。すると、新任侍女は俺の頭をつかみ、グイッと力任せにねじ曲げた。声にならない悲鳴をあげて俺はのたうち回る。しかし、力強く押さえつけられた頭だけはビクともしない。

 首の違和感をこらえて、強制的に向けさせられた先を見るとどっちつかず派の席をフラフラしている土気色のインプの姿があった。

 彼はほどなくこちらに足を向け、右翼にやって来た。疲れた顔を俺たちの間に差し挟んで小声で言う。


「票集めはやはり思わしくない。あとは、ポオ、おまえの肩にかかっている。仕掛けるタイミングは任せるから、思い切っていけ。アドバイスをさせてもらうと、手遅れになる前に、つまり開票前にぶちかませ」


 それだけ言うと、彼は運営事務局の席へと戻っていった。


「慌ただしい奴だな」


「それだけ、スリザール伯爵も必死なんです」


 レイリスは気負った眼差しで見送り、そう言った。繊細な花のように儚げな顔立ちは緊張が強く一層青白く見えた。

 俺は安心させるように彼女の腕に触れる。


「そう見えるだろ。しかし、違う。あれはいわゆる演出だ。バッツなりに盛り上げようとしてくれてるんだ」


 意味がわからないと彼女は小首をかしげる。美少女らしい実に可愛らしい仕種だ。ま、俺ほどではないがな。


「演出、ですか?」


「そう。今日は俺の魔王位継承を祝う日になる。そのために、あいつはわざと不利な状況を演出しているんだ。君の手伝ってくれたアレさえあれば、俺に負ける要素はない」


 レイリスは俺の手を握り返す。


「ですが、あれには何か得体の知れないものを感じます。本当にポオ様はあれをお使いになるのですか?」


「心配ない。俺にはオタク文明の超技術と深淵図書の叡知がある。だから、安心してくれ。俺に扱えないわけがない。すべては演出なのだ」


 アニメかマンガならな。実際のところ、起動するかは試したが、実証実験はできておらず、想定した効果で機能するかは未知数だった。いわゆる、ぶっつけ本番というやつだ。ポージングの練習は完璧なのだが……。


 俺が不安を忘れようと演説の原稿を読み直していると、恐れながらと話しかけてくる男がいた。顔を向けると、数人の貧乏臭い魔貴族が俺に向けて頭を下げていた。


「はい、どちら様でしょう?」


 俺が席を立ってそちらを向くのを待って男たちは頭をあげた。


「私は、王都から北に遠く離れた所領をもつ郷士で、名を…… 」


 貴様に名乗る名などない! と見得を切る俺の姿が頭をもたげた。いや、唐突に妄想している場面じゃないな。

 その男は地方に所領をもつ爵位のない魔貴族でグロム・ドンナーと名乗った。一緒にいるのはドンナーと同じ地方に領地をもつ郷士であった。

 ドンナーは腰を屈めて恭しく言う。


「宿のなかった我らに王城への宿泊を許可していただき、ありがとうございました」


「いえ、お気になさらずに」


 その件はクラ姫が相手をしてくれたはずだが、と頭を悩ませていると、レイリスが言葉を添えた。


「ポオ様、ドンナー様の所領はモーブ皇国軍によって侵略されたのですが、セイヴィニア様を捕虜になさったことで解放された地域に含まれるのです。だから、どうしてもポオ様に直接感謝を伝えたかったそうで、長老会議の前にお会いになることをお勧めしました。いけませんでしたか?」


 余計なことしやがって。俺が人嫌いなの知ってるだろが。


「そんなことはありませんよ。郷士ドンナー、あなたの領地は今後も私が保証します。だから、安心して自分のお席で開会を待つといいでしょう」


「はい。殿下、それでは失礼致します。レイリス様との末永い治世を切に願っております」


 おい、そのクラ姫と末永くお幸せに的な発言は何だよ。俺が険しい目で横を見ると、レイリスは頬を赤らめて嬉しそうにうつむいていた。ちなみに、その向こうでパパ=クラーグスが鬼のような形相でこっちを睨んでいた。

 お、俺のせいじゃないぞ。クラ姫を問い質そうとしたところで、別の男に話しかけられた。


 ドンナーのすぐ後ろにいた奴だ。


「殿下、お初にお目にかかります。拙者、ナロウの東端のケラブノに居を構える。郷士リーフデ・デトワルと申します」


「は、はい」


「この度の殿下の寛大なご対応に是非とも感謝の意を述べたく参上しました」


 と深々と頭を下げるデトワル氏。彼の背後には別の人物が出番待ちをしている。


 まさか、と首を伸ばしてみると、並び立つテントの隙間に、案の定長蛇の列ができていた。俺はクラ姫にジト目の一瞥を与えてうなだれた。その後デトワルの肩をつかんで、当たり前のことをしたと言って下がらせた。

 俺は傲然と頭を上げ、目の前の行列の前で仁王立ちとなり、居丈高にふんぞり返ってやった。なぜか歓声が湧き起こった。


 ひと通り、挨拶がすんだ頃、身悶えしながら接見する姿を見ていたバッツが立ち上がった。長老会議運営事務局席から合図がなされて銅鑼が鳴る。割れるような音が喧騒を圧して鳴り響き、会場は一転静まり返った。

 ついに長老会議が始まるのだ。会場に参集した人々の息遣いだけが聞こえる。誰もが今か今かと待ち受けた。


 バッツの朗々とした声が広い練兵場に響く。彼は今、正方形の舞台の中央に立っていた。


「本日はナロウ全土よりお集まりいただき、感謝します。今、ナロウは未曾有の危機を迎えている。この危機を乗り切るには、強力な指導者が必要だ」


 観衆はじっと次の言葉を待った。発言者は大きく腕を振って断言する。


「それは力ある魔王だ! これより、魔王子ポオの魔王位継承を問う長老会議を始める!」


 高らかに宣言がなされると、歓声が湧き起こり、俺はそのどよめきにびっくりして左右を見回した。


 その後、バッツの議長就任の決がとられ、会場中に響く割れんばかりの拍手で承認された。続いて書記官による議題の読上げが行われる。


「議題を申し述べます!」


 緊張もあるだろうが、バッツのよく通る声とは異なり、四人が四方に声を張り上げてようやく会場内に言葉が届く。


「一つ! 魔王子ポオ殿下によるナロウ魔王位の継承! 一つ……」


 他に、宰相職の設置の是非とか、モーブ皇国との戦争の継続可否とか、王政代行会議と同じような議題が上ったが、俺の耳にはまったく入ってこなかった。

 なぜなら、この後、俺の決意表明の演説が待っているからだ。ああ~、緊張する~。


 書記官が下がると、再びバッツが前に出た。俺は慌てて居住まいを正す。


「これより魔王候補からの決意表明を頂戴する。魔王子ポオ殿下、こちらに登壇願います」


 彼の手は事務局席前、舞台中央の演壇に向けられた。


 いよいよだ。俺は持ち物を確認すると、ギクシャクする手足を動かして椅子の間をつまずきながら進み出た。大勢の視線を浴びて頭がくらくらしたが、我慢して階段を上って演壇にたどり着いた。


 バッツが俺を紹介し、それから俺にふった。


「殿下、お願い致します」


 天幕の下に居並ぶ千人以上の視線が俺に集中する。あわわ……。何か面白いことを言わなければならないような気がする。いや、それは気の迷いだ。


 バッツはすでに舞台を下りて自席へと戻っており、頼れるのは己だけだ。

 俺は落ち着くために深呼吸をしながら原稿をチラ見して、最初に何を言うべきかを再確認した。


 おもむろに右手に持つ拡声器を口に当てる。それから、電源スイッチ、オーン!


「みなさーん、こんにちはー」


 途端に左翼席と中央席から野次がとんできた。挨拶をしただけで反感を受けるとは。トホホ……。

 しかし、少し前まで自宅警備員だった俺がこの国の代表を決める会場で国民を前に話をするなんて想像もしなかったことだ。これをマリーが見てくれたら、どれだけ喜んでくれたことか。

 ふと視線を向けると、事務局席にメリーが座っていた。彼女は固唾を飲んで俺に注目している。見守ってくれているのだ。


「えー、私は魔王子ポオ、ヒキオタニートです」


 メリーの眼差しが痛々しいものを見るように変わった。彼女らしい反応に俺は心が安らいだ。しかし、聴衆の大半は言葉の意味がわからずポカンとしている。魔貴族のサブカルへの理解度などこんなものだ。

 ちくしょう、この無知蒙昧どもめ。赤い人も、愚民どもに今すぐ叡知を授けてみせろ、と逆ギレして言っていた。ちなみに、デザインの勉強をする子供番組の赤い人ではない。


 狼狽を隠すように咳払いをして落ち着く時間を稼いだ。


「私はモーブ皇国の突きつけた降伏条件『王族の皆殺し』を撤回させようと、軍団長セイヴィニアのいるモーブ皇国南方面軍の本陣を目指しました。それは自分の命惜しさの行動でした」


 アキバハムートガハラで購入したスペシャルな拡声器によって増幅された音声は多少のワレを伴いつつも野次を消してくれた。


「しかし、そこで私は大事な……とても大事な友人を亡くしました。彼女は侍女であり、私のかけがえのない友人でした」


 俺は苦い思い出を反芻しながらそのときの気持ちを吐露した。


「そこで私は本当の憎悪というものを知りました。モーブ皇国を国民から国土から一切合財を大魔界から消し去っても構わないと思いました。そして、私は文字通り敵軍団長の心臓を鷲掴みにして殺す寸前までいきました」


 会場にどよめきが走る。ザックスリー陣営の不愉快そうな視線が俺に多数刺さったが、構わず話し続ける。


「だが、ここで剣光騎士に諭されました。殺してしまったら、それで終わりだと。それ以上のことにはならないと。むしろ、ナロウ全土はより過酷な状況を迎えると」


 俺は咳き込んだ。普段、こんなにたくさんの人々を相手に話すことはない。緊張のせいで、あっという間に口の中が乾いてしまったのだ。

 すると、いつの間にかそばにいたイスファルが演壇の上になみなみと注がれたグラスをおいた。色合いから察するにブドウジュースらしい。珍しく気が利くなと思いつつグラスを手に取る。

 ちょっと酸っぱさがあったが、気にせず一気に飲み干した。途端に胃がカッカしてきた。よく見ると、イスファルの手にはワインらしき酒瓶があった。


 俺は顔が熱くなってきた。初めて飲んだワインのせいだ。とは言え、思ったより大丈夫だった。頭は冴えているし、しかも気持ちがのってきた。これなら、演説もバッチリ完遂できそうだぞ。俺は酔い始めた心地よさを楽しみながら、力強く言葉を続ける。


「亡くした友人の故郷やナロウの各地が蹂躙されるのを想像すると、自然に私の手は止まりました。セイヴィニアを殺すことをやめたのです」


 イスファルがおかわりを注いでくれた。それも一息にあおる。


「その後、この王都でセイヴィニアの部下の精鋭の襲撃を受けました。しかし、それを撃退し、逆に捕虜にしてやりましたYO! 魔王にふさわしい偉業でSHOW!」


 またまた会場がどよめきに揺れる。それに乗じて声援がかけられた。俺は手を挙げて応える。なんだか、原稿から話が逸れてきたけど、ま、いいか。


「私はヒキオタニートだが、魔王子です。ナロウのことを強く思っています。たとえ聖エピスに拉致されたとしても、必ずナロウに生還するのでございまする!」


 つい語尾が滑った。どうやら、アルコールをというやつを見くびっていたらしい。多少は酔いが回ってきたが、まだ大丈夫だ。


 俺はみんなによく伝わるよう身ぶり手振りもまじえて決意表明を続けた。

 そのせいもあり、酒の酔いは急速に進んだ。俺の視界はぐるぐるし始め、周囲の反応もよくわからなくなってきた。おそらく、俺の瞳は今頃渦巻き型に変わっているはずだ。少なくとも俺の読んだマンガではそうだった。

 見渡す限りの聴衆までもが全員ノリノリで体を縦に動かしているようだった。


 ぐーるぐーる、ぐーるぐーる。


 ちょっとめまいがするな。俺は抵抗するように空を仰いだ。それにしても、お酒って楽しい飲み物だな!


 青空ぐーるぐーる、会場もぐるぐるぐるぐる、視界はぐるるるるー。


 そして、俺は仰向けにぶっ倒れた。




 次の瞬間、自席で目を覚ます俺。我ながら艶っぽい寝起きの声を発する。


「……う、うぅん」


 キョトンとして周囲を見回した。その拍子にひどい頭痛がすることに気づいた。


 頭がやけに痛いな。どこかにぶつけたか?


 あれ? 俺は中央舞台で話していたはずだが。なぜ、自分の天幕に戻っているんだ?


 頭にかかっていた靄が晴れてきて、そばでレイリスが俺の首筋に掌を当てて顔を覗き込んでいることがわかった。彼女の角は光り、どうやら再生の魔力(リジェン)を使っているらしい。どうしてかはわからないが、すごく残念そうな顔をしている。

 俺は理解できない状況を尋ねた。


「俺はいったいどうしたんだ? 演説をしていたはずなんだけど……」


「その……殿下は酔い潰れてしまわれたのです」


「ええっ!?」


 俺は仰天して一気に覚醒した。


「ちょ、ちょっと待ってよ。なら、演説は?」


 首が横に振られた。


「殿下は話している途中で倒れてしまい、そのままここに運ばれたのです。今、体内のアルコールを分解しているところです」


「ま、マジか……」


 俺はそばで待機しているイスファルに目を向けた。彼女は酒瓶を棍棒のように担ぎ、俺を見下ろしている。その顔に何の感慨も浮かんでいない。


「おまえ、わざと酒を飲ませたのか?」


「ああ」


 短い返答に対し、怒りを抑え、俺も短く問う。


「なぜだ」


「喉が渇いていたのだろう。果実系の飲み物なら飲めたはずだが」


 新任侍女はしれっと答えた。いや、本当はセイヴィニアの名前を持ち出したから、わざと酔わせて喋れないようにしたに違いない。

 顔をしかめて睨みつけたが、彼女は無言のまま動じなかった。


「酒は舐めたことしかねーんだよ」


 俺はぶっきらぼうにそう言うと、椅子に深く座り直した。そのまま身を沈める。

 前魔王の息子である俺に希望を抱いた前魔王派やダーゴン伯爵、それに貧乏魔貴族たちのがっかりした顔を見たくなかったからだ。視界の端で見えた多数の顔は沈み、子供のときから周囲に居た連中と同じような顔をしていた。そこにあるのは失望だった。


 俺の失敗で投票は惨敗に終わるだろう。やはり、正攻法に頼ることはできない。あとはどのタイミングで喧嘩をふっかけるかだ。俺はイライラして爪を噛みながら舞台上へと目を向けた。


 現在、演壇では、ヒラルド・ザックスリー子爵が俺の魔王位継承について声高に異論を唱えている。ダイナミックなボディランゲージが大衆の目を惹いた。


「奴の体たらくを見たか!?」


 と掌を前に突き出す。


「私はこの赤い目ではっきりと見た! こんな奴が魔王でナロウは立ち行くのか?」


 ここで打ち払うように大きく手を振った。


「否! そんなことはあり得ない!」


 拳をグッと握って顔の高さに持ち上げ、さらに訴えかけてきた。


「しかし、ナロウに未来がないわけではない!」


 そして、一連の動作のようにその手を勢いよく左翼のテントに向けた。


「見よ! 我がザックスリー家はモーブ皇国第二魔皇女セイヴィニア殿下を賓客として受け入れ、保護している!」


 この若きルビーアイド=ナイトメアは満面の笑みを浮かべた。


「モーブとの和平の日も近い! 我が父、ザックスリー公爵がナロウを救うからだ! ザックスリー公爵こそがナロウの救世主なのだ!」


 割れんばかりの拍手喝采が湧き上がった。なかなか見栄えのするポージングの連続だった。それに、やり過ぎ感もあったが、自然な感じでよく動いた。俺にも見習うべき点がある。バカルドのくせに侮れん。


 歓声はいつまでも止まず、ザックスリー公爵自身が立ち上がって片手を挙げて歓声に応えてようやく静かになった。


 俺は顔をしかめた。どうにもキナ臭い。俺を貶めることが目的ではなく、自分の父親を持ち上げていることが気にかかる。


 ヒラルド・ザックスリーは盛大な拍手を送られつつ舞台を後にした。


 投票に移る前に意見を募る手順となっており、それによりヒラルドが発言したのだ。これはいわゆる応援演説やネガキャンの時間である。レイリスによると、奴で五人目で最後らしい。

 本当は俺への応援演説も手配されていたはずだったが、とんでもない醜態をさらした後では、とても応援などできなかったらしい。

 発言権があるのは爵位持ちのみのため、飛び入りがいなければ続いて投票へと移るはずだ。


 恐る恐る事務局席に目を向けると、バッツが苦虫を噛み潰したような顔で演壇を眺めていた。主催者は投票こそできるが意見を述べることは許されていない。長老会議そのものを仕切っているため、運営側の裁量でいくらでも贔屓ができるからだ。そのため、自分で喋れず歯痒く思っているのだ。


 俺が意気消沈していると、ザックスリー陣営で盟主たる公爵を呼ぶ声が起こった。


「ザックスリー! ザックスリー!」


 それは瞬く間に大合唱へと変じる。


「ザックスリー! ザックスリー! ザックスリー! ザックスリー!」


 その声に背中を押されたかのようにザックスリー公爵はゆっくり立ち上がる。そして、右手を挙げて事務局へ合図を送った。発言をしたいということだ。

 バッツは舌打ちをしたようだったが、頷いて書記官を差し向けた。派遣された書記官に案内されて公爵は舞台へと上がった。彼が演壇についたタイミングで騒ぎは静まった。


「親愛なるナロウ国民諸君! わしがザックスリーだ!」


 再び歓声が湧き上がるが、公爵の鷹揚な頷きに応じてすぐに消えた。


「我が息子が僭越な発言をしたことを、まずは詫びよう。この場に参集されたすべての魔貴族諸君! 申し訳ない」


 拍手が左翼に限らず鳴り響き、会場を席巻した。俺はすっかりその勢いに呑まれた。どれだけ支持者を獲得しているんだ、この男。


「今、わしがセイヴィニア殿下を保護しているのは事実だ。そして、それによりモーブ皇国との和平に向けて現在精力的に動いており、それに対する回答も数日中に我が元に届くはずだ」


 希望を持てる発言に対して、聴衆は盛り上がり、再度けたたましい拍手が鳴る。


「わしは、過去、前魔王スターロードと魔王位を争い、敗れたことがある。いまさらその雪辱を晴らすつもりなどはない。しかし、ナロウという国がわしを望むなら、立つ力はまだこの身にある。ただし、でしゃばるつもりもない。ポオ殿下の魔王位継承を問う投票が否決されたのであれば、考えてもよい。わしが代わりに魔王位を継承することを!」


 大歓声が巻き起こり、会場は興奮の坩堝となった。暗に、自分に期待するなら、俺の投票には反対票を投じろ、と言っているのだ。

 ザックスリーが前魔王(おやじ)と魔王の座をかけて戦ったことは俺は知らなかったが、どうやら有名な話らしい。誰もがザックスリー公爵を憚って話題にしなかっただけのことか。


「諸君、ここに約束する! 否決された場合に限り、わしがこの国の魔王に立候補しよう! そして、皆に望まれるなら、魔王位に即こうではないか!」


 くどく繰り返された内容に俺は唇を噛んだ。まんまと先手を打たれたのだとようやく気づいたからだ。

 ザックスリー公爵の狙いは俺の魔王位継承などではなく、自分自身がナロウの魔王となることだったのだ。奴は思いのままの結果を出せるだけの票をすでに獲得しているに違いない。

 そして、奴の提案が可決されたら、ザックスリーに対して決闘を申し込むことは、すなわちこのナロウそのものを敵に回すことと同意になる。


 想定外の発言にバッツも慌てたらしく、走って舞台に上がると、何やらザックスリー公爵と相談をし始めた。その最中にチラリと俺のほうを見たことが俺の気を重くした。まるで品定めをされたような気がしたからだ。

 やがて、バッツは演壇から離れると、大きな声を出した。


「ザックスリー公爵より、実に有益な提案をいただいた。しかし、当初より案件は多数あり、議題にないことを急に決めようとしても対応できない可能性がある。そのため、まずはできるか運営内で相談させてほしい。そのため、これから三十分の休憩とする!」


 彼のアナウンスを書記官が再度周知した。にわかに騒がしくなった会場には聞く者はいない。


 バッツは演壇に向かって言った。


「ザックスリー公爵、お席にお戻り願いたい」


 公爵は会釈して踵を返す。ひと際大きな拍手とザックスリーコールに送られて自席に戻っていった。

 バッツは事務局席に戻ると、頭を寄せ合って相談を始めた。


 俺は大きく息を吐き出して背もたれに身を預ける。騒がしい左翼と比べて俺のいる右翼はシーンと静まり返った。形成の不利にとどまらず、敵の狙いすました一撃がこちらを黙らせたというにふさわしい状態だった。

 俺のテントを中心にまるで葬式会場のような空気が漂っていた。


 暗い雰囲気の中、レイリスが言った。顔は沈みきっているが、その押し殺した声には強い恨みがこもっているようだった。


「こ、こんなことは許せません……。この長老会議はポオ様が魔王となるために開催されたものです。ザックスリー公爵を魔王にするためのものではありません」


 彼女の手は強く握りしめられ、一層白くなっていた。いろいろな意味で血の気の少ないレイリスらしからぬ様子だ。


「ポオ様、ここでお待ちください。及ばずながら、私が登壇してポオ様の素晴らしさを会場に伝えてきます!」


 この発言にダーゴン伯爵が慌てて娘の肩をつかんで引き留める。


「レイリス、もういい。大勢はもはや覆らぬ。これ以上、敵を増やすようなまねをしなくてよいのだ」


「嫌です!」


 その手は激しく振り払われた。


「私はポオ様に魔王となっていただきたいのです!」


 俺は立ち上がると、レイリスの手をそっと握り、彼女の席まで連れていった。冷たい手はしっとりと汗をかいていた。座らせてから俺は優しく諭す。


「お父上の言う通りだよ。俺に味方しても、益はない」


「どうしてそんなことを言うのですか!? お慕いするポオ様になってほしいと思うのはいけないことですか!?」


 お慕いするとまで言われて俺は固まった。慕われることに慣れていないこともあるが、理由もなく慕われるとも思えない。何かしらの利益があるといった裏がなければ納得できない。

 意外にもダーゴン伯爵は興味深そうに俺たちのやり取りを眺め、口を挟まなかった。


 俺は強張った顔で屈むと、率直に尋ねた。


「君は、どうしてそこまで肩入れしてくれるんだい? 訳を教えてくれないか」


「ポオ様がお忘れなのは存じています。もう二十年近く前のことです。場所は王城の中庭です……」


 周囲の視線を受けてレイリス・クラーグスはうつむく。少し呼吸を整えてから静かに語り始めた。




 ◇ ◇ ◇




 ポオ様はご存じないかもしれませんが、純粋なクラーケン族は生まれたてのときは完全な人の形をしていないのです。水棲生物の混じった感じで、軟体部分も多いし、ポオ様もご覧になったと思いますが、触手が生えています。

 だから、見た目もぶよぶよで太っていましたし、白く半透明な体は同年代の子供たちから見ると気持ち悪いものでした。そのせいで私には同族以外の交遊関係はほとんどありませんでした。


 ある日、私はお父様に連れられてお城に向かいました。多くの方々が蔑視と好奇の目を向けるので外出は好きではなかったのですが、陛下に謁見を賜るためとのことで嫌とは言えませんでした。

 けっこう駄々をこねたんですけどね。まだお会いしたことのないスターロード陛下を見てみたい気持ちもあったんです。


 ですが、お父様の謁見時間までにまだ随分と時間があったので、私は中庭で遊んでくるよう言われました。

 お父様が色々な方とお話しているのを邪魔すると怒られるので、私は離れて一人で遊んでいました。そのとき、他家のご子弟の方々が現れて、私は彼らに囲まれました。彼らは面白がって私のことをからかい、ついには木刀を持って私を追い回し始めたのです。


 私は必死になって逃げました。彼らは王城の構造を知っており、先回りされたりして私は追い詰められてしまいました。

 彼らは切っ先を私に向けて、罰を与えると言いつつ迫ってきました。


 そのときなんです。ポオ様が現れたのは。


 ポオ様は腰布だけを身にまとい、頭には魔獣の羽根で作ったらしい冠のようなものをかぶり、顔には赤や青や色とりどりの絵の具を塗っていました。そして、私に詰め寄る子供たちを見や否や木刀を掲げてオワワワワッと叫びながら走り込んできたのです。

 子供たちはその勇ましさに恐れをなして蜘蛛の子を散らすようにいなくなりました。


 ポオ様は泣いていた私に優しく話しかけてくれました。


 私があの子たちに追いかけられて迷子になったことを伝えると、ポオ様はアワーワワワワッと叫んでから中庭まで送っていこうと言ってくださったのです。


 その後、ポオ様は私を連れて別の庭へ向かい、ここは危険なオークの森だとおっしゃって身を潜めるように言いました。すると、右の廊下からオーク族の侍従や侍女の方が現れて対面にある小部屋へ入っていきました。

 ポオ様は額の汗をぬぐう真似をして、奴らは正義の戦士を見つけると必ず追い回す危険な蛮族なんだと言いました。


 それまで私は、名前も知らないこの方は不思議なことをおっしゃる方だと思っていましたが、ここで腑に落ちました。


 これはごっこ遊びだったのです。それからはワタシも一緒に楽しみました。魔王妃様の寝室だった闇の間は目をつむって歩き、火炎地獄の大厨房に潜入してクッキーを獲得し、夜会にふさわしい華やかな大広間は新しい世界が作られる前のがらんどうの世界なので呑み込まれないように全力疾走で駆け抜けました。

 まさか魔王様のお城でこれほど自由に遊ぶことができるとは思っていなかったので、私は心から楽しく過ごすことができました。


 しかし、時間には限りがあります。そろそろ本当に戻らなければならないことを告げると、ポオ様はすごく寂しそうな顔をして、ですが笑顔で、じゃあ、戻ろうか、と入り口に程近い中庭まで連れていってくださいました。そこで私は現実に戻ったのです。


 ポオ様と私は植え込みの茂みに隠れて別れを惜しみました。そして、また遊ぼうと約束して別れたのです。


 最後にポオ様は名乗ってくださいました。愛の戦士インディアン・ポオだと……。


 もちろん、大抵の方についてはナロウ百家名鑑で知っていましたので、ここで私は初めてこの不思議な方が魔王子だと知りました。信義と優しさをもつ魔王子なのだと。


 そして、私は将来この方の治める国は優しい国になると思いました。




 ◇ ◇ ◇




 語り終えて、レイリスは自分の胸に押しあてていた両手をおろした。


「だから、私はポオ様の即位を待ち望んでいるのです。そのための努力なら惜しみません! そのための犠牲なら、いくらでも払います!」


 俺は愕然として白皙の魔姫を見つめた。


 こ、この女、まるで美談であるかのように俺の黒歴史を暴きやがった……。

 あのころはお袋が死んで一年が経とうかという時期で、ふさぎ込んでいた俺に親父がよく人間界の面白話をしてくれた。そこでとても気に入ったのがインディアンものだった。今にしてみればなかなかニッチなチョイスだが、当時の俺にとってそれが最高のヒーローだった。

 ジェロニモ、アパッチ、スーパーコブラ、エアーウルフ、男の武器トマホォゥク・ブゥッーメランといった多くの単語を覚えた。今思えば、俺が人間界に興味をもつきっかけでもあった。どうして親父が人間界の知識を持ち合わせていたのかは今でも謎だ。

 そんなことより、他人の恥ずかしい過去を衆人環視の中で言うことないだろ……。


 俺がこの暴露にどう対処してよいかわからず硬直していると、背後から声をかけられた。


「いい話じゃないか」


 バッツの野郎だった。振り返ると、幼馴染の疲れた顔がニヤニヤと笑い、あまつさえ肩を震わせて大声で笑いたいのをこらえている。


「もう仕掛けるタイミングは限られている。あとは勇気だけだ。必ず勝て」


「わかってるよ。酔いつぶれたのも演出だ。俺の偉大さを知らしめるには、まだ逆境が足らないくらいだぞ」


「なら、僕は先に勝利の祝杯を挙げても良さそうだな」


「当然だ。びっくり仰天してお股にこぼすなよ」


 おまえらしい台詞だ、と言ってバッツは去っていった。


 どうやら激励に来たらしい。が、素っ気ないやり取りだけして帰るのはどうかと思う。もっと言うべきことがあるだろう。とは言え、クールに言葉少なく言いたいことだけ言うのが、彼の流儀だ。

 それに俺がいじけてないので、安心したといったところか。覚悟を決めたのはレイリスだけではない。バッツも俺の味方をしたが故に、ザックスリーが魔王になれば家名が維持できる保証はないのだ。


 俺は立ち上がり、レイリスの席に背を向けた。何歩も歩く前にまた別の声が俺を呼び止めた。


「おい、クソ魔王子、さっさと魔王位継承を辞退したほうが賢明だぞ」


 チッ、今後はバカルドか。取り巻きを引き連れ、俺が黙って顔を向ける間も、奴は一方的に喋り続ける。そして、いつも通りのスカシポーズ。


「我々は長老会議参加者の半数以上を味方にしている。貴様にはもはや勝ち目はない。早めに降参すれば、クラーグス家とバッツ家は残してやってもいい」


 イケメンがニヤリと笑う。


「だが、おまえはダメだ」


 俺は怒りがこみ上げていたが、深呼吸をして頭を冷やす。こいつは俺のターゲットではない。その手前にある障害物にすぎない。そう、単なる小石。ダイマオウ、小石ニ腹、立テナイ。

 俺は冷めた表情で感謝と感想を述べる。


「ご忠告痛み入る。ただ、その似合わないポーズはやめたほうがいい。小物感が増して、見ているこっちが恥ずかしくなる」


「なんだとッ」


 奴は俺の服の襟を引っ付かんで引き寄せた。その拍子にボタンが弾け飛ぶ。


「今の台詞は撤回できないぞ。おまえは私を怒らせた。明日にはクラーグス家とバッツ家は一族郎党揃って罪人となる」


「おまえにそんな権限はないだろう」


「明日には私が魔王子だ。そして、父上が魔王だ。現在、王城の牢はがらがらだが、これからは反逆者が多数捕らえられることになるだろう」


 それを聞いたレイリスが弾けるように席を立った。


「クラーグス家はそんな脅しには屈しません! それにザックスリー公爵が魔王になる日は訪れません! ポオ様が本日、この場で魔王となるからです!」


 ヒラルド・ザックスリーは軽く舌打ちをした。俺を乱暴に押しやると、レイリスに近寄り、なれなれしくも彼女の手をとる。


「貴女は高貴な血筋のお方です。それにお美しい。私はあなたを害したくはないのです。それをわかってください」


「あ、あなたが礼儀を求めるなら、それ相応の礼儀をクラーグス家に、そしてポオ様に払ってください。あなたは相手に美辞麗句と侮蔑を与えます。そんな二枚舌、私は嫌いです」


 パチンと乾いた音が響いた。レイリスの左頬が赤く腫れ、唇の端に血がにじんだ。

 一瞬、何が起きたのか理解できなかったが、バカルドの平手打ちだとわかり、俺の中に強い怒りの衝動が湧き上がった。しかし、レイリスは毅然とした態度で真っ直ぐルビーアイド=ナイトメアの赤い目を見つめ続ける。


 俺はレイリスを庇うように前に出ようとしたが、肩をつかまれて乱暴に押し退けられた。代わりに大きな人影が眼前をふさぐ。

 それはダーゴン伯爵だった。白い髭の生えた顔に大きな変化はないものの凄みだけが増し、白い髭が貫禄を添えた。圧倒的迫力をまとって、彼はヒラルドの前に立ちはだかった。


「ヒラルド・ザックスリー、私の娘に手をあげたことは決して忘れん。今後、貴様に安穏な日は訪れんことを肝に命じておけ」


 相手が相手だけにビビルドの顔は哀れなほど引きつった。しかし、奴は辛うじて走って逃げることはしなかった。面上の怯えを消して何とか取り繕うと、フンと鼻を鳴らしてから捨て台詞を吐く。


「ダーゴン伯爵、あなたが新しい魔王子に許しを乞うときにどんな顔をするのか楽しみだ」


 そして、ナイトメアの公子の姿は消えた。


 ダーゴン伯爵はいたわりながら娘を座らせた。


 俺の怒りは捌け口を与えられず、腹の中で燻り続けた。このままでは胸が焼けてしまいそうだった。甘やかされた環境が一変して一ヶ月も経っていない状態では対人経験が乏しいままだ。この怒りをうまく消化できず、いつものように魔力が目に見えて噴出しそうになる。


 この怒りと魔力はまだ使うべき時ではない。気を落ち着かせようと目を閉じると、自然と自分のこれまでの戦いを(かえり)みることとなった。


 特に思い出深いのは魔王戦のことだ。演説なんて言葉のやり取りで勝ち負けが決するような戦いではなかった。

 大魔王と同格以上だという異世界の覇王が全力を出せば、その一撃でナロウ全土は灰燼に帰するだろう。彼に勝利したのはまさに僥倖といえた。

 また、底の知れない異界の魔人が指を鳴らせば、ナロウの生きとし生ける者は身動き一つできなくなるであろう。彼とは勝負がついていないが、彼はそんな勝負にこだわりはないようだった。むしろ、俗世や物理法則の埒外で好きにやっているのだろう。超常的という点で俺は彼から多くのことを学んだ。


 ザックスリー公爵に彼らみたいな芸当ができるはずもない。それを考えれば、恐れるものなど俺にはなかった。ここまでの舞台を準備し、俺を信じてくれた仲間に応える以外の選択肢はない。それに考えが至ると、ドス黒い激情はやる気へと昇華されていった。


 唐突に溢れ出る高揚感に俺は戸惑う。ネットで見た情報ではアドレナリンが分泌された故の万能感だと記してあったが、それは事実、事象にすぎない。

 今、大事なのは、それを分泌させた出来事であり、それに至るプロセスに俺自身がどんな意味づけをしたかなのだ。


 俺は自席に急ぎ戻ると拡声器をつかんで周囲の魔貴族たちに呼びかけた。


「皆さん! 聞いてもらえますか!」


 意気消沈していた周囲の魔貴族たちが俺を見た。どの顔も未来のない顔をしている。それも当然だ。担いだ魔王候補がポンコツだったのだから。今まで気にしてこなかったが、彼らも俺にかけてくれていたのだ。

 なら、俺は彼らに対しても責任がある。必ず魔王位を継ぐという責任が。


 俺はこれまでに培ったセルフプロデュース力を総動員して、自信のある顔を見せた。レイリスは俺の力のこもった言葉に何かを察してくれていた。ただし、ダーゴン伯爵ドレド・クラーグスは問いかける視線だけを送ってくる。

 俺は深く息を吸ってから口を開いた。


「もうじき投票が始まります。この場には、私に投票することをためらっている方が多数いることでしょう。私は今日、確かに長老会議に参加していますが、それは投票をするためではありません」


 ダーゴン伯爵の視線が焼け付くようなものに変化した。彼は黙ったまま一層強烈に俺を見据えた。


「魔王位を継承するために来たのです。皆さんは、魔王の位を多数決で決めたなどと聞いたことがありますか? 私はありません。魔王には力と責務が伴います」


 耳目をこちらに向ける魔貴族に変化はなかった。長老会議は名前こそ平凡だが、開催前に両陣営の多数派工作が横行し、この国の行く末が決まると国中を騒がせた一大イベントなのだ。それを否定したのだから、困惑して当然だ。

 しかも、人物自身が抜け抜けと言う台詞ではない。が、俺は握った拳を高々と突き出した。


「そのため、私はスターライト=デーモンとして、魔王となるべく力を蓄えました。その結果がセイヴィニア捕獲であり、聖エピスからの脱出なのです。私はここに宣言します。すべてが終わったとき、魔王となった私がいると! 誰もが無視できない、モーブだろうが、聖エピスだろうが、ナロウの地へ足を踏み入れることを恐れさせる魔王が誕生するのです!」


 声の響きが消えても、やはり魔貴族からは何の反応もなく、場は静まり返った。所詮は人目を嫌ったヒキオタニートの言葉だ。魔王の力を口にしようともそれはただの言葉に過ぎない。


 しかし、一人の小さな拍手だけが響いた。


 パチパチと拍手をし続けている。レイリスが両目を真っ赤にして一生懸命手を叩いてくれていた。

 辛そうに娘を見るダーゴン伯爵は周囲を一瞥した後、自席に乱暴に腰を下ろした。


 バッツの朗々とした声が響く。


「それではこれより、魔王子ポオの魔王位継承を問う投票を行う! ザックスリー公爵の提案については、その結果に応じて、その後すぐに投票を実施することとする!」


 レイリスは俺を見つめたままいつまでも拍手をし続けたので、傍に寄り添ってその手を優しく包んで止めてやった。これが現実だ。これはこれで受け入れなければならない。

 モーブ皇国との戦いに始まり、この中で俺が不注意や甘い考えで失敗を繰り返してきたのは何故なのだろう。結局、魔力が成長しようが、修羅場を潜ろうが、俺の本質は変わらないのだ。


 しかし、できることが増えたのも事実なのだ。そのおかげで、今、俺は自信が持てている。


 俺は背中を押してくれたレイリスに感謝を述べた。


「ありがとう」


 レイリスの目は真っ赤だが、それでも微笑を見せてくれた。


 舞台では、投票箱前で魔貴族が一人ずつ二枚の木札を渡されている。その札に、賛成、反対のどちらかが刻まれていて、どちらかを投票箱に入れるのだ。

 舞台の下には投票するべく多くの魔貴族が列を成している。俺の周囲の魔貴族たちも一人、また一人と舞台へと歩いていった。


 俺が深く溜め息をついたとき、郷士たちが俺のそばにやってきた。最初に声をかけたのは、挨拶と同様ドンナーだった。


「ポオ殿下、我らも投票に参ります。そして、殿下に票を投じます。我ら田舎郷士は前魔王スターロード陛下にお目通りもかなわぬ者でしたが、田舎者なりの人を見る目はあると自信をもっております」


「さあ、どうかな。私も自分自身が信じられるようになったのは最近のことで、まだそれを証明できていないんだ」


 俺が自嘲気味にそう言うと、デトワルも口を開いた。


「殿下は我らの所領を安堵するとおっしゃいました。それが投票前の切羽詰ったが故の方便とは考えておりません。レイリス・クラーグス様のお話の通り、殿下には優しさがありました。それはすでに我々自身で体験しております。そして、信義については、我々は自分たちを信じております。レイリス様の拍手を見て、その気持はなお一層強固なものになりました」


 最後にドンナーが繰り返す。


「殿下の信義を信じる自分たちに誇りをもっています」


 郷士の誇りにどれだけの価値があるのかはわからないが、彼らが励ましてくれていることはよくわかった。さらに、レイリスの拍手にともに手を叩けなかった自分たちを恥じていることが見て取れた。


 想いの強さが奇跡を呼ぶというのは嘘っぱちだ。そうならマリーは死んでいない。

 が、彼らが俺のやる気を引き出したのは事実だ。ここぞというときに自分の意思で奇跡が起こせるなら、それは奇跡ではない。実力だ。


「ドンナー殿、デトワル殿、それに多くの郷士諸君。ありがとう。投票結果が絶望的なものになるのは目に見えているが、安心してくれ。私は魔王の流儀に則り、己の力で魔王になる。それによって諸君の信頼に応えたい。それでもついてきてくれるかい?」


 郷士たちは皆揃って頷いてくれた。レイリスはその輪の外で静かに微笑んでいた。


 さあ、それではショータイムだ。


 俺は田舎郷士の一団に囲まれて舞台へと向った。ドンナーとデトワルは投票する列をかき分けて道を作ると、俺を舞台上へと上げてくれた。

 列には名だたる爵位の魔貴族らが並んでおり、爵位のない彼らを怒号と罵声で叱りつけたが、俺が舞台に上がるときに睨みつけると、皆一様に口を閉ざした。


 舞台上のざわめきが会場全体に広がり、これから何が起こるのかと好奇の眼差しが集中した。


 投票箱の前で俺は拡声器を口に当てた。深呼吸をしてから声高らかに言う。


「聞けい! ナロウ国民よ!」


 俺の口調は普段のものとも地のものとも違う。力に満ちたものだった。


「投票など無用だ! かつて大魔王アルヴィスは投票で魔王位についたのか? いいや、違う! 己の魔力によってナロウそのものを聖エピスから剥ぎ取ったのだ! だから、私も自分の力で魔王位を手にするぞ」


 どういうことだと、ヒラルドが事務局席で運営に詰め寄る姿が見えたが、誰も取り合わず俺に視線を注いでいた。

 俺は左翼に腕を振り、声を張り上げた。伸ばした指の先はとあるただ一人の人物を指差している。


「ザックスリー公爵! 私はあなたのような権力も財力も人脈もない。だが、あなたと同じくこの大魔界に生きる魔族だ! ルビーアイド=ナイトメアたるあなたはかつてスターライト=デーモンたる我が父と争って敗れたと聞いた。つまり、力の強い者が魔王となったわけだ! だから、私はあなたに決闘を申し込む。勝った方がナロウの魔王位を継げばいい!」


 会場内のざわめきはどよめきへと変わった。予想もしない展開に驚いたのだ。ひ弱で鳴らした魔王子が、現在ナロウで最も強い魔力を有すると目される実力者へ喧嘩を売ったのだ。破れかぶれの行動だと多くの者の目には映っただろう。


 視線が集まり、やむを得ず言葉を返す公爵。忌々しそうなのは嫌がっている証拠だ。


「ポオ殿下よ、長老会議にて決めればよいのだ。いまさら力を競っていかがなさる気か!?」


「魔王位は投票などで決めるべきものではないと言っている! 私の挑戦を受けるか、それとも魔王位を諦めるか、そのどちらかを選択するがいい!」


「そのような力の浪費を回避すべく長老会議を開いたのだ、ポオ殿下よ! 今さら決闘が何になる!?」


「そうか、私との戦いを避けるのがザックスリー公爵の考えか! 前回、デーモン族に負けて今の地位に甘んじ、再度デーモン族に負ければ、ルビーアイド=ナイトメアはナイトメア族でも最底辺となりかねないからな! しかし、私に怯えて逃げたところで、それが魔王にふさわしいと臣民が認めるかは知らないがな!」


 すでに過半数の票を集める算段ができている以上、彼が俺の安い喧嘩を買う必要はない。そう考えていることはわかっている。老獪な彼が挑発に乗ってくるはずがない。


 だが、この挑戦に激怒する奴なら確実に一人いる。


「この軟弱魔王子が生意気な! 父上が出るまでもない! この私が代理戦士として決闘を受けてくれる!」


 息子のヒラルド・ザックスリーである。彼は俺のことを昔から知っており、実力の底を把握している。セイヴィニアを閉じ込めていた特別房での一件にしたところでハッタリだったとわかっているはずだ。

 激しやすいこいつを焚きつければ、ザックスリー公爵を引きずり出す第一歩となる。


 ヒラルドは事務局席を離れて俺に向ってきた。


 そちらへ向けて俺は拡声器で怒鳴り返した。


「おい、目くじらを立てるなよ、バカルド! セイヴィニアに相手にしてもらえず、ストレスが股間に溜まっているのか? いいか、おまえごとき格下に声をかけたわけではないぞ、カスルド! セイヴィニアより弱いおまえに俺の相手が務まるわけがない!」


「貴ッ様ァ! 愚弄するか!」


 怒りが頂点に達したらしい。ヒラルドは立ち止まるや父親のいる左翼へ顔を向け、許可を請う。


「父上! 私に奴と戦わせてください!」


 ザックスリー公爵は厳しい顔で俺を睨んだ。決して貴様の手には乗らないぞ、と言っているようだった。


 そのとき、掛け声がかかった。


「ザックスリー万歳!」


 それに応じるように会場のあちこちからザックスリーコールが湧き上がった。ヒラルドは満面の笑みで腕を広げて会場をぐるりと見回す。


「どうだ! この駄王子め! 国民は皆ザックスリー家の戴冠を待ち望んでいるだ!」


 俺は顔を伏せた。それを見てヒラルドは嵩にかかって罵倒する。


「今頃己の人望のなさを悔やんだのか!? 遅いのだよ! 前に言ったろう、貴様に生き延びる道はないと! 後悔を噛み締め、私に討ち果たされるがいい!」


 俺のほくそ笑むところは見られなかったようだ。

 と言うのも、あの合唱がバッツの目配せで始まったからだ。幼馴染みは説明などしなくても何をすべきかぐらい察してくれる。


 ふと見ると、右翼では嵐のようなザックスリーコールにレイリスが気を失いそうになって椅子にもたれかかっている。すまないが、ここはこらえてもらおう。

 この会場中の熱狂にザックスリー公爵が苦々しげにしていたが、息子からの期待の眼差しにやおら頷いた。


 練兵場がまるで地響きのような歓声に包まれた。まさに地面までが揺れている。多くの魔貴族たちが興奮して魔力を抑え切れないでいるためだ。


 ザックスリー公爵が許可を出したのは、この空気に水を差すことで投票に影響が出ることを懸念したためだろうが、それ以上に息子がヒキオタニートで短小な無妄角の俺に敗れるはずがないと考えたからだ。

 奴からすれば、とんだ茶番だが、結果が変わらないなら、より多くの支持が得られる方法を選択したに過ぎない。


 俺はバッツへウィンクしてみせた。


 すかさずバッツは舞台へ駆け上がると、俺から拡声器を奪って宣言した。


「ポオ殿下の挑戦をザックスリー公爵が受けた! 本日、長老会議は一時中断する。両者に一時間の猶予を与える。一時間後にこの舞台で魔王位をかけた決闘を執り行うこととする!」


 俺は拡声器を取り返して、ヒラルドに向けて念押しをした。


「逃げてもいいが、そのときは私の勝ちだぞ! よし、この決闘は加勢ありとしよう! もし、スターライト=デーモンの力が怖いなら、何人でも助っ人を呼んでもいいからな。何なら、代理戦士の代理を立ててもいい。私は自分で戦うがな!」


 ヒラルドは激高して怒鳴り返してきたが、耳を貸さずに右翼の自席へと速やかに戻っていった。


 郷士たちに守られて自席にたどり着くと、レイリスが興奮した様子で出迎えてくれた。


「殿下! 殿下!」


 おでんか。なんちて。






さて、これからが本番だ。


首を洗って待ってろよ!



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