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『今どきの魔王子』の処世術  作者: ディアス
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魔王戦 第2戦 in 聖エピスアリーナ



前回のファイトマネーをまだもらってない。






 俺が意識を取り戻したとき、馬はだく足で朽ちた門を抜けるところだった。

 軽い上り坂の小道はそのまま進むと丘の下に至り、切り取られたような高い崖となっていた。さらに崖面は不自然にえぐれて傾斜しており、小道はそこにぽっかり口を開いた不気味な穴へと続いている。


 どうしてその穴に向かっているのか見当もつかず、俺は疲れた体に鞭打って質問しようと御者台に顔を向けた。すると、あろうことかミノ娘のジェジェは頭を下げ、こっくりこっくりと船を漕いでやがった。居眠りをしているのは明白だ。


「おい、ちょっと、起きろ……」


 声をかけつつ頭をあげると、寝ていたのは彼女だけではないとわかった。

 上部を消失した馬車では、我が魔王顧問(アドバイザー)クラ姫レイリス、元鉄仮面今ミイラ女のイスファル、霊血の同胞(シストレン)の数少ない頭脳派モリル、そして、偉そう系軍団長兼魔皇女セイヴィニアまでもが眠っている。いかに疲れているとはいえ、御者まで寝ることはなかろう。


 ただ間違いないのは、ただ集団居眠りをしていただけなら、馬が道草をくって追っ手に追いつかれるか、途中の薮か川かに突っ込んでひどい目に遭っていたはずだ、ということ。


 異変を悟った俺はため息をつく。おそらく何者かによる誘導だろう。せっかく逃げ出せたというのに、なんでこう次から次へと邪魔されるのか。

 何が起きているのかを確認しようと思ったが、だるくて動く気にならない。ダメージというより、脱力しきって力が入らないのだ。身体的なダメージは俺の原核段階の魔力が回復してくれたのか、あるいはレイリスが治療してくれたのだろう。怪我はなく、鈍い痛みが残るだけだった。


 俺はもう一度寝転がり、馬が進むに任せることにした。ここまでのことができる者を相手に、俺が何かしたところで阻止できるわけでもないだろう。無駄に体力を浪費することもない。

 馬車とその周辺には恐ろしいほどの魔力が満ちていて、おそらく一人降りようとしても、何かの作用が働いて離脱できないはずだ。


 馬車は操られているかのように途中で左右に逸れることなく穴に進入する。内部は思いの外深く、奥へ続く洞窟となっていた。また、この大型の馬車が悠々と進める広さもあった。

 しばらく進むと、道はなだらかな下り坂に変じる。馬の速度が緩み、ゆっくりとした歩調の並足に変わった。


 洞窟内は思ったほど暗くはなかった。岩肌のところどころに光を放つ結晶が顔を出しており、薄明かりながら周囲を照らしていた。


 馬車はさらに進む。やがて、俺たちは四方から明るい光に包まれた。

 洞窟は急に広がりを見せ、そこに大きな建造物が現れた。傷一つない滑らかな外壁、正確に積まれた立方体の基礎、さらに外の朽ちた門とは対照的に建材に古びたところがまるでない。そして、この無機質で超常的な特徴には見覚えがあった。


万魔王殿(パンデモニウム)か……」


 俺は我知らず呟いた。

 ここは不気味なほどの静寂に支配されており、俺の声が唯一の音のように思えた。この嫌な静けさはこの遺跡を生き物のいない死の世界に感じさせた。


 少しふらついたが、何とか体を動かして馬車を降りる。疲労が蓄積した体にもようやく動くだけの力が戻っていた。

 不自然な明るさの理由はすぐにわかった。ここは光る不思議な結晶の洞窟の中であり、巨大な結晶柱が積み木のように壁際に積み重なっていたのだ。その遺跡を囲むようにして剣状の短い結晶があらゆる方向に伸び、それはさながら剣の城のようであった。


「う、うぅん……」


 ちょっと色っぽい寝起きの声が発せられた。目を覚ましたのはセイヴィニア。眠れと言った本人のほうがよく眠れたらしい。寝る()は育つねえ。胸が。


「何だここは?」


 彼女は重そうに体を起こして周囲を見回す。そして、俺がいないことに気づき、馬車を降りた。こちらを見つけるとすぐにそばまで小走りに寄ってきた。その顔は驚いている。


万魔王殿(パンデモニウム)だな。ナロウのか?」


 首を横に振って答える。


「いいや。そっちも知らないなら、多分、聖エピスのじゃないか?」


「しかし、なぜ我々はここにいる?」


 それは俺も知りたいところだ。むろん、誰かが俺たちの意識を奪って、ここに誘い込んだとしか考えられない。俺はその考えを伝えて注意を促した。


「油断するなよ。誰かの意志が介在していることは間違いない」


 その『誰か』については、互いに察しがついていた。セイヴィニアは独り言のように言った。


「それはデモンストーカーということか」


 まるでその回答を待っていたかのように。


「ザァッツ・ライト!」


 頭上から甲高い声が降ってきた。


 見上げると遺跡の高いところで淡いピンク色をしたバラの結晶が美しく咲いている。その花弁のところにデモンストーカーらしき者がいた。正確には結晶の先端からぶら下がっていた。

 そのデモンストーカーは少年のような姿形をしており、逆さ吊りとなっている。ただし、その背中から蜘蛛の足のような白いマニュピレーターが何本も生えて、背中の中心部からやはり蜘蛛糸のようなものを出していた。


 うーむ。少年(ショタ)案内人(デモンストーカー)か。愛らしい相貌が逆さまに据えられているせいか、なんとも印象深いものがある。ナロウ以外の案内人を初めて目にしたのだが、基本的に彼らは自動人形であり、年端もいかない少年少女の容姿がベースとなっているようだ。

 何者がデザインしたのかはわからないが、蜘蛛を連想させる形状はセンスに難ありだ。


 洞窟内の結晶が輝きを増し、スポットライトのようにデモンストーカーを強烈に照らし出した。


「ウ~ェルカム・トゥ・ザ・パンッデモニウム! ご推察の通り、ここは聖エピスと呼ばれる国に配置された魔王戦のための闘技場だー!」


 やけにテンション高く喋る案内人は糸を伸ばして地に降りた。しかし、逆さ吊りは直らない。多数のマニュピレーターを地面につけて立っているのだが、本人の体はマニュピレーターに吊り下がるようにして上下逆転させたままだ。愚か者め。もしこれがミニスカートの中を覗くためなら、すぐにバレるぞ。


「これから血湧き肉踊る魔王戦が開催されるよ! さあさあ、久しぶりの参加者と観戦者はこちらへどうぞー!」


 逆さまのデモンストーカーは前口上のような台詞をまくし立ててマニュピレーターを両手めかして大きく広げた。

 それが合図となって水殿馬車を含めた俺たちの足下に事象転写魔法陣が現れる。それは見えない床のような足場を形成し、持ち上がった。そして、音もなく俺たちとデモンストーカーを遺跡の中へと運び込んでいった。

 便利なことこの上ないが、馬車ごとというのは、人質がいるから逃げるなよ、という意味を含んでるようにも思えた。


 正面の大門を抜けると、建材の所々が発光し、訳のわからない文字がびっしりと書き連ねてあった。ナロウの遺跡と同じ様式だ。セイヴィニアは周囲を興味深げに見回している。


 俺は怪我人が気になって馬車の上に戻った。

 イスファルもモリルも腹を何度も貫かれて出血がひどかったが、それはレイリスの強力な再生魔力と高度な治療魔術によって一時的に収まっている。だからといって、体調までが戻るわけはなく、失血によるショック症状は続いていた。

 二人とも体の震えが止まらず、そのせいで腹の傷からまた赤いものがにじみ始めている。


 セイヴィニアも馬車に上がり、心配そうな顔で二人のそばに座り込んだ。しおらしい感じがまた珍しかったが、レアシーンをゆっくり観賞している暇はない。

 肝心のレイリスがまだ眠っており、体を揺すったり、頬をペシペシと軽く叩いてみても一向に目覚める気配はなかった。


「無駄だ! 大魔王候補以外には眠ってもらっているのだ! フッハハハハハ!」


 下から大声を出されると、実に不愉快な気がするのは気のせいだろうか。その喋り方と内容にはもっとムカつかされているけどね。

 彼は姿の異様さと声の大きさのわりにナロウの案内人と比べると重々しさが欠けている。迫力不足もいいところだ。


 だが、怪我人の治療を継続するためには、こいつに頼むしかなかった。俺は馬車から降りると逆さ吊りの少年人形に話しかけた。


「負傷者が二人いる。手当てをしてほしい」


「駄目だな!」


 全力で拒否された。こいつ、ホントにムカつくわー!


「なら、こちらで治療するから、他の者も起こしてほしい」


「もちろん、ノーッだ!」


 こいつがデモンストーカーでなければ、パンチをお見舞いしてやりたい。


「魔王戦を開催したいんだろ? ナロウのデモンストーカーはこれぐらいは融通を利かせてくれたぞ」


 他のデモンストーカーを引き合いに出すなり、少年の顔は露骨に歪んだ。それも嫌そうに。


「何だとー! それは僕があいつより劣ってると言いたいのかー!」


「そんなことは言ってない。しかし、そんな態度をとってると、魔王戦に出てくれる魔王が来てくれなくなるよ」


「グハッ!」


 どうやら図星らしい。そういや、ナロウでも久々の大魔王候補だと言ってたな。


「き、貴様ー! 言うてはならんことを言ったなー!」


 デモンストーカーがマニュピレーターを器用に動かして素早く俺へ向き直った。硬い仮面のような顔がどういう構造でかはわからいが、怒りの表情を見せていた。

 俺は奴が口を開く前に追い討ちをかける。


「どうせ聖エピスの大魔王以来、魔王戦をやれてないんだろ」


「クキー! ゆ、許さんー! 僕は怒ったぞー!」


 これも図星かよ。

 奴は震えるマニュピレーターを俺の鼻先に突きつけた。


「おいおい、乱暴はやめてくれ。参加者が怪我したら、せっかくの魔王戦が開けなくなるぞ」


「なんのこれしき、候補者はもう一人いる」


 もちろんセイヴィニアのことだろう。しかし、だ。


「負傷者は彼女の部下だ。彼女は俺と同じことを考えている。つまり、俺の要求を呑まないときは、もう一人も魔王戦を拒否することを意味している。それは断言できる」


「グッヌヌヌー!」


 いろんな理由で血の上りやすい案内人は激昂したが、我慢して手を出さなかった。


 大魔王の遺跡の案内人にはいろんなタイプがいるらしい。ナロウの冷静沈着なあいつなら、問答無用に円形闘技場(アリーナ)に放り込むだろう。それに引き換え、この蜘蛛オプション付き少年(ショタ)型デモンストーカーには何とか言いくるめられそうな隙がある。

 俺はほくそ笑むと言葉を続けた。


「ここは魔王戦の主催者としての度量を見せようよ。怪我人の治療ぐらい、そっちに何のデメリットもないだろう」


「メリットもだ!」


 仕方ないなあ。


「わかったよ。何か要望があるなら、言ってくれ。できることならやらないでもない」


 少年の目が輝いた。人形の硬い顔が口を大きく開けて笑ったのだが、逆さまのままなので、これまた気味悪い。


「そうか! なら、魔王戦二連戦だ! この条件を呑むなら、そちらの治療施術者を目覚めさせてやろう。おまけで癒しの泉を使うことも許可する! 円形闘技場(アリーナ)の周囲の水がそれだ。好きなだけ使え! 僕は太っ腹だ! 持ってけ、ドロボー!」


 二連戦は予想外だった。それにドロボーとは言ってくれる。ただ、癒しの泉というのは役立つかもしれない。

 とは言え、二連戦は辛いな。もう一押しするか。俺はあきれ顔で言い返すことにした。


「二連戦とか、そんな無茶を言うから、次の候補者が来ないんだよ」


「ど、どうせ、僕はリザーブ処理をしそこなったダメな案内人だよー! えーん、えーん!」


 待て待てと俺はデモンストーカーをなだめる。こいつ、メンドい奴だな、ホントに。


「だから、魔王戦の参加者に優しくすればいいんだって。それで、聖エピスの万魔王殿(パンデモニウム)は大魔王候補者に優しいぞって噂になるだろ。そうすれば、自然に大魔王候補は寄ってくる。ウハウハだ。世の中、口コミだ。評判だよ、評判。もし、もっといい条件にしてもらえるなら、俺は聖エピスの万魔王殿(パンデモニウム)が一番よかったと触れて回るよ」


 ま、生き残ればだけど。


 しかし、奴は頑なだった。


「二ィ連戦は譲れなァい!」


 どんな代案なら納得させられるかと思案にくれていると、セイヴィニアが馬車を降りて俺の傍らに立った。ようやく加勢してくれるのかと思ったが、彼女の決意を秘めた顔つきが俺に嫌な予感を覚えさせた。


「私は二連戦でかまわない」


 彼女は俺を見て静かに頷く。自らを犠牲にして庇ってくれてありがとう、と言いたげな顔をしている。俺はここに誤解があると指摘できる。

 本当は、一戦だけなら君が出場すればこと足りるよね、という目論見だった。だって、どう考えても、今いる面子でラスボス格なのは彼女だけだろ。


 受諾発言を受けてデモンストーカーは小躍りして喜んだ。マニュピレーターの先端がカチカチと床を鳴らして歓喜を表現する様は、何というか、小憎たらしい。

 この喜びようから察するに、もし前言撤回をした場合、奴がへそを曲げることは想像に難くない。あーあ、口先三寸でもっといい条件を引き出せたと思うんだよなぁ。言い値で買うような真似するから、『脳筋は』って言われるんだよ。モーブの脳筋魔皇女よ、テメーはもっと頭使え。


 そうこうするうちに目的地に到着し、光の魔法陣は止まった。それに伴い馬車は円形闘技場の手前でゆっくりと床に降り、魔法陣は消えた。

 そこにはナロウのものと寸分たがわない円形闘技場があった。簡素なわりに厳かな雰囲気があり、これから始まる闘争へ敬意を表しているようであった。セイヴィニアに尋ねると、モーブのものも同様らしい。

 その闘技場には見覚えのある浅い泉があり、豊富な水量で周囲を取り囲んでいた。この澄んだ水に癒しの効力があるわけだ。


「さあ、どっちからだ!? どっちからだ!?」


 デモンストーカーのうっとうしい連呼が俺たちを責め立てた。


 改めて相談するべく俺は奴に背を向けた。声を抑えて臨時の相棒に尋ねる。


「さて、どうする?」


 何となくだが、魔皇女の顔色が浮かないように見えた。体調が優れないというより、緊張が強いらしい。ま、誰だって魔王以上の存在なんかと戦いたくねーよな。


「ああ、魔王戦だな」


 魔皇女はわざわざ確認するように言って渋い顔をする。彼女も魔王戦によい思い出がないのだろう。

 俺としては、もっと好戦的な反応を予想していた。これでさらに大魔王へ近づけるぞ、とかね。だが、彼女のやる気はすっかり鳴りを(ひそ)めている。こいつは計算ミスの恐れアリだ。


 ふーむ、悩ましいな。


「実は俺、まだ一回しか戦ったことがないんだ。で、そっちはけっこう戦ってるの?」


「いや、私も二回だけだ」


 次の言葉まで数瞬の間があった。


「しかし……ここは私が先に出よう。聖エピスのデモンストーカーは何を言ってくるか予測できない。早く始めたほうがいい」


 ほう、少しは考えているようだな。現状を踏まえた極めて建設的な提案だ。

 続けて彼女は自分が先に出る理由を述べた。まるで、自分を説得するかのようだった。


「魔力や体力といった基礎能力は私のほうが高いし、肉体疲労もない。だから、消耗の激しいおまえは次の戦いに備えて少しでも回復に努めてほしい」


 だから、そーいった弱気な発言は困るのよ。君には二連勝してもらわなきゃならないってのに。とは言うものの、彼女も星辰騎士団の長剣をダメにしてしまって武器がない。さすがに素手で魔王戦に挑むことに不安を感じているのだろう。

 俺はモーブの陣地で彼女が手にしていた大剣を思い出して尋ねた。


「そうだ、ご自慢の大剣は?」


「神霊大剣ハイリゲンブルートか。あれはナロウにある。救出部隊に同行するにあたっての裏切り防止の担保にされた」


 オオ~。マジですか~。他に類を見ないスペシャルな剣じゃないか。それを置いてくるとは……。だが、誰の発案かは知らないが妥当な判断である。

 俺が大袈裟にガックリと肩を落とすと、セイヴィニアは不本意そうに壁面へ顔を向けた。私のせいじゃない、とその顔には書いてある。


 俺は少し考えて訊いてみた。


「モーブの万魔王殿(パンデモニウム)はどんなところで、そこでの魔王戦はどんな感じだったの? 楽勝だった?」


「雪深い山の頂上にこことよく似た遺跡があって、さっきも言った通り、遺跡の中には泉に囲まれた円形闘技場がある。私はそこで戦った。勝つには勝ったが、そのときはハイリゲンブルートがあり、モーブ皇国の領内だった。この意味がわかるな?」


 プラチナブロンドに彩られた美貌が神妙な表情でそう言った。高笑いして、天下無敵を謳われる自分は楽勝だった、とか自慢してくれることを期待したのにぃ……。結局苦戦を匂わせる発言しか出てこなかった。

 つまり、彼女も魔王戦のエントリー用紙に俺と大差ないことしか書けないらしい。条件欄の記載内容は、魔王未満、アウェイ、武器なし、以上。くぅ~、キビシー!


 さて、どうするかな。あまり明るい未来が思い描けない。


 ここは俺の十八番(おはこ)を使うしかないか。つまり、ハッタリとゴマカシだ。俺は必死に考えた。ニ連戦を二人で生き延びるためにどうすべきか。


 人間界には相撲なる人類最強を決める最強決定戦競技があるらしい。そのトップランカーである横綱という存在は相手の攻撃をあえて受けて、それを正面から潰して勝つらしい。それを横綱相撲という。つまり、格上が格下を相手にするときの戦い方だ。

 ところが、あの脳筋魔皇女は横綱でもないくせに間違いなく格上の魔王相手に正面からぶつかっていくだろう。


 俺の口から溜め息が洩れる。

 ああ、目を閉じたらその光景が想像できる気がする……。人、それを、嫌な予感しかしない、という。


 俺はくるりと振り返ってデモンストーカーに答えた。


「俺が最初に出るよ。魔王戦二連戦だ」


「オーケー! では、先鋒のポオ君、こちらへ……」 


 積極的な申し出は即座に受諾された。案内人はマニュピレーターを手のように振って、いそいそとした素振りで闘技場の入り口へと誘う。


 諦めて前に進もうとしたところに肩をひっつかまれた。セイヴィニア閣下だ。

 意見を無視して俺が先に出ると言ったことが、彼女をひどく驚かせたらしい。俺は力任せに引き寄せられた。経験がないからわからないが、まわしをとった横綱の引き手もかくやという勢いだと思う。多分。


「な、何を勝手に! おまえ、勝つ自信があるのか!?」


「そんなものあるかい。膝がカクカク震えてるのがわからないのかよ」


 と下半身を指差してやる。当然のことながら、感触通りに膝の辺りが痙攣しているかのように小刻みに動いている。

 正直なところ、グレイハウザー級が相手なら確実にアウトだろう。デモンストーカーに映像で見せられた、あんな馬鹿げた破壊力はこの大魔界でも聞いたこともない。


 震えが激しくなった。というより全身がマグニチュード10相当の揺れに襲われている。


 ッンガ、ンガ、ンガ!


 いつの間にやら、セイヴィニアが俺を遠慮ない力で揺すってくれていた。


 魔皇女は説教するような口調で俺を責める。


「なら、なおのこと、私が出たほうがいいじゃないか!」


「ま、さっき助けてもらったし……っと、ンガアガ、アガ、ガガンガ……」


 揺する力が殺人的な強さに上昇した。言葉すら喋れないほどに首が前後に跳ね続ける。こ、このままでは、戦う前に逝ってしまう……。


「そんなことをしたら、おまえに借りができてしまうではないか!」


 そんなこと気にしてるのか!? 鉄仮面といい、主従で考え方がそっくりだな!


「アガッ、アガッ、アガッ!」


「アガじゃない! 私が出るったら、出る!」


 何で逆上するんだよ。この取り乱し方は単なる貸し借りが理由じゃない。完全に義務感と魔王戦への恐怖感で板挟みになってるんだ。

 彼女の勢いに負けて答えられないでいると、シェイク速度は光速に達した。主観的に。


 ちくしょう。素直に借りとけよ。死ぬ死ぬ死ぬ~!

 俺は脳がミソスープにされる前に何とかその手を振りほどくことができた。


「お、落ち着け! そもそも俺は馬鹿みたいに正面からぶつかるつもりはない。ちゃんと相手の出方を見て、対策を立てる。相手の攻撃の終わりに隙をつく攻撃を繰り返す。ゴリ押しは最後の削りにしか使わない」


「当たっても痛くない攻撃でか!」


 俺がアクションロープレで学んだ戦法は現実の攻撃パラメーターの低さを根拠に論破されてしまった。少しは俺の勇気を褒めてくれよ~。


 この殺人シェイカーが脳筋としての自覚がないのは明白な事実だ。

 さすがにイライラしてきた俺は彼女の脳天をつかんで引き寄せた。そして声をひそめる。俺の目論見を知って、デモンストーカーがルール変更を言い出さないとも限らない。


「セイヴィニア君、チミは少しくらい頭を使おうか。これは二連戦だ二連()じゃない。二回戦えばいいんだよ。極論、二連敗でも二連戦なら奴も文句は言えない。俺が勝ってそのまま二戦目を戦うもよし。負けても、セイヴィニア、おまえは同じ相手と戦うことになる。それも二連戦だ。だから、そのときに備えて敵を観察しておけ。俺は少しでも有利になるよう整えておいてやるから。少しは感謝しろ」


 彼女はとても意外そうな顔で俺を見返した。しかも、ちょっとモジモジしてる。気色悪いな。ツンデレっぽいが、俺に対するデレ成分がない。少なくとも俺得ではないな。


「本気で言ってるのか?」


「もちろんだ」


 彼女の人差し指が俺の鼻先に突きつけられた。偉そうなことこの上ない。


「なら、仕方ない。言っておくが、これはおまえからの申し出だ。決して臆したわけではないぞ」


 はいはい。


 俺は軍団長閣下を追い出して。一人円形闘技場(アリーナ)の階段を登った。

 デモンストーカーはそれを見て、マニュピレーターから糸を飛ばしてするすると昇り、天井からぶら下がった。場所はちょうど闘技場の中央で、高さ十メートルほどのところだ。


 俺は中央の少し手前で立ち止まった。そして、見上げる。


「ほら、約束だぞ」


 奴のマニュピレーターの一本がしなるようにして大きく振られた。それと同時にレイリスがモゾモゾと動き始めた。

 彼女は目覚めてすぐに患者のことを心配した。二人の容態を確認し、早速魔力と魔術を行使し始める。それから周囲を見て、ポカンとした。当然の反応だ。


「ポオ様!」


 俺を見つけるやレイリスは手を止め、慌てて駆け寄ってくる。が、あうっと呻いて見えない壁に押し戻された。すでに障壁が張られているらしい。うろたえる彼女をセイヴィニアが説明しながら、連れ戻してくれた。

 クラ姫はとても心配そうな顔をしていたが、治療は彼女にしかできないことだ。安心させるように俺は大丈夫だと手を振ってやる。セイヴィニアの説得もあり、レイリスの意識は負傷者へと戻った。

 一度気持ちを切り替えれば、責任感の高い彼女のことだ。全力で治療にあたってくれるだろう。例の癒しの泉についても成分を調べて確認をした。その後、安全および効能ありと判断したのだろう、二人を浸せるように移動させた。


「信じています。勝ってください!」


 俺が入念に準備運動をしていると、力強い声援を泉前のアリーナ席からかけてくれた。とにかく第一目標は死なないこと。死ななきゃ、彼女が治してくれる、と思って俺は手を振り返す。一撃死なら、それも無理だが。


 デモンストーカーがマニュピレーターで手を打つような動作を見せた。

 カチンと硬い音が鳴り、少し前の床から一メートル四方の床石がせり上がり、石柱のようにそそり立つ。棺桶の蓋のようにこちらを向く面がガコンと大きな音を立てて開いた。

 どんなゴツい奴が現れるかわからないが、とにかく第一印象は大事だ。気持ちで負けないよう、俺は腰に手を当て、胸を張って対戦相手を待った。


 棺桶の縁に手がかけられ、いよいよ異世界の魔王が闇の淵から現れる。


「呼んだ?」


 赤毛の青年が気だるげに棺桶から歩みでた。街中で見かける取り立てて目立つところのない青年。そんな印象だ。想像と大きくかけ離れた姿はむしろ俺に近い。

 本当にこいつが魔王なら、セイヴィニアに出てもらってもよかったかもしれない。彼女なら楽勝だろう。


 デモンストーカーはのけ反るようにして見下ろし、紹介してくれた。


「彼の名はッアッァァィイヴゥス! 大変遠い異次元から連れてきた魔王だよー!」


「違う。ボクは『魔人』。王様じゃない。それに名前はアイヴス」


 青年は不愉快そうに訂正した。青年といってもまだ少年に近い雰囲気すらある。

 俺が怪訝そうにデモンストーカーを見やると、案内人は悪びれずに肩をすくめた。


「気にするなー! 彼の世界に、魔王というものは存在しなーい。ただ、彼の力は魔王以上といっても過言ではない! だから、この戦いは魔王戦の名を冠するに問題ないのだー!」


 それを聞いた青年は、たまげたと言わんばかりにバンザイして驚く。


「ええっ? 戦うの?」


「何を言う! そのためにわざわざ遠くまで足を運んで連れてきたのだぞー」


 俺はアイヴスと呼ばれた魔人に近づいた。一応警戒はしているが、なんとも親近感のわく言動に話しかけるぐらいは大丈夫な気がした。


「俺の名はポオ。俺も戦いは好きじゃない。だけど、大魔王候補だから魔王戦を強要されてる。その上、連れが致命傷を負っていて、その治療のためにここの泉の力を借りてる状態なんだ」


「へえ、事情があるのか。まあ、こっちもヴィオレッタを人質にとられてるし、仕方ないか」


 赤毛の青年はニヤリと笑って言った。


「よし、やろう。魔王戦」


 か、軽いな~。魔王戦が何なのか理解していないのはわかるが、彼からはグレイハウザーのようなヤバい臭いがしないのも事実だ。


 デモンストーカーはたくさんあるマニュピレーターをカチカチと打ち鳴らした。どうにも待ちきれないようだ。

 少年の口がこれでもかというぐらい大きく開いた。


「デーモンファイトォー、レディーゴー!」


 魔王戦の火蓋が切って落とされた。


 だからと言って何するわけでもない闘技場の二人。デモンストーカーが聞こえなかったのかなと呟きつつ再度戦闘開始をコールした。


 相手の目を見ると、茶色の瞳が真っ直ぐ俺を見返してくる。俺はハッとした。これはまさに俺の得意技『様子見の構え』だ。主に、勉強とか労働とかやりたくないことに対して使用している。う~ん、この嫌なことに対する消極的な態度、親近感を抱かずにはいられない。


 試しに無言で右手を差し出すと、アイヴスも同様に手を出して俺の手を握ってきた。左手も差し出すと、そちらも握ってきた。君と僕とでクロスッ握手ッ!


 むこうも俺と同じことを悟ったらしい。互いに軽く頷いてから手を離し、距離をとった。

 彼は勢いよくつかみかかるような体勢となり、両手をそれっぽく構える。


「へあっ!」


 俺もそれにならった。


「はりゃ!」


 そして、互いに襟奥と腰のベルトをつかんで頭を引き寄せ、相手の体勢を崩そうと足を払い合った。もちろん痛くないように軽くだ。


 互いの肩に額を預けた俺たちはこの体勢を維持してこう着状態を演出した。これなら、デモンストーカーからは何をやっているかわからないはず。

 アイヴスがささやくように言ってきた。


「はぁ~、面倒だなあ」


「わかるわかる~」


「そもそも魔王戦ってのはいったいなんなのさ? なんでボクたちが戦うの?」


 と彼はさり気なく内股をかけようとする。俺は彼のベルトをしっかり握ってこらえる。


 が、彼の疑問は至極もっともだ。つーか、そういう大事なところは説明しとけ、デモストめ。

 俺は短く簡潔に説明をした。


「この万魔王殿(パンデモニウム)は魔王を他の魔王や大魔王と何度も戦わせるための闘技場で、そこで生き残るとその魔王は大魔王にクラスチェンジできるらしい。デモンストーカーはそのために魔王をあさって戦わせてるみたいだよ」


「ふーん。で、君は魔王なの?」


 今度は俺が大外刈(おおそとがり)をかけるもすぐに足を抜かれて防がれた。


「いや、魔王子」


「ボクは魔人」


 どちらも魔王ではない。なんだかなあ。


「魔王不在の魔王戦って、本当に魔王戦なのか?」


 俺が疑問を一人ごつと、彼はヒソヒソ声で語ってくれた。


「そういや、世界回廊であの多足人形に会ったときに言ってたな。その昔、リザーブ処理をしないといけなかった大魔王の遺体をセイ・イエスの現地人に盗まれて……」


 それ、聖エピスな。


「その失敗のせいで案内人の役目を奪われたとかなんとか」


「その失敗談は確かに奴はこぼしてた。だけど、罷免されたんなら、何で魔王戦を企画できるんだ? むしろ、勝手にやって怒られそうな気がする」


「だよねー。それにしても誰だよ、魔王戦なんてバカな仕組みを作った奴」


 そのとき、デモンストーカーの苛立った声が聞こえた。


「おい! 貴様らー、真剣に戦うのだー! 怪我人や人質がどうなってもいいのか!?  真面目に戦わないなら、貴様らもろともブッ殺すー!」


 おーコワ。いつのまにか足が止まっていたようだ。俺が目配せすると、アイヴスはしかめっ面で首をコクリと前に振った。


「アイヴス、貴様、やるな!」


 体を離しざま、俺がそう言うと。


「何の! ……えーと、おまえこそ!」


「俺の名前はポオだ! 忘れんなよ! 鳥頭か!」


「いや~、悪い悪い」


 デモンストーカーの視線が痛かったので、それ以上の追求はやめて、パンチを繰り出す。イッケー! 俺のヘロヘロパーンチ!


「ぐあっ……。な、なんてパンチだ」


 アイヴスは秒速700ミリメートルほどの打撃を右頬に受け、大きくのけぞった。それから、腰をひねって反撃をしてくる。


「喰らえぇぇっ! ブリジット直伝の震天落星メテオ・スォーム改(連打)!」


 彼は楽しそうに効果音を口で奏でながら攻撃を放つ。両手をぐるぐる回して。あきらかにデモンストーカーをおちょくっている。

 おい! 頼むから、今はもっと演技しろよ!


 当然のごとく、案内人は激怒した。


「グッヌヌヌヌヌゥ……! 貴様らー! 真剣に戦えと言っとろうがー!」


 俺たちは顔を見合わせ、素直に答える。


「真剣にって、なあ?」


「ボクたちは至って真剣なんだけどね」


 デモンストーカーの怒り狂った声が闘技場の巨大な空間に轟いた。


「チャチャ茶番は終わりだー! こンのバカ者どもー! アァイヴス、おまえはー、所詮超魔王システムの範疇外だー。そして、ポオォォォ、魔力の育ってない、イイイレギュラーめー。ショショ処分だー! 貴様らをー処ショショ分するぅー!」


 ついに壊れたか。変な喋り方をする奴だと思ってたんだよね。


 デモンストーカーのマニュピレーターのすべてがピンと伸びるや、一斉にブンブンと振られた。まるで子供がわがままをいってイヤイヤをしているようでもある。

 ま、壊れたのであれば、意味のわからない行動も仕方がないか。とりあえず、スーパーデモストビームでいきなり攻撃、みたいな展開じゃなくてよかった。


 が、それは勘違いだった。マニュピレーターが乱打していたのは、何もない空間だ。そして、マニュピレーターの当たるところ、部屋が割れた。割れたのは壁ではない。空間だ。


「え……?」


 俺はその不思議な光景を見つめる。壁が割れたのなら割れ目の向こうに結晶洞窟が見えるはずだ。それがそこには見えず、単なる暗黒のみが存在した。同時に魔王戦の舞台はその周囲を囲う回復の泉ごと落下し始める。


「は? う、うわ、うわわ! お、落ちる!」


「落ち着け、ポオ。これは落下じゃないよ。この空間における形而下の位置座標軸が曖昧になっただけだ」


 意味不明。俺は目の回るような落下感に襲われながら問い返した。


「落下じゃない?」


 確かによくよく感覚を研ぎ澄ますと、体感的に落下だけではない運動を感じる。ますますわけがわからない。俺は混乱して手足をバタバタさせると、アイヴスが俺の手を捕まえてくれた。途端に異様な運動感覚は消えた。

 アイヴスは舞台を覆う暗黒のベールから空が形作られていく様を一瞥して頷いた。


「それは錯覚さ。この真っ黒なのは君の世界の外だ。しっかりボクにつかまってくれ。世界放射に犯されると後が面倒だから」


 前触れなく暗黒に一条の光が射した。


「ほら、見えるだろう。たった今、何もなかったところに空や陸地が造り出されている。奴が不定形な世界の原料を使って、奴に属する固有世界を生成しているんだ」


「よくわからないんだけど」


「極端な例えを言うと、今ボクたちがいるのは、奴の腹の中だ」


 もっとわからんわ!


 この落下のような動きが収まると、俺たちは地面の上に着地した円形闘技場(アリーナ)の上に降り立った。

 周囲には大地があり、空がある。普通の屋外の風景のようだが、空のさらに上にはまだ不気味な暗黒が滞留しており、ここが決して安心できる場所ではないことを示していた。


 俺はレイリスやセイヴィニアのことが心配になった。


「そうだ、連れは!?」


 目を皿にして上空を探すと、すぐに二人が見つかった。レイリスはクルクル回って気持ち悪そうに青い顔をしており、セイヴィニアは縦回転しながら激怒している。


「ああ、そうだね。このままだと、ヤバいことになる。元の場所に送り返しとこう」


 アイヴスが下から放り投げるように手を振ると、レイリスとセイヴィニアはグングン上昇して虚空へと消えた。


「そ、空に打ち上がってったぞ! あれで大丈夫なのか!?」


「安心して。元の場所に戻ってるよ。……っと、ヴィオレッタ発見!」


 彼の視線の先、さほど遠くないところに俺並みの超絶美少女が紺碧のドレスをまとい、空中を漂っていた。むこうでもアイヴスを見つけたらしく、手を振ってくる。


「マイ・スウィート・ロード、ラブリー・アイヴス、ごきげんよう」


「ちょっと! 新しい友達の前で変な呼び方しないでよ。誤解されるだろ。それより先に行ってて。ボクはここの掃除をしてから戻るから」


「お仕置きのお時間ですか? 仕方ありませんね。ですが、あまりおいしくはありませんことをお伝えしておきます。わたくし、暇だったので、ちょっとかじりましたの」


「ああ、それでイカれたのか」


 アイヴスが納得したように頷くと、その少女は自分で上空へと昇っていった。彼女も『魔人』というものなのだろう。


 俺は急いで残りを探す。霊血の同胞(シストレン)はバラバラに散っていたが、三人とも見つかった。


「アイヴス、あいつらも頼む」


「ガッテンだ!」


 俺の指差すほうに彼の手が向く。それに反応してモリルの細身とジェジェの巨体はお空の星となった。いや、これは見たままの表現なだけで、死んだことの婉曲表現じゃないからね。


 続けてイスファルへ彼の手が伸びたとき、耳障りな叫びが鼓膜をつんざいた。


「キィアァァァー! これ以上は逃がさんんんんーッ!」


 闘技場をアイヴスに向けて突進してくるデモンストーカーの姿があった。あどけない少年の容貌は怒りに染まり、悪鬼と化している。床板を割り土煙を上げる勢いは凄まじく、当たればタダじゃすまないことは容易に想像できた。

 いや、イスファルを簡単に行動不能にできるような存在の突撃が『タダじゃすまない』程度のわけがない。


 だが、迷ってる暇はない。俺は瞬時に覚悟を決めて飛び込んだ。まだ一人残っているんだ。やらせるわけにはいかない。

 俺はなけなしの魔力を腕に集めて防御を固めると、突進を正面から受け止める。腕に嫌な衝撃が走り、肋骨が軋んだ。俺の両足は奴の勢いを支えきれずに背後へ強く飛ばされた。アイヴスにぶつかり、もつれるようにして二人で転がってしまった。クッソー、しまった!


 体がバラバラになったような衝撃が俺の脚をヨレヨレにしてくれた。

 何とか立ち上がって声をかける。


「アイヴス、すまん!」


「いいよ。気にしない、気にしない」


 アイヴスは頭を振り振り立ち上がる。その仕種はあっさりしていて、不思議なほどピンチである自覚がない。


「でも、その代わり、彼女をしっかり抱き締めて」


 と、彼の言葉の後に俺の上に意識のないイスファルが落下してきた。

 かなり痛かったのだが、俺は反射的に両手を差し出す。激痛のあまり支えきれず、結局胸で受け止めた。俺はそのまま後ろに倒れた。

 よく見るまでもなく、そのぬくもりから彼女がまだ生きていることがわかった。ただボロボロの着衣の下では、閉じかかった腹の穴から血が洩れているのがわかった。思った通りぐったりしている。クソッタレ、もう時間がない!


 顔を上げると、デモンストーカーがいた。マニュピレーターを大きく伸ばして俺とイスファイルにのしかかるように覆いかぶさっている。


「ポポポオォー! 許さんゾェェェー! 貴様はぁ、死ぃぬぅまぁでぇ、たぁたぁかぁえエエエー!」


 奴の逆さの顔が俺の頭上にぶら下がった。鬼気迫る形相が俺へ喰らいつかんばかりに接近した。こいつは自分の都合だけで俺たちに魔王戦を強いて、こっちの都合なんてこれっぽちも考えちゃいない。こいつは、ナロウの案内人以上に腹が立つ!

 魔王戦の先に大魔王の資格があるのだとしても、今、ここにいる俺たちが必要とするものじゃない!


 俺は奴を真正面から睨み返し、怒鳴りつけた。


「誰がおまえの言うことなんかきくかよ! 俺はナロウ王国の魔王子だ! 文句があるならナロウのデモンストーカーに言え!」


 少年の顔が憎悪に塗り固められた。


「クキキキ……キ貴様ァーッ! な、な、な、ナナナナロウだと! つつつ潰してくれるー! あ、あ、あ、あんな奴! あんな奴、あんな奴、あんな奴、あぁんなぁやァァァつー!」


 多数のマニュピレーターが鋭い先端を持ち上げ、俺の顔面へと狙いを定める。たとえ万全の状態だったとしても、俺がデモンストーカーの攻撃を防ぐなどできようはずもない。奴らは魔王を管理する者であって、逆ではないのだ。

 俺は奴から顔を逸らさず、ただひたすらイスファルを抱きしめた。


「うーるさい」


 その声とともにデモンストーカーは姿を消す。いや、奴は宙高く舞い、マニュピレーターを絡ませつつ円形闘技場の端へと落ちた。

 異界の魔人はニヤリと笑った。デモンストーカーを無造作に投げ飛ばした腕を下ろし、案内人の少年をかたどった白面を見返す。


「この魔王戦は審判詐称者の介入によって無効試合だね」


「ななな何を言うー! しょしょしょ所詮は超魔王システムの管理外の魔王! ききき貴様なゾ必要ない! ない! ない!」


 デモンストーカーのマニュピレーターが持ち上がった。尖った先端が分かれてまるで掌のように広がり、事象転写魔法陣が生じた。そこに黒い球のように見える渦が現れる。

 その黒い球の一つが床石に叩きつけられた。同時に床石は丸く削られる。完全に触れたところが消失していた。


 俺はギョッとして体を強張らせる。これは魔力で言えば、星光の魔力(スターライト)に匹敵するものだ。こんな高難度魔術を簡単に展開する時点で並みの魔王より強力な存在であることが窺い知れた。


 デモンストーカーはマニュピレーターを足のように動かしてアイヴスに近づいた。奴が歩くたびに床石が球状に消失していった。原理はわからないが黒球が触れる物質を消しているのだ。


 アイヴスはデモンストーカーが迫り来るのを見ているが、特に動く気配はない。俺の逃げろという叫びも聞こえているはずだが、それでも彼は動かなかった。

 至近距離に至ったデモンストーカーはマニュピレーターの一つをおもむろにアイヴス目掛けて振り下ろした。しかし、その黒い球はアイヴスに当たることはなかった。マニュピレーターの手首に相当する部分がつかまれ、押し止められている。もちろんつかんでいるのはアイヴスだ。

 もう一本のマニュピレーターが動く。今度は目にも留まらない速度だった。が、それもアイヴスに止められる。そして、次の瞬間、残りのマニュピレーターが一斉に襲った。


 さすがにあれをよける術はない。それに、あの渦巻く黒い球に触れたら、彼の肉体は大きく削られ、肉片が残るだけとなるだろう。

 俺は見ていられずに顔を背けた。


「だから、魔人だって言ってるのに……」


 アイヴスのブツブツとのたまう文句が聞こえる。視線を戻すと、魔人の全身にマニュピレーターとそれが持つ黒い球がぶつかっていた。そして、彼は何事もなかったようにピンピンしていた。


「なんか、もういいや」


 アイヴスは白いマニュピレーターを何本もまとめてつかむと大きく振って反対側の床に叩きつけ、投げ捨てる。床石が粉々に粉砕されるほどの勢いだったが、デモンストーカーは素早く戦闘態勢に戻った。大したダメージはないようだが、驚きは隠せなかった。


「なななぜ、攻撃が通用しないー!?」


「そんな攻撃は君が初めてというわけでもないし、君の魔法の魔法陣は設計図みたいなものだから、見れば仕組みもわかる。この世界の法則はボクの世界と差異はないので、効果そのものを打ち消すことは簡単だ。もしくは、この世界でだけ、その効果を生み出す仕組みを改変してその魔術自体が使えなくしてもいい。とにかく、何をやっても無駄だってことさ」


「な! な! なんだだだとー!」


 逆上したデモンストーカーは体を逆さから元に戻した。自分の両足で立ち、背中のマニュピレーターのすべてが上空を向いた。


「あれ、逆さまじゃなくなってもいいの?」


 アイヴスの素朴な問いかけにデモンストーカーは怒鳴り返して答える。


「黙れ! すべての力を使って、貴様だけは抹殺する! システム外のイレギュラーめ!」


「システムに沿った行動しかできないもやし魔王(っこ)に価値はあるのかい? それに、魔王戦の最中に魔王を処分するなんて、システムのルールからは外れてるんじゃないの?」


 この赤毛の魔人は天然のおちょくりセンスを持っているようだ。返す彼の一言一言がデモンストーカーを激昂させていった。

 感情の激化に表情を作る機構が対応できず、少年の白面にヒビが入った。いくつかの破片が剥がれ落ち、その奥から歯車めいた構造が姿を覗かせた。

 わかっちゃいたけど、生き物じゃないんだよな。あれで、どうやって魔力を使っているのか実に興味深いところだ。


 そんな感慨を抱いている俺の眼前で、マニュピレーターそのものが光を帯びた。事象転写魔法陣が現れたわけではない。しかし、あの光は魔力の光だ。

 もしや、あれは俺様の魔球ではなかろうか。って、そんなわけないか。もはや、彼らのおこなっていることに、俺ごときでは意味付けができない。これこそ次元が違うというやつだろう。


 ただ、案内人が極めて大量の魔力を集中させているのは確かだ。デモンストーカーが普通じゃ考えられないことをできるのは知っている。俺は警戒して周りを見回すが、変化は見つけられなかった。

 それはアイヴスも同じだ。というより、彼は何もせずにデモンストーカーの次の出方を待っているようだった。


 そうして待つ俺たちの頭上に影が落ちた。それは巨大な影だった。唐突に現れ、急速に広がっていった。慌てて見上げると、そこにあったのは大地だった。

 思わずあんぐりと口をあけて見上げる俺。地面が空の上にある? なら、今、この足の下にあるのは幻か? いや、確かに大地は下にも存在する。

 今一度見上げた。目の前に広がっているのは、今立っているところと同じ地面だ。どこを見て大空を広大な大地が多い尽くしていた。そう、どこまでも続いていた。

 それが迫っているのだ。俺たちに目掛けて。これが下の地面に触れたとき、俺たちは1000(パー)ぺしゃんこになる。俺の想像の、そして現実の遥か上をいった攻撃方法だった。


 俺は足元の揺れを感じて水平に視線を戻した。この大接近と同時に至るところで異変が起きている!

 大地が割れ、岩盤が隆起し、地形が異常な圧力に屈したように変形を始めていた。


「ア、アイヴス!」


 悲鳴のような呼びかけに応じて彼は笑った。


「わかってる。ボクは降りかかる火の粉はかぶらない主義だ」


「いや、すでにたっぷりかぶってるから! それより頭上を見て!」


 慌てふためく俺を見て、彼はクスクスと笑いながら手を打ち鳴らした。その音は軽いものながら距離や時間を無視してあらゆるところへ響き渡った。

 その音の届くところ、すべての天変地異が止まった。まるで時間が止まったかのように動きを止めたのだ。落ちかける土くれしかり、傾き倒れかける岩盤しかり、割れつつある大地しかり。


 目を向けるとデモンストーカーも同様に止まっていた。それは俺たちを押し潰さんとする頭上の大地、いや惑星そのものも同じだった。


「へっ……?」


 地面と地面に挟まれて一巻の終わりになると身構えていた俺は間抜けな声を出した。デモンストーカーと惑星がそのままの状態で凍りついたようになっている。


「時間が止まったのか?」


 鉄仮面をかぶったイスファルに言った自分のハッタリを思い出した。しかし、俺やアイヴスが動けているし、息もできるから、時間が止まったわけではないはずだ。

 首を横に振ったアイヴスが解説してくれた。


「時間なんか止めるといろいろと面倒だから、やらないよ。見える範囲の厄介そうな自然現象をちょっと止めただけ。半分も止めてないから」


 時を止めることも、その気になればできると言っているも同然だ。どちらにしてもやっていることが超弩級なのは間違いない。


 俺は放心状態でアイヴスを見守った。


 彼はのんびりした足取りでデモンストーカーに近づく。ふむ、と呟いてから、右手の指をパチンと鳴らした。


 その途端。


「へい、お待ち!」


 とボサボサ頭の女の子が現れた。その登場は何の脈絡もなく、現れた痕跡すらない。あまりにも唐突すぎてそばで出番を待っていたのかと思ったほどだった。


 少女は揉み手をしながら呼び出した人物に近づく。超常的な登場のわりに彼女の格好はあまりにもみすぼらしかった。汚れきって元の色合いもわからない上着、ツギのあたった長すぎるスカート。とにかく惨憺たる身なりの少女だった。

 ただ、彼女の瞳の輝きは、何の根拠もなく俺に本物の知性を直感させた。


 そんな少女にアイヴスは気安く話しかける。


「やあ、ジル、このガラクタを引き取ってもらいたいんだけど。確か、今度は人形屋を開いたって言ってたろ?」


「お餅のロンが役満ですな。グッドール兄妹の素敵な人形店、出張鑑定いつでもどこでも何なりとでぇす。創造神の元となった寂しがり屋AI搭載の旧式自動人形から、亀甲に縛って操るレアな超(ひも)理論式まで、どんなフェチの要望にも答えられる人形店は当店のみ!」


 すまない。『本物の知性』といった点については訂正する。彼女の言ってることはさっぱりわからん。


 二人は頭を寄せ合ってひそひそと話し込む。それから少女は動かないデモンストーカーを調べ始めた。しばらくためつすがめつしていたが、ややあって口を開く。


「よーがす。高値で引き取りやしょう。アイヴスの旦那のオススメ品だあ! てやんでえ! べらぼうめ!」


 品定めされている自動人形と喋り方が似ている気がするが、喋る内容の意味不明さはこっちのほうが上だな。

 少女は首をぐるんぐるん回して両腕を前後に伸ばす。


「下取り金額は! ヨッ! しめて! ハッ! 現物支給でぃ!」


「わかった。それで手を打つ」


 即答かよ。うーむ、現物支給って金額なのか。それで価格交渉ができる世界って、俺は行きたくないなあ。


 その鳥の巣のような頭の少女は似つかわしくない怪力を発揮した。デモンストーカーの頭をつかんで肩に担いだのだ。そして、かき消すようにいなくなった。現れたときと同じぐらい唐突すぎて俺はついていけない。ちなみにデモンストーカーのいたところには大量のガラクタが山と積まれていた。代金分の現物支給だ。


「え!?」


 驚きの声を上げると、アイヴスは額に中指をグリグリと押し付けながら俺を見た。考え事をしているような顔だった。彼は、ま、気にしないで、と笑顔を見せた。


「さて、君の世界まで送るよ」


 再び彼が手を叩くと、世界の様相が変わった。まるで上着をスルリと脱いだかのように目に見える世界が足元に落ちて消え去る。


 そして、俺の立っている場所は元の円形闘技場(アリーナ)の上であった。この静謐な空間はデモンストーカーが暴れ始める前の状態に戻っており、あの異次元の出来事の欠片すら痕跡は残っていなかった。

 闘技場の下には心配顔で待っているレイリスとセイヴィニアに霊血の同胞(シストレン)たちが見えた。そこから少し離れてアイヴスの仲間であるヴィオレッタという少女もいた。


 この唐突な帰還は、世界そのものの在り方が問われるほどの変化であるにも関わらず、あまりにも静かで、俺はまるでアニメやマンガの場面転換並みに自然に受け入れてしまった。これは現実の出来事であるはずなのだが。

 アイヴスは闘技場を下りて自分の仲間のところに向った。


 セイヴィニアがいち早く俺を見つけて階段を駆け登ってきた。ふらふらのモリルはレイリスとジェジェの肩を借り、三人で後に続いた。皆、世界が見た目的に崩壊したところから目覚めており、顔つきからは、俺の帰還を喜んでくれているのがわかる。

 その中でもセイヴィニアが心配そうな顔で俺をまじまじと見つめてきた。


「ポオ、大丈夫か!? それにイスファルは?」


 ああ、心配なのはそっちね。


「彼女は無事だけど……」


 言いかけ、俺は腕の中を見て絶句した。


 と言うのもイスファルの体にはおかしな変化が起きていた。肌といわず、布といわず、彼女の全身でところどころが白く変色していたのだ。

 彼女を抱く俺の腕が当たる表面からハラハラと粉っぽいものが落ちた。こんな症状は聞いたこともない。俺はその白い部分に目を向けた。


 何だ、これは?

 少しざらつく肌触りで、硬く無機質な感触である。決して人肌の質感ではない。俺は未知への恐怖に産毛を逆立てながらも変色した部分をよく観察した。

 すると、白い粉が肌や着衣に付着しているのではないことがわかった。彼女の体そのものが変質しているのだ。それに気づいた俺は顔を引きつらせる。不用意な動きがその白い部分を崩す可能性があるからだ。


 同じものを見たセイヴィニアもまた言葉を失っていた。あとは専門家に託すしかない。彼女なら軽く病名を言い当てて、治療法を提供してくれるに違いない。

 しかし、レイリスの愕然とした様子によって淡い期待は潰えた。本当は、俺たちもわかっている。これは怪我や病気と呼べる代物ではないということぐらい。


 それでもレイリスは前向きに対処しようと彼女を子細に調べ始めた。少しでも情報を入手しようと質問した。


「ポオ様、これは何があったのですか?」


 俺に答えられるはずもない。


 レイリスの指示に従い、俺たちは少しずつ動かして確認しながらイスファルを床石の上に寝かせた。その過程で白い部分が少し砕けて粉が散った。白く固形物がまだらのように全身を覆っている。半分ほど残る肌の痛々しさとは対照的にその白いものは美しいほどの純白だった。

 手についたそれをよく見るが、俺には何だかわからない。しかし、レイリスが答えを見つけてくれた。


「これは塩です。間違いありません」


 と口に含む。俺は目を丸くした。見た目は城の調理場にあるものと似ていない。俺も手についた白いものを舐めると確かに塩味がした。結晶ではなく粉っぽいところが違っているが、確かにこれは塩だ。

 イスファルは体の半分が塩となっていたのだ。


 ありえない現象にセイヴィニアが口走る。


「塩!? 何故だ?」


「わかりません……」


 怖い顔をしたジェジェが大きな体でレイリスと俺に覆いかぶさるように迫った。


「何でもいい……」


 戦いで怪我をしたのであればともかく、まったく理解の範疇を越えた出来事に彼女も混乱している。恐ろしげな顔もここで体験したことに対する恐怖心の裏返しなのは、俺もよくわかっていた。


「何でもいいから、早くイスファルを治療するんだ」


「それはできません」


 想定外の拒否にジェジェは両手でレイリスの華奢な肩を捕まえた。


「どうしてだ!? モリルの怪我は治したじゃないか!?」


 高圧的な態度にも気圧されず、レイリスは冷静に説明をする。


「この方の体は部分的に塩、あるいは塩と同質の物質と化しています。これは怪我ではありません。だから、私の知っている治療術では治せないんです」


 肩にモリルの手が置かれた。それで落ち着きを取り戻したジェジェはレイリスを解放して相棒に尋ねる。


「だったら、どうしてこんな風になったんだ? あの妙な人形のせいなのか? それともあの赤毛の奴の?」


「それはわからないけど、普通であれば肉体が塩に変化することはないわねェ。魔術でもない限りは」


 それを聞いてセイヴィニアの口から舌打ちが聞こえた。魔力は便利なものだが、魔術のように新たなものを産み出すことはない。逆に新たな魔術がこれまでにない魔力特性を発現させることはある。

 つまり、これまでにない対応をしなければ、イスファルは死を免れることはできないのだ。


「レイリス姫、何とかならないのか」


 レイリスは自分も苦しそうにしているセイヴィニアの手をとり、励ますように両手で包み込んだ。


「何とかなるかはわかりませんが、私の再生の魔術(リジェン)で少しでも細胞を再生させられないか試してみます。うまく安定させることができれば、ナロウ王都に運んで本格的に原因究明ができますから」


「頼む……」


 霊血の同胞(シストレン)の主は何もできないもどかしさを言外ににじませ、白皙の魔姫の手を自分の胸に押し当てた。まるで思いを託すかのように。

 レイリスが静かにそして力強く頷くと、セイヴィニアも深く頷き返した。


 レイリスはイスファルの上に屈み込むと、早速胸と額に両手を添えた。彼女の角に再生(リジェン)の光が灯り、レイリスの両手を通して魔力がイスファルへと流れる。また、魔術での治療も試し始めた。それに血中に溶けた塩分の対応もある。

 とにかく、まだ彼女の肺は機能している。なら、心臓と脳が生きていれば、生命活動は維持できる。だが、それは延命に過ぎない。


 俺は立ち上がりながら、これまでのことを振り返ってみた。


 鉄仮面のイスファル。マリーを殺した小面憎いモーブ皇国軍の一員であり、俺の捕虜。死んだところで、何の損失でもない。

 聖エピスでは、助け助けられして二人でここまで逃げ延びた。そして、何より超機動魔女ガン・アクスを知り、彼女のお気に入りはダーク=アクスニカ。


「ふん……」


 やっぱり、このまま手をこまねいて同好の士を死なせるわけにはいかないな。


 せっかくもう少しのところまで逃げてきたんだ。もう一つでっかい貸しを作ってやるとするか。返しきれない借りを背負ったと理解したあいつの狼狽した顔を見ることには、努力する価値がある。


 俺は自分にできることがないか考えてみた。

 俺の魔力は原核段階なのでレイリスの精密な魔力操作の邪魔にしかならない。なら、他に何かないか?


 俺は周囲を見回したが癒しの泉は枯れており、役に立ちそうなものは見当たらなかった。ただ一人、アイヴスを除いて。


 この異変がデモンストーカーのおこなったことに端を発するものであるなら、この魔王戦をいとも容易く収めた彼こそ解決方法を知っている可能性がある。


 俺はアイヴスとヴィオレッタが話し込んでいるところへ足を向けた。


「アイヴス、少し相談がある」


「ああ、少しならいいよ。ボクらもそろそろお(いとま)するつもりだから」


 彼は現れたときと同じく軽い感じでそう言った。世界の垣根を越えることを近所への散歩のように捉えている彼なら、と期待感が高まった。


「アイヴス、ありがとう。とにかく今回の魔王戦では助かった。感謝している」


「なんのなんの。君ほど波長の合う人はウィディス以来だ」


 これは褒め言葉なのだろう。いつもなら、同じように返すところだが、今は時間が惜しい。率直に本題に入った。


「頼みがある。俺の連れの一人が塩になりかかっている。元に戻す方法を知らないか?」


「ほう……」


 アイヴスが発したのは、これまでにない真面目な声だった。顔つきも険しく、ゆゆしき事態であることを匂わせている。俺の中の期待感がしぼんていく。

 彼は俺の反応を見ながら説明してくれた。


「それは、おそらく世界放射による物質の相転移だ。世界には固有の波長があり、波長の異なる世界ではその世界の波長に強制的に合わせられる。すでに元の世界に戻ったから、これ以上の変化はないと思うよ。ポオはいち早くボクの影響下に入ったからよかったけど、彼女は最後まで一緒にいたから間に合わなかったんだね」


「世界放射や相転移というのは何なんだ? 治せないのか?」


 詳しい説明は難しいな、と呟いてから彼は俺の肩を叩いた。


「これは治せるものではないんだ。だけど、とにかく見てみよう。できることがあるかもしれない」


 俺は彼をつれてイスファルの元へ戻った。ジェジェやモリルが心配そうにそばにいるが、手伝えることはなかったようだ。

 セイヴィニアが気づいて顔を上げると、レイリスもつられて上げた。魔力の行使に集中して、彼女の額には汗が見えた。

 レイリスはアイヴスが魔王戦の相手だとわかっているため警戒した様子だった。


「ポオ様、そちらのお方は大丈夫なのでしょうか?」


「彼は友人のアイヴスだ。彼にイスファルを見せてやって」


「わかりました」


 レイリスは再生の魔力(リジェン)の放出を止める前に、一瞬迷ったように俺を見たが、俺の真剣な表情に気づきいて手を引いた。

 アイヴスは礼を述べてイスファルのそばに寄る。二秒とかからずに彼の口から所見がこぼれ出た。


「ああ、これは手遅れだ。頭と心臓、それに一部の臓器は機能し ているものの、体の多くがすでに塩になってる。内臓も見た目とあまり変わらないだろう。残念だが、世界放射によって塩に変化した肉体を()()はない」


「貴様! そんなことを言うな!」


 怒鳴ったのは近くで見守っていたジェジェだった。金髪で大柄なミノタウロス娘は大剣をもつ手を上げるや振り下ろす。それはピタリとアイヴスの鼻先で止まった。


「イスファルはこんなところで死なない! それ以上、無責任なことを言ったら叩っ斬るぞ!」


「いや、彼女は死ぬね」


 そう断じるアイヴスの表情は冷ややかで、それまでののどかな雰囲気は完全に消えている。俺はこの赤毛の青年が異界の魔人であることを改めて思い出した。

 俺は生唾を呑み込んで尋ねる。


「死んだら、終わりなんだよ。本当に対応策はないのか?」


 アイヴスは目障りそうに目の前の刃を指で弾いた。その途端に大剣はジェジェの手を離れ、くるくると飛んで遺跡の天井に刺さった。

 まるで爪楊枝が飛んでいったような軽さに、ミノ娘は痺れる手を押さえて信じられない顔で天井を見上げた。


 アイヴスは肩をすくめて俺に視線を戻し、答えた。


「ないね。だけど、死んだとしても、その人はその人のままだ。何も変わらない。生きていようが、死んでいようが、その人自身が変わるわけではない。そんなに生きていることにこだわるのかい?」


 言っていることはわかるが、それと死ぬことは関係ない。


「いや、死んだら、もう会えないし、言葉を交わして相手のことを知ることもできなくなる。それは寂しいことじゃないのか?」


「ま、それはそうだね。そのことについては反論はないよ。ただ、彼女についてボクは見立てを述べただけだ。助からないと。肉や骨が塩に変化していると。そして、それを戻す方法は知らないと。なのに、これ以上ボクにどうしろっていうんだい?」


 確かにそうだ。彼に無理を言ってどうする。何を考え違いしていたんだ、俺は!


 彼に何とかしてもらおうなんて考えでは、イスファルを助けられるはずがない。

 俺が助けるつもりで動かないとダメだ! 俺が助けるつもりで考えないと!


 俺は唸った。


 チクショウ! もし、ここに不死不生の書(ライヴ・アン・デッド)があったらなあ。あの魔術書なら、何か書いてあったかもしれないのに。

 いや、元の持ち主はあの書物を裏まで読みつくしているんじゃないか。彼女なら何か魔術を知っているかもしれない。


 レイリスは気休めにしかならない魔力の放出を再開した。他にできることはないと彼女までもが言っているようで腹が立ったが、俺はそれを抑えて質問した。


「レイリス、不死不生の書(ライヴ・アン・デッド)に今回のような現象やその対処について書かれていなかったか?」


 辛そうな顔を上げて彼女は答えてくれた。


「いえ、私もあの本のことはすぐに思いついたのですが、私の知る限りで、変わってしまった物質を戻す方法はありませんでした。あれは、あくまでも生と死と医療に関わる魔術書にすぎません」


 ダメか! いや、これも他人頼みだ! もっと自分で考えるんだ!

 ありもので対応できないなら、ないものを作るぐらいのつもりで!


 プラモデルのビルダーは存在しないパーツは作って、自分の想像どおりの造形になるよう工夫を凝らす。俺だって、人間界へ行くとか、必殺技を再現するとか、やりたいことを実現するための新魔術ビルドなら経験はいくらでもある。


 よーし!


 俺もあの古い魔術書の内容を思い起こした。あの書物には様々な種族の解剖図はもちろん、医療に関わる魔術がたくさん記されていた。

 重病を治す術、重症を癒す術、実に様々な魔術が記録されており、中には美顔整形に属するものさえあったことを思い出した。


 美顔整形? いや、それだけではない。あれは、それこそプラモのオリジナルパーツの作製並みに自由に形を成すことができる魔術だ。生体成形も可能な魔術的3Dプリンタといって過言ではないものだった。

 ならばだ、全身成形も可能なはずだ。問題があるとすれば、成形時の細胞再生だ。これは再生の魔力(リジェン)と解剖学の知識のあるレイリスに相談できるはずだ!


 新たな希望が生まれ、気力が湧いた俺は急いでとレイリスに思いついたアイディアを説明した。

 肉体パーツの成形とその細胞再生を同時に行い、塩となった部分は破棄して、新パーツと交換することで新たな肉体を構築するのだ!


 いくつかの医療要素と魔術が絡むこの提案は相当に面倒な術となるだろう。案の定、懸念事項もあって自信のもてないレイリスは反対した。


「ポオ様! 理屈はわかりますが、細胞再生と全身成形を同時におこなうことは一人では無理です」


「もちろん、俺も一緒にやる」


「ポオ様が?」


 怪訝そうな顔で俺を見るレイリス。


「そう言いたくなるのはわかる。しかし、他の手はない」


「ですが、ポオ様に使ったことのない魔術が使えるのですか? それも真核魔力で実施するのも困難なほど精密な作業になります。身体を成形するにしても、私にはうまくデザインできる才能はありませんし……」


「全体形状や成形についての作業は俺が担当する。そっちについてはかなり知識がある。だから、美容整形魔術は起動だけしてくれたら、コントロールはこっちにくれればいい。君には臓器の再生を任せたい。解剖学に造詣の深い君でないと、臓器は作れない」


 しかし、色白の顔は残念そうに振られる。


「それだけではありません。施術中、ずうっとイスファルさんの肉体を生かしておくことが必要です。すでに血液を相当失っています。そういった生命維持はどうするのですか?」


「それは……」


 俺は言い淀んだ。確かにプラモではないので、形さえ整えばいいと言うものではない。この大魔術の最後まで鉄仮面の命がもつ保証はない。

 そのとき、アイヴスが口を挟んだ。


「なら、それはボクが手伝おうか?」


「いいのか?」


「言ったろ? ボクに対応策はない。だけど、君が対応策を思いついたのなら、それを手伝うことはできる。だって、友だちだろ」


 この軽さが今一つ信用しきれない理由だ。しかし、選択の余地はない。


「う~ん、まだ出会って一時間も経ってないけどな。でも、一緒にあの人形をからかったのは楽しかった。そういう点を考慮して、俺は君を信用している」


「そーゆーこと」


「わかった。頼んでいいか?」


「まーかせて。絶対に死なせない自信がある」


 と力こぶをつくる真似をする。それから、この魔人を自称する青年は俺の首に腕を巻き付けて素早く引き寄せた。


「君なら、自分で何か考えつくと思ってたよ」


 それだけを耳元でささやくと、すぐに体を離し、術の準備なのか腕まくりをした。そして、いつでも準備オーケーだと彼はウインクしてきた。


 さて、肝心要の3Dプリントマジックだが、こいつはクラ姫の言うとおり大変だ。さすがの彼女も初めて使う魔術に緊張を隠せず、術式の入念な事前チェックに余念がなかった。

 この美顔整形魔術そのものは比較的単純な部類に入る。ただ、そこでやらなければならない成形作業が困難なのだ。しかし、その作業自体は俺が担当するため、レイリスも幾分かは楽なはずである。


 ここで俺は最後の確認が必要なことに思い至った。イスファルは霊血の同胞(シストレン)だ。俺の部下じゃない。勝手をするわけにはいかなかった。

 俺は横を向き、すぐそこで俺の言動を見守っていたセイヴィニアに声をかけた。もちろん許可を求めるためだ。


「イスファルはこのままでは死ぬ。だから、俺はこれから彼女を助けるために三人がかりで前人未到の大魔術を試みる。成功するとは限らないが、他に方法はない。やるか?」


「他に方法がないのだろう。ポオ、おまえはどう考えているんだ? 命を救うためとはいえ、敵国の捕虜にそんなに一生懸命になって、魔王戦をこなして衰弱気味の体でそこまで頑張るのはなぜだ?」


 ここで問答かよ。面倒な奴だな。いちいち考えている余裕もなく、俺は思っていることをぶちまけた。


「この女は俺と生死をともにして聖エピスを脱出した仲間だ。俺がこいつを助けたこともあるし、こいつが俺を助けてくれたこともある。それに義理堅い。俺に対しての話だけでなく、セイヴィニア、おまえに対しても恩義を強く感じている。俺はおまえたちのせいで大事な侍女を、俺に最も近い存在だった友人を亡くすことになった。それについては怒りを忘れたわけじゃないが、彼女はセイヴィニア、おまえにとって、あるいは彼女にとって霊血の同胞(シストレン)は同じような存在なんじゃないかと思った」


 俺は最後に噛み付くように言ってやった。


「だから、俺はこいつは助けたい! 以上だ! さあ、おまえはどうなんだ!?」


 腕組みをしてセイヴィニアは難しい顔をした。ただ、俺に向けられる視線は単に厳しいだけでなく、なにがしかの期待の眼差しでもあることが感じ取れた。


「これが異常な状態であることはわかってる。そして、おまえは弱いくせに今回の魔王戦も乗り切った。だから、ポオ、そのギリギリのところで何とかするおまえに託す」


 俺は頷き、念を押す。


「これからおこなう魔術は塩と化した部分を破棄して新たな肉を生み出して穴を埋めていくようなものだ。それによって、彼女の外見はおまえたちの見知ったものではなくなる。彼女本人に事前承諾を得られないが、それでもいいか?」


「命を助けてくれるんだろ?」


「もちろんだ。ところで、おまえはこの鉄仮面の本当の顔を知ってるか?」


 おっと、口が滑った。


「鉄……いや、知らない」


 鉄仮面という呼び名に彼女は鼻白んだようだったが、ここは抑えてくれた。イスファルの容姿に対する言葉に気を使ってきたことがよくわかる。

 そうだな。ただ見ているだけでは落ち着かないだろう。脳筋の貴様たちにも役割を振ってやろう。


「わかった。なら、おまえも手を貸せ」


 俺は何とか超次元渦動をひねり出すと、穴を固定してタブレット端末を取り出した。大魔術前に魔力を消費するのは嫌だったが、それでもこれは必要なものだった。

 大きい画面が光を放つのを待つのももどかしく、俺はアイコンをダブルタップしてデジタルコミックスを表示させた。もちろん、ガン・アクスを見返して、ダーク=アクスニカの全身イラストが掲載されているページを探し当てた。

 そして、タブレットをセイヴィニアに手渡す。


「これをもっていてくれ。俺が見やすいようにするんだ」


「わかった。が、何だこれは?」


「説明は後で。ただ、これを俺がいつでも見られるようにすることは、この魔術の成否に関わるからな」


 真剣な顔でそう言うと、セイヴィニアは理解できないながらも了承してくれた。

 俺はさらに、魔術に長けているであろうモリルにレイリスのフォローを、ジェジェにはその都度指示をするので雑用をするようにと命じた。二人は俺に命令されることに不平を洩らしたが、セイヴィニアのひと睨みでおとなしくなった。さすがご主人様。便利だな。


 俺は全員が配置についたことを確認すると、両手を上げて宣言した。


「さあ、魔改造手術(オペ)を始めようか」




 実にオペは三時間に及んだ。

 とは言え、全身を作り直すことを考えれば、とんでもない速さだったと思う。人間界の医療ドラマでは難しい手術に五、六時間かかったとか言っていたものもあったしね。

 こんなに早くオペが終わったのは、ひとえにアイヴスのおかげだった。


 というのも、成形の最中に細胞の再生が追いつかないという事態が発生したのだ。

 いかに急を要するとは言っても粗悪な細胞で組織を形成したらその部分は壊死してしまう。しかし、俺の成形に費やす集中力にも限界がある。それによって、このままでは術のバランスが崩れてイスファルの体が崩壊する恐れがでた。


 そのとき、アイヴスが指摘してくれたのだ。イスファルの首についている鉄の輪が彼女自身の魔力を阻害していると。彼女の魔力特性は再生の魔力(リジェン)だ。角を折られてはいるが、この厄介な魔定輪を外せればプラスに働くだろう。

 しかし、鍵がない。それではあの魔定輪は外せない。それに、無理に外そうとして、不用意な衝撃を与えて彼女の肉体が砕ける恐れもあった。

 そう伝えると、彼はウィンクして魔定輪に手をかけた。


『あーら、不思議』


 いとも容易く解錠し、魔定輪を外してしまった。どうやって解錠したのかはわからない。どうやら彼の使う力は、我々の魔力とは異なるもののようだった。

 また、彼は俺の右手の奴も外せば、もっと楽になるんじゃないかとアドバイスをしてくれた。だが、俺のは魔転輪といって、魔定輪の真逆の効果だと訂正した。それに親父の形見だとも。すると、彼はそれ以上勧めてこなかった。


 あと、途中でレイリスが息切れをし始めて、魔術が解けそうな場面があった。大魔術の前から再生の魔術(リジェン)で魔力を消耗していたせいだ。

 が、そこはサキュバスのモリルがうまくフォローしてくれた。さすがは頭脳派。どうやら、ただの脳筋ではないらしい。


 そうして、俺たちは非常に困難な魔改造手術(オペ)を終えた。


 イスファルには、アイヴスがどこからともなく取り出した白いシーツをかけてある。それは彼女が全裸だったからだ。お茶目な青年だが、なかなかの紳士である。


 その後、アイヴスと彼の連れであるヴィオレッタという少女はこの世を去った。おっと、言い間違えた。彼らはこの世界を去った。


 彼に少しでも恩返しがしたかったのだが、あれだけのことができる魔人に俺から与えられるものなどなかった。ただ人間界のことだけを除いて。

 そのため、人間界研究の第一人者として、彼にもその素晴らしさについてひとくさり解説してやった。

 すると、似た思考をする奴だけあって、俺たちは更なる意気投合を図ることができた。何だろう。大魔界の連中より異世界の大魔王クラスのほうが付き合いやすい気がするのは気のせいだろうか。


 意気投合ついでに俺の趣味の一つである空想魔力研究を披露すると、この上なくノリノリとなり、一緒にタブレットでガン・アクスやリィ=インカルマを読んで楽しい談笑時間を過ごすことができた。

 格調高く表現するなら、ナロウ王国の魔王子は異世界の魔人と空想魔力研究の分野で極めて有意義な意見交換をおこなうことができた、という感じかな。


 そして、アイヴスは、またねー、ととぼけた挨拶とともに姿を消したのだった。

 付け加えると、彼らが去った後には、例のジルとかいう少女のおいていったガラクタが残された。結局のところ、異世界の魔人にとっては単なる不燃ゴミにすぎないらしい。


 彼によると、これらのガラクタは魔術的なジャンクパーツであるらしい。せっかくなので、これは俺様がおいしく頂くことにした。

 戦利品があると、いかにも戦闘に勝利した感じがあっていいな。ゲームで敵がなぜか経験値とお金を落とすのはこのためなのだろう。


 そうそう、肝心なことを言い忘れていたが、魔改造手術(オペ)は大成功だったから、その点はご安心を。


 馬車に乗り遺跡を出た俺たちは、その後、特に邪魔されることもなく、まっすぐ国境を越えることができた。


 道中、俺は他の皆が寝静まったときを見計らい、レイリスにひそひそ声でセイヴィニアを連れてきたことを叱った。モーブの魔皇女は、ザックスリー公爵に対しても、モーブ皇国に対しても切り札となる存在だ。それをしっかりと確保しておくことが非常に重要であることを説いた。

 レイリスはしゅんとなったが、危険を省みず自ら救出に来てくれたことに礼を言い、イスファルを助けるために力を尽くしてくれたことを褒めると機嫌を直してくれた。


 その翌日、ようやく俺の患者は目を覚ました。一時的な貧血のせいか自分が馬車に揺られていることに戸惑いつつ、ぼんやりとした顔で周囲を眺めていた。

 しばらくして意識がはっきりしてきたのだろう、表情が引き締まり、視覚情報から現在の状況を認識した。どうやらデズモードの魔の手から逃げられたようだ。しかも、自分は生きている、と。


 安堵した顔で二人の仲間に目をやり、三人で肩を抱き合って無事を喜んだ。もちろん三人とも笑顔だったのだが、モリルについては微笑みが薄ら笑いのようで気味が悪かった。


 その直後のことだ。イスファルは同僚の背の向こうに己の主君の姿を見つけた。セイヴィニアの前にいざり寄り、その膝にすがりつくようにして泣き崩れてしまった。保っていた気持ちが一度に緩んでしまったのだろう。

 セイヴィニアにいたわってもらう姿を見て、俺は彼女を助けた判断は正しかったと確信できた。俺も、もし、ここにマリーがいてくれたら、と少々寂しくなったが、それは別の目論見の成果によって紛らわすことができた。


 泣き止み、しゃくりあげることもなくなったところで、イスファルは悲鳴をあげた。自分の手足を見てうち震えている。もはやハスキーではなくなった声で誰にともなく叫んだ。


「な、何なんだ! これは!?」


 手や腕、体の肌の滑らかさなど、自分の体の激変に驚いているのだ。


「何だって、おまえの体だろ」


 と冷たくあしらう俺。


「だ、だが、この肌は何だ!? それに顔も、声も! 私のものではないぞ!」


「いや、間違いなくおまえのだよ」


 彼女は裸身というあられもない姿で俺に食ってかかる。


「そんなわけがない! 貴様! たぶらかす気か! この幻を解け!」


 首を絞められて返答できない俺に代わり、セイヴィニアが説明すると、彼女は腰の抜けたようにストンと腰を落とした。

 全身が塩になりかかり、それを修復するために異世界の魔人の力まで借りて、ようやく成功したこと。それを考えつき、実行したのが俺様であること。それらを聞かされ、イスファルは放心状態となった。


 そして最後に、レイリスから持たされた手鏡を見て彼女は絶叫した。

 鏡に写る愕然とした顔は、現実に存在するならこうだろうと想像できるダーク=アクスニカこと『光流院(こうりゅういん)まどか』のものだったからだ。


 彼女の狼狽する様を見て、俺は大爆笑した。ギャハハハと笑わせてもらった。腹の皮がよじれるほど笑った。あまりにも笑いすぎて腹筋がつったぐらいだ。


 だが、それも無理からぬことなのだ。なぜなら、俺はこの驚きっぷりが見たくて頑張ったのだから。






今度、プラモ買ってこよう。



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